大佛次郎 おさらぎ・じろう(1897—1973)


 

本名=野尻清彦(のじり・きよひこ)
明治30年10月9日—昭和48年4月30日 
享年75歳 
神奈川県鎌倉市扇ガ谷1丁目17–7 寿福寺(臨済宗)



小説家。神奈川県生。東京帝国大学卒。長兄は随筆家、天文民俗学者の野尻抱影。大正13年娯楽雑誌『ポケット』に始まった『鞍馬天狗』の連作が認められ作家生活に入る。『赤穂浪士』『由井正雪』『帰郷』『宗方姉妹』『旅路』『パリ燃ゆ』などがあり、『天皇の世紀』は絶筆となった。昭和39年文化勲章を受章。



 


 

 僕は、一日も早く老人に成りたいと願っているのだ。若いと言うことが好いとは考えなく成っている。変わりましたよ。
美は絶対に静かなものの中にしかない、と、いつからか断定めいた結論を下そうとする気持ちが生れているのに自分も当惑を感じていた。これは現代に背くことであった。奈良や京都の古い寺にしきりと心が惹かれているばかりでなく、画にしても現代よりも、過去のものほど優れたものが多いように考え始めているのであった。時代おくれのそしりを受けることなどは平気なのだが、(中略)自分がいつの間にか老人臭く成って了って、現代人の新しい努力から遠ざかろうとしているのだと考えると、不勉強のようで気に成るのであった。                                   
                                   
(彼)

 


 

 鎌倉の長谷にある大佛裏に住んでいたため大佛の筆名を用いたという大佛次郎。
 大正13年に連作を始めた『鞍馬天狗』が運命を開いた。大衆小説、風俗小説、ノンフィクション、童話、戯曲、随筆など、多岐にわたる文筆活動を通して、軽薄を嫌い頑固なまでに骨太く生きた大佛次郎の文学であった。
 大作『天皇の世紀』連載開始翌年の昭和43年春、ついに東京築地の国立ガンセンター中央病院に入院し、開腹手術をする。その後ほとんど切れ目なく入退院を繰り返し、病床日記『つきぢの記』を遺して昭和48年4月30日午後2時7分、転移性肝臓がんのため逝去した。これによって幕末から明治への移り変わりを実証的に描いた『天皇の世紀』は未完となった。



 

 「源実朝」、『北条政子』、「高浜虚子」などを葬るこの寺の墓地は、くぐもった冬空に吊り上げられたようにぽっかりと浮かび、「やぐら」を背負った「大佛次郎墓」は、父「野尻政之助の墓」と並んで深閑と鎮まっていた。岩盤の切り取られた「やぐら」の暗闇をじっと透かしていると、いまにもあの剣士・倉田典膳が颯爽と現れてくるのではいう気がしてくる。 
 ——〈それまでいうのならいってつかわそう、覚えて帰ってお守りにでもして貰おうか、拙者の名は‥‥鞍馬天狗、おわかりかな〉——。
 平成26年の大晦日に訪ねたときには「大佛次郎墓」の位置が変えられ、竹囲いの設えられた石庭風の空間にさっぱりとした碑面を向けていた。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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