藤原重家 ふじわらのしげいえ 大治三〜治承四(1128-1180)

もとの名は光輔。六条藤家顕輔の子。清輔の弟。季経の兄。経家・有家保季らの父。系図
諸国の守・刑部卿・中宮亮などを歴任し、従三位大宰大弐に至る。安元二年(1176)、出家。法名蓮寂(または蓮家)。治承四年十二月二十一日没。五十三歳。
左京大夫顕輔歌合・右衛門督家成歌合・太皇太后宮大進清輔歌合・太皇太后宮亮経盛歌合・左衛門督実国歌合・建春門院滋子北面歌合・広田社歌合・九条兼実家百首などに出詠。また自邸でも歌合を主催した。兼実家の歌合では判者もつとめている。兄清輔より人麿影像を譲り受けて六条藤家の歌道を継ぎ、子の経家に伝えた。詩文・管弦にも事蹟があった。
『歌仙落書』に歌仙として歌を採られる。自撰家集『大宰大弐重家集』がある。千載集初出。

歌合し侍りける時、花の歌とてよめる

初瀬(はつせ)の花のさかりを見わたせば霞にまがふみねの白雲(千載74)

【通釈】初瀬の山の満開の桜を見わたせば、立ちこめる霞にまぎれて、峰にかかった白雲と見分けがつかない。

【語釈】◇歌合 永万二年(1166)の重家家歌合。◇を初瀬 奈良県桜井市初瀬。長谷寺がある。

【本歌】よみ人しらず「後撰集」
菅原や伏見の暮にみわたせば霞にまがふをはつせの山

法性寺入道前関白太政大臣家に、月の歌あまたよみ侍りけるに

月見れば思ひぞあへぬ山たかみいづれの年の雪にかあるらむ(新古388)

【通釈】山に射す月の光を見れば、どうしてもそれとは思えない。高い山にあって、万年雪が積もっているので、いつの年に降った雪かと思うのだ。

【語釈】◇思ひぞあへぬ 月光だと思おうとしても、思うことができない。◇いづれの年の雪 和漢朗詠集の「天山不弁何年雪 合浦応迷旧日珠」(天山は弁へず何れの年の雪ぞ。合浦には迷ひぬべし旧日の珠)を踏まえる。白じらと冴える月光を雪に見立てている。

題しらず

恋ひ死なむことぞはかなき渡り川あふ瀬ありとは聞かぬものゆゑ(千載762)

【通釈】もう恋しさに死んでしまいそうだが、こんなふうに死んだって虚しいよ。三途の川に恋人と逢う瀬があるという話は聞かないゆえ。

【語釈】◇あふ瀬 三途の川の「瀬」(流れの浅いところ)に「逢瀬」(逢う機会)を掛ける。瀬は川の縁語。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日