第14章 背後霊とは
あなたにも指導霊が付いている。人間のすべてに例外なくついている。たった一人でなく二人以上、五人も十人もついている人もいる。かつてはこれを守護の天使(ガーディアンエンゼル)と呼んでいた。知識と体験を積んだ霊で、地上生活を送る人間を背後から指導援助してくれる。
その中には地上時代にあなたを可愛がっていた親戚の人とか、数世紀も前に他界した霊が特殊な才能を生かして指導に当たることになったケースもある。この場合はあなたが今回の地上生活を選ぶにあたってその相談相手になった人であることが多い。地上生活中ずっと面倒を見て、あなたが地上を去った時は真っ先に出迎えてくれる。
そうした背後霊とあなたとはいろんな形で連絡が取れているが、普通の言語による通信はできない。肉体に宿ったことによって、それだけ連絡網が狭められているのである。そこで背後霊は、例えばあなたの脳裏にある考えを吹き込んだり、あなたの悩みを解決してくれそうな人のところへ案内したり、その他いろんな手段を講じて援助しようとする。
どこでどういう援助があってこうなった、と言ったことは霊能のある方なら分かるが、普通の人間には分からない。
その霊能者──時には霊媒と呼ぶべきケースもあるが──これはスピリットと直接交信する能力を具えた人のことである。霊界のスピリットにとって人間に意志を言語で伝えるのは至難のワザである。どうしてもそうしようと思えば、人間の耳に聞こえるレベルまで波長を変える(ラジオのように)だけでなく、それを音波に変えなくてはいけない。このためには人間の発声器官に似たものが必要となる。
交霊会では実際にボイスボックスという人間の発声器官と同じものをエクトプラズムという物質で拵えてしゃべるという現象(直接談話現象)があるが、いちばん手っ取り早いのは人間の生の発声機関つまり霊媒を使うことである(入神談話現象)。
入神というのは深い眠りの状態──と同じと思えばよい。その状態の霊媒の身体にスピリットが一時的に宿ってしゃべるわけである。入神の深さにも程度がある。私のように治療しながらでもスピリットと一体関係になれる状態もある。暗闇または薄暗い部屋の方が調子がいいという人もいる。反対に明るい照明のある部屋、あるいは日光が射しこむような部屋がいいという人もいる。
霊媒能力というのは一種の遺伝である。がどの才能でも同じであるが、霊能も努力して養成しないといけない。その養成中にいきなりスピリットに身体を占領されてびっくりする人がいる。いずれにせよ、一人前の霊能者になるには時間と忍耐力と鍛錬と厳しい精神修行を必要とする。
ある一流の霊媒が私に、自分の生涯は過去十年間の霊媒としての仕事のための修行だったように思う、と語っていたのを思い出す。
私はよく交霊会に出席して背後霊と会話を交わす。二、三カ月毎にどこかの霊媒の交霊会に出席することにしている。どの霊媒という特定の人はいない。経験豊かな霊媒とみたら行ってみる。するとたいてい向うから話しかけて来る。背後霊の中にも私と話したがっているのがいて、それが真っ先に出て来る。
他の背後霊は簡単な挨拶程度だけで、あとはそばにいて会話を聞いているだけである。その様子はちょうど身内のものから久しぶりに電話が掛ってきて、家族全員が電話のそばに集まっても、実際に受話器を手にするのはその中の一人か二人で、あとはそばで話の内容に聞き耳を立てているというのと同じである。
入神している霊媒の口を使う場合もあれば、ボイスボックスを使って直接話しかけて来る場合もある。
言うまでもなく霊媒にも背後霊がいる。その中に門番のような役をする霊がいて、スピリットが話に出る順番を整理して混乱が生じないようにしている。これは大切な役目なのである。というのは入神談話にせよ直接談話にせよ、霊媒自身は完全な無意識状態にあって、自分の身体の自由がきかないからである。
交霊会はたいてい一時間近くかかる。もちろんそれをはるかにオーバーすることもある。通信には大変なエネルギーを要するので、スピリットによっては長時間続けられないことがある。全部話が終わらないうちにエネルギーが切れて打ち切りとなったことが何度かあった。
ところがそれから二か月して別の霊媒のところへ行ったら同じ霊が出てきて、この間は途中で話が切れて申し訳ない、と言って続きを話してくれた。ちょうど公衆電話で話をしていて、時間が来て途中で切れてしまったので、後でもう一度掛け直すのと似ている。
〝霊を呼び寄せる〟(口寄せ)などと言うことをやる人がいるが、交信は本来スピリットの方の意志で行われるもので、人間としては時折霊媒のところへ行って向うからの連絡を待つよりほかはない。
治療家として私は、肉親の死による悲しみのために病気になった人を数多く治療しているが、これほど野蛮な話はないと、いつも思う。悲哀を味わうということは、私に言わせれば一種の罰である。無知だからそれ程悲しく思うわけである。自己憐憫も、悔恨も、自責の念も、あまりに大げさすぎるのだ。
必要以上に自分を哀れに思い、悔み、そして責めたてるその余剰の念が身体を蝕むのである。
そうした哀れむべき人を治療する時、私はまず死についての再教育から始める。ある夫人が私に尋ねた。「夫はなぜ私に話しかけてこないのでしょうか。あなたの言うようにもしもあの世に生き続けているのなら、なぜそうと教えてくれないのでしょうか」と。
夫の死で悲しみのどん底に落ち、自分一人の暗い世界に閉じこもってしまったことが、まわりからの全ての援助の手を遮っていることに気づかない。自宅に電話を取りつけずにおいて、誰も電話をかけてくれないと文句を言っているようなものだ。
霊媒を通じての直接の交信(コミュニケーション)が出来なければ、前に紹介した背後霊との触れ合い(コミユーン)ができる。これは〝静寂の時〟さえ確保できれば一人でもできる。十分間あるいは十五分間ほどやって何の変化も感じられなくてもよい。うっかり寝入ってしまってもよい。
それを折に触れて実行していくのである。いつでもどこでもよい。完全にリラックスして白日夢を見る状態でよい。ただ肝心なのは、煩わしい日常の雑念に邪魔されないようにすることである。
そのうち、ふと体が軽くなった気分がしだす。心身ともに軽くなってくる。そんなに張りつめていたのかと思うほど気分が和らぎ、さっぱりとしてくる。と同時に、悩みのタネであったことが大したことではないような気分になったり、解決のためのいい方法が思い当ったりする。あなたは背後霊の援助を受けたのである。
第15章 死の真相
寿命が尽き、いよいよ死期が近づくと、一種の緊張の弛みを感じる。永遠なる生命の書の第一巻を閉じつつあることが分かってくる。
心霊治療家となって以来、私は大勢の人が死を迎えるのを手伝ってきた。安らかに死を迎えさせてあげるのも心霊治療家の重要な任務の一つと心得ているからである。
その一生は苦労と不愉快なことの連続だったのかもしれない。が、死期が近づくと誰しも安らかさと落着きを覚え、完全な無痛状態と快く運命に身を委ねる心境になるもののようだ。
無論そうとはいえない死に方もある。戦場で死ぬ兵士がいる。自動車事故や飛行機事故で死ぬ人もいる。殺されて死ぬ人もいる。死刑によって死ぬ者もいる。また同じく死ぬ人でも、霊的に目覚めて死ぬ人と、目覚めないまま死ぬ人がいる。死にたくないと必死に抵抗しながら死んでいく人もいる。
こういう人は死の自覚の芽生えが遅い。死んでからなおも自覚が芽生えずに、霊界の指導者による看護と再教育を要する人がいる。が数から言えばそういう人はそう多くはない。
大体において死を迎える直前には静寂が訪れる。やっと終わった、地上での勉強が終わった、これで試練と苦痛から解放される、という認識が、安らぎと受容の心境を生む。何となく身が軽くなってくる。肉体感覚が薄らぎ、自分のものでないように思えて来る。やがてふわっと上昇し始める。
アドバルーンのように浮いてくる感じがする。見下ろすと一人の人間がベットに横になっている。自分だ。自分のからだだ。
そのからだと本当の自分とが銀色をした細い紐のようなものでつながっている。その紐が光線を発しながら息づいているのが見える。これがいわゆる〝生命の糸〟(玉の緒)だ。自分が上昇するにつれてその紐が細く長く伸びている。次第に輝きが薄らぎ、やがて消える。と同時に紐もなくなっている。その時あなたは〝死んだ〟のである。
地上と縁の切れたあなたは、なおもしばらく生命の灯の消えた異様な姿のなきがらを見下ろしながら、その辺りを漂っている。すっかり寛ぎ、気分が爽快だ。からだが軽い。ちょうどぐっすりと寝て起きた時のあの気分だ。なにやらいい夢を見ていたらしい。
その一つ一つは思い出せないが、とにかく気分がいい。あなたは、しばし、その陶酔に身をまかせる。
やがてその気分のまま銀白色のモヤの中を上昇し始める。その動きはゆっくりとしていて、しかも快適である。上へ昇るというよりは、外へ出て行くと言ったほうが当たっているかも知れない。そのうち指導霊が姿を見せる。ニッコリと笑顔で迎えてくれる。その指導霊と一緒になおも上昇していく。
いっしょに上昇しながら指導霊との再会の喜びをしみじみと味わう。地上の苦労の数々も今では楽しい思い出だ。
やがてモヤが晴れる。気がつくと、そこには先立った肉親縁者や友人、知人がいる。みんなニコニコして労をねぎらうように温かく迎えてくれる。そこが霊界である。あなたはようやく故郷へ帰ってきたのだ。
みんなはつらつとして幸せそうだ。そしてそれぞれが最盛期の容姿をしている。一人一人みな違う。四十代の働き盛りの姿をした者もいれば、二十代の魅力あふれる女性もいる。死後彼らは老齢と病を象徴するあのみすぼらしい痛々しい特徴をかなぐり捨て、それぞれが最高の容姿に変わっていく。
老人は腰がまっすぐになり、顔のシワも消え、働き盛りの元気はつらつとした男性となる。そしてその相をその後もずっと維持する。変化するのは霊的成長とともにオーラの輝きが増すことである。
子供は霊界でも徐々に成長する。徐々にと言っても、その度合いは地上の時間的観念と同一ではない。だから、その子の幼少時代しか知らない肉親や友人は現在の成長した姿ではもう認識できないまでになっている。そこで一時的にかつて他界した当時の容姿をまとい、新参者がすっかり落ち着いてから、本来の容姿に戻していく。
こうして愛と輝きの雰囲気の中で、あなたは旧知を温め、友情を確かめ、再会の喜びを心行くまで味わう。時の経過と共に、代ってこんどはあなたが新参者を迎え、新たな環境への適応を手助けしてあげることになる。
さらに時が経つ。どのくらいかは分からない。地球の長い歴史の観念をもってすれば、われわれにとっては長いと思われる時間も、永遠の時を大海に譬えればその一滴にも相当しないであろう。が、ともかく幾ばくかの時が経ち、あなたはすっかり新しい環境に馴染み、そろそろ地上生活のおさらいをしてもいい時期が来る。そこで指導霊といっしょに一つ一つ点検し反省する。その結果さらに一段高い次元へ進む資格があると判断するかもしれないし、まだまだ経験が足らないと判断するかもしれない。
他人への思いやり、謙虚さ、奉仕の精神などが不足しているかもしれない。そうなると再び地上へ戻った方が良いという結論になるであろう。そしてその機の熟するのを待ちながらの準備にかかる。
こんどの人生ではあなたは心障者としての生涯を選ぶかもしれない。痙れん性麻痺患者として生きることになるかもしれない。聾唖者となるかもしれない。あるいは億万長者となるかもしれないし、天才に生まれかわるかもしれない。みんなそうやって自分で選んで生まれてくるのだ。
私の父は八十七歳で他界した。その日私は、ダブルベットでようやく起き上がっている父のわきに腰かけ、妻のジーンが片手を握っていた。白髪の老紳士である。二週間前から病気が出て、私は直接と(遠隔)両方の治療を施した。がやはり寿命だった。死ぬ間際には痛みも消え、安らかに寝入ったまま静かに他界した。
父は自分でも死期が近づいていることを自覚していた。そして私と長々と最後の話をした。父はいい生涯だったと言い、何も思い残すことはないと言った。ただ、自分の葬儀について、人様に迷惑をかけたくないから余計な儀式は一切やめにして密葬にし、死体は火葬にしてほしいと言った。自分の死を悲しんでほしくないとも言った。最後まで陽気で寛いだ雰囲気だった。
父はあまり口やかましい人間ではなかった。教育も普通教育だけだった。子供の頃から正統派のキリスト教で育てられ、その他のことは本で読むこともあまりしなかった。人生哲学などについては一冊も読んだことがないのではないかと思う。
しかし静かにもの思いに耽るタイプで、時折パイプを口にし、一言居士的なところもあったようだ。スピリチュアリズムには関心がなかった。一、二度誘ってみたが、どの宗教でも似たようなことを言っているよ、と言って取り合ってくれなかった。
その〝宗教〟に関しても、父は本を読んだわけでもなく、誰かと議論したわけでもなく、挑発されたわけでもなく、思い知らされるような体験をしたわけでもないのに、すでに四十年以上も前から全ての伝統的な教義をかなぐり捨てていた。
固ぐるしい掟やタブー、儀式、迷信の類から完全に解脱していた。そして一日僅か二、三シリングで事足りる実に質素な生活に甘んじていた。心は優しく思いやりがあり、他人の弱点に対して寛大だった。
まさに「汝の人にせられんと思うところを人に施せ」と言うキリストの黄金律が父の唯一の人生哲学だったようだ。
父はどうやってそこまで辿り着いたのだろうか。心霊能力は何一つなかった。物が見えたとか声が聞こえたとかの体験もなかった。私の知る限りでは霊媒や心霊治療家のところへ行ったこともない。交友関係にも霊能者はいなかった。多分どこかでうまく背後霊と連絡が取れていたに違いない。
自分では自覚していなくても、外部から見る者には、父が人間的に成熟した人間であることは明白に読み取れた。
同じく霊的真実に目覚めるのにも、私のように心霊治療を施したり、私から治療を受けたり、交霊界で霊と会話を交わしたり、霊の姿を見たり手で物質化霊に触ったり、写真に撮ったりと言った、いわゆる心霊的体験を通して目覚める人と、そうした体験を何一つせずに自然に目覚めている人とがいる。
前者にとってはそれは当然の帰結と言ってよいが、後者にとっては余程の魂の純粋さを必要とすることではないかと思われるのである。
死の二時間前から父は軽い昏睡状態に陥った。その瞬間から生命力が次第に抜け始めた。と同時に、霊魂が身体から抜け出て、生命の糸でつながったまま漂っていた。糸は霊が遠ざかるにつれて細くなっていった。が、まだ息づいている。父がわれわれを見下ろしているのが分かる。
妻は父の片手を握り締め、私はそばで静かに腰かけている。安らかな死を迎えさせてあげるために、力と平静さを与えたのである。
その間にも父の身体は急速に変化を見せていた。頬は落ち込み、目は無限の彼方を凝視しているかのようだった。そこにはもはや父の面影はなかった。
やがて生命の糸の息づきが留まり分解し始めた。父の霊魂は急速に上昇し始めた。そして多分、大勢の縁者と再会することだろう。父はついに死んだ。
翌日、私は例の「死とは何か──悩める人へのガイドブック」をもう一度読み直してみた。二十ページ余りの薄い本なので読み通すのに時間はかからなかった。読み終えた時、妻のジーンが「どこか書き直さなくてはいけない箇所がありますか」と尋ねた。
どこにも書き直すべきところはなかった。実は本書の第十章からはその小冊子を敷衍しながら書いている。言わんとしていることはまったくおなじである。
若いころの私は父を〝悩める人〟と見ていた。確かにそういう時期もあったに違いない。が大事な時期に多分父の背後霊が〝知識〟によってではなく、霊的に悟らせる形でうまく指導したのだろう。
その後私は交霊会で父と何度か話を交わし、今でも助言を求める時がある。新たな環境への適応の一時期を経て、今では背後から私を援助してくれている。その雰囲気は地上時代と同じく優しさと純粋さに溢れている。私も父に見習わなくてはと思って居る。私が地上を去って霊界で再会した時、父が誇りをもって私を迎えることができるように。
第16章 葬儀は本当に必要か
人間の死にまつわる儀式とタブーには民族によって色々とあって、見様によっては実に興味ぶかい。
たとえばタイのカレン族は葬儀の最中は子供たちを家の片隅に縛りつけておく。これは子供の魂が死者の肉体の中に入るといけないという信仰から来ているのであるが、そのためには特殊な紐で特定の場所に縛る必要がある。
オーストラリア東方のロイアルティ諸島の住民は死者が生者の魂を盗むという信仰がある。そこで、病人の死期が近づくと住民は埋葬予定地へ行っていっせいに口笛を鳴らし、病人の家まで列を作って口笛を鳴らしながら戻ってくる。これは、死ぬということはその人間の魂が死の世界へ誘惑されるということだから、口笛で呼び戻すことも出来るはずだという信仰からきている。
中国ではいよいよ棺の蓋が閉められるときはまわりにいる人々が二、三歩棺から離れる。別の部屋に逃げ込む者もいる。これは、影が棺の中に入ると、この人も遠からず死ぬという信仰があるからである。葬儀屋は自分の影が墓穴の中に入らない位置に立つ。墓掘り人と棺をかつぐ人は影が身体から離れないように、腰の周りに特殊な布を巻き付ける。
ベーリング海峡付近のエスキモーは、死者の出た日は全ての仕事を休む。親戚縁者は三日間休む。その間はナイフのような刃物類は一切使用してはいけない。死者の魂を傷つけるという信仰から来ている。大声を出してもいけない。霊魂がびっくりするといけないからである。
ルーマニアにも似たようなタブーがある。死者が出た後は鋭いナイフを使ってはいけないし、刃を抜き出しのまま放っておいてもいけない。中国でも同じ信仰があり、ハシも使わない。七日間は手で食べることになる。
バルト海に臨むリトアニアの住民は死後三日目と六日目と九日目と四十日目に死者に食事を用意し、入り口のところに立って死者を呼び戻す。そして十二分に食べ存分に飲んだと思う頃に帰ってもらう。その近くのプロイセン(プロシャ)にも似たような風習がある。
南インドのバタガス族には死者の罪を水牛の仔牛にのり移らせると言う奇習がある。部族の長または長老の一人が死者の頭のそばに立って、その人間の犯した(と思われる)罪の数々を並べ立てる。次にその死者の手を仔牛にあてがうとその罪の全てが仔牛にのり移る。
仔牛はその村から遠く離れたところに死ぬまで隔離される。その牛にはむやみに近づくことを禁じられる。ある意味では〝神性〟と考えられるのである。
古代エジプト人の信仰は実に混み入っていた。彼らは〝蘇生〟と言うのを信じた。が、もともとは死を司る神オシリスの蘇生だった。つまりエジプト人はオシリスが蘇生することが自分たちの死後の存続の約束となると考え、神々がオシリスにしたのと同じことを死者にしてあげれば死者も永遠の生命を授かると信じたのである。
そこでオシリスの子アヌビスやホラスなどがオシリスにした葬儀と同じことを人間にもした。その結果がミイラの作製となった。ナイルの渓谷から発掘される無数の墓から蘇生のための秘法を記したものが出ている。当時は一人一人の死者に同じことを行っていたことが明らかとなっている。
彼らはオシリスが蘇生したように自分たちも蘇生し永遠の生命を得るのだと信じたのだった。
ひるがえって、われわれ英国人の葬儀はどうだろうか。私の手元に『国教会祈祷書』というのがある。教会の儀式の文句や聖書からの抜粋をまとめたもので、一般の書店でも手に入るが、最も読まれていない本の部類に入るのではなかろうか。それはともかくとして、その中に「死者埋葬次第」と言う項目がある。
まず冒頭に「牧師心得」があって、本書の祈祷は「洗礼を受けざりし者、除名されし者、並びに己に不自然な行為をせし者(自殺者)には使用するべからず」とある。
いまその全てを紹介するわけにはいかない。非常に混みいっていて、しかも長い。ぜひ知りたい方は直接お読みいただくことにして、ここではその全体の主旨だけを述べておこう。と言っても、それは私が改めて説くまでもなかろう。死者の霊を安らかに眠りにつかせ、主イエス・キリストの仲介によって〝復活の日〟に無事永遠の命を授かり神のみもとに行けるように、ということである。
儀式には数曲の似通った讃美歌が伴う。祈祷も讃美歌も古めかしい言葉で表現されているが、言わんとしていることは明白である。それは二種類に分離できる。一つは死者へのはなむけの言葉だ。
この者は本当は悪い人間ではなかった。だから〝われわれの一人〟として真摯に待遇してやるべきだ、と。〝われわれの一人〟とは要するに、〝神の恩恵を受け永遠の生命を給いし者〟のことである。もう一つは直接神へ向かっての願いごとである。
儀式は死者が〝選ばれし者〟の一人として復活の日に神に見落とされることのないようにとの配慮が見られる。これで大丈夫といった感じである。すべてが規定通りに行われると、協会の名簿の氏名の頭に印がつけられる。
もしあなたが協会の会員でなかったら、つまり洗礼を受けていなかったら、あるいは、かつては会員だったが脱会していたら、その儀式は受けられない。自殺してもうけられない。他の宗派の会員でもいけない。この永遠の生命を賜るチャンスは〝選ばれし少数〟の者にしか与えられないのである。
さて、こうしたことは面白いと言えば面白いが、的外れなことばかりである。死後への恐怖心と迷信から生まれることばかりである。水牛の仔牛への人間の罪をのり移らせることなど出来るわけがないのと同様に、協会の手で洗礼を受け埋葬されたからといって永遠の生命を授かるわけがない。
すでに今日ではその理不尽さに気が付いて教会に背を向ける風潮が出てきつつある。いまどき永遠の断罪をまともに信じる人はほとんどいない。そして霊的な真理を求める人が増えている。霊的成熟のしるしである。そのうちすべての迷信が理性と置き換えられ、恐怖心が愛と置きかえられ、イエス・キリストの説いた本当の意味が理解される日が来よう。
これからは死者が出た時は葬儀屋を呼んでこう言えばよい。
「この者の霊はいま身体だけを残してあの世へ逝った。このからだはよくこの者に尽くしたのだから手厚く葬ってほしい。儀式は何もしなくてよい。ただ丁寧に焼却してくれればよい」と。
そう述べてから親族及び友人知人で簡単なパーティを開き、個人の生涯の労をねぎらい、最後にみんなで別れの挨拶をする。〝さようなら〟ではなく「では、またね」の挨拶だ。できることなら霊能者を呼んで故人の霊が霊界で歓迎される様子を見届けてもらうのもいいだろう。喪服など着てはいけない。黒は禁物だ。あなたは今素晴らしい第二の人生に旅立つ人を見送っているのだから。