懐かしの国鉄型

上野発の特急・急行列車
 懐かしの国鉄車輌というよりもかつての有名撮影地ガイドのようになってしまっています。東北本線も上越線も新幹線開通前で長編成の特急・急行が頻繁に行き来するにぎやかな時代でした。どちらも線路容量いっぱいの列車を走らせ、保線の時間の確保もままならず、線路の痛みが問題となるくらいの状況でした。



栃木福島県境の黒川橋梁を渡る485系特急
ここは有名撮影地と知られた場所で、訪れた方は少なくないと思います。東北本線が日本鉄道として最初に開通した時のルートはこの橋の下を通っていたそうです。線路跡らしき道路には、よく見てみると鉄道の構造物の痕跡が見られた。
1982年5月2日 東北本線豊原~白坂



上の写真と同じ黒川橋梁です。12連の長編成で上野へ向かう457系急行電車。東北本線筋には「いわて」「まつしま」「ばんだい」「ざおう」と沢山の電車急行が走っていました。中学生の頃に上野駅で電車を見ていた私には457系は遠いみちのくに連れて行ってくれる憧れの電車でした。この橋を越えると福島県に入り、線路際に「これよりみちのく」の看板が出ていました。
1982年5月2日 東北本線豊原~白坂

上越国境の特急電車

「とき」で最後の活躍をする181系電車。
この年の11月に上越新幹線開業に伴い廃車となった。往年の名車も年寄る波には勝てず、この頃は痛みもひどく一般の方には不評でしたが、一時代を築いた車両だけに理屈では語れない風格があった。
1982年3月10日 越後中里~岩原スキー場前



上越線岩原スキー場前の大カーブを行く「特急はくたか号」485系。「はくたか」は古くは大鉄局向日町運転所持ちの運用で、関東ではあまり見られない西日本仕様の車両が運用されることも多く、目が離せない存在だった。現在でも(2001年10月)上野口には「急行能登」でJR西日本の485系の運用があり、この流れを汲んでいる。

1982年3月10日 越後中里~岩原スキー場前
伝説の北海道連絡特急「はつかり」

「はつかり」は北海道連絡の使命がある東北本線の特急列車としては特別な存在だった。また主に使用された583系も「月光型」と呼ばれ、世界唯一の昼夜兼用寝台電車としてこれも特別な存在として知られていた。「はつかり」では全盛時に13両の長編成で活躍していた。上の写真は東北新幹線開通後の姿で編成は少し短くなってしまっていますが、往年を充分に感じさせることの出来る姿です。

1986年12月28日 野辺地駅
奥羽本線「峠駅」
「峠」その音の響きと実際の雰囲気がこれほどまでに一致する駅はなかったのでは無いかと思っています。急峻な山に囲まれた静かな山間の駅に響く「チカラ~チカラ~」話に聞きいていた名物の「峠の力餅」を売る声でした。スノーシェードに守られたスイッチバックの複雑なポイントをガタガタと走る列車は旅情はあっても、現代のスピード時代には無用の長物。山形新幹線の新在直通化に伴い、惜しまれつつ廃止となってしまいました。



スノーシェードを抜けて駅に侵入するEF71とED78重連の下り普通列車。優等列車は本線を直通してしまうため、スイッチバックの醍醐味は味わう事は出来なかった。山形新幹線開業に伴う標準軌化によってホームはスノーシェードの中に移動、風情あるスイッチバックは廃止となってしまった。
余談であるが、数両の客車を重連の機関車で牽引するにはパワーがあり過ぎ、平坦区間での加速はかなりのもので、趣味的には極めて興味深かった。
1988年5月 峠駅



峠の力餅売りもこの頃には若夫婦に交代、やや年季の入り方は違ったものの、あの掛け声は健在。この日はゴールデンウイーク中でいつもとは違い沢山の乗降客がいた。

1988年5月 峠駅
東京近郊の旧国
そんな大昔の写真ではありませんが随分昔のように感じます。もっと昔は東京近郊どこででも見られた電車でしたが、この頃となると活躍の場は限られ、最後の活躍を写真に収めようと沿線はファンで一杯でした。私には昔の電車という感覚でそんなに強い思い入れは有りませんでしたが、無くなるんなら貴重という感覚で、今思いますとそれなりに通っていたようです。



鶴見線国道駅に進入する73系。鶴見線は72・73系最後の活躍の場で比較的状態の良い全金アコモ改造車が集結していたが、
写真の車輌は数少ない原形を保っている車だった。きっと詳しいい方は車番がわかるかと思います。



ホームが海に突き出しているとか、改札を出るとそのまま東芝の敷地だとか、 何かと話題豊富(最近はあまりマスコミに出てきませんが) な海芝浦駅に進入する73系。この車輌が全金車の代表的なスタイル。



山北駅構内に留置中の72・73系6連。6連のやや長い編成は付近に大手生命保険会社の本社がありラッシュに備えるため。
夕方のラッシュに向け待機中です。写真は全金試作車で有名なクモハ73900




沼津駅に停車中の御殿場線電車。御殿場線は72・73系では珍しいスカ色塗装、また山線ということで3M1TとM比の高い編成と特長あふれるものだった。引退後は115系が東北・高崎線から転属となった。隣のホームのグリーン車の白線が懐かしい。



クモハ11+クハ16の17M旧国の走る最後の路線となった浜川崎線。17M国電全盛の頃はさすがに記憶はないが、国電(省電が正しいか)ではポピュラー存在だったようです。この電車の後継は話題となった101系の2連とまたまた異色だった。1980年10月27日 川崎新町