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9.血の絆 「上がるぜ」 突然訪ねて来ておきながら、ひどく無遠慮な様子で、父――――ジェクトは、玄関のドアを押し開いた。 ティーダは慌てて抵抗しようとしたが、ジェクトは意に介する風もなく、ずかずかとティーダの部屋に上がり込む。 「なかなか小洒落た部屋じゃねぇか」 どっか、とリビングのソファに腰を下ろした父親を、ティーダは睨み付ける。 「何の用なんだよ」 ジェクトは、その深い紅色にも見える双眸をゆっくりとこちらに向けてきた。 男らしい骨格、野性的な目鼻立ちをしたその男に、ティーダはまるで似ていなかった。 「何だはねぇだろ。久々の親子再会だってのによ」 「頼んでもいないのに、何で勝手に訪ねて来んだよ!?」 我知らず、詰問めいた口調になる。 ジェクトはじっとティーダを見つめたまま、 「メシは、ちゃんと食ってんのか?」 「………」 ――――そんな、アーロンみたいなこと、言うな。 「毎日しっかり寝てんのか?ちゃんと寝なけりゃ、でっかくなれねぇぞ」 「余計なお世話……」 言い返しながら、ティーダは泣きそうになる自分を感じ、嫌悪感を抱いた。 急に現れて父親面しやがって…… そんなジェクトに対し、縋りたいような想いに駆られている自分が、堪らなく情けない。 …今、オレ、心が弱いから。 普段だったらこんな親父、一発殴って追い返してやるのに―――― 「こないだの中継、見たぜ」 不意に、ジェクトは話題を変えた。 中継……。 ティーダはハッとする。 ここ数日内で、『Tidus』が出演した中継は、たった一つしかない。 ―――そうか。それでか。 人が弱ってるところにつけ込んで父親面しに、ここへ来たのか。 「最悪……」 俯いて自分の爪先を見つめながら、ティーダはギリ、と唇を噛んだ。 こんな奴に、弱みなんか見せるもんか! 「何であんな三文芝居、打ったんだ?」 「………え?」 唐突にジェクトが投げかけてきた問いに、ティーダは戸惑った。 「どうして好きな男に、あんな嘘つかせた?」 動悸が早くなる。 「何で……」 どうしてあんたがそんなこと知ってるんだ? ジェクトが座っているソファの、テーブルを挟んだ向かいにつっ立ったまま、ティーダは言葉を失う。 「分かっちまうんだよ」 ジェクトは、挑戦的に息子に向けていた視線をフイと逸らし、 「大事な息子の事くらい、分かんなくてどうすんだっつんだよ」 ティーダはギッと父を睨んだ。 「しらじらしいこと言うなよ!一度も、父親らしい事なんて、したことないクセに!!」 ジェクトはそんな少年の視線を真正面から受け止め、 「ああ、ねぇよ。けどな、この10年、いつだってお前のこと考えてたさ。 いつか、父親にふさわしい人間になれたら、迎えに来ようってな」 ティーダは泣き笑いのような表情を浮かべる。 「じゃあ、今ここにいんのは、ふさわしい人間になれたからかよ?」 「そうだ」 ティーダはバン、と目の前のテーブルを両手で叩いた。 「何がふさわしいんだよ?オレのこと、見下したかっただけじゃないのか!?」 ポロポロと、涙がこぼれる。 「死にそうな程弱ってるオレを、笑いに来たんじゃないのか…!?」 涙が止まらない。 こんなヤツに、弱みなんて見せないって、誓ったのに。 俯いて肩を震わせているティーダを、ジェクトは黙って見つめていたが、やがてつと立ち上がって手を伸ばし、ティーダの髪に触れた。 「……触んな……!」 身を捩って抵抗しようとしたが、ジェクトの大きな手は半ばかき回すような強引な仕草で、ティーダの髪を撫で回す。 「最近のお前、テレビで見てると、痛ぇんだよ」 「……っ」 「無理が見え見えなんだよ、おめぇはよ」 ティーダは泣き声を漏らしそうになるのを必死で堪える。 「そんなの見抜けんの……親父か…アーロンしかいねぇよ…」 ジェクトは僅かに笑って、ようやくその手をティーダの髪から離した。 「もっかい訊くぜ」 その声は、今までのどれより、優しかった。 「何で、好きな男にあんな嘘つかせて、お前は黙ってんだ?」 「…れた、から」 「あぁ?」 ティーダは息を吸い込む。 「そうしないと嫌いになるって、アーロンに言われたから」 一気にそう言って、またボロボロと涙が溢れてきた。 ジェクトはしばらく言葉を失ってティーダを見つめていたが、 「ったく、どこまでお子様なんだよ、おめぇは」 テーブルにひじを付いて溜息を吐き出す。 「好きな相手を、自分の意志で嫌いになったりできると思ってんのか? そんな子供騙しみたいな手に引っかかって、こんな辛い思いしてんのかお前?」 「だってアーロンが……」 ティーダは言葉を紡ごうとするが、涙で上手くいかない。 ……大好きなアーロンが、そうしろって、言ったから。 最後にオレに向けられた視線が、そうしろって、言ってたから。 だからオレ、そうするしかできなかった。できなかった―――――― 「………わーったよ」 ぽりぽりと首筋を掻くような仕草をして、ジェクトはソファから立ち上がり、もう一度改めて部屋の中を見渡した。 「……で、こんなとこで一人暮らしなんてさせられてっから、余計に悪いんだな。 一人は、寂しいだろ?」 「……?」 何が言いたいのか、とティーダは涙の溜まった目で、ジェクトを見上げる。 「オレんとこ、来い。ここよりずーっといい。 高級住宅地の大豪邸だ。犬が6匹いて、賑やかだぜ」 「何だよ、それ」 ティーダは呆れて父を睨んだ。ジェクトのその言葉は、てっきり大ボラだと思ったのだが……。 「それから、事務所も、ウチに移籍させる。 もう大手を振って父親面させてもらうからな。いいよな?」 「へ?」 その言葉に、ティーダは面食らった。 事務所?移籍? 「親父……アンタ、何者?」 ぱちぱちと、まばたきを繰り返すティーダに、ジェクトはにやりと笑みを返した。 「言ったろ?父親にふさわしい人間になったら、迎えに来るってよ」 「社長」 秘書のリンが少々緊張した面もちで社長室に入ってきた。 「何だ?また『Tidus』が失踪でもしたのか?」 マイカが冗談めかして言うのを、リンは顔をしかめて受け流し、 「社長にお目通りしたいという方がお見えなのですが」 「……聞いておらんぞ。アポをとってから来いと言っておけ」 「はぁ……ですが、その…」 リンは随分と歯切れが悪い。 普段にない秘書の様子に、マイカは苛々と机を叩いた。 「何だね?」 「海外大手のスピラプロダクションの社長が、直々にお見えなのですが」 「…何?」 スピラプロダクションと言えば、ハリウッドスターのお抱え箱。ここ数年でめきめきと急成長を遂げた、海外の最大手だ。 その社長が直に出向いてくるとは、一体何事だろう。 向こうにとっては、エイブスプロなど、異国のちっぽけなタレント事務所でしかないはずだろうに……。 「と、とにかくお通ししなさい」 マイカは急に改まってそう言い、椅子に座り直した。 リンは素早く部屋を出ていく。 「…や、立ち上がってお出迎えすべきだな」 マイカはらしくもなくかしこまっている。 誰もがその名を知るスピラプロダクション。その社長と面識は無かったが、優れた人物に違いない。 自分も社長として、何か見習うべき点があるかもしれない。 そわそわと落ち尽きなくその場に立っていたマイカは、やがて、どすどすと近付いてくる足音を聞いた。 (……どすどす?) 直後、乱暴に社長室の扉が開かれた。ノックすらなしに。 「けっ、しけたツラした社長だな。こんな事務所に飼われてるティーダは、まったく不幸だぜ」 入ってきたガサツそうな男に開口一番、何やら罵声を浴びせかけられ、マイカは怒るより先に唖然とした。 「……あんた、何だね?」 「何って、秘書から聞かなかったのかぁ?スピラプロの社長たぁオレのことよ」 マイカは言葉を失う。 この男が? この、お世辞にも上品とは言えない身なりをした、ガサツそうな、恐らくまだ30代半ばだろうと思われる若造が…? 「な、何のご用―――ですかな?」 どうにか体裁をつくろってそう訊ねると、若社長はその長くぼさぼさな黒髪をくしゃっと掻き上げ、 「ティーダをウチで引き取りてぇ」 「……は?」 マイカは数度、まばたきする。 「こんな事務所にティーダを置いとくわけにゃいかねんだよ。ウチで引き取らせてもらう」 「ちょ、ちょっと待て。あんた、何の権限があってそんな……」 「……権限?」 若社長は鼻で嗤って、 「ティーダは、オレの息子だ。それだけで充分だろ?」 「息子!?」 マイカと、コーヒーを運んで社長室に入ってきたリンが、揃って素っ頓狂な声を上げた。 ガサツな社長は、にんまり笑って肯く。 「ああ、申し遅れたけどよ、オレはジェクト。10年前に海外に渡って起業したら、瞬く間に大会社になっちまってな。 ……まあ、才能ってヤツか? この国でももう一個、不動産会社を経営してる。年商100億は下らねぇわな」 あっさりと、もの凄い自慢話を言ってのけ、 「で、ティーダの親であるこのオレが、あの子を引き取りたいって言ってんだ。 文句は言わせねぇ」 有無を言わせぬその語り口に、マイカとリンはしばし圧倒されていたが……。 「『Tidus』は、ウチの看板スターですよ?」 口を開いたのはリンだ。 「そんな勝手なことを言われましても……。それに、スピラプロは、海外の事務所でしょう? この国での仕事はどうなるんです」 ジェクトは、何でもないことだとでも言うように、ひらひらと掌を振って見せた。 「ああ心配すんな。あんたら金の亡者には、契約金さえ払っておけば問題ねぇだろ? 額は弾むぜ。オレは生憎、金への執着はあんまり無ぇからよ」 そうしてマイカとリンを交互に見渡して、 「仕事の面でも問題はねぇ。確かに向こうでの仕事も、幾つか入れるが、 こっちの国でもちゃんと仕事はさせる。 まあ、いくらか量を減らしはしねぇと、だろうがな」 一息にそう言って、クセなのだろう、再び、ジェクトはその長い黒髪を掻き上げた。 「オレは、アンタらとは違って、ティーダで金儲けしようなんてこれっぽっちも思っちゃいないんだ。 アイツの才能を評価してる。 世界を股に掛ける大スターに、オレはあいつをしてやれる」 きらきらと光るその柘榴色の瞳には、寸分の翳りもなく、世界で成功した者の自信で溢れていた。 「『Tidus』の意志は……」 最後の抵抗をするように、リンが言葉を絞り出す。 「オレに付いて来るってよ。 あいつも、色んな事が重なって、相当参ってたんだ。良い機会だろ」 早速翌日の新聞には、「『Tidus』移籍」の文字が踊った。 最近色々不祥事が続いたエイブスプロを見限っての移籍、と捉えるメディアも少なくなく、とりわけ『Tidus』を非難する声は挙がらなかった。 いよいよ世界を股に掛けてのタレント活動か、と、ファンの間では応援の気概が高まった。 そして更に人々を驚かせたのは、移籍先のスピラプロダクション社長が、『Tidus』の父親であったというニュース。 移籍のことよりも、そちらの方が大々的ニュースとして扱われるくらいだった。 連日、ジェクトのインタビューVTRがワイドショーを賑わせた。 ……一人の男が、街角のTVモニタでそれを見ていた。 それ程形式張った服装をしている訳でもないその男は、それでも、首から緩くネクタイを下げていた。 黒が基調の、シンプルなデザインのネクタイを。 「……そうか、父親が……」 じっと、テレビを見ていた彼は、やがて踵を返し、歩き出した。 「…よかったな」 誰にともなくそう言って、そっと自分のネクタイに手を触れ、その男は街の喧噪の中に消えた。 高級住宅街にあるジェクトの自宅は、その名に恥じない大豪邸だった。 門扉が自動なのは言うに及ばず、そこから玄関のドアまで悠に20メートルはある。 大理石の敷き詰められた玄関と、頭上に煌々と輝くシャンデリア。 高級マンション暮らしが長いティーダだったが、この、見たこともないような豪奢な住まいに、しばし圧倒された。 出迎えてくれた家政婦が2人。ベテラン風のベルゲミーネという女性と、ティーダとあまり歳の違わないと思われる、シェリンダという少女。 「ようこそおいでくださいました、お坊ちゃん」 耳の後ろが痒くなるような呼び方をされて、ティーダは目をしばたたかせた。 「よしてよ、ティーダでいいよ」 慌ててそう言うと、ベルゲミーネが、軽く会釈をするような仕草をして、 「ではティーダ様、お部屋は3階の突き当たりにご用意しております。 さ、シェリンダ、荷物をお運びして」 「はい」 言われて少女が、ティーダの持っていた大きな荷物をひょいと取り上げ、階段へと向かう。 「さ、こちらです、ティーダ様」 促され、ふわふわのマットが敷かれたその階段を上がっていく。踊り場の窓には、ステンドグラス。 (金持ちの家って……やっぱこうなんだ……) 何だか言いようのない感動を覚えつつ、ティーダはシェリンダの後に付いていく。 「今日は旦那様、海外なんですよ」 荷物を抱えて歩きながら、シェリンダが言う。 「よくお留守にするんです。忙しい方ですから……」 3階まで上がり、広い廊下を突き当たりまで進む。 と、大きな犬が2匹、奥から走ってきて、ティーダの足にじゃれついた。 「わ」 急なことに、ティーダは驚いて少し後ずさる。 「こら!ビラン、エンケ!」 シェリンダが2匹を叱ったが、2匹はティーダから離れることなく、くんくんと鼻を動かした。 「大丈夫だよシェリンダ。オレ、犬は好き」 そう言って微笑み、ティーダは2匹の頭を交互に撫でた。 「よかった、2匹とも、ティーダ様に懐いたみたい」 シェリンダが笑って言う。 「ゴールデンレトリバーがビランで、コリーの方がエンケって言うんです。 後もう4匹いるんですよ。旦那様は無類の犬好きで……」 ジェクトが言っていた通りだ。 「さ、こちらのお部屋です」 通された部屋は、ティーダが暮らしていたマンションよりよっぽど広い、小綺麗な部屋だった。 ビランとエンケも、ティーダと一緒に部屋に入る。 「お夕食の用意ができたらお呼びしますので、それまでくつろいでいて下さいね」 ぺこり、と頭を下げ、シェリンダは扉を閉めて出ていった。 一人になると、ティーダはごろん、と大きなベッドに横になった。 ビランとエンケがすかさず横になったティーダの上に飛び乗り、ペロペロと頬を舐める。 「わ、ちょっと…くすぐったいって…」 ふふ、と笑いながら、ティーダは両手で2匹の頭を撫でた。 (…確かに、ここなら) 犬たちの温もりを感じながら、ティーダはぼんやり想う。 幾分、気が紛れるかもしれない。 あの高級マンションに押し込められているより、ずっと。 でも………。 2匹を撫でる手を不意に止め、ティーダは目を伏せる。 心の大きな隙間は埋まらない。 アーロンがいないことに、変わりはない。 目頭が熱くなった。 ポロリ、と頬を伝った涙を、ビランとエンケがペロペロと舐める。 (この涙を拭ってくれるのが、アーロンだったら…) ティーダはしばらくの間、すすり泣いた。 その日、海外にいたジェクトの元に、一本の電話が入った。 国際電話。彼が母国で経営する不動産会社からの電話だ。 留守を大抵任せている、イサールという青年秘書からだった。 彼は、ジェクトが最も信頼する秘書だった。 「何だ。何かあったのか?」 「ええ…。今日、物件を探してお客様がいらっしゃったのですが…」 そこでイサールは一呼吸おき、 「その方が、アーロン様という方なんです」 「……何?」 ジェクトは受話器を握りしめた。 |
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