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3.それぞれの痛み

―――夢を見た。
そこにはアーロンがいて、優しくティーダの肩を抱いてくれていた。
ティーダは沢山沢山、話したいことがあるのに声を出せず、ただただ、アーロンの胸にしがみつく。
やがてティーダの頬にアーロンの手が伸び、二人の唇は重なる。
―――――と。
激しいフラッシュの嵐。
目も開けられないほどのまばゆい連写。
押し寄せる人人人――――。
いつの間にかアーロンは隣から消えていて、ティーダは逃れる術もなく、その人だかりに取り囲まれる。
『マネージャーと』
『キスしましたね?』
人々は口々にティーダを問いつめる。
―――――嫌だ……
『トップアイドルがマネージャーと、か。こりゃあいいネタになる』
意地悪な笑いを含んだ声。
………やめろ……
自分を取り囲む人の輪は、どんどんこちら側へ迫ってくる。
居場所が無くなる。
……助けて。
声が出ない。
……助けて、アーロン……


「アーロン…」
自らの発した声で、目を覚ました。
頬が濡れている。夢を見ながら泣いていたようだ。
霞んだ視界に、見慣れた自室の天井。
カーテンの隙間から漏れる薄明りを頼りに時計を見ると、午前5時。
昨夜はマンションに帰り着くなりベッドに倒れ込むようにして眠ってしまったので、服はそのままだった。
酷く喉が乾いている。
ティーダはぐいと右手の甲で涙を拭うと、精一杯、威勢良く起きあがった。
今日も仕事がある。
確か8時にスタジオ入りの予定だった。
徐々に外は明るくなってきている。
平穏な朝。
7時にはアーロンが迎えに来るはずだ。
……アーロンが……?
思考が少しの間、躊躇する。
しかしいつも通りやってきた静かな朝が、ティーダの背中を後押しした。
そうだ。アーロンが迎えに来るんだ。
アーロンが来なきゃ、『Tidus』は始まらない。何も始まらない。
いつもみたいに玄関で、『時間だ、ティーダ』って。あの愛想のない、でも優しい声で。
………少し勇気が出た。

顔を洗って身支度を整え、ティーダはぼんやりと、リビングのソファに腰掛けていた。
少し早目に起きたため、時間を持て余していたのだが、テレビをつけようという気にはならなかった。
郵便受けに新聞を取りに行くこともしなかった。
………怖くて。
怖くて怖くて、ただ、ティーダにはアーロンが迎えに来てくれると信じて待つことしかできなかったのだ。

午前7時少し前。玄関のチャイムが鳴った。
ティーダは弾かれたように立ち上がると、玄関へ走った。
泣きそうになった。
……アーロン。
怖かった。逢いたかった。
アーロン、アーロン。
胸が締め付けられたように痛くなって、玄関のチェーンを外す指が震えた。
「アーロ……」
開かれた扉から、朝の光が射し込む。
縋るように見上げたティーダの瞳の先にいたのは、しかしアーロンではなかった。
アーロンよりも若い、背の高い男。
「お早う。『Tidus』くん」
整った顔立ちのその男は、慇懃な口調で挨拶した。
「初めまして、ですね?」
「……あんた……誰?アーロンは?」
事態を飲み込めず混乱するティーダに、男はやれやれといった様子で軽く首を振ってみせた。
「何も聞かされていないのかな?それに、今朝の新聞も見ていないようだね?」
そう言うと、男は玄関扉の脇の郵便受けから、取られずにほったらかしにされていた朝刊を引っぱり出し、ティーダに広げて見せた。
ティーダの目は、吸い寄せられるようにその3面記事へと向けられる。
《『Tidus』、密会は誤報!マネージャーの相手は、新人アイドル・リュック(15)》
という大見出しで始まったその記事は、例のフォーカス写真の金髪の人物は実は『Tidus』ではなく、同じ事務所の駆け出しタレント・リュックであったとして、エイブスプロのコメントと共に事の詳細が述べられていた。
20も歳の離れた少女に手をだすとは、と、アーロンをバッシングする文面も見られた。
そして記事の最後には、誤報の発信元であるキーリカ出版が、『Tidus』ならびにその関係者に向け、謝罪文を発表した、とあった。
記事に目を走らせたティーダの顔から、血の気が引いた。
……何だ、これは?
声も出せずにいると、目の前の男は事も無げに微笑んで見せた。
「それが、事務所が下した決断だったということです」
全て、看板スターである『Tidus』を守るための。
駆け出しタレントと、アーロンを捨て石にして……。
ティーダはぶるぶる震える手で、男から新聞をひったくると、それをくしゃくしゃに握り潰した。
「何で、どうして!?」
怒りと、哀しみと、全てが織り混ざって、唇がわなわなと震える。
事務所の決定は絶対だ。自分がどんなに喚いても、もうこの報道は覆せない……
「アーロンは悪くない……っ!
キスして、って、オレが言った……。
アーロンは悪くない……」
譫言のように、繰り返す。
自分のせいで、アーロンをこんな目に遭わせてしまった。その痛みで、ティーダの胸は潰れそうだった。
真っ青になって震えるティーダの前で、長身の男はにこやかに笑った。
「それは知らなかった。見かけに寄らず、淫乱なんですね?」
丁寧な口調ではあったが、彼の発した言葉の卑猥さに、ティーダは身震いした。
「……あんた……何なんだよ……」
掠れた声で問うと、男は大げさに目を見開いてみせ、
「ああ済みません、申し遅れました。
本日からアーロンに代わって君のマネージャーに就任した、シーモア・グアドと申します。
エイブスプロで仕事をするのは今日が初めてなので、色々至らないこともあると思いますが。
何卒よろしく、『Tidus』くん」
その台詞が終わるか終わらないかのうちに、ティーダの目の前は暗転し、彼は意識を手放した。
倒れかかったティーダの身体を優しく受け止め、シーモアはふわり、と笑った。


「ねえちょっと、これどぉいうこと!?」
今朝の朝刊をグイッとこちらに押し付けるようにして、その快活そうな少女は、案の定精一杯の怒りをぶつけてきた。
少女のこういった態度にはもうすっかり慣れている。約3ヶ月間彼女のマネージャーを務めてきたルールーは、極めて冷静にその怒りを受け止めた。
―――エイブスプロダクション所属の駆け出しアイドル・リュックの自宅マンション。
マンション周辺には既にマスコミの姿がチラホラ見受けられ、ルールーは何とか彼らをかわして、少女の部屋に辿り着いた所だった。
もっとも、リュックはさほど名の知れたタレントでは無かったから、マスコミも大して色めき立っておらず、助かりはしたのだが……。
「何でこれがあたし!?どう見たって『Tidus』じゃんよ〜!!」
少女―――リュックは、細い指先でパンパン、と何度もその記事の写真を叩いた。
「ねぇ、社長に会わせてよ。弁解しに行かなきゃ……」
「無駄よ」
素っ気なく、ルールーは少女を諫める。
「何でよ?」
「社長だって、その写真が『Tidus』だって事くらい分かってる。
貴女は、事務所ぐるみでオトリにされたのよ。それくらい分かって頂戴」
リュックは何か言い返そうとして――――けれどそのまま黙ってしまった。
この少女に、そういった態度は珍しかった。
やがてポツリと、呟くように口を開く。
「ウワサには聞いてたけど。
芸能界って、こ〜んな汚いトコだったんだ」
新人タレントが、芸能界の汚れた部分を悟る瞬間。
まだ22歳のルールーだったが、過去に何度か、お目にかかったことのあるシーンだ。
彼女は、リュックが少し不憫になった。
しばらくソファに座ってじっと俯いていたリュックは、しかしすぐに、堪らなくなったように足をバタつかせた。
「『Tidus』の尻拭いなんて、冗談じゃないよ〜!
大体さ、こんな会ったことも無いおじさんとスキャンダルされて…、
あたしお嫁に行けなくなっちゃうよぉ……」
「会ったことはあるはずよ。仕事で『Tidus』と一緒になった時に、一度……」
現在の状況ではどうでもいいような訂正を加えるルールーを、リュックは睨んで、
「そんなの忘れました!
あぁ〜〜、どうしてこうなっちゃうかな〜……」
「仕方ないのよ。売れないことには、どうにもならないの、この世界は」
ルールーは諭すように言うと、スッと立ち上がって窓の外を見た。
マンション周辺にはまだマスコミが頑張っているようだったが、リュックには特に問題無かった。
この駆け出しアイドルには、今日は仕事は入っていなかったから、外出する必要もないのだ。
ついでに言えば、明日もオフ日だ。
明後日には1つ仕事が入っていたが、その頃にはマスコミも忘れてくれるだろう。
リュックという少女は、その程度のタレントだった。
事務所とマスコミによって勝手にキズものにされた小柄な少女を振り返り、ルールーはひとつ溜息をついた。


アーロンはその日、自宅マンションにいた。
マンションと言っても、ティーダの暮らしている高級マンションとは全く様子の異なる、言ってみれば独身男性寮のような趣の建物だった。
彼は、Yシャツを着崩したラフな格好で、朝からずっとリビングのソファに腰掛けていた。
事務所からは謹慎命令が出されている。
アーロンの処分は検討中ということになっていた。
『Tidus』に手を出したのだから、辞めさせられるのは当然のことだろうと思ったが、
表向き、アーロンの相手は駆け出しタレントのリュックということになっている。
事務所側でも、慎重に処分しなければならないのだろう。
しかし世間が忘れた頃に、解雇が言い渡されるであろうことは予測が付いた。
……新しい仕事を、探さねばならない。
新しい仕事、か。
そして自分は、永遠にティーダを失うのだ。
頑張り屋のあの少年に、優しく言葉を掛けてやることも、もう叶わない。
その涙を拭ってやることも、もう出来ない。
「ティーダ…」
縋るような瞳で、キスをねだったティーダ。
控え室で、声を殺して泣いたティーダ……。
ただじっと耐えるように、組んだ両手に顔を埋めていたアーロンは、時刻が正午を過ぎたことに気付き、ふと思い立ってテレビをつけた。
今日は昼の生番組に、ティーダの出演予定があったことを思い出したのだ。
―――ブラウン管の向こうで、甲高い嬌声が弾ける。
今日もまた、洒落た衣装に身を包んで、少年は笑顔でステージに現れた。
間もなく発売の、新曲のPRだ。
ティーダは司会者からの質問にハキハキと受け答え、時折客席の女の子達から投げかけられる呼びかけに、微笑んで手を振った。
「…でもさ、あの報道には、ホント、いい迷惑しちゃったよなぁ、『Tidus』くん」
司会者が何気なく口にしたその言葉に、一瞬、ティーダの表情が凍りついた。
アーロンもハッとする。
しかしティーダはすぐに笑顔で、
「はい…ホントに」
と首を傾げるような仕草で肯いて見せた。
(そう、それでいい)
アーロンは、いつもスタジオの隅でそうするように、軽く肯いた。
だがそれは、もうティーダには届かない。
やがて番組はCMに入った。
(少し……痩せたな)
大抵実物より太って見えるはずのブラウン管の向こうの世界なのに、アーロンはティーダに対し、何故かそんな感想を持った。
―――逢って抱き締めたいと、強く想った。


「お疲れ様。際どい質問だったけれど、なかなか上手くかわしたね」
楽屋に戻って来たティーダを、シーモアが優しく出迎える。
ティーダはそれには応えず、黙って控え室に向かって歩き出した。
「おやおや。これから長い付き合いになるというのに、そういう態度を取られると、切なくなりますね」
大げさに溜息をついて見せるその男に背を向けたまま、ティーダはぎゅっと唇を噛んだ。
……アーロンがいない。
スタジオにも楽屋にも控え室にも、何処にも。
言葉少なに、いつも自分を支えてくれたアーロンが、何処にもいない……
その事実は、にわかには受け容れ難かった。
今にも泣き出しそうになるのを、ティーダは必死で堪えた。
「午後の仕事は、2時からでしたね」
隣を歩きながらシーモアが言う。
「同じ局で移動もない。君は、じっくりお勉強ができるという訳だね」
ティーダは顔を上げて、睨むようにシーモアを見た。
「違いますか?事務所から、『Tidus』はかなりの努力家だと聞いているけれど?」
この男の、優雅な物腰も、やや大げさな言葉まわしも、ティーダは好きになれなかった。
何でもマイカ社長とは懇意で、今回社長から直々の申し出を受けて、『Tidus』のマネージャーを引き受ける形になったのだという。
……信用のおけない奴。
それがティーダの素直な感想だった。

控え室に入るとすぐ、ティーダは上着を一枚脱ぎ、ホッと一息ついた。
腹部の露わになる丈の短い黒のノースリーブ姿になったティーダは、まずは食事でも、と、用意された楽屋弁当を広げようとテーブルにつこうとして、背後でカチャリ、と金属音がしたことに気付いた。
訝って振り向くと、あっと思う間もなくシーモアが近付いてきて、ティーダはその腕に抱きすくめられていた。
「……っな……」
驚いて抵抗しようとするが、少年のか細い腕では全く歯が立たない。
「……あの男も馬鹿だ。ヤるならもっと気付かれない時と場所を選ぶべきだったのに」
笑いを含んだその声に、ティーダの背筋に悪寒が走った。
「はっ…離せ……っ」
「ドアには鍵を掛けました。それに今から1時間は『Tidus』のお勉強の時間。
誰もこの部屋には近付きません。安心して、喘ぎ声を上げられますよ……」
甘い美声が囁いたその言葉は、しかし、ティーダには恐怖でしかなかった。
「やだ……やだっ!」
「何を嫌がっているんです?平気でマネージャーを誘う淫乱アイドルのクセに」
その言葉に、ティーダは大きく目を見開いた。
「違……!」
必死で両手をつっぱるが、その努力もむなしく、ティーダの唇はシーモアのそれによって塞がれる。
「ん……っ…ふぅ……っ」
やがてシーモアの手が、するりと服の下に滑り込む。
ノースリーブ一枚だったティーダは、そうされることに全く無抵抗だった。
「……っは……っ」
必死で正気を保とうとするが、激しく絡みつくシーモアの舌と、服の下で蠢く愛撫に、意志に反して息が上がる。
(なん……で、こんな男に……っ)
やがて堪らずかくん、と膝を折ったティーダに、シーモアが覆い被さる。
「ほら、もうこんなにして。これでも淫乱でないと言えますか?」
ズボンの下に差し入れられた手が、ティーダのものに触れる。
「……ッあ……っ…触る…なッ…」
身を捩って抵抗するティーダに、シーモアは薄い笑いを浮かべた。
「触られないと、辛いクセに?」
「う…るさいッ」
ティーダは真っ赤になって顔を背ける。確かに、そのままほったらかしにされては、どうにかなりそうだった。
シーモアはさも楽しげに笑いながら、ティーダのズボンを引きずり下ろすと、既に固く勃ちあがっていた少年のそれに、舌を這わせた。
「やぁ……っ……あッ」
「いい顔をするね……。そう、もっと感じてごらん……」
慣れた手つきで、激しく繰り返される愛撫。
「いぁ……っ…ッあぁ……ッ!」
ついにシーモアの手の中で果てたティーダは、目を伏せ、激しい呼吸を繰り返す。
やがて男の濡れた手が、体内に割って入ってくるのを感じても、もうティーダには抵抗する力が無かった。
――――助けて………
激しく喘ぎながらも、意識は救いを求めて彷徨う。

―――――――アーロン、助けて。


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