信州の鉄道

上田交通の旧型車
 現在の上田交通は東急からの譲渡車ばかりで、趣味的にはちっとも面白くありませんが、かつての上田といといえば自社発注で優雅な外観を誇った丸窓電車を代表とした旧型電車の宝庫でした。そんな宝庫も1986年の架線電圧1500V昇圧化を期に一気に元東急の5000系・5200系に入れ替えられてしまいました。旧型車の風情を惜しみ昇圧の数日前に出かけ撮影したものが以下の写真です



地平時代の上田交通上田駅。現在は高架線となりやや西側に駅が移動しています。この跡地はきれいに整備され駅前広場になっています。旧式の駅名表示板が時代を感じます。
JRはしなの鉄道に転換され、北側には長野新幹線が通り、まったく様変わりしています。
写真の電車は小田急1650形の車体に旧信濃鉄道(現JR大糸線)の足回りを組み合わせた5370形です。 単行の営業列車です。
1986年9月23日 上田駅



塩田平をのんびりと走る。モハ5260形+クハ290形。
まったく経歴が異なる車輌同士が手をつなぎ活躍していた。これだけデザインが違う車を連結している姿はそうはないのでは思います。
1986年9月23日



「アオガエル」改め「平面ガエル」です。東急の5000系は数多くの車輌が、全国各地の地方私鉄に譲渡され活躍していましたが、この様なスタイルとなった例は皆無です。良くも悪くも非常に有名だった車輌です。「どうしてこんなになっちゃったの?」と言いたくなります。
この後、新たに東急から別の5000系が入線し、あっさりと廃車となってしまいました。
1986年9月23日 別所温泉駅



昇圧を控え待機する東急からの譲受車5000系及び5200系。これを期に一気に旧型車を一掃。全国のファンを残念がらせた。
譲受車に日本初のステンレス車5200系を入れたことに何か特別な意味があるのか思いましたが、この電車はその後東急に戻り長津田工場で保存されています。ここにヒントがありそうです。この5000系もわずか7年で同じく東急からの7200系の譲渡で引退となり、短命でありました。
1986年9月23日 下之郷

現在、5200系は再整備されて東急車輛(現在は総合車輛製作所)で保存中です。(2016年1月追記)