廃線紀行

下北交通
 平成13年3月末日で廃止になった下北交通大畑線です。この路線は昭和60年7月に旧国鉄大畑線を転換して開業したもので、民間の既存事業者が旧国鉄の特定地方交通線の転換路線を引き継いだ珍しい例でした。 同社は元々下北半島を本拠にする自動車事業専業のバス会社でした。下北半島の公共輸送において大畑線の占める比重は極めて大きく、廃止後の地域に対する影響などを考え、社会的責任を感じての引き継ぎとの事でした。
  少々古い話となりますが、私が当時活動していた鉄道趣味団体の機関紙にレポートを掲載する取材のため、同社の本社を訪れた事がありました。昭和60年3月の事で中古バスの縁(詳しいことは省略しますが)で関係のあった京急の協力を得て準備を進めている最中でした。事前に京急の方から連絡をして頂いた事もあって、大畑の本社を訪れた時に対応してくださったのはなんと社長さんでした。長い鉄道趣味の生活の中で社長と会えたというのは後にも先にもこの時だけです。
 実務はむつ市田名部のバスターミナル二階(三階かも)が鉄道部として数名で作業をしていていました。随分こじんまりとしているなと思ったことが記憶に残っています。その時は数枚の車輌の図面等を頂いてきましたが、4ヵ月後の開業が迫っていながらものんびりムードで、あまり作業が進んでいないように思えました。その後幹部社員(確か鉄道部長ポストで)の出向を京急から得て急速に準備を進め無事開業の日を迎える事となりました。
  開業後はワンマン化をはじめとした合理化などで何とか存続を図っていましたが、開業以来の乗客の減少をくい止める事は出来ず、とうとう廃止となってしまいました。国鉄から引き継いだキハ22改めキハ85の老朽化が深刻で、最終的にはこの代替が出来ない事がきっかけとなったようです。個人的には思い入れが強い同社でしたが、開業後一度(以下の写真を撮影した時)だけしか訪問せず廃線となってしまったことは本当に残念な事です。



開業に合わせてキレイに化粧直ししたキハ85気動車。1985年転換だからキハ85、貫通路の社紋が印象的でした。
1986年12月28日 大畑駅



本州最北端の表示がある大畑駅。構内に車輌基地が新設されていた。
鹿児島交通
 台風による災害がきっかけで1984年に廃止となってしまった鹿児島交通です。地元ではかつての社名「南薩鉄道」のほうが通りがよかったようです。太平洋戦争末期に沖縄県営鉄道が消滅して以来、長らく日本最南の私鉄として知られておりました。終点の枕崎から西鹿児島までは国鉄の指宿枕崎線を利用するより早いこともあり、国鉄との接続駅伊集院から鹿児島本線を西鹿児島まで同社の気動車が乗り入れていました。



細いレールと薄い道床の上をゆっくりと古い気動車が走る。乗客もあまり乗っていなくてさみしい状態であった。
この年に一旦廃止が表明され撤回され存続となったが、皮肉にも水害に見舞われ、 復旧される事なく翌年には廃止となってしまった。
写真は国鉄キハ07タイプの100形。昭和27年製。
1983年8月31日 伊集院~日置



3両在籍していたキハ300形。この車輌で国鉄鹿児島本線に乗り入れていた
国鉄キハ10系と同型のタイプであるが、登場は国鉄よりこちらの方が早かった。 
1983年8月31日 加世田駅 



加世田駅構内に留置中のキハ100形。広い構内には朽ち果てた車輌が大量に放置されていた。
赤さびた蒸気機関車も置いてあったように記憶しています。今はどうなっているのでしょうか? 

1983年8月31日 加世田駅
南部縦貫鉄道
 南部縦貫といえばレールバスの走る線としてファンの間では特別な存在でありました。今でこそ第三セクター線を中心にバスの部品を流用したレールバスも走っていますが、レールバスといえば南部縦貫の独壇場でありました。厳しい経営状態の中で古いレールバスを必死で走らせ、他の鉄道会社とは異次元の趣がありました。残念ながら1997年5月7日から営業休止となりましたが、往年は訪れるファンも多く、常に廃止の危機にさらされながらの経営のなかで、少なからず助かったのではと思います。



野辺地~西千曳間は国鉄東北本線の複線化に伴って廃止された旧線を譲り受けたルートだった。
写真右側は旧千曳駅のホームの跡。線路状態が悪く、かなり揺れが大きかった同社にあって、この区間だけは比較的乗り心地がよかった。
1984年2月13日 西千曳




こちらは夏の撮影です。盛田牧場駅付近を走行するレールバス。林の中からかわいいリスが出てきた。

1982年8月23日 盛田牧場