建久三年(1192)八月九日、征夷大将軍源頼朝の次男として生まれる。母は北条政子。幼名は千幡(せんまん)。
正治元年(1199)、八歳の時父を失う。家督は長兄頼家が継いだが、やがて北条氏に実権を奪われ、頼家は建仁三年(1203)九月、北条氏打倒を企てて失敗、伊豆に幽閉された(翌年七月、北条時政の刺客によって惨殺される)。このため、実朝と改名して第三代将軍となる。翌年、坊門大納言信清の息女を妻に迎える。承元二年(1208)、十七歳の時、疱瘡を病む。翌年、藤原定家に自作の和歌三十首を贈って撰を請い、定家より「詠歌口伝」を贈られる(『近代秀歌』と同一書とされている)。建暦元年(1211)、飛鳥井雅経と共に鎌倉に下向した鴨長明と会見する。雅経とはその後も親交を続け、京から「仙洞秋十首歌合」を贈られるなどしている。建保元年(1213)には、定家より御子左家相伝の万葉集を贈呈された。また同三年の「院四十五番歌合」を後鳥羽院より送られている。建保四年六月、権中納言に任ぜられる。この頃渡宋を企て大船を造らせたが、進水に失敗し計画は挫折した。建保六年(1218)正月、権大納言に任ぜられ、さらに昇進を望んで京都に使者を派遣、十月には内大臣、十二月には右大臣に進むが、翌年正月二十七日、右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に参詣した際、甥の公暁に暗殺された。薨年二十八歳。
新勅撰集初出。勅撰入集計九十二首。家集『金槐和歌集』(『鎌倉右大臣家集』とも)がある。同集定家所伝本には建暦三年(1213)十二月八日の奥書があり、実朝二十二歳以前に纏められたものらしい(自撰説が有力視される)。定家所伝本と貞享四年板本(以下「貞享本」と略称)の二系統があり、後者は「柳営亜槐本」とも呼ばれ、足利義政による増補改編本とする説が有力である。
源実朝の墓 鎌倉寿福寺 |
「恐らく彼は、自分自身の自然感覚よりは、もっともっと深く、それに似通ったものをうたっている古歌の表現を愛している。彼が真に愛したのは言葉である。何故といって、言葉には文化があるからである。それ故に、彼の歌は王朝四百年伝統の風流に身をよせる心によって支えられている」(風巻景次郎『中世の文学伝統』)
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【読書案内】実朝の家集『金槐和歌集』は岩波文庫(斎藤茂吉校訂)で読むことができますが、江戸時代の板本である貞享本を底本にしているのが問題です。やまとうたeブックスでは最も信頼すべき定家所伝本を底本にした佐佐木信綱の『校註金槐和歌集』を電子書籍として復刊しました。
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テキストは主に新編国歌大観(底本は貞享本)を参考に作成したが、定家所伝本に拠って改めた歌も少なくない。その際は主として笠間索引叢刊『鎌倉右大臣家集 本文と総索引』及び新潮日本古典集成『金槐和歌集』を参照した。歌の末尾の〔〕内は採録された勅撰集と新編国歌大観番号を示す。
春 11首 夏 6首 秋 11首 冬 8首 恋 4首 雑 30首 計70首
正月一日よめる
今朝みれば山もかすみて久方の天の原より春は来にけり
【通釈】今朝眺めると、山も霞んでいて――大空から春はやって来たのだなあ。
【語釈】◇久方(ひさかた)の 「天(あま)」に掛かる枕詞。◇天(あま)の原 広々とした大空。空を平原になぞらえて言う。また神話における天上界をも意味し、高天原に同じ。
【参考歌】壬生忠岑「拾遺集」
春たつといふばかりにやみ吉野の山もかすみてけさは見ゆらん
藤原良経「新古今集」
み吉野は山もかすみて白雪のふりにし里に春は来にけり
【補記】上記参考歌以外にも、新古今集の後鳥羽院御製「ほのぼのと春こそ空に来にけらし天のかぐ山霞たなびく」などを思わせる、丈高く大らかな迎春詠。
梅花風ににほふといふ事を人々によませ侍りし
梅が香を夢の枕にさそひきてさむる待ちける春の山風
【通釈】梅の香を、夢見て眠る枕もとへと誘って来てくれた春の山風は、私の目が醒めるまで待っていてくれたのだ。
【参考歌】式子内親王「新古今集」
かへりこぬ昔を今と思ひ寝の夢の枕ににほふ橘
後鳥羽院「御集」(建仁元年三月内宮御百首)
梅が香をまやのあまりにさそひきて有りとや袖に春風ぞ吹く
【補記】夢から醒めた枕辺にただよう梅の香を、山から吹く春風が運んできてくれたとした。新古今集の幻想的な作風からの影響が顕著な歌で、実朝には珍しい詠みぶりと言える。
この寝ぬる朝けの風にかをるなり軒ばの梅の春のはつ花〔新勅撰31〕
【通釈】寝て起きた、この朝明けの風に薫っている。軒端の梅の、この春初めての花が。
【語釈】◇かをるなり この「なり」はいわゆる伝聞推定の助動詞。視覚以外の感覚(この場合嗅覚)に基づき判断していることをあらわす。
【本歌】安貴王「万葉集」
秋立ちて幾日もあらねばこの寝ぬる朝けの風は手本寒しも
【補記】安貴王の歌、と言うより「この寝ぬる朝けの風」の句は新古今集の頃もて囃され、盛んに本歌取りされた。因みに安貴王の歌は第三句「いくかもあらねど」、結句「たもとすずしも」とされて拾遺集にも採られている。
梅の花をよめる
咲きしよりかねてぞをしき梅の花ちりのわかれは我が身と思へば
【通釈】咲いた時から予め愛惜される、梅の花よ――散って別れるのは、私の命だと思えば。
【語釈】◇かねてぞをしき 咲いた時からもう散る時を考え、すでに愛惜の感情を持つ。◇ちりのわかれは… 梅の花が散るのを見るより先に、自分の方が命を散らせるだろう、ということ。
【本歌】よみ人しらず「古今集」
散らねどもかねてぞ惜しき紅葉ばは今はかぎりの色と見つれば
【補記】建暦三年(1213)十二月十八日の日付を奧書に記す藤原定家所伝本(実朝の自撰と推測される)には見えない歌。定家所伝本の成立以後に詠まれた晩年の作と思われる。実朝には自らの遠からぬ死を予感しているかのような歌が少なくない。
雨中柳
水たまる池のつつみのさし柳この春雨にもえ出でにけり
【通釈】池の周囲の堤に植えた柳の插木が、この春雨に芽ぐみ始めた。
【語釈】◇水たまる 記紀歌謡や万葉集で「池」の枕詞として用いられている。「仏造る真朱足らずは水渟(たま)る池田の朝臣(あそ)が鼻の上をほれ」(大神奥守『万葉集』)。◇さし柳 插し木の柳。万葉集の長歌(13-3324)に用例がある。
【参考歌】高田女王「万葉集」
山吹の咲きたる野辺のつほすみれこの春雨に盛りなりけり
作者不詳「万葉集」
あしひきの山の間てらす桜花この春雨に散りゆかむかも
遠山桜
かづらきや高間の桜ながむれば夕ゐる雲に春雨ぞ降る〔新後撰110〕
【通釈】夕方、葛城の高間山の桜を眺めると、とどまっている雲に春雨が降っている。
【語釈】◇かづらきや高間 葛城の、高間山。「かづらき」は奈良県と大阪府の境をなす金剛葛城連山を指し、高間山はその主峰、金剛山の古名という。◇夕ゐる雲 夕方、山にとどまっている雲。万葉語。雲は夜のあいだ山に居座り、朝になるとまた山を離れてゆく、と見るのが普通だった。但し掲出歌の場合、夕桜を「夕ゐる雲」と言いなしたと考えられる。
【参考歌】藤原顕輔「千載集」
かづらきや高間の山の桜花雲ゐのよそに見てや過ぎなん
寂蓮「新古今集」
かづらきや高間の桜さきにけり立田のおくにかかる白雲
【補記】新後撰集では結句を「春風ぞ吹く」とする。
屏風の絵に旅人あまた花の下にふせる所
木のもとに宿りをすれば片しきの我が衣手に花はちりつつ
【通釈】木の下で野宿をすると、片敷きの我が袖に花は散り、また散り…。
【語釈】◇片しき 片方の袖を敷いて臥すこと。
【参考歌】光孝天皇
君がため春の野に出でて若菜つむ我が衣手に雪は降りつつ
花山院「詞花集」
木のもとを栖とすればおのづから花見る人となりぬべきかな
源兼昌「永久百首」「新千載集」
秋の野にやどりをすれば蛬(きりぎりす)かたしく袖の下に鳴くなり
【補記】屏風絵に添えた連作四首のうち三首目。四首目は「木のもとの花の下ぶし夜ごろへてわが衣手に月ぞなれぬる」。
落花をよめる
春ふかみ花ちりかかる山の井はふるき清水にかはづなくなり
【通釈】春深く、花の散りかかる山の井では、永い時を経た清水に蛙が鳴いている。
【語釈】◇春ふかみ この「み」は形容詞の語幹に付いて理由・原因をあらわすのが本来の用法であるが、ここは「春深くあって」程度の意味で用いている。◇かはづ もともとカジカガエルのことを言ったらしいが、平安時代以後はカエル一般を意味する歌語としても用いられた。
【参考歌】源順「拾遺集」
春ふかみ井手の川浪たちかへり見てこそゆかめ山吹の花
【補記】定家所伝本の詞書は「桜をよめる」。
如月の二十日あまりのほどにやありけむ、北向きの縁にたち出でて夕暮の空をながめ独りをるに、雁の鳴くを聞きてよめる
ながめつつ思ふもかなし帰る雁ゆくらんかたの夕暮の空
【通釈】眺めながら思いを馳せるのも切ない。故郷へ帰る雁が向かってゆく方向の夕暮の空を――。
【参考歌】式子内親王「千載集」
詠むれば思ひやるべきかたぞなき春のかぎりの夕暮の空
藤原家隆「新古今集」
ながめつつ思ふもさびし久方の月の都の明け方の空
藤原雅経「明日香井和歌集」
あぢきなくうつし心のかへりこでゆくらんかたの夕暮の空
【補記】下二句は雅経の歌と全く同一。雅経詠は建仁二年(1202)の作で、雅経と親交のあった実朝は当然知っていたはず。藤原定家は承元三年(1209)実朝の求めに応じて著した歌論書『近代秀歌』の本歌取りの条で「昨日今日といふばかり出で来たる歌は、一句もその人の詠みたりしと見えんことをかならず避らまほしく」と書いているが、実朝の本歌取りの態度はまことに鷹揚であり、師説を遵守したとは到底言い難い。
山吹に風の吹くを見て
我が心いかにせよとか山吹のうつろふ花に嵐たつらむ
【通釈】私の心をどうせよといって、山吹の花を散らす嵐が起るのだろうか。
【参考歌】藤原俊成「新古今集」
我が心いかにせよとて時鳥雲間の月の影に鳴くらむ
【補記】定家所伝本に拠る。貞享本系統など第四句を「うつろふ花の」とする本もある。
山吹の花を折らせて人のもとにつかはすとて
散りのこる岸の山吹春ふかみこの一枝をあはれといはなむ
【通釈】散り残った岸の山吹の花――春も深まった今、この一枝をいとしく思うと言ってほしいのです。
【本歌】よみ人しらず「古今集」
吹く風にあつらへつくるものならばこの一もとは避(よ)きよと言はまし
【補記】定家所伝本、詞書は「山吹の花を折りて人のもとにつかはすとてよめる」。二首あるうちの後の歌。一首目は「おのづからあはれともみよ春ふかみ散り残る岸の山吹の花」。
夏のはじめ
春すぎていくかもあらねど我がやどの池の藤波うつろひにけり
【通釈】春が過ぎ去ってから幾日も経っていないけれども、我が家の池の藤の花はもう散ってしまった。――そして水面に映じていた波の揺れるような花房も消えてしまった。
【参考歌】安貴王「拾遺集」
秋立ちて幾日もあらねどこのねぬる朝けの風は袂すずしも
よみ人しらず「古今集」
わが宿の池の藤波咲きにけり山時鳥いつかきなかむ
藤原家隆「老若歌合」「風雅集」
時鳥まつとせしまに我がやどの池の藤波うつろひにけり
五月雨
さみだれに夜のふけゆけば時鳥ひとり山辺を鳴きて過ぐなり
【通釈】五月雨の降る中、夜が更けてゆくと、ほととぎすが一羽山のあたりを鳴いて過ぎてゆく。
【参考歌】山部赤人「万葉集」
烏玉の夜の更けゆけば久木生ふる清き河原に千鳥しば鳴く
【補記】詞書は定家所伝本に拠る。貞享本では「郭公の歌中に」と、郭公の歌群に一括してしまっているが、定家所伝本では「五月雨」の題で括った五首の二首目に置かれている。元来は五月雨を主題とした連作の一首であったようである。
故郷盧橘
いにしへをしのぶとなしにふる里の夕べの雨ににほふ橘〔続拾遺547〕
【通釈】昔を懐かしく思うというわけではなしに過ごす古里――夕方の雨に匂う橘の花よ。
【語釈】◇いにしへを… 古今集の歌「さつき待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」から、橘の香は昔を思い出させるものとされた。◇ふる里の 「ふるさと」は、古い由緒のある里、荒れ寂れた里。「ふる」は「雨」の縁語。
郭公
ほととぎす聞けどもあかず橘の花ちる里の五月雨のころ〔新後撰209〕
【通釈】ほととぎすの声はいくら聞いても飽きない。橘の花が散る、五月雨の降る頃。
【参考歌】大伴旅人「万葉集」
橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ鳴く日しぞ多き
作者不詳「万葉集」
五月山卯の花月夜ほととぎす聞けども飽かずまた鳴かぬかも
(上の歌は新古今集に読人不知、結句「またなかむかも」として入る)
後鳥羽院「千五百番歌合」
ほととぎす心して鳴けたちばなの花散る里の五月雨の空
水無月の二十日あまりのころ、夕風簾を動かすをよめる
秋ちかくなるしるしにや玉だれのこすの間とほし風のすずしき
【通釈】秋が近くなった証拠だろうか。小簾の間を通して吹く風の涼しいことよ。
【語釈】◇玉だれの 万葉集では「小簾(をす)」と地名「越智(をち)」の枕詞として用いられている。玉垂(たまだれ)すなわち玉簾は緒に玉を通すことから「緒(を)」と同音で始まる語の枕詞に用いたものらしい。◇こす 小簾。下記万葉歌の旧訓は「こす」であったので、実朝もこれに倣ったものであろう。
【本歌】作者不詳「万葉集」
玉垂の小簾(をす)の間通しひとり居て見る験なき夕月夜かも
【補記】定家所伝本に拠る。貞享本は第三句「玉すだれ」。また結句「風のすずしさ」とする本も。
夏の暮によめる
昨日まで花の散るをぞ惜しみこし夢かうつつか夏も暮れにけり
【通釈】つい昨日まで桜の花が散るのを惜しんできたのだ。夢か現実か定かでないまま、夏も暮れてしまった。
【参考歌】後鳥羽院「御集」
いつまでか跡をも雪に惜しみこし春にまかする柴の庵かな
寒蝉鳴く
吹く風のすずしくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり
【通釈】吹く風がなんて涼しく感じられるものか。するとどこからともなく、ひとりでに山の蝉が鳴いて――秋が来たのだなあ。
【語釈】◇山の蝉 初秋に鳴く山の蝉としてはツクツクボウシとヒグラシがあてはまる。詞書の「寒蝉(かんぜみ)」は『和名抄』によればツクツクボウシのこと。
【参考歌】紀貫之「古今集」
川風の涼しくもあるかうちよする浪とともにや秋は立つらん
藤原清輔「新古今集」
おのづから涼くもあるか夏衣日もゆふ暮の雨のなごりに
【補記】定家所伝本に拠る。貞享本は詞書「蝉のなくをききて」、初句「吹く風は」。
【主な派生歌】
秋ちかくなりやしぬらし足曳の山の蝉なきて風ぞ涼しき(宗尊親王)
した紅葉色づきそむるあしびきの山の蝉なきて秋風ぞ吹く(惟宗光吉)
夕の心をよめる(二首)
おほかたに物思ふとしもなかりけりただ我がための秋の夕暮
【通釈】世間一般の物思いなどではない。ただ私を悲しがらせるために訪れた秋の夕暮よ。
【参考歌】具平親王「拾遺集」
世にふるに物思ふとしもなけれども月にいくたびながめしつらん
九条良経「老若五十首歌合」「秋篠月清集」
たが秋のねざめとはむとわかずともただ我がためのさを鹿の声
【補記】定家所伝本に拠る。貞享本は詞書「秋夕によめる」。
たそがれに物思ひをれば我が宿の荻の葉そよぎ秋風ぞ吹く〔玉葉486〕
【通釈】黄昏、物思いに耽っていると、屋敷の庭の荻の葉をそよがして秋風が吹く。
【本歌】額田王「万葉集」
君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く
柿本人丸「新古今集」
かきほなる荻の葉そよぎ秋風の吹くなるなへに雁ぞ鳴くなる
庭の萩わづかにのこれるを、月さしいでてのち見るに、散りにたるにや、花の見えざりしかば
萩の花くれぐれまでもありつるが月いでて見るになきがはかなさ
【通釈】萩の花は日が暮れようとする頃まで残っていたが、月が出て庭を見に行くと、もう無くなっているとは、はかないことよ。
【語釈】◇くれぐれ 日が暮れようとする頃。和歌では「くれぐれと」の形で「暗い気持ちで」などの意で用いるのが普通。例「常知らぬ道の長手をくれくれといかにか行かむかりてはなしに」(山上憶良『万葉集』)、「くれぐれと秋はひごろのふるままに思ひしぐれぬあやしかりしも」(『和泉式部集』)。
【補記】結句は定家所伝本・群書類従に従う。貞享本は結句「なきがはかなき」。
山家の晩望といふことを
暮れかかる夕べの空をながむれば
【通釈】暮れ始めた夕方の空を眺めると、木々が高々と繁る山に秋風が吹いている。
【語釈】◇木高き山 定家所伝本も貞享本も「こだかき山に」とし、「小高き山」の意にも解せる。しかし「こだかし」は古歌に「こだかき松」「こだかき枝」などと出て来て、「木の梢が高い」意で用いる方が普通だった。掲出歌でも、暮れかかる空に高く梢を伸ばした木々の夕影を思い描くのが適切であろう。
【参考歌】九条良経「新古今集」
暮れかかるむなしき空の秋をみておぼえずたまる袖の露かな
【補記】詞書は定家所伝本に拠る。「山家」は山中の家ということで、出家者を思い描く必要はあるまい。貞享本では「山辺眺望といふことを」に改変してしまっている。
秋の歌
天の原ふりさけみれば月きよみ秋の夜いたく更けにけるかな
【通釈】大空を仰ぎ見れば、月がさやかに照っていて、秋の夜がひどく更けてしまったと知った。
【語釈】◇天の原 ふりさけみれば 万葉集に多く見られる句。古今集の安倍仲麿詠も名高い。
【参考歌】藤原仲文「拾遺集」
ありあけの月のひかりをまつほどにわが世のいたく更けにけるかな
【補記】定家所伝本に拠る。貞享本の詞書は「月歌とて」。
海のほとりを過ぐとてよめる(二首)
わたのはら八重のしほぢにとぶ雁のつばさのなみに秋風ぞ吹く〔新勅撰319〕
【通釈】大海原、その限りない潮流の上を飛ぶ、雁の編隊――その翼の波に秋風が吹きつけている。
【語釈】◇八重のしほぢ 幾つもの潮流。◇つばさのなみ 雁の翼が波の形に列んでいるさま。「なみ」は「並み」でもある。
【参考歌】藤原俊成女「新古今集」
吹きまよふ雲井をわたる初雁のつばさにならす夜はの秋風
【補記】定家所伝本に拠る。貞享本では詞書「海上雁」とし、題詠歌のように扱っている。
ながめやる心もたえぬわたのはら八重のしほぢの秋の夕暮〔新後撰291〕
【通釈】眺めやる心も断ち切れてしまった。秋の夕暮、大海原の、その限りない潮の流れを見ているうちに――。
【参考歌】平忠度「忠度集」
山里にすみぬべしやとならはせる心もたへぬ秋の夕暮
藤原家隆「壬二集」
とまりとふ日さへみじかく成りにけり八重の塩ぢの秋の夕暮
【補記】新後撰集では上句「ながめわびゆくへもしらぬ物ぞ思ふ」。
鹿をよめる(二首)
雲のゐる梢はるかに霧こめてたかしの山に鹿ぞ鳴くなる〔新勅撰303〕
【通釈】雲の留まっている梢を見渡す限り遥かに霧が籠めて、高師山に鹿が鳴いている。
【語釈】◇たかしの山 高師山。『歌枕名寄』では遠江国の歌枕とする。今の愛知県豊橋市南東部の台地かとも言うが、もとより作者にとって所在地など関心の外であったろう。「たかし」という語の響き、そして高い山のイメージを連想させる名であることがこの歌枕を用いた理由に違いない。
【参考歌】紀友則「古今集」
音羽山けさこえくれば郭公梢はるかに今ぞ鳴くなる
藤原仲実「永久百首」
東路や今朝立ちくれば蝉の声たかしの山に今ぞ鳴くなる
【補記】定家所伝本に拠る。貞享本の詞書は「鹿の歌に」。
月をのみあはれと思ふをさ夜ふけて深山がくれに鹿ぞ鳴くなる
【通釈】月ばかりを趣深いと思っていたところ、夜が更けて、山の奧深く鹿が鳴く。
【語釈】◇深山(みやま)隠れに 奥山に隠れて。深山は外山(とやま)の対語で、村里から見えない、奥の山。
水上落葉
ながれゆく木の葉のよどむ江にしあれば暮れての後も秋は久しき
【通釈】流れてゆく木の葉が淀む入江であるので、暮れてしまった後でも秋は久しく留まっている。
【参考歌】「伊勢物語」第九十六段
秋かけていひしながらもあらなくに木の葉ふりしくえにこそありけれ
【補記】紅葉した木の葉が落ち、入江に淀んでいる情景を、終りを迎えた秋が久しく留まっている、と見た。貞享本は冬の部に収めるが、定家所伝本に従い秋歌とした。
十月一日よめる
秋はいぬ風に木の葉は散りはてて山さびしかる冬は来にけり〔続古今545〕
【通釈】秋は去ってしまった。木の葉は風に散り尽くし、山が寂しい様をあらわす冬はやって来た。
【本歌】曾禰好忠「新古今集」
人はこず風に木の葉は散りはてて夜な夜な虫は声よわるなり
霰 (二首)
もののふの矢並つくろふ
【通釈】武士が矢並を整える籠手(こて)の上に、霰が激しく降って飛び散る、那須の篠原よ。
【語釈】◇もののふ 武士。◇矢並 箙(えびら)にさした矢の並び具合。◇つくろふ 整える。◇籠手(こて) 弓を射るとき、利き手でない方の手に着ける革製の具。◇那須の篠原 下野国北東部の広大な原野。今の栃木県那須郡あたり。
【補記】次の「ささの葉に…」の歌とともに定家所伝本には見えず、晩年の作か。実朝が那須を訪れた記録はなく、建久四年(1193)の父頼朝の那須での狩を想起した作かとも言う。
【主な派生詩歌】
ありま山うき立つ雲に風そひて霰たばしる印南野の原(賀茂真淵)
ささの葉に霰さやぎてみ山べは峰の木がらししきりて吹きぬ
【通釈】笹の葉に霰が騷がしい音を立て、奧山では峰を木枯しがしきりと吹き過ぎている。
【語釈】◇さやぎ 騒がしい音を立てる。◇しきりて 後から後から続いて。
【参考歌】柿本人麻呂「万葉集」
小竹の葉はみ山もさやに乱げども吾は妹思ふ別れ来ぬれば
冬の歌
夕されば潮風さむし浪間より見ゆる小島に雪はふりつつ〔続後撰520〕
【通釈】夕方になったので潮風が寒く感じられる。波間に見える小島に雪は降り積もっていて――。
【語釈】◇雪はふりつつ 沖の小島に雪の落ちるさまが見えるはずはなく、ここは「雪はふれり」の意に、降雪の繰り返しの予感を響かせている。
【補記】万葉集の恋歌を本歌とし、冬歌に移している。技法としての本歌取りが意識された作品と思われる。詞書は定家所伝本に拠る。貞享本は「雪」。
【本歌】作者不詳「万葉集」
浪間より見ゆる小島の浜久木久しくなりぬ君に逢はずして
雪
我のみぞかなしとは思ふ浪のよる山のひたひに雪のふれれば
【通釈】私ばかりが悲しいと思うのだ。波の寄る、山のへりに雪が降り積もっているのを見ると。
【語釈】◇山のひたひ 山のへり。海岸線にまで出張っている山のふもと。
【補記】貞享本では冬部に載せるが、定家所伝本では雑歌とし、老人の心を詠んだ歌に挟まれている。後者の排列からすると、「浪」は皺を、「ひたひ」の雪は白髪をあらわし、老人の身となって詠んだ歌と解釈される。
老人、歳の暮を憐れむ
うち忘れはかなくてのみ過ぐしきぬあはれと思へ身につもる年
【通釈】うっかり忘れ、ただむなしく過ごしてきてしまった。憐れと思ってくれ、我が身に積もった年よ。
【語釈】◇うち忘れ 時が過ぎ、年が去ってゆくことをうっかり忘れ。
【参考歌】藤原俊成「新古今集」
いくとせの春に心をつくしきぬあはれと思へみよしのの花
式子内親王「新古今集」
はかなくてすぎにし方をかぞふれば花に物おもふ春ぞへにける
【補記】貞享本は冬部に載せるが、定家所伝本は雑部に収めている。
歳暮 (二首)
ちぶさ吸ふまだいとけなきみどりごとともに泣きぬる年の暮かな
【通釈】乳を吸うまだあどけない嬰児と共に、私も泣いてしまった年の暮れであるよ。
【語釈】◇みどりご 嬰児。赤ん坊。
【補記】貞享本は第三句「みどり子の」。定家所伝本に従う。
はかなくて今宵あけなば行く年の思ひ
【通釈】むなしいままに今夜が明けてしまえば、去り行く年の思い出を留めない春に逢うことになるのだろうか。
【語釈】◇行く年の思ひ出でもなき 旧年の思い出を留めない。◇春にやあはなん 春に逢うことになるのだろうか。「あはなむ」では「逢いたい」の意になり、歌意にそぐわない。「あひなむ」の誤用であろう。
恋歌の中に
【通釈】夕空にあらわれた月――ぼんやりとだが、雲間からほのかに見えたあれは――本当に月だったのかどうか。
【語釈】◇夕月夜 ほの見た恋人を月に喩える。
【補記】定家所伝本には見えない歌。晩年の作か。
恋の歌
月影のそれかあらぬかかげろふのほのかに見えて雲がくれにし
【通釈】月の光に見えたのは、あの人だったのか、違うのか。陽炎のようにほのかに見えただけで、姿を隠してしまった。
【本歌】作者不詳(人麻呂歌集歌)「万葉集」
朝影に我が身はなりぬ玉かぎるほのかに見えて去にし子ゆゑに
よみ人しらず「古今集」
かげろふのそれかあらぬか春雨のふる日となれば袖ぞ濡れぬる
恋の歌
奧山の岩垣沼に木の葉おちてしづめる心人しるらめや
【通釈】奥山の岩で囲まれた沼に木の葉が落ちて、底に沈んでいる――そのように沈んでいる私の心を人は知っているだろうか。
【語釈】◇岩垣沼(いはがきぬま) 石で囲まれた沼。
【本歌】柿本人麿「拾遺集」
奧山の岩がき沼のみごもりに恋ひやわたらむ逢ふよしをなみ
【参考歌】丹波大女郎女「万葉集」
鴨鳥の遊ぶこの池に木の葉散りて浮べる心我が思はなくに
【補記】定家所伝本に拠る。貞享本は詞書「名所恋の心をよめる」。
恋の歌
わが恋は
【通釈】私の恋は、多くの島を飛び巡って、行く先もわからず干潟に鳴く浜千鳥――それと同じで、どちらへ行けばよいのかわからずに泣いているのだ。
【補記】「かた」に「潟」「方(方角)」の意を掛ける。
【参考歌】能因法師「後拾遺集」
夜だにあけばたづねてきかむほととぎす信田の森のかたになくなり
忍びて言ひわたる人ありき、遥なる方へゆかむと言ひ侍りしかば
ゆひそめて馴れしたぶさの濃むらさき思はず今も浅かりきとは
【通釈】髻(もとどり)を初めて結んでから、馴染んできた濃紫の緒――思いもしないことだ、今もその色が浅かったとは。
【語釈】◇ゆひそめて 髻を初めて結んで。◇たぶさ 髻。もとどり。髪の毛を頂に集めて束ねたところ。◇濃(こ)むらさき 濃紫。元結(髻を結ぶ緒)の色を指す。◇浅かりきとは 緒の色が浅かったとは。去ってゆく人の情が浅かったとは思えない、との含意がある。
【本歌】大中臣能宣「拾遺集」
結ひそむる初元結のこむらさき衣の色にうつれとぞ思ふ
【補記】恋歌のようでもあるが、定家所伝本・貞享本ともに雑部の離別歌群に配されている。
旅泊 (二首)
湊風いたくな吹きそしながどり猪名の水うみ船とむるまで
【通釈】湊風よ、ひどく吹かないでおくれ。猪名の海に船を停泊するまで。
【語釈】◇湊風(みなとかぜ) 船の出入口に吹き付ける風。ここでは山の方から水門(みなと)に向かって吹く風を言っているらしい。◇しながどり 鳰(にほ)のこと。「猪名」の枕詞。◇猪名(ゐな) 摂津国の歌枕。今の兵庫県伊丹市・尼崎市あたり。六甲山地が海岸線にまで迫っていて、山颪が吹き付ける。◇水うみ 下記万葉歌の第四句は古写本に「居名之湖尓」とあるため「みづうみ」としたものらしい。「湖」は現在では「みなと」と訓んでいる。
【本歌】作者不詳「万葉集」
大海に嵐な吹きそしなが鳥猪名の湊に舟泊つるまで
やらのさき月影さむし沖つ鳥鴨といふ舟うき寝すらしも
【通釈】也良の崎に月光は寒々と照っている。鴨という舟は辛い思いで浮き寝しているらしいなあ。
【語釈】◇やらのさき 也良の崎。福岡県博多湾内、能古島北端の岬。◇沖つ鳥 「鴨」の枕詞。記紀歌謡・万葉集に見える語。◇鴨といふ舟 下記万葉歌では「鴨」という名で呼ばれた舟を言うらしい。実朝の歌では、鴨を舟になぞらえて言っていると思われる。◇うき寝 浮寝に憂き寝を掛けるのが王朝和歌の常套。
【本歌】作者不詳「万葉集」
沖つ鳥鴨とふ舟の還り来ば也良(やら)の崎守はやく告げこそ
沖つ鳥鴨とふ舟は也良(やら)の崎たみて漕ぎ来と聞え来ぬかも
【補記】以上二首、定家所伝本に見えない。晩年の作か。
二所詣下向後、朝にさぶらひども見えざりしかばよめる
旅をゆきし跡の宿守おのおのにわたくしあれや今朝はいまだ来ぬ
【通釈】私が旅をして来たあとの留守番の者たちは、それぞれに私事があるのだろうか、今朝はまだやって来ない。
【語釈】◇二所詣 伊豆山・箱根の両権現を参詣すること。源頼朝が始め、代々の将軍に引き継がれた。◇さぶらひ 侍者。
【補記】二所詣から帰った翌朝、近習の侍たちが見えないので詠んだ歌。
又の年二所へまゐりたりし時、箱根のみ海を見てよみ侍る歌
玉くしげ箱根のみ海けけれあれやふた国かけて中にたゆたふ
【通釈】箱根の湖は情愛があるのか、相模と駿河と二つの国にまたがって、その間で揺蕩うように水を湛えている。
芦ノ湖 |
【語釈】◇玉くしげ 箱根にかかる枕詞。「くしげ(櫛笥)」は櫛などを納れておく箱のこと。◇箱根のみ海 芦ノ湖。◇けけれ 「こころ」の東国方言(【参考歌】参照)。◇ふた国 相模・駿河二国。芦ノ湖は現在の行政区画においても神奈川・静岡の県境近くに位置する。
【参考歌】作者未詳「古今集」甲斐歌
甲斐が嶺をさやにも見しがけけれなくよこほりふせるさやの中山
【補記】詞書の「又の年」は、定家所伝本に従えば、前の歌「旅をゆきし…」が作られた翌年を指す。
【校異】定家所伝本に拠る。貞享本は第二句「箱根の海は」、下句「ふた山にかけて何かたゆたふ」。
箱根の山をうち出て見れば浪のよる小島あり、供の者に此の浦の名は知るやと尋ねしかば、伊豆の海となむ申すと答え侍りしをききて
箱根路を我が越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよる見ゆ〔続後撰1312〕
【通釈】箱根路を我らが越えて来ると、うち出づるところは伊豆の海、その沖の小島に波の寄せるのが見える。
【語釈】◇箱根 相模国の名勝。東海道の難所であった。函根・筥根とも書かれた。◇伊豆の海 「出づ」意を掛ける。◇沖の小島 初島であろう。
【補記】恒例の二所詣(伊豆山・箱根権現参詣)の折の作。箱根の山を越えると波の寄せる小島が沖に見えたので、御供の者に「この浦の名は知っているか」と尋ねると、「伊豆の海と申します」と答えたのを聞いて詠んだという歌。実朝は浦の名を聞いたのであり、従者の「伊豆の海」という大雑把な地名の返答は的外れであったに違いないが、実朝は「伊豆の海」が「出づ」と掛詞になることに興をおぼえたのであろう。なお、定家所伝本では旅部でなく雑部に入れるが、続後撰集では羇旅の部に入れている。
【校異】貞享本に拠る。定家所伝本は第二句「われこえくれば」。
【他出】新三十六人撰、歌枕名寄、愚見抄、桐火桶
【参考歌】作者未詳「万葉集」
大坂を我が越え来れば二上にもみち葉ながる時雨ふりつつ
【主な派生歌】
百くまのあらき箱根路越え来ればこよろぎの磯に浪のよる見ゆ(賀茂真淵)
碓氷山わが越え来ればさ衣のを筑波山に雲かかる見ゆ(加藤宇万伎)
伊豆の海を漕ぎつつくれば浪高み沖の小島よ見えかくれする(上田秋成)
走湯山参詣の時 (二首)
わたつ海のなかにむかひて出づる湯のいづのお山とむべも言ひけり
【通釈】海の中へと湧き出ている湯であるから、なるほど伊豆の御山と名づけたのだなあ。
【語釈】◇走湯山(そうたうさん) 走湯(はしりゆ)の山。伊豆山権現(今の伊豆山神社)のこと。◇いづ 地名「伊豆」に「出づ」を掛けている。
伊豆の国や山の南に出づる湯のはやきは神のしるしなりけり〔玉葉2794〕
【通釈】伊豆の国の山の南に湧き出る湯がほとばしる速さは、神の霊験あらたかなしるしであった。
【語釈】◇はやき 湯が噴出する速度が速いこと。◇神のしるし 神の霊験。
得功徳歌
【通釈】大日如来の根源から生まれ出て、三昧耶形となって現われ、三昧耶形がまた仏の尊い姿となるのだ。
【語釈】◇大日 大日如来。密教の教主。それ自体宇宙と一体であるとされ、一切万物の原因にして結果。◇三昧耶形 大日の三昧耶(誓願)が形となったもの。諸仏の持つ器などを言う。◇尊形 尊い姿。特に菩薩如来を言う。
懺悔歌
塔をくみ堂をつくるも人のなげき
【通釈】塔を組んだり堂を造ったりするのも善行ではあるが、労働する人の歎きの種である。懺悔に勝る善行があるだろうか。
【語釈】◇功徳 果報をもたらす善行。
思罪業歌
ほのほのみ虚空にみてる阿鼻地獄ゆくへもなしといふもはかなし
【通釈】炎ばかりが宙に満ちている阿鼻地獄よ。そこ以外にどこへ行くあてもないというのも、果敢ないことである。
【語釈】◇阿鼻地獄(あびぢごく) 八大地獄のうち最も恐ろしい地獄。
【補記】題「罪業を思ふ歌」からすると、「ゆくへもなし」とは、阿鼻地獄以外の行く先が無いということであろう。
社頭夏月
ながむれば吹く風すずし三輪の山杉の木ずゑを出づる月影
【通釈】眺めていると吹く風が涼しい。三輪山の杉の梢から昇る月を――
【語釈】◇三輪の山 奈良県桜井市。三諸(御諸)山とも。神体山で、祭神を大物主神(大国主命)とする大神(おおみわ)神社がある。
【参考歌】式子内親王「新古今集」
ながむれば衣手すずし久方の天の川原の秋の夕暮
【補記】定家初伝本には見えない歌。
伊勢御遷宮の年の歌
神風や朝日の宮の宮うつしかげのどかなる世にこそありけれ〔玉葉2747〕
【通釈】伊勢内宮の御遷宮がある今年、日の光ものどかな世であることよ。
【語釈】◇伊勢御遷宮 式年遷宮。伊勢神宮では二十年に一度、社殿を新しく建て直す。 ◇神風や 元来は「伊勢」の枕詞。ここでは伊勢神宮のことを歌うに際し、前置きのように用いている。◇朝日の宮 天照大神を祀る伊勢内宮をこう言った。◇かげのどかなる 陽光がのどかに照る。「神の恩恵により平和な」の意が掛かる。
【補記】「伊勢御遷宮の年」は承元三年(1209)。実朝十八歳の作ということになる。
〔題欠〕
東路の関
【通釈】東国の出入口の関を守る神へのお供えとして、杉に矢を射立てる、足柄山よ。
【語釈】◇東路(あづまぢ)の関 足柄の関。関東の入口にあたる関。◇杉に矢たつる 武士が戦勝を祈願して杉に矢を射立てる風習があった。今も各地に「矢立の杉」と伝わる樹が残っている。
【補記】鶴岡八幡宮に蔵されている実朝の詠草三首より。『金槐和歌集』には未収録で、あるいは晩年の作か。
朝ぼらけ、八重のしほぢ霞みわたりて、空もひとつに見え侍りしかば
空やうみ海や空ともえぞわかぬ霞も波もたちみちにつつ
【通釈】空が海か、海が空かとも区別できない。霞も波も一面に立っていて。
【語釈】◇えぞわかぬ 判別し得ない。見分けることが出来ない。なお、貞享本は「見えわかぬ」とする。
【補記】定家所伝本に拠る。
三崎といふ所へまかれりし道に、磯辺の松としふりにけるを見てよめる
磯の松いくひささにかなりぬらんいたく木高き風の音かな〔玉葉2191〕
【通釈】磯の松はどれほどの長い年月を経たのだろう。風の音がひどく高く、梢高くから聞こえてくる。
【語釈】◇三崎 三浦半島の南端。◇ひささ 久々(ひさひさ)の略。◇木(こ)高き風の音 梢の高いところから聞こえてくる風の音。「高き」は梢の高さと共に響きの高さも言うのだろう。
荒磯に浪のよるを見てよめる
【通釈】大海の磯を轟かすように寄せる大波――割れて、砕けて、裂けて、散るのだなあ。
【本歌】笠女郎「万葉集」
伊勢の海の磯もとどろに寄する波かしこき人に恋ひ渡るかも
【主な派生歌】
蹴球の男罌粟の實刻刻に跳(は)ねて彈(はじ)けて裂けて散るかも(塚本邦雄)
舟
世の中は常にもがもな渚こぐ
【通釈】世の中は、いつまでも変わらないでほしいものだなあ。渚を漕ぐ漁師の小舟が、綱手で牽(ひ)かれてゆくさまは、何とも切ないものだ。
【語釈】◇常にもがもな 常住不変であってほしいなあ。◇綱手(つなで) 舟を牽(ひ)くための綱。◇かなしも 「かなし」は、持て余すほどの強い感情に心が占められている状態をいう語。
【他出】新三十六人撰
【本歌】吹黄刀自「万葉集」
河の上のゆつ岩むらに草むさず常にもがもな常処女にて
よみ人しらず「古今集」陸奥歌
みちのくはいづくはあれど塩釜の浦漕ぐ舟の綱手かなしも
【補記】貞享本では羇旅歌群に配しているが、定家所伝本では旅の部になく、雑部の無常歌・釈教歌群の直前に位置している(いずれも題は「舟」)。新勅撰集では巻八羈旅歌の部に載せ、「題しらず」とする。
浜へ出でたりしに、海人のたく藻塩火を見てよめる
いつもかくさびしきものか葦の屋にたきすさびたる海人の藻塩火
【通釈】いつもこのように寂しいものなのか。葦葺きの小屋で海人が焚く藻塩火が、盛んに燃え、やがて衰えてゆくさまよ。
【語釈】◇藻塩火(もしほび) 塩をとるために海藻を焼く火。
【先蹤歌】藤原家隆「建仁元年五十首歌合」「続古今集」
いつもかくさびしきものか津の国の芦屋の里の秋のゆふぐれ
山の端に日の入るを見てよみ侍りける
紅のちしほのまふり山の端に日の入るときの空にぞありける
【通釈】幾度も繰り返し染めた紅は、山の端に日が沈む時の空の色であった。
【語釈】◇ちしほのまふり 「ちしほ」は繰り返し染料に漬けて色を染めること、「まふり」は「まふりで(まふりいで)」に同じで、色を水に振り出して染めること。
相州の土屋と云ふ所に年九十にあまれるくち法師あり。おのづからきたる。昔語りなどせしついでに身のたちゐにたへずなむ成りぬる事をなくなく申して出でぬ。時に老といふ事を人々に仰せてつかうまつらせしついでによみ侍りし
思ひ出でて夜はすがらに音をぞなく有りし昔の世々のふるごと
【通釈】思い出しては、一晩中声をあげて泣いている。その昔、あの年この年に起こった遠い出来事を。
【語釈】◇夜はすがらに 夜すがら。一晩中。◇音(ね)をぞなく 声を上げて泣く。
【補記】相模の国の土屋(平塚市に土屋の地名が残る)に九十歳を越えた老法師がいて、たまたま実朝のもとを訪れた。思い出話をしていたが、立ち居も辛くなって、泣く泣く帰って行った。この際、「老」を主題に人々に命じて歌を作らせ、ついでに実朝自身も詠んだという歌。掲出歌は五首のうち第二首。すべて老法師の身になって詠んだ歌で、第四首は「道とほし腰はふたへにかがまれり杖にすがりてここまでも来る」。
【参考歌】中臣宅守「万葉集」
あかねさす昼は物言ひぬばたまの夜はすがらにねのみし泣かゆ
無常を
かくてのみありてはかなき世の中を憂しとやいはむあはれとやいはむ
【通釈】このようにばかり、生きていても果敢ない世の中を、辛いと言おうか、いとしいと言おうか。
【補記】「憂し」と「あはれ」を対語として用いる場合、前者が否定的、後者が肯定的な意味合いを帯びるのが通例。「憂し」は言わば世界や他人に対する離反的な感情であり、「あはれ」は共感的な感情である。
【参考歌】よみ人しらず「古今集」
世の中にいづら我が身のありてなしあはれとやいはむあな憂とやいはむ
よみ人しらず「古今集」
あはれとも憂しとも物を思ふ時などか涙のいとながるらむ
心のこころをよめる
神といひ仏といふも世の中の人の心のほかのものかは
【通釈】神と言い、仏と言うのも、現世の人の心以外のものであろうか。
【語釈】◇心のこころ 「心」という題の心。◇ほかのものかは 以外のものであろうか、いやそんなことはない。「かは」は反語。
道のほとりにをさなき童の母を尋ねていたく泣くを、そのあたりの人に尋ねしかば、父母なむ身まかりにしと答へ侍りしを聞きて
いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母をたづぬる
【通釈】いたわしいことよ。見ていると涙も止まらない。親もない子が母を求めて泣くさまは。
慈悲の心を
物いはぬ
【通釈】物言わぬ、どこにもいる獣でさえも、いとしいことよ、親が子を思うさまは。
【語釈】◇四方のけだもの どこにもいる獣。ありとある哺乳動物。◇すらだにも 「すら」「だに」「も」、いずれも語に付いてそれを最低限のものとして提示するはたらきをもつ助詞。三つ重ねて用いた例は他を見ない。
建暦元年七月、洪水天に漫り、土民愁ひ嘆きせむ事を思ひて、一人本尊に向ひ奉りて聊か祈念を致して云く
時によりすぐれば民のなげきなり八大龍王雨やめたまへ
【通釈】時によって、雨乞いの祈願を承けて降らせる雨が度を過ごすことがある。そうなれば却って民の歎きである。八代龍王よ、雨を止めたまえ。
【語釈】◇八大龍王(はちだいりうわう) 法華経序品に見える八体の龍神。雨を司る神と考えられた。
太上天皇御書下預時歌 (三首)
大君の
【通釈】大君の勅書を謹んで承り、あれかこれかと心は分かれますけれども、人に言ったりしましょうか。
【語釈】◇太上天皇 後鳥羽上皇。◇御書 勅書。天子の命令を布告する文書。ここでは後鳥羽院からの勅書で、下されたのは建暦三年(1213)とする説が有力。◇ちちわくに とやかくと。「ちちわくに人はいふともおりてきむわがはた物にしろき麻ぎぬ」(人麿『拾遺集』)。◇心はわく 「分く」は「分かる」の意で用いるか。「わく」を「湧く」とみて「心が湧き立つ」の意にもとれる。
ひんがしの国にわがをれば朝日さすはこやの山のかげとなりにき
【通釈】東国に私はおりますので、朝日がのぼる藐姑射の山、すなわち上皇の御所の蔭に入っているのです。
【語釈】◇ひんがしの国 東国。◇はこやの山 藐姑射の山。仙洞。上皇の御所のこと。
山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも〔新勅撰1204〕
【通釈】山は裂け、海は干上がる世であろうとも、あなた様に二心を抱くようなことは決してありません。
【語釈】◇君 大君。主君の後鳥羽院を指す。
【補記】定家所伝本はこの歌を末尾に置く。因みに貞享本の末尾の歌は「八大龍王雨やめたまへ」である。
庭の梅を
出でていなば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな(吾妻鏡)
【通釈】私が出て行ったなら、たとえ主人のいない家となってしまうとしても、軒端の梅よ、春を忘れずに咲いてくれ。
【語釈】◇禁忌の和歌 忌むべき和歌。「主なき宿」といった不吉な言葉を用いているゆえにこう言う。
【参考歌】菅原道真「拾遺集」
こちふかば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな
式子内親王「新古今集」
ながめつるけふは昔になりぬとも軒端の梅はわれを忘るな
【補記】『吾妻鏡』建保七年(1219)正月二十七日の記事より。この日、実朝は右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に参詣し、同日夜、神拝を終えて退出する時、石階の際(きわ)に潜んでいた甥の公暁に斬りかかられ、暗殺された。その記事に続いて、当日出立の際の「変異」を語る条に引用された歌である。『金槐和歌集』には見えず、『吾妻鏡』のほか『六代勝事記』などにも見える。
更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成19年09月21日