- 長野電鉄と川中島バス
- どういう経緯だったかよく記憶しておりませんが、友人たちと「川中島自動車のバスを見に行こうよ!」という話になり、長野まで行った事がありました。なぜ川中島のバスかというと、当時の同社には通常決まっているシャシーとボディの組み合わせのパターンを破る、いわば珍車が多数在籍しており、「日野のシャシーに川崎のボディだよ!」なんて話で出かけてまいりました。車に乗り合わせての旅行でしたが、当時は上信越道などはもちろんなく群馬県の藤岡インターから国道18号をひたすら走り、とにかく車に乗っているばかりが記憶に残っています。長電を善光寺下駅先のトンネルを出た付近でを少し撮影し、残りの時間は川中島バスばかり見ていました。長野市からは今は災害で通れなくなったバードラインで戸隠へ、鬼無里村から大町を抜け松本にまわり中央道で八王子というような行路ではなかったかと思います。
川中島バスは大正14年開業の歴史のある会社ですが、昭和58年に経営不振から会社更生法を申請するに至り、多くの路線はかなり整理され、現在はアルピコ(松本電鉄)グループ下で経営されています。懐かしい旧塗装車をご覧下さい。

名車OSカーです。長電といえばOSカーと連想できる有名な車でした。地方私鉄としては異例ともいえる新造の20M4扉、前面はFRP製と意欲作で、1967年度ローレル賞を受賞車しています。
昭和40年代のデザインとしては秀作で、私が小学生のとき購入した図鑑にしっかり掲載されていました。20M4扉という大型車輌ゆえ、旅客輸送人員の落ち込みなど、長電のニーズに合わなくなったと思われますが、より車歴の古い2000系特急車より先に廃車となったのは、昭和41年製と比較的新しく、大手私鉄をしのぐ車輌と言われただけに残念な事です。
一部車輌は現在(2000年10月現在)須坂駅構内に留置(放置)されいますが、このまま朽ち果てていくのを見るのは忍びない思いです。
1983年8月31日 本郷駅付近

1957年にデビュ以来、2006年の1000系(旧小田急10000系)の登場まで長らく看板列車の座を守っていた2000系特急車です。数は少なくなりましたが未だ現役で運行されています。(2008年現在)
こまめに手を入れており車暦の割にはきれいな状態が保たれています。写真撮影時は冷房も取り付けておらず原型の姿を留めておりました。現在は冷房が取り付けられ、2000年10月から転換クロスは集団見合い式に固定され使用されています。
1983年8月31日 本郷駅付近

川バスの珍車です。 今はもう無い更埴営業所でのカットです。よく記憶していませんが国道18号に面していたと思います。早朝の撮影でまだかなりのバスが出庫前で営業所内にいました。
写真のバスが前述の、日野自動車製の足回りに川崎重工(川崎航空機時代のものかも)の車体が架装されています。
1983年8月31日 川中島自動車更埴営業所

スキーを搭載するために車体中央部を高くしていた、いすずCJM(川重車体製)バス。写真では判読できませんが長岡ナンバーを付けていましたので、新潟県側の妙高高原方面からの路線と思われます。
1983年8月31日 戸隠操車場

貸切の車輌はこの様な塗装で活躍していました。印象的なボディカラーなので記憶に残っている方も多いかと思います。左側のバスは一世を風靡した通称「オバQ]です。
1983年8月31日 大町営業所
- ミニエコー123系

この電車は塩嶺トンネル開通によってローカル線となってなってしまった旧中央東線の塩尻~辰野間用に荷物電車(確かクモニ143)を改造して作られた単行用車輌です。両側の運転台のみを残し中間をすっぽり作り変えたため種車の面影はあまり感じられませんが、いかにもあり合わせの部品を寄せ集め作った電車という感じが車外・車内のいたるところに見られます。今となれば当時の厳しい国鉄の財政のなかでは仕方なかったと思われます。個人的には異色なスタイルと意表をついた抜群の走行性能のアンバランスがなんとも好きで、何度か愛車を飛ばして辰野まで通ったものです。その後ワンマン化及び冷房改造も行なわれ外部塗装も変更となっています。最近は1両の異端児からか廃車も噂されています
その後、2013年3月に廃車となったようです。(2016年1月追記)
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