Char's 1985

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 年 表 

 人 名 

 曲 目 

 DiscoGraphy 

 テレビ出演 

 ラジオ出演 

 雑誌掲載 

 江戸屋 

〜活動歴〜

Before Debut

  Idle  

Pink Cloud
 (J,L,&C) 

  BAHO  

Psychedelix

  SOLO  

 C,B,& A 

 other 

〜年表〜

〜1975 1976

1977 1978

1979 1980

1981 1982

1983 1984

1985 1986

1987 1988

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Char's Home

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日付名義タイトル
1985年 1月30日(水)Pink Cloud"Plain Pink" at 渋谷公会堂

Officail VTR "ピンク・クラウド"



日付名義タイトル
85年 3月 7日Pink CloudAnother World at 香港
85年 3月 8日Pink CloudAnother World at 香港


加部正義の認識では3月の香港のライブの後はバンドは解散し、Pink Cloudのことは忘れ、ゴールデンカップス時代の縁で東芝EMIから1985年12月21日に発売したソロ・アルバム「COMPOUND」の制作を開始した。

Charは自ら望んだとはいえ、好きなように創る音楽家とレコード会社との隔たりを打破すべく1984年をもって契約が終了したVAPから東芝EMIにレコード会社を移籍した。

行き詰まりを感じる状況を打開しようと、Vapレコードでの3人がやったものは何もが美化されビジネスとしてのレコードをどのようにパッケージしたら良いか、時には音楽的なアドバイスが出来るようなゼネラルなマネージャーがいない裸の王様状態を打開しようと東芝EMIのプロデューサーである石坂敬一氏を頼りに移籍を行う。
その東芝EMIへのお土産として日比谷野外音楽堂でアルバム「aLive」のレコーディングを行う。

しかしその半面、ミニ・アルバム「aLIVE」のレコーディングに先立ち加部正義はCharから

「これで最後」

と聞かされていた。

日付名義タイトル
85年 4月20日Pink Cloudレコーディング at 日比谷野外音楽堂



日付名義タイトル
1985年 4月26日(金)Pink Cloud横浜 ライヴ・スクエア・ビブレ
1985年??月??日Pink Cloud横浜 ライヴ・スクエア・ビブレ21


85年6月15日、30歳の誕生日を翌日に控えたチャーは成田から単身ロンドンに向けて出国し3ヶ月間滞在した。
88年3月23日に設立した江戸屋、そしてリリースしたアルバム「psyche」(88年6月発売)と「psyche II」(88年12月発売)のきっかけになった旅行である。
この旅行中、曲"Russiandrix"、

米米クラブ


日付名義タイトル
85年10月14日Charフジテレビ「冗談画報」放送
85年10月??日Char & His Friends'85 楽器 Fair at 北の丸公園 科学技術館
85年10月??日ミッキー吉野'85 楽器 Fair at Science Hall

Tommy Snyderと共にゲスト出演。


東芝EMIに移籍後、同じ東芝EMIに所属する忌野清志郎とK,L,J,&C(清志郎、Johnny、Louis、& Char)名義でライブを行う。


日付名義タイトル
1985年11月 2日(土)忌野清志郎,J,L,& Char明治大学 大学祭 「真夜中の雰囲気一発#4」
1985年11月 4日(月)忌野清志郎,J,L,& Char大阪芸術大学 大学祭
85年11月23日忌野清志郎,J,L,& Char一橋大学学園祭

  • 自由
  • Gone Gone
  • 誰かがBedで眠ってる
  • マイガール
  • 猿も木から落ちる
  • Lonely Night
  • 4月のサンタクロース
  • つきあいたい
  • (ENCORE)
  • 長い髪の少女
  • サマータイムブルース
  • 85年12月 6日(金)忌野清志郎,J,L,& CharGATSBYライブ The Day of Rock at 武道館





    日付名義タイトル
    85年12月13日竹中尚人バンド(ザ・ボウズ)横浜ビブレ
    85年12月20日竹中尚人バンド(ザ・ボウズ)大阪キャンディホール



    加部正義は制作していたソロ・アルバム「COMPOUND」を1985年12月21日に発売している。

    当時のことはファンクラブの会報「EDOX」と「DIBS」に連載されていた「Char's Perfect History」の第5回(DIBS Vol.1)に語られている。

    また加部正義がネット上でエッセイ「気ままに生きる」でフィクションとして語っている。