六条藤家顕輔の次男。母は能登守高階能遠女。初め隆長と名のった。顕方は同母兄、顕昭・重家・季経は異母弟。系図
父顕輔は崇徳院の命をうけ、天養元年(1144)より『詞花集』の撰集に着手。この時清輔は父より助力を請われたが、かねて父とは不和が続き、結局清輔の意見は採られなかったという(『袋草紙』)。四十代後半に至るまで従五位下の地位に留まったのも、父からの後援を得られなかったためと推測されている(『和歌文学辞典』)。しかし歌人としての名声は次第に高まり、久安六年、崇徳院主催の『久安百首』に参加。同じ頃、歌学書『奥義抄』を崇徳院に献上した。また仁平三年(1153)頃、『人丸勘文』を著し、類題和歌集『和歌一字抄』を編集。久寿二年(1155)、父より人麿影と破子硯を授けられ、歌道師範家六条家を引き継ぐ。
保元元年(1156)、従四位下。保元三年、和歌の百科全書とも云うべき『袋草紙』を完成する。翌年、これを二条天皇に献上。天皇の信任は篤く、太皇太后宮大進の地位を得る。この頃から自邸で歌合を催したり、歌合の判者に招かれたりするようになり、歌壇の中心的存在となってゆく。二条天皇からは、かねて私的に編纂していた歌集を召され、補正を進めていたが、永万元年(1165)、天皇は崩御。同年、清輔による撰集は、私撰集『続詞花和歌集』として完成された。やがて九条兼実の師範となり、歌道家としての勢威は、対立する藤原俊成の御子左家を凌いだ。治承元年(1177)六月二十日、七十四歳で死去。最終官位は正四位下。
著書にはほかに『和歌現在書目録』『和歌初学抄』などがある。自撰と推測される家集『清輔朝臣集』がある(以下『清輔集』と略)。千載集初出。勅撰入集九十六首。
以下には勅撰集と『清輔朝臣集』(群書類従二五六・私家集大成二・新編国歌大観三など。以下『清輔集』と略称)より四十三首を抜萃した。
春 8首 夏 2首 秋 9首 冬 9首 恋 5首 賀 3首 哀傷 2首 雑 5首 計43首
海上晩霞
夕汐に
【通釈】夕方の満ち潮どき、由良の海峡を渡る漁師の小船が、霞の底に漕ぎ入って行った。
【語釈】◇由良の門 紀伊半島と淡路島の間の海峡、今の紀伊水道。太平洋への出口に当たる。
【補記】海峡を渡って外洋へと向かう一艘の小船が、広漠とした夕霞の底に消えてゆく。勅撰集には洩れたが、『中古六歌仙』に清輔の代表作の一首として採られている。
海辺霞
【通釈】塩竈の浦はうらがなしく見えるなあ。霞に透けて見える、漁師の小舟よ。
【語釈】◇塩竈のうら 宮城県塩釜市付近の海岸。「うら」は「浦」と「心(うら)」の掛詞。
【補記】『清輔集』には見えないが、『中古六歌仙』『万代集』に清輔の作として載せる。『中古六歌仙』は平安後期頃の六歌人の秀歌を抄出した歌書。清輔のほか源俊頼・藤原基俊・俊恵・登蓮法師・待賢門院堀河が選ばれている。編者は不明。
【本歌】紀貫之「古今集」
君まさで煙たえにし塩がまの浦さびしくも見えわたるかな
崇徳院に百首歌たてまつりける時、花の歌とてよめる
神垣の三室の山は春来てぞ花の
【通釈】三室の山は春が来たので、花の白木綿を掛けたように見えるのだった。
【語釈】◇神垣(かみがき)の 「三室の山」の枕詞。◇三室の山 古くは「みもろの山」と言い、三輪山を指すことが多かったが、のち龍田川のそばを流れる神奈備山を指すと考えられるようになったらしい(古今集の「竜田川もみぢ葉ながる神奈備の三室の山に時雨ふるなり」など)。◇花の白木綿 桜の花を白木綿(しらゆう)に見立てる。白木綿とは神祭りの際、幣(ぬさ)として榊にかけたもの。
【補記】久安六年(1150)成立の久安百首。崇徳院に奉った第二度百首歌である。『清輔集』では「桜」と題された歌群の一首として載せる。
【他出】久安百首、定家八代抄、歌枕名寄、夫木和歌抄
桜
かざしをる三輪の檜原の
【通釈】三輪の檜林の木の間から、領布を振って舞うように見える桜の花――あれは、神楽を舞う少女たちなのだ。
【語釈】◇かざしをる 挿頭にするため枝を折る。ここでは「三輪」の枕詞として用いる。◇三輪の檜原(ひばら) 大和国三輪山のヒノキ林。同地の檜は神聖視され、その葉を挿頭にすることは霊験があると信じられた。
【参考歌】柿本人麻呂「拾遺集」
古にありけむ人も我が如や三輪の檜原にかざし折りけむ
題しらず
思ひ寝の心やゆきて尋ぬらむ夢にも見つる山桜かな(続千載89)
【通釈】思いながら寝入った心が訪ねて行ったのだろうか。夢でも逢えた山桜よ。
【補記】『清輔集』では「桜」と題された歌群の一首。『万代集』『夫木和歌抄』などにも採られている。
花の歌の中に
老いらくは心の色やまさるらむ年にそへてはあかぬ花かな(玉葉169)
【通釈】老年になると心の色がまさるのだろうか。年を取るにつれてますます見飽きない桜の花であるよ。
【補記】『清輔集』では、前の歌と同じく「桜」と題された歌群の一首。
見花述懐
身をつめば
【通釈】自分が同じ境遇を味わってみると、老木の花がいとしく思える。あと何年、春に逢うことができるのだろうか。
【語釈】◇身をつめば 元来は「我が身をつねってみれば」の意。ここでは「自分でその辛さを実感してみれば」ほどの意。
【補記】「今幾とせか春に逢ふべき」の思いは、自身の生の残り少なさへの感慨であると共に、桜の老樹の身になっての感慨でもある。
【参考歌】西行「山家集」「続古今集」(先後関係は不明)
わきて見む老木は花もあはれなり今いくたびか春に逢ふべき
崇徳院に百首歌たてまつりける時、春駒の歌とてよめる
みごもりに蘆の若葉や萌えぬらむ玉江の沼をあさる春駒(千載35)
【通釈】水中に隠れて蘆の若葉が萌え出ているのだろうか。玉江の沼に餌をあさる春の馬よ。
【語釈】◇玉江の沼 摂津国の歌枕。今の大阪市高槻市あたり。河内平野を満たしていた湖の名残である三島江の一部を言ったらしい。
【他出】久安百首、後葉集、中古六歌仙、歌枕名寄
郭公の歌とてよめる
【通釈】風越山を夕方越えて来ると、ほととぎすが麓の雲の底で鳴くのが聞こえる。
【語釈】◇風越 信濃の歌枕。飯田市の風越(ふうえつ)山のことという。
【補記】『清輔集』では詞書「時鳥声杳」。
【他出】今撰和歌集、清輔集、治承三十六人歌合、歌枕名寄
【参考歌】藤原家経「詞花集」
かざこしの峯のうへにて見るときは雲は麓のものにぞありける
崇徳院に百首歌たてまつりける時
おのづから涼しくもあるか
【通釈】おのずと涼しいのだなあ。夏衣の紐を「ゆう」ではないが、夕暮の雨のなごりのせいで。
【掛詞】◇ひもゆふぐれの 「日も夕」「紐結ふ」を掛ける。「紐」「結ふ」は衣の縁語。
【補記】『清輔集』では詞書「夕立」、第四句「ひもゆふだちの」。
【他出】久安百首、清輔集、定家八代抄、詠歌大概、夫木和歌抄
【本歌】よみ人しらず「古今集」
唐衣日も夕暮になる時はかへすがへすぞ人は恋しき
【主な派生歌】
風すずしなくうつ蝉のからころも日もゆふだちの雲のきえがた(藤原定家)
見るからにかたへ涼しき夏ごろも日も夕暮のやまとなでしこ(*後鳥羽院)
吹く風のすずしくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり(*源実朝)
風涼しぬるともゆかむ夏衣日も夕立の雨はふりきぬ(大内政弘)
吹きほさぬ雫もすずし夏ごろも日も夕だちの杉の下風(肖柏)
崇徳院に百首歌奉りける時
うす霧の
【通釈】薄霧の立ちこめる垣根の花がしっとりと朝露に濡れている。秋は夕方が良いなどと誰が言ったのだろう。
【語釈】◇朝じめり 花びらが朝露にうるおっているさま。◇秋は夕べと 枕草子の「秋は夕暮」を踏まえる。
【補記】群書類従本清輔集、第二句を「まがきに花の」とする。
【他出】久安百首、清輔集、中古六歌仙、定家十体(見様)、定家八代抄
【主な派生歌】
見わたせば山本かすむ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ(*後鳥羽院[新古今])
露むすぶ小萩が花の夕しめり月のみ秋となに思ひけむ(後崇光院)
崇徳院に百首歌たてまつりける時、よめる
龍田姫かざしの玉の緒をよわみ乱れにけりと見ゆる白露(千載265)
【通釈】龍田姫の髪飾りの玉をとめた糸が弱いので乱れてしまった――そんなありさまで散り乱れる白露よ。
【語釈】◇龍田姫 秋を司る神。紅葉を染めると見なされた。◇玉の緒をよわみ 玉を貫く糸が弱いので。
【他出】久安百首、清輔集、定家八代抄、詠歌大概、八代集秀逸、時代不同歌合
【参考歌】間人宿禰「万葉集」
彦星の挿頭の玉の妻恋に乱れにけらしこの川の瀬に
作者不詳「万葉集」
片糸もち貫(ぬ)きたる玉の緒をよわみ乱れやしなむ人の知るべく
文室朝康「後撰集」
白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞちりける
霧
霧のまに明石の瀬戸に入りにけり浦の松風音にしるしも(清輔集)
【通釈】霧の立ち込める中、明石の海峡に入ったのだな。浦の松を渡る風の音によってはっきりと知れる。
【語釈】◇霧のま 霧の間。「霧の絶え間」とも「霧の立ちこめているあいだ」とも取れるが、ここは後者か。
【補記】霧で視界が利かない中、松の梢を渡る風の音によって明石の瀬戸に入ったことを知ったのである。清輔の代表作として多くの秀歌選に採られながら、なぜか勅撰集には洩れた歌。
【他出】久安百首、歌仙落書、中古六歌仙、玄玉集、秋風集、雲葉集、歌枕名寄、夫木和歌抄
百首歌めしける時、月のうたとてよませ給うける
塩竈の浦ふく風に霧はれて
【通釈】塩竈の浦を吹く風に霧が晴れて、数知れぬ島々まで澄んだ光のうちに照らし出す月影よ。
【語釈】◇八十島かけて 八十島は松島湾内の群島を指すと思われる。下記参考歌を踏まえた句であるが、用法は全く異なり、新鮮な表現。澄んだ月の光が、沖に点在する島々まで照らし出している情景。
【他出】久安百首、清輔集、治承三十六人歌合、中古六歌仙、定家八代抄、歌枕名寄
【参考歌】小野篁「古今集」
わたのはら八十島かけて漕ぎ出でぬと人にはつげよ海人の釣舟
月
ゆく駒のつめの隠れぬ白雪や千里のそとにすめる月かげ(清輔集)
【通釈】駆けて行く馬のひづめが隠れない白雪は、千里の遠くまで澄み渡る月の光である。
【補記】白じらと冴えた月影を雪に見立てる。
月三十五首のなかに
夜とともに山の端いづる月影のこよひ見そむる心地こそすれ(清輔集)
【通釈】夜になると同時に山の端から出てくる月――今夜初めて目にするような気がするのだ。
【補記】「月三十五首のなかに」の詞書で括られた二十九首中の一首。藤原忠通の家集『田多民治集』に「月三十五首」と題した歌群があり、また俊恵の『林葉集』に「法性寺殿三十五首の月歌よませ給ひしなかに」との詞書が見える。掲出歌も忠通主催の歌会での一首であろう。次の歌も同じ時の詠である。
法性寺入道前関白太政大臣、月歌あまた人々によませけるによめる
夜もすがら我をさそひて月影のはては行方もしらで入りぬる(新拾遺439)
【通釈】一晩中、月の光は私をどこまでも誘いつづけ、あげくの果て、行く方も知れずに沈んでしまった。
【補記】藤原忠通が催した歌会での作。『清輔集』では第二句「人をさそひて」。
月のうた十首よみ侍りける時、よめる
今よりは更けゆくまでに月は見じそのこととなく涙落ちけり(千載994)
【通釈】これからは、夜が更けるまでずっと月を見ることはするまい。これといった理由もなく涙が落ちてしまった。
【補記】永暦元年(1160)七月、清輔自ら主催した歌合に出詠されている。しかし千載集の詞書は、もともと別の歌会で詠まれた歌であることを示唆しているようである。
【他出】清輔歌合、清輔集、定家八代抄、時代不同歌合
【本歌】「伊勢物語」四十五段
暮れがたき夏の日ぐらしながむればそのこととなくものぞ悲しき
【主な派生歌】
更くるまで眺むればこそ悲しけれ思ひも入れじ秋の夜の月(*式子内親王[新古今])
題しらず
更けにける我が世の秋ぞあはれなるかたぶく月はまたも出でなむ(千載297)
【通釈】更けてしまった私の人生の秋は悲しいものだ。西へ傾く月は、再び東から昇るだろうけれど。
【語釈】◇更けにける 老いてしまった、の意を掛ける。◇我が世の秋 「世」には人生、年齢の意もある。
久安六年崇徳院に百首歌奉りける時
山がつの
【通釈】山賤の家の蓬が生えた垣根も霜に枯れて、風も止まらずに吹きつける冬はやって来た。
【語釈】◇山がつ 山中に住み、卑しい身分と見なされた人々。猟師・木こり・炭焼など。◇風もたまらぬ 風も止まらぬ。寒風を遮るものがないことを言う。
【参考歌】和泉式部「和泉式部集」
夏のせし蓬の門は霜枯れてむぐらの下は風もたまらず
題しらず
柴の戸に入日の影はさしながらいかに
【通釈】柴の戸に入日の影は射しているのに、どうしてこの山では時雨が降っているのだろう。
【語釈】◇柴の戸 柴を編んで作った戸。山住いの粗末な庵の戸。隙間が多く、そこから夕日の光が射し込むのである。◇さし 「射し」であるが「鎖し」の意が掛かり戸の縁語。◇山べ 山。山のほとりではなく、庵がある山の中である。
【補記】『清輔集』では詞書「山居時雨」。
【他出】清輔集、定家十体(見様)、三十六人歌合、六華集
題しらず
おのづから音するものは庭の
【通釈】人が来たわけでもないのに音をたてるものと言えば、庭の上に木の葉を吹いて捲き上げる谷の夕風ばかり。
【語釈】◇おのづから 自然のなりゆきで。ひとりでに。招かなくても来る、というニュアンス。◇吹きまく 吹き捲く。吹いて捲き上げる。
【補記】『清輔集』では詞書「山家落葉」。山中の孤独な住居に訪れるのは、谷風が吹き上げる木の葉ばかり。
【参考歌】藤原範兼「続詞花集」(先後関係は不明)
おのづからおとなふものは庭のおもに浅茅なみよる秋の夕風
社頭月
月影はさえにけらしな神垣のよるべの水もつららゐるまで(住吉社歌合)
【通釈】月の光は冴え冴えと冷たくなったらしい。神前に供えた寄辺の水も氷が張るまでに。
【語釈】◇よるべの水 神霊を寄せるため、甕に入れて神前に供えた水。源氏物語に用例があるが、和歌ではこの歌以前に例を見ない。
【補記】嘉応二年(1170)十月九日、住吉大社で催された歌合。後徳大寺実定、藤原俊成(判者を兼ねる)、源頼政、俊恵、小侍従ら当時の主要歌人が出詠した。
【他出】八雲御抄、夫木和歌抄、歌林良材
百首歌の中に、雪のうたとてよませ給うける
消ゆるをや都の人は惜しむらむけさ山里にはらふ白雪(千載448)
【通釈】消えてしまうのを都の人ならば惜しむだろう。今朝、山里にあって払う白雪よ。
【補記】都と山里では降る雪の量が違う。早朝、屋根などに積もった雪を払う山住いの作者が、都の人なら消えるのを惜しむだろうに、と思いやる。
【他出】久安百首、後葉集、今撰集、清輔集、題林愚抄
久安百首歌に
白妙の雪吹きおろす
【通釈】白い雪を吹き下ろす風越の峰――その頂きからさしのぼる冬の夜の月よ。
【補記】『清輔集』では詞書「冬月」。
題しらず
雲ゐよりちりくる雪はひさかたの月のかつらの花にやあるらむ(新勅撰417)
【通釈】空から散って来る雪は、月に生えるという桂の花なのだろうか。
【語釈】◇月のかつら 月に桂が生えているとするのは中国渡来の伝説。日本では落葉樹の桂と混同されたが、本来は桂花(キンモクセイ)の類であろうという。
【主な派生歌】
吹く風にちりかひくもる冬の夜の月のかつらの花のしら雪(*後二条院)
題しらず
冬枯の森のくち葉の霜のうへにおちたる月の影のさむけさ(新古607)
【通釈】冬枯れした森の朽葉に置いた霜――その上に落ちた、月の光のさむざむとしたさまよ。
【補記】『清輔集』では詞書「森間寒月」。
【補記】この歌の典拠として『新古今増抄』は蘇東坡の詩「霜露既降 木葉尽脱 人影在地 仰見明月」を挙げている。
【校異】第五句、「影のさやけさ」とする本もある。
【他出】清輔集、中古六歌仙、定家八代抄、詠歌大概、近代秀歌、八代集秀逸、時代不同歌合、桐火桶、井蛙抄、六華集、題林愚抄
【参考歌】藤原顕輔「久安百首」「新古今集」
秋風にたなびく雲の絶間よりもれ出づる月の影のさやけさ
崇徳院御時、百首歌たてまつりけるに
君来ずは独りや寝なむ笹の葉のみ山もそよにさやぐ霜夜を(新古616)
【通釈】あなたが来ないならば、私は独りで寝ることになるだろう。笹の葉が深山にさやさやとそよぐ、こんな寒い霜夜を。
【補記】『清輔集』では詞書「冬夜」。
【他出】久安百首、清輔集、定家八代抄、詠歌大概、近代秀歌、桐火桶、井蛙抄、題林愚抄、歌林良材
【本歌】柿本人麻呂「万葉集」
小竹の葉はみ山もさやに乱れども吾は妹思ふ別れ来ぬれば
よみ人しらず「古今集」
さかしらに夏は人まね笹の葉のさやぐ霜夜をわがひとりぬる
題しらず
【通釈】難波の海女がもみ殻を焼く火は、下の方でくすぶっている。そのように、表にはあらわさずに恋心を燃やしている我が身なのだ。
【語釈】◇難波女 難波の海女。◇すくもたく火 籾殻を燃やす火。◇上はつれなき 表面はつれないそぶりをしている。
【本歌】紀内親王「後撰集」
津の国のなにはたたまく惜しみこそすくもたく火の下にこがるれ
【他出】久安百首、清輔集、定家八代抄、近代秀歌、歌枕名寄、井蛙抄
崇徳院に百首歌たてまつりける時、恋歌とてよめる
逢ふことは
【通釈】逢うことは否(いな)というあの人――引佐細江の澪標(みおつくし)ではないが、いくら身を尽しても、それだけの深い報いは得られない仲なのであった。
【語釈】◇引佐細江 遠江の歌枕。「否」の意を掛ける。◇みをつくし 澪標を掛ける。第二・三句は「深き」を導く序。◇深きしるしもなき (いくら深い気持で身を尽しても)それに見合った深い効験が得られない。◇世 男女の仲。
【本歌】作者未詳「万葉集」
遠江引佐細江のみをつくし我を頼めてあさましものを
歌合し侍りけるときよめる
しばしこそ濡るる袂もしぼりしか涙に今はまかせてぞ見る(千載816)
【通釈】涙に濡れた袖を絞ったのも暫しの間だけだ。もはや涙が溢れ出るのにまかせ、それをただ眺めている。
【補記】永暦元年(一一六〇)八月太皇太后宮大進清輔後度歌合(散佚。平安朝歌合大成による)出詠歌。恋の辛さに、絞るのも間に合わないほど涙が溢れる。
恋歌の中に
そなたより吹きくる風ぞなつかしき妹が袂にふれやしぬらむ(玉葉1470)
【通釈】そちらの方から吹いてくる風が慕わしい。いとしい人の袂に触れたのだろうか。
【補記】『清輔集』は第五句「ふれやしつらむ」。
恋の歌とてよみ侍りける
いかに寝てさめし名残のはかなさぞ又も見ざりし夜はの夢かな(新勅撰833)
【通釈】どのように寝て目覚めたゆえの、今も残る余韻のはなかさなのか。再び見ることのなかった夜の夢よ。
【補記】『清輔集』の詞書「しのびてただ一夜物申して後、心ならずかきたえける女のもとへ」に拠れば、「夢」はたった一夜の逢瀬を言う。なお同集では第三句「かなしさぞ」。
嘉応元年、入道前関白太政大臣、宇治にて、河水久澄といふ事を人々によませ侍りける
年へたる宇治の橋守こととはむ幾世になりぬ水のみなかみ(新古743)
【通釈】年老いた宇治の橋守よ、質問しよう。いったい幾世を経たのか、宇治川の川上が澄むようになってから。
【補記】嘉応元年(1169)、藤原基房(忠通の子)主催の歌会での作。『清輔集』の詞書は「松殿関白、宇治にて河水久澄と云ふ事を人々によませたまひけるに」。宇治の橋守にことよせて、代々宇治に別荘を構えた摂関家を祝する。
【他出】歌仙落書、清輔集、治承三十六人歌合、玄玉集、定家十体(事可然様)、定家八代抄、後鳥羽院御口伝、歌枕名寄、三五記、正徹物語、題林愚抄
【本歌】よみ人しらず「古今集」
ちはやぶる宇治の橋守なれをしぞあはれとは思ふ年のへぬれば
【参考歌】津守国基「国基集」
年ふれど老いもせずして和歌の浦にいく代になりぬ玉津島姫
日吉
【通釈】七十に満ちるまで三津の浜松は老いたけれども、千年まで残りはまだ遥かです。
【語釈】◇みつの浜松 三津の浜松。「これは『三津浜』(耀天記)で、近江国の日吉神社辺の湖岸をいう」(岩波新古典大系)。「満つ」を掛ける。
【補記】日吉大社の神職にあった祝部成仲七十歳の祝いに詠んだ歌。
高倉院御時大嘗会御屏風歌
はるばると曇りなき世をうたふなり月出が崎のあまの釣舟(新拾遺733)
【通釈】遥々と遠くまで、曇りなく平穏なこの世を讃えて歌っている。月出が崎の漁師の釣舟よ。
【語釈】◇月出が崎 近江の歌枕。琵琶湖北岸に月出集落があり、そのあたりの岬であろう。
【補記】仁安三年(1168)に即位した高倉天皇の大嘗会の御屏風歌。清輔は主基方の和歌作者を勤めた。
【他出】治承三十六人歌合、秋風集、雲葉集、歌枕名寄、夫木和歌抄
【参考歌】大伴家持「万葉集」
朝床に聞けば遥けし射水河朝漕ぎしつつ唄ふ船人
母のおもひに侍りけるころ、又なくなりにける人のあたりよりとひて侍りければ、つかはしける
世の中は見しも聞きしもはかなくてむなしき空の
【通釈】この世は、実際経験したことも、話に聞いただけのことも、みなはかなくて、虚空に漂う煙にほかならないのです。
【語釈】◇見しも聞きしも 自分のこととして経験した母の死も、話に聞いた人の死も。
【補記】『清輔集』の詞書は「花園左大臣北の方うせられにける比、母のおもひにて侍るを、そのわたりなる人のとへりければよめる」。清輔が母の喪に服していた時、花園左大臣源有仁の近隣の人の弔いを受け、有仁の正妻が亡くなったことを知ったのである。
年ごろの妻におくれたる人のもとへつかはしける
妹背川かへらぬ水の別れには聞きわたるとも袖ぞぬれける(清輔集)
【通釈】妹背川の水が再び帰らないように二度と逢えない別れ――ただ聞き及ぶだけでも涙で袖が濡れることです。
【語釈】◇年ごろの妻 長年連れ添った妻。◇妹背川(いもせがは) 万葉集の「妹背山」から作られた歌枕。万葉集の「妹背山」は明らかに紀伊国の山なのだが、『八雲御抄』は妹背川を大和国の歌枕として挙げ、中世には吉野川上流と考えていたらしい。妹(妻)と背(夫)の間を隔てて流れる川の意を帯びる。
【補記】「水」「わたる」「ぬれ」と川の縁語をつらねている。
【他出】新千載集には次のように載る。
後徳大寺左大臣室身まかりにける比、申しおくりける
妹背河かへらぬ水の別れ路は聞きわたるにも袖ぞぬれける
百首歌奉りける、旅の歌
松がねに 霜うちはらひ めもあはで おもひやる 心や妹が 夢にみゆらむ(新勅撰1348)
【通釈】松の根元に寝て、霜を打ち払い、目蓋も合わずに、逢えない妻を思いやる、私の心――その心が通じて、今ごろ妻の夢に私が現れているだろう。
【語釈】◇松がね 根に「寝」の意を掛ける。◇めもあはで 逢うことも出来ずに。瞼を閉じることが出来ずに、の意を掛ける。◇妹 家で待つ妻。
【補記】五七五・五七七の異体の旋頭歌。
百首歌めしける時、神祇歌とてよみける
【通釈】天下がのどかであるようにと、榊の葉を三笠の山に挿しはじめたのだろうか。
【語釈】◇三笠の山 奈良の春日明神をさす。◇さし 榊葉を挿す意に笠を差す意を掛ける。「さし」は初句の「あめ」と共に「笠」の縁語をなす。
龍門寺のこころをよめる
山人の昔の跡をきてみればむなしき床をはらふ谷風(千載1039)
【通釈】仙人が昔住んだという跡に来て見ると、窟はからっぽで、誰もいない岩の寝床を谷風が払うばかりである。
【語釈】◇龍門寺 大和国吉野にあった寺。◇山人 仙人。◇むなしき床 かつて仙人が寝床とした岩を言う。
題しらず
ながらへばまたこの頃やしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき(新古1843)〔百)
【通釈】生き長らえれば、今この時も懐かしく思われるのだろうか。昔、辛いと思った頃のことが、今では恋しく思われるから。
【補記】『清輔集』の詞書は「いにしへ思ひ出でられけるころ、三条大納言いまだ中将にておはしける時、つかはしける」とあり、「三条大納言」が中将であった頃に贈った歌とする(「三条大納言」を「内大臣」とする本も)。「三条大納言」は藤原実房を指すと見る説がある(香川景樹)。三条内大臣藤原公教(大治五年-1130-左中将)とも。
【他出】歌仙落書、清輔集、治承三十六人歌合、定家十体(有心様)、定家八代抄、近代秀歌、別本八代集秀逸(家隆撰)、三五記、桐火桶、井蛙抄
【参考歌】三条院「後拾遺集」
心にもあらで憂き世にながらへば恋しかるべき夜はの月かな
【主な派生歌】
月みても雲井へだつと恨みこしその世の秋ぞ今は恋しき(惟宗光吉)
おのづからつてに通ひし言の葉につらかりし世ぞ今は恋しき(千種有光)
数しらぬ昔をきけば見しほどもすたれたる世の今は恋しき(正徹)
忘れずよ憂しと見しよの春をさへ又このごろの花にしのびて(有賀長伯)
ともすれば君がみけしきそこなひて叱られし世ぞ今は恋しき(*野村望東尼)
人麿の墓に卒都婆たて侍るとてかきつけ侍りける
世をへても逢ふべかりける契りこそ苔の下にも朽ちせざりけれ(玉葉2604)
【通釈】幾世を経へても、こうして逢うことになっていた因縁――それこそは、故人は苔の下にあっても、朽ちることのないものであった。
【語釈】◇苔の下 墓の下を云う。
【補記】『清輔集』巻末歌。詞書は「大和の国いそのかみと云ふ所に、柿本寺と云ふ所のまへに人丸が墓ありといふを聞きて、卒塔婆をたてたり。柿本の人丸墓としるしつけて、かたはらに此の歌をなむかきつけける」とあり、また歌の後に「其後、村の者ども、あまたあやしき夢をなむみたりける」と書き添えてある。
更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成19年09月28日