第2章 心霊治療とは何か
心霊治療は確かに効く、心身症的なものだけでなく、機能上の欠陥も治る。むしろ機能的な病気の方が治りやすい。
G・スミス夫人はイタリア系の英国人で、大柄の、なかなかの美人だ。或る日曜日の昼食後に突如訪ねてきた。私は日曜日はふつう治療しない。別に安息日だからと言う宗教上の意味からではない。せいぜい日曜くらいは家族へのサービス日にしたいというだけである。がスミス夫人は激痛で自殺をほのめかす言動が見られた。絶望の淵のすぐそばまで来ているのだった。
椅にかけてもらってから感情の静まるのを待った。やがてハンカチで涙を拭うと語り始めた。話がしどろもどろで要領を得なくて何度かこちらから質して話をもとへもどさねばならなかった。が、どうにか筋は呑み込めた。
彼女は学校の先生である。英国人と結婚して二人の子供がいるが、二人目を出産した際に右の股関節がはずれた。四年半も前のことである。麻酔をかけた上で処置してもらったが、すぐまたはずれる。これを何度か繰り返しているうちに次第に悪化し、痛みが激しくなり、医学的には手の施せない状態になった。この四年余り、彼女はその激痛と死闘に明け暮れていたわけである。私は何とか治してあげたいと思った。
彼女はイタリアの南部の出身で、大柄で、その地方特有の雄大なヒップをしている。手をあてがっても骨の感触はまるでない。が治癒の反応が強く出た。「痛みが和らいだようです」と言う。私は二、三分静かに座らせておいてから「歩いてみて下さい」と言った。すると最初恐る恐る歩き始めた。
やがて痛みがないことが分かると、さっと顔の表情が明るくなり、しっかりとした足取りで歩き始めた。首筋を真っ直ぐにして目を輝かせ、例の雄大なヒップを左右に揺すりながら堂々と歩いた。
心霊治療で治せない病気があるか──私の知る限りでは治せないものはない。但し、そこに存在しないものは治療できない。事故で失った足とか、手術で取ってしまった臓器はどうしようもない。手術後の経過が思わしくなくて来る人が多いが、そこにないものは治療の施しようがない。が、
そうした特殊なケースを除けば、どんな病気でも欠陥でも奇形でも治せる。では心霊治療とはどういう具合に作用するのだろうか。
私は心霊治療の専門家である。ということは、音楽家や画家や詩人が天性的にその才能を具えているのと同じく、霊的に病気をなす才能を天性的に具えているということである。同時に芸術家が外部からのインスピレーションによって作品を生み出すように、私も外部からの治癒エネルギーによって仕事をする。
私は単なる受信機に過ぎない。強力な霊的エネルギーが流れ込む通路に過ぎない。
だから逆説的な言い方になるが、私の場合は治そうという意識を持たないほどよく治る。つまりすべてを背後霊に任せるのである。背後霊と言うのは、かつて地上で生活した人間があの世へ行ってから、もう一度地上生活との関わりを持つために、地上の人間の仕事を手伝っている霊である。
このことについては後に詳しく述べるが、私の場合はガレンと言うギリシアの医学者が中心となって、ほかにガレンほど有名ではないが、やはり地上で医学を修めた専門家が何人か働いてくれている。
治療に入る時はその背後霊に波長を合わせる。もっとも波長を合わせるというのは非常に説明の難しい状態である。入神状態になるわけではない。また特殊な宗教的な儀式をしたり九字を切ったりするわけでもない。言ってみれば白日夢の状態で自分のいる部屋の様子、流れている曲、自分が今やって居ることなどがみな私自身も一応わかっている。
意識を失ってしまうわけではないのである。が、それでもなおかつ、何となくふわっとして、何か自分とは別のものを意識する。
〝何か自分とは別のもの〟と言うのも実に曖昧な言いかたである。がそうとしか言い表しようがないのである。これでも精一杯正確に表現しようと努力しているつもりである。これを〝誰かがいる〟と表現したら事実とズレてくる。人間や霊的存在を意識するのではない。患者と私が二人きりでなくなる、と表現すのが一番正確かも知れない。
その状態に入る前に私はすでに患者から病歴について語ってもらっている。その話には注意深く耳を傾け、筋の通らないことは質問して病気の全体像を的確に掴んでおく。これは非常に大切である。
その理由の一つは、治療エネルギーは豊富に存在するが、それを私を通して患者のどこに集中すべきかの判断は私が下さなくてはならない。それは患者自身にも分からないことが多い。足の神経が痛むと言っても、原因は腰椎にあることもある。そんな場合にいくら足を治療しても効果はない。
もう一つの理由は、その話をガレンが背後で一緒に聞いているということである。ガレンは私の背後に控える治療団のリーダーで、患者の話をもとに霊団の中からその患者にあった専門霊を選んで治療に当たらせる。私はその霊団の道具に過ぎないのである。私が余り出しゃばらないほうが好結果が得られるのはそのためである。
私の果たすべき責任はいたって単純である。治療の道具としていつ使われてもいいように準備し、身を清潔に保つということである。だから私は心身ともに衛生に気を配る。食事を質素にし、タバコを吸わず、アルコール類も一切口にしない。特に治療日には本職(コンサルタント)のことや家庭的なイザコザを忘れご馳走を控え、タバコ、薬品類、アルコールは絶対口にしない。
そういう状態を保つことが、背後霊がもっと私を効果的に使う最高の条件と心得ている。今後もずっとこうありたいと願っている。
四十に手の届きそうな女性が来た。色浅黒く、およそ美人の形容詞からは縁遠い。しかし背が高くてスリムで、ドレスを見事に着こなしていた。スツールに腰かけると、もじもじしながら何やら小声で言った。よく聞き取れないので、もっと大きな声で、と言うと、しきりに咳払いをした。私は何も言わずに彼女が語りやすい雰囲気に心を配った。やがてもじもじした態度が消え、私を真っ直ぐに見つめて語り始めた。
話によると、ここ二年近く十二指腸潰瘍を患い、時おり強い痛みを覚える。薬も食事療法も効果がない。精神安定剤をかなり服用しており、その上、何れは手術しなければならないという見通しを聞かされて、それに怯えている。手術を受けに病院へ行かなければならないという想いが頭から離れず、それがますます潰瘍を悪化させている。何とか手術をしなくても済むようになりませんかと言うのである。
医学的治療や医薬品、医療器具、手術等の是非について心霊治療家が相談を受けるのは珍しくないのであるが、医事法から言うと治療家にはその資格はない。だから、そんな場合、私は質問には直接答えず、心霊治療と言うもののプロセスを説明し、そのウラにある霊的教訓を説くことにしている。その説明の中から患者自身が回答を引き出してくれる。
その女性はかなり落ち着きを見せ始めた。私は潰瘍はストレスのせいだと判断した。がそのストレスのそのものの原因は何か、これもすぐ分かった。三年前にご主人が他界し、十代の子供三人を抱えて途方に暮れた。ご主人の死と言うショックと三人の子供の養育と言う責任は女一人には重すぎた。それが潰瘍の原因だ。
モーツァルトの曲を流しながら私は右手を胃部にあてがい、左手を背中に当てて、顕在意識の流れを止めた。その間は時間の経過が意識できないので、どれほどその状態を続けたかわからない。がテープの進み具合から、かなりの時間だったことが分かった。
彼女は目を閉じたまま静かに座っている。神経質な様子が消えてリラックスしている。やがて眼を開いた。穏やかな表情をしている。しばし何にも言わない。やがてニッコリ笑った。始めて見せた笑顔だ。
心のしこりが取れたのだ。
まだ痛みますか?と尋ねてみた。全然痛まないという。気分もすっきりしている。治ったのである。
予定では十日後に病院でバリウム検査を受け、それから一週間後に手術後の検診がある。ではもう一週間後にもう一度いらっしゃいと言うと、手術は受けなくて済むでしょうかと聞く。私はそれは私の口から何とも言えないと答え、とにかく食事は粗食にするようにとだけ注意をしておいた。
一週間後に訪れた時はすっかり別人になっていた。満面に笑みを浮かべ、うれしい知らせをいっぱい持ってきてくれた。この一週間と言うもの、痛みも不快感も感じなかったという。夜もぐっすり眠られる。そしてモリモリ食べる。魚やチップスを何年ぶりかで食べたという。
バリウム検査では潰瘍は消えていた。傷痕がわずかながら残っているが、医師はこの程度なら手術の必要もないし治療もいらないと言い、病気のことは一切忘れて普通の生活をし、食べたいものは何でもおあがんなさいと言ってくれたそうである。
その報告に来てくれた時私はしばらく霊的な哲学について話をした。彼女の方からもっと勉強したいと言うので二、三冊心霊書を紹介してあげた。身体の方の回復も早かったが、霊的な回復もまた早かった。もう二度と潰瘍はできまいと私は確信した。真の意味で彼女は〝治った〟のである。
心霊治療は魂の治療まで行かないと本物とは言えない。似たようなケースをもう一つ紹介しよう。大手の製造工場で働いているエンジニアが仕事でロンドンまで出てきたついでに私の事務所で治療を受けた。私の場合と同じ腰椎のヘルニアで、背筋が痛む。坐骨神経がしびれる。
股関節の異常でまともに歩けない。私の体験した苦痛をぜんぶ味わっていた。霊の牽引療法もやってみたという。鎮痛剤を常時もち歩き、もちろんコルセットもしていた。仕事柄、車を運転することが多く、息も絶えだえの状態で帰宅することが多かった。
私は右手を腰椎にあてがい、左手を腹部に当てて精神を統一した。すると右手が背筋に沿って首の付け根のところまで上がっていき、今度は下がりながら一つ一つの背骨、その中間にある円盤の一つ一つのところで止まって霊波を照射した、それでおしまいだったが。それだけで彼の身体は柔軟になり、固さが取れていた。痛みも取れた。僅かばかり坐骨神経に後遺症があるだけだ。
彼はウィールズ州に住んでいてロンドンまで出るのは大変である。帰る時、次はいつ来れるかわからないといったが、次に来たのは実に一か月後のことだった。しかし片脚に坐骨神経痛の後遺症があるほかは何も異常はなく、もう全快したのも同然だった。ところが、それからさらに一か月後になって、予約リストに同じ名前が載っているのでびっくりした。
その予約日が来た。会ってみるとやはり同じ男性だった。がどこをどう見ても患者とは思えない。至って元気そうである。話を聞いてみると、今日は自分の体をこんなに見事に回復させたエネルギーの秘密を教わりに来たという。
私は心霊治療の原理のあらましを話して聞かせ、私自身はエネルギーが通過する道具に過ぎないことを強調しておいた。そして前の女性の場合と同様に数冊の心霊書を紹介してあげた。
更に彼がエンジニアであることを考慮して、人体の構造について説明し、椎間板の異状によって生じるストレスや変形のメカニズムを説明した。さすがにエンジニアらしく理解は早かったが、霊的なエネルギーのことが納得できない。本を読んでみますと言い残して帰って行った。普通ならこれでおしまいになるところである。ところが二か月後にまた予約リストに彼の名前が載っていた。
会ってみると全く健康そのものである。背筋にも異常はない。ぶり返しも一度もないという。そして今回訪ねてきたのは自分と言う人間が良い意味であまりに変わってしまったそのわけを知りたいからだという。それまでの彼は向こう気が強かった。それが今は控えめな人間になった。
よく乱暴な態度に出ることがあったが今は穏やかになった。カッとなり易かったのが極めて冷静沈着になった。人間がすっかり変わってしまった。なぜか。いったい自分に何が起きたのか。それが知りたいという。
実は心霊治療が効を奏するのは、治癒力が魂の奥底にある不健康な状態を改善するからである。言いかえれば、魂が真に目を覚ますのでる。病気治療そのものは目的ではない。手段に過ぎない。
彼もヘルニアと言う病気をきっかけに魂が目を覚まされたのである。真実の自分に目覚めたのである。彼はもう二度と昔の彼に戻ることはあるまい。
私がそうであるように。
第3章 遠隔治療とは何か
南アフリカのケープタウンに住むデコック夫人は腹部の腫瘍に苦しんでいた。所用のためロンドンに滞在中に病院で診断を受けたところ、やはり悪性のものかどうかは今のところ判断できないとのことだった。帰国すれば生体組織検査が待っている。その結果次第でそのまま治療を続けるか手術をするかの判断が下される。〇〇日にサウサンプトン港から帰国する予定だが、できればそれまでに心霊治療をお願いしたいのだが──と言うのが私へのデコック夫人の手紙のあらましである。
ところがその手紙のあて名書きの住所が間違っていたために、私のもとに届いた時はすでにロンドン滞在があと一日で切れるという日だった。今頃は恐らくロンドンの宿泊先を引き払ってサウサンプトン市にいるはずだ。私はそう判断して、夫人が乗船することになっているユニオン・キャッスル・ラインへ速達便を送り、遠隔治療を致します、と書いておいた。
それから三週間してケープタウンのデコック夫人から手紙が届いた。そのあらましを紹介すると、乗船してからもまだ腹部に痛みを覚えていたが、それが次第に消えて行き、三、四日すると痛みも忘れるようになり、五日目の朝には腹部のしこりが失くなっていた。
おかげで残りの船旅がとても快適で、デッキでのゲームやスポーツを楽しんだ。ケープタウンに着いてから早速病院へ行って検査してもらったところ、腫瘍は影も形もなかったという。
直接療法の場合は患者が目の前に存在し、その患者から病気の症状や病歴などについて細かく聞くことができる。事情を呑み込むと治療家は患者の身体に手を当てる。するとその手を通して治癒エネルギーが流れ込む。患者はたちどころに治る──と言った調子にいけば言うことはないのだが、
実は心霊治療もそう単純なものではない。およそ半分以上の患者はその場では何の反応も変化も見せないのがふつうである。ところが次に訪れた時には症状が大幅に改善されていたり全快していたりすることがよくある。聞いてみると、治療してもらった日は何ともなかったが、二、三日して朝目を覚ましてみたら痛みがすっかり消え症状が良くなっていたというのである。
なぜこういうパターンになるのだろうか。私は長年の経験からこう推理した。つまり治療を担当する霊は彼らなりの診断にもとずいて治療に当たるのであるが、患者によっては精神的な歪みや緊張が障害となって治療エネルギーを受付けないことがある。
そこでその場ではいったん治療をあきらめ、その患者が帰宅して寛いだ時、たとえば熟睡中をねらって治療エネルギーを注入する。翌朝目を覚ましてみると、すっかり良くなっているということになる。
この推理を背後霊に質してみたらその通りだとのことだった。実は遠隔治療もこれと全く同じ原理なのである。距離の遠い近いは関係ない。霊界では時間と空間(距離)が地上とはまったく異なる。大西洋のど真ん中を航行中の客船の中にいる患者を治すのも隣の家の患者を治すのも、霊にとっては同じことなのである。
今や地球の反対側で行われているオリンピック競技が地球を回っている人工衛星を中継してテレビの画面に映し出される時代である。こうした遠隔治療の原理も別段不思議なことではなかろう。
ただ遠隔治療には一つだけ欠かせない条件がある。治療家と患者は直接の接触は必要ないが間接的な接触は絶対必要だということである。それは普通手紙を媒体として行われる。本人の書いた手紙を私が手に持つことによって患者とのつながりが出来る。
さらにそれを読むことによっておよその症状がのみ込める。それが背後霊に伝わる。背後霊はそれに基いて準備を開始する。私の方では何月何日から治療を始める旨を患者に連絡し、症状に変化が出れば、どこがどうなったということを知らせてほしい。何の変化もないときもその旨を連絡してくれるようにと書き添える。
間隔は患者によって一週間に一回の時もあれば二週間に一回の時もあり、一カ月に一回の時もある。
この患者からの経過報告は非常に大切である。症状の変化によって治療箇所を変えたり打ち切ったりしなければならない。例えば椎間板ヘルニアなどの場合だと、ヘルニアそのものは正常に復しても坐骨神経の後遺症が残っていることがある。それが脚に残っている時は脚に治療を集中しなければならない。
このことに関して、よく次のような面白いことが起きる。手紙が届く。読んでみると「昨年あなたの遠隔治療のお蔭で肺がんを治していただいた者です。
つきましては・・・・・・」と、知人や親戚の者への治療を依頼してくるのである。文面から察するに、遠隔治療で自分が治ったことがこの私にも手応えで分かっていると思い込んでいるらしいのである。私もそこまでは分からない。治ったか治ってないかは報告していただかないと分からない。
その連絡の間隔はさっきも言った通り一週間だったり、二週間だったり、一か月だったりする。危篤状態の時は一時間ごとになり、そうなると手紙ではなく電話連絡になる。本人はダメだから看病している人に報告してもらう。
こうした治療法を祈りによる信仰治療と同じと思ってくれては困る。遠隔治療を施す時の治療家の心理状態は祈りではない。一種の思念操作である。それは直接治療の時も同じである。
遠隔治療を施す時、私は直接治療の時と同じく背後霊との一体化を求める。そして患者の住所と氏名を述べ、心の中に症状を思い浮かべて、実際にその患者に手を当てて治療している様子を〝映像化〟する。治療に当たる霊との一体化・・・これがカギである。人間と霊との間に親和力と言うのがある。
心霊治療家の特性は結局霊医との親和力とそれを意識的に誘導する能力にある、と言える。
祈りとはいわば神への語り掛けである。そして、その祈りの内容の大半は利己心に発していると言ってもよい。そんなもので事が成就されるはずはない。成就されるのは、せいぜい、一通りの文句を口にしたことによる気休め程度でしかない。
真の祈りの言葉は一つしかない。「御心の成就されんことを」──これだけである。こちらから、ああしてほしい、こうしてほしいと頼んでみても仕方がない。神にはすべてが知れている。あなたにとって今何がおちばん大切かは神には分かっている。だから、ひたすら神の恵に感謝し、御心の命ずるままに生き、おかれた境遇の自分にとっての意義を理解しようと努力することである。
そのためには特別仕立ての建造物は要らない。仰々しい言葉もいらない。僧侶もいらない。儀式もいらない。時刻を決める必要もない。あいた時間ならいつでもいい。一日の用事がすっかり終わってからでもいい。要するに神を忘れないことだ。
思うに、在来の宗教が宗教としての存在意義を発揮できずにいる主な原因の一つは、聖職者が心霊能力を持ち合わせず、政治的ないし宗教的才覚によって地位を確保している点にある。いかがに立派そうな大聖堂で病気平癒の祈りを述べても、その僧侶に治癒能力がなかったら何の効果もない。
もしも信仰心と祈りの言葉だけで病気が治るのなら、例のルルドでもっと多くの人が治ってもいいはずである。(ルルド──フランスのピネレー山脈の麓にある洞窟に聖母マリアが出現し、その命に従って少女が掘った泉の水で木こりの眼病が治った話がきっかけとなって、そこがカトリックの信仰治療の場となっている。一二八頁参照)
今やルルドは信仰治療のメッカとしてカトリックの華やかさと威勢と信仰の権威が治療行為一つに集中されている。そこには枢機卿をはじめとして何名かの主教、何十人もの牧師、何百人もの尼僧(ニソウ)、そして何千と言う信者たちが一日中ほぼひっきりなしに祈りを捧げている。
カトリック教会の途轍もない大きい力が聖母マリアへの盲目的信仰と相まって、そこに集中されている。ここ百年余りにわたって何百万もの病弱者が訪れている。なのに実際に治ったの者はホンの僅かに過ぎない。もしも祈りと信仰心だけで治るのであれば、もっと多くの人が治ってもよいはずである。
そのルルドで治療風景を8ミリ映画に収めた女性が私のところにそれを見せに来てくれたことがある。実は私は写真が趣味で、ある同好会に加盟しており、その女性もその会員の一人なのである。彼女はボランティア活動の一つとして肢体不自由児を大勢連れてルルドへ行き、その時の様子をカメラに収めたわけである。
カラーでナレーションも入り、宗教的な音楽をバックに流して、実に見事な出来栄えであった。特に子供たちが不自由な体をある者は車イスで、ある者は松葉杖にすがりながらも明るく陽気にはしゃぎながらルルドの難路を進む様子、そして到着した聖地でそこかしこに建てられた聖像に感心したり、立ち並ぶみやげ店で思い思いに買い物をする風景は、同情心を誘うと同時に関心もさせられた。
特に夜になって無数のローソクが灯され、それがまるでホタルのように暗闇の中で光り輝く中を子供たちの聖歌が響くシーンは感激的だった。
見終わって、私は「見事な出来ですね」と言ってから、うっかりこう聞いた。「で、どなたか治った人がいましたか。」
彼女はそれを冒涜的な言葉と受け止めたらしい。一瞬表情をこわばらせたが、すぐに、「いいえ、一人もいませんでした」と答えてから、今度は笑顔を浮かべて「でも、あの子たちには良いことをしてあげたと思っています」と明るく言った。
果たしてそうなのだろうか。私の考えでは、そういう体験をしたことがその子たちにとっては却ってのちに本当の治せるチャンスを失わせることになりはしないかと気にかかるのである。つまり心霊治療のことを耳にしても、「心霊治療家なんかに何ができるというのか。ルルドであれだけのカトリック教会の力でも治らなかったのに」と思うに違いない。現にそれと似たケースがあるのである。
ある時、近くの夫人が訪ねてきて娘の治療に来てほしいという。自殺もしかねない状態だと言うので私はさっそく行ってみた。見ると三十に満たない女性で子供が三人おり、立派なモダンな家に住んでいる。が、この四年ばかり脊椎の一番上の骨の脱臼で苦しみ、あれこれやってみたが一向によくならず、神経が異常に興奮している。首は外科用の頸輪(カラー)で保護され、鎮痛剤と精神安定剤でどうにか保っているという感じである。
「どんな治療をしてくださるんですか」と聞くので、私は心霊治療だと答えると、「まず治せないでしょうよ。牧師さんがこの家まで来てくださって祈祷して下さっても治らなかったんですから」と言う。私も、牧師は宗教家としては立派な方でも治癒力に関する限り近くの肉屋さんと少しも変わらないというわけにはいかなかった。
不愉快な思いをさせられながらも治療をしてみたら症状がずっと良くなった。が、この人は完治は難しいと思った。と言うのは宗教的偏見が魂の奥深くこびりついていて、それが治癒力の流れを阻害するのである。が、彼女もまだ若い。その内目覚める日も来るだろう。私はそう期待したい。
第4章 奇蹟のメカニズム
奇怪なうめき声しか出せない患者が来た。目がしきりに何かを訴えるのだが言葉が出ない。まるで動物のような声を出すだけだ。年の頃四〇。身なりはきちんとして、一見健康そうである。通訳として付き添ってきた女性から話を聞いた。
この人には子供がなかった。だから生活のすべてがご主人に向けられていた。家の中をピカピカに掃除し、おいしい料理を工夫し、きちんとアイロンがけをし、そのほか夫がよろこんでくれそうなことをいろいろと工夫しながら楽しい毎日を送っていた。彼女にとって夫がすなわち生きがいであった。
その夫が急死した。この世から消えてなくなった。彼女は悲しみのどん底に突き落とされた。全身から力が抜けてしまった。そして、ようやく元気を取り戻した時は物が言えなくなっていた。
病院へ行ってみたが発声器官に何の異常もなかった。夫がいなくなった以上しゃべる必要は無くなったとでも決めこんでいるかのようだった。診断は「ヒステリー性失語症」だった。いつも紙と鉛筆を持ち歩き、ジェスチャーを交えながら用を足すという生活が始まった。
患者の中には同じような心身症的要因、特に悲しみが原因で病気になった人が非常に多い。症状はいろいろである。潰瘍や関節炎を始め、部分的麻酔、大腸炎、不眠、偏頭痛、背痛、静脈洞炎、結合組織炎、乾癬等々。がそういう症状が誘発されるパターンは大体決まっている。身近にいた人が死ぬ。
悲しみの極に落とされる。葬儀、喪中と続いて全身の力が抜けてしまう。それが中々回復しない。よく眠れない。食欲が出ない。そうしているうちに列記したような症状が出はじめる。
こうした患者は同情と理解をもって胸のうちを聞いてあげる。すると不思議なほど似たようなケースが多いのに気づく。共通していることは、心の奥底に罪悪感にも似た後悔の念と自己憐憫の情が巣食っていることだ。自分がもっと注意しておれば──もっと優しくしてあげておけば──もっと気持ちを理解してあげておれば──しかし、もう遅い。そう思って自分を哀れに思い、悲しみがまた湧いてくる。その罪の償いのつもりで楽しみを控えようとする。
こういう人には心霊治療よりも心霊知識のほうが必要である。
死んだ人はこの宇宙から消滅したのではない。次の世界へ旅立ったのである。その人にとってはこの地上での勉強がおわり、次の勉強の世界へと進級していったのである。中には学生生活から社会生活へと入るのを恐れる者がいる。
学校は住み慣れていて気楽だが社会は未知の世界だ。行くのが怖いと思うのも無理はないが、だからといって、いつまでも学校にいるわけにはいかない。いずれは卒業しなければならない。
この世は決して安楽ばかりの世界ではないが、住み慣れた世界であることは確かだ。勝手の分かった世界だ。この世がいちばん安心しておれる。死後の世界は知らないことばかりだ。だから怖い。おまけに子供の頃から誤った来世観を叩きこまれている。
地獄、永遠の刑罰、火あぶり、悪魔など等の観念が脳裏をかすめる。聖人君子のような生活でも送らない限り、そうした恐ろしいものが自分を待ち受けていると思い込んでいる。だから死ぬのが怖い。
もしもこうしたことが事実だったら、確かに死ぬのは怖い。私も怖いと思うだろう。が事実はそうではないのである。死後の世界は光と生命と幸福感にあふれた実に快適な世界なのだ。死んであの世へ行った人は、よほどの事情でもない限り、この世へ戻ってきたいと思わない。それは、あなたが二度と小学校へ戻りたいと思わないのと一緒である。
向うへ行くとあなたはこの世の人生のおさらいをさせられる。犯した過ちがある。やるべきでありながらやらずに終わったことがある。もちろん良いこともした。が言い難いことを人に言ったりもした。そうした体験からいろいろと学ぶことがある。そこであなたの人間性が問われる。
が、判断するのはあなた自身である。自分で自分を裁くのである。きまぐれな神様から罰を受けたり、子供だましのせっかんを受けたりするのではない。霊界は責任と義務の世界であり、いわば大人の世界である。周りには知人や友人、肉親がいる。痛みも苦しみもない。精神的にも安らかで幸福感に溢れている。
ふと地上を見ると、そこには喪服に身を包んだ家族や親戚縁者が自分の死を嘆き悲しんでいる。後悔と懺悔の念に胸を痛めている。自分の死を理由によろこびを控えている。何たる無知、何たる見当違いであろう。その無知、その原始さながらの迷信、その愚かさにあなたは哀れさえ覚える。が、何れ彼らもそれに気づく日も来るだろう──そう思って自らを慰める。
さて、その哀れな犠牲者となったそのもの言わぬ女性を私はツールに掛けさせ、ロッジーニの曲を流す。私はまず両手を夫人の頭部に当て、それから肩、そしてノドへと移動させる。曲の流れに乗って私の手が激しく振動する。やがて振動がストップする。気が付くと夫人は肩を揺するようにしながら激しく泣いている。
涙が頬を伝って落ちていく。緊張がほぐれるとともに、抑えられていた情がせきを切って流れ出たのだ。
やがて平静を取り戻して涙を拭いた。私は夫人のアゴに手を持っていき、そっと持ち上げて私の目を真っ直ぐに直視させてから
「何か歌を歌ってごらんなさい」と言った。「話すのではなく歌うのです。さ、歌ってごらんなさい。ひと節でいいから歌ってごらんなさい。」
彼女は歌った。本当に歌った。立派に歌った。治ったのである。心の歪みが矯正されると同時に物が言えるようになったのである。
この例は確かに奇蹟的治癒と言えるかもしれない。が、瞬間的に治るものばかりが奇蹟ではない。時間はかかっても、心霊治療でしか治らないものがある。医学では絶対に治せないものがある。心霊治療は魂(ココロ)を癒すからだ。そこに奇蹟の秘密がある。
政府の事務官の例がある。そう聞いただけで余り楽しい仕事ではなさそうな感じがする。おまけに彼は完璧主義者だ。いい加減なことが嫌いである。得てしてこうした完璧主義者は不幸になるケースが多い。どこかに無理があるからだ。所詮人間生活に完璧は望めない。
大自然の神の業と比べてみるがよい。人間のすることなどいい加減なことばかりである。いかなる名画も、本物の夕焼け空の美しさとは比べものにならない。無私無欲などと言っても、雪の如き純白な心は望むべくもない。どんな見事な光学機械も、人体の構造に比べればオモチャのようなものだ。
だから人間はいい加減なところで妥協ということが大切になってくる。それができない人間は不幸である。
その事務官にとって唯一の気晴らしは社交ダンスである。ダンスの社会には身分階級がない。そこでは肩書を忘れて仲間とダンスに興じることができる。奥さんとよく通った。が、心労が重なって、いい加減なことができない彼はついに体調を崩し始めた。
やがて胃潰瘍と診断された。早速入院して手術を受けた。そして、ベット数が足りないことを理由に予定より早く退院させられた。経済的に余裕のない彼は間もなく仕事に復帰した。
しかし、そこに少し無理があった。二、三日して石の階段を降りる途中で眩暈がして転倒し、足首を骨折した。X線写真で重症と診断され、数週間石膏で固められた状態で入院生活を送った。そしていったん退院したのであるが、二週間後の定期検診で骨が正しくつながっていないことが分かり、再手術となった。そして今度は骨が鋼鉄製の釘で留められた。
数週間の療養生活ののちに仕事に再復帰したが、まだ痛みが残っていて、びっこを引いて歩いた。仕事がのろく、ほとんど毎日のように夜遅くまで残業せざるを得なかった。足首が何時でも痛む。びっこがひどくなってきた。杖を使って身体をよじるようにして歩く。
一か月もしないうちに足の坐骨神経と背中に激しい痛みを覚えるようになった。病院へ行ってX線検査をしてもらったところ、腰椎のヘルニアと診断されコルセットをはめられた。
足首が腫れあがり熱を持っている。胸からヒップまでコルセットがはめられている。背中と脚に激しい痛みが走る。必死にこらえるのだが、それだけ仕事に支障をきたす。一向に捗らない。気分がすぐれず、食事が進まなくなってきた。そしてついに激しく吐いた。診察の結果は恐れていた通りだった。再び胃潰瘍になっていた。
もう死んだ方がましだと思うようになった。痛みと不快感と生涯治るまいという言う絶望感もそろそろ限界が来た。そんなとき一人の友人から私の話を耳にし、ロンドンの事務所を訪ねて来た。
病歴を全部訊くのにかなりの時間を要した。が私は親身になって聞いてあげた。大体呑み込めた私は両手を肩に当てて精神を統一した。これだけ混みいった病状がある時は、何処から始めようという考えなしに精神を統一する。すると右手がひとりでに動いて胃の上に来て、そこで激しく振動し始めた。やがて肩に戻り、そこから脊椎へ移行した。体力の消耗が著しい。
治療エネルギーの回路には自動バルブ装置のようなものがある。つまり患者に必要なだけ注入すると自動的にストップする。この人は生命力をほとんど消耗していたらしく、私の身体を通してエネルギーがふんだんに流れ込むのが分かった。が、それでも通常の体力に戻るまで三回の治療を要した。局部の本格的な治療に入ったのはそれからである。
まず胃潰瘍、次にくるぶし、それから腰椎、そして坐骨神経と言う順序だった。日を追うごとに目に見えて回復していき、三か月後には潰瘍が消え、食欲も旺盛になった。坐骨神経の方も夜分に時おり痙れんすることはあったが、痛みは消えた。くるぶしの腫れも退いた。時おりぎこちなさを感じることはあったがびっこを引かなくなり、杖も捨てた。ヘルニアも正常に復し、自由な動きができるようになった。
この段階にまで来て私は人生哲学の話を持ち出して魂の再教育を始めた。人生の意義と目的、死後の存在、心の持ち方等々を語って聞かせ、書物を貸してあげた。今日限り取り越し苦労を止めて、のびのびと生きるよう諭した。
私が奇蹟的治療の一ケースとしてこの患者を紹介したのは、奇蹟と言うと一般に瞬間的に治った場合を想像する傾向があるからである。確かにそういうケースも私は数多く体験している。
自分で歩けずに人に運んで貰って治療室まで来た人が、十分後には一人で歩いて帰ったなどと言うことも珍しいことではない。が、この例のように、ゆっくりと時間を掛けて一つ一つ病状を取り除いていく場合もよくある。それは治療家と患者の双方が自然の流れに根気よく順応していく努力を必要とする。
つまり治療と言うのはあくまでも自然の摂理であって、個々の条件次第でそれが早い場合と遅い場合とがあるということである。治療家はそこを読み取って、それに順応していかねばならない。
この患者の場合、もしも私が魔法の杖でも使って一瞬のうちに全快させてあげれば、本人はもとより私にとっても読者にとっても魂を揺さぶる感激的な話になっていたかも知れない。が、三カ月も四カ月もかかった治療の末に、ある日、「実は昨晩家内とダンスに行ってワルツを二度踊ったんですよ」と聞かされた時、私は言うに言われぬ感激を覚えたものである。
病気と言うものには患者一人一人にその人だけの特殊な背景がある。従って〝不治の病〟とされているものにもいろんな症状がある。その症状と背景との関係を全部探り出すことは私には到底無理である。そこには宗教的先入観、学校教育、個人的対人関係、環境などが複雑に絡み合っている。
その全てに通じようとすれば何カ月も調査と分析が必要であろう。実地に治療に携わっている私にはそのような時間も経験もない。
が幸いなことに、心霊治療家にはそんなことをしなくてもいい立場にあることも事実である。というのは、すべての治療に共通したパターンがあって、それが二つの段階で進行する。まず手をあてがうことによって痛みそのものが大幅に、時には完全に、消える。
これが第一段階である。次の第二段階では患者の心身の調和状態をもたらす。この心身の調和と言うのは説明が難しい。そこで具体的な譬え話で説明してみよう。
あなたが真夜中にふと目を覚ましたとする。カーテンを通して入ってくるかすかな月明りで時計を見ると三時である。もう一眠りしようと思いながら部屋の隅へ目をやると、そこにピストルを手にした人影が立っている。一瞬電気仕掛けにあったようにギクッとする。心臓が早鐘のように打つ。
ノドが渇く、助けを呼ぼうとするが声が出ない。こんな時あなたの血液中にはアドレナリンというホルモンがどんどん流れ込む。血圧が上がる。血が昇って頭が破裂しそうだ。身体の防御機能に警戒警報が鳴りわたる。出血した時に具えて血液の凝固力が増す。全身が汗でびっしょりになる。
あなたは賊に気づかれないように、そっと手を伸ばして電灯のスイッチを入れる。パット部屋が明るくなった。見るとその人影と思われるところに見えるのは椅子だけである。
その椅子に無造作に黒のコートが掛けてある。そのコートの腕のあたりに傘が置いてあり、その置き方がちょうど銃身をこっちへ向けているような恰好に見える。あなたは苦笑と共にホッと安堵の溜息をもらす。水を一杯飲んでから枕の位置を直し、やがて深い眠りに入る。
その間何分と立っていない。ふと目が覚めて危険を感じ、恐怖心で全身が汗びっしょりになり、それが目の錯覚と分かって安心し、そして再び眠りに入った。その間あなたはずっとベットの上にいて何一つ行動らしい行動はしていない。動いたのは心だけだった。
なのに一マイルもジョギングして来たか、ボクシングをしてきたかと思う程汗をかき、ぐったりと疲労を覚えた。全身の防御機能に「警戒警報」を発令したのも「警戒警報解除」を出したのも、あなた自身の心である。あなたの〝心の姿勢〟がそういう反応を生んだのである。
そうした人体の機能は意識的にコントロールすることができない。カッとなって人を撲ろうとしたとき、自制心さえあれば振り上げた手を下ろすことも出来る。が人体のいわゆる自律神経だけは、いけないと思っても抑えることが出来ない。
アドレナリンの分泌を止めたり血液の凝固力を下げたり脈拍や血圧をコントロールすることは出来ない。意識的に操作することは出来ないのである。それは〝心の姿勢〟の反応だからである。
つまり前の晩ベットへ入る前に意識して椅子にコートと傘を置いていたら、真夜中に目が覚めてそっちへ目が行っても、何の動揺もなくすぐまた寝入った筈である。それがなぜあのような動揺を生んだか。それはあなたの心が早合点から危険を感じ恐怖心を抱いたからである。ただそれだけのことである。
人体は間断なく化学物質と分泌物質を製造している。そしてそれをバランスよく各器官に送って健康を保っている。しかも、事態の変化に応じて多く出したり止めたりする。問題はその調整機能が間違った心の姿勢によって過労ぎみになったり混乱したり酷使されたりすることである。
病気の大半はそれが原因となっている。つまり間違った感情によって調整機能が痛みつけられたその結果が病気という形で表れているわけである。
一般の病院を訪れる患者の半数以上がそうした悪感情によって病気を誘発されているという結果が出ている。医学生が使うテキストには一〇〇〇を数える病名が記載されているが、その大半が感情が原因となっているというわけである。首筋の痛み、ノドの腫瘍、潰瘍、胆嚢炎、げっぷ、めまい、便秘、疲労感、神経痛、頭痛、背痛、坐骨神経、視覚異常、結合組織炎、食欲不振、肥満こうしたものがその代表的なものと言える。
感情によって誘発されたからと言って、実在しないものを病気と錯覚しているという意味ではない。現実に痛むのである。立派に病気なのである。決して想像上のものではないのである。
ではその調節機能を正常に保つにはどうすればいいのかということになるが、それは、生きる姿勢を正すことに尽きる。感情を無理やり抑えつけようとしてもダメである。日常生活における心の持ち方を根本から改めることである。
それには先ず何のために生きているのかと言う人生の原点に立ち帰らなくてはいけない。それについては後章で改めて説くことにしよう。私は患者が痛みや不自由さから解放されると、必ず人生の霊的真理の話をする。そして生きる姿勢を根本から改めさせる。
そうすることによって、さきに述べた〝心身の調和〟が成就される。これで本当の健康が得られることになる。
霊的真理を知ることによって、あなたは健康といっしょに人生まで立て直すことができる。ドロドロしたこの世的な問題に対してまったく新たな視点から対処できるようになる。いわば達観できるようになる。取り越し苦労、怒り、恨み、物欲、色欲、強情、こうしたものが消えて、愛と喜びと理解と霊的価値を求めるようになる。つまりあなたの心の姿勢が冷静、平穏、人のため、という姿勢になる。
すると身体機能もそれに呼応する。そこには病気の入る余地がなくなり、いつの間にか病気をしなくなる。同じ人生を、かつてあなたは下ばかり向いて歩いていたが、今や上を向いて歩くことになる。
ところで心霊治療に信仰心と言うものがどの程度必要かと言う問題がある。これは大切な問題である。多くの患者が私のところへ来て真っ先に言いたがるのは、私の治癒力を信じてやってまいりました、ということである。これには言葉通りに受け取れない要素がありそうである。
というのは、何が何でも治してもらいたいという願望から、その時だけ私を信じる場合と、大して期待はしていないが私の前では大げさに表現する場合とがあるように見受けられるのである。
そこで私は「無理して私を信じ無くてもいいんですよ」と言い。こうして不自由な体でわざわざ私を頼って来られたという事実だけで私には十分ですと説明してあげる。そして私の治癒エネルギーを誤解も偏見もなく素直に受け入れてくださいねとお願いする。
同じ治癒エネルギーを注入してあげても、その受け入れ方の度合いは患者によってまちまちである。霊的進化の程度の違い、症状の違い、環境の違いなどが関わっているからである。霊的真理を理解している人は素直な心で治療を受けてくれる。そういう人は病院でも間に合うような単純な異常でも私のところへ来る。そして素早く治ってしまう。
これと対照的なのが、心霊治療の何たるかを知らずに、それまで続けてきた一連の医学的治療行為の一つのつもりで、興味本位で来る人である。こういう人はものの考え方が異常で、したがって生活も異常なことが多い。病気もその異常な生活の反映に過ぎないのだが、本人は〝なんでも一度試してみるに限る〟と言った態度でやってくるから、霊的な反省はとても望むべくもない。
要するに私を祈祷師か妖術師かまじない師程度にしか見ていないのである。もっともこの種の人間は例外に属するが。
私が心霊治療師であることを強調するのは、病気が縁で私のもとを訪れる人は霊的体験をしに来るのだという認識があるからである。と言っても、真から健康を求めてやってくる人は中々いないものだ。いろんな魂胆でやってくる。心霊治療とはどんなものか試してやろうと言った好奇心から来る人もいる。
が私はそれでも縁だと思って、それを機会にその人の誤った考えを正してあげたり、二度とこんな真似はしないようにと諭してあげたりする。
要するに心霊治療は治すこと自体が目的ではなく手段なのである。病気を抱えて私を訪ねて来た人が、病気の回復と一緒に霊的自我に目覚める。あの医者この病院とさんざん迷い歩いて、やっと今、これまで思いもよらなかった道があることを知る。その自覚と霊的知識はこの地上生活を導くだけでなく、死の彼方に待ち受けている次の生活へも自信を持って案内してくれる。
あなたもいずれ〝死〟と言う大きな関門にさしかかる時が来る。私はこれまで自分自身の奇蹟的体験を紹介し、さらに治療家となってからの、私を訪れる人について参考になると思われる話をした。さ、こんどはあなたの番である。あなたは霊的真理にどれだけ目覚めておられるだろうか。
死をどう認識しておられるだろうか。それをこれから見ていこう。それが本書のいちばん大切なところでもあるのである。