◎佐々木太郎著『コミンテルン』(中公新書)
最初に巻末にある著者略歴を見て「おや〜〜ん?」と思ってもた。というのも「東京理科大学経営学部卒業、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(人間・環境学)」とあったから。その学歴の人がなぜ「コミンテルン」などという組織に関する本を書いているのだろうと思ったわけね。ただ「専門は、国際政治学、インテリジェンス研究」ともあるので、どこかのタイミングで乗り換えたということなのかな? まあそれは脇に置いておきましょう。ところで、前回『アメリカ 異形の制度空間』を取り上げたとき、「アメリカが体現する「自由」や「民主主義」を世界中に広げ均質的な世界を実現しようとする傾向を持ち、現代ではおもに民主党が体現している、国境のないユートピアを妄想する左派的かつグローバリスト的な顔」を「アメリカの第二の顔」と呼んだ。また、「「現地の民衆を粗暴な抑圧から解放して〈自由〉をもたらす」という名目のもとでの第三世界への介入は、右派に限らずコミンテルンのような左派社会主義勢力も戦前・戦中・戦後を通じて行なっていた。個人的には、これら両派が合体して現在のグローバリズムが生み出されたと考えている」と述べ、この『コミンテルン』からも二箇所ほど引用した。そこで今回は、「アメリカの第二の顔」と合流してグローバリズムを生んだと、私めが考えているコミンテルンについて書かれたこの本を取り上げることにしたというわけ。ただしここでコミンテルンの細かな歴史を検討したいわけではないので、私めの現在の関心に沿った記述しか取り上げないので悪しからず。
まず「まえがき」に次のような重要な記述がある。「第二次世界大戦中の一九四三年五月にスターリンが解散するまでの約四半世紀にわたり、国際共産主義運動の司令塔として現代史に大きな影響を及ぼす「共産主義インターナショナル」、略称「コミンテルン」が創立されたのだ。¶世界中の無産階級すなわち土地や資本といった生産手段をもたない人びと、いわゆる「プロレタリアート」を蜂起させ、有産階級すなわち「ブルジョアジー」の支配を打ち破り、各国の国家権力を次々と転覆することで、資本主義世界を根底から破壊しつくし、この地上を共産主義の理想で塗り替える――文字通り世界革命の実現を使命とするコミンテルンは、イデオロギーの世紀たる二〇世紀を象徴する存在であった(i〜A頁)」。まさにコミンテルンによる世界革命とはイデオロギーの拡散を意味するわけで、近代ヨーロッパの植民地主義のような領土拡張とは大きく異なる政治支配のやり方だと言える。これは領土的な拡張という手段を取らず、「自由」や「民主主義」といういわばイデオロギーによる世界の政治支配を目指す「アメリカの第二の顔」と重なる部分がある。だから私めは、『アメリカ 異形の制度空間』の最後のほうで「ひとつ言えるのは、「アメリカの第二の顔」にせよ、共産/社会主義思想にせよ、その戦略の核心にはイデオロギーに基づく「異形の制度空間」の拡大という方針があり、土地の征服に焦点が置かれているわけではないという点で共通し、その点で両者の相性はきわめてよく、よって結びつきやすいと言えるでしょうね」と言ったわけ。
ところで最近、新書本の内容にもやや関係する描写を、最近天ぷらで観たのでまずそれについて触れておく。その映画とは『オッペンハイマー』のこと。なおこの映画自体はフラッシュバック/フォワードが多用されているので、その手の映画を好まない私めにはとてもおもろいとは思えなかったけどね。さてこの映画に、ジェーソン・クラーク演じる尋問官?が、エミリー・ブラント演じるかつて共産党員だった「オッペンハイマーの嫁さん」に「ソヴィエトコミュニズムとコミュニズムを区別できるのかね?」と尋ねるシーンがある。するとオッペ嫁は「アメリカ共産党は国内の問題に関心を持っていると思っていました。私が共産党員だった頃は、それら二つは別物だと思っていました。でも、今ではそうは思っていません。すべてが結びついていて世界中に拡大しているのです」という返答をするのですね。もちろん映画なので、これが史実なのかどうかはようわからん(ちなみにオッペンハイマー自身は共産党員ではなかったようだが、嫁さんや弟は共産党員だったらしい)。とはいえ、これは象徴的なシーンだと言える。私めの解釈が間違っていなければ、前者の「ソヴィエトコミュニズム」とは、裏でコミンテルン(ひいてはボリシェヴィキ)が糸を引いている世界革命を目指すコミュニズムを指し、後者の「コミュニズム」とは一般的なコミュニズム、したがってアメリカではアメリカ共産党が推進しているコミュニズムを意味するのだろうと思う。オッペ嫁は、「それら二つは別物だと思っていた」と答えることで、自分がアメリカ共産党員だった頃には、自分はソヴィエトコミュニズム、すなわちボリシェヴィキではなく、もっぱらアメリカ共産党に奉仕していると考えていたと主張しているわけ。ところが離党して長い年月が経過した今となっては、アメリカ共産党、それどころか世界各国の共産党も、コミンテルンが支配するソヴィエトコミュニズムと複雑に絡み合い、それに呑み込まれていると認識しているのですね。もしアメリカ共産党員だった当時からそのように認識していたのなら、敵国つまりソ連に資する利敵(スパイ)行為を意図して働いていたことになる。要するに当時は、事実はどうであれ、自分も旦那のオッペンハイマーもソ連のためにスパイ行為を働いているとはまったく思っていなかったと言いたいわけ。しかしこの新書本を読んでいるとわかるように、オッペ嫁が共産党員だった頃にはすでに、「ソヴィエトコミュニズム」と「コミュニズム」は複雑に絡み合っていたのですね。彼女は、当時はほんとうにその事実を知らなかったのか、もしくは意図的にソ連のスパイをしていたことが尋問官にバレるとマズいから嘘をついたかのいずれかでしょう。いずれにしても興味深いのは、今日では「アメリカの第二の顔」が果たしているグローバリスト的な役割を、当時はボリシェヴィキを中心とするコミンテルンが果たしており、各国の一般の共産党員は自国の共産党に奉仕していると考えていながら、結局前者に操られて「ソヴィエトコミュニズム」の世界全体への拡大に知らず知らずのうちに加担していたという点がわかるということ。
さて「序章 誕生まで――マルクスからレーニンへ」に入ると、このコミンテルンによる世界革命について次のように述べられている。「一九年三月のコミンテルン第一回大会で承認された、全世界のプロレタリアートへ向けた宣言では、アジアやアフリカといったヨーロッパ以外の地域についての言及が見られる。そこで明確にされているのは、端的に言って、ヨーロッパの植民地となった地域の社会主義化はヨーロッパでの革命の成功によってもたらされる、という認識である。¶あくまでヨーロッパでの革命の追求がコミンテルン創立時の最も重要な課題であり、ロシアから西へ向けて革命を波及させていくことこそが「世界革命」であった。(…)当時、内戦と諸外国からの干渉戦争に直面していたレーニンら革命政権の認識は、ボリシェヴィキが主導して一七年一一月七日(ロシア暦で一〇月二五日)に実現したロシア十月革命の成果は、ヨーロッパとくにドイツでの革命が後に続き、そこからの支援なくしてはとうてい維持できないというものであった。ロシア一国での社会主義革命の実現などありえず、あくまでも資本主義世界の中心たるヨーロッパでの革命と対になって、はじめて存在できるものとされた(4〜5頁)」。
さらにコミンテルンへとつながるインターナショナルに関して次のようにある。「第一インターすなわち「国際労働者協会」は一八六四年にロンドンで創立された。各国に支部が設けられ、その代表者たちが集まって毎年場所を変えて大会が開催されるなど、プロレタリア国際主義に基づく世界初の本格的な国際組織であった。¶マルクスはそれまでにも同じロンドンにて労働者組織の結成に関わったことがある。一八七四年に組織された「共産主義者同盟」である。これはヨーロッパを移動しながら手工業に従事する職人らを中心とした国際的な秘密結社の流れを{汲/く}む組織だった。その当時は、ヨーロッパ内での移動の障壁は比較的低かった。それゆえ、越境する労働者たちによるネットワークが発達する基盤があった。彼らは、西欧発の二つの潮流にもまれるヨーロッパ社会を、持ち前のフットワークの軽さでつなぐことによって反体制の国際的連携を準備しようとしたのである(7頁)」。ここで注意したいのは、というより本書を私め流の解釈で読み解く際に非常に重要になるのは、「インターナショナル」と「グローバル」の違いを明確にすることだと言える。「インターナショナル」は政治的な制度空間の単位を国家に求め、国際法によって規定された諸国家間のやり取りによって各国が統合されるのに対し、「グローバル」は、国境をなくして地球全体を単一の政治的な制度空間で覆うことを意味する。したがって「インターナショナル」の場合には、諸国家という多様な存在が先に存在しているという点で多様性が担保されており、そのうえでボトムアップに国際関係が成立するのに対し、「グローバル」の場合にはどこまでも均質な政治的、文化的な空間が広がり、トップダウンに政治支配がなされ、そのため多様性は消失せざるを得ない。この違いを認識しておかないと、矛盾が矛盾には思えないという錯覚を覚え、真の問題を把握できなくなる結果になる。なお、「インターナショナル」と「グローバル」については『アメリカ 異形の制度空間』[ページ内検索ワード:インターナショナル、グローバル]も参照されたい。
そうしてみると、「インターナショナル」という言い方からもわかるように、当初のインターナショナルは、まさしく「グローバル」ではなく「インターナショナル」な機関だったと見なせる。だからこそボトムアップに「持ち前のフットワークの軽さでつなぐ」ことができたわけ。そもそも「越境する労働者たち」に仕事をする環境を提供していたのは諸国家なんだしね。まあ、いずれにせよ一九世紀のうちに現実の可能性としてグローバリズムが提起されたとはとても思えない。要するに、コミンテルンが結成されてから、「インターナショナル」ではなく「グローバル」な世界が目指されるようになったということになる。また、著者は次のようにも述べている。「労働組合の活発化は国ごとの労働者の組織化を加速させ、国民国家の形成が一段と進んでいた当時の{趨勢/すうせい}と一致するものだった。このことは、それまでのインターナショナリズムつまり越境する労働者たちが実践したような比較的容易に水平方向に広がれた運動が、ナショナリズムという壁に直面する事態でもあった。急速に増大する労働者階級が各国民として吸収されていく流れのなかで、下層民を政治化して解放しようとする初期社会主義の試みからは、普通選挙権の獲得など議会を通じた解決策を重視する立場も現れるようになる(9頁)」。「ナショナリズムという壁に直面する」って、そりゃ労働運動が国民国家を基盤として発展してきたんだから、当たり前田のクラッカーだよね。
ということで「第1章 孤立のなかで――「ロシア化」するインターナショナル」に参りましょう。章題にある「インターナショナルの「ロシア化」」についてまず次のようにある。「たしかに、ロシアの外には少数かつ未熟な共産党しかなく、しかも常時往来が困難であるという事情があったにせよ、他国の共産党と対等な討論を通じたコミンテルン運営をしていく意識が当初からボリシェヴィキに希薄であったことは否めない。ロシア共産党の上層部のなかで事前に決定された重要事項が、同党の実質的な支配下にあるあるコミンテルン上層部にそのまま受け入れられることが常態化するなかで、インターナショナルの「ロシア化」は進行した。¶ところで、コミンテルン創立直後に開催されたロシア共産党第八回党大会にて、党の最高決定機関として政治局が常設されることになり、しかも国家権力の中枢としても機能することが確定した。これによって、党中央委員会のなかから選ばれたごく少数の委員からなる政治局が、ありとあらゆる政治問題を最終決定するという、ソ連崩壊まで脈々と受け継がれる統治機構が出現した(30〜1頁)」。「インターナショナルのロシア化」とは、まったく矛盾しているように聞こえるが、結局コミンテルンという世界革命を目指す組織が、実際に権力を握るには、皮肉なことに一つの強大な国家の権威に頼らざるを得ず、それどころか一握りの権力者によって運営せざるを得ないというのは、グローバルな世界の大きな矛盾だと言えるのかもしれない。この矛盾に関しては以後も見ていくが、「アメリカの第二の顔」としてのグローバリストも、アメリカという強大な国家なしには存在し得なかっただろうことを考えると(ただしアメリカのグローバリストは少数者が富を独占して、それを政治的支配につなげるという特徴が見られ、その点でソ連の少数の権力者とは異なるように思えるけどね)、グローバリズムは最初から根本的な矛盾を抱えていると言えそう。実はこの新書本を読んでいると、スターリンは、そのような矛盾の吹き溜まりのような存在だったことがわかるけど、それについてはあとで簡単に取り上げる。
さらに次のようにある。「政治局が組織されて党と国家が明確に一体と化したことは、ロシア共産党が国益重視の観点から国際共産主義運動へ関与する傾向を強めこそすれ弱めはしなかった(31頁)」。冒頭の『オッペンハイマー』のシーンで言えば、これは「ソヴィエトコミュニズム」と「コミュニズム」を区別することなど到底できなくなってきたことを意味する。このインターナショナルのロシア化は、コミンテルン規約の序文に次のようにあることで明確化したとのこと。「共産主義インターナショナルは、世界史上最初の勝利した社会主義革命であるロシアの偉大なプロレタリア革命の獲得物を全幅的に、あますところなく支持し、全世界のプロレタリアに同じ道を進むように呼びかける(35頁)」。また次のようにある。「共産主義インターナショナルは、国際ブルジョアジーを打倒し、国家の完全な廃止への過渡段階としての国際ソヴィエト共和国を創設するために、武器を手にとることをもふくめて、あらゆる手段でたたかうことを目的とする(36頁)」。「国際ソヴィエト共和国」とは、いったい何かと思われるかもしれないが、それについてはあとで簡単に触れる。「国家の完全な廃止」とは、コミンテルンならずとも現代の日本の左派の一部ですら主張しているようだが(明示的に主張していなくても、結果的にそうなるような主張をしている)、結局国家の存在を前提としなければ世界革命など土台無理なことは、根本的な矛盾であるように思える。レーニンのようにヘーゲル流弁証法を持ち出そうが、そこにはどうしても無理がある。それについてもあとで簡単に触れる。
さらにこの「規約の内容以上にコミンテルンのロシア支配の下地を形づくったのは、二一ケ条からなる加入条件(38頁)」で、「これによりコミンテルンに加盟しようとする政党は、共産党と名乗ることが義務づけられるとともに、ロシアの経験に基づく「プロレタリアートの独裁」の理念とボリシェヴィキの組織原理を余すことなく徹頭徹尾受け入れることを迫られた。それはレーニン死後も変わらず、とくにスターリンにとって各条項は、コミンテルンに加わる各国共産党を拘束する「言質」として重宝するものとなる(38頁)」。これでは「ソヴィエトコミュニズム」と「コミュニズム」を識別することなど土台無理だと言わざるを得ない。こうして「ソヴィエトコミュニズム」、つまりソ連共産党による中央集権化が徹底されていくのだが、それに関して第1章の最後で次のように述べられている。「党内の多様性と民主主義は大きく制限され、党の指導者に対する服従と徹底した上意下達型の統制が唯一絶対のあり方となっていく。労働者が経済政策の決定に直接関与するような下意上達型のあり方を「逸脱」であると異端のレッテルを貼ったことで、党はますます民衆と切り離され孤立した存在になるほかなかった(63頁)」。要するにボトムアップによる「インターナショナル」な世界ではなく、少数の権力者がトップダウンで世界を支配する「グローバル」な世界の確立が目指されるようになったということになる。逆に言えば、グローバリスト的な政治支配を実現するためには、結局少数の権力者が実権を握る中央集権的、全体主義的な政治システムが不可欠になると言えるのかもしれない。
ということで次の「第2章 東方へのまなざし――アジア革命の黎明」に参りましょう。冒頭に次のようにある。「十月革命に影響を受けたヨーロッパ各地での蜂起が次々と失敗し、革命の波及に対する楽観的な読みは行き詰まる。それでもなお、「国際ソヴィエト共和国」という、世界にわたる大国家の樹立を目指す場合、階級をめぐる先進地域向けの革命運動のほかに、まったく別種の後進地域向けの革命運動のあり方を具体的に構想し、しかも両者を有機的に結びつける必要があった。¶階級の文化が未熟な地域では、いくら階級の対立を{煽/あお}ったところであまり意味がない。しかし、人びとを結集しないことには革命は始まらず、世界共和国の樹立も絵に描いた餅でしかない。このジレンマのなかでレーニンが着目したのが、民族の対立であった。つまり、欧米の支配に対するアジア・アフリカの植民地や半植民地の諸民族の怒りを{焚/た}きつけて人びとを大量に動員し、その強力なエネルギーを世界革命の起爆剤に利用しようとしたのである(66頁)」。世界大の「国際ソヴィエト共和国」というのは、「国家」の範疇に入るのか私めには疑問があるけど(少なくとも国民国家ではないでしょうね)、それはよしとしましょう。いずれにせよ、レーニンは、諸民族を利用して世界革命を達成しようとしたことになる。だからナショナリズムや民族主義は、右派のイデオロギーに関係していると見られやすいのに反して、実のところ左派も、世界共和国という左派御用達の概念からすればきわめて郷党的な存在である国家や民族を巧妙に利用してきたのですね。これは人間の本性として受け継がれてきた部族主義的な側面を左派でさえ無視できなかったことを意味する。たまたまたった今読んでいるマイケル・モリス著Tribal: How the Cultural Instincts That Divide Us Can Help Bring Us Togetherという本が、この部族主義を肯定的に捉えている。この本の「イントロダクション」から一箇所だけ引用すると次のようにある。「私たちが備えている部族的本能は他の側面では知的な生物種である人間が抱えるバグなどではなく、人類の進化的上昇を可能にした弁別的な特徴なのであり、今日でも偉大な業績の多くを駆り立てている。つまり部族的本能とは、私たちの進歩を阻害している欠陥なのではなく、独特な文化を育むスーパーパワーなのだ(同書xxix〜xxx頁)」。レーニンも知らず知らずのうちにこの人間の持つスーパーパワーを活用しようとしたということなのでせふ。
新書本に戻るとさらに次のようにある。「レーニンは、西洋の抑圧民族と東洋の被抑圧民族という大きな枠組みから世界革命を捉えなおし、反帝国主義の諸勢力が一丸となって帝国主義に挑むという実に大胆な構想を提示した。一方で、民族主義者への接近は、資本主義の発達が遅れているアジアでは一挙に共産化を図るのではなく、住民の感情にも配慮しつつ、各地域の発展段階に合わせたアプローチをとろうという姿勢の表れでもあった。¶とはいえ、これまでにないグローバルな視野をもった独特な構想も、古典的なマルクス主義の見解同様、西欧のプロレタリアートが特権的な地位を占めている点には、微塵の疑いもかけられなかった。「救世主」たる西欧のプロレタリアートの到来なくして、ロシアを含め東洋の諸民族の真の解放はありえないものとされたのである(68頁)」。かくして「ボリシェヴィキは東洋の被抑圧民族の解放を、反帝国主義運動として組織化する実践に着手した(71頁)」のだそうな。そして「中近東での失敗を経て、極東のなかでもとりわけ世界有数の人口と広さをもつ巨大国家、中国がコミンテルンにとってのフロンティアとなり、多大な労力が傾注されていくのである(98頁)」。
次は「第3章 革命の終わりと始まり――ボリシェヴィズムの深層」。まず次のようにある。「見てきたように、すでに早くからコミンテルンのボリシェヴィキ化は進んでいたが、ロシア革命とそれを成功させたロシア共産党こそが革命の手本なのだと各国共産党にはっきりと示したのは、この大会[コミンテルン第五回大会]からであった。こうしてコミンテルン各支部は、組織的にはもちろん、思想的にもロシア共産党と一枚岩となり、まったく同じ世界観の共有が今まで以上に求められることになる(104頁)」。繰り返しになるけど、この状況で「ソヴィエトコミュニズム」と「コミュニズム」を区別することなど土台無理なのですね。次にレーニンのヘーゲル回帰について述べられている。これは少々わかりにくい議論なので、一箇所だけ引用することにする。次のようにある。「コミンテルンはレーニン時代の終わりまでに、ヘーゲル主義と相反する前衛党論に基づくロシア革命モデルを世界に輸出する一個の「思想運動体」としての側面を、より強固なものにしていった。¶ただ、その一方で世界のあり様を事物に内在する矛盾から読み解こうとするヘーゲル主義的な要素も、コミンテルンを構成する側面として機能し続けたことは見過ごせない。資本主義世界内部の矛盾として、資本主義国家同士の対立や分裂を見抜き、それを利用しようとする態度は、レーニンのヘーゲル回帰がコミンテルンの世界革命の遂行にもたらした遺産と言えるものであった。とはいえ、レーニンが自らの共産党とコミンテルンを権威の高みに置いたため、ヘーゲル弁証法はきわめて特殊かつ限定的な用いられ方をすることになった。より率直な言い方をすれば、敵を倒すための技術になってしまった感がある(120頁)」。要するにレーニンは、資本主義世界という敵を倒すためにヘーゲルの弁証法を援用したが、ことがソ連共産党ということになるとその適応を避けたということになる。ロシア共産党自体が、正反合という力動的な弁証法的過程に服さなければならないのなら、自分たちの権威が危うくなり、世界を共産主義思想で染めてトップダウンに支配するなどということは到底無理になるからね。結局、世界大の「国際ソヴィエト共和国」を建設し、トップダウンの政治支配を確立するためには、ロシア共産党が支配するロシア(ソ連邦)という一個の強大な国家に依存せざるを得なかったという矛盾が根本に存在していたことになる。このことからも共産主義に染め上げられた多様性のない均質的な「グローバルな世界」を築こうとする試みが、さまざまな矛盾を孕まざるを得ないことがわかろうというもの。
ただ、矛盾や自己欺瞞はあったとしてもそのような戦略を取ったレーニンは、世界革命の道筋をつけることには成功したと言えるのかもしれない。それに関して次のようにある。「レーニンのヘーゲル回帰がコミンテルンにもたらした遺産は、それだけにとどまらない。なによりも重要なのは、革命の主体を大きく押し広げた点にある。すなわち、明らかにレーニンは、革命の主体をプロレタリアートに限定する従来のマルクス主義の枠を突破して、資本主義列強の植民地支配を受ける世界中の民族にまで拡大した。¶もちろん、ヨーロッパの先進国のプロレタリアートが、もっとも重要な革命の主体ではある。が、資本主義が行き着いた帝国主義の段階では、その内部に深刻な矛盾、すなわちブルジョアジーとその支配を受けるさまざまな民族との対立が生まれ、後者がヨーロッパの革命を支援する新たな革命の主体となっていると、レーニンは見たのである。¶これによって、世界を一体的に捉えて真にグローバルな規模での内的な発展を構想することができるようになった。またそれとともに、経済後進国としてのロシアの経験を、同じようにプロレタリアートの未発達な世界中の国々に範として示すことも可能になった。こうしてコミンテルンはヨーロッパに限定されたそれまでのインターナショナルの空間を飛躍的に拡大できた(120〜1頁)」。「インターナショナルの空間を飛躍的に拡大できた」という記述は、私めなら「インターナショナルの空間をグローバルの空間に変容させる道筋が開けた」という言い方をするだろうね。
ということで、次の「第4章 大衆へ――労働者統一戦線の季節」に参りましょう。まず章題にある「大衆へ」とは、次のような意味らしい。「この戦術[労働者統一戦線]は、ロシアの十月革命が西方へとスムーズには拡大していかない現実を受けて生まれた。経済が発達した国々で労働者たちが革命に立ち上がらないのはなぜか――悪しき改良主義者の虜になっているからだ、と共産主義者たちは考えた。それゆえ、現状を打開するには、社会民主主義勢力に浸透し内部から切り崩して労働者たちを{軛/くびき}から解放しなければならない、ということになる。これが労働者統一戦線のスローガンである「大衆へ!」に込められた意図だった(130頁)」。このパウル・レヴィが構想した統一戦線という概念について次のようにある。「レヴィとしては、共産党と接点を持たない多くの労働者たちを取り込んで革命的な勢力へと生まれ変わらせるためには、これまで一貫して激しい憎悪を向けてきた改良主義の指導者たちへの接近を、まずは再開する必要があった。そしてその際、完全なブルジョア国家との同盟までも含めて想定できるのであれば、モスクワと世界各地の共産党が採りうる選択肢の幅は大きく広がる。そういう意味で統一戦線とは、敵を{十把一絡/じっぱひとから}げに扱うのではなく、敵全体の内部の亀裂に目をつけ、敵の敵は一時的な友になりうることに活路を見いだす、革命停滞期の実践的で総合的な取り組みという側面を潜在的に備えていた(132〜3頁)」。やや違う面はあろうが、いわゆる「サイレントインベージョン」を駆使する現代の中国共産党も似たようなことをやっているよね。日本の政治家にも、親中(あるいはネット用語で言えば媚中)政治家がわんさかいそう。そういう政治家は、まんまと(中国)共産党の籠絡戦略にはまっていると言えるだろうね。
しかし、この「大衆へ!」の統一戦線路線は、やがて放棄されることになる。それに関して第4章の最後に次のようにある。「二八年二月に開催されたコミンテルン執行委員会第九回総会は、新戦術としていわゆる「階級対階級」を採択し、左への転換をはっきりとした方針として打ち出す。(…)ここに至って社会民主主義者こそがソ連とコミンテルンにとっての主要な敵として全力を挙げて打倒されるべき存在となったわけである。¶そして同年七月から九月にかけてコミンテルン第六回大会がモスクワで開催され、左転換が公式に承認された。「大衆へ!」のスローガンを掲げた労働者統一戦線は完全に放棄され、これ以降極左主義的な革命路線の追求が始まり、各国共産党は孤立を深めていくことになる(165頁)」。
それから第4章に、非常に興味深い指摘がいくつかあったのでそれを取り上げてこの章はおしまいにしましょう。その一つは次のようなもの。「諸国家が世界平和のために国家間の調停を図る国際機構として発足した国際連盟が、コミンテルンとともに二〇世紀の国際主義を象徴する存在なのは確かであろう。かたや既存の政府が統治する国家からなる国際機構と、かたやその政府を打倒しようと世界各国に設置された政党からなる国際機構。IGO(政府間組織)かNGO(非政府組織)かの違いを越えて、そこには著しく対照的な二つの国際主義の形があった(134頁)」。私めなら前者を「インターナショナル」、後者を「グローバル」と呼ぶ。だから後者に関して「国際機構」と呼ぶのは、やや矛盾していると思っている。実際には「グローバル機構」、あるいはせいぜい「世界機構」と呼んだほうがいいのかもね。ちなみNGOに左派系が多いように思えるのも(実際の割合はよく知らん)、まさにNGOの淵源が、このような国家を打倒しようとする共産主義にあるからだというのが私めの考え。また自国第一主義者のトランプがUSAIDを解体している理由の一つも、USAIDが国家の打倒を目指す共産主義の影響を受けた左派NGOに資金を流しているからだと考えられる。それから共産党とファシストの類似性について次のような指摘があるのも興味深かった。「[ファシストの]ムッソリーニは、議会制民主主義を完膚なきまでに破壊するために、非合法活動に限定することなくブルジョア議会にも進んで入り、その内部から柔軟な闘争を展開した。そもそも、こうしたやり方はレーニンの追求するものでもあったはずである。ロシア・ボリシェヴィキとイタリア・ファシストは互いに相手を否定し激しく対立しつつも、反自由主義という点では明確に一致しており、その手法も似通っていたと言える(153〜4頁)」。また、次のようにある。「イタリアで見られた共産主義者とファシストとのある種の共謀関係は他国でも実践される。たとえば、ドイツ社会民主党が安定して政権を運営していたプロイセン州政府をナチスが合法的に葬り去ろうとして三一年夏に実施した住民投票をめぐる共産党の動きなどは、その好例であろう(155〜6頁)」。個人的には世界の均質的な支配を目指す共産党には、ファシズムと似たところがあるのだろうと思う。
ということで「第5章 スターリンのインターナショナル――独裁者の革命戦略」に参りましょう。この章では次のような記述がまず目を引いた。「こうした[レーニンの]世界国家のビジョンは、「一四ケ条の平和原則」にも色濃く反映されていたウィルソン米大統領の国際秩序のビジョンと実に似通った面があった。アメリカの内政を専門とする学者でもあったウィルソンは、自国の民主政治のあり方を国際社会に拡張し、それまでの伝統的な国際秩序を根底から刷新しようとした。国際連盟こそがアメリカを範とする共同体としての世界を正しく導く議会となりうるというウィルソンの理想の一方で、レーニンはコミンテルンこそがソ連を範とする世界にわたる共同体を実現し運営するに相応しい国際機構だと考えたわけである(176頁)」。前半のウィルソンに関する記述は、『アメリカ 異形の制度空間』を取り上げたときに私めが述べた「アメリカの第二の顔」に相当すると言える。「自国の民主政治のあり方を国際社会に拡張し」というのは、まさに「アメリカの第二の顔」がその「異形の制度空間」を世界に拡大しようとすることを意味する。また「それまでの伝統的な国際秩序」とは、国際法が支配する旧世界を意味する。前者が「グローバル」、後者が「インターナショナル」であることはそこで述べた。後半のレーニンの考えに関して言えば、コミンテルンが「アメリカの第二の顔」に相当し、そのコミンテルンは、アメリカではなくソ連の異形の制度空間を世界に拡大しようとしていたと見なすことができる。しかもどちらも制度空間を拡大しようとしているのであって、土地を征服しようとしているわけではないという点も一致する。この引用からも、「アメリカの第二の顔」と「コミンテルン」には大きな親和性がありそうなことがわかる。アメリカは結局、自らが言い出しっぺの国際連盟に参加しなかったわけだが、その当時はまだ、アメリカの力はのちの時代より強大ではなかったので、「異形の制度空間」を世界に拡大しようとする目論見が国際連盟によっては実現しそうにないことがわかってやんぴにしたということなのかもしれない。
それからここまではかなりあいまいだった「国際ソヴィエト共和国」に関して次のような指摘がある。「引き続きロシアとその共産党が突出した存在となったことは、スターリンが当初主張したものと現実的には大差のない国家体制を生み出した。にもかかわらず、平等な共和国から成る連邦とそれをひな型にした世界国家の構想が堅持されたことで、「国際ソヴィエト共和国」への道程は、革命ロシアの帝国的な拡張の同義となるほかなかった。そしてそれは同時に、コミンテルンを構成する国外の共産党が、帝国としてのソ連の「政治的領土」(フュレ二〇〇七)と化していくことを宿命づけたのである(177頁)」。ここには二重の皮肉がある。一つは「平等な共和国から成る連邦とそれをひな型にした世界国家の構想」とはあくまでも「インターナショナル」な世界の構想であるはずなのに、結局、レーニンらが実現しようとしたのは「グローバル」な世界だったという点。だからこそ、「コミンテルンを構成する国外の共産党が、帝国としてのソ連の「政治的領土」と化して」しまったわけ。というのも「グローバル」な世界は、多様性を認める「インターナショナル」な世界とはまったく異なるから。二つ目は「国際ソヴィエト共和国」という「グローバル」な世界を構築しようとした場合、結局、ソ連という一個の国家の政治体制を基軸に据えざるを得なかった点。これら二点は、用語を多少変えれば「アメリカの第二の顔」にも同様に当てはまる。このような矛盾に関しては、新書本にも次のようにある。「本来、対等な関係であるはずのコミンテルン諸支部は、ロシア共産党の多数派を頂点とする厳格なヒエラルキーへとはっきりと組み替えられた。しかしこれは、党内分派を禁止し、鉄の規律で貫かれた一枚岩の強烈な中央集権的党組織を目指したレーニンのこだわりの必然的な帰結であった。もっと言えば、共産党とコミンテルンに絶対的な「権威」を授け、また実質的に諸共和国の不平等な同盟に基づくソ連邦を世界国家のひな型と位置づけたレーニンの選択なくして生まれえなかった事態であったのだ(178頁)」。コミンテルン諸支部が対等な関係であるべきという考えは、そもそも多様性を受け入れる「インターナショナル」な世界という発想に基づいていなければならない。ところが、レーニンの構想する世界国家とは、ソ連邦という一つの国家をひな型とする均質的な「グローバルな世界」だったのですね。
次にコミンテルンのスターリン化について、次のように述べられている。「二八年一二月におこなわれたコミンテルン執行委員会幹部会の会議以降、組織は大きく変貌していく。スターリンはこの会議に直々に出席し、右派らに対して党規律違反の観点から激しい批判を展開した。これをきっかけに、多数派への忠誠を少しでも疑われた者たちはコミンテルン内から駆逐されていき、代わりにスターリンに進んで恭順する若い世代の党員たちが国際共産主義運動の場でも力を伸ばした。(…)スターリンの強硬路線が国外の共産党に有無を言わせず適用され、国ごとの特殊な事情への配慮は一層顧みられなくなった。二一カ条の加入条件を定めて以来の、コミンテルンを一枚岩の世界政党にするというレーニンの念願は、スターリンの手で大きく達成に近づいたと言える(193〜4頁)」。「国ごとの特殊な事情への配慮は一層顧みられなくなった」とは、スターリンの手によってコミンテルンから「インターナショナル」という要素が完全に消し去られたことを意味する。こうして先にあげたような矛盾も、スターリンの手でより徹底的なものになったと言えるでしょうね。だから私めは、スターリンに言及して「矛盾の吹き溜まりのような存在」と述べたわけ。
次は「第6章 「大きな家」の黄昏――赤い時代のコミンテルン」。映画『オッペンハイマー』では、戦前戦中におけるアメリカにおける共産主義運動への参加が一つのサブテーマとして取り上げられていたけど、当時の欧米諸国における共産主義の普及に関して次のように述べられている。「スターリンへの個人崇拝が強まった時期は、それまで革命の大義に関心を示さなかった層がソ連や共産主義に接近する現象が見られた。とくに重要なのは、知識人たちの動きである。西欧では第一次世界大戦やロシア革命を機に知識人のあいだで共産主義への関心が徐々に高まっていったが、その傾向に拍車をかけたのは、なによりも二九年の世界大恐慌であった。資本主義の深刻な行き詰まりは、それまでブルジョア社会のなかで安泰な社会的地位を享受してきた知識人たちの境遇をも一変させた。先行きの見えない資本主義の混迷のなかで、それとは対照的に映った共産主義世界の姿が、多くの知識人の心を捉えたのも無理のないことだった(204頁)」。まあいつの時代にも、知識人を自称する人々は、イデオロギーに弱く、いとも簡単にそれに乗せられてしまうということ。イデオロギーという想像の知が、いかに理性の知と直観の知を曇らせて、その人の判断を狂わせるかに関しては『存在の四次元』の訳者あとがきの後半を参照されたい。新書本に戻ると、さらに次のようにある。「さらに言えば、こうした動きは、ヨーロッパ大陸のみならず、英語圏すなわちアングロ=サクソン系諸国の知識人たちにも見られ、とりわけ三〇年代半ばから顕著だった。ちなみに、これは国際共産主義運動の全歴史を通じて言えることだが、英米で共産党が現地の政治で大きな存在感を示すことは、ついぞなかった。それにもかかわらず、ソ連共産主義がこれら連続する二つの世界覇権国の知的・文化的空間で一定の影響力を行使できたことは、やはり注目すべき事象であった(205頁)」。これがまさに、『オッペンハイマー』の舞台になっている時代のアメリカの共産主義に対する関係だったのですね。「アメリカの第二の顔」と「コミンテルン」の流布する共産主義思想がアメリカで融合するのも、この当時、すなわちFDR政権の時代である可能性が高いような気がする。
ここまでで私めの言いたいことは尽きたので、第6章の残りと「第7章 夢の名残り――第二次世界大戦とその後」はカットする。ということで、個人的には前回取り上げた『アメリカ 異形の制度空間』に描かれている「アメリカの第二の顔」とコミンテルンが非常に似通っていることがわかってきわめて有益だった。そして現代のグローバリストはこの二つの潮流が合体したところで存在していると個人的には考えている。アメリカで言えば「アメリカの第二の顔」の流れは共和党のネオコン勢力、コミンテルンの流れは民主党に相当する。そしてそれら両者に対抗しているのが、トランプ大統領とネオコン以外の共和党だと言える。確かにトランプも危なっかしい人物ではあるが、それよりはるかに問題なのは、ここまで見てきたように、大きな矛盾を抱えた「アメリカの第二の顔」と「コミンテルン」の現代版たる共和党のネオコン勢力+民主党のグローバリズムなのですね。なぜなら、彼らグローバリストは、均質的な制度空間を生み出そうとする過程で私めが言う、人々の生活がかかる多様な中間粒度を破壊せざるを得ないから。口では多様性を連呼しても、それはまさに、彼ら自身が多様性を破壊する存在でしかないことを心の奥底でわかっていて、それを他者や自分自身に対して糊塗しようとして念仏を唱えているとしか思えない。最後につけ加えておくと、このような見方はどちらの本にもあるわけではなく、私めの勝手な解釈であることは念頭に置かれたい。まあ、この二冊を合わせて読んでみるとよいかもね。
※2025年3月27日