二条天皇 にじょうてんのう 康治二〜永万一(1143-1165) 諱:守仁

後白河天皇の第一皇子。母は藤原経実のむすめで源有仁の養女、懿子(よしこ)。憲仁(のりひと)親王(高倉天皇)の異母兄。順仁(のぶひと)親王(六条天皇)の父。
母は産褥死し、鳥羽天皇の皇后美福門院得子(なりこ)に養育される。久寿二年(1155)、女院の推輓により後白河天皇の皇太子となる。保元三年(1158)八月、父帝の譲位を受けて即位。第七十八代二条天皇。平治元年(1159)十二月、平治の乱の際は藤原信頼・源義朝らにより後白河院とともに幽閉されるが、平清盛の六波羅邸に逃れ、得子の八条室町邸に入った。乱後、近衛天皇の后であった太皇太后宮多子(まさるこ)を后に迎える。親政をめざして父後白河院と対立、関白基実・太政大臣藤原伊通を重用した。長寛二年(1164)、待望の男子(のちの六条天皇)を得たが、翌年の永万元年(1165)六月、病により譲位、二歳の六条天皇が即位した。翌月、崩御。二十三歳。
和歌を好み、内裏で百首歌や歌会をしばしば催した。平治元年(1159)、藤原清輔より『袋草紙』を献上される。清輔に詞花集に次ぐ勅撰集『続詞花集』の撰進を命じたが、完成を見ることはなかった。千載集初出。勅撰入集十六首。

上の(をのこ)ども百首の歌奉りける時、雪の歌とてよませ給うける

雪つもる嶺にふぶきやわたるらむ越のみ空にまよふ白雲(千載455)

【通釈】雪の積もった峰に、激しい風が吹き渡っているのだろうか。越(こし)の空には、白い雲のようなものが乱れ飛んでいる。

【語釈】◇越のみ空 越(こし)は北陸地方の古称。◇まよふ白雲 マヨフは、もと布や髪などがほつれ乱れるのを言った。吹き上げられた雪が、乱れた白雲のように往き来するさま。

しのびて暮にまうのぼるべきよし侍りける人に、つかはしける

などやかくさも暮れがたき大空ぞわが待つことはありと知らずや(千載744)

【通釈】どうしてまあこう、なかなか暮れない空なのだ。私が夕暮を待ち焦がれていることを、知らないのか。

【語釈】◇まうのぼる 「参上(まゐのぼ)る」の音便。

【補記】忍び逢いを約束したのに、なかなか参上しない相手に贈った歌。

恋御歌の中に

いかでわれ人を忘れむ忘れゆく人こそかくは恋しかりけれ(風雅1343)

【通釈】どうして私があの人を忘れよう。私を忘れてゆくあの人のことが、こんなに恋しいのに。

【補記】賀茂重保の私撰集『月詣集』にも見える歌。

二条院御時、御禊行幸の御後長官にてつかうまつりて、つぎの日雨のふり侍りければ、空も心ありけるにや、など奏し侍りけるついでにつかうまつりける   前左兵衛督惟方

御祓(みそぎ)せしみゆきの空も心ありてあめのしたこそ今日くもりけれ

【通釈】禊ぎをなさった行幸の日、空も心があるのでしょうか、ちゃんと晴れてくれましたが、今日になって一面曇っております。

【語釈】◇御禊行幸 この御禊は次の歌から分かるように、大嘗祭の前月に行なわれる「豊の御禊」。◇惟方 藤原顕頼の息子。二条天皇の近臣で、参議従三位左兵衛督に至る。

御返し

空はれし豊のみそぎに思ひ知れなほ日の本のくもりなしとは(玉葉2177)

【通釈】豊の禊ぎの日に空が晴れたことによって、よくよく知りなさい。やはり我が日本の国は曇りないのだと。

【語釈】◇豊(とよ)のみそぎ 大嘗祭の前月に行なわれた禊。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年08月30日