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11.哀しい決意

それから数日の間、ティーダは心ここにあらず、といった日々を過ごしていた。
もちろん仕事柄、そういった様子を表に出すことは許されなかったから、表面上はごく変わりなく振る舞い、カメラの前ではいつも通りの明るい笑顔を見せた。
度々ジェクトに連れられて海外へ渡り、一通り現地のスタッフ達との顔合わせも済ませた。
“スピラプロダクション社長の息子”という触れ込みで、現地では『Tidus』デビューへの多大なる期待が膨らんでいる。
既に各紙で『Tidus』の特集が組まれ、彼の甘いマスクは、この国でも大きな人気を集め始めていた。

「『Tidus』の本格海外デビューは、ひとまずザナルカンドランドでのコンサートを終えてからだ」
そうジェクトは言い、ティーダも素直に肯いた。
そんな少年の胸の内に渦巻いていた、そのコンサートへ向けての大きくて切実なる悩みがどんなものであったか、この時のジェクトは知る由もなかった。



「コンサートの日取りが決まりました!」
数日後。
いつものように控え室で台本チェックをしていたティーダの所に勢い込んでやってきたのは、移籍後の新マネージャー・ガッタだった。
「…いつ、だって?」
一瞬身体の動きを止め、ティーダは恐る恐る訊ねる。
と、もう一つ別の声が、入ってきたガッタの後ろから飛んできた。
「2週間後だとよ」
そう言って姿を現したのは、もう一人のマネージャー・ルッツだ。


スピラプロダクションに於いて、『Tidus』にはマネージャーが2人付けられていた。
ティーダは始めそのことに戸惑ったが、ガッタがこっそり耳打ちしてくれた言葉は、変に生々しくて、返って笑ってしまったものだった。
「社長はね、2人付けとけば、息子がマネージャーの毒牙にかかることも無いだろうって、思ったんですよ」
タレント一人にマネージャー2人とはかなりのVIP待遇だったが、別段事務所内でその処遇に関して非難の声は挙がっていないようだった。
ジェクトは社員の誰からも好かれているようだったし、その社長が愛息子に親バカ心で接している様は、皆に微笑ましく思われているようですらあった。
居心地の良い事務所だ、と、ティーダはそんな風に思っていた。

ルッツはティーダより6つ年上の23歳。兄貴分のような頼れるマネージャーだ。
一方ガッタは17歳。超初心者マークのマネージャーだが、同い年ということもあり、ティーダはすぐに彼とうち解け、仲良くなった。
同年代の友達が殆どいないティーダにとって、それはとても嬉しいことで、これも親父の計らいなのかな、と思うとつくづく、あの男の気の回しように舌を巻いた。


「2週間、後……」
ルッツの言葉を呟くように反芻して、けれどティーダはすぐに顔を上げた。
「もうそろそろ次のスタジオ入りだったよな。行かないと」
なるべく平静を装ったつもりだったが、上手くいったかどうか。
「今日は親……社長は、帰って来るんだったっけ?」
ついうっかり『親父』と言いそうになり、慌てて言い直す。仕事の場では、『社長』と呼ぶことにしている。
「どうかな…今晩か明日には帰って来るんじゃないか?」
ルッツが首を傾げながら答えた。
ジェクトは一昨日から海外へ出掛けている。
「社長の動向はホンット読めないからな。秘書のイサールさんでさえ、細かいことは把握出来てないって話だぜ?」
「…そっか」
呟き、ティーダは控え室を出た。



「明日一日、オフ日にしたからな」
その日の晩、帰国してきたと思ったら突然ティーダの部屋にやって来て、ジェクトは思いがけない事を言った。
「……はぁ?」
ちょっと待て。オフ日だって?『Tidus』に、オフ?
「何だよそれ……」
余りのことに、ティーダは唖然とする。そもそも、既に明日も怒濤のようにスケジュールが詰まっていたはずではなかったか?
「何とか明日のは融通出来た。ま、オレとお前が完全オフになれる日は、ここ2週間じゃ明日しか考えられなかったっつうワケでよ」
ティーダは眉を顰める。
「……何?何で?大体何で親父も?」
ジェクトはさも楽しげに笑って、
「デェトだ、デェトv」
「………は?」
ティーダはたじろぐ。
「コンサートの日取りも決まって、お前も何かと緊張してんだろ?良い機会だ、オレがドライブにでも連れてってやるぜ」
「……な…!?」


―――というわけで翌日、完全オフ日となった2人は、ドライブに出掛ける事になった。
「この歳で親父とドライブなんて、カッコ悪ィ……」
と、ティーダは渋ったが、とりあえずジェクトがくれたオフなので、付き合ってやることにした。
相変わらずティーダはサングラスを掛け、耳まで隠れる帽子と野暮ったい服で『変装』している。
その格好でぼんやりと玄関でジェクトを待っていると、おもむろに廊下の奥の父の部屋のドアが開き、そこから一人の紳士が現れた。
「………!?」
白のスラックスにツイードの上衣を華麗に着こなし、高級そうなサングラスをかけ、普段はボサボサの髪の毛を緩く結わえたその優雅な紳士は、けれどいつも通り高慢そうな笑いを浮かべてティーダを見た。
「……どうよ?」
「アンタ、親父……?」
ティーダは開いた口が塞がらない。
「オレも今じゃ、一応有名人だからな。変装しとかねぇとよ」
そう言ってその場でくるりと一回転したその男、見た目だけは完璧に『ジェクト』を逸脱している。
「お前の場合、野暮なカッコに変装するのが効果的だけどな、オレは、普段から野暮だからな」
言いながらティーダの隣まで来て、まだ身長の伸びきっていない息子を見下ろして笑う。
「いいトコ、『金持ちのオヤジと援交するビンボー高校生の図』、ってかぁ♪」
―――――随分と楽しそうだ。
ティーダは半眼で父を睨み、黙って玄関のドアを開けた。
「つれないねぇティーダちゃん」
車のキーをポケットに確認しながら、ジェクトがその後に続く。
―――付き合ってられるか。

ジェクトは自宅の広大な車庫に、4台の車―――全て外車―――を所有している。
今日はその中から赤いフェラーリを選んで出発した。
助手席に座って、チラと運転席の父親を見上げたティーダは、ふと、アーロンに車で送り迎えされていた日々を思い出し、少しだけ、切なくなった。
戻れるはずもないのに、記憶だけは鮮明に、彼の姿を、声を、温もりを、脳裏でリプレイする。
……やめよう。
ティーダは軽く頭を振った。
これ以上思い出すと、泣いてしまうから……。


小一時間気ままに車を走らせ、ジェクトは一軒の小綺麗なカフェの前で車を停めた。
「ここで軽く食事でもすっか」
別段反対する理由もないので、ティーダは素直に従う。
ふと、カフェの入り口の大鏡に映し出された自分たちの姿に目をやり、
(これじゃあ、ホントに援交だな……)
などと思いながら、ティーダはオープンカフェの方に席を取ろうと歩き出したジェクトの後についていった。
頭上から柔らかな陽の光が降り注ぐ。
白い椅子とテーブルが、それに反射して眩しい。
カフェの前は車が頻繁に行き交う十字路になっていて、人通りも多く賑やかだ。
ティーダはそれらを間近に眺めながら、椅子に座って一息ついた。
そばの席の若い女性2人組が、こちらを見てひそひそと小声で話しているのが気になったが、別に『Tidus』と気付いた訳でもないのだろう。恐らく、紳士と少年の取り合わせを面白がっているのだ。
「オレはトイレに行ってくっから」
ジェクトは席に着くなり、またすぐに立ち上がった。
「まあゆっくりメニューでも選んでろや」
ティーダは軽く肯いてメニューを開いたが、またすぐに大通りの喧噪に視線を移した。
忙しなく流れていく人の群。行き交う車。
この流れを辿っていけば、アーロンに逢えるかな?
どこかずっとずっと遠くかもしれないけれど、この人々の流れの何処かを、アーロンは今歩いているのだろうか。
まるで「渋滞の先頭は何処にあるのか」、みたいな取り留めのない思考だな、などと苦笑し、ティーダは再びメニューに目を戻そうとして―――――
目の端に映った人の影に、愕然とした。
丁度ティーダの座っている席の真向かいの方角にあたる歩道の向こうから、男が一人、歩いてくる。
長い髪を一つに束ね、無造作に黒いコートを羽織ったその男の輪郭を、ティーダが見紛うはずがなかった。
(アー…ロン……?)
急速に喉の渇きを覚える。
どうしてここに?オレに、逢いに……?
けれどすぐに、その思考は的外れだと気付いた。
アーロンは十字路にさしかかるとすぐに右折し、ティーダのいるカフェの向かい側の歩道を、こちらには目もくれず歩いていく。
このカフェに入るつもりなら、十字路の信号を渡るはずだ。
ただの偶然?……でも。
(アーロン……)
懐かしくて懐かしくて、ティーダは一心に、歩いて行く彼を目で追うのに、視界がぼやけて、うまくいかない。
久しぶりのアーロン。もっとはっきり見たいのに。
サングラスを外して、零れそうになる涙を拭いたかったが、人の目があるのでそれもできない。
アーロン、元気だった?元気だった?……少し、痩せた?疲れてるのかな。
オレのせいで……誰かに酷いこと、言われたり、した……?
そんなことを思って、ぎゅうぎゅうと、胸が締め付けられるように痛んだ。
アーロンが歩いているのは、道を挟んだ、ほんの10メートル先。
(アーロン、オレ、ここだよ)
叫びたかった。叫んで、手を振って――――出来るものなら、その、胸の中に。
(アーロン、オレ、ここにいるんだよ……?)
アーロンは進行方向を見つめたまま、振り向かない。
―――気付いてよ。
堪らず涙が零れた。
――――こっち、見ろよ――――

やがてアーロンの姿は道の向こうに消えた。
それでもティーダはしばらくその方角を見つめ続け――――
やがて諦めて、テーブルに顔を伏せた。
自分は『Tidus』なのだと痛感した。
アーロンに、沢山の迷惑をかけたのだということも。



トイレの洗面台の鏡に映った自分をじっと睨んでいたジェクトの携帯に、一本の電話が入ったのはその直後の事。
『―――ジェクトか?言われたとおり十字路の先のそば屋に入ったんだが、お前、待ってるなどと言いながら何処にもいないじゃないか?』
アーロンからだ。
「悪ぃな、急用でよ」
『忙しいのは分かるが、余り振り回さないでくれ。疲れる』
「はは、何じじいみたいなことぬかしてやがる。今日のことは謝っとく。また今度な」
電話を切って――――ジェクトは、呟くように続けた。
「お前は、毎日テレビをつけりゃあ、ティーダの姿を見つけられっかもしれねぇがよ」
言いながら再び鏡の中の自分を睨むように見やる。
「ティーダは、どんなに願ってもお前の姿なんざ見つけられねぇんだ。アイドルが、たった一人の男の姿を見つけるなんてな、こうでもしなきゃ、できねぇんだよ」
―――姿だけでも、見せてやりたかった。
そう言って、ジェクトは天井を見上げた。



席に戻ると、ティーダはぼんやりとコーヒーを啜っていた。
サングラスの奥の表情は、伺い知ることは出来ない。
「他にも、何か頼んだのか?」
訊ねたジェクトの顔をチラと見て、ティーダは首を横に振った。
「じゃあピザでもオーダーするから、一緒に食うか」
そう言ってウェイトレスに向かって手を挙げたジェクトに、ティーダは呟くように言った。
「親父、オレ、さ」
「あぁ?」
ジェクトはティーダの顔をのぞき込む。
「言うよ、みんなの前で」
唐突なその話題が、何のことであるかは明白だった。
「そ、か」
ジェクトは相好を崩したが、ティーダは無表情のままだ。
「最後まで、口挟まないでくれよ」
「わーってるって」
大きく肯き、ジェクトはやってきたウェイトレスに2つ3つオーダーした。
いずれもイタリア料理のようだったが、ティーダにはピザ以外、どんなものが運ばれてくるか想像できなかった。
いや、想像をする余裕すら無いほど、彼の思考は追い詰められていたのだ。

―――みんなの前で、
真実を、言います。
――――でも―――――

ティーダはアーロンの姿が消えた歩道の向こうに目をやる。

ひとつだけ、嘘をつきます。

きっとこれが、『Tidus』の出来うる最善のこと。
アーロンの姿を見て、オレ、決心できた。
大丈夫。できるよ、『Tidus』なら―――――


アーロンの姿を見たことで導かれた少年の歪んだ決意を、ジェクトはまだ知らない。


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