宇都宮景綱 うつのみやかげつな 嘉禎元〜永仁六(1235-1298) 法名:蓮瑜(蓮愉)

藤原北家宇都宮氏。下野守泰綱の子。母は北条朝時女。蓮生(頼綱)の孫。為氏為教らの従兄弟にあたる。
鎌倉幕府の有力御家人。宇都宮検校・宇都宮城主として一族を率いる。左衛門尉・下野守・尾張守などを歴任し、従五位下に至る。将軍宗尊親王に近侍し、蹴鞠に堪能だったため昼番衆に加えられ、弘長三年(1263)には御鞠奉行となる。文永六年(1269)、幕府引付衆。同十年、評定衆に加わる。弘安八年(1285)の霜月騒動で失脚したが、執権北条貞時の政権下で復権した。永仁六年(1298)五月一日、六十四歳で逝去。
宇都宮歌壇の中心人物の一人で、自邸において百五十番歌合・五十番歌合など歌合や歌会を開催した。鎌倉・京でも多くの歌会に参加し、特に二条為世京極為兼冷泉為相ら御子左家歌人と活発に交流した。続古今集以下に三十首入集。出家後に自ら纏めた家集『沙弥蓮愉集』がある。

  5首  2首  5首  2首  3首 計17首

僧正公朝続歌よみ侍りし時

とけそむる氷もけさは音たてて垂氷(たるひ)のうへに春風ぞ吹く(沙弥蓮愉集)

【通釈】とけ始めた軒の氷柱(つらら)も今朝は音を立てて雫を滴(したた)らす――その上の空には、暖かい春風が吹いている。

【語釈】◇垂氷 つらら。前句からの続きで動詞「垂る」が掛かる。

【補記】僧正公朝が歌会で続歌(つぎうた)を行った時に詠んだという歌。公朝は評定衆北条朝時の息子で、景綱にはおじにあたる。鎌倉歌壇の有力歌人であった(生没年未詳)。続歌(つぎうた)とは鎌倉中期頃から流行った和歌の詠進方式。五十・百など一定数の題を短冊に書いておき、人々がそれを探り取って、次々と歌を詠んだ。掲出歌の題はおそらく「立春氷」であろう。

【参考歌】大江匡房「詞花集」
氷りゐし志賀の唐崎うちとけてさざ波よする春風ぞ吹く
  西行「新古今集」
岩間とぢし氷も今朝はとけそめて苔の下水みちもとむらん

【主な派生歌】
とけそめし雪の下水猶さえて軒のたるひに春風ぞ吹く(宗良親王)

鎌倉二品親王家十首歌中

のどかなる波路の春もあらはれて霞によわる志賀の浦風(沙弥蓮愉集)

【通釈】湖上に春ののどかな波路をあらわしては、濃く立ちこめる霞のため弱まってゆく志賀の浦風よ。

【補記】鎌倉将軍久明親王(1276-1328)家での歌会出詠歌。志賀の浦は琵琶湖の西南、温暖な気候のため都に先立って春めく、めでたい土地として歌に詠まれた。「霞によわる」は前例を見ない表現。

【主な派生歌】
わたのはらなぎたる浪も長閑にて霞によわる沖つ潮風(二条為重)

拾遺黄門新宮歌合侍りし時、霞中帰雁

あまつ空かすみに見ゆる玉づさの墨がれうすき春の雁がね(沙弥蓮愉集)

【通釈】空の霞に見える、手紙の墨枯れした文字のようにうっすらとした春の雁よ。

【参考歌】津守国基「後拾遺集」
薄墨にかくたまづさとみゆるかな霞める空にかへるかりがね

【補記】趣向としては国基歌の「薄墨」を「墨枯れ」(墨のかすれ)に言い換えただけとも言えるが、カ行音・サ行音の反復に濁音ガの挿まるのが微妙に耳に快い。詞書の「拾遺黄門」は二条為世。「新宮歌合」は不詳。

母墳墓にまかりて侍りしに、花のちるを見てよめる(二首)

たづねくる苔の跡まで見えわかで昔をうづむ山桜かな(沙弥蓮愉集)

【通釈】お参りに訪ねて来た墓の跡も判別できないほど、遠い昔を埋めるように散り敷いた山桜だなあ。

【補記】母親の墓参りの時の歌。苔は墓の隠語。

 

春ごとの花のわかれになほたへて命ながくも見る桜かな(沙弥蓮愉集)

【通釈】毎春の花との悲しい別れに、それでも耐え続けて来て、命長くも見る桜だことよ。

【参考歌】西行「聞書集」
春ごとの花に心をなぐさめてむそぢあまりの年をへにける

題しらず

五月(さつき)待つ花のかをりに袖しめて雲はれぬ日の夕暮の雨(玉葉341)

【通釈】五月を待つ花――昔の人を偲ぶ橘の花の香りに袖を焚き染めて、一向に雲の晴れない一日を過ごし……夕暮になって降る雨よ。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
五月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする

【補記】結句につき岩佐美代子『玉葉和歌集全注釈』は「空気の湿っている時に物の香がよく薫ることをふまえた表現」と指摘する。男を待つ女の風情で読めば、この雨は男を待ち侘びて流す涙雨ともなる。

題しらず

見わたせばすずしくなりぬ夕立の雲にかげろふ峰の松原(沙弥蓮愉集)

【通釈】夕立雲に陰った峰の松林を見渡すと、それだけで涼しい気分になった。

【補記】上句は一見ありふれているが、前例はない。景綱の歌風については「発想が類型化し、同類歌が多い」(井上宗雄『中世歌壇史の研究 南北朝期』)との評があるが、このように平明でありながら清新な表現の歌が決して少なくない。

題しらず

槙の葉のしづくぞおつる朝霧のはれ行く山の峰の秋風(玉葉734)

【通釈】槙の葉に置いた雫が落ちてくる。朝霧の晴れてゆく山の高みを秋風が吹いて。

【語釈】◇槙(まき) 杉檜など、直立する高木。

題しらず

明けしらむ波路の霧は吹きはれて遠島(とほしま)見ゆる秋の浦風(玉葉2016)

【通釈】夜が明け、白んでゆく海――波路に立ちこめていた霧は、秋の浦風に吹き払われて、遠くの島影が見える。

【補記】明け方の湾を航行する船上に視点を取る。京極派に相当の影響を与えたと思われる歌。

【主な派生歌】永福門院「自歌合」
浦風や雪の白浪吹きはれてしばし霞める遠しまの松

宇都宮社の九月九日まつりの時よみ侍る(三首)

秋の色もまだふかからぬもみぢ葉のうすくれなゐにふる時雨かな(沙弥蓮愉集)

【通釈】秋めいた色もまだ深くない紅葉の薄紅――そこに降り注いで色を添えようとする時雨であるよ。

【補記】宇都宮社は下野一宮、宇都宮二荒山(ふたあらやま)神社。現在も菊の季節に「菊水祭」と呼ばれる祭があり、神輿行列や流鏑馬が行われる。

 

けふもまた夕日になりぬ長月のうつりとまらぬ秋のもみぢ葉(沙弥蓮愉集)

【通釈】今日も夕日が射す時刻となり、一日が暮れた――晩秋九月の、色を変え続けることをやめぬ秋の紅葉よ。

【補記】頗る率直な歌い出しに新鮮な印象を受ける。上句・下句の響き合いも妙。晩秋の暮、夕日に映える紅葉を眺めることの喜びと悲哀の交錯する感情が余情となる。

 

をぐら山木の葉しぐれてゆく秋の嵐のうへにのこる月かげ(沙弥蓮愉集)

【通釈】小倉山の木々の葉を時雨が濡らしてゆく――その雲を運ぶ秋の強風の上に残って、月は静かに輝いている。

【補記】「嵐」は隣接する地名「嵐山」を呼び起こし、「をぐら山」の縁語となる。

中納言為世卿亭にて人々歌よみ侍りしに、雨後雪といふことを

暮るるより尾上のしろく見ゆるかな今朝のしぐれは雪げなりけり(沙弥蓮愉集)

【通釈】日が暮れるや、山の尾根が白く見えるなあ。そう言えば、今朝降り出した時雨は、今にも雪に変わりそうだったっけ。

【補記】朝から降っては止んでいた時雨が、夕方には雪に変わっていた。下句はやや言葉足らずだが、独話をつぶやき交わすような調子が面白い。

〔無題〕

狩人(かりびと)のたもとにはらふ白雪のふる野のとだち日も暮れにけり(沙弥蓮愉集)

【通釈】狩人が袂に払う白雪――その雪の降る、布留野の鳥立(とだ)ち。日も暮れてしまったなあ。

【補記】「ふる野」は奈良県天理市の布留野。「降る」と掛詞。「とだち」は、鳥が集まりやすいように、狩猟地に造作した草叢や沢地。

旅歌とて

都にて待たれし峰を越えきてもなほ山よりぞ月は出でける(玉葉1196)

【通釈】都にいた時、眺めては月の出が待たれた峰――旅に出、それらの峰々を越えて来たが、先にはまだ山々があって、やはり山から月は昇るのだ。

〔題欠〕

けふもなほゆけばさすがに武蔵野の尾花がすゑに山ぞちかづく(沙弥蓮愉集)

【通釈】今日も更に旅路を行けば、いくら広い武蔵野と言ってもやはり、いちめんの尾花の原の先に山が近づいてきた。

【補記】広大な平野である武蔵野を旅する情趣をうまく捉えている。

〔題欠〕

君まもる鶴の岡べの神垣によろづ代かけよ月のしらゆふ(沙弥蓮愉集)

【通釈】我が主君をお護りする鶴岡神社に、万代に渡って白木綿のような美しい光をかけろ、月よ。

鎌倉 鶴岡八幡宮

【語釈】◇鶴の岡 鎌倉の鶴岡八幡宮が鎮座する岡。◇しらゆふ 白木綿。楮(こうぞ)の樹皮をはぎ、その繊維を裂いて糸状にしたもの。幣に用い、神事において榊に付けた。

【補記】いかにも武人らしい爽やかな祝歌。家集巻末。

【参考歌】藤原盛方「夫木抄(嘉応二年住吉社歌合)」
住吉の松の梢を見わたせば今宵ぞかくる月のしらゆふ


公開日:平成14年11月30日