安法 あんぽう 生没年未詳 俗名:源趁(みなもとのしたごう)

左大臣源融の子孫(曾孫とも言うが、尊卑分脉によれば融から六代目にあたる)。従五位下内匠頭適の六男。母は大中臣安則の娘。女子が「安法法師女」の名で新古今集に歌を載せている。
出家後、融の造営した賀茂川畔の河原院に住む(融の死後、その邸宅は遺族により寺とされていた)。応和二年(962)九月、『庚申河原院歌合』を主催。また、自邸に平兼盛清原元輔源兼澄ら歌人を集め、たびたび風流な小歌会を催した。恵慶法師藤原高光大江為基らとの親交も家集から窺える。永観三年(989)三月、天王寺別当となり、永観元年(989)まで在任したという(『法中補任天王寺別当次第』)。
自撰家集『安法法師集』には河原院での暮らしぶりも偲ばれる。拾遺集初出。勅撰入集十二首。中古三十六歌仙

ついたち春たつ晦(つごもり)の夜

暮れはつる年惜しみかねうちふさば夢みむほどに春は来ぬべし(安法法師集)

【通釈】とうとう暮れてしまった年を惜しむに惜しみきれず、床に臥せば、夢を見ている間に春は来るにちがいない。

【補記】正月一日が立春にあたる新年を迎える大晦日に詠んだ歌。『安法法師集』巻頭歌。

東山に花見にまかりて侍るとて、これかれ誘ひけるを、さしあふことありて、とどまりて申しつかはしける

身はとめつ心はおくる山ざくら風のたよりに思ひおこせよ(新古1472)

【通釈】この身は家に留めますが、心は山桜のもとまでついて行きます。花に風が吹けば、風の便りとも言いますから、私の噂でもして、思いを寄せて下さい。

【語釈】◇さしあふこと 生憎かち合うこと。◇風のたより 風を使に喩えて言う。例、「花の香を風のたよりにたぐへてぞ」(古今集)。また、機会・ついで・噂・手紙などの意味もある。

秋のはじめによみ侍りける

夏衣まだひとへなるうたたねに心して吹け秋の初風(拾遺137)

【通釈】夏衣――まだ単衣(ひとえぎぬ)を着たままの転た寝には、気をつけて吹いてくれ、秋の初風よ。

【補記】拾遺集巻三、秋の巻頭。「ひとへ」とは裏のない衣。

【他出】安法法師集、新撰朗詠集、後六々撰、定家八代抄、新時代不同歌合

【主な派生歌】
旅衣まだひとへなる夕霧にけぶり吹きやる須磨の浦風(藤原定家)
夕狩の交野の真柴むらむらにまだひとへなる初雪の空(*順徳院)

ねざめに鹿のなくをききて

紅葉ふる()の下風に夢さめてうらなき鹿の()をもきくかな(安法法師集)

【通釈】紅葉を雨のように降らせる木陰の風――その音に夢から覚めて、あたり憚らぬ悲しげな鹿の啼き声を聞くことよ。

【語釈】◇うらなき 無心な。臆することのない。

住吉に詣でて

あまくだるあら人神のあひおひを思へば久し住吉の松(拾遺589)

【通釈】天から降臨し、人の姿となってこの世に現れた神と共に育ってきたことを思えば、長くも生きてきたことよ、住吉の松。

【語釈】◇あら人神 人の姿をして現れた神。この場合住吉の神。◇あひおひ 相生。共に育つこと。

【他出】「拾遺抄」「金玉集」「和漢朗詠集」「深窓秘抄」「栄花物語」「後六々撰」「定家八代抄」「新時代不同歌合」

相しれりける人の、熊野に籠り侍りけるに遣はしける

世をそむく山のみなみの松風に苔の衣や夜さむなるらん(新古1663)

【通釈】あなたが世を遁れて住む熊野の山の南では吹きつける松風が激しく、この季節の夜、御法衣はさぞかし寒いでしょう。

【語釈】◇山のみなみ 「山」は熊野を指す。熊野の南とは那智の青岸渡寺か。◇苔の衣 僧衣。

【補記】熊野に山籠りしていた知人へ贈った歌。家集の詞書は「僧のみなみ山にこもりていまするに」。

【他出】安法法師集、定家十体(長高様)、定家八代抄、新時代不同歌合、歌枕名寄、三五記

藤原高光かしらおろして多武峰に侍りけるに、神な月の比申しつかはしける

今はとて世をのがれけん程よりも思ひこそやれ木の葉ちる比(続後拾遺1045)

【通釈】これを限りと遁世した頃よりも、今あなたが住んでいる山の木の葉が散る今頃の季節、どれほど心細く過ごしておいでかと気がかりです。

【補記】高光は父師輔の死の翌年、応和元年(961)に出家した。

秋のくれに、身の老いぬることを歎きてよみ侍りける

ももとせの秋のあらしはすぐしきぬいづれの暮の露ときえなん(新古1570)

【通釈】百年にも及ぶような長い年月、秋の嵐を過ごしてきたが、弱り果てた今や、いつの夕暮の露と消えるのだろうか。

【補記】「ももとせ」は非常な高齢の例え、「秋のあらし」は世の辛苦の例え、「露」は命短いものの例え。嵐に堪えてきた百年もの長い命が、一夕「露と消え」るというパラドックスに一首の眼目がある。


最終更新日:平成16年07月04日