◎正村俊之著『主権の二千年史』(講談社選書メチエ)

 

 

二〇一八年の刊行だからかなり古く、読むのは二度目。今回は前置き無しでさっそく「プロローグ」から参りましょう。まず次の指摘に着目しましょう。≪西洋中世社会は近代民主主義の形成にとって何の影響も及ぼさなかったのだろうか。かつてマックス・ウェーバー(一八六四〜一九二〇年)は、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(一九〇四年)の中でプロテスタンティズムが意図せざる結果として近代資本主義の形成を促したことを明らかにしたが、近代民主主義に関しても、キリスト教との関連が検討されなければならない(10頁)≫。これを読んで、私めと同じように「おや〜〜ん?」と思った人がいるかもしれない。≪西洋中世社会≫とあるのだから、その当時のキリスト教はプロテスタントではなくカトリックだったはず。ちなみにウィキには「中世後期(ちゅうせいこうき)は、西洋史学における中世盛期の後に続く1415世紀頃(c. 1300-1500年)の時代を指す時期区分である」とあるので、それが一般的な定義なら、ルターさんの宗教改革は一六世紀なので中世にはまだプロテスタントは存在しなかったことになる。だからマックス・ウェーバーはプロテスタントを対象にもの申したわけだけど、≪西洋中世社会≫とある以上、引用文中の≪キリスト教≫とはカトリックにならざるを得ない。でも心配はいらない。人類学者のジョセフ・ヘンリックは大著The WEIRDest People in the WorldFarrar, 2020)(邦訳は『WEIRD「現代人」の奇妙な心理―― 経済的繁栄、民主制、個人主義の起源』(白揚社)として刊行されている)で、近代のWEIRDな西欧社会の成立にカトリックが大きな影響を及ぼしたと論じている。WEIRDとは、Western(欧米の)、Educated(啓蒙化され)、Industrialized(産業化され)、Rich(裕福で)、Democratic(民主主義的な)文化という意味で、最後のDは民主主義を指す。よってヘンリックは、まさに「西洋中世社会(彼の場合はカトリック)は近代民主主義の形成に影響を及ぼした」と主張していることになる。このヘンリックの大著は、邦訳でなく原書でも、このメチエ本よりあとに刊行されているので、メチエ本の著者がヘンリック本を読んでいるはずはないが、のちの章で実際にカトリックが近代民主主義の形成に影響を及ぼしたことが論じられている。

 

「プロローグ」からもう一箇所引用しておきましょう。次のようにある。国民主権は、一人一人の国民にとっては、選挙の際に一票を投ずる権利にすぎないように見える。けれども、国民主権を個人の権利問題に還元することはできない。国民主権(人民主権)とは、人間が自らの意志に基づいて社会を統治する仕組みを表しており、西欧社会がたどった特異で、しかも長い歴史を経て形作られたものである。イギリスやフランスでは、国王が主権を握る絶対主義国家から、国民が主権を有する国民国家へ移行していったのは一七世紀から一九世紀にかけてであるが、そのような主権の歴史的変遷を理解するためには中世にまで遡る必要がある(11頁)≫。ここでも近代民主主義というより主権概念の起源を辿るには中世まで遡る必要があることが強調されている。続けて次のようにある。≪そして、国民主権の仕組みを支えているのは、憲法や普通選挙制度といった法的・政治的な要因だけではない。本書で述べるように、近代民主主義の存立には、政治と法、政治と宗教、政治と経済の関係を規定するさまざまな要因が関わっている。特に政治と宗教の機能分化は、中世以来の長い歩みの中で達成された。国家主権を根幹に据えた近代民主主義は、政治、経済、法、宗教が相互に機能分化を遂げ、政治システムが他の機能システムから自律する中で成立したのである(11〜2頁)≫。

 

ということで本論の最初の章「第一章 近代民主主義とは?」に参りましょう。最初に≪近代社会の政治システムを権力循環のシステムとして定式化した(14頁)ニクラス・ルーマンの議論に言及される。オートポイエーシス理論に依拠するニクラス・ルーマンの理論はややこしいので(一冊どれかの大著を英訳で読んだことがあるが、ヘタレの私めに歯が立つ本ではなかった)、ここでは政治システムに関して述べられている箇所のみを引用する(ちなみにこれまで「ヘタレ翻訳者の読書記録」で扱った本のなかでルーマンが取り上げられていたのは『社会学の新地平』くらいしかない)。次のようにある。≪要するに、近代社会の政治システムというのは、「与党/野党」という二項コードのもとで、コミュニケーション・メディアとしての権力が国民の間で循環するシステムを表している。国民(有権者)が与党と野党のマニフェストに照らして政治家を選び、政治家が議会で法や政策を決定し、官僚が法に基づいて政策を遂行するプロセスは、すべて権力に媒介されたコミュニケーションであり、このプロセスを経て、国民の権力は国民自身に及ぶことになるのである。¶権力循環には、国民が行政機関に圧力をかけ、行政機関が立法機関に影響を与えるという、もう一つのタイプが存在するが、いずれにしても、政治システムは、主権者たる国民の権力が立法機関や行政機関に媒介されながら、最終的には国民自身に及ぶ権力循環のシステムである。ルーマンは、国民(有権者)の投票行動から始まる権力循環を政治システムの「公式的側面」、それとは逆の権力循環を「非公式的側面」とした(16頁)≫。近代の政治システムが≪コミュニケーション・メディアとしての権力が国民の間で循環するシステムを表している≫というくだりは興味深い。ちなみに、ルーマンは本書で何回か言及されているので、著者の考えの少なくとも一部には、オートポイエーシス理論に依拠するルーマンの社会学理論があるのだろうと思われる。

 

さらに近代法について次のようにある。≪近代法は、主権者の政治的意志に基づいて制定・改変される実定法であり、憲法もその一つである。実定法の特色は、法の変更を合法的に認めている点にある。法を改変するための手続きが法自体の中で規定されており、手続き法に従えば、法を合法的に改変することができる(Luhmann 1972)。近代法の場合、法は政治的意志に基づいて制定・改変されると同時に、法体系の頂点をなす憲法と整合的な仕方で形成される。したがって、憲法は政治システムと法システムの結節点をなしている。¶以上のように、政治システムは、権力循環のシステムとして他の機能システムから自律しつつ(システムの閉鎖性)、同時に税を介して経済システムと、また憲法を介して法システムと構造的にカップリングしているのである(システムの開放性)(18〜9頁)≫。もちろん日本国憲法も実定法なので、憲法自体の改正手続きが第96条で規定されている。以上の引用にあるような実定法の仕組みは、ルーマンの考え方からすれば当たり前田のクラッカーなのですね。たとえば先にあげた『社会学の新地平』にルーマンに即して次のようにある。≪国家にせよ企業にせよ、産業社会における組織は互いに競争する関係にある(…)。ある組織、例えば特定の国家が新たな動きをみせれば、並列する同種の組織、すなわち他の国家もそれに対応せざるをえない。そうした組織間の競争は別種の組織にも影響する。国家の政策が変われば、企業もそれに対応せざるをえない。¶一つ一つの組織からみれば、こうした多重の相互作用は自分自身の環境がたえず変化していくことを意味する。つまり、産業社会における「合理的組織」はつねに変動する環境の下に置かれている。そのなかで新たな変化を具体的に見出し、対応していかなければならない。(…)言い換えると、組織における決定は時間とともに進んで行く。そのなかで適切な決定をして環境の変化に対応していかなければならない。効率という点でも、時間は重要な要素になる。同時多発的な業務処理をうまくできるかどうかは、「合理的組織」にとって死活問題である(同書208〜9頁)≫。つまり国家を含めた組織は、時代の変化に流動的に対応できなければならないのですね。それは近現代の立憲民主主義国家の根幹をなす憲法にも当てはまる。そのような流動性を失って硬直した組織は、とりわけ21世紀のような激動の時代にあっては瓦解に至らざるを得ない。このあたりの組織論はきわめておもろいけど、長くなるのでここではその程度にしておく。興味があれば、まず『社会学の新地平』あたりから読み始めるとよろしいのではないかと。

 

次に著者は近代民主主義を構成する三つの要素として、人民主権、立憲主義、代表原理をあげ、それぞれについて説明している。主権に関しては次のようにある。≪主権とは「至上の権威・権力」を意味している。主権が通常の権力から区別されるのは、主権が絶対的・恒久的な立法権として現れるからである。つまり、通常の権力が法に拘束され、法の内側に位置するのに対して、主権は法の制定・改変を行いうる権力として、法の外側に位置しているのである。いかなる法に対しても、その外側に立ちうるところに、主権の絶対性・恒久性を見て取ることができる(19頁)≫。次に立憲主義について次のようにある。≪民主主義と立憲主義は、しばしば近似的な概念として理解されているが、立憲主義は、法によって権力濫用の防止をはかることを目的としているので、人民に絶対的な権力を付与する人民主権と対立する可能性を孕んでいる。人民主権の立場に立てば、人民(国民)は法を人為的に制定・改変しうる絶対的な権利を有しているが、立憲主義の立場に立てば、いかなる権力行使も法に準拠しなければならない。つまり近代民主主義において、主権者の権力は、法に優越すると同時に(人民主権)、法に従属する(立憲主義)、という相反的な規定を与えられているのである(21頁)≫。≪立憲主義の立場に立てば、いかなる権力行使も法に準拠しなければならない≫というくだりに注目されたい。「憲法は政府の権力行使の暴走を防ぐためにある」などといったツイを見かけることがある。その見方がおかしいことはこれまで何度か指摘してきた(最近では『憲法学の病』を参照されたい)が、そのことは、この記述によってもわかる。それによれば、本来は人民主権による権力行使(そこには政府による権力行使も含まれることは確かとしても)の暴走を防ぐことにその目的があるのだから。続けて次のようにある。≪この問題を解決可能にしているのが、近代の実定法を基礎にした、政治システムと法システムの構造的カップリングである。実定法としての近代法は、法の変更をも合法化し、人間の自由意志によって改変される一方で、改変手続きを法的に定めている。法体系の頂点に位置する憲法も手続き法を組み込んでいる。実定法としての憲法を介して、政治システムは法を人為的に生成する権力の論理を貫徹すると同時に、法システムは権力行使を法的に規制する法の論理を貫徹することができる。¶こうして、政治システムと法システムは、それぞれ自己決定性を維持しながら相互に規制し合っている。別の言い方をすれば、近代民主主義は実定法を基礎にして、人民主権と立憲主義を両立可能にしているのである(21〜2頁)≫。そもそも憲法の根本的な存在意義は、人民主権と立憲主義を両立可能にすることにあるらしい。ちなみに「実定法」の概念は、今後の章でもかなり頻繁に言及されるのでしっかりと頭に入れておきましょう。代表原理に関しては個人的に特に目を引いた記述はなかったので、ここでは省略する。

 

お次は「第二章 近代民主主義への道」。この章では近代民主主義の萌芽がすでにキリスト教に支配された中世社会に胚胎していたことが論じられる。まず≪古代ギリシアが超えられなかった限界を西欧中世社会が突破できたのはなぜか(42頁)≫という問いを立てて、その重要な手がかりを、次のように有名なエルンスト・カントロヴィッチの『王の二つの身体』に見出している。≪中世における王権表象の歴史的研究を行ったカントロヴィッチは、絶対主義時代の王が生身の王にそなわる可視的な「自然的身体」と、政治組織を象徴する不可視の「政治的身体」という二重性を帯びていることに着目し、それが中世における王権表象の変容の帰結であることを明らかにした。そして、中世における王権表象の変容を「キリストを中心とする王権」、「法を中心とする王権」、「政体を中心とする王権」、「人間を中心とする王権」という四つの段階に区分した(43頁)≫。著者は次に、この変容を具体的に説明しているが、細かくなるので次の結論だけを引用しておく。≪こうして、西欧中世社会は「王=司祭」という王権観念からスタートし、法や団体の理論に媒介されながら、最終的には人間を中心に据える王権観念へと移行した。絶対主義時代の王権は、王権神授説を唱えたとはいえ、王を「キリストの似姿」とみなした一二世紀以前の王権と同じではない。王は神に従属しつつも、国家という団体の長として君臨した。自然的身体と政治的身体という王の身体の二重性は、このような歴史的背景の上に成立したのである(45頁)≫。それから次の指摘はなかなか興味深い。≪中世社会が近代社会に移行するには、人的支配が領域的支配に転換され、公私の二元的構造が確立されなければならなかった。この変化は、後述するように、さまざまな要因に支えられていたが、とりわけ重要な役割を果たしたのがキリスト教の存在だった。「カトリック」が「普遍」を意味しているように、カトリック教会はキリスト教的理念に基づいて世界の普遍的な統合を目指した。普遍主義的な志向をもつキリスト教は個別主義的な原理に立脚した封建制とは対照的であるが、西欧中世社会は、この二つの原理をいわば「車の両輪」とする社会であった(48頁)≫。この記述からもわかるように、冒頭で取り上げた「キリスト教」とは間違いなく「カトリック」を指していることがわかる。≪公私の二元的構造≫については、≪後述するように≫とあるとおり「第三章 近代民主主義の成立と構造」で説明されているのでしばし待たれい。

 

次に中世前期における「聖俗二元体制の形成」と、中世後期における「教会の国家化と国家の教会化」が説明されているけど、直接近代につながる後期だけを取り上げる。たとえば次のようにある。≪こうして、ローマ教会は法的・思想的な次元では教皇至上権を確立し、社会的・組織的な次元では階層的な教会組織を構築した。キリスト教は「神と人」の媒介を通じて「人と人」を結合する供犠の形式を継承しただけでなく、普遍化したのである。その結果、垂直的次元では教皇権力が階層的な教会組織を通じて底辺にまで浸透するとともに、水平的次元ではキリスト教の理念を共有する広域的な文化圏が形成された。その際、ローマ教会はローマ帝国を模倣し、ローマ法に依拠して古典的なカノン法を編纂した。西欧社会では一二世紀初頭に聖界と俗界が分離したが、その上で聖界の世俗化が進んだのである。¶そして、聖界の中で起こった変化は、今度は俗界に反映された。聖界の俗界化(教会の国家化)に続いて、俗界の聖界化(国家の教会化)が起こったのである。一二世紀以降における封建社会の発展は、個別主義的な人的支配が普遍主義的な領域的支配に転換されていくプロセスでもあるが、そこで重要な役割を果たしたのも教会組織とキリスト教的理念だった(60〜1頁)≫。個人的に何が興味深かったかというと、≪垂直的次元≫は私めが高らかにブチ上げる縦糸・横糸理論の縦糸に、また≪水平的次元≫は横糸に対応するように一見すると思えるから(縦糸・横糸理論については最近取り上げた『世界秩序』などを参照されたい[ページ内検索キーワード:縦糸or横糸])。でも、実際はまったく違う。なぜなら、引用にもあるようにカトリックは「普遍化」を目指していたのであって、これは現代のグローバリゼーションに近く、(ただし中世のことなので「グローバル」と言ってもヨーロッパ世界に限定されるが)、私めの言う横糸が国家間、つまりインターナショナルとはまったく異なるから。そもそも私めの縦糸・横糸理論の基盤は国民国家にあるのであって、中世には国民国家はまだ成立していなかった。ということは、現代のグローバリゼーションは、まさに近世・近代を隔てた、中世カトリック社会への先祖返りと捉えられるかもしれないよね。ただし現代のグローバリゼーションは完全に世俗化されており、中世社会のように神の目による監視という要素がまったく欠落しているので、何でもありに近い状態と化しているのが大きく違うと言えるかも。この問題は、メチエ本では、やや異なる文脈からの議論にはなるが、「第四章 近代民主主義の揺らぎ」で詳細に論じられている。

 

また縦糸・横糸理論の横糸に関連しそうな次の記述は興味深い。≪都市の誕生と発展は領主権力と必ずしも対立するものではなかった。都市領主に対して武力的な抵抗を示した都市はむしろ例外的で、国王をはじめ都市領主が計画的に建設した都市も数多く存在した。というのも、都市領主は都市民の安全を保障し、都市民に特許状を与える代わりに、都市民から市場税や通行税などを徴収することで、互いの利害が一致したからである。中世都市の「自治と自由」を語る上で有名なのは一一世紀後半から一二世紀にかけて生じたコミューン運動であるが、この運動も「神の平和運動」を背景に発展したものであり、世俗権力からの独立というよりも都市の領域平和を目指す運動だった。¶いずれにせよ、「自治と自由」という特権を獲得した中世都市は、都市民の水平的結合を基礎にした団体だった。都市では、誰でも一年と一日住むことで都市民になる資格が与えられた。商工業の拠点として市場と市壁を有し、固有の法と裁判所をそなえていた西欧の中世都市を東洋および古典古代の都市と比較したマックス・ウェーバーは、その固有性を市民の「誓約的・兄弟盟約的」な性格に求め、氏族的・呪術的な絆を断ち切る際に果たしたキリスト教の意義を重視した(64〜5頁)≫。『シン・アナキズム』でも、このようなコミューンやアソシエーションの水平的結びつきが強調されていたが、そこでも書いたように横糸だけ重視しても縦糸を無視したら社会は成立しない(あっと、これはメチエ本の批判ではありません)。中世社会の場合には、前述のように縦糸はカトリック教会と見なせようが、そのカトリックは現在で言えばグローバリズムに近い均質化(ヨーロッパに限定はされるが)を目指して、むしろ縦糸と横糸をなし崩しにしようとしていた。まあ中世社会の縦糸をあえてあげるとするなら、それは神の目だったと言えるかもしれない(ロックだったと思うが、抵抗権を擁護した理由の一つは、この中世以来の「神の目」の垂直的な統合力を前提としていたからという話もある)。ところが世俗化された現代のグローバリズムにおいては、その神の目さえ存在しない。この縦糸、横糸の関係についてメチエ本には次のようにある。≪要するに、封建社会という個別主義的な原理に立脚した社会の中にキリスト教の普遍主義的な原理が浸透したことによって、垂直的次元では王権が公権力へと成長し、水平的次元では市民間の団体的結合が発展したのである(66頁)≫。

 

また引用文中にある≪王権≫に関して次のように述べられている。≪こうして、封建国家から身分制国家に至る過程で、王権は二重の意味で質的な変容を遂げた。¶まず第一に、王権を支える組織は、私的な諮問機関にすぎなかった宮廷会議から、身分制議会という国民的な代表者から成る公的な審議機関に移行した。この変化は、諸侯の国政への参加が「国王個人への私的・封建的奉仕であった段階から、非個人的な国家への公的で国民的な奉仕に転換する過程であった」(…)。つまり、王権が王という一大封建領主の私的権力から、国家という団体を統治する公権力へと転換したのである。¶第二に、このこととも関連するが、身分制議会に代表原理が組み込まれたことによって、王権を正当化する根拠も変化した。身分制議会は、王権支配の一翼を担っていたとはいえ、団体構成員の同意を得るための機関であった。このことは、王権が団体構成員の全体的意志に拘束され、ひいては人民の意志に立脚する可能性を生み出した。一二世紀以前の王権が神という超越的な存在に基礎づけられていたのとは対照的に、「秩序の根源を政治的共同体自体のうちに求め、秩序を下から上に向って積み上げて行く傾向が強まって行くのである」(71〜2頁)≫。つまり神の目に依拠する中世のトップダウンの王権は、徐々に政治的共同体を基盤としたボトムアップの体制へと変化していったことになる。そして近代になって、この体制を担保する国民国家が生まれたことになるのでしょうね。ところが何度も言うように、現在のグローバリズムは、中世的なあり方への先祖返りをしているように思える。そのことはとりあえず置いといて、トップダウンからボトムアップへの移行に関して、同様なことが次のように述べられている。≪中世のキリスト教は近代民主主義の形成に多面的な影響を及ぼしたが、その第一の意義は、教皇至上権という絶対的・普遍的な権力を創出したことにある。神に由来する教皇至上権と人民の意志に根差す人民主権は正反対のベクトルをもつが、どちらも絶対的・普遍的な権力である。教皇至上権は、それを転倒させれば人民主権と重なるような権力形態なのである(75頁)≫。それからこのような転倒の現れを、中世の逆遠近法から近代の遠近法への移行に関する、美術史家エルヴィン・パノフスキーの理論になぞらえている。パノフスキーのこの理論は彼のどれかの著書で読んだことがあるけど、それをここでの議論に持ってくるのは、確かにおもろいとは言え、牽強付会、我田引水という印象がないとは言えない。

 

ということで、次は「第三章 近代民主主義の成立と構造」。まず絶対主義国家の過渡的性格に関して次のように述べられている。≪絶対主義国家は「王朝国家」であり、国政と家政が完全に分離されてはいなかった。ヨーロッパでは、三十年戦争後に締結されたウェストファリア条約(一六四八年)を機に、国境を画定して国家間の勢力均衡のもとで近代的な国際秩序を創出する動きが始まるが、それ以後も国家間の戦争が絶えなかった。国際戦争が多かったのは、絶対主義国家が王朝国家として王家の私的な利害を追求していたためである(87〜8頁)≫。とすると、国民国家の成立はウェストファリア条約締結後という一般的な理解があると思うけど、この「後」は「直後」ではなく「かなり後」ということになりそう。それから次の指摘を引用しておきましょう。≪絶対主義国家の過渡的性格を端的に示しているのが王権神授説である。王権神授説の提唱者でもあったジャン・ボダンは立法権を主権の第一の属性として挙げたが、主権国家が地上の権威に対して超越的であるのは、主権者たる国王が「神の代理人」だからだと考えた。¶王権神授説に従えば、国王の権威は神から授けられたものであり、国王は神に対してのみ責任を負う。絶対主義の時代になるとカトリック教会の権威はもはや失墜しており、カトリック教会が脱落しているところに中世との違いがある。とはいえ、王権は依然として宗教的権威を帯びることによって正当化されたのである(89頁)≫。ということは、絶対主義時代に入ってカトリック教会の権威が失墜したあと教皇至上権を引き継いで≪神に対してのみ責任を負≫っていた王権が、さらに転倒して人民主権になったということになり(これについては以下の引用を参照)、だからこそロックのような御仁が抵抗権の概念を提唱する際に、神の目をその基盤として考えていたのでしょう。近代になって世俗化が進むとこの「神の目」は捨象されてしまい、「抵抗権」は権力に対する無条件の反抗権として捉えられるようになってしまうのですね。

 

教皇至上権から王権への移行については次のようにある。≪絶対主義国家も政治と宗教が分離していく途上にあった。王権神授説を唱えた絶対主義国家は、宗教的権威を持ち出した点で中世国家の延長線上にあるが、宗教を自らの政治的意志に従属させ、カトリック教会から解放された至高の権力を目指した点で、近代国家の性質をそなえていた。絶対王政が「神の代理人」という古い王権表象に頼ったのは、地上に存在するいっさいの権威に拘束されることなく自らを正当化するためである。西欧の歴史を振り返ってみると、中世後期は「中世の中の近代」、近代前期は「近代の中の中世」という様相を帯びていたが、中世から近代へ飛躍を遂げる際、西欧社会は皮肉なことに古代への回帰を目指した。ちょうど、ルネサンスが古代ギリシア・ローマの文化的復興をはかり、宗教改革が古代的・中世前期的なキリスト教精神への回帰をはかったように、古代的な王権表象に立ち返ることによって中世的な王権表象を乗り越えようとしたのである(95〜6頁)≫。二段落目(¶が段落替えを意味する)の記述はとりわけ興味深い。というのも、現代のグローバリズムが近代を隔てた中世の普遍主義への回帰だとすれば、その近代は中世を隔てた古代への回帰であることが示唆されているから。なんか隔世遺伝みたいね。

 

それからユルゲン・ハーバーマスの指摘に基づく「公私」の分離の捉え方は興味深いのでここに引用しておきましょう。次のようにある。≪西欧社会では一七世紀から一九世紀にかけて「私」と「私」の分離をともないながら「公」と「私」の分離が進んだが、その際、「公と私」の区別は、国家と個人の間に設定されただけでなく、双方の内部で反復された。このことを指摘したのは、公共性の生成と変容を論じたユルゲン・ハーバーマス(一九二九年生)である(97頁)≫。≪「公と私」の区別は、国家と個人の間に設定されただけでなく、双方の内部で反復された≫とは、いったいどういう意味か? それについて次のようにある。≪ハーバーマスによれば、中世の封建社会では、私生活圏から切り離された公共的世界が成立していなかったとはいえ、「支配権の公的表現」は存在していた(Habermas, 1962)。君主は、不可視の存在を可視化するという意図のもとに、位章(印綬と武具)、風貌(衣装と髪型)、挙措(会釈と態度)、話法(挨拶と一般に様式化された語法)を駆使して自らの高貴さと支配権を民衆の面前で具現した。この「代表的具現の公共性」はルイ一四世の宮廷儀礼において頂点に達したが、その頃を境に宮廷は国王の私的な生活圏に変貌していく。国家は、官僚制や軍隊という公的領域と宮廷という私的領域に分離していったのである。¶一方、「代表的具現の公共性」に代わって登場してきたのが「市民的公共性」である。最初はコーヒーハウスやサロンにおける「文芸的公共性」、のちにはマスメディアによる世論形成をともなう「政治的公共性」が立ち上がった。そして、「公権力の領域」が公としての国家(官僚制と軍隊)と私としての宮廷に分割されたように、「私的(民間)領域」も「公」としての「市民社会」と「私」としての「小家族的内部空間」に分割されたのである(97〜8頁)≫。

 

そしてその結果、次のような新たな問題が生じる。≪こうして近代社会において「公と私」は、それぞれの内部で「公と私」の分離を反復しながら分離した。(…)「公と私」、「私と私」が分離したとき、一つの問題が発生した。分離された「公と私」、「私と私」はどのように接合されるのか、という問題である。絶対王政のように、私とのつながりをいっさい欠いたまま王権の公共的性格を主張しようとすれば、神に頼らざるをえなくなる。しかし、聖俗二元体制の崩壊によって聖なる世界を失った社会の中で神の権威に頼るのは矛盾以外の何ものでもない。¶一八世紀の市民社会の中で、分離された「私と私」を結節しながら、絶対主義的な公権力に対抗する「公」として現れたのが、ハーバーマスの言う市民的公共性である。市民的公共性こそが「私と私」、「公と私」を結節する回路だった。ところが、この市民的公共性も、ハーバーマスが指摘したように、自由主義的な資本主義が終焉を迎える一九世紀後半に変質し、崩壊していくことになる。¶そして、自律的な公共圏の崩壊と入れ替わりに登場してきたのが、近代民主主義だった。イギリス、アメリカ、フランスいずれの国においても、男子普通選挙制度が確立されたのは一九世紀後半である。さらに、女性を含む完全な普及選挙制度が導入されたのは二〇世紀初頭である。近代民主主義は、市民的公共性に取って代わる、「公と私」、「私と私」を結節する新たな制度的回路として立ち現れてきたのである(98〜9頁)≫。そしてこの近代民主主義における機能的に分化した政治システムの形成の基盤に、この「公と私」、「私と私」の分離があることが≪「私と私」の分離をともなう「公と私」の分離こそ、近代社会の機能分化をもたらす基礎的条件であった(100〜1頁)≫と論じられる。

 

そこではおもにルーマン理論が参照されているけど、個人的によくわかっていないルーマンに関する部分はスキップし、国民国家との連関を含む次の重要な指摘を引用しておくに留める。≪国民国家と近代的個人は、「公と私」という二項対立的な関係にありながら、どちらも公と私の両面をそなえている。しかも、国民国家は近代的個人と同様に、内部と外部を厳格に区別する境界を有している。理念的には、近代的個人が状況的変化に抗して一貫した行動をとりうるように、国民国家も他国に影響されることなく国内を自らの意志で統治することができる。近代的個人を小文字の近代的主体とするなら、国民国家は大文字の近代的主体だと言える。国民国家と近代的個人は、「公と私」の分離から派生した相関項なのである。¶近代社会は、このような近代的個人と国民国家の二項対立的な関係を創り出した。その対立する二項を結節していたのが機能分化の構造である。言い換えれば、機能分化を支える一方の極が近代的個人だとすれば、他方の極が国民国家である。近代的個人と国民国家は、機能分化を介して成り立っている。この三つはいわば三位一体的な構造をなしており、いずれを欠いても成り立たない。その意味で、機能分化の基礎的条件は、国民国家と近代的個人を生み出した「公と私」、「私と私」の分離にあったのである(102〜3頁)≫。近代民主主義を可能にしている近代的個人と、国民国家が機能分化を介して三位一体的な構造をなし、いずれを欠いても近代的個人も国民国家も機能分化も成り立たないというのは、まさに近代民主主義の成立においては、国民国家がきわめて重要な役割を果たしていることを意味する。私めが、国民国家は縦糸を構成する要素の最大単位であると見なしている理由の一つもここにある。≪近代的個人が状況的変化に抗して一貫した行動をとりうるように、国民国家も他国に影響されることなく国内を自らの意志で統治することができるというくだりに注目されたい。国民国家という存在がまずあって、それを基礎にして横糸を織り込まなければ、近代民主主義それ自体が瓦解するのですね。だからこそ、縦糸も横糸もバラして世界を均質化しようとするグローバリズムは、民主主義的な社会それ自体を破壊することにつながる。それから著者は、機能分化の条件として、≪「公と私」、「私と私」の分離≫という基礎条件の他にも、「領域的限定」「規範的限定」「方法的限定」という三つの追加条件をあげている。それぞれについて見ていきましょう。

 

まずは「領域的限定」から。それについて次のようにある。≪人民主権の理念は一四〜一五世紀のパドヴァのマルシリウスやクザーヌスによって提唱されたが、近代民主主義において実現されたのは人民主権ではなく、国民主権である。人民を複数の国民に分割する領域的限定を通じて、国民が主権者となり、権力が国民国家の領土内で作動するようになった。¶国民国家と機能分化が一九世紀に確立された際、国民国家がすべての機能システムの共通の土台になりえたのは、国民国家が領土と構成員の両方に関して内部と外部を厳格に分割し、国内全域に対して自律的な統治を行う国家になったからである(105頁)≫。この条件はまさに、国家が縦糸・横糸の構造全体を支える役割を果たしていることの確たる証左になる。近代民主主義は国家なくしては存在し得なかったということ。そして著者は領域的限定に関する結論として次のように述べている。≪こうした領域的限定を通じて、国民国家の内部で権力を循環させる基礎が整えられた。絶対主義国家から国民国家への移行は、主権の所在を国王から人民に移動させ、下降的権力を上昇的権力に転換させただけでなく、領域的限定によって人民主権を国民主権として具現したのである。とはいえ、領域的限定は至上の権力を有する主権者と権力の作動範囲を特定したにすぎない。閉鎖的な権力循環の回路を創り出すためには、さらなる機能集中としての限定が必要だった(107頁)≫。実のところフランス革命に強い影響を及ぼしたとされるルソーは、一般意志に基づく人民主権という概念を提起している。だからフランス革命は≪主権の所在を国王から人民に移動させ、下降的権力を上昇的権力に転換させ≫ることには成功したものの、≪領域的限定によって人民主権を国家主権として具現≫することには成功しなかったのかもしれない。

 

ということで次の「規範的限定」に参りましょう。次のようにある。≪近代の実定法では、過去の伝統や慣習に拘束されることなく法を人為的に改変することができる。第一章で述べたように、権力を法に従属させる近代立憲主義と、法に対する権力の優位を認める人民主権の間には緊張関係があるが、実定法は、法の人為的な制定・改変を認めると同時に、それを手続き法に従わせることで両立をはかった。こうした実定法の性質は、存在と当為が分離し、法が宗教や道徳から切り離されることによって獲得されたのである。宗教も道徳も規範的機能を担っているが、法を宗教や道徳から切り離し、社会規範を実定法という特殊な法形態に限定していくのが規範的限定である(108頁)≫。直接的には関係のない話だけど、ロールズの『正義論』(きっとあとで紀伊國屋さんに褒められるに違いない)も、この規範的限定を提供する考えだと見なせるように思える。個人的には中間粒度を重要視しているので、リベラリストのロールズよりサンデルらのコミュニタリアンの考えに共感を覚えるほうだけど、コミュニタリアンの最大の問題の一つは、存在と当為を完全に切り離すことができず、当為がどうしても入り込まざるを得ない点にある。その点において、ロールズによる、手続き的な概念に基づく規範的限定は非常に重要だと個人的に考えている。なおロールズらリベラリストの考えと、サンデルらコミュニタリアンの考えについては、たとえば『アメリカ現代思想』や『サンデルの政治哲学』を参照してね。規範的限定に関して著者はさらに次のように述べる。≪近代自然法になると、神に対する人間の自律を通して法と宗教の分離が進んだ。オランダのフーゴー・グロティウス(一五八三〜一六四五年)が「国際法と自然法の父」と称されるのは、彼が自然法の神的起源を認めつつも、自然法を世俗化し、神学的前提に依拠せずとも法理論を築ける可能性を示したからである(108頁)≫。わざわざこの文章を引用したのはグロティウスの名前に言及されているから。この人物はきわめて興味深くはあるが、このメチエ本では詳しくは扱われていないので、それを詳しく扱った別の本を取り上げることがあれば、その機会に取り上げたいと思っている。

 

また実定法に関する次の指摘はおもろい。≪存在と当為の分類は、実定法と、実定法を法学の研究対象とする法実証主義にとって、特別な意義を有していた。というのも、存在と当為が切り離された結果、実定法は、行為者にとっては純粋な当為として規定された行為規範になると同時に、法の研究者にとっては法の制定という確定的な事実の上に成り立つ分析対象になったからである。慣習法と違って、実定法は過去から継承されてきた事実から解放される一方で、統治者による制定という一回限りの確定的な事実に基づく法になったのである。(…)理性によって発見される自然法と違って、実定法は政治権力によって人為的に制定されたものであり、法を制定・改変する自由度は大幅に拡大したのである。¶こうして、存在と当為の分離のもとで近代法は、宗教のみならず、道徳・倫理といった諸規範からも切り離された。近代法が実定法化されたことによって、社会の統治に必要な規範を人民の意志に基づいて制定・改変する可能性が切り開かれる一方で、その権力行使は法的な手続きに従うことになった。人民主権と近代的立憲主義は、それぞれ「権力に対する法の従属」と「法に対する権力の従属」を帰結したが、この二つは、実定法を介した政治システムと法システムの構造的カップリングのもとで両立可能になった。このような政治システムと法システム、権力と法の関係は、「法と宗教・道徳」、「存在と当為」の分離に基づいて社会規範を実定法に限定する規範的限定に支えられていたのである(111〜2頁)≫。この規範的限定に関しては、何やら法を自然法なようなものとして捉えている護憲派のみならず、存在と行為の分離の意義を正しく評価していないと思しき、コミュニタリアンを始めとする保守派のあいだでも軽視されているような印象を受ける。

 

ということで次は方法的限定だけど、その例としてあげられているのは多数決の論理や実証主義なので、ここでは細かく引用することはしない。著者の考えでは、以上三つの限定が加わることで、≪権力が国民(主権者)、政治家(立法機関)、官僚(行政機関)の間を循環する閉鎖的な回路が築かれた。機能集中をもたらす三つの限定を通じて、政治システムは機能分化を遂げ、近代民主主義が制度化されたのである(116頁)≫ということらしい。

 

ここで近代民主主義の誕生に関するここまでの議論のまとめとして次のような記述が続く。重要なので長めに引用しておきましょう。≪これまでの考察が正しいとすれば、近代民主主義の歴史的な起源は、キリスト教に支配された西欧中世社会にこそある。キリスト教は、供犠の形式を徹底的に普遍化することで、民主主義に対する真の意味での対立物を生み出した。キリスト教的な神に由来する絶対的・普遍的な権力と近代民主主義に内在する主権権力は、前者が下降的に作用し、後者が上昇的に作用する点で対照的だが、近代民主主義は神の下降的権力を反転させることで確立されたのである。¶キリスト教が近代民主主義の形成に及ぼした影響はそれだけではない。一二世紀以降における西欧社会の発展は、単に聖界が衰退し、俗界が伸長していく過程ではなかった。聖界と俗界が分離した上で、聖界の俗界化と俗界の聖界化が起こった。そうしたプロセスを通じて聖界の中に生まれた秩序原理が、俗界にまで浸透していく。法や団体の発達とともに、キリスト教の普遍主義的な原理が個別主義的な原理に立脚した封建社会の内部に浸透した結果、俗界の内部でも領域支配を前提にした公私二元的な構造が形成された。世俗の世界の中に、私的な個人を超越する公権力が現れてきたのである。¶この公権力こそ、聖なる力の機能的な等価物であった。「公と私」、「私と私」の分離が進むと、ちょうど聖なる力がすべての俗なる存在に対して超越的であったように、公権力は俗なる世界の内部にありながら、すべての私的な存在に対して超越的な性格を獲得する。公私二元的な構造は俗なる世界の内部に築かれた聖俗二元的な構造だと言っても過言ではない。したがって、中世社会から近代社会への移行は、聖俗二元的な構造から、公私二元的な構造を組み込んだ俗一元的な構造への移行であった。¶この転換のプロセスの中から、人民主権、中世的立憲主義、中世的代表制という近代民主主義の萌芽が生長した。そして、これらの要素は絶対主義の時代にいったん表舞台から姿を消したものの、絶対主義国家から国民国家に移行する中で新たな展開を遂げた。¶一方の極に近代的個人、他方の極に近代社会(国民国家)を生み出した公私の二項対立は、機能分化をもたらす基礎的条件となったが、さらに三つの限定が加わることで、近代民主主義の骨格が形作られた。これらの限定は、国民の主権権力を特定の制度的回路の中で機能させるための機能集中をもたらした。それによって、国民国家という自己完結的な空間の中で(領域的限定)、実定法の制定(規範的限定)と中央集権的な官僚機構による政策遂行を通じて(方法的限定)、国民の主権権力が最終的に自己自身に及ぶ制度的回路が形成されたのである(117〜8頁)≫。

 

こうしてみると近代民主主義の誕生にとって、キリスト教、国民国家、実定法がきわめて重要であったことがわかる。ちなみに近代民主主義のみならず、資本主義や近代科学の誕生にもキリスト教が大きな役割を果たしたことは、前者に関してはマックス・ウェーバーや前述したジョセフ・ヘンリックの著書、後者に関してはエドワード・グラントの著書など(この点に関しては『創造論者vs.無神論者』でも多少取り上げた)を読めばわかる。すると次のような疑問が湧いてくるのではないか? なぜこれら西欧の歴史的経緯とほぼ無縁で、世界でもキリスト教の布教がもっとも困難な国の一つと言われる日本において、非西欧世界でいの一番に近代民主主義、資本主義、近代科学の導入に成功したのか? これはよくある陳腐な問いであるとはいえ非常に興味深いが、ここですぐにその答えを出すことは不可能なので(最近取り上げた本のなかでは、『日本群島文明史』や『誤読と暴走の日本思想』にその部分的な答えを見出すことができる)、今後のテーマとしてとっておくことにしたい。さて、かくして誕生した近代民主主義がたった今深刻な危機に直面していることについて次のように述べることで、第三章は締めくくられる。≪ところが、近代民主主義は、制度化されてからまだ一〇〇年も経たないうちに、深刻な危機に直面している。というのも、政治システムの形成を導いた機能集中がさまざまな局面で機能拡散へと反転してきているからである。現代社会では、政治システムの機能分化を支えた基礎的条件(公私の分離)と三つの追加的条件(領域的限定、規範的限定、方法的限定)をすべて掘り崩すような変化が起こっているのである(120頁)≫。そしてこの問題について詳しく論じられているのが、次の「第四章 近代民主主義の揺らぎ」なのですね。

 

ということで、その第四章に参りましょう。まずは次のような当たり前田のクラッカー的な記述がある。≪新自由主義的な改革の目標は、経済領域のみならず、さまざまな社会領域で規制緩和と民営化を推し進め、「大きな政府」に代わって「小さな政府」を実現することにあった。後述するように、新自由主義的な改革は、その意図とは裏腹の、もしくはその意図を超えた結果をもたらしたが、いずれにしても新自由主義的な改革が世界的に浸透する中で、現代社会は大きな変貌を遂げてきた。改革の影響は多方面に及ぶが、その第一歩となったのが金融の規制緩和である。金融の規制緩和によって、貿易だけでなく資本移動も自由化された。¶金融の規制緩和は、情報化と相俟ってグローバルな経済秩序のあり方を変革した。実体経済に対して金融経済の比重を高めるとともに、実体経済の面でも対外直接投資の道を切り開いた。生産拠点の海外移転が進む中で、多国籍企業は国境を越えた社内・社外ネットワークを構築し、国家に匹敵するほどのグローバルな主体へとのし上がってきた(124頁)≫。個人的には≪グローバルな経済秩序のあり方を変革した≫というより「インターナショナルな経済秩序がグローバルなあり方に変容した」と言うほうが、国民国家を基盤とした経済から国民国家を捨象したグローバルな経済へと移行したことが明確化できると思う。

 

次に三つの追加条件のうち領域的限定が機能しなくなったことについて次のように論じられる。≪近代民主主義は、国民国家の領土的な枠組みの中で機能する領域的民主主義でもある。国民国家の領域的限定は、政治システムにとっては自国の領土と構成員を確定し、経済システムにとっては貨幣の作動領域を確定した。これらの領域的限定によって、政治システムと経済システムは相互に分化しつつも、国民国家という共通の枠組みの中で機能する。ところが、現代社会の変化にともなって、国民国家による領域的限定が効かなくなってきた。その最初のきっかけとなったのが、金融の自由化である。金融の自由化によって貨幣の脱領土化が起こり、一九世紀から二〇世紀にかけて確立された「一国一通貨」の通貨体制が崩れ始めた(126頁)≫。さらに大きな問題として、「タックス・ヘイブン」によって通貨の脱領土化が加速したことが述べられている。タックス・ヘイブンに関しては、『商人の世界史』や『世界秩序』で言及したので[ページ内検索キーワード:タックス・ヘイブン]ここでは詳しく取り上げない。ただし、次の興味深い指摘を引用しておく。≪要するに、現代の国家は自分で自分の首を絞めるような競争を余儀なくされているのである。タックス・ヘイブンは、貨幣の流通が脱領土化する一方で、租税負担率が領土的な規制を受けるという落差を利用している。このような落差を利用する仕組みは、金融取引が復活した中世後期の状況に似ている。西洋中世では、キリスト教の影響で金融取引が禁止されていた。(…)ところが、市場経済が発達し、都市間交易に為替手形が用いられるようになると、金融業者は為替レートの違いを利用して利益を得るようになった。(…)この場合も、貨幣が脱領土化しつつ為替レートが都市間で異なっていることが経済的利益を生む源泉になっている。こうして、中世[前期]に禁止されていた金融取引が法の網をかいくぐる形で[中世後期に]復活したのである(131〜2頁)≫。何が興味深いかと言うと、ここにも現代において近世・近代を隔てた中世への回帰が生じていることを見て取れる点。

 

そして著者は次のように述べる。≪国家がいくら国民の意志を反映させた形で政策を遂行しようとしても、確固たる財源がなければ、国民の意志を貫徹することはできない。国民国家の自律性は内部と外部を厳格に分割する領域的限定によって維持されてきたが、金融の自由化を契機にした領域的限定からの乖離は、国家財政の弱体化を招き、経済的次元における国民国家の自律性を足下から脅かしているのである(132頁)≫。これは明らかに現代のグローバリゼーションがもたらしている大きな問題の一つで、左派メディアがひたすら右傾化と言っているものの正体は、実のところ右傾化でも何でもなく領域的限定の崩壊の危険性に対する一般ピープルの直観的な気づきだと言える。だから移民や難民だけが問題なのではなく、それよりはるかに包括的な問題(つまりグローバリゼーションによって国家を基盤とする縦糸も、国際法や国際関係に依拠する横糸もバラバラになり始めているという問題)が世界を覆うようになっているにもかかわらず、左派メディアは視野狭窄に陥ってそのことがまったく見えていない。またそれが単に経済的領域だけの問題ではなく政治的領域における問題でもあることが次のように述べられる。≪国内と国外を分割する領域的限定は、国民国家が国内を自律的に統治するための基本的な前提だが、そのような前提が崩れつつあることは、経済的次元だけでなく政治的次元でも言える。¶近代社会は、主権国家の集合としてのウェストファリア体制のもとで、相互排他的に分割された統治空間を創り出した。理念的には、ナショナルな政治問題は国家によって解決され、グローバルな政治問題は国家の集合体である国際機関によって解決される。統治空間が国民国家を単位にした相互排他的な空間として成り立っているかぎり、政治問題は国家の意志に基づいて解決されうる。¶もちろん、国民にとって国民主権は、選挙の際に一票を投じて自らの代表者を選ぶだけの権力にすぎないのが実態であるとはいえ、少なくとも形式的には、国民主権のもとで政治を機能させるのが近代民主主義である。三つの限定が機能しているかぎり、ナショナルおよびグローバルなレベルの政治的問題は各国民や諸国民の意志に基づいて解決されるはずである。しかし、一九七〇年代以降、そうした形式すら保障されなくなってきたのである(132〜3頁)≫。引用文中に二度グローバル≫という言い回しが出てくるけど、私めならこれは「インターナショナル」に置き換える。いずれにせよ言葉の定義の問題なのであまりしつこくは指摘しないようにしておく。

 

さて著者は、次にそのような非国家組織による国家の弱体化の例をいくつかあげている。ここでは最初のWTOに関する記述だけを取り上げる。次のようにある。≪国際政治学では一九九〇年代に「私的権威の台頭」が認識されるようになったが、非国家的主体が国家的統治に与える影響は、その前から国家を構成員とする国際機関の内部で現れていた。例えば、世界の自由貿易を推進するWTO(世界貿易機関)には企業も国家の代表団に加わっており、企業は豊富な資金力を駆使してWTOの決定に影響を及ぼしている。WTOの前身であるGATT(自由貿易を推進するための国際協定)の段階では国家主権が強かったが、WTOは国家に対する制裁手段を獲得し、国家主権を脅かすまでになっている(133頁)≫。『世界秩序』を取り上げたときに、「だから私めのような反グローバリストが「国連」を批判する場合、それは「国連」という概念それ自体を否定しているのではなく、本来の国連の機能を果たしていない(それどころか、IMFのように「世界政府」の一部門であるかのようにトップダウンに機能していると思しき国連機関すらある)現在の具体的な機関としての「国連」を批判しているのですね」と述べたけど、そのことはWTOにも当てはまることになる(ただしググると、WTOは国連の専門機関ではないらしい)。確かにWTOの問題には、二〇〇一年にならず者国家である中国が加盟したことによって引き起こされたものもある(何と中国が「途上国」のステータスを放棄したのはこれを書いているたった今から一か月ほど前のことに過ぎない!)。とはいえ中国共産党というイデオロギー組織が支配する現代の中国を国民国家と見なすことには、かつてのソ連と同様、無理があると言わざるを得ない。

 

さらに著者は、この問題に関して次のように述べている。≪企業や業界団体は自らの手でグローバルな経済秩序のルールを設定するようになった。企業や業界団体は、組織内や団体内では常に集合的な意思決定という政治的機能を営んでいるが、機能分化が確立された段階では、経済システムの枠組みを形成する政治的権限は国家に委ねられていた。ところが、経済のグローバル化が進展した今日、企業や業界団体は、経済秩序の枠組みを形成するという、これまで国家が握っていた政治的権限を部分的とはいえ掌握した。経済秩序の形成が非国家的主体のもとで進められるようになったことは、国家の政治的な意思決定を迂回する点で、国家のバイパス化を意味している。現代社会の統治空間は、もはや国境によって国内と国外が相互排他的に分節された空間ではなくなっているのである(138〜9頁)≫。その究極的な形態が、経済的にも政治的にも文化的にも国境を完全に取っ払った、ア・ラ・イマージン的、あるいはケシの花が咲き乱れるお花畑的「国境のない世界」なのだろうが、そんなものが現実化することは、進化生物学などの科学の知見に基づいても絶対にあり得ないというのは、私めがいつも言っていること。

 

次は「規範的限定」からの乖離について。著者は「ソフトロー」の出現をもって、「規範的限定」からの乖離が生じつつあると論じている。「ソフトロー」とは、≪条約に至らない非公式の国家間の合意、業界団体の内部で用いられる契約のひな型、団体内の明示的・黙示的なルールといった様々なかたちで存在する(141頁)≫規定を指すらしい。これについては、次の指摘を引用しておくに留める。≪中世の慣習法から近代の実定法への移行は、司法に対して立法の力が増大する歴史でもあった。ところが、ソフトローの台頭は再び司法の力を呼び覚ましている。ソフトローの多くが法的な裏づけのないまま強い拘束力をもちうるのは、デファクト・スタンダード(事実上の標準)になっているからである。デファクト・スタンダードという事実=存在性こそ、行為規範としてのソフトローの価値=当為性を担保している(144〜5頁)≫。ここでも現代における近世・近代を隔てた中世への回帰が見られると言えるかも。それからもう一つ重要な指摘を引用しておきましょう。次のようにある。≪領域的限定からの乖離として統治権力の主体が国家や国民以外の主体へと拡大し、規範的限定からの乖離として統治規範の形態も非実定法的な規範へと拡散してきた結果、主権権力と実定法による統治の可能性が狭められてきた。両者の関係が問題になる以前に、主権権力と実定法に基づく統治の仕組みそのものが相対化されてきたのである。こうして、国家統治に果たす実定法の効力が低下する中で、国民主権とともに近代的立憲主義も限界づけられてきたのである(146頁)≫。

 

さて最後に「方法的限定」からの乖離について。ここで取り上げられているのは、「パブリック・ガバナンス改革」で、それに関してまず次のようにある。≪近代社会において、公的領域の成長と強化は一八世紀以来の一貫した流れであったが、一九七〇年代以降、その流れが反転した。国家財政の悪化に直面して効率的な行政改革を行う必要に迫られた国家は、パブリック・ガバナンス改革に乗り出したのである。これまで自らが集中的に担ってきた公共政策の執行を、そのすべてではないが、民間組織に委ねるようになった。パブリック・ガバナンス改革は、一般に「ガバメントからガバナンスへの移行」として知られている。政府による統治が、政府、企業、NPOといった多様な主体による統治に移行してきた(147頁)≫。その後、この「パブリック・ガバナンス改革」によってどのような事態が進行したかが論じられているけど、細かくなるので結論と思われる箇所のみ引用しておく。≪こうして[パブリック・ガバナンス改革による]、方法的限定からの乖離は、統治主体の多様化をもたらしただけでなく、社会の制御様式を変化させることで「立法から行政へのパワーシフト」を促した。ソフトローの台頭が規範的形態を拡散させたのに対して、社会的な制御様式の転換は「法の制定と法による統治」を迂回する脱規範的な統治様式を誕生させた。過程的制御に重きを置くガバナンス構造が社会に定着すると、構造生成要因としての規範の役割が低下し、近代民主主義が前提していた方法的プロセスをすり抜けるような統治が行われることになる。¶ガバメントは政府による垂直的な統治であり、ガバナンスは政府、企業、NPOなどによる水平的な統治であることから、ガバナンスはガバメントより民主的な統治だと一般には受けとめられている。しかし、「ガバメントからガバナンスへの移行」は、少なくとも近代民主主義に対してはネガティヴな影響を及ぼしている(154頁)≫。≪「ガバメントからガバナンスへの移行」は、少なくとも近代民主主義に対してはネガティヴな影響を及ぼしている≫というくだりは、私めには当たり前田のクラッカーに思える。その理由は次のとおり。近代民主主義は国民国家がベースになっており、それが縦糸となって、そこにインターナショナルという横糸が織り込まれる。ここで言うガバメントは私めの言う縦糸に相当し、ガバナンスは横糸に相当すると見なせるけど、グローバリゼーションに影響された現代における「ガバメントからガバナンスへの移行」とは、これまで何度も述べてきたように、実のところ縦糸も横糸もバラしてしまうことを意味する。つまり近代民主主義が成り立っている構造そのものを破壊してしまうのですね。また次の指摘もなかなか興味深い。≪今では、国家はさまざまな公共的政策の遂行を民間組織に委託しているが、そうした方法的限定からの乖離は、方法的限定が最初に起こった安全保障の分野にまで及んでいる。軍事請負会社の台頭は、物理的暴力の独占という方法的限定からの乖離を意味している(157頁)≫。まさしく軍事請負会社は中世の傭兵制度の復活であり、ここにも現代における近世・近代を隔てての中世への回帰が見られると言ってもよいと思う。

 

ということで、これまで引用した部分とかなり重複するけどまとめとして、これら三つの限定が崩壊することで近代民主主義の危機が生じていることが次のように論じられている。≪国民主権は、それぞれの国家が国内を自律的に統治する国家主権を前提にしているが、その前提が領域的限定からの乖離によって崩れてきた。経済的には貨幣の脱領土化によって国内統治に必要な財政的基盤が弱体化し、政治的にはプライベート・レジーム[国家から自立的に形成された、非国家主体間の自己規律的レジーム]のような秩序が形成された。¶この変化を社会規範の側面から加速させていたのが、規範的限定からの乖離である。政治の民主化は法の実定法化と密接に結びついていたが、国内・国外を問わず、さまざまな社会領域でソフトローのような非実定法的な規範が台頭し、立法に対して司法の役割が増大した結果、立法を介して国民の意志を法や政策に反映させる可能性が狭まった。¶さらに、その動きに拍車をかけているのが、方法的限定からの乖離である。二〇世紀後半から始まった一連のガバナンス改革は、統治機能の拡散をもたらした。グローバルなレベルだけでなく、ナショナルなレベルでも、統治主体が多様化し、構造的・事前的な制御様式から過程的・事後的な制御様式への転換が進む中で、近代民主主義を構成するフォーマルなルートを迂回するような統治様式が生まれる一方、フォーマルな政治過程は外部からの攪乱作用を受けるようになった。¶要するに、三つの限定からの乖離は、権力主体、規範形態、権力様式のいずれに関しても、機能的な拡散を推し進めてきたのである。そこに近代民主主義の構造的な危機が胚胎している(171〜2頁)≫。詳しくは述べないが、その結果、近代民主主義の「空洞化」「相対化」「形骸化」が生じたと著者はさらに論じている。

 

あとは「エピローグ 情報化時代の民主主義」が残っているけど、おもにミニ・パブリックスと討議民主主義論、ならびに社会運動と闘技民主主義論について論じている、この最終章は本を買って読んでねとだけ言っておく。ということで「主権の二千年史」というタイトルがつけられているものの、著者の最終的な意図は、第四章で論じられている「現代においてなぜ近代民主主義が揺らいでいるのか?」について解明することにあり、その議論をするために第一章から第三章までの議論が展開されているという印象を受けた。最後にこの問いに関して、私め個人の見解を述べておくと、近代民主主義が成立するために必要だった国民国家という縦糸と、国民国家同士を結びつける横糸が、両者とも現代のグローバリゼーションによってバラバラに解体されるようになったからだというものになる。

 

 

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※2025年10月31日