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5.冒険 特に、行くあてがあった訳ではない。
ただ、この場から逃げ出したかった。 そうしなければ、生きていくことなどできないと思った。 早朝の、まだ薄暗い時間。 ベッドの中でひとしきり泣いた後、少年は意を決して起き上がった。 ぶかぶかの帽子と、安っぽいサングラス。それから、出来るだけ野暮ったい服を着て『武装』する。 あとは携帯と財布を持っただけの身軽な格好で、マンションを飛び出した。 ……自由になりたい。 芸能界に入ってから、初めてにして最大の、我が儘。 社長が困るかな、とか、みんなに迷惑掛けちゃうな、とか…… そんな思いがチラチラ頭をよぎったけれど、それでもティーダの足は止まらなかった。 もうこれ以上、アーロンのいない場所で仕事なんてできない…… オレはそんなに、強く、ない――――― 夢中で駅まで走った。 何処でもいい。電車に乗れば、違う場所に行ける。 シーモアの迎えに来る、あのマンションではない場所に。 駅に辿り着いたティーダは、構内の至る所に貼られていた自分のポスターに出迎えられ、ヒヤリとした。 株式会社BeBeRuの、携帯電話のCM用ポスターだ。 今度発売される新機種のCMキャラクターに、『Tidus』が抜擢されていたのだった。 思わずぎゅっと、かぶっていた帽子を両手で押さえ、ティーダは足早に切符売り場へと向かう。 しかし、一人で電車に乗るなどいつ以来だという位に久々のことで、どのラインがどの駅を通るのか、ティーダには全く見当も付かない。 とにかく遠くへ行こう。 そう思い、JRビサイド線の最大料金分の切符を買って、改札をくぐった。 午前5時。 まだ朝の早い時間帯とあって、車内はすいていた。 ティーダは隅の座席に腰を下ろすと、ぐるり、と辺りを見回す。 斜め向かいの席に、熱心に新聞を読むサラリーマン風の男。 部活の朝練だろうか、制服姿の少女が三人、扉のすぐ脇に立って小声でお喋りしている。 普通の世の中の、平凡な朝の風景。 その中に自分がいることに、ティーダはそわそわし、ドキドキした。 けれどそれは決して嫌な気分ではなく、快い高揚感が、彼を包み込んだ。 やはり車内の吊り広告にも、例の携帯電話のポスターが多数見受けられ、それが少し気がかりだったが、まあ誰も、こんな所に本人がいるとは思うまい。 そう思って電車の揺れに身を任せていたティーダは、次の瞬間、女子高生3人組の一人が発した言葉にぎょっとした。 「あ、あれ、『Tidus』」 反射的に顔を背けたが、すぐに、彼女らが指しているのは電車の吊り広告だと理解し、ほっと胸をなで下ろす。 「最近さ、何か新製品あると、すぐ『Tidus』だもんねぇ」 やや刺々しい言葉。どうやら彼女はアンチ『Tidus』派らしい。 悪口は苦手だった。席を移ろうかとも思ったが、そうするのも不自然だ。 「そうそう、トントン拍子に大スターになっちゃってさぁ。 本人はさぞかし天狗なんだろうね」 二人目も相槌をうってまくし立てる。 ティーダはサングラスの下で、目を伏せた。 「それは違うよ」 と、それまで黙って扉にもたれ掛かっていた3人目の少女が口を開いた。 「『Tidus』って、すっごく努力家なんだと思うんだ。今だってすごく頑張ってるんだよ、絶対。 だってね、全然、他のアイドルと違うもの。努力してなきゃ、ああはできないと、思うもの」 熱弁を振るう少女に、他の2人も、ティーダ本人も、ぽかんとした。 「ああそっか。ユウナは『Tidus』の大ファンなんだっけね」 ユウナ、と呼ばれたその少女は大きく肯いて、 「でも、その辺のファンとは一緒にしないでね。 わたし、ちゃんと、『Tidus』の内側まで見てるつもりだから」 「内側、ねぇ……」 「アイドルに内側もなにもあるかっつの」 友人達にからかわれ、ユウナはぷっと頬を膨らませた。 「みんな、分かってないんだ」 そんな仕草さえ愛らしいと思えるほどの、美少女だった。 「とにかくね、今度『Tidus』を悪く言ったら、わたしが許しません!」 「はいはい」 そうこう言っているうちに電車は止まり、少女達はその駅で降りていった。 (ありがとう…ユウナ) ティーダはその背中に、心で語りかける。 『Tidus』が頑張ってること、分かってくれてるのは、アーロンだけじゃ、なかったんだね。 それからごめん……と。 頑張ることをやめてこんな所にいるオレを、どうか許して下さい―――――― とにかく、失踪をマスコミに嗅ぎつけられぬように。 エイブスプロダクションは関係者にそう強く言い渡したはずだったが、果たしてどこから漏れたのか、既に昼のワイドショーでは大々的なニュースになっていた。 『『Tidus』失踪!? 先日の報道と何か関係が?』 そういったテロップが各局で一斉に、『Tidus』の映像と共に流された。 朝からぎっしり詰まっていた仕事を立て続けにキャンセルしたのだから、 失踪を感づかれて当然といえば当然だ。 社長室でテレビを見ていたマイカは、ギリ、と唇を噛んだ。 「いいか、一刻も早く『Tidus』を探し出せ! 草の根分けてでも、ここへ連れてこい!!」 「ええ、それは既に、シーモアやルールーに命じております」 リンが冷静に、社長を宥めにかかる。 マイカは声を落とし、チラとリンを見やった。 「……あの男の自宅周辺も、見落とすな」 「分かっております」 そう答えてリンはふと思いついたように、 「まさかとは思いますが…アーロンの現在の職場も、調べておいた方が良いかもしれませんね」 マイカは振り返り、 「奴は何処に勤めている?」 「それは把握しておりません…。ですが、すぐに調べましょう」 そう言うと、リンは社長室から退室し、素早く携帯電話を取り出した。 昼のニュースを見て、ワッカは仰天した。 「おいおい、マジかよ!?」 『Tidus』が失踪したって!? 昨晩、アーロンから電話を受け、ティーダに気を付けてやって欲しいと頼まれたばかりだというのに! 畜生、とワッカは昼食の乗ったテーブルを拳で叩いた。 『こんなことを他人に頼むのは、不本意なのだが……』 昨晩、意外な人物からの電話に驚くワッカに、声の主は語りかけた。 『今の俺にはどうすることもできん。下手に動くと、それこそティーダの迷惑になる』 「……何で、オレなんスか」 戸惑って尋ねると、アーロンはやや苦笑を含んだ声で、 『お前くらいしか、味方らしい味方がいない』 味方……その言い方が酷く切羽詰まったように聞こえ、ワッカは受話器を握りしめた。 『知って…いるんだろう?』 何を……と、問い返すまでもなかった。 「まあ……薄々は」 少年と、旧マネージャーが愛し合っていること。 度々『Tidus』と仕事をして親しく話し、その写真を撮ってきたワッカには、そのくらいの洞察は可能だった。 『それでもお前は、ティーダの味方でいてくれた』 その声は少年への愛情に満ちていて、聞いているこちらが照れる位だった。 「そうっスね。いい恋して、幸せになって欲しいって、本気で思いましたよ」 しかしアーロンからそんな風に見られていたとは意外であり、またひどく嬉しくもあった。 「確かに…新しいマネージャーは、嫌な感じの奴でした。仕事はできるんだろうけど……。 『Tidus』は、何処か奴に怯えてるようなフシがあったな…」 その日一緒に仕事をしたばかりだったから、ワッカは即座に答えることができた。 「そうちょくちょく一緒に仕事するわけでもないですけど……気をつけときます」 「ああ頼む。俺も今度電話でそれとなくティーダに聞いてみよう」 それがつい昨日のことだ。 なんという間の悪さだろう! 『Tidus』は、余程苦しんでいたに違いない……。 あの時、無理矢理にでも、悩みを聞いてやるべきだった。 ワッカは唇を噛んで頭を抱えた。 当然、昼のニュースはアーロンの耳にも入ってきていた。 昼休み、つけたテレビを見るやいなや彼は携帯電話を取り出し、ティーダの番号へと掛けたが繋がらない。 それはそうだろう。失踪を企てる人間が、携帯の電源を入れているはずもない。 彼はらしくもなく音を立てて立ち上がり、そのまま部屋を出て行こうとする。 「……何処へ行くんです」 ブラスカがやんわりと呼び止めた。 「…探しに」 振り向かずに短く答えたアーロンを、ブラスカはやや厳しい口調で諫めた。 「待ちなさい」 アーロンは振り向いて、 「命令違反でクビだというのなら、それで構わない。 俺は、ティーダを探しに行かなければ……」 「……貴方は意外に、熱くなるタイプのようだ」 ブラスカはやれやれと首を振って苦笑した。 「…今下手に動き回るのは、賢いやり方とは思えませんよ、アーロン。 もしも『Tidus』くんが貴方を頼ってここへ来たとき、逢えなかったら辛いでしょう?」 アーロンはハッとしてブラスカを見た。 確かにその可能性は、無いとは言えなかった。 昨日電話で、勤め先のことをティーダに話したばかりだ。もしかすると……。 ブラスカはにっこり笑って、 「……ですから、通常通りの業務に戻りなさい、アーロン」 優しい口調だった。 「……はい」 アーロンは心の中で、この思慮深く寛大な上司に感謝した。 ―――ティーダ。 今、何処にいる? ティーダが降り立った駅は、品の良い店が建ち並ぶ、ちょっとしたショッピング街だった。 彼は物珍しげに辺りをキョロキョロ見回した。 当然、こういった場所を一人で歩いたことも、ましてや買い物なんてしたことも、ティーダにはまるで経験の無いことだ。 まだ朝の早い時間だったため、ティーダは開いていた駅前の喫茶店に入ってショッピング街が活気づくまで時間を潰し、未知の場所への期待に少し胸を高鳴らせながら、その街に足を踏み入れた。 買い物客で程良い賑わいを見せるその街を、少年はゆっくりと歩いた。 途中、ショーウィンドウに映る自分の姿をチラチラ見ては、ブラウン管のむこうの『Tidus』とはおよそ似ても似つかない風体なのを確認し、安堵する。 ……テレビに映る自分など、所詮、お飾りに過ぎない。 本当のティーダは、こんなに何でもない、普通の人間なんだよ。 ただひとりの人に恋をする、普通の17歳の…… そこまで考えて、ティーダはまた泣きそうになり、何度かまばたきした。 全てを忘れるためにここにいる。 哀しいことは、考えないようにしよう。 これまでのことも、これからのことも。 特に何を買うでもなく、ティーダはぶらぶらとショッピング街を歩いた。 きらびやかな洋服やアクセサリを、嫌と言うほど与えられ続けてきた少年には、 別段欲しい物など何も思い当たらなかったのだ。 ただ、店を見て回るのは面白く、飽きなかった。 と、ティーダはこぢんまりした紳士服店の前で足を止めた。 「シド紳士服店」という看板の出たその店のショーウィンドウに、かっちりした背広姿のマネキンが飾られているのを見つけ、そういえばアーロンがネクタイを締めている姿は余り見たことが無かったな、などとぼんやり思う。 しばらくじっとその場に立ち止まっていると、店の中から中年の男が出てきた。 「おう少年!何だい、父さんへのプレゼントかい?」 恐らく店の主人なのだろう、江戸っ子風の、人の良さそうな男だった。 「あ…ええと」 ティーダが返答に困っていると、主人は笑って、 「まあ入んな!」 腕を掴まれ、ティーダは店の中へと連れて行かれた。 ……店内は、紳士服店としては、一風変わっていた。 陳列棚には、空きさえあれば飛行機の模型が飾られ、一種おもちゃ屋と見まごう程だ。 「おじさん、これ、趣味?」 ティーダが模型を指して問うと、主人は楽しそうに笑って、 「おうよ。まあ若ぇ頃は、パイロットになるのが夢でな…」 そう言って、スキンヘッドのその頭を、二三度軽く叩いた。 「で、少年よ。何が欲しいんだい?父さんへの贈り物か何かだろ?」 改めて主人に尋ねられ、ティーダは再び口ごもる。 「あ…贈り物、は、したいけど……父さんにじゃ、ない……」 「ほう?」 主人が興味深そうにティーダの顔をのぞき込む。 もちろん、深々と帽子をかぶってサングラスをかけたティーダの面差しは、それくらいでは確認できなかっただろう。 「何か訳有りっぽいな? 大丈夫、このシドさん、口は堅ぇからな。何でも注文してみな!」 ティーダはサングラス越しに、シドと名乗った店主を見た。 この人は、信用できる人だ。 芸能界の荒波に揉まれてきたティーダは、一瞬でそう判断した。 そしてポツリ、と呟くように口を開く。 「少し……年上の、恋人に……プレゼント」 そう言ってから、ティーダはひどく赤面した。 年上の恋人、だって。…そうには、違いないけど…… 口にしてみると、恥ずかしくて……何だか、素敵だ。 少年が恥じらっているのを察したのか、シドは微笑まし気な視線を投げ、 「そうかいそうかい。で、どんなものをお望みかな?」 ティーダは、その大きめのサングラスのフレームに手を添えてしばらく考えていたが、 「ネクタイ…かな。ネクタイがいい」 アーロンがネクタイを締めたら、きっと格好良い。 不意に、自分が今、恋人へのプレゼントを選んでいるのだという実感が湧いてきて、ティーダはドキドキした。 もちろんこんなこと、初めての経験だ。 …何だか不思議な…幸せな、気持ち。 「ネクタイってもな、色々あるぜ?」 そう言って、シドは何種類か並べて見せてくれたが、ティーダにはどれも同じように見えて、1つには決めかねる。 「おじさんのオススメは?」 尋ねるとシドは首を捻り、 「相手はどんな男なんでぃ?それによるな」 言われて、ティーダは顔を輝かせて身を乗り出した。 「ええとね、歳は35歳で、身長は182p、結構筋肉質だけどスマートで、 黒い服が良く似合って、長髪を1つに束ねてて……サングラスかけてる。 あ、これとは全然違うけど」 と言って自分の不格好なサングラスを指さす。 「あんまり派手な格好は好まないかな。渋くて、格好良い…」 「…はいはい、もう充分充分」 そのまま放っておけば延々と喋り続けそうな勢いの少年を、シドが手を挙げて制した。 「大体、イメージは分かった。 待ってな。今ぴったりのやつを選んでやるから」 そう言って、棚に向かった彼は、背中越しに少年へ声を掛ける。 「……にしてもお前さん、よっぽどそいつのこと、好きなんだねぇ」 暖かな笑いが含まれたその言葉に、ティーダは今度は、赤面しなかった。 代わりに、小さく肯く。 「……うん。好き」 ――――大好き、アーロン…… シド曰く今年の最新作という、黒を基調としたシンプルなデザインのそのネクタイを、プレゼント用に綺麗に包装してもらい、ティーダはその店を出た。 別れ際、「頑張れよ」と声を掛けてくれた主人の心遣いが嬉しくて、ティーダは軽い足取りで、来た道を戻った。 大事に大事に、胸に包みを抱え、少年は思う。 (後で、手紙でも添えて、宅急便で送ろう。 誕生日でもないのにって、アーロン驚くかな。 どんな顔、するかな……) そこまで考えて急に、堪えていた想いが溢れ出した。 ……逢いたい。 逢って渡したい。これアーロンに買ったんだよって。 気に入ってくれる?喜んでくれる? 顔が、見たい…… 涙が、頬を伝った。 今までのことも、これからのことも、もうティーダの心には何もなくて。 ただアーロンに逢いたい、その想いだけが膨らんで、弾けた。 「…ええ、そうですか。分かりました。有り難うございます」 何度目かの電話を切り、リンは社長室に戻った。 「アーロンの勤め先が分かりました」 マイカは目を上げて先を促す。 「都内テーマパーク『ザナルカンドランド』で、警備の仕事をしているそうです」 「ふん、それはまた大層な……」 嘲笑するマイカに向かって、リンは続ける。 「そちらも捜索範囲に加えるよう、シーモア達に連絡しておきましょう」 「うむ」 そして、リンは今度は退室はせず、目顔で社長に許可を得、その場で電話をかけた。 「……シーモアですか?私です。どうです、何か手掛かりでも?」 シーモアの返答からは、足取りが掴めず難航している様子が窺えた。 恐らく『Tidus』は、あてもなく動き回っているのに違いない。 いや、あるいは…… 「都内に、大きなテーマパークがあるでしょう。ええそう、『ザナルカンドランド』です。 そこにも、注意してみて下さい」 いつになく早口でそう言い、電話を切ったリンの瞳に、何処か野性のケモノのような色が浮かんだのを、マイカは見逃さなかった。 リンのこの眼は、エイブスプロにとっての吉兆に他ならない。 老社長はその顔に刻まれた皺を更に深くしながら、くつくつと嗤った。 |
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