小大君 こおおきみ 生没年未詳 別称:三条院女蔵人左近

出自未詳。三条天皇(在位1011-1016)の皇太子時代、女蔵人として仕える。藤原朝光・源頼光・藤原実方等と交渉があった。通称は「左近」。「小大君」は「こだいのきみ」と訓む説もある(本居宣長)が、「こおほきみ」「小おほきみ」などと作者名表記した古写本があるので、「こおほきみ」が正しいようである。
家集『小大君集』がある。同集には『小町集』と重複する歌があり、また『小町集』の別の二首は『栄花物語』に小大君の作として載り、小町と小大君の間で歌の伝承に混乱があったとみられる。拾遺集初出。勅撰入集二十一首。三十六歌仙女房三十六歌仙

正月一日よみはべりける

いかに寝て起くる(あした)に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(後拾遺1)

【通釈】どのように寝て起きた朝に、区別して言うのであろう。昨日を去年と、今日を今年と。

【補記】後拾遺集巻頭歌。『小大君集』では詞書「正月一日のことなるべし」、作者表記「よみ人しらず」とぼかしている。

【他出】小大君集、古来風躰抄、心敬私語

【参考歌】在原元方「古今集」
年の内に春は来にけりひととせをこぞとや言はむ今年とや言はむ

【主な派生歌】
春霞きのふをこぞのしるしとや軒端の山も遠ざかるらん(藤原定家)

世の中はかなかりけるころ、梅の花をみてよめる

散るをこそあはれと見しか梅のはな花やことしは人をしのばむ(後拾遺1005)

【通釈】今までは人の方が花の散るのを見てあわれと思っていたが、梅の花よ、今年は花の方が亡き人を慕っているのではないか。

【補記】知人が続けて亡くなった頃、梅の花を見て詠んだ歌。

大納言朝光、下らうに侍りける時、女のもとにしのびてまかりて、暁にかへらじといひければ

岩橋の夜の契りもたえぬべし明くるわびしき葛城(かづらき)の神(拾遺1201)

【通釈】久米路の石橋の工事が中途で終わったように、あなたとの仲も途絶えてしまいそうです。夜が明けるのがつらいことです、葛城の一言主の神のように見目を恥じる私は。

【語釈】◇朝光 藤原兼通の四男。正二位大納言。◇岩橋(いはばし) 大和国葛城の久米路の石橋。役行者が橋を架けようとしたが、一言主の神は容貌を恥じて夜しか働かず、行者の怒りを買って谷底へ落とされ、工事は中断されたという。この説話ゆえ「絶え」の縁語となる。◇明くるわびしき 夜が明けるのが心苦しい。これも一言主の説話に基づく。朝日に曝された顔を見て欲しくないという女心。

【他出】拾遺抄、金玉集、前十五番歌合、三十人撰、三十六人撰、深窓秘抄、玄々集、小大君集、俊成三十六人歌合、新時代不同歌合、女房三十六人歌合

【主な派生歌】
かづらきやたかまの嶺に雲はれてあくるわびしき在明の月(藤原雅経[新千載])
起き別れ明くる侘しき槙の戸をさしも思はで出でにけるかな(藻壁門院但馬[続後拾遺])
かづらきの神ならねども天の川あくるわびしきかささぎの橋(後嵯峨院[新千載])
かくばかりあくるわびしきみじか夜になどかくめぢの夢の浮橋(尭孝)
かづらきの神のすがたや是ならんあくるわびしき朝がほの花(木下長嘯子)

文月の七日の夜、大納言朝光物いひ侍りけるを、又の日心あるさまに人のいひ侍りければ、つかはしける

たなばたに貸しつと思ひし逢ふことをその夜なき名のたちにけるかな(千載784)

【通釈】昨夜は七夕なので、恋人との逢瀬は自分と関係ない、逢うことは織女に貸してしまったと思っていました。それなのに、当の晩、身におぼえのない噂が立ってしまったことです。

【語釈】◇たなばたに貸しつ 織女に貸すのは普通衣。七夕の晩、庭に机を据えて、衣・糸などを星に供えた(参考歌参照)。

【補記】大納言朝光(前歌に既出)が七夕の夜に作者に話しかけたのを、次の日下心があったように人々が噂したので、朝光に贈った歌。

【他出】小大君集、三十人撰、三十六人撰、金葉集三奏本、玄々集

【参考歌】凡河内躬恒「古今集」
織女にかしつる糸の打ちはへて年の緒ながく恋ひやわたらむ
  紀貫之「拾遺集」
たなばたにぬぎてかしつる唐衣いとど涙に袖やぬるらむ

【主な派生歌】
逢ふことは七夕つめに貸しつれど渡らまほしき鵲の橋(*後冷泉天皇[後拾遺])
たなばたにゆかしきほどの逢ふことは待つもかへすも物をこそ思へ(相模)
たなばたに心をかしてなげくかな明方ちかき天の川風(後嵯峨院[風雅])

雨ふるとて来ぬ人の、ふらぬにも見えねば

ふらぬ夜の心を知らで大空の雨をつらしと思ひけるかな(拾遺797)

【通釈】あの人が来るかどうかは雨の降る降らないに関係なかったのだ。降らない夜の心を知らないで、雨を恨みがましく思っていたとは。

【補記】詞書の大意は「雨が降ると言って来なかった人が、降ってもいないのに現れないので」。

題しらず

人ごころうす花ぞめのかり衣さてだにあらで色やかはらむ(新古1156)

【通釈】人の心は薄花染めの狩衣――その薄い色さえ保てず、たちまち褪せてしまうのでしょうか。

【補記】「花染め」は露草の花で縹(はなだ)色に染めること。もともと色落ちしやすい。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
世の中の人の心は花ぞめのうつろひやすき色にぞありける

わづらひ侍りける比、寂昭上人にあひて戒うけけるに、ほどなくかへりければ

ながき夜の闇にまどへる我をおきて雲がくれぬる空の月かな(続後拾遺1298)

【通釈】無明長夜に惑う私を置いて、去ってしまわれた上人様よ。

【補記】釈教歌。「寂昭上人」は俗名大江定基。三河入道とも。長保五年(1003)、入宋。『小大君集』では第二句「やみにまよへる」、第五句「夜半の月かな」。

世の中はかなき比、人々歌よみ侍りけるに

あるはなくなきは数そふ世の中にあはれいつまであらむとすらむ(後葉集)

【通釈】生きている人は亡くなり、亡くなった人の数が増えてゆくばかりの現世に、ああいつまで私は生きていようとするのか。

【補記】小異歌が『小町集』と新古今集に見える(下記参考歌)。『栄花物語』には、長徳元年(995)の疫病流行で多くの人が亡くなったことを藤原為頼がはかなく思って詠んだ歌「世の中にあらましかばと思ふ人なきが多くもなりにけるかな」に、小大君が返した歌として載る。『為頼集』にも『続詞花集』なども小大君作とする。なお『後葉集』は寂超撰の私撰集で、久寿二年(1155)以後の成立。

【他出】為頼集、栄花物語、続詞花集、古本説話集、宝物集、新時代不同歌合

【参考歌】小野小町「小町集」「新古今集」
あるはなくなきは数そふ世の中にあはれいづれの日まで嘆かむ

【主な派生歌】
なげけとてなきは数そふ浮世にもあるわかれこそ身はまさりけれ(藤原家隆)
見し人もなきが数そふ露の世にあらましかばの秋の夕暮(*藤原俊成女[続後撰])
あるはなくなきはある世のさがの山冬たちくればちる木の葉かな(正徹)
遠からぬ身の古にかぞへてもなきは数そふ人のおもかげ(武者小路実陰)


更新日:平成16年03月03日
最終更新日:平成24年10月14日