文屋朝康 ふんやのあさやす 生没年未詳

六歌仙の一人康秀の子。寛平四年(892)正月二十三日、駿河掾に任ぜられ、延喜二年(902)二月二十三日には大舍人大允に任ぜられる(『古今和歌集目録』)。宇多・醍醐朝の卑官の専門歌人かという。是貞親王家歌合に出詠。勅撰入集は古今集に一首、後撰集に二首。

是貞のみこの家の歌合によめる

秋の野におく白露は玉なれやつらぬきかくる蜘蛛の糸すぢ(古今225)

【通釈】秋の野に置く露は玉だろうか。つらぬいて通す蜘蛛の糸すじよ。

【補記】蜘蛛の掛け渡した糸に白露が掛かっている情景を、緒に貫いた玉に見立てた。「是貞のみこの家の歌合」は寛平四年(892)頃催された歌合。

【他出】新撰万葉集、新撰和歌、和歌初学抄

【主な派生歌】
雲ゐよりつらぬきかくる白玉をたれ布引の滝といひけん(*藤原隆季[詞花])
白露のつらぬきかくるときにこそ玉柳とはいふべかりけれ(藤原教長)
春くればみどりの糸の筋ごとにつらぬきかくる玉柳かな(花園左大臣家小大進)
朝まだきくるすの小野のいと萩につらぬきかくる露の白玉(藤原範光)
糸萩のなみよるばかりおく露はつらぬきかくる玉かとぞ見る(皇后宮摂津)
野辺ごとにたれにみせんとささがにのつらぬきかくる萩の白露(藤原為家)

延喜御時、歌召しければ

白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける(後撰308)

【通釈】草の上の白露に風がしきりと吹きつける秋の野とは、緒で貫き通していない玉が散り乱れるものだったのだ。

【語釈】◇延喜御時 醍醐天皇の御代(897〜930)。◇白露 大気中の水蒸気が葉の上などに凝結したもので、白く光って見える水滴を言う。万葉集でも用いられた歌語。和歌では涙の喩えやはかないものの象徴ともなる。◇吹きしく 「しく」は「事が重なって起きる」意。◇つらぬきとめぬ玉 緒で通して留めていない玉。白い玉と言えば真珠を指すことが多かったようであるが、この歌では数珠を連想させられるので、玻璃珠(水晶玉)や白珊瑚の珠などを思い浮かべても良いか。

【補記】草葉の上の白露が風に吹き散らされる情景を、玉の散り乱れる様に喩える。寛平元年(889)の「寛平御時后宮歌合」、同五年の「新撰万葉集」に見える歌で、後撰集の詞書「延喜御時、歌召しければ」は不審とされる。

【他出】寛平御時后宮歌合、新撰万葉集、近代秀歌、詠歌大概、定家八代抄、八代集秀逸、百人一首

【主な派生歌】
玉ぼこの道もやどりもしら露に風の吹きしく小野の篠原(藤原家隆)
てづくりやさらすかきねの朝露をつらぬきとめぬ玉川の里(藤原定家)
むさし野につらぬきとめぬ白露の草はみながら月ぞこぼるる(〃)
川なみに風のふきしく白露やつらぬきとめぬ玉のをやなぎ(順徳院)
武蔵野や人の心のあさ露につらぬきとめぬ袖の白玉(九条道家[新勅撰])
山風にあられうちちる音はしてつらぬきとめぬ庭の玉笹(三条西実隆)
露むすぶみどりの糸に風絶えてつらぬきとむる玉のを柳(木下長嘯子)
まくず原露も玉まく夕風につらぬきとめぬ秋ぞちりける(松永貞徳)

題しらず

浪わけて見るよしもがなわたつみの底のみるめも紅葉ちるやと(後撰417)

【通釈】波を分けて見てみたいものだ。海の底を見れば、海松布(みるめ)も紅葉して散っているのかと。

【補記】紅葉した木の葉が散り始める頃、海底でも同じ様な現象が見られるのかと思いを馳せた。「みるめ」は海藻の一種。見る目の意を掛ける。


更新日:平成16年01月20日
最終更新日:平成18年11月01日