藤原実方 ふじわらのさねかた 生年未詳〜長徳四(998)

小一条左大臣師尹の孫。侍従定時の子。母は左大臣源雅信女。子には朝元(従四位下陸奥守)ほか。
父が早世したため、叔父藤原済時の養子となる。左近将監・侍従・右兵衛佐・左近少将・右馬頭などを経て、正暦二年(991)、右近中将。同四年、従四位上。同五年、左近中将。長徳元年(995)、陸奥守に任ぜられ、三年後の長徳四年、任地で没した。四十歳前後であったと見られる。
実方の陸奥下向には様々な伝説がつきまとい、『古事談』『十訓抄』などは、侮蔑的な発言をした藤原行成に対し殿上で狼藉をはたらき、一条天皇より「歌枕見て参れ」との命を下されたとする。またその死について『源平盛衰記』などは、出羽国の阿古耶(あこや)の松を訪ねての帰り道、名取郡の笠島道祖神の前を騎馬で通過しようとして落馬し、その傷がもとで亡くなった、とする。
寛和二年(986)六月の内裏歌合に出詠するなど、若くして歌才をあらわし、円融・花山両院の寵を受けた。当代の風流才子として名を馳せ、恋愛遍歴も華ばなしく、清少納言小大君らとの恋歌の贈答がある。また源宣方・藤原道信・道綱・公任らと親交があった。
拾遺集初出。勅撰入集六十七首。家集『実方朝臣集』がある(以下「実方集」と略)。中古三十六歌仙

  2首  11首 哀傷 2首  7首 計22首

東宮に候ひける絵に、倉橋山に郭公飛びわたりたる所

五月闇(さつきやみ)くらはし山の時鳥おぼつかなくも鳴き渡るかな(拾遺124)

【通釈】五月闇に覆われた倉橋山の時鳥(ほととぎす)の声が、ぼんやりと聞こえてくる。暗闇に惑い、たどたどしく啼き渡っているのだなあ。

【語釈】◇五月闇 五月の夜の闇。陰暦五月頃は空が雨雲に覆われることが多く、木々も盛んに繁っているので、夜の闇がことに深く感じられる。◇くらはし山 奈良県桜井市倉橋あたりの山。「(くら)」意を掛ける。◇おぼつかなくも たどたどしく・不安そうに。「おぼつかなし」は《ぼんやりとした状態》をいう語。鳴き声がほのかに聞えるというだけでなく、暗闇にまどうホトトギスの心になって言っている。◇鳴き渡るかな 「渡る」は「くらはし」の「はし(橋)」の縁語。

【補記】平安末〜鎌倉初頃、大変評判の高い歌だったらしい。「此の歌、まことに有り難くよめり。よりて、今の世の人、歌の本體とするなり。されど、あまりに秀句にまつはれり。これはいみじけれど、ひとへに学ばんには如何」(藤原俊成『古来風躰抄』)。「秀句にまつはれり」とは、縁語・掛詞などの技巧的表現に拘泥しすぎている、ということ。

【他出】拾遺抄、玄々集、実方集、後十五番歌合、後六々撰、古来風躰抄

【参考歌】明日香王子「和漢朗詠集」「深窓秘抄」
五月闇おぼつかなきにほととぎす鳴くなる声のいとどはるけさ

【主な派生歌】
五月闇くらぶの山のほととぎす声はさやけきものにぞありける(藤原顕季)
五月闇くらぶの山のほととぎすほのかなる音に似るものぞなき(藤原定家)

石山にて、暁、ひぐらしのなくをききて

葉をしげみ外山の影やまがふらむ明くるも知らぬひぐらしの声(新勅撰187)

【通釈】葉が盛んに茂っているので、外山の蔭の暗さを、夜の暗さと見間違っているのだろうか。朝が明けたのも知らずに鳴いている蜩の声よ。

【語釈】◇石山 近江国の歌枕。滋賀県大津市。◇外山(とやま) 深山(みやま)・奥山の対語で、山地の外縁部をなし、人里から姿を見ることの出来る山々を言う。◇明くるも知らぬひぐらしの声 蝉の名ヒグラシに「日暗し」を掛け、日は明るくなったのに、「日暗し」は鳴いているよ、と詞の上での洒落を言ったもの。

題しらず

いかでかは思ひありとも知らすべき(むろ)八島(やしま)のけぶりならでは(詞花188)

【通釈】どうやって恋の火が燃えているとあなたに知らせることが出来ましょう。常に燻ぶり続けているという室の八島の煙でなくては。

【語釈】◇思ひありとも 恋心を抱いていると。オモヒのヒに火を掛ける。◇室の八島 下野国の歌枕。この地の清水から発する蒸気に、秘めた恋心を喩えた。歌枕紀行、下野国参照。

【補記】金葉集三奏本にも収録。詞書は「はじめたる人のもとにつかはしける」とあり、第二句は「思ひありとは」。

【他出】玄々集、実方集、小大君集、古来風躰抄、定家八代抄、時代不同歌合、八代集秀逸

【参考歌】作者不詳「古今和歌六帖」
下野やむろの八島に立つけぶり思ひありとも今こそは知れ

【主な派生歌】
いかにせむ室の八島に宿もがな恋のけぶりを空にまがへむ(*藤原俊成[千載])
たぐふべき室の八島をそれとだに知らせぬ空の八重霞かな(藤原定家)
恋ひ死なば室の八島にあらずとも思ひの程は煙にも見よ(藤原忠定[続後撰])
いかでかは尾花がもとの草の名の思ひありとも穂にはいづべき(宗良親王)

女に初めてつかはしける

かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを(後拾遺612)

【通釈】これ程あなたをお慕いしていると、そのことだけでも打ち明けたいのですが、どうして言うことなどできましょう。伊吹山の「さしも草」ではないけれど、さしも――それ程だとは知らないでしょう、艾(もぐさ)のようにじりじりと燃える私の思いを。

【語釈】◇かくとだに こうであるとだけでも。これほどあなたをお慕いしていることだけでも(打ち明けたいのですが)。◇えやはいぶきの 「えやは言ふ」「伊吹」と掛けて言う。伊吹は山の名。近江・美濃国境の山とする説と、下野国(今の栃木県)の山とする説とある。『八雲御抄』は美濃・近江の歌枕とするが、『歌枕名寄』は近江・下野両方に載せている。◇さしも草 (もぐさ)すなわち(よもぎ)とするのが通説。伊吹山の名産であったらしい。次句の「さしも」を導くと共に、結句の「燃ゆる思ひ」を比喩してもいる。なお「さしも草」「もゆる」は縁語。◇さしも知らじな (あなたは私の思いが)それ程だとは知らないでしょう。◇思ひ 「ひ」に火を掛ける。

【他出】実方集、古来風躰抄、定家八代抄、百人一首、詠歌一体、六華集

【主な派生歌】
けふも又かくや伊吹のさしも草さらば我のみ燃えや渡らむ(和泉式部[新古今])
さしも草さしもしのびぬ中ならば思ひありとも言はましものを(藤原俊成)
あさましやなどか思ひのさしも草つゆもおきあへず果ては燃ゆらむ(寂蓮)
逢ふことはいつと伊吹の峰におふるさしもたえせぬ思ひなりけり(藤原家房[新古今])
知られじな霞の下にこがれつつ君にいぶきのさしもしのぶと(藤原定家)
秋をへて色にぞみゆる伊吹山もえて久しき下の思ひも(〃)
色にいでてうつろふ春をとまれともえやはいぶきの山吹の花(〃)
恋すとやなれもいぶきの時鳥あらはにもゆと見ゆる山ぢに(〃)
さしも草もゆる伊吹の山の端のいつともわかぬ思ひなりけり(藤原頼氏[新勅撰])
さしも草さしもひまなき五月雨に伊吹のたけの猶や燃ゆらむ(藤原家良[新拾遺])
さしも草さしも燃ゆてふ春にあひてえやはいぶきの山のしら雪(藤原為家)

題しらず

ながむるをたのむことにて明かしてきただかたぶきし月をのみ見て(玉葉1362)

【通釈】恋人のことを思いながらぼんやり考え事に耽るのを心の支えとして、どうにか夜を明かしたよ。ひたすら、西に傾いた月ばかりを眺めて。

【補記】玉葉集巻十、恋歌二の巻頭歌。

【参考歌】藤原道信「後拾遺集」
つれづれとおもへばながき春の日にたのむこととはながめをぞする

題しらず

あけがたき二見の浦による浪の袖のみ濡れておきつ島人(新古1167)

【通釈】なかなか夜が明けない二見の浦に寄せる波で、袖ばかり濡らしながら起きている沖の島人――そのように私は、あなたが戸を開けてくれないので、涙で袖を濡らしながら、戸に寄りかかって起き明かしたのです。

【語釈】◇あけがたき 「明けがたき(夜)」「開けがたき(蓋・戸)」の掛詞。◇二見の浦 伊勢国の歌枕。夫婦岩で名高い。「蓋身」の意が掛かり、「あけ」と縁語になる。◇よる 「寄る」「夜」の掛詞。◇おき 「沖」「起き」の掛詞。

【補記】「ふたみ」「あけ」、及び「浦」「よる」「浪」「沖つ島人」はそれぞれ縁語。
家集では詞書「格子のつらに寄り居あかしたるあしたに、おなじ人に」とある。格子を付けた戸(または窓)に寄りかかって夜を明かした、その翌朝、女に贈った歌。「おなじ人」とは、一つ前の歌「かくとだに…」を贈ったのと同じ相手。

【他出】定家十体(面白様)、定家八代抄、歌枕名寄

前栽の露おきたるを、などか見ずなりにしと申しける女に

おきて見ば袖のみ濡れていとどしく草葉の玉の数やまさらむ(新古1183)

【通釈】寝床から起きて、朝露が置いているのを見たら、私の袖は涙でひどく濡れて、袖で分けて行く前栽の草葉の玉の数はますます増えるでしょう。

【語釈】◇おきて 「(あなたと共に夜を明かしたのち)起きて」「朝露が葉の上に置いていて」の掛詞。◇草葉の玉 草葉の上の露。別れを悲しむ涙を喩える。

【補記】恋人の女が「庭の植込みに朝露が置いているのを、どうして見ないようになってしまったのか」と、後朝(きぬぎぬ)の別れの慌ただしさを恨んだのに対して応答した歌。

懸想し侍りける女の、さらに返り事し侍らざりければ

我がためはたな井の清水ぬるけれど猶かきやらむさてはすむやと(拾遺670)

【通釈】私にとっては、たな井の清水はぬるく濁っていると感じるけれども、それでもかき回してみよう、そうすれば水が澄むかと。(私に対するあなたの愛情は好い加減だけれども、やはり手紙を書いて送ろう。そうすればあなたの許に通い住むことになろうかと。)

【語釈】◇たな井 不詳。種井・田な井・棚井など諸説ある。◇ぬるけれど 生暖かいけれど。「ぬるし」には「いい加減である・おろそかである」の意もあり、女の薄情さを喩えている。◇かきやらむ 手でかきまぜよう。「手紙を書き遣ろう」の意を掛ける。◇すむ 水が澄む意に、住む(通い住む)意を掛ける。

元輔が婿になりて、あしたに

時のまも心は空になるものをいかで過ぐしし昔なるらむ(拾遺850)

【通釈】しばし別れている間も、これ程心はうわの空になるというのに、あなたと結ばれる以前、滅多に逢えなかった頃は、一体どんなふうに過ごしていたというのだろう。

【語釈】◇元輔 清原元輔か。だとすれば実方は清少納言と結婚したことになる。但し、この「元輔」を藤原元輔とみる説もある。

【参考歌】村上天皇「御集」「玉葉集」
思へども猶あやしきは逢ふ事のなかりし昔なに思ひけむ

清少納言、人には知らせで絶えぬ中にて侍りけるに、久しう訪れ侍らざりければ、よそよそにて物など言ひ侍りけり、女さしよりて、忘れにけりなど言ひ侍りければ、よめる

忘れずよまた忘れずよ瓦屋の下たくけぶり下むせびつつ(後拾遺707)

【通釈】忘れないよ、返す返すも忘れることなどないよ。瓦を焼く小屋の下で煙に咽ぶように、ひそかな思いに咽び泣きをしながら、あなたのことを変わらず恋しく思っているよ。

【語釈】◇忘れにけり あなたは私をお忘れになったのね。◇瓦屋(かはらや) 瓦を焼く窯。「変はらず」を掛ける。◇下むせびつつ ひそかにむせび泣きをしながら。「むせび」は煙の縁語で、喉がつまる意もある。

【補記】清少納言とのひそかな仲が絶え、長く訪問することがなかった後、よそよそしく会話を交わす機会があったが、その時清少納言に「あなたは私を忘れたのね」と言われて詠んだ歌。清少納言の返しは「葦の屋の下たく煙つれなくて絶えざりけるも何によりてぞ」。

【他出】実方集、難後拾遺抄、古来風躰抄、定家八代抄

【主な派生歌】
契りきなまた忘れずよ初瀬河ふる河野辺のふたもとの杉(寂蓮[続後撰])
瓦屋の下たく煙むせびつつまだ忘れずよ思ひこがれて(藤原忠良)
忘れずやまだ忘れずよ二人して心にとめし青柳の糸(熊谷直好)

女を恨みて、さらにまうで来じと誓ひて後につかはしける

何せむに命をかけて誓ひけむいかばやと思ふ折もありけり(拾遺871)

【通釈】どうしてまた、命を賭けてまで、二度と行くまいと誓ったのだろう。行きたい(生きたい)と思う時もあったよなあ。

【語釈】◇さらにまうで来じ (女の家には)二度とやって来るまい。◇いかばや 行きたい。「命をかけて」の縁で「生きたい」の意が掛かる。

語らひ侍りける女の、こと人に物言ふと聞きてつかはしける

浦風になびきにけりな里の海人のたく藻のけぶり心よわさは(後拾遺706)

【通釈】里の海人の焚く煙が弱々しく浦風に靡いてしまうように、あなたもほかの男に靡いてしまったのだなあ。心弱さゆえに。

【補記】恋人の女が別の男と親しくしていると聞いて、女に贈った歌。

【他出】実方集、後六々撰、古来風体抄、定家八代抄、時代不同歌合、別本八代集秀逸(家隆撰)、歌枕名寄

【主な派生歌】
浦風にたく藻の煙なびくとも知らるな人に心よわさを(藤原基家[続後撰])
ならはずや思はぬかたのうら風にたくもの煙なびくこころは(飛鳥井雅有

題しらず

中々に物思ひそめて寝ぬる夜ははかなき夢もえやは見えける(新古1158)

【通釈】中途半端に恋心を抱き始めた頃は、夜寝ても、はかない夢での逢瀬さえ見ることができようか。

【語釈】◇中々に なまじっか。かえって。◇はかなき夢もえやは見えける はかない夢での逢瀬さえ、かなわない。あれこれ悩んで眠ることが出来ず、夢も見られない、ということ。

哀傷

正暦二年、諒闇の春、桜の枝につけて、道信朝臣に遣はしける

墨染のころも憂き世の花ざかりをり忘れても折りてけるかな(新古760)

【通釈】人々が墨染の喪服を着る悲しい世の中も、花盛りの季節となり、諒闇という折をつい忘れて、桜の枝を折ってしまいました。

【語釈】◇諒闇の春 円融院の喪。正暦二年(991)二月十二日崩。◇道信朝臣 藤原道信。太政大臣為光の子。摂政兼家の養子。◇ころも 「衣」「頃も」の掛詞。

【補記】道信の返し、
あかざりし花をや春も恋ひつらむありし昔を思ひ出でつつ

【他出】道信集、実方集、栄花物語、定家十体(有心様)、定家八代抄、時代不同歌合、三五記

【主な派生歌】
かす袖の露な厭ひそ墨染のころも憂き世の星合の空(三条西実隆)

道信の朝臣、もろともに紅葉見むなど契りて侍りけるに、かの人身まかりての秋、よみ侍りける

見むといひし人ははかなく消えにしをひとり露けき秋の花かな(後拾遺570)

【通釈】一緒に見ようと言い交わした人ははかなくこの世から消えてしまったのに、独り残って露に濡れている秋の花であるよ。

【語釈】◇見むといひし人 紅葉を共に見物しようと約束した人。親友だった故道信をさす。道信の死は正暦五年(994)七月十一日。◇ひとり露けき秋の花 独り生き残って涙を流している作者を喩える。

【主な派生歌】
見し人もすみあらしてしふる郷にひとり露けき女郎花かな(崇徳院[玉葉])
庭のおものつちさへさくる夏の日にひとり露けきひめゆりの花(土御門院)

敷津の浦にまかりて遊びけるに、舟にとまりてよみ侍りける

舟ながら今宵ばかりは旅寝せむ敷津の浪に夢はさむとも(新古916)

【通釈】舟に乗ったまま、今夜一晩は旅寝しよう。頻りに寄せる敷津の浦の波の音に、夢は醒めてしまうとしても。

【語釈】◇敷津(しきつ) 摂津国住吉。「敷津の浪」で、頻りに寄せる波の意を掛ける。◇夢はさむとも 都の夢が暗示される。

祭の使にて、神だちの宿所より斎院の女房につかはしける

ちはやぶるいつきの宮の旅寝にはあふひぞ草の枕なりける(千載970)

【通釈】賀茂斎院へ向かう道中の野宿では、葵が草枕なのでした。あなたに「逢ふ日」を夢見て、旅の辛さに堪えているのですよ。

【語釈】◇祭の使 賀茂祭の奉幣の勅使。◇神だち 神館。神事の際、参籠する建物。◇ちはやぶる 「いつきの宮」にかかる枕詞。◇いつきの宮 賀茂の斎院。◇あふひ 賀茂祭で挿頭にする葵に、「逢ふ日」の意を掛け、恋歌めかした。

臨時の祭の舞人にて、もろともに侍りけるを、ともに四位してのち、祭の日遣はしける

衣手の山ゐの水に影みえしなほそのかみの春ぞ恋しき(新古1797)

【通釈】舞人の衣裳の山藍で摺った袖が、山井の水に青々と映っていた――あの昔の春が今も懐かしいよ。

【語釈】◇臨時の祭 石清水八幡宮臨時祭。三月中の午の日に行なわれた。◇もろともに 藤原道信と共に舞人を務めたことを言う。◇衣手の 衣の袖が。◇山ゐ 山井に山藍を掛けている。山藍は青色の染料。◇そのかみの 往時の。石清水の「神」を掛ける。

【補記】実方集には次のように載る。
いにしへの山井の水に影みえてなほそのかみの袂恋しも
 道信の返しは、
いにしへの山井の衣なかりせば忘らるる身となりやしなまし

ある人、花見て、又の日、いひおこせたりし

とまるやと惜しみし花を君かとて名残をのみぞ今日はながむる

【通釈】昨日はもしや散るのが止まるかと思って、花を惜しみましたが――引き留めようとしたあなたもお帰りになってしまいましたね。今日は、散ってしまった花をあなたになぞらえて、ひたすらその名残を惜しみつつぼんやり過ごしています。

【補記】作者不明。共に花見をした実方に対し、翌日送って来た歌。

かへし

むべしこそ帰りし空もかすみつつ花のあたりは立ち憂かりしか(実方集)

【通釈】なるほど、道理で昨日、花のあたりを立ち去るのが辛かったはずです。帰って来る時眺めた空もひどく霞んで…。

【語釈】◇むべしこそ いかにも・なるほど。◇帰りし空 帰って来る時眺めた空。◇かすみつつ 夕霞が立ち込めて、帰り道に迷ったことを言う。別れを悲しむ涙で目がかすむことをも暗示。◇立ち憂かりしか 名残惜しくて立ち去るのが辛かった。(それは、あなたの心やりのせいだったのですね、という気持。)

宇佐のつかひの餞(はなむけ)しける所にて、よみ侍りける

昔見し心ばかりをしるべにて思ひぞおくる(いき)の松原(千載476)

【通釈】宇佐まであなたを送ってゆくことはできませんが、昔私が使として下った時、生の松原にかけて道中の無事を祈ったものでした。その時と同じように祈る心ばかりを道しるべとして、気持だけはあなたを遥かな任地まで送ってゆきますよ。

【語釈】◇宇佐のつかひ 宇佐八幡宮への奉幣使。◇生の松原 福岡市西区、今津湾に臨む海岸。神功皇后が朝鮮出兵の折、この地に松の枝を挿して、「無事に帰国できるならば、松の枝よ生きよ」と祈ったところ、その松の枝が生育したとの伝説がある(『筑前国風土記』)。

【補記】千載集巻七離別歌の巻頭。

実方朝臣、陸奥国(みちのくに)に下り侍りけるに、(はなむけ)すとてよみ侍りける  中納言隆家

別れ路はいつもなげきのたえせぬにいとどかなしき秋の夕暮

【通釈】人との別れはいつも歎きの絶えないものであるのに、季節柄いっそう悲しい秋の夕暮ですよ。

返し

とどまらむことは心にかなへどもいかにかせまし秋の誘ふを(新古875)

【通釈】都に留まっていることは願うところですけれども、どうすればよいのでしょう、暮れてゆく秋が一緒に行こうと誘うのを。

【補記】長徳元年(995)、実方は陸奥守に任ぜられ、間もなく現地へ赴任した。その際、友人の藤原隆家(道隆と高階貴子の子)から贈られた送別の歌への返し。

陸奥に侍りけるに、中将宣方朝臣のもとにつかはしける

やすらはで思ひたちにし東路にありけるものをはばかりの関(後拾遺1136)

【通釈】ためらいもせずに思い立って来た東国だったのに、いざ「はばかりの関」に来てみると、その名の通り、気が引けてしまうのです。

【語釈】◇宣方(のぶかた) 宇多源氏。重信の子。◇やすらはで 躊躇せず。◇はばかりの関 陸奥の国の歌枕。所在未詳。「やすらはで」と対比させ、「いざ陸奥の入口に来てみれば、気後れしてしまった」といった心をこめる。

―参考―

昔、殿上のをのこども、花見むとて東山におはしたりけるに、俄に心なき雨ふりて、人々げにさわぎ給へりけるに、実方の中将、いとさわがず、木の本に立ち寄りて、

桜がり雨はふりきぬおなじくは濡るとも花のかげにやどらむ(撰集抄)

と詠みて、かくれ給はざりければ、花よりもりくだる雨に、さながらぬれて、装束しぼりかね侍り。此の事、興有ることに人々おもひあはれけり。

【通釈】桜狩しているうち、雨は降ってきた。同じことなら、濡れるにしても、花の陰に宿ろう。

【補記】「桜がり」は桜の花を求めて野山を逍遥すること。この歌は拾遺集に読人知らずの歌として載り(第五句「かげに隠れむ」)、実方の作とは思えないが、彼の風流士ぶりを伝える有名な歌であるので、参考として掲げておく。

【主な派生歌】
みかり野や雪はふりきぬこれもまたぬるとも花の春のおもかげ(藤原雅経)
桜がりふりこし雨のやどりよりぬれていくかの花の下陰(二条為重)
立ちよらむぬるとも花の色になほそめよなべての山のしづくも(三条西実隆)
桜がり雨はいとはぬ木のもとにうたて雪ふる花のあらしよ(下河辺長流)


更新日:平成16年09月05日
最終更新日:平成20年11月21日