◎先崎彰容著『本居宣長』(新潮選書)
本居宣長と言えば、「元祖ねとうよ」みたいな扱われ方をすることが多いけど、ほんとうのところはどうなのだろう。選書本のオビによれば、「中国でも西洋でもない。「日本」を見出した「知の巨人」」ということらしい。実は私めがこの本を買った理由は、「元祖ねとうよ」とか、「中国でも西洋でもない「日本」を見出した「知の巨人」」とかとは関係なく、「「もののあはれ」と「日本」の発見」という副題が、もうすぐ刊行される、わが訳書バチャ・メスキータ著『文化はいかに情動をつくるのか』(『情動はこうしてつくられる』の著者リサ・フェルドマン・バレットのお友だちなのでリサ友本と呼ぶことにする)にも関係して、めっちゃ興味を引かれたからなのよね。もう少し具体的に言うと、リサ友さんの提唱するOURS型アウサイド・イン情動のかつての日本における典型が宣長の提起する「もののあはれ」なのではないのかと思ったわけ。実は、この見方が正しかったことを、これから見ていく。そのようなわけで、この本に関しては、リサ友本に関係する部分をおもに取り上げるつもり。なおOURS型アウサイド・イン情動とは何かについては『沈黙の中世史』を参照してね。「もののあはれ」という言葉は、高校時代の古文でさんざん出てきたように覚えているけど、実は高校の古文の先生が恐ろしく嫌味で、古文が大嫌いになったから、「もののあはれ」と聞くとどうしてもねがちぶな気分になってしまうのよね。そのねがちぶな気分をものともせずに、買ったというわけ(実は某出版社の編集者に買ってもらったんだけどね)。
さて前置きはこのくらいにして内容に参りましょう。まず「序章 渡来の価値観――「西側」から西洋へ」から。いきなり「「西側」から西洋へ」とはどういう意味じゃと思われるかもだけど、このカギカッコつきの西側とは、実はかつての中国を指す。だから中国から西洋へという意味になる。以下カギカッコつきの「西側」はすべて中国を意味するので注意されたい。要するに、日本は、昔は中国から強い影響を受けてきたのに対し、明治以後は西洋から強い影響を受けるようになったことを意味するわけね。著者は最初に、二枚の写真を紹介してこの八〇年のあいだにいかに時代が変化したかを示している。一枚は二〇二三年にG7広島サミットで撮影された写真で、もう一枚は八〇年前の第二次世界大戦中に開催された大東亜会議の写真。広島サミットの写真では、中央のキッシーの両側には各国の白人の首長たちが写っている(ちゃっこいメローニちゃんがええねえ)。大東亜会議の写真では、東条英機の両側に立っているのは当然アジア人ばかり。著者の先崎氏は、こちらの写真について次のように述べている。「西洋列強の帝国主義に対抗する東側陣営の中心国、これが当時の日本が世界に示したアイデンティティーだった。世界秩序をみずから創りだそうとする野心が当時の日本にはあって、「大東亜共栄圏」という理念にも反欧米の意識がにじんでいる。米中対立がしきりに叫ばれている今日、日本は強固な日米同盟に基づいた西側陣営の一員であることは自明のことに思える。だが、わずか八十年というこの期間で、日本の自己意識が東から西に反転した事実は知っておいてよい。私たちにとって自明と思える秩序は、けっして自明ではないのである(12頁)」。実はこの本では、このかつては「西側」、すなわち中国からの、現在では西側からの影響が一つの中心主題になっている。
ではそのような視点から見た場合、本居宣長が生きていた時代とはどのような時代だったのか? それについてまず次のようにある。「野口[野口武彦の『日本思想史入門』]によると、古学や国学が勃興した江戸中期が、「西側」への権威が揺らぎはじめた時代だということがわかる。宣長と同時代人には、杉田玄白や前野良沢(1723−1803)らの蘭学者がいた。彼らは『蘭学事始』に生き生きと描写されているように、近代医学の輸入をつうじて西洋文明に目覚めた人たちだった。従来の儒学、なかでも朱子学は、医学をふくめた世界全体を説明する際の価値基準の座にながらく君臨していた。この「西側」の基準をゆさぶり、亀裂を入れ、完全な破砕を目論んだのが仁斎と徂徠、あるいは蘭学者であり、国学でいえば本居宣長だったのである。¶宣長はこうした時代状況にたいして、きわめて個性的で、しかも徹底した回答をあたえた人物である。普遍的価値との軋轢と葛藤が、まず私の興味関心をひくのである(24頁)」。要するに「西側」からの影響が強かった時代から、西側の影響が受容され始めた時代への過渡期に活躍していたことになる。ところで、「普遍的価値との軋轢と葛藤」とある点に注目されたい。なぜかと言うと、現代もまた「普遍的価値との軋轢と葛藤」の時代と言えるから。たとえばリサ友本の訳者あとがきや『ナショナリズムと政治意識』で扱った移民問題は、人権という普遍的価値と文化的伝統のあいだの軋轢と葛藤であると捉えることもできる。あるいはもっとも新しいところでは、パリ五輪の開会式があげられよう。そこには、表現の自由という普遍的価値と宗教的伝統とのあいだの軋轢と葛藤が見られる。長くなるので、これらの件についてここで具体的に論評することは控えるが、いずれにせよ本居宣長が生きていた時代と現代のあいだにはいくつかの点で類似性があることだけを指摘しておく。
そのような時代にあって本居宣長が提唱したのは「もののあはれ」論なのだそうな。「もののあはれ」論とは、簡潔に言うと次のような考えらしい。「宣長の独自性は、たとえば戦国時代の天才、細川幽斎(1534―1610)と比較すればあきらかである(…)。武術に秀で、また当代随一の文化人として歌道、茶道、蹴鞠もよくした愛国者が幽斎である。古今和歌集を最新の理論で読み解き、世界文学に位置づけようとした野心家だった。現代思想で古典をするどく斬り、人びとから喝采を浴びたのだ。¶だが宣長が「もののあはれ」論でめざしたのは、そういうことではない。近代文学の発見でも、個人主義の称揚でもなかったのである。「もののあはれ」論は自我論ではなく、男女の恋愛を基礎にした人間関係論である。男女の恋が紡ぐ駆け引きの中に、私たちの生き方の基準を発見した。それは朱子学的世界観以前の自分たちの生活様式であり、この世界を肯定するために、借り物の外来語ではなく日本語をつかう。朱子学や仏教、武士道、さらに商品貨幣経済がもたらす人間関係はとても冷たいものである。こうした人間関係とは、まったく異なる生き方と言葉遣いがあることを宣長は発見した(24〜5頁)」。つまり、宣長の「もののあはれ」論は人間関係論であったことになる。これは情動や感情を、人と人のあいだに成立するものとして捉えるリサ友本の考えと共通する側面があるが、それについてはあとで述べる。よって、この選書本における先崎氏の目的は次のようなものになる。「「もののあはれ」論は、倫理学であり日本語学なのである。「日本」成立以前の奥深く、太古の息遣いさえ聴こえてくるような時代の人びとの佇まい、彼らの鼓動こそ「もののあはれ」である−−これが宣長を読む際のもう一つの私の興味関心となる。「西側」の普遍的価値との葛藤と「もののあはれ」論の更新、この二つを証明するのが本書の目的である(25〜6頁)」。
ここまでが「序章」、つまりこの選書本の前置きでここから本論に入るわけだけど、前述したように、この本に関してはリサ友本に関係する部分をおもに取り上げるつもりなので、100頁くらいワープして、「第四章 男性的なもの、女性的なもの――契沖、国学の源流」から詳しく見ていく。まずは章の副題にある国学の源流をなす契沖が取り上げられ、契沖学に関する説明がある。次のようにある。「たとえば、『国学政治思想の研究』でしられる松本三之介によれば、契沖学の特色は「主情的自然的な人間像」にある。主情的とは恐らく自分の感情のゆれ動きを重くみるということであり、自然的とは赤裸々な、ありのままの非合理な人間のふるまいを肯定した表現なのだと思う。いっぽうで中世までの歌学は、多くの因習に縛られ、「道義的解釈」を強いられてきたのであった。「詩歌は心のよりくるままにいかにもいふ事なり」という契沖の主張は、今日であれば、ごく当然のことを述べたように聞こえるが、道徳的評価を価値基準として和歌や物語を解釈するのが一般的な当時、人間の個性や感受性を第一の価値とする契沖は、まさしく異端児、伝統破壊の改革者として登場してきたのである。松本がいう「道義的解釈」とは、先にみた事例でいうと、細川幽斎の古今伝授もそのひとつだといえるだろう。朱子学的解釈は和歌を道徳的観点から評価する点に特色があるからだ(129頁)」。「古今伝授」とは何かというと、宣長の言葉(現代語訳)を借りれば、次のようなものなのだそう。「古い名歌に、文字通りの意味意外にもう一つ裏側に意味があるなどといって、仏教の哲理を牽強付会したり、有為転変や無常の理などを読み込んだうえで歌の評価を下すのは全くどうしようもないことである。近年の古今伝授などはこうした部類のことをする。東常緑や宗祇、細川幽斎などがいろいろな異説を唱え、深く解釈しようとして難解を極めた結果、かえって和歌は衰退したのである(122〜3頁)」。ところで、国学の源流をなす契沖が「伝統破壊の改革者」というのは意外に思えるけど、それは直近の伝統の破壊者という意味においてであって、むしろ古代に回帰すべしとする、いわばルネサンス的な改革を目指していたと見なすことができる。その点に関しては次のようにある。「契沖が反発したのは、幽斎を覆い尽くしている儒教的価値であり、自己の正義感を絶対視し、それを古典に押しつける暴力である。神代の事柄や人間の関係について先入観に基づいて、悪と断定してはならないのである。後世からみて悪と思われる理由で、昔を批判してはならない。古典には今日からは想像できないような、まったく異なる人間関係が活き活きとあったのだ(132頁)」。
人間の持つ自然で合理的な直観よりも、わが訳書、認知科学者ヒューゴ・メルシエの著書『人は簡単には騙されない』の用語を借りれば、反省的に保たれているために開かれた警戒メカニズムのチェックにかからない反省的信念(ここでは儒教的価値や仏教的価値だが、近現代ではイデオロギーが典型的にそれに当たる)が優先されていることに対する批判は、現代にも当てはまる。それについては『人は簡単には騙されない』やメルシエ&スペルベル著『The Enigma of Reason』を取り上げたときにさんざん述べてきたので、ここでは繰り返さない。実は、ここにはこの選書本の主題の一つである普遍主義の問題が存在する。次のようにある。「仏教や儒教の常識にしたがうとは、その価値基準を空間的にも時間的にも普遍的だと見なすことである。空間的には、「西側」の大陸を超えて日本をふくむ全世界的に、その価値観が妥当すると考えるということだし、時間的には、わが国古代にまでその価値観は適用できると見なすことだ。¶この普遍主義を、契沖は許すことができなかった。大陸で通用する価値観が、わが国でも通用するとは限らない。また現時点で善とされている価値観が、古代でも善とは限らない。¶つまり契沖が戦ったのは、勧善懲悪の道徳観というよりも、仏教と儒教の世界観や価値観、善悪の基準が全世界を蔽い尽くすべきだという暴力的な態度に対してであった。中世以来のこの国の古典解釈と人間理解は、この普遍主義を無条件で受け入れたまま、疑うことをしらなかった。幽斎ら古今伝授の信奉者たちは、自分たちの価値判断が世界全体に通用すること、時代を問わず適用できることを疑いもしなかったのである。契沖の実証主義とは、単なる科学的正確性や文献主義の発見ではない。従来の世界観が相対的なものにすぎないこと、つまり普遍主義の暴力に対する告発なのである(132〜3頁)」。普遍主義者は現代でも跳梁跋扈していて、現実に政治家や知識人が普遍的な原理を現実世界に強引に当てはめようとして、さまざまな問題を引き起こしている。
ここで現実的な状況よりも、普遍的な原理を重視する現代の特徴がよく現れている事例として、政治的な事例は、この「ヘタレ翻訳者の読書記録」でもあちこちで取り上げているので、ここではやや趣向を変えて、かつてあちこちの本で見かけ、飽きられたかこのところあまり見かけなくなった例のトロッコ問題を取り上げてみたい。個人的にはトロッコ問題って、倫理的な思考実験としてはどこかいかがわしいと随分以前から思っていながら、どこがいかがわしいかをズバリ指摘できないでいた。でもつらつらと考えていると、最近あることに気づいた。なおトロッコ問題とはいかなる思考実験かに関しては、ここでは説明しない(知らなければググっておくんなまし)。まず「倫理」という概念の定義に関して、個人的な前提を述べておきましょう。『つなわたりの倫理学』を取り上げた際に冒頭で述べたように、「道徳は普遍的な原理(道徳原理、道徳律)に関するものであるのに対し、倫理は普遍的で原理的な道徳原理を個々の状況にいかに適用するかの問題だと個人的には考えている」。いわば神学で言う「決議論(casuistry)」に近いものと考えているわけ。もちろんそのようには定義しない人もいるだろうけど、そう定義する人も多い。このように倫理を定義した場合、トロッコ問題には大きな欠陥があることに最近気づいたのですね。何が問題か? それは、トロッコ問題の設定それ自体が抽象的な数量に依拠していて、個々の状況に関連する質にはまったく依拠していないこと。つまり個々の現実的な状況に関連する質にまったく依拠していない思考実験を、倫理的なものと言えるのだろうかという疑問が湧いたというわけ。先の倫理の定義からすると、トロッコ問題は普遍的な道徳の問題とは言えたとしても、個別的な状況に関わる倫理の問題とは言えないような気がする。ここでもう少し具体的に見ていくことにしましょう。トロッコ問題は、基本的に一人を犠牲にして五人を救うべきかという問いを立てる。これは明らかに倫理の問題を功利主義的な量の問題に還元していると見なすことができる。しかし現実的には、一人や五人には顔があるのですね。たとえば、その一人が自分の親族や子どもで、他の五人が赤の他人であったら、つまりトロッコ問題に抽象的な数だけではなく、現実的な質を加えたら問題の性質はまったく変わってくるはず。この場合、多くの人は、赤の他人である五人を犠牲にしても、自分の親や子である一人を救おうとするのではないだろうか。あるいはハミルトンの包括適応度の概念を持ち出して、その一人が兄弟姉妹なら二人まで、いとこなら八人?までなら赤の他人を犠牲にすると答える人もいるかも。ただ、それも怪しいと思う。
『ダーウィンの呪い』を取り上げたときにもちょっと触れたんだけど、去年M・ナイト・シャマラン監督の『ノック 終末の訪問者』という、はっきり申して安っぽいB級映画を天ぷらで観た。基本的にシャマラン監督は{ペテン師/シャラタン}ではないかと思っているんだが、この映画だけはB級ながら興味深かった。というのも、数のみならず質をも考慮した本来あるべき究極のトロッコ問題がテーマになっていると見なせるから。この映画では、ゲイのカップルと幼い東洋系の女の子の三人のうちの誰かを犠牲にして、それ以外の全人類を救わなければならないという、とんでもない状況設定がなされていた(さすがハリウッド映画)。功利主義的に数だけで考えるのなら、五人対一人や八人対一人どころか、七〇億人?対一人という勘定になるのだから、三人のうちの誰かが犠牲になるべきという解が得られなければおかしい。ところが映画では、最後の最後になってから、ようやく三人のうちの一人が犠牲になる。もちろん、この究極のトロッコ問題を三人に課す、元プロレスラーらしき俳優さんが演じる、えらくごついおっさんの言うことを三人が信じようとしていないという側面はあるとしても、地球が滅亡しかかっている事実をいくら見せつけられても、ゲイのカップルが話を信用しようとしないということは、運命を信じる東洋人ならずとも、自分、もしくは近親者が生死の瀬戸際に立たされた場合には、地球の全人口マイナス一人(この映画の場合は三人のうち一人が犠牲になるのでマイナス二人だけど)ですら犠牲にする可能性が相当に高くなることを示唆しているようにも思えた。まあたかがハリウッド映画と言えばそれまでだけど、それならオリジナルのトロッコ問題もたかが思考実験と言えなくもない。シャマランはインド出身なので、欧米人とはその辺の感覚が違うのかもしれない。いずれにしてもトロッコ問題は、同じ人が答えるにしても、個別的な状況の設定が変われば、いくらでも違った答えが出て来るはず。それをあらゆる質を捨象して数というたった一つの普遍的な性質に着目させることで答えさせようとする元祖トロッコ問題は、そもそも質を重視すべき倫理的な思考実験としてはおよそふさわしくないように思える。言い換えると、そこには普遍主義的な切り詰めによる暴力が存在するのではないかと思えるようになったというわけ。確か日本では、サンデルさんの白熱教室のおかげでトロッコ問題が有名になったんだよね。そのことも奇妙に思える。なぜなら、個別的な状況を重視するコミュニタリアンのサンデルさんは、本来このような普遍主義的な思考を批判しなければならない立場を取っているはずだから。それとも、そのような批判をする目的でトロッコ問題を取り上げていたんだっけ? 忘れてもた。契沖や宣長が現在に生きていれば、「ごらあああああ! 日本人たるもの、ばてれんの言うことを真に受けるでない!」と言下に非難したかもね。
またもやちょっと脱線してまったので、宣長の話に戻りましょう。契沖の流れを汲む宣長は「人情」とそこに宿る「風雅」を重視したらしい。それに関して次のようにある。「儒学に対し、宣長が「議論厳格」といい、一方で和歌の風雅の特徴を、すべての立ち居振る舞いを温雅にすべきだといったことに注目せねばならない。「議論厳格」とは、社会全体を自分が合理的に解釈できているという傲慢にほかならない。社会を厳密に分析し論じる雰囲気が浸透すればするほど、社会は一つの論理で説明することができ、整然として美しくなる。しかしいっぽうで人間関係は窮屈になり、画一化していく。宣長は、武士道を例にしながら、「人の見聞をおもんばかり、心を制し、形をつくろ」う社会になるといっているが、これはある種の監視社会を指摘したものだ(137頁)」。あるいは次のようにある。「多くのばあい、私たちは世界を儒学的に、つまり理論的に把握しようとしている。それを宣長は、世界を男性的な価値で秩序づけていると批判した。国家や主君のために死ぬことを善と見なし上位におき、その逆を下位に置く。瘦せ我慢を賛美し、見得を切り、そういう序列に基づいて世界を組み立て眺める。逸脱するものは無視するか、悪の烙印を押して弾きだす。理想の政治的人間像は真面目になりこそすれ、他者の受け入れがたい部分を摘発し、批判し、人間関係はどんどん硬直化し瘦せ細っていく。他者の厳格な一面のみしか受け入れることができないからだ(140〜1頁)」。この辺りを読んでいると、世間の宣長に対するイメージは、随分と的がはずれているように思われる。第八章で出て来るけど、東大で喧嘩を教えていたという噂のある現代のフェミニストなどによる宣長批判も、ずれているとしか言いようがない。
次にいよいよ「もののあはれ」論が取り上げられる「第五章 「もののあはれ」論の登場――『石上私淑言』の世界」に参りましょう。タイトルにあるとおり、宣長の「もののあはれ」論は『石上私淑言』で展開されている。その際、宣長は「古今和歌集を強烈に意識して「もののあはれ」論を展開している(149頁)」のだそう。そして古今和歌集と万葉集の違いが次のように指摘されている。「万葉集のばあい、神と人は、和歌のことばによってつながっている。人は神が創造した天地の一部として自然に調和しており、人が発することばには神が宿っている。ことばすら、神の創造物なのであって、宣長にそっていえば「ありのまま」に詠むことが、即、歌になるような状態である。¶一方の古今和歌集のばあいは、神々はすでに地上にはいない。人は世界を自分の意思でつかみ取るために「ことば」を発明し、自覚的に利用する。意識的・批判的であるとは、神なき時代の人間の意思的作為のことにほかならない。(…)屈折した言辞を用いるのは、古今和歌集の撰者たち自身が「二元的分裂」を抱えていたからにほかならない。彼らは武門として公的世界に奉仕していたはずだが、政界から失脚させられ、政治の世界から文藝の世界へと自己表現の場を変えざるを得なかった。「現実」における不如意が、彼らを「ことば」へと向かわせたのだ。神が不在となり、衰退の兆しが見え始めた時代を生きる。神が支配していた調和した世界が終わり、混乱した世の中を「ことば」によって再構成する――これが古今和歌集を編纂した者たちの宿命なのである(161〜2頁)」。宣長は、そのような時代に編纂された古今和歌集に注目して「もののあはれ」論を展開したことになる。
では、「もののあはれ」論とは、どのような理論なのか? それについては次のようにある。「ここで宣長が強調するのは、「事の心をわきまへしる」という態度である。喜ぶべき事態ではうれしいと感情が動き、悲しむべき事件に出会えば悲しむ。「事の心」とは、物事の本質くらいの意味であって、私たちを取り囲む自然や、周囲の出来事の本質をつかんで正しく把握するということが、「もののあはれをしる」ことなのである。あまりにも「あはれ」が深い時、とどめようとしてもとどめ難く、心のうちに閉じ込めておけない感情に支配される。これをどうしようもない。その時、私たちは詞にすることで、溢れた思いにかたちを与えようとし始めるのだ。自然と詞を長く引いて、歌うように詠むのである。¶とりわけ注目すべきなのが、「しる」という認識論的な言葉であり、宣長は内面の感情の揺れ動きだけを重視していない。あるいは心の激しい揺れ動きが、混沌とした破調をもたらし、それを嘆息する「ああ」という言葉を超えて、自覚的に技巧を凝らすことで、歌の詞が生まれる。それによって、言語化以前の絶対的経験が、喜怒哀楽のうち、いったい何を経験したものだったのかを「しる」、つまり認識するのである。歌の詞は、自己認識を可能とする。「もののあはれ」論は、感情論ではなく、むしろ、周囲の喜怒哀楽や善悪是非などを正しく認識にもたらす作業なのである(167頁)」。この宣長の「もののあはれ」の何が興味深いかというと、感情を認知や認識との関連で捉えていることで、この考えは現代の認知科学の見方とも整合する。たとえばわが訳書では、『情動はこうしてつくられる』では、認知が情動の基礎に据えられていると見ることができる。あるいはリサ友本では、情動や感情が文化の影響を受けることが切々と説かれている。ここで「無意識的に生じる、より低次の作用である情動やその意識的な顕現である感情が、意識的に生じる高次の作用である認知や認識の影響を受けるというのは、おかしいのでは? むしろ逆で、意識的な認知や認識が、無意識に由来する情動や感情に影響され、だからこそバイアスや不合理な判断が生じるというのがほんとうのところなのでは?」と訝る人もいるはず。というより、現代の行動経済学はそう主張しているし、わが訳書『社会はなぜ左と右にわかれるのか』でジョナサン・ハイト氏は、感情を「象」に、理性を「乗り手」にたとえて、感情のなすがままになる理性というイメージを提起している。しかし、カーネマンさんやハイトさんには悪いけど、その種の見方は欧米の啓蒙主義における誤解に基づいていて誇張されすぎているきらいがあると言わざるを得ない。そもそも認知作用は、必ずしも意識的に働くとは限らない。この点については、現在鋭意翻訳中の神経科学者ジョセフ・ルドゥーの最新刊『The Four Realms of Existence: A New Theory of Being Human』で詳細に論じられている。これまでにも何度も紹介したことがあるのでここでは繰り返さないが『人新世と芸術』で少し説明したので、興味のある向きはそちらを参照されたい。実のところ引用文中にある「言語化以前の絶対的経験」とは「直観」とも言い換えられ、直観の合理性に関しては先にあげた認知科学者のメルシエやスペルベル氏が論じている。このように宣長の「もののあはれ」論は、現代の考えにもつながる側面があるのですね。
そのような側面は、もう少し読み進めていくとよりはっきりしてくる。たとえば次のようにある。「ここで[周囲の喜怒哀楽や善悪是非などを正しく認識にもたらす作業とある部分を指す]「正しく」と書いたことから分かるように、宣長は、善悪の基準や根拠を自分の内側ではなく、外側にあると考えている。眼の前の世界は、善悪や好悪などの凹凸や遠近をもった秩序ある世界なのであって、その基準に自分の心がふれて正確に写し取ること、これが正しい感情の動き、すなわち「しる」という認識を導きだす。「もののあはれをしる」ことなのである(168頁)」。これを読んで私めはおのろいた。なぜなら、もちろん「もののあはれをしる」などという言い方はしていないものの、これはまさしくリサ友さんがリサ友本で展開している議論と同じだから。リサ友さんは、文化によって影響を受ける情動、つまり文化を写し取る情動を「OURS型アウトサイド・イン情動」と呼んでいる。そしてその写し取りが正確であればあるほど、それだけその情動は「正しい」、あるいは「しっくりする」と感じられる。以下は前回取り上げた『沈黙の中世史』でも引用した部分だけど、ここでももう一度取り上げておく。次のようにある。「文化によって「正しい」情動と「間違った」情動が規定される。「正しい」情動は、その文化圏で重視される人間関係を促進し、「間違った」情動は禁じられた人間関係を助長する。そして「正しい」情動は文化的に奨励され、報いられるのに対して、「間違った」情動は避けられ、罰せられる(同書129頁)」。これはまさに「善悪の基準や根拠を自分の内側ではなく、外側にある」と考えている宣長の考えに一致する。リサ友さんによれば、このようなOURS型アウトサイド・イン情動は、非欧米文化圏に浸透しているのに対し、欧米文化圏では情動が感情として内から外に向かって発露するMINE型インサイド・アウト情動がおもに流布している。だから宣長の「もののあはれ」論は、典型的にOURS型アウトサイド・イン情動という情動の捉え方に一致することになる。
先崎氏の次の記述は、その点を見事に指摘している。「個人の感情は、まずは「ことば」による一定のルールを課され、また同時に世界を構成する善悪や喜怒哀楽の秩序のなかで動く。動く心すべてには「型」があることを強調するとき、宣長は、歌はこの世界のあらゆる価値観や倫理観をしることができるツールであり、人間を丸ごとつかめるという確信がある。「もののあはれをしる」ことは、人間とは何かという問いに答えることに直結しているのである。¶だが宣長は、この人間一般の感情を発見しつつ、ルネサンス期の人文学のような、普遍的人間観へと向かうことはなかった。なぜなら人間とその周囲を取り巻く自然や生活常識との交流から生まれる感情が、あくまでも「ことば」によって表現されるからだ。「ことば」が独自の時間と場所の記憶を背負ったものである以上、宣長にとっての「ことば」は日本語でしかありえず、和歌は普遍的人間ではなくあくまで日本人をしるためのものなのである(169頁)」。「個人の感情は、まずは「ことば」による一定のルールを課され」という冒頭の部分は、バレットやリサ友さんが言う「概念」という概念を思い起こさせる。ことばとしての和歌が、感情を喚起し、それによって「この世界のあらゆる価値観や倫理観をしることができる」という論旨は、まさにリサ友さんの主張するOURS型アウサイド・イン情動の説明でもあると見なせる。文化が情動や感情を通して価値観や倫理観に影響を与えるのであれば、普遍的人間観などというものがまやかしであることはすぐにわかる。だから宣長は、日本に焦点を絞ったのでしょう(まあ、鎖国していたからそうせざるを得なかったということもあったのかもだけどね)。
さらに先崎氏は次のように述べる。「宣長は一個人の感情や判断よりも、日本語が含んでいる伝統の厚みを信じていたのであって、それに寄り添いさえすれば心の鬱屈を晴らすことができると考えていた。(…)和歌はその歴史に参加するための入り口であり、昔日の日本人と同一化することで個人的な「阿波礼」の思いは安堵するわけだ。秩序に身をゆだね個性が解消されることこそ「もののあはれをしる」ことなのである。宣長は少しも個性などというものを信じていない(173頁)」。一個人の感情や判断を重視するのは、MINE型インサイド・アウト情動が跳梁跋扈する欧米文化圏においてなのですね。和歌を詠んだり聞いたりすることは、まさしく個人に焦点を絞ることのないOURS型アウトサイド・イン情動を実践することだと言える。そして先崎氏は第五章を次のように締め括っている。「詠歌の本質を論じた「もののあはれ」論は、人間同士が他者の善悪を評価しあい、無限の対立を生みだすイデオロギー論争、相対主義の極北とは異なる生き方として描かれる。それは「やはらびたる」「あはれになつかしき」営みなのであって、私は仮に、それを「女性的なもの」と名づけておいたのである(185頁)」。一般には「元祖ねとうよ」のように思われている本居宣長が提起した論を「女性的なもの」と呼んでいることを知ったら、一部のフェミニストは発狂しそうだけど、それはそもそも現代の日本でさえMINE型インサイド・アウト情動がはびこっていることの恰好の証左になるでしょうね。なお先崎氏は、第八章で、東大で喧嘩を教えていたという噂のあるフェミニストの文章を取り上げて次のように述べている。「宣長は、上野[東大で喧嘩を教えていたらしきフェミニストのこと]の言葉を借りればきわめて女性的な「日常の思想」の持主であり、にもかかわらず、否、だからこそ「日本とは何か」に答えることに成功している。(…)「日本」を考える時、たしかに宣長にまで遡る必要がある。だが上野が自明の前提にしているナショナリズム批判、男性批判をいくら振り回しても、宣長の影を斬ることはできない。気づけばむしろ宣長は、上野のすぐわきに身を寄せて、女性の側についている。(…)宣長の豊穣な思想にナショナリズムという鋭利な刃を立てても、私の手元に届くのは、せいぜい限界や危険性といったやせ細った言葉たちである(275頁)」。上野氏の本は一冊も読んだことがないとはいえ、これだけを読むと、宣長と先崎氏が非欧米的なOURS型アウトサイド・イン情動を肯定する立場からものごとを見ているのに対し、上野氏は欧米的なMINE型インサイド・アウト情動に拘っているのではないかという印象を受ける。
次の第六章は飛ばして、「第七章 肯定と共感の倫理学――『紫文要領』の世界」に参りましょう。ちなみにタイトルにある『紫文要領』とは、「宣長が源氏物語を読み込むことで、「もののあはれ」論を展開した(185頁)」書なのだそうな。まず伊藤仁斎と荻生徂徠が取り上げられているが、ここでは荻生徂徠についてのみ言及する。徂徠の『詩経』(儒教の経典である経書の一つ)解釈に関して次のようにある。「まず古代の先王たちは、具体的制度であり、しかも規範的ルールである「礼」を立てる。しかし政治の課題はきわめて多様だから、「礼」だけでは細事の判断ができない。そこで「義」すなわち個別事象により繊細に対応した規則が必要なのである。だがそれでもなお、人事百般にまで守備範囲は及ばない。そこで「人情」をより深く、細かくしるために「詩」の必要性がでてくるわけである。¶ここで徂徠が論じているのは、普遍と個別をめぐる問題である。先王たちは具体的制度の制作を重んじ、たとえ「礼」を制作したとしても、一般的なルールをつくったにすぎないと考える。普遍的・抽象的な原理がもつ限界をあらわにするからだ。(…)だとすれば、「礼」にだけ基づいて統治をおこなうことは、画一化の弊害を免れないではないか。その細則である「義」ですら、制度である以上は限界がある。一つひとつの人間関係に寄り添うこと、画一化からはみでる非合理的で偶然によって生まれる関係を丁寧に描いた言葉こそ、「詩」にほかならない(223〜4頁)」。これはまさに私めがあちこちで述べている、政治とは先に決めておいた理念や理想を具体的な現実に当てはめることではまったくないという見解にほぼ等しい。現在でも、その点をまったく理解していない人は、政治家にすらたくさんいる。
この徂徠による詩の議論は、宣長の源氏物語解釈に多大な影響を与えたのだそうな。ここで宣長の紫式部評を見てみましょう。次のようにある。「「まこと」の世界からの離脱が、『紫式部日記』に描かれた式部の違和感にかかわっていることに気づかねばならない。物語が「そらごと」に過ぎないのか、それとも「そらごと」だからこそ価値があるのかを論じることは、式部自身の内面にかかわる。なぜなら式部自身は「まこと」の世界から零れ落ち、喪失感を慰めるために「そらごと」の世界を新たに創った。その芸術性の高さは作者自身を翻弄し、ふたたび彼女に「まこと」の宮中政治への参加を強いた――。¶この二転三転する世評は、式部の感受性のもっとも敏感な部分を刺激せずにはおかない。式部の呼吸の乱れが公的価値への抗いである以上、それは一個人の違和感を超えて、日本人自身のリズムの乱れにも関連していた。宣長が「もののあはれ」という言葉に置き換えることで取り戻そうとしたのは、乱されてきた日本人古来の感性であり呼吸であった。日本人の最も柔らかな部分が、むきだしのまま公的世界にさらされることを防ぐためには、「そらごと」の世界をつくり、その世界に日本人本来の生き方を甦らせて、救う必要があったのである(231頁)」。やや牽強付会になるかもだけど、ここで言われている「そらごとの世界」とは、リサ友さんの提唱する「情動エピソード」に近いように思われる。情動エピソードとは、その文化によって正しいとされている情動を喚起するための一種の物語、あるいはナラティブなのですね。情動エピソードが「そらごと」であると言えるのは、それは世界共通の普遍的なものではなく、文化によって異なるものだから。そして日本なら日本の文化のもとで正しいと見なされるような情動を喚起する情動エピソードの回復を求めていたのが、紫式部であり、本居宣長であったと言えるのかもしれない。
宣長は中国、つまり「西側」から輸入された儒学を批判していたことはよく知られている(とのこと)。ではなぜ彼は儒学を批判したのか? その理由は次のようなものらしい。「宣長によれば、[儒学は]第一に人間関係を否定でみることであり、第二に世界を善悪二色に色分けすることであり、第三に自らは善の立場にいるとみなす自己絶対化のことである。対立と否定こそ朱子をふくめた儒教知識人の病であり、日本人本来の態度ではない。和歌の主題にもならなかったというのである。さらに第四として、養老律令や朱子学、一夫一婦制に共通する、人間関係を画一化することへの違和感である。隋・唐帝国がもたらした律令体制とは、中央集権化のことであり、朱子学とは人間を善悪に二項対立で評価する倫理学のことである(241頁)」。一夫一婦制を画一的と見なして違和感を覚えていたなどといった部分は、彼の「元祖ねとうよ」的なイメージからは想像がつかないよね。いずれにしても現代でも、「世界を善悪二色に色分け」、「自らは善の立場にいるとみなす」儒学知識人的な輩は大勢いる。もちろんネットにもね。ではなぜ、儒学を批判した宣長が源氏物語に着目したのか? それに関して次のようにある。「源氏物語は「西側」の影響力が一時的に薄れた国風文化時代、つまり〈近代〉の産物だからこそ重要なのだ。「西側」の影響を受けた日本書紀は装飾的かつ華美な文体で描かれている。〈近代〉の源氏物語の方が、より素朴にありのままの日本人を描けているのである。古代と〈近代〉のあいだには、「西側」の価値観が挟まっていて、それを取り除くと、源氏物語は古代にそのまま接続する。「西側」からは「そらごと」に見えた人間関係こそ、本来、この国で展開されてきた人間関係なのである。(…)「いつはり」の物語にはなぜ、特別な価値があるのだろうか。それは紫式部が、自分が理想とする人間関係、他者との繊細な視線のやり取り、豊穣かつ多彩な男女関係をそこに封じ込めているからである。それは儒教の普遍的価値がよしとする人間関係――勧善懲悪・政治的・男性的なものなどの言葉でイメージされる――とはまったく異なる、古代からの人間関係が描かれている(243〜4頁)」。
こうして見ると、リサ友さんの用語を拝借すると、東洋の宗教?とはいえ儒教はMINES型インサイド・アウト情動の世界に近く、紫式部や宣長が重視していたのは日本本来のOURS型アウトサイン・イン情動の世界であったように思える。現在でもこの状況はまったく変わらない。かつては「西側」、つまり中国から輸入された儒教に翻弄され、現在では西側、つまり欧米諸国から輸入された欧米文化に翻弄されているのが日本だと言えるからね。LGBTQだとかフェミニズムだとかいった概念は、そもそも集団より個人を優先し、キリスト教が道徳や倫理の面で強い影響を及ぼしていた欧米だからこそ対抗概念として有効に機能していたのではないだろうか。むしろ日本では、そのあたりはもっとおおらかであったはずなのに、強引にその手の欧米の概念を日本に持ち込むと、かえって差別をわざわざ浮き彫りにする結果になりかねない。たとえば翻訳者に関係する事例をあげると、言葉狩りの問題がそれにあたる。特定の言葉を使えなくすると、使わなかったことによってそこに差別の力学が働いていることが丸見えになる。たとえば21世紀に入った頃に、「看護婦」という言葉は「看護師」という言葉に置き換えられるようになった。表面上はそれで男女間差別が緩和するかに見えるかもしれないが、「看護師」という言葉をわざわざ使うことで、根源的な部分で差別があることが丸見えになってしまうのですね。もちろんあまりにもひどい差別的表現は禁止されるべきだとしても、現在のように言葉狩りが行き過ぎると、もともとありもしなかったところに差別を画する境界線をかえって引いてしまう結果になると思う。ところで、たとえばフランス語とかドイツ語などでは、名詞に性があったよね。「確か戦争を意味するフランス語の「guerre」は女性名詞だったのでは?」と思ってググると、その通りだった。戦闘や会戦を意味する「bataille」も女性名詞だった。そもそも戦争をやっているのはたいがい男だったのに、これっていいの? 女性差別にならないの? 言葉狩りが進むと、おそらくこういった名詞の性も廃止しなければならなくなるかもね。そんなことをしたら大混乱が起こりそう。日本も無傷ではいられない。だって外国語の教材を一から作り直さなければならないんだから。
選書本に戻ると、次のようにある。「世界はあらゆる感情に満ち満ちているとしか思えない。それにもかかわらず儒教の善悪、たった二色で世界を色分けするとしたら、この世はとても貧しく見える。凹凸をもち、容易に理解を拒む他人という存在や、生命力に溢れ咲きほこる花々も瞬く間に頽れていく悲哀の世界、極彩色や淡色の糸を紡ぎ合わせた織物こそ人間が生きている世界なのであり、この世界を他者と共有するために物語は書かれるのだ。¶ここであきらかに宣長は、「肯定と共感の倫理学」を語っている。¶宣長は人事百般、男女関係をふくめた事象すべてを多様なまま受け入れているからだ。関心の矛先は自己の「内面」へとむかわない、むしろ他者との「関係」へとむかっている(246〜7頁)」。「世界を他者と共有するために物語は書かれる」というくだりは、リサ友さんなら「文化を他者と共有するために情動エピソードは書かれる」と言い直すだろうね。それから最後の「関心の矛先は自己の「内面」へとむかわない、むしろ他者との「関係」へとむかっている」という一文は、まさに宣長が「内面」を重視するMINE型インサイド・アウト情動へとは向かわず、人と人のあいだで作用するOURS型アウトサイド・イン情動を求めていたことを示唆する。
第七章の最後では、現代にも通じる問題が、国文学者、日野龍夫氏の宣長批判をめぐって取り上げられているので、やや長くなるけど引用しておきましょう。ちなみに日野氏は宣長を「知性を欠き、批判精神を欠き、主体性を欠いた精神であること、人間の価値を十分には発揮していない精神であることは明瞭である(249頁)」とか、「人間の価値が確立していない前近代にあっては、知性そのもの・批判精神そのもの・主体性そのものはどこにも存在しない(249頁)」とこき下ろしたらしい。この日野氏の宣長批判に対して、選書本の著者である先崎氏は次のように再批判する。「ではその価値基準[日野氏が宣長批判において無意識的に前提としている価値基準]とは何か。一言でいえば人間礼賛、ヒューマニズムに他ならない。¶日野がふと口にする「前近代」という言葉が、そのなによりの証左なのだが、近代とは人間中心の時代であり、個人主義を何よりも重んじる時代である。ヨーロッパにおいてガリレオ・ガリレイが地動説を発見したことは、中世の世界観の機軸であるキリスト教的秩序への挑戦であった。天動説の否定は、神が定めた秩序への反逆であり、それは科学技術による世界の合理的説明の勝利を意味した。つまり人間理性が神の地位を奪い、この世界を説明する主役に躍り出たのだ。これは前近代の常識からすれば異端であり、天体観測は邪悪で冒瀆的ですらあった。¶ルターの宗教改革もまた同様なのであって、相次ぐ宗教戦争と教会の腐敗から独立し、聖書と個人の直接の対話を主張したルターは、教会秩序を乱したいっぽうで、個人の内面を発見した宗教家(プロテスタント)だったのである。ガリレオとルターに共通するのは、人間と個人の主体性の地位を引きあげた点にあった。世界秩序は神ではなく、人間の理性が科学的根拠をもとに定めるものだし、また政治権力と信仰の自由は分離し、個人の内面は絶対不可侵の聖域となった。¶以上を「近代」と呼ぶならば、暗黙のうちに日野を支配しているのは、この近代的価値観である。理性と主体性の欠如を嘆き、前近代を批判するのは、日野がヨーロッパで十六世紀にはじまる近代的価値観を足場に、宣長を評価しているということである。¶だがこの日野の態度こそ、典型的な「西側」の普遍的価値を絶対視したものではないだろうか。(…)日野にとって、人間とは罪の意識をもつ実存的な存在であらねばならず、また何よりも主体性をもたねばならない。近代こそ善であり、その価値尺度から前近代の「もののあはれ」論の限界を裁断するという方法がとられている。罪の意識や主体性からイメージされるのは、近代とはまず何よりも「内面」、すなわち個人主義的でなければならないということである。¶宣長に主体性の欠如を指摘し、それを「前近代」であるがゆえの限界だと指摘する日野は細川幽斎の系譜に属している。日本文化と「西側」との緊張関係を生きたという意味で、幽斎と日野はおなじ方法論をとっていたということである(250〜1頁)」。先崎氏の見立てには100パーセント賛成するが、これだけ長く引用したにもかかわらずそう言っただけでは芸がないので、日野氏の問題について個人的な観点から二点ほどつけ加えておく。まず日野氏の見立ては、欧米的なMINE型インサイド・アウト情動の視点に固執しているせいで、宣長が非欧米的なOURS型アウトサイド・イン情動に焦点を絞っていたことに気づいていない点。二点目は、合理性や理性の捉え方に関するもので、直観のような無意識的な作用が合理的、理性的であることはないと日野氏は想定しているように思われる点。最新の認知科学や神経科学の知見に照らして、それが誤りであることはすでに説明した。
まあ今回の五輪の開会式に対する世界各国の批判を見ていると、いかに欧米人(や上野氏や日野氏らの日本人)がMINE型インサイド・アウト情動の形態でしかものごとを見られないかがよくわかる。バチカンまで怒らせてどうすんの? 言論の自由というMINE型インサイド・アウト情動に特化した見方に一方的に縛られると、OURS型アウトサイド・イン情動が支配する、宗教が日常生活を画している社会で暮らす人々の考えがまるでわからなくなる。しかもそこには情動が絡んでいるんだから、下手をすると怒りや憎しみのような情動に火をつける結果になることは当然であろう。現代の病巣の一つは、その種の啓蒙主義にかぶれたがゆえの無知蒙昧、言い換えれば「啓蒙の弁証法」にあり、五輪開会式ではこの病理が一挙に噴出したように思える。まあしかし、おふらんすはフランス革命のときにネジが何本かぶっ飛んだまま、現代になっても正気に戻れていないよね。私めは、神学大学起源のオックスフォードで禄を食むドーキンスも裸足で逃げるほどのマジもんの無神論者だけど、日常生活の基盤をなしている宗教を揶揄することがいかにヤバいかはよくわかっているつもり。そんなこともわからん人々に、多様性や多文化共生をうんぬんする資格などないと言わざるを得ない。欧米社会もムハンマドを嘲笑してテロというしっぺ返しを食らったときに、そのことが身に染みてわかったはずではなかったのか? それとも、イスラム教徒を怒らせると死人が出るから、身近なキリスト教徒を怒らせることで我慢することにしたのだろうか? そう言われても仕方がないよね。この手の人々は、言論の自由や表現の自由が成り立つためには、まず先に社会が安定していなければならないという、当たり前田のクラッカーにすぎないことすらまったく理解できていない。そもそもキリスト教は欧米社会の根幹に存在するのではなかったのか? それが正しければ、その根幹を嘲笑することは自殺行為に等しいと言える。勘違い平行棒を量産している、啓蒙の弁証法という現代の病理は、恐ろしく根深いと言わざるを得ないよね。
残りの第八章はリサ友本との関連が感じられなかったので飛ばして、まとめ的な「終章 太古の世界観――古典と言葉に堆積するもの」の最後の結論部だけ引用しておく。次のようにある。「宣長は圧倒的な先駆的業績として、日本を恋愛との関係から論じて見せた。日本という国家を考えるためには、女性的なものから考えねばならないと主張したのである。宣長が強く否定した儒教的価値観とそれに基づく国家観は、今日でも私たちの思考を呪縛している。その「普遍的価値」にたいして、「もののあはれ」論は何をもたらし、日本の自己像形成にどういう意義をもったのか――読者諸氏が自分なりの生活リズム、呼吸に合わせて生きるとき、宣長は意外に近い場所にいる。ルソーやカントに比べ、圧倒的に遠く思えた日本の古典たちが、芳醇な言葉の清水となって、私たちの前であふれだす。氷河のように山の奥深く眠っていた古典が溶けだし、湧きだしてくるのだ。¶古今和歌集を、源氏物語を、宣長とともに手にすくう。¶そして渇ききった喉いっぱいに飲み干し、潤せばよいのである(309頁)」。日本という国は、かつては「西側」すなわち中国から輸入された普遍主義的な儒教的価値観に縛られていたのに対し、現在では欧米から輸入されたMINE型インサイド・アウト情動の普遍主義的な呪縛に絡み取られている。ここらあたりで、日本は日本独自のOURS型アウトサイド・イン情動に基づいたあり方を宣長のように再発見する必要があるのかも。リサ友さんのような欧米人でも、MINE型インサイド・アウト情動に基づいた欧米文化の限界に気づいているのだからね。
ということで、『本居宣長』は、今月紀伊國屋書店から刊行される予定のわが訳書、バチャ・メスキータ著『文化はいかに情動をつくるのか――人と人のあいだの心理学』に非常に近い側面があって興味深かった。なので、アカラサマ、もといステマも兼ねて、江戸時代に活躍した本居宣長の「もののあはれ」論と、現代の欧米の著者によるOURS型アウトサイド・イン情動という見方の意外な近さをおもに取り上げたというわけ。普遍主義的思考にとらわれた現代の行き詰まり状況を打開する方策が書かれた本として、この選書本とわが訳書の両方を読むことをお勧めする。そして、できれば、読み比べてくださいませませ。
※2024年8月6日