◎小倉紀蔵著『日本群島文明史』(ちくま新書)
これまたけっこうメタボった新書本でほぼ500頁ある。だからその紹介も、Word文書で20頁以上という、現時点で最長不倒K点越えになってもた(え? どうせずっこけたこと書いているんだろうから、「不倒」であるはずはなかろうってか?)。しかも各奇数頁の最後の行に、その見開き2頁分のまとめが1行で書かれているという(まああまり関係なさそうなのもあったけど)、前代未聞の構成がなされている。ほぼ500頁あるから、このまとめの一文が250ほどあることになる。たとえば、最初の一文は≪*あたらしい認識のためには、あたらしい概念が必要だ。作業をなおざりにしてはならない(17頁)≫と、当然縦書きで書かれている。なんかフォーチュンクッキーみたいだね。さて著者の小倉紀蔵氏は東アジア哲学、比較文明学が専門のようだけど、ソウル大学大学院の出身で、ウィキで見ると韓国関連の本が多い。そのためか基本的に日本を扱ったこの本でも、韓国に関する記述がそれなりに多く見られる。
さて最近の日本の政治家や自称知識人の発言を見ていると、グローバリズムに心底絡み取られて「日本」の独自性をまったく考慮していないのではないかと思ってしまうことが多い。「多様性」や「多文化共生」を連呼しながら、言っていることは世界中を均質化しようとするグローバリズムの変奏でしかないという矛盾が彼らの発言や行動には多々見受けられる。なんでこうなってしまったのか? 実はそのことは、先日『日本文化は絶滅するのか』(新潮選書)を読んだときにも思った。こちらの本は細かい点では考えが異なる部分があったので、あえて一冊まるまる取り上げることはしないが、本質的な部分では同意する部分があった。この新潮新書本の「はじめに」に次のようにある。≪私が本書を世に問いたいと思った理由は、ひとつには日本文化の全体を明確に示す一般向けの書物がないからです。しかし、それ以上に、多くの日本人が自分たちの文化を摑んでいないと思うからです。摑んでいなくて当然です。私たちの国は、依然として「戦後世界」の秩序の中にあり、そのせいで、「洗脳」がつづいているからです(同書9頁)≫。まさにその通りでしょう。ただ、ちくま新書本の著者小倉氏なら、それは「戦後」どころかそれよりはるか以前からすでに起こり始めていると考えるのだろうと思うけどね(それについてはこれから見ていく)。あるいはグローバル化について次のようにある。≪つまり、「グローバル化」が推進されることで文化の多様性が失われるのです。文化の多様性の破壊は、生物の世界でいう「種の多様性」の破壊に匹敵するもので、種の多様性は生命の大原則です。多様性が失われれば、人類も、他の種も、死滅に向かうほかありません。同様のことは、文化についても言えるのです(同書175頁)≫。つまり多様性を連呼しながら、グローバル化を是とすることは矛盾以外の何物でもないことになる。それにもかかわらず、現代の日本人には、それら二つが両立しうると考えている人が多いように思われる。だから「なんでこうなってしまったのか?」と言ったわけ。その答えの一つは、新潮新書本の著者が言うとおり≪多くの日本人が自分たちの文化を摑んでいない≫からなのだろうと思う。もちろんそのようなたわけ日本人のなかには私めも含まれる。とりわけ古文をまったく読めない私めは、日本に関連する本はこれまであまり読んでこなかった。言い訳すると、高校の古文の先生がとってもとってもイヤミなヤツだったからということもある。ちなみにこの新書本(以下小倉本と記す)にも古文はところどころ挿入されているけど、古文が読めないと話がわからなくなるほど多くはない。そのようなわけなので新書本や選書本のレベルで、日本に関して文明史的な流れを詳述してくれる『日本群島文明史』のような本はとってもとってもありがたい。要するに小倉本は、「日本とはいったいいかなる国なのか?」という問いに一つのまとまった答えを提示してくれるのですね。しかもその答えは、現代の日本人の多くがまったく忘れているものだとはっきり言える。
さて本論に入りたいところだけど、その前に「序章 文明とはなにか」で本書に登場する用語がいくつか解説されているので、以後の説明に大きく関係するおもなものを取り上げておきましょう。
まずは「存在様態」から。次のようにある。≪存在様態 あらゆる存在は、@個別、A集合・全体・普遍、Bあいだ、という三つの様態のいずれかのかたちをとる。それぞれ〈第一〉〈第二〉〈第三〉の存在様態と呼ぶ。ここで重要なのはBである。これまでの学問的な認識において無視されたり軽視されてきたのがこのBなのだ(19頁)≫。それに関連する概念に「実体系」と「非実体系」があり、それは次のようなものになる。≪実体系と非実体系 〈第一〉および〈第二〉の存在様態を実体的なものだとすると、〈第三〉はあきらかに非実体的である。「個別」や「集合」「全体」には実体性があるが(あると強弁されるが)、「あいだ」には実体性がないからである。¶個別 実体系¶集合・全体・普遍 実体系¶あいだ 非実体系(19頁)≫。三つの存在様態についてはあとでもう少し詳しく説明する。また三つの存在様態に関連して三つの生命が定義されている。したがって第一の生命は「個別」的な生命、第二の生命は「集まり(集合・全体・普遍)」的な生命、第三の生命は「あいだ」的な生命になる。具体的な分類としては次のようなものになる。≪〈第一の生命〉:個別的生命、生物的生命、肉体的生命、相対的生命、物質的生命¶〈第二の生命〉:集合的生命、全体的生命、普遍的生命、霊的生命、超越的生命、絶対的生命、非物質的生命、宗教的生命、精神的生命¶〈第三の生命〉:〈あいだ〉的生命、関主観的生命、多重主体的生命、偶発的生命(43頁)≫。
それから著者は「文明」と「文化」に関して次のように述べている。≪本書の文明論は、〈最初に誕生するのは文明である。その文明が闘争の末に安定的な文化となることがある。そしてその文化が安定性を自己破壊して文明として再起動することがある〉と考える。文明と文化を{截然/せつぜん}と分けることは事実上できないし、だからといって混同することもできない。その連続性と区別の両方を説明できるのが、本書の提起する文明論なのだといってよい(26頁)≫。また文明に関して次のようにある。≪文明とは、〈2〉の行為である。¶これは人間が数百万年前に道具を使い始めたときから、そうだった。「道具」と「道具でないもの」を分けて世界をふたつに切断することが、道具的文明の行為である。{環濠/かんごう}や壁や{堡塁/ほうるい}などによって世界を区切り、内側の集落や都市と、外側の「集落や都市でないもの」を切断することが、共同体的文明の行為である。Civitasを市民権の意で使うときも、それと「市民権でないもの」との切断をして、市民権的文明の行為の根拠とした(20頁)≫。≪〈2〉の行為≫とは、これまた非常にわかりにくい表記だけど(翻訳者がこういう書き方をしたら、編集者に「てめえ、このやろう、もっとわかりやすい言い方に変えんか、ごらああああ!」と怒られそう)、この説明を読むと「二分」くらいの意味に思える。その直後に、どうやらドーキンスを意識したと思しき「利己的な文明子」なる用語が登場する(なお、ドーキンスの名前はまったく出て来ない)。「ミーム」に似た概念のようにも思えるが、もともと私めには「ミーム」という概念そのものがヌエのように思えるので、詳しくは取り上げない。さらに著者は文明を「文明」《文明》〈文明〉の三つに分け、それぞれ次のように説明している。≪「文明」:一般的に日常会話やメディア、書籍などにおいて使われる文明。「文明の利器」とか「自動車文明」などといったごくふつうの表現で漠然と使われる。高度な先進的技術によって裏打ちされた制度やハードウェアとしての人間の生の手段。¶《文明》:一般的に「エジプト文明」「ギリシア文明」「中国文明」などと地域的な名称によって認識される「大文明」や、「キリスト教文明」「イスラーム文明」「仏教文明」「儒教文明」などと宗教的な名称によって認識される「大文明」。¶〈文明〉:本書独自の文明の概念(35頁)≫。最後の≪本書独自の文明の概念≫というのは、すでに引用した20頁と26頁の記述を参照されたい。
次は「多重主体性」。これに関しては、知覚に関するややこしい説明はカットして、次の文だけを引用しておく。≪ひとりの個人にはひとつの主体性があるのではなく、ひとりの個人のなかには他者と同じ知覚像が多数多様にはいりこんでいる。そのなかには他者の自己知覚像(自己言及性)すら多数多様にはいりこんでいるのであり、それゆえひとは他者に感情移入したり共感や共苦をすることができるのだ。¶大文明は、この多重主体としての人間を「個人」という「乗り物」に変革させてきたのだ(31頁)≫。
さらに「序章」の最後の部分では、すでに取り上げた「三つの存在様態」がさらに詳しく説明されているので、その部分を重要なので少し長く引用しておきましょう。次のようにある。≪「個別」と「集まり(集合・全体・普遍)」という存在様態のみが、つまり「第一の存在様態」と「第二の存在様態」のみが、精神革命以後の世界(特に大陸)で君臨しすぎたのである。ここで精神革命というのは、伊東俊太郎の比較文明論において、ソクラテス、孔子、ブッダ、イエスによって人類史に革命的な精神変革がもたらされたという説に基づく。逆にいうなら精神革命というのは、「個別」と「集まり(集合・全体・普遍)」というふたつの存在様態に重点を置いた世界観の発見なのだともいえる。精神革命はすべて大陸で起こった。つまり〈第一=個別〉〈第二=集まり(集合・全体・普遍)〉の存在様態を発見し重要視した大陸の文明だけが、大文明となったわけである。¶これまでは自己や生命やものなどが、この精神革命以後の世界観を中心にして考えられすぎていた。わたしたちが思想や宗教や哲学などと呼んでいるものはほとんどすべて、精神革命以降に生まれたもののことだ。そこに大きな問題がある。¶西洋近代的な主体概念は、人間がキリスト教的な〈第二の生命〉から脱出し、個人の〈第一の生命〉にもとづく自律的な人間観をつくりあげていかなくてはならなかった時期に、人工的につくりあげられた特殊な観念であった。それを間違いだということはできない。人間が集合的・全体的・普遍的な〈第二の生命〉から逸脱して個別的な〈第一の生命〉を生きる、という覚悟を持ったときに、画期的な姿で登場した意義深い観念だったのである。¶しかし、いまやわたしたちは、生命とは個別的な〈第一の生命〉だけでも、普遍的な〈第二の生命〉だけでもない、ということを自覚すべきだ。ひととひとの〈あいだ〉、ひとともの・こととの〈あいだ〉に立ち現われる〈第三の生命〉がある。そしてその生命観にふさわしい人間観を想定すべきであるとき、わたしとしては多重主体主義という、〈あいだの主体〉観を打ち出してみたいと考えるのである(46〜7頁)≫。最初の部分にある伊東俊太郎氏に関しては以前に『人類史の精神革命』(中公選書)を取り上げたことがある(ただし、まだ本の内容を詳細に紹介したりはしていなかった頃に書いたからかなり短いけどね)。ところで≪ひととひとの〈あいだ〉≫という見方は実のところわが訳書『文化はいかに情動をつくるのか――人と人のあいだの心理学』のテーマでもあるのだが、これについてはあとで簡単に述べることにする。
ということで「第一章 日本は群島である」に参りましょう。まず、本のタイトルにも言えるけど、この章題を見て「日本は列島である」とは言わずに「群島である」と言っているのには何か特別な意味があるのかが気になった。冒頭に次のようにある。≪日本は群島(archipelago)である。海のなかに浮かぶ多数の島から成り立っている。¶島の数は、かつては六八五二島といわれていたが(海上保安庁、一九八七年発表)、二〇二三年三月に国土地理院が一四一五二島に修正した。つまり一万以上の群島から成っているのが日本である(56頁)≫。まあまさか一万以上の島が直列に並んでいるわけはないから「群島」という言い方をしているのかもね。でも一万以上は多いね。松島を構成する島々にある、めちゃんこちゃっこい島も全部数えているのかな。それだと逆に少なく思えるから、おそらく最低有効面積があるのでしょうね。そもそも三五年程度で島の数が急に七〇〇〇ほど勝手に増えるわけはないから、おそらく最低有効面積が変わったということなのでしょう。いずれにしても、だから日本の海岸線の総延長はアメリカより相当に長く、中国の倍くらいあるんだろうね。フラクタル国家という呼び方がふさわしそう。私めは著者が「列島」ではなく、「群島」という用語を使っているのには、直列うんぬんなどよりもっと深い理由があると思っている。それは「列島」という言い方をしてしまうとどうしても直線的で統一的な色合いが濃くなるのに対して、これから見ていくように著者は日本をある意味で微分的、分散的に捉えているきらいがあるので「群島」という言い方のほうがそのイメージにふさわしいからだろうと思っている。ただしこれは、単なる私めの憶測であり、著者が明示的にそう述べているわけではない。ではそのような群島国家、日本の歴史を群島という観点から眺めてみるとどのように見えるのか? それに関して次のようにある。≪日本は、海洋性を発揮して中国・朝鮮・西洋との交流を活発に行っていたときに大陸文明化し、その交流を遮断・制限し海洋性から退却してからはいわゆる「{国風/こくふう}文化」を生み出す。つまり非大陸文明化したわけだ。のちに「鎖国」と呼ばれる江戸時代の政策のように、群島自ら海洋性を縮小し、大陸文明を半ば遮断して「島」に自己同一化しようとしてしまう場合もあった。¶要するに、日本群島は歴史的に、海洋性を前面に出すと大陸文明化し、海洋性から離脱すると群島文明化したわけだ。群島性と海洋性は、かならずしも一致しないだけでなく相反もするのである(61頁)≫。実は著者は、日本史を通じて海洋性が顕著になった時期と群島性が顕著になった時期を具体的に合計八期あげている。それについては第二章で取り上げる。
第一章で次に取り上げられているのは文明と道徳の関係が歴史的にどう捉えられてきたかについて、朝鮮との比較も含めて論じられている。なかなかおもろいので、ちょっと長めに引用する。次のようにある。≪江戸時代の初めに幕府は朱子学を導入し、人文哲学的な文明を切り開こうとした。朱子学の正統を体現していれば、文明国としてふるまうことができるというパラダイムを、朝鮮から学んだのだ。ところがその一〇〇年後に{荻生徂徠/おぎゅうそらい}は、〈聖人とは朱子学のいうような道徳的完成者のことではない。古代中国で初めて文明を切り開いた聖人たちはすべて、道徳的完成者の謂ではなく技術文明の開拓者たちであった。つまり最高の技術やインフラを創造・整備した聖人を崇めるのが本来の儒学なのであって、道徳中心主義の朱子学は間違っている〉と主張した。朝鮮と日本の違いは、徂徠と同じような主張をした朝鮮の北学派は道徳中心主義的な人文哲学的権力者(老論派)によって撲滅させられたのに対し、日本では徂徠の主張がその後も大きな影響力を与えつづけたことである。ただしそれだけではなかった。朱子学の大義名分論は日本でも脈々と生命力を保ち、たとえば水戸学へと流れこんだ。だがもちろん日本が水戸学一辺倒になったわけではなかった。朝鮮では老論派の大義名分・人文哲学的文明論がヘゲモニーを握ってしまったのだが、日本ではそれ以外にも多様な文明認識が並存できたのである。¶だが戦後は違った。第二次世界大戦の大敗北を経たあとの戦後日本では、平和主義が道徳中心主義的な人文哲学的文明論の中核に置かれ、〈平和主義であることが文明の基準である〉という儒教的イデオロギーが支配した。このイデオロギー下では、平和主義であることが道徳的・文明的で絶対善なのだから、それに反する立場をとる人間は不道徳で非文明的で悪なのだ。特に大学などのアカデミアにおいてはこのイデオロギーが完全に支配的だったので、それ以外の文明論(たとえば軍備や先端技術こそが文明であるという考え)は邪悪なものとされ排除された。朝鮮王朝後期と酷似した人文哲学的文明論のヘゲモニーである(68〜9頁)≫。
最後の二文は、例の学術会議の態度そのものだよね。つまり江戸時代(第二章で取り上げられる時代区分では土着閉鎖系文明V期)には、普遍主義的、道徳中心主義的な大陸文明と、そうではない群島文明が並存していたのに対し、第二次大戦後(大陸開放系文明W期)は、もっぱら前者のみが支配するようになったということになる。なお、大陸開放系文明W期はすでに明治維新からスタートしているので必ずしも戦後に限った話ではない。冒頭で「ちくま新書本の著者小倉氏なら、それは「戦後」どころかそれよりはるか以前からすでに起こり始めていると考えるのだろう」と言ったのは、小倉氏が大陸開放系文明W期はすでに明治維新からスタートしていると考えているから。なお個人的には、グローバリズムに浸透された現在を含め、戦後(明治維新以後)の一方的な普遍主義の蔓延は非常に危険だ(った)と考えている。なおこれを読んだ自称リベラルに発狂されても困るので、著者はフォーチュンクッキー的まとめに≪*平和主義がいけないのではない。ひとつの文明論がヘゲモニーを握るのが間違いなのである(69頁)≫と書いているということをつけ加えておきませふ。
それから日本と朝鮮の相違に関する次の指摘はなかなか興味深い。≪日本はたとえば中国の大陸《文明》的で演繹的・理念的な性善説を完全には受け入れなかった。それを完全に受け入れた朝鮮との違いは、文明論的にいってあまりにも鮮明である。日本の文明は帰納的かつ具体的である。これは無視することが決してできない違いなのだ(77頁)≫。≪日本の文明は帰納的かつ具体的である≫というくだりをよく覚えておきましょう。また日本の群島文明の特徴は次の点にもあるらしい。≪群島は、大陸から完全に分離されているのではなく、つねに大陸との関係性のなかで自らの文化的・「文明」的なふるまいをしている。大陸の《文明》を移入しながら、それを海の力で相対化・分解しつつ、風土や文化に合わせて再構成するのである(79頁)≫。ということは、日本は大陸文明と群島文明の両方があってこそ存続しうるということになる。そこを間違えてはならない。ところで『イノベーションの科学』を取り上げたときに、日本はアメリカ型の能力破壊型のイノベーションではなく、「現在あるものを無駄にせず、徹底的に改善していこうとするやり方、つまり能力増強型のイノベーション」を得意とすると述べたが、まさに大陸文明を移入して「魔改造」してしまう日本の能力の基盤をなすのが群島文明なのだと言えるかもしれない。では、そのような相対主義的な日本の群島文明と違って、大陸文明が普遍主義や道徳中心主義に陥りやすいのはなぜか? 著者によれば、その答えは次のようなものになる。≪大陸《文明》が普遍主義・理念主義・本質主義・超越主義などを基盤とせざるをえない傾向を持つのには、理由がある。大陸では、あたらしい世界観が発生したり伝播すると、従来の世界観を一掃しようとする動力が働く。陸続きで侵略や略奪が横行し、革命や政変が伝播しやすく、政体や権力や権威を維持するためにもそれを打倒するためにも、超越的な神・理念・価値を絶対的に必要とするのである。大陸はパラダイムやプラットフォームをつくる。そしてあたらしいパラダイムやプラットフォームに飛びつかないと、バスに乗り遅れてしまう。この乗り遅れは端的に死を意味する場合が多い。群島は、その伝播から逸脱していても、生きていける(81頁)≫。まあ大陸に住んでいれば、「敵が攻めてくれば降伏すればいいじゃん!」なんて、お気楽なことは絶対に言えないでしょうね。
ということで「第二章 日本群島史の時代区分」に参りましょう。この章では、日本の歴史に関する著者独自の文明論に基づく八つの時代区分が提起される。この区分に関して著者は次のように前置きしている。≪それは、日本群島の歴史を、〈開放系文明が支配的な時代と、閉鎖系文明が支配的な時代が交互にやってくる〉と認識するものである。そして「開放系」の時代には大陸文明が大量に流入し、「閉鎖系」の時代にはその流入が制限されて土着文明が精緻化される。したがって前者を「大陸開放系文明期」と、後者を「土着閉鎖系文明期」と呼んでもよいだろう。このふたつが交互にやってくるのが、日本群島史の特徴なのである(114頁)≫。ここで114〜5頁に列挙されている時代区分と、118頁〜9頁のそれら各期の特徴の説明を合体させて以下にあげておきましょう。
●土着閉鎖系文明T期=非実体系 縄文時代(紀元前一四〇〇〇年〜紀元前八世紀ころ)
「自然との共生」という現代的なコンセプトをそのまま実現させていた時代である。この時期に、「個別」や「全体」という実体的な概念は希薄で、〈あいだ〉という非実体系の世界観が支配していた。
●大陸開放系文明T期=実体系 弥生時代(紀元前八世紀〜三世紀ころ)
環濠などにより、共同体の内と外を明確に分けるようになる。内側の集団を実体化することにより、結束を高めた。
●土着閉鎖系・大陸開放系文明混合期=非実体系 ヤマト政権、古墳時代(三世紀〜六世紀後半ころ)
この時期は大陸と活発な交流をしたが、倭国の風俗は、大陸文明とは異なるものだった。統一国家を形成するための統合的な原理や力はまだ日本群島にはなく、「割拠」という関係性の存在論があるだけだった。
●大陸開放系文明U期=実体系 飛鳥、奈良、平安時代初期(六〇〇〜九〇〇ころ)
統一国家、天皇という統治者、そして仏教や律令という統合的な理念が導入された。仏教は本来、実体を否定する思想だが、国家仏教はむしろ国家という全体的実体を支える実体的な思想となった。
●土着閉鎖系文明U期=非実体系 平安、鎌倉時代(九〇〇〜一三〇〇ころ)
かなが発明され、大陸文明の実体的な世界観とは異なる〈あいだ〉の世界をきめ細かく記述できるようになった。女性の文明が花開いた。
●大陸開放系文明V期=実体系 室町、安土桃山、江戸時代初期(一三〇〇〜一六五〇ころ)
室町時代には、《一》「内在」という観念が強化された。存在論的な実体主義化の浸透が進んだ。神道も統治理念も《一》に収斂するようになった。
●土着閉鎖系文明V期=非実体系 寛永以降の江戸時代(一六五〇〜一八六〇ころ)
大陸との交流が限定化され、平和がつづくことによって、ふたたび〈あいだ〉の世界への関心が強化された。江戸時代は〈あいだの文化〉の時代だ。
●大陸開放系文明W期=実体系 明治、大正、昭和、平成、令和時代(一八六〇〜二〇二〇ころ)
近代化とともに、西洋の強烈な実体主義的文明が怒涛のように流入した。天皇も実体化され、国家機構や国体理念などの実体主義的な深化が進んだ。
この第二章では、以上の区分の各時期に関して、歴史的なできごとをあげつつさらに詳細な説明が繰り広げられている。とはいえここではそれらを紹介するとキリがなくなるので、ここでは現代も大いに関連する最後の大陸開放系文明W期だけ取り上げておきましょう(残りの期間に関しても書かれていることそれ自体は非常に興味深いので、ぜひ買って読んでみましょうね)。この時期に関してまず次のようにある。≪明治・大正期が大陸開放系文明の時代だったことはさして異論がないだろうが、昭和前期をどう見るかに関しては意見が分かれるだろう。わたしは、昭和前期は日本の国体や国家神道や天皇などという、本来はきわめて土着閉鎖系の文明を性急かつ乱暴に普遍化・大陸文明化しようとして大失敗した時代だと考えている。大陸文明のなんたるかを知らない指導者たちの、夜郎自大的なふるまいであった。そして敗戦後の日本はアメリカ文明一辺倒になり、戦前のよい文明もなにもかもかなぐり捨ててしまったのである(213頁)≫。昭和前期の見立てに関しては、前回『外務官僚たちの大東亜共栄系』を取り上げたときに扱った「大東亜共栄圏」思想は、非実体系ではなくむしろ《一》に収斂する実体系の思想であるように思われる。そこに「大東亜共同宣言」の内容を抜き書きしておいたけど[ページ内検索キーワード:大東亜共同宣言]、とりわけ前文にある≪大東亜を他の侵略又は搾取より永遠に解放し、道義に基き大東亜に於ける和親の関係を建設し、惹て万邦共栄の世界的建設と人類の平和的発展に寄与せんが為、大東亜各国政府代表は左の通り宣言す≫という文言は、左派的にすら響くほど《一》への収斂が志向されているように思える。これは著者小倉氏の直後の次の指摘とも整合する。≪日本の近代とは、それまで日本社会に完全には浸透できなかった集合的・全体的な実体としての〈第二の生命〉を大々的に採り入れた時代であった、といえる。この〈第二の生命〉は、西洋および中国の朱子学的な大陸文明にもとづくものである。(…)この時代、たとえば昭和前期のように、日本の独自性を叫んで西洋との文明的な違いを声高に主張したことがあったが、それでもその主張の内容は多分に大陸文明的なものであった。普遍志向的で実体主義的な「反群島文明的な日本主義」だったのだ(214頁)≫。してみると大東亜共栄圏思想も≪普遍志向的で実体主義的な「反群島文明的な日本主義」≫だったと見なせるのかもね。
それから第二次世界大戦敗戦に関する次の指摘は興味深い。≪これ[敗戦]は文明論的にいうなら、いかなる事態だったのか。¶〈ファシズム対自由主義〉の闘争において後者が勝利した〉と語るのはおそらくあるていど、正しい。自由主義陣営も結局は総動員体制であったという認識(…)を設定するなら、〈第二次世界大戦は一九二〇年代以降に総動員体制を採った国家どうしの戦争であり、そのうち全体主義的な総動員体制国家が自由主義的な総動員体制国家に敗北した〉ということもできる。だがこのふたつの認識の問題点は、ソ連や中国を扱えなくなることにある。したがって、わたしとしては以下のように規定したい。第二次世界大戦とは、@自由な国民の〈第一の生命〉を基盤にして資本主義に基づく総動員体制を構築した陣営(アメリカ、イギリス、フランス)と、A国家中心の本質主義的かつ競争的な〈第二の生命〉を基盤にして国家社会主義的な総動員体制を構築した陣営(日本、ドイツ、イタリア)との全面的な戦争に、B世界普遍の平等な〈第一の生命〉を構築しようとする共産主義陣営(ソ連、中共)が@に加わって展開した戦争である。¶このうちAが敗北した。勝利者として残った@とBは、世界大戦の最中からすでに軋轢を生んでおり、やがて冷戦という闘争状態に突入した。戦後の長いたたかいにおいて@の勝利がほぼ決定的となった結果生まれたのが、ソ連の崩壊(一九九一)である。その後、ロシアと中国は崩壊せずにむしろ強大化しているが、これは表看板としてのBを実質的に捨て、@の資本主義とAの国家主義を強化してグローバルな生存戦略を展開したからである。決してBが勝利したわけではない。¶戦後日本は、アメリカの直接的・間接的支配のもと、@を金科玉条にして存続した(218〜9頁)≫。私めは『アメリカ 異形の制度空間』を取り上げた際に、《一》への収斂を目指そうとする実体的な思想、グローバリズムの一つの起源としてアメリカの第二の顔を挙げた。またグローバリズムのもう一つの起源として、『コミンテルン』を取り上げた際に世界革命を目指した「コミンテルン」を挙げた。そしてこれら二つの勢力が合流して形成されたグローバリズムが日本にも浸透して、著者が主張するように、現代の日本は、≪戦前のよい文明もなにもかもかなぐり捨ててしまった≫のですね。私めは現代の日本の政治家や自称知識人の発言や行動を見ていると、この経緯がまるでわかっていないという印象を受けざるを得ない。
ということで次は「第三章 日本群島と文明のあいだ」に参りましょう。まず次の文を引用しておく。≪東アジアにおいて、中国《文明》や(中国化された)インド《文明》といった普遍的で巨大な《文明》が持つ構造や秩序の堅固さは、強力な《一》という統合的理念を中核とした全体支配への意志に満ち溢れたものである。小さな人間集団しか支配できない文化・慣習・掟には、この強力な《一》という全体的な理念が欠如している。そもそも《一》という全体は帰納主義的に到達できるものではなく、きわめて演繹的な概念だ。群島文明としては苦手な世界観である(229頁)≫。とはいえ、歴史的に見て日本に《一》がまったくなかったかと言えば、そんなことはない。だいたい現在の日本は、すでに述べたように《一》への収斂を目指すグローバリズムに取り憑かれているんだからね。それについては著者も、≪結局日本群島が大《文明》の陣営にはいったのは、律令制度実施期を中心とした国家の黎明期から平安時代初期までと、明治維新以後に権力と権威と聖性の三つのベクトルを統合して《一》の統治を実現しようとしたふたつの時期のことであった(230頁)≫と述べている。だから現代の日本人は、《一》に支配された、むしろ例外的な時期に生きていると言えるのかもしれない。現代日本については、著者は次のようにも述べている。≪わたしたち日本人は、戦後の長いあいだ、「日本国憲法的な世界観」に浸って生きてきた。したがってわたしたちが「人間」といったときにすでに、「日本国憲法的な人間」を意識的・無意識的に前提してしまっているという被緊縛状況からのがれることは、容易ではない。そしてこの「日本国憲法的な人間」というのは、一九四〇年代という特殊な時代において、米国の一部の《文明》的使命感を持った主体が強力に介在した観念である。したがって、わたしたちが「人間」ということばで「なにか」を表象するときにはいつもすでに、西洋近代的な《人間》がそこに二重写しになっていることは明らかである(238〜9頁)≫。引用文中にある≪米国の一部の《文明》的使命感を持った主体≫というのが、まさに私めの言う、《一》への収斂を目指すグローバリズムを掲げる「アメリカの第二の顔」なのですね。
そして、このグローバリズムの圧力によって「群島文明」は瓦解の寸前に至っていると見ることができる。それに関しては、著者も先の引用に続けて次のように述べている。≪その西洋文明至上主義的な視角から見れば、日本の群島文明的な人間観などは未開で蒙昧そのものであって、徹底的に廃棄されるべきもの以外のなにものでもない。大学というもっとも強力な理念構築システムにおいてそのような「反群島文明運動」が戦後八〇年のあいだ継続して展開されてきたわけだし(…)、官僚やメディアや教育機関なども嬉々として総力をあげてこの運動を推進してきた。¶いまや日本人の多くは自分たちこそ《文明》的な《人間》観の持ち主であることを自認しているだろうし、あるいはその自認を持てない勢力は日本人をさらに《文明》的に改造すべく終わりなき革命を実践している。この「反群島文明運動」に反対したり抵抗したりすることはまさに反《文明》的で反動的行為とされるので、社会の片隅に押しやられてしまい、アカデミアやメディアや教育機関からはほぼ完全に閉め出される。(…)かくして抵抗勢力を駆逐した「反群島文明運動」勢力は、緊張感の欠如した《人間》もどきを金科玉条のような範型として固定化し、フェティシズムの対象として崇拝しているのである(239頁)≫。この指摘は、現代日本の病理の分析としてはパーフェクトに近い。なお≪緊張感の欠如した《人間》もどき≫が何を指しているのはよくわからんが、文脈からすると「日本国憲法的な人間」のことなのかな? だとすると自称リベラルがここでも発狂しそうだよね。いずれにせよ、現代日本は≪《文明》的な《人間》観の持ち主であることを自認し≫、≪この「反群島文明運動」に反対したり抵抗したりすること≫を≪反《文明》的で反動的行為≫と見なしている、一部の政治家、メディア、教育機関、自称知識人の手によるファシズムに覆われているとさえ言えるのかもしれない。
そして著者は次のような大胆な主張を繰り広げる。≪日本群島には、《文明》もなければ《人間》もいないのである。道徳というものによって全面的に規定され、それによって演繹的に理性や霊性や自由や自律や自覚を内在させられてしまっている《文明的人間》がいないのである。(…)これは日本人が不道徳に生きているという意味ではまったくない。〈自己の倫理を厳しく守る際に、一神教的な神や絶対的な価値や良心という装置を必要としない〉という意味である。ではなにがあるのか。ひととひとの〈あいだ〉、ひととものの〈あいだ〉に立ち現われるかもしれないいのちがあるのだ。それが日本人の倫理を厳しく鍛えているのである(253頁)≫。ここで群島文明の最大の特徴である〈あいだ〉が登場する。ここでステマ、もといアカラサマを兼ねて紹介しておくと、わが訳書、バチャ・メスキータ著『文化はいかに情動をつくるのか――人と人のあいだの心理学』では、まさにこの〈あいだ〉、つまり関係を重視する文化と、個人の内面を重視する文化の比較が展開されている。なおメスキータ氏は前者をOURS型文化圏と、後者をMINE型文化圏と呼んでいる。日本は当然、前者の範疇に入る。もちろんメスキータ本はメインタイトルにあるように「情動」を主軸に議論が組み立てられており小倉本のように文明論的な側面に主眼があるわけではないし、OURS型文化圏には群島文明国の日本以外にも、中国を筆頭とする大陸文明国に属するさまざまな国が含まれているため、小倉本にあるような分散的、微分的な側面(それについてはあとで説明する)はほとんど見られず、よって「OURS型文化圏」対「MINE型文化圏」というメスキータ本の分類は、「群島文明」対「大陸文明」、あるいは「非実体系」対「実体系」という小倉本の分類にきっちりと対応するわけではない。とはいえ、関係性を重視する「OURS型文化圏」と個人の内面を重視する「MINE型文化圏」という分類は、小倉本を読むにあたってある程度参考になるはずなので、メスキータ本もぜひ買って読んでみてみて。
ということで小倉本に話を戻すと、第三章の末尾にある次の指摘も重要でしょうね。≪日本群島文明においては、なぜ全体的・包括的・体系的な哲学のかわりに文学が盛んだったのか。それは、端的にいうなら、人間観・生命観が全体的・包括的・体系的な文明の支配から逸脱していたからである。大陸文明的な哲学は、一個の全体的・包括的・体系的な理念によって人間精神の普遍的な支配を企図する。だから哲学の著作に出てくる人間や生命はつねに、ひとつの所与のパースペクティブから眺められた画一性から逃れられない。人間や生命を全体的・包括的・普遍的に定義して、その定義のもとに厳密な論理を展開するからである。¶だが、それは人間や生命を語っているわけではない。人間や生命はそのように統合的で体系的なものではなく、多様性や多重性や偶発性や多義性に彩られているものだからである。群島文明は、それを死守しようとした。大陸文明の画一的な人間観・生命観には決して支配されまいという強い意志を示しつづけた。そして多様で偶発的で多義的な人間や生命を記述するのにもっとも適しているのは、哲学ではなく文学という形式なのだった(278頁)≫。ところが現代の日本は、まさに大陸文明(現在は中国文明というより欧米の西洋文明が主体になるわけだが)によって群島文明を破壊しようとしているのですね。たとえばLGBTはあとで見るように日本では古来より普通のことだったのに、キリスト教に強く縛られた欧米で発達した大陸文明的な概念を上辺だけ捉えて無理に輸入して法制化するというばかげたことを政治家が平気でやっている。大きな問題ではなかったものをあえて法制化すれば、結局LGBTとそれ以外の人々の境界を際立たせ、LGBTが有徴項と化してしまう結果になる、すなわちまったくの逆効果になってしまうのですね。するとかえって差別が助長されてしまう。政治家を含め、エリートを自称する現代日本人の多くは、そんなことすらわからないほど知性が退化してしまっているとしか思えない。いすれにせよそれについてはあとでもう一度取り上げる。
ということで、次の「第四章 日本群島の生命と人間」に参りましょう。著者はまず、「日本の古代思想はアニミズムだった」という見方を欧米流のイデオロギーに染まったものとして却下する。次のようにある。≪「未開」で「原始的」な部族が持っている生命観的世界観をタイラー[エドワード・タイラー:イギリスの人類学者でアニミズム論の御大]が〈「森羅万象/万物」に生命が宿っている〉と考えたのは、彼が西洋近代を経た視座を持っていたからではなかったのか。アニミズムという考え方が生まれたのは、それが西洋的な、あるいは近代的な「全体」「すべて」「一」「万物」という概念を経由していたからではなかったか。要するに、アニミズムとは前近代的な概念なのではなく、近代になってつくられた西洋的な概念ではなかったのか、ということである。¶このように考えると、アニミズムという概念自体が、西洋近代的なイデオロギーなのだと考えることができる。別のことばでいうなら、自然と精神を一旦ふたつに分けて、前者に「全体」「すべて」「一」「万物」という属性を与えて、その後にその両者を合一させるという作業を経た後の概念がアニミズムなのだ、ということだ(290〜1頁)≫。要するにアニミズムとは、西洋世界が非西洋世界の世界観を説明しようとして作り上げた、サイードの言う意味でのオリエンタリズムのようなものだということなのでしょう。だからそれは「大陸文明」を逆照射するものではあっても、「群島文明」を始めとする非西洋的文明を説明する道具にはまったくならないということになる。というか、逆に誤解を生むだけなのかもしれない。
それに対して著者が取り上げる「群島文明」の観念は「八百万の神」なのですね。それに関して次のようにある。≪これに対して「八百万の神」という観念は、「全体」「すべて」「一」「万物」という概念とは無関係である。それらの概念に対して無知な世界観だといってもよい。「八百万」というのは「きわめて多い」といいかえてもよいが、「全体の神」「すべての神」「一なる神」「万物の神」という意味ではまったくない。あくまでも共同体の構成員が知覚可能な範囲での生命感覚なのであり、「宇宙」とか「普遍」とか「超越」などという観念とは無関係なのである。それを知覚できるかできないかは偶発性にゆだねられるが、全体から演繹される生命ではなく、具体から帰納される生命なのだ(293頁)≫。また、オギュスタン・ベルクを持ち出して次のように述べる。アニミズムではなく≪むしろわたしたちは、オギュスタン・ベルクの「風土」「メゾロジー」「通態」という考えに学ぶべきだ。これらは彼の『風土の日本』(一九八八)で語られている。客体と主体のあいだ、主語でも述語でもあるという存在は通態的であると彼はいい、風土(ミリュー)こそそうしたものだという。ミリューはまさに、主体の側や「万物」なる客体の側にあるのではなく、その連結や〈あいだ〉にあるのである(295頁)≫。『風土の日本』は読んだ記憶はあるけど、内容はまったく覚えていない。
それから次に文化人類学者のティム・インゴルドが持ち出されているのも興味深い。インゴルドの名前は奥野克己著『はじめての人類学』(講談社現代新書)を読んだときに初めて知った[ページ内検索キーワード:インゴルド]。ちなみに、小倉本と関係しそうな部分をそちらから一箇所だけ書き写しておきましょう。次のようにある。≪インゴルド人類学のテーマは、一言で言えば、(動詞の)「生きている」です。彼に言わせれば、「生」というのは固定された不動のものではありません。絶えず動き続けて生成と消滅を繰り返し、変化するものなのです。固定化された名詞的な「生」ではなく、流動的で動詞的な「生きている」状態、「生の流転」に目を向けるのがインゴルドの人類学です。¶生きている、というのはすでにゴールの決まっているプロセスを歩むことではありません。むしろ、行き先が未定で、宙に投げだされたかのような状態で変容していくプロセスに他なりません。インゴルドにとって「生きている」とは、人とモノ、人と環境が持続し、瓦解するプロセスを進んでいく中で開かれる現実なのです(同書162〜3頁)≫。
小倉本に戻ると、このような生命観をインゴルドは「アニマシー」と呼んでいるらしい。次のようにある。≪文化人類学者のティム・インゴルドは、アニミズムの世界観を繊細な感性で読み解く。森羅万象に生命が宿るというよりは、あるものに偶発的に生命が宿ることを彼は「アニマシー(animacy)」と表現する(…)。¶わたしがひととひととの〈あいだ〉、ひととものの〈あいだ〉に偶発的に立ち現われるかもしれない〈いのち〉を〈第三の生命〉と呼んでいるのも、インゴルドと同じ考えによる(ただしわたしの場合は、生命が「宿る」とは考えない。あくまでも偶発的に「立ち現われるかもしれない」のである)。¶インゴルドの「アニマシー(animacy)」は、このような偶発的な〈第三の生命〉の感覚に近いものである。わたしはさらに進んで、このような生命のとらえ方を「アニマシズム(animacism)」と呼んでいる。なにが生命であるかどうかは定義によって演繹的に決められるものではなく、それを感受する主観との関係性によっていのちのありかたが決まるという世界観である。タイラーのアニミズムとも、ヴァイタリズム(生気論)のアニマティズム(ロバート・マレットのことば)とも異なり、〈生命は偏在的・個体的・普遍的なものではなく、偶発的で間主観的で中動態的な立ち現われである〉と考えるのである。先ほど述べた日本のかみの生命観は、このアニマシズムの典型例であるということができる(298〜9頁)≫。ちなみに「中動態」とはググると≪能動態(〜する)と受動態(〜される)の中間に位置し、行為が話し手(主体)に及ぶ場合や、行為の結果が話し手自身に跳ね返ってくるような状況を表します≫とある。
ではインゴルドの言うアニマシー、著者の言うアニマシズムは、具体的な日本の歴史のなかでどう顕現してきたのか? それを見る前に、まずより一般的な傾向を説明した次の文章を引用しておきましょう。≪日本群島的アニマシズムにおいては、保守性に対して、美意識で対抗しようとした。¶日本群島の生命感覚およびその反映である美意識に、アニマシズムの色がきわめて濃いのは、アニマシズムをめぐる政治性のゆえである。つまり、共同体が保守に陥らずにつねに革新性を保つためには、美という生命のありかたをめぐって「アニマシーの闘争」を繰り広げる必要があったのだ(300頁)≫。ここで、著者は「保守」の意味を明確に定義していないので、やや注意する必要がある。普通に読むと、アニマシズムは、手段に関して暴力ではなく美意識で対抗するとは言っているものの、政治性に言及しているわけで、下手をすると最終目的としては結局一種の左派的な階級闘争史観、下剋上史観に近い側面があるかのようにも思えてしまう。しかし、ここまで読んできてわかるようにおそらくそうではないでしょう。そもそも階級闘争や下剋上は、現状を覆すことが目的であったにせよ、階級という、大陸文明を特徴づける実体的な第二の存在様態をめぐる政治的な運動に過ぎないのであって、群島文明を特徴づける非実体的な第三の存在様態とはまるで無縁なのだから。それから「ヘタレ翻訳者の読書日記」の各記事で何度も指摘してきたように、「保守=反革新」ではない。そう思えてしまうのは、左派メディアが保守を叩くために「保守=右翼」という間違った図式を平然と流布しているからなのですね。保守は、革新性を認めないわけでは決してない。ただ現在の生活を破壊するほど急激な変革は望まないというに過ぎない。むしろ「普遍」「一」「全体」に固執するのは、現在を重視する保守ではなく、過去の特定の時代に執着する国粋主義を唱える右翼、ならびに未来に執着するユートピア主義を唱える左翼なのですね。だから本来は「保守vs右翼&左翼」という構図で見るべきだと言える。要するに生存と現実生活を重視して特定のイデオロギーに執着する度合いの小さい保守より、その度合いがきわめて大きい右翼や左翼のほうが普遍的、一的、全体的な理念や理想にこだわる第二の存在様態を体現していると見ることができる。だから近現代において戦争を起こしているのは保守ではなく、イデオロギーにまみれた右翼か左翼かのどちらかだと言っても大きな間違いではないはず。とはいえ正直なところ、この点に関して著者がどう見ているのかはよくわからん。
個人的な感想はそのくらいにして、アニマシズムの具体的な顕現について著者は次のように述べている。≪特に平安時代から室町時代にかけて、中国や朝鮮の大陸文明の影響から離れていく過程で、その感覚[アニマシズム]は磨きに磨かれた。平安時代の女性たちによる「をかし」や「あはれ」、平安時代から鎌倉時代以降の没落階級による「幽玄」、室町時代から江戸時代の被差別階層による「わび」「さび」、そして主に江戸時代以降に盛んになった反社会的集団による「いき」などが、その例である。日本的なアニマシズムにおける群島文明的美意識の全面開花なのだ。¶これらの美意識が独自に発達した動きの全体をひとことでいえば、それは「普遍から特殊へ」という運動だった。大陸化した生命感覚を群島的なものに戻す運動であった。そしてわたしたちの言葉でいえば、〈アニマシーの美〉へという動きだった。偶発性や反普遍性に裏づけられた現象としての美である(300頁)≫。「をかし」と「あはれ」については、「第六章 美のアニマシー」で詳しく検討されている。してみると、アニマシズムが抵抗した対象とは、「保守性」と言ってもあくまでも大陸文明や普遍主義だったということになる。アニマシズムに関してもう一箇所引用しておきましょう。次のようにある。≪日本人の日常というのは、演繹的な道徳に支配されている大陸文明の住人とは違って、美の生命感覚(アニマシー)を研ぎ澄ませながら、自分のいる場の〈あいだのいのち〉が腐敗しないようにつねに気を張っている、というたぐいのものである(301頁)≫。
それから「「ことだま」は実体系、「ことのは」は非実体系」という節にある、「ことだま」と「ことのは」の区別は実に興味深い。次のようにある。≪端的にいうなら、「ことば=ことのは」という表現自体、「ことだま」とはまったく異なる、否、正反対の言語観を代表していることばである。「ことば」から「ことだま」は生まれないし、「ことだま」と「ことば」は無関係なのである。¶つまり「ことだま」が実体系の語であるのに対し、「ことのは」は非実体系の語である。¶「ことだま」は「たま系」の世界観による言語哲学である。したがって、実体としての「たま」を否定する「ことのは」の哲学とは、まったく相容れないものだ。「ことだま」は「言霊」という漢字表記に対するやまとことばであるが、「ことのは」はそもそも「霊」や「たま」とは無関係な概念なのである(310〜1頁)≫。「ことのは」については、かなりあとにさらに次のような指摘がある。≪「ことのは」は「こと(事)」の「は(端)」という意味であるから、ここには強いニヒリズムがある。すなわち、〈ひとの言語的コミュニケーションによっては、事態の一端しか表現できない〉というニヒリズムである。(…)〈ことばによってほとんどのことは伝えられないのだから、ことばによるコミュニケーションを信頼してはならない〉という思考が強烈にある(320〜1頁)≫。「事」の「端」を意味する「ことのは」は、してみるときわめて微分的、分散的な概念であると言えるように思える。一九八〇年代に流行ったポストモダン的言い方をすれば逃走的、脱領域的、限りなき差異の戯れ的とも言えるかもしれない。
やや唐突になるけど、言葉によるコミュニケーションが信頼できないのは、事態の一端しか表現できないどころか、イデオロギーを始めとする「想像の知」に絡み取られやすく、それによって「理性の知」や「直観の知」がないがしろにされ、事態の全体が大きく歪曲されるということもある。ちなみに「想像の知」、「理性の知」、「直観の知」とはスピノザの概念で、それについては吉田量彦著『スピノザ』(講談社現代新書)や國分巧一朗著『スピノザ』(岩波新書)を参照されたい。とりわけ生存や生活に関する「直観の知」がないがしろにされると(近代以降の欧米世界や日本ではその傾向が強い)、生命を破壊する悲惨な事態が起こりやすい。たとえば近代以降、「直観の知」や「理性の知」に基づくチェックが利かないイデオロギーに踊らされて、どれだけの戦争、虐殺、粛清のたぐいが起こったかを考えてみればよい。「ことのは」は、むしろ「想像の知」によって歪曲されにくいのかもしれず、もしかすると昔の群島文明の日本人は、「事」の「端」という微分的、分散的な「ことのは」を志向することで、《一》に収斂しようとする「想像の知」の支配をそれこそ直観的に回避しようとしていたのかもしれない。ちなみに現代における直観の軽視が、いかなる問題を引き起こしているかについては『存在の四次元』の訳者あとがきの後半を参照されたい。
ということで次は「第五章 性のアニマシー」。この章では〈女系いのち〉とCGP(クロス・ジェンダード・パフォーマンス)に関する記述がおもろかった、その話に入る前に、どうでもいい指摘をしておく。それは、農耕と文明の関係を説明する箇所で言及している人物として、ウィリアム・マクニールとともにケン・ウィルバーの名前があがっていること。思わず「え? あのアストラル界がどうのこうと言ってた人のこと?」と思ってもた。とはいえ白状すると、かつて私めは『意識のスペクトル』などのウィルバーの著者を始めとして「トランスパーソナル心理学」の本を熱心に読み漁っていた。でも、それらの本や考えは現在ではかなりオカルト的な扱いがされているように思われる。まあもちろん著者自身も≪マクニール、高取[正男]、ウィルバーの主張を一〇〇パーセント受容するつもりはない(366頁)≫とは書いているけど、マクニールに言及する学者は大勢いても、ケン・ウィルバーを持ち出す、(トランスパーソナル心理学者以外の)学者先生は初めて知った。いや、べつに批判したいのではなく、久々に「ケン・ウィルバー」の名前を見かけたので、「ををををを! なんとなつかしい!」と思ってどうしても言及したくなったというわけ。
それはどうでもいいとして、まず日本における「女性」の見方について書かれた部分を取り上げましょう。次のようにある。≪日本群島文明において、女性の自我がほかの地域と比べて特別に早い時期に獲得された、というわけではないだろう。ただ重要なのは、そのことの表現と記録が非常に早い時期に残された、ということなのである。¶女性の自我は、どの社会や共同体でも早くから確立されたと思われる。しかしそれが、男性中心主義的な英雄譚などの記録によって圧迫を受け、表現や記録としては残らない、という時代が長く続いた。日本群島文明の場合は、女性の自我の記録が比較的早い時期に書かれ、そして残ったという事実が重要なのである(374頁)≫。日本独自の左派思想に染まって日本アゲをしたくないからなのか、日本サゲがしたいからなのか知らんが、日本人はすでに平安時代に『源氏物語』という「物語」とはいえ個人の内面を扱う小説もどきの文学が残されていて、しかもそれが女性によって書かれているという事実に言及したがらない。もちろん物語という意味でなら、古代ギリシアの昔ですらホメロスがいたわけだが、『イーリアス』や『オデュッセイア』は叙事詩であって近代的な小説ではなく、内容は≪男性中心主義的な英雄譚≫に他ならずヘレンちゃんの扱いなど、まさに「male chauvinistic pig」が書いた物語って感じだよね。異論はあるだろうが、近代的な小説のはしりと言われているのはセルバンテスの『ドン・キホーテ』だったと思う。『ドン・キホーテ』はペンギンちゃんの英訳で読んだことがあるけど(複数巻ある和訳を買うよりはるかに安かったからね)、はっきり言って時代遅れの精神に取り憑かれたドン・キホーテがその辺の裏山で冒険をしているという印象しか残っていない。『源氏物語』は、高校の古文でいやみな先生のいやみを聞きながら読んだことしかないけど、いずれにしてもその『ドン・キホーテ』より、よほど小説的な側面が強かったように覚えている。しかもそれが『ドン・キホーテ』より500年以上前に女性によって書かれているのですね(ちなみにググると『ドン・キホーテ』は一六〇五年に、『源氏物語』は一〇〇八年に発表されている)。これに関しては著者も次のように指摘している。≪『源氏物語』や『枕草子』はほぼ西暦一〇〇〇年くらいの時期の記録である。世界全体で見ても、この時期に女性による物語やエッセイが記録されたということはきわめて珍しい事実といえる。(…)日本の特殊性は、西洋で近代になって「小説」とか「エッセイ」などというあたらしいジャンルの文学的表現形式が生まれる数百年もまえの平安時代に、すでにそれらのジャンルを先取りした文字記録が残されたことにある。このことの重要性は、文明論的な観点からもより深く考察されるべきなのだ(375頁)≫。
さて、実のところコトは女性に限られず、現代で言うところのLGBTのTに近い考えが日本には平安時代の頃から存在していたことも指摘されている。次のようにある。≪日本群島の歴史をひもといてみるとそこに浮かび上がるのは、〈女系いのち〉による文明の強靭さである。¶ただしそれはつねに〈男系いのち〉によって脅かされ、支配され、破壊されてきたので、注意深く歴史を見ないと、案外見逃してしまうのかもしれない。もっともわかりやすいのは無論、平安時代の貴族階級に属する女性たちによる{絢爛たる/傍点}文明である。しかし実はそれ以外にも、日本群島の歴史を彩る〈女系いのち〉の強靭さは、大陸文明のそれと比べると著しい。¶〈女系いのち〉は、女性だけによって担われたのではない。この群島では、男性たちも率先して〈女系いのち〉を実践してきた。女と男の境界を越えるクロス・ジェンダード・パフォーマンス(CGP:ジェンダー交差の文化行為)がきわめて盛んだったことが、それを証明している。¶平安時代の貴族文化や鎌倉・室町時代の文芸や江戸時代の大衆文化の多くが、いわゆるCGPであった。このCGPの全体を貫いているのが、〈あいだのいのち〉という独特な群島文明的生命感覚であった。生命は、個体にも集団にも宿るが、それとは別に〈あいだ〉にも偶発的に立ち現われる、とする生命観である(378〜9頁)≫。もちろん著者の言うCGPが、現代で言うところのLGBTのTにきっちりと重なるか否かは議論の余地があるのかもしれない。ただし次のことは確実に言えると思う。私めがガキンチョの頃には、つまりLGBTなどという概念がまったく存在していなかった時代でさえ、カルーセル麻紀とかピーターとか今で言うところのトランスの芸人がテレビで活躍していて、おそらくはほとんどの人がそれを特に不思議だとは思っていなかった。その後もおすぎとピーコとか今でもマツコ・デラックスとかその系統の芸能人が活躍しているし、はては何ちゃらママとかいう大学教授までいる。また宝塚は逆バージョンのトランスと見なせる。この新書本を読んでいて、まさに現代の日本でこれらの芸能人が活躍できているのは、平安時代からのCGPの伝統が深く根づいているからこそではないのかと感じた。そんな日本に、これまで歴史的に長く〈女系いのち〉やCGPや〈あいだのいのち〉を破壊し続けてきた欧米を含む大陸文明が、日本ではすでに1000年も前から実践していたことに現代になってようやく気付いてLGBTとして概念化した思想を強引に導入しようとする試みがいかにばかげているかがわかろうと言うもの。ほんとうに現代日本の無知な政治家や自称知識人には呆れ果てる。
それからHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)の生命感覚に関する次の記述は興味深い。≪平安時代に花開いた貴族文化は、ひとやものとの〈あいだ〉に関して高度に敏感なひと、いわばHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)の生命感覚といってよいと思う。¶敏感すぎるゆえに生きることがむずかしいひとの「生きる」感覚である。ほかのひとならやりすごしてしまう些細なことに、どうしても鋭く反応してしまって、それゆえ生きることが困難になる。これこそがホモ・サピエンスの感覚の最先端だといってよい。¶代表的な例はもちろん『枕草子』の清少納言であろう。(…){硯/すずり}で墨を{磨/す}るときに髪の毛がはいってしまうのは憎らしい。取り柄のないひとが笑っているのは憎らしい……きりがない。¶極度に敏感なひとは、洋の東西を問わず、また時代を問わず、どこでも、いつでもいたと思う。¶ただ、西洋では近代になるまで、そういうひとたちの繊細な世界観や生命感覚は無視され、記録もされなかったのである。¶なぜなら、文字による記録というものは、近代になるまでは、[西洋では]個別性か超越性のどちらかにかかわるものでなければ、残されなかったからである。「個別性か超越性か」というのは、別のことばでいうなら「個人か神か」ということだ(380〜1頁)≫。「ジェーン・オースティンなんぞ、日本に比べれば登場が800年くらい遅いぜ!」って感じね。まあそれはいいとしても、最後の二文はきわめて重要なので覚えておきましょう。さらに次のようにある。≪極度に敏感なひとというのは、個別性でも超越性でもなく、〈あいだ〉に対する感性がきわめて繊細なひとなのである。〈あいだ〉のずれや不具合や違和感に対してきわめて敏感に反応してしまうひとである。〈あいだ〉はいのちだからだ。それがなければ個別的な生命もない。¶西洋で英雄譚や聖書に関する物語の時代が終わって、女性たちが極度に鋭敏な存在感覚を文字で記録しはじめたのは、一八世紀から一九世紀にかけてのことである(381頁)≫。≪〈あいだ〉のずれや不具合や違和感に対してきわめて敏感に反応してしまう≫というのは、昨今の脳科学の用語で言えば「「予測エラーシグナル」に対する重みづけがきわめて高い状態にある」という見立てになるけど、長くなるからそれ以上は書かない。筑摩書房から秋頃に拙訳で刊行される予定になっているアンディ・クラーク著『経験する機械(仮題)』をぜひ買って読んでね。ヨロピク。
次に紀貫之の活動と和歌の実践にCGPを見出す次の記述は興味深い。≪男性中心主義ではなく女性の視座から日本群島文明を眺めてみる、ということが重要である。しかし実は、CGPの背景には、〈男性と女性をあまりにも截然と分離してしまうことに対する違和感〉も、日本群島文明のなかで脈々と引き継がれてきたという事実がある。このことを理解することが重要だ。¶男性と女性の境界線を無化したり、あいまい化したりすることは、ある時代の日本群島文明のなかではむしろ主流のふるまいであった。¶{紀貫之/きのつらゆき}の「土左(佐)日記」を見ていただきたい。「をとこもすなる日記といふものを、をむなもしてみむとてするなり」つまり「男も(漢文で)書くという日記という行為を、女もしてみようと思って、(かなを使って)書いてみる」。¶ここで重要なのは、紀貫之は自分が(おそらくは)男であるにもかかわらず、男と女の境界を越えようとしているということである。これこそがCGPである。(…)平安時代には、和歌が隆盛する。桓武天皇が開いた京都では、最初の一〇〇年間、つまり桓武天皇の大文明的な意志が強く残存していた時期には、漢文・漢字中心の文化が花開いた。平安時代は、日本における中国的漢文中心文明の再建という大陸文明化の使命をになって始まったのである。しかし一〇〇年経って桓武天皇系の大文明的意志が弱まると同時に、主に中級から下級の貴族たちによって、反漢文中心文明のうねりが起きてくる。¶その中心に、紀貫之がおり、和歌があったのだ。¶平安時代における和歌という行為こそ、究極のCGP的行為であった。¶歌人たちはなにをしたのか。こぞって、女性と男性の境界を越えようとしたのである。それは、大陸文明への抵抗運動でもあった(382〜3頁)≫。
CGPに関しては他にもおもろい記述があったけど、すでにかなり長くなってきたので、次の章「第六章 美のアニマシー」に参りましょう。著者は、西村清和氏の「美的フレーミング」の概念を取り上げて次のように述べる。≪美は、「りんごがそこにある」という認識とは異なり、「うつくしい」と感じるか感じないかという主観が強く介在する認識なので、その主観をある程度方向づける枠組みが必要である。西村はこれを「美的フレーミング」と呼ぶ。能の舞台を見ても、このフレーミングが共有されていなければ、そこでひとが動いたり声を出したりしていることが「美」とは認識されないかもしれない。したがってあるものやことを「美」と感じるためには「美的フレーミング」が必要なのだが、これは時代ごと、分野ごと、そしてひとそれぞれによって異なる(404頁)≫。社会的な役割に関して社会学者のアーヴィング・ゴフマンがFrame Analysis: An Essay on the Organization of Experienceというタイトルの、ゴフマン社会学の基盤をなすフレーミングに関する本を書いているけど、してみるとその美学バージョンが「美的フレーミング」になるのかな。あるいはもっと俗なことを言えば、「オヤジギャグ」でさえ、「美的」という接頭辞はつかないとしてもフレーミングの存在が必須だと言える。オヤジギャグとはまったくおもしろくないことを、まったくおもしろくないがゆえにおもしろくするという逆転の発想に基づいた高等戦術だと見なすことができるが、そこには「オヤジギャグをおもしろく感じさせるフレーミング」というものが前提として存在していなければならない。だって、それがなければな〜〜んもおもろないんだから。
無駄口はこれくらいにして、フレーミングに関して小倉本に次のようにある。≪日本以外の国々ではものごとを「政治的フレーミング」や「経済的フレーミング」で認識することが多いのだが、日本群島では必ずしもそうではなかった。¶大陸文明的な理念や超越的価値による統合的統治の場合、生活の現場にまで「政治的フレーミング」が浸透していることが多い。これを覆すには、革命や政治変革や政権交代などによって既存の「政治的フレーミング」を変えていく必要がある。¶ところが日本では、既存の政治的な共同主観を変革する場合に、「美的フレーミング」の変更という方法がとられることが多かった。したがってこの「美的フレーミング」は、政治的な装置でもあったのだ。(…)「政治的=美的」というのは、政治家がうつくしいという意味ではもちろんない。腐敗した政治に支配されるよりも、日常の、あるいは非日常の審美性によってそれを無化したり変革したりしようとする倫理的態度である。その意味で日本人の日常は凛として美的政治的だ。¶これはむしろ中村元が「日常性の重視」と呼んだものに近い。アンドレ・ルロワ=グーランは「私は日本に非常に強い愛着を抱いております。留学時代、農民たちのごく近くで生活しましたが、彼ら日本人を私は高く評価しています。彼らの中には、審美的なものと日常生活とを密接に結びつけることのできる人々がおります」といっているが、これもまた、日常を「美的フレーミング」で満たす生のことをいっているのだろう。彼は道具・身ぶり・リズム・機能などの美を探求する社会文化人類学者だった。日本では、日常の瞬時瞬時が審美的なのだ(406〜7頁)≫。ルロワ=グーランの≪彼らの中には、審美的なものと日常生活とを密接に結びつけることのできる人々がおります≫という発言はよくわかる。小倉氏は≪日常を「美的フレーミング」で満たす生≫と述べているけど、その逆に日本人は「美的フレーミング」を日常で満たすことにも長けているようにも思われる。一例をあげましょう。新宿の東口にどでかいネコちゃんの3D広告があるよね。最初にあれを東口でリアルに見たときにはびっつらこいた。ところでその手の3D広告は現在では世界中にある(中国が一番多そう)。でも日本以外の国では表示内容と言えばヒーローや怪物などの非日常的なもの、力を感じさせるものがほぼすべてなのに対し、日本では三毛猫(あるいは渋谷では柴犬)というきわめて日常的な存在が表示されている。もちろん3D広告を美的と言ったりはしないとしても、少なくとも観る人の心に訴えるものを表示させる必要がある。だから外国ではヒーローや怪物が表示されているのですね。かくして日本人の心には、日常的なものを、心に訴えるという意味で美的と感じる傾向があるように思える。小倉本を読んでいるとそのような日本人の心の傾向が、実は群島文明特有のもので、すでに平安時代から備わっていたことがわかる。
次にすでに言及した「あはれ」「をかし」が論じられている。まず次のようにある。≪日本群島の美意識が形成されるうえで決定的に重要だったのは、「あはれ」と「をかし」という非実体系の美的生命の概念を、平安時代の女性がつくりだしたことだった。なぜなら、このふたつの概念は、その後に日本群島文明が「幽玄」「わび・さび」「浮き世」「いき」などという偶発的な〈いのち〉の世界観を鍛え上げていくうえで決定的な始原的役割を果たしたからである(416頁)≫。「あはれ」と「をかし」は、日本群島文明的な非実体系思考のルーツをなしているということらしい。非常に長くなってきたので、ここでは「あはれ」だけを取り上げることにしましょう。≪「あはれ」「もののあはれ」を思想的な深さにおいて把握したのは、もちろん本居宣長である(418頁)≫ということだけど、本居宣長による「もののあはれ」論については、先崎彰容氏の『本居宣長』(新潮選書)を取り上げたときにも触れたのでそちらも参考されたい。ところがちくま新書本の著者、小倉氏は、宣長の「もののあはれ論」がお嫌い?らしく、相良亨を引用したあとで次のように述べている。≪つまり、宣長の「物のあはれ」論というのは、表面上は偶発的な非実体系の世界観を代表しているように見えるが、その背後には、ことのはのすべてを流出させる「心」という実体、歌の情感的表現のすべてを流出させる「物のあはれ」という実体、そして世界のすべての「事」を流出させる「神」という実体という、きわめて実体系的で本質主義的な世界観を隠し持っている、ということなのだ。¶だが『源氏物語』の「あはれ」というのは、そういう実体系的なものではまったくない。宣長は儒学を学びすぎたために、自分がいくら儒学(朱子学)の本体論や体用論から遠く離れたと認識しても、結局は離れられなかったのではないだろうか(423頁)≫。
もちろん宣長に対するこの見方がどこまで正しいのかは、専門家でない私めにはまったくわからん。ただ先崎氏の『本居宣長』には、たとえば次のような指摘がある。≪宣長の独自性は、たとえば戦国時代の天才、細川幽斎(1534―1610)と比較すればあきらかである(…)。武術に秀で、また当代随一の文化人として歌道、茶道、蹴鞠もよくした愛国者が幽斎である。古今和歌集を最新の理論で読み解き、世界文学に位置づけようとした野心家だった。現代思想で古典をするどく斬り、人びとから喝采を浴びたのだ。¶だが宣長が「もののあはれ」論でめざしたのは、そういうことではない。近代文学の発見でも、個人主義の称揚でもなかったのである。「もののあはれ」論は自我論ではなく、男女の恋愛を基礎にした人間関係論である。男女の恋が紡ぐ駆け引きの中に、私たちの生き方の基準を発見した。それは朱子学的世界観以前の自分たちの生活様式であり、この世界を肯定するために、借り物の外来語ではなく日本語をつかう。朱子学や仏教、武士道、さらに商品貨幣経済がもたらす人間関係はとても冷たいものである。こうした人間関係とは、まったく異なる生き方と言葉遣いがあることを宣長は発見した(同書24〜5頁)≫。こうしてみると、先崎氏は相良氏や小倉氏とはやや異なり、宣長の「もののあはれ」論を少なくとも人間関係論として見ていたことになる。まあこれに関しては、私め自身には判断しようがないのでこれくらいにしておく。
では、本居宣長は脇に置くとして、小倉氏は『源氏物語』の「あはれ」それ自体についてはどう捉えているのか。非実体系の「あはれ」に関して小倉氏は、実際に『源氏物語』から文章を引用しながら論じているけど、あまりに細かくなるのでその部分には触れない。なので「あはれ」について論じられている部分の最後の一段落のみを引用しておく。次のようにある。≪このように『源氏物語』は、この時代の宮中の女性がいかなる生命感覚をもっていたのかを、きわめて克明に記録した稀有なテクストである。宮廷はもちろん男性中心主義的な場所だったが、そのなかで女性たちはそれぞれの才覚と個性によって活躍していた。CGPを優雅の別名とする男性たちによる独特な抑圧と、そのCGPに加わることによって自らを「CGP的女性」の型にはめこんで生きるという道を選択せざるをえなかった女性の苦しみが、同時に融合されて絶妙なスタイルとなった。登場人物たちは〈いのち〉の立ち現われに関して鋭敏な感覚を磨くが、「あはれ」の一語が発せられると、読者(聞き手)もまた同時に、立ち現われた〈いのち〉を全身全霊で感じとるのだ(429頁)≫。≪CGPに加わることによって自らを「CGP的女性」の型にはめこんで生きるという道を選択せざるをえなかった女性の苦しみ≫というくだりは、なんとなく現代日本の女性の状況に通じるものがあるようにも思える。今の日本女性、とりわけ左派イデオロギーに囚われている人(フェミニストでさえ)は、LGBTのTに対してはっきりと異議を唱えられないため(そんなことをすれば朝日新聞を読んでいるお仲間たちからたちまちハブられちゃうしね)、外国ではスポーツなどで実際にTによって女性が機会を奪われている事実があるにもかかわらずだんまりを決め込むしかない。その意味では、ネットで知っただけなので真偽のほどは確かでないが、ハリポタの著者でフェミニストのJ・K・ローリングが、はっきりとそのような状況に異を唱えているらしいことは、それが本当であれば称賛されてしかるべきでしょうね。すでに述べたようにLGBTは、大陸文明的な概念であり、それに近い考えは群島文明の日本では、CGPという形態ですでに文化の奥深くに根づいている。にもかかわらずLGPTという大陸文明の思想を無批判に輸入したおかげで、女性が非常に厄介な立ち位置に置かれるようになったわけ。平安時代の女性もそれと似たような立ち位置に置かれていたのだとすれば、現代の女性は、左派イデオロギーに拘泥するのではなく、平安時代の女性たちから、そのような事態にどう対処すべきかを学べるかもしれないよね。
ということで次はようやく最終章の「終章 トランス東アジア哲学のなかの日本群島」に達する。まず冒頭で「世界哲学」が取り上げられている。次のようにある。≪「世界哲学」というのは「普遍的で偉大な哲学」という意味ではない。逆である。プラトンやアリストテレスやカントやヘーゲルといった、誰でも名前くらいは知っている「普遍的な」哲学を高く評価するのではなく、逆にその専横を批判するのだ。〈「普遍的」であるということは「暴力的」であるということと同義である〉という認識に立って、〈これまで「普遍的」とされてきた「哲学」が、いかに大文明による非・大文明地域への侵略と支配と抑圧に寄与してきたのか〉ということを糾弾するのが「世界哲学」の役割のひとつなのである。¶したがって「世界哲学」はその使命のひとつとして、「大文明の哲学」「人間中心の哲学」「理性中心の哲学」「男の哲学」などによる支配を解体しようとする(453頁)≫。≪「普遍的」であるということは「暴力的」であるということと同義である≫というくだりは非常に重要だけど、これはあくまでも「普遍的であろうとすればするほど、それだけ現実に対して暴力的にならざるを得ない」という意味で捉えたいところ。その意味において私めは、「今」という現実を重視する保守主義を擁護し、ユートピア思想のような未来重視の普遍主義を掲げる左翼思想と、国粋主義のような過去重視の普遍主義を掲げる右翼思想を嫌っているわけ。それから次の指摘もよく理解できる。≪これまでのポストコロニアリズムや世界哲学においては、「西洋」を実体化して悪の価値をそこに全面的に押し付けるというイデオロギーが支配していた。しかしそこには文明論的な視座が欠けていた。「文明=西洋」という枠組みを強固に持ちすぎていたのだ(457頁)≫。その点ではオリエンタリズム批判なども同じ穴のムジナ的な匂いがするよね。最後に「普遍哲学」「通底哲学」「非通底哲学」という著者独自の?概念が論じられている。「普遍哲学」は≪大文明の哲学。他者とは出合わない。他者と接触すると支配する≫、「通底哲学」は≪大文明だけでなく、非大文明と出合い、対話し、通ずる≫、「非通底哲学」は≪どのように出合おうとしても出合えず、対話できず、通じ合えない(466頁)≫とのことだけど、率直に言ってとりわけコミュ症のような「非通底哲学」については何が言いたいのかよくわからなかった。
これで本文の紹介は終わるけど、最後に「あとがき」から一箇所だけ引用しておきたい。次のようにある。≪文明は悪である。その使命は既存の文化や民俗や自然の破壊にある。しかし、それなら文化や民俗や自然は、文明とは異なる善なるものなのか。もしそのように二項対立的に考えてしまうと、文化や民俗や自然というものにいつもすでに浸透している文明性を把握できず、「悪に染まっていない純粋なもの」という虚構を捏造してしまうことになる。いかなる文化や民俗や自然にも、それがいくら土着的で素朴で原初的に見えたとしても、なんらかの文明が浸透しているのである。〈自然は文明とは無縁だ〉と考えるのも間違っている。人間が山や川や森などを自然と認識した時点で、そこにはすでに「文明によって認識された自然」しか存在しないのである(507頁)≫。つまり、人間が認識できる自然とは、あくまでも文明によって手を加えられた自然でしかないということになる。純粋な自然というものが仮にあったとしても、それは人間には認識できないということ。ていうか、現実(リアリティー)そのものに、そのような性格があることはあえて言うまでもない。ということで、メタボった本だけに、その分長くなってしまったが、現代日本が抱えている問題をよく考えるうえでも、非常に参考になる本だと思うので、強く推薦できる本だと結論することでおしまいにする。
※2025年6月30日