「供養」と「除霊」についての私見
──あとがきに代えて──訳者
心霊治療に関するもっとも新しい本にD・ハーベイの『癒す力──心霊治療とその実体験』というのがある。古代から現代までの奇蹟的治療の事実を細かく分析・検討した力作であるが、その「序論」の冒頭を飾っているのが本書の著者モーリス・テスター氏の体験である。この事実からも、奇蹟的治癒の体験後、自らも治療家となったテスター氏は西洋でも極めて異色の存在であることが窺える。
第一章を読まれてこの劇的な体験に感激された方が多いのではなかろうか。まさに奇蹟と呼ぶに相応しい。私も訳しながら思わず涙のにじむのを感じたほどである。
テスター氏とは氏の第二著『背後霊の不思議』(潮文社刊)を、十年ほど前に日本心霊科学協会の月刊誌「心霊研究」に『こうすれば健康と富と成功が得られる』の題で連載した頃から文通があり、一九八一年の一月にはサセックス州の自宅にお邪魔した。本書で紹介された劇的体験依頼すでに二十年近く経ち、人生体験はもとより治療家としての体験も十二分に積んで、実に落ち着いた老紳士の風貌を具えておられた。
氏が恩師と仰ぐモーリス・バーバネル氏にもその翌日お会いしたが、背格好もよく似ていて、しかも不思議に二人とも東洋人的な雰囲気を持っており〝親戚のおじさん〟にでも会ったような親しみを覚えたものである。
バーバネル氏は面会してから半年後に急逝され、テスター氏も、本書(翻訳)が出版されたときはまだお元気だったが、一九八六年の十二月に、本書でも紹介されている氏の一生の恩人ともいうべきフリッカー氏と、たった一日違いで他界された。
ところで、読者の中には同じく心霊治療でも日本と西洋とで大きく違う点に気づかれた方、あるいは、かねてから疑問に思っている方が多いのではないかと思う。それは西洋の治療家が除霊とか供養のことを一切口にしない点である。私にとってもこれは年来の疑問点の一つで、テスター氏との面会した時もこの点を質してみた。まだ最終的な結論を出すまでに至っていないが、差し当たって私が確信を持って言える範囲のことを述べて参考に供したいと思う。知らぬふりのできる問題ではないからである。
結論から言えば、それは〝民族的習性〟の違いに起因する。本書の第十六章で葬儀の風習が民族によっていろいろ違うことが紹介されている。ばかばかしいと思われるものばかりで、テスター氏もすべてが〝的はずれ〟であると述べているが、たとえ的はずれであってもそれが習慣となって何百年も何千年も続けられると、霊魂の方からそれを〝絶対的なもの〟として人間に要求するようになる。
日本人が先祖の供養をおろそかにするとバチが当たると信じ、怪談ものを上演する時は、例えばお岩ならお岩の霊前で出演者全員が手を合わせる、といった習慣があるのもその辺を物語っている。
視点を変えてみると、地上生活における人間関係、特に家庭内の家族関係についても同じ要素を見ることができる。日本人の人間関係は古来極めて情緒的である。それが母子(おやこ)関係となると尚更で、いわゆる母性原理的傾向が極端に出る。かねてからの日本人の母子関係を象徴する現象として子を道連れにした母子心中が世界から奇異の目で見られているが、昨今ではその異常さが受験勉強に必死になる母子の関係に見られるようになってきた。
真理学者はこれを山姥(やまんば)が人間を呑み込む昔話に譬えて、母子が子を私有物のごとく精神的に呑み込んでしまい、ために子がいつまでも大人になり切れない──専門用語を用いれば親からの〝分離個体化〟が出来ていない人間にしてしまっていると説明する。単にペーパーの上での問題処理能力が優れているだけの一種の奇形児である。
私はこれも極めて日本民族らしい現象で、こういう関係を生む土壌が、霊界へ行ってもいつまでも自我に目覚めない人間、いわば地上からの分離個体化ができない霊を生み続ける素因になっていると観るのである。
日本人は、正確にいつの時代からか知らないが、死ねば墓に埋められるもの、戒名を付けてもらって仏壇で供養されるものと思っている。古来そういう習慣が続けられている。そして習慣は知らぬ間に習性をこしらえるものである。
だから、水子の霊に代表されるように死後何もされずに放っとかれると、やがて霊界で成長した霊は他の家族同様に祀られたい、つまり家族の一員として認められたいと家庭内をうろつきまわる。人間側は一向に気づかない。霊はそのうち腹を立てて暴れ回るようになる。正常な家庭ならその影響も受けないが、似たような要素を持つ子供がいれば波長が合って、いわゆる家庭内暴力を揮うようになる。
心理学者は家庭内暴力は親が盲目(マイナス)の愛によってこの自由を奪い続けたことに対する子の犯行であると説明している。人間的要素に関する限りその通りに違いないが、それに霊的要素が加わってくるから解決が難しいのである。反抗期はどの子にもある。単なる反抗心だけなら親を殺すようなことは勿論、暴力を揮うようにはならないはずである。
こうした現象を生む土壌は先にも言ったように日本人の母性原理的精神構造にある。日本人は先祖を大切にすると言えば聞こえはいいが、私は少し大切にしすぎであり意識しすぎであると考える。これは是非とも正しい霊的真理を理解することによって徐々に改めて行くべきであろう。そのためには今この世に生きているわれわれが霊的真理を知る必要がある。
その点、西洋人は先祖霊に対してはむろんのこと、そもそも人間関係においては実にあっさりとしている。父性原理的なのである。日本人から見れば冷たく感じられる傾向があるが、見方を変えれば個人的自覚がしっかりしているということである。
霊的事実に照らしても霊界の方がはるかに住みよい世界なのであるから、本来は霊界側から人間を導いてくれるべきところであり、人間の方から死者を供養するのは一般論としては本末転倒なのである。
いま一般論としてはと断ったのは、どの民族にも人間側から供養してやらねばならない霊魂がいることも事実だからである。その原因にもいろいろあるが、地上的習慣や間違った思想信仰等が余りに強くて、人間的波長から脱し切れない場合や、事故死や自殺などによるショックから抜けきれない場合などが考えられる。
たとえば西洋人に多くみられる例として、最後の審判の日にガブリエルのラッパの合図と共にクリスチャンの霊のみが一切に神に召されるというキリスト教の復活の信仰によって、いつまでも昏睡状態から脱しきれない霊がいる。確かに死者は死の直後から一時期睡眠状態に入るものだが、右の信仰を強く信じている霊はいつになっても目が覚めず、指導霊が起こしても「まだラッパは鳴らんのか」と聞いて「まだだ」と言われるとまた眠り込むということを繰り返す。
供養を要求してくる日本人の霊とはタイプが異なり、人間側への悪影響は少ないが、向上進化の観点からすると何とか供養して目を覚まさせてやらねばならない霊であることには違いない。そういう霊は根本的に人間的波長から脱しきれていないということであり、従って霊界の波長では感応しにくいのである。
供養の仕方については個々のケースによって異なり、民族によっても当然異なるが、いずれにせよ、今ここで論じるにはあまりに大きすぎ、またその場でもないので、これ以上深入りするのは控えたい。
次に〝除霊〟の問題であるが、実はテスター氏と面会した時、私の方からその点を指摘してみた。つまり純粋に身体的ないし心身症的なものはよいとして、憑依されている場合はどうするかと質してみたところ、「私は放っときます」という返事だった。その点に西洋人的思考の特徴が出ていると思う。
つまり放っとけばそのうち離れて行くという考えである。またテスター氏は「憑依現象は確かにあるが、言われているほど多くはない。たいていは本人がそう思い込んでいる──つまり幻覚である場合が多い」と言って、幻覚が生じるケースをいくつか挙げて説明した。
霊が離れて行くいきさつには二通り考えられる。テスター氏が患者に説く霊的真理をいっしょに聞いて目覚める場合と、背後霊団がうまく導く場合とがあろう。いずれにせよ地上時代の習性から西洋人の霊は離れやすいということは言えよう。
勿論これだけでは済まされないケースが西洋にもある。精神異常者(発狂者等)の場合である。これについては米国のカール・ウイックランド博士が『迷える霊との対話』(近藤千雄訳。ハート出版)で西洋人らしい方法で見事に解明してる。関心のある方はご一読ねがいたい。
私はいずれ西洋の霊能者が日本流の〝人間側からの供養〟の必要性を知る時代が来ると見ている。現に死者に向かって真理を語って聞かせるという意味での〝リーデング〟をやり始めた宗派も出ている。
が同時に日本の心霊治療家や霊能者は除霊という手段に頼り過ぎる傾向を反省すべきであると考える。その傾向を改める方法は、究極的には治療家自身、霊能者自身が霊的真理を正しく理解する以外にはないであろう。
どの分野についても言えることであるが、日本人は民族的には実に優秀なものを持っていながら、異質のものの導入による刺激が足らないために、建前は立派でも、その実極めて的外れなことを大まじめにやっていることが多い。例えば宗教を見ても、日本には神道と仏教という世界に類のない哲理と実践がありながら、今日ではそれがすべて〝なきがら〟に等しい。その奥義を霊的に理解している人が宗教家の中でも少なくなっている。葬式仏教などと陰口を叩かれるのもそのためである。
一言にしていえば日本は相も変わらぬ〝鎖国〟なのである。勇気をもって異質のものを摂り入れる努力をしないと、持てる良いものまで腐らせてしまう。そのことは文化にも宗教にも言える。私がスピリチュアリズムという西洋の新しい霊的思想の紹介に専念するのもそのためである。決して西洋かぶれしているのではない。本当はその逆で、日本に古くからある良いものを再生させる、その刺激剤となればと思えばこそなのである。
その意味で本書でテスター氏が紹介してくれた心霊治療の方法と、死の真相、死を境にした生前と死後との関係、再生、人生の意義について氏の説くところが、心ある読者の参考になれば幸いである。
モーリス・テスター(Maurice H.Tester)
本業は経営コンサルタント。心霊治療は週三日を自宅で、一日をロンドンの事務所で行っていた。
1986年没。本書のほかにHow to be Healthy, Wealthy, and Wise(「拙訳」背後霊の不思議)とLearning go Live(拙訳『現代人の処方箋』潮文社刊)がある。