藤原顕輔 ふじわらのあきすけ 寛治四〜久寿二(1090-1155)

六条藤家。顕季の三男。母は藤原経平の娘。兄に長実・家保がいる。子に清輔重家顕昭(猶子)・頼輔・季経ほかがいる。系図
康和二年(1100)、叙爵。白河院判官代となる。中務権大輔・美作守を歴任し、元永元年(1118)、正四位下に叙される。保安四年(1123)、鳥羽天皇の譲位に伴い、鳥羽院別当となる。大治二年(1127)、讒言によって白河院の勘気を蒙り、昇殿を止められる。同四年、白河院崩じ、同五年、中宮亮に任ぜられ、崇徳院后聖子(忠通女)に仕える。同年、再び昇殿を許された。保安三年(1122)、従三位。左京大夫などを兼ねる。久安四年(1148)、正三位。久寿二年五月七日、薨ず。六十六歳(一説に六十七歳)。
永久四年(1116)の鳥羽殿北面歌合・六条宰相歌合、元永元年(1118)の中将雅定家歌合・右兵衛督実行家歌合、保安二年(1121)の内蔵頭長実家歌合、大治三年(1128)の西宮歌合、保延元年(1135)の播磨守家成家歌合、同二年から永治元年(1141)にかけての中納言伊通家歌合など、多くの歌合に出詠。また元永元年の顕季家人麿影供、康治元年の大嘗会和歌に参加し、久安六年(1150)までに完成した「久安百首」の作者に列なった。自ら主催した歌合も多い。
基俊没後、歌壇の第一人者と目され、天養元年(1144)六月二日、崇徳院より勅撰集撰進の院宣を下され、仁平元年(1151)に『詞花集』として完成、奏覧。
家集『左京大夫顕輔卿集』(以下「顕輔集」と略)がある。金葉集初出。勅撰入集八十五首。

「左京大夫顕輔集」群書類従245(第14輯)・新編国歌大観3

  5首  3首  4首  10首 計22首

正月八日、春立ちける日、鶯のなきけるを聞きてよめる

今日やさは雪うちとけて鶯の都に出づる初音なるらむ(金葉14)

【通釈】今日は立春だからそれでなのか、雪はとけ、鶯も心うちとけて、山から都に出て来て初音を響かせるのだろう。

【語釈】◇今日やさは… 「今日や」は「雪うちとけて」「初音なるらむ」へと掛かる。ヤは詠嘆を含んだ疑問。「さは」は「それで」「それだから」ほどの意。「さ」の指示する内容は、今日が立春であること。

【参考歌】藤原高子「古今集」
雪の内に春は来にけり鶯のこほれる涙今やとくらむ

梅の木に雪の降りけるに、鶯のなきけるをよめる

梅が枝にふりつむ雪は鶯の羽風に散るも花かとぞ見る(千載17)

【通釈】梅の枝に降り積もった雪は、花のようだ。そこへ鶯がやって来て、枝から枝へ飛び移ると、その羽風に散ってしまう。それもまた、花が散るかと思うのだ。

【本歌】素性法師「古今集」
こづたへばおのが羽風に散る花をたれにおほせてここらなくらん

崇徳院に百首歌奉りける時、花の歌とてよめる

葛城(かづらき)や高間の山のさくら花雲ゐのよそに見てや過ぎなむ(千載56)

【通釈】葛城の連山に、抜きん出て聳える高間の山、今や桜の花盛りだ。あれを、雲の彼方に眺めるばかりで通り過ぎてよいものだろうか。山に登って花にまじりたいよ。

【語釈】◇崇徳院に百首歌… 久安六年(1150)の崇徳院二度百首。以下同じ。◇葛城(かづらき) 奈良県と大阪府の境をなす金剛葛城連山。「高間の山」はその主峰である金剛山の古名とされる。

【他出】久安百首、定家十体(長高様)、定家八代抄、近代秀歌、別本八代集秀逸(家隆撰)、時代不同歌合
(結句を「みてややみなむ」とする本もある。)

【本歌】よみ人しらず「和漢朗詠集」「新古今集」
よそにのみ見てややみなむ葛城や高間の山の嶺の白雲

【主な派生歌】
我が思ふ人すむ宿の薄もみぢ霧のたえまに見てやすぎなん(藤原定家)

花十首歌よみ侍りけるに

ふもとまで尾上の桜散りこずはたなびく雲と見てや過ぎまし(新古124)

【通釈】麓まで桜の花が散って来ることがなかったなら、峯の上にたなびいている雲だと思い込んだまま通り過ぎてしまったろう。

【補記】山の麓を歩いていると、花びらが散って来た。それで、今まで雲と眺めていたものが桜の花であると知った。反実仮想の語法を用いて、詩的誇張を婉曲に歌い上げている。

落花を

散る花を惜しむばかりや世の中の人の心の変はらざるらむ(風雅242)

【通釈】散る花を惜しむことについてだけは、世の中の人の心は変わりがないだろう。

【補記】変わりやすい世の人心にあって、桜を惜しむことだけは昔も今も変わらない。

崇徳院に百首歌奉りけるに

秋風にたなびく雲の絶えまよりもれ出づる月の影のさやけさ(新古413)

【通釈】秋風が吹き、幾重にもたなびいている雲の切れ目から、いま洩れ出た月の光――その冴え冴えとした鮮明さよ。

【語釈】◇たなびく雲 「たなびく」は、雲や霧などが水平方向に薄く長く広がっている状態を言う語。和歌に詠まれた「たなびく雲」は、多くの場合層雲または層積雲を指していたと思われる。この歌の場合、層積雲か。うねをなして水平に広がる低層雲であろう。参考サイト:「雲の百科」◇影のさやけさ 「影」は光。「さやけさ」は鮮明なさま、くっきりとしたさま。

【補記】久安百首では第二句「ただよふ雲の」。新古今集撰入の際、編者によって改変されたものか。香川景樹『百人異見』は「ただよふ」を正しいとする。

【鑑賞】「此歌感情のふかき歌とはいふべからざれども、歌のがら高く、眼前の景気をそのまま云出て詞のつゞきおもしろく、かやうなる歌を上上の歌と云」(戸田茂睡『百人一首雑談』)。

【他出】久安百首、定家十体(一本。麗様)、定家八代抄、近代秀歌、百人一首

【主な派生歌】
玉よする岬が沖に波間よりたちいづる月のかげのさやけさ(鴨長明)
いとはじよ月にたなびくうき雲も秋のけしきは空に見えけり(藤原定家)
うす雲のただよふ空の月影はさやけきよりもあはれなりけり(*後鳥羽院[風雅])
霜こほる山風あらき雲間よりもれいづる月の影ぞさむけき(藤原隆祐)
晴れゆくかただよふ雲のたえまより星見えそむるむら雨の空(*宮内卿[玉葉])
吹きはらふ雪げの雲のたえだえをまちける月の影のさやけさ(順徳院)
もれ出づる今ひときはのさやけさに空こそ月の光とは見れ(後水尾院)
秋風の雲吹きつくす山の端にさしのぼる月の影のさやけさ(冷泉為村)
よひの雨にぬるる水枝をもれ出づる月の色こそなまめきにけれ(橘千蔭)

崇徳院御時、百首哥めしけるに

秋の田にいほさすしづの(とま)をあらみ月と共にやもり明かすらむ(新古431)

【通釈】秋の田に小屋を建てて見張り番をする農夫――屋根の苫が粗いので、漏れてくる月の光といっしょに、夜が明けるまで田を守り続けるのだろう。

【語釈】◇苫 小屋の屋根などを覆うために草を編んだもの。◇もり明かす 「もり」は漏り・守りの掛詞。

【本歌】天智天皇「後撰」
秋の田の仮廬の庵の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ

歌合し侍りける時、紅葉の歌とてよめる

山姫にちへの錦をたむけても散るもみぢ葉をいかでとどめむ(千載359)

【通釈】龍田姫に錦の織物を何枚もお供えしたところで、紅葉した木の葉が散るのをどうして止めることなどできるだろう。

【語釈】◇山姫 龍田姫。秋の女神。

【本歌】兼覧王「古今集」
立田姫たむくる神のあればこそ秋の木の葉の幣(ぬさ)と散るらめ

百首の歌奉りける時、恋の歌とてよめる

高砂の尾上の松に吹く風のおとにのみやは聞きわたるべき(千載652)

【通釈】高砂の尾上の松を吹く風の音は、ひときわ高く、心にしみるそうだ。それではないが、ずっと音に――噂にばかり聞いて過ごさなければならないのだろうか、貴女のことを。

【語釈】◇高砂の尾上の松 高砂は播磨国の歌枕。今の兵庫県高砂市。松の名所。

【他出】久安百首、定家八代抄、近代秀歌、歌枕名寄、井蛙抄

【参考歌】柿本人麿「拾遺集」「人丸集」
天雲の八重雲がくれ鳴る神の音にのみやは聞きわたるべき

【主な派生歌】
もろともにゐなの笹原みち絶えてただ吹く風の音に聞けとや(藤原定家)

顕季卿の家にて人々恋の歌よみけるによめる

逢ふと見てうつつのかひはなけれどもはかなき夢ぞ命なりける(金葉354)

【通釈】あの人と結ばれる夢を見た。だからと言って、現実にどうなるということはないのだけれど、それでもこんな果敢ない夢が、今は私の命なのだった。

【語釈】◇うつつのかひ (夢を見たことが)現実において結果する何らかの効験。この「うつつの」の「の」の使い方について、歌会に同座した源俊頼が激賞した旨『袋草紙』に記されている。

恋の心を

恋ひわびて寝ぬ夜つもれば敷妙の枕さへこそうとくなりけれ(金葉425)

【通釈】恋につらい思いをして、眠れない夜が何日も続いたので、枕さえよそよそしく感じられるようになってしまったよ。

【語釈】◇敷妙の 「枕」の枕詞◇うとくなりけれ ウトシは関係が疎遠である、心から親しめない、といった意。

贈左大臣長実八条の家にて、恋の心をよめる

今はさは逢ひみむまではかたくとも命とならむ言の葉もがな(千載731)

【通釈】今はそういうことで、逢うことは難しいとしても、せめて命の糧となる言葉がほしいのです。

【語釈】◇命とならむ言の葉 それによって生きられるような言葉、命を支えてくれるような言葉。「ことのは」は話し言葉でなく、書き言葉を指すのが普通。恋しさに死にそうなので、せめて思いやりのある手紙が欲しいということ。

百首の歌奉りける時、別れの心を

たのむれど心かはりて帰りこばこれぞやがての別れなるべき(千載483)

【通釈】またきっと会えるとあなたは請け合ってくれるけれど、心変わりして帰ってくるとしたら、今この別れがそのまま永遠の別れになるでしょう。

【語釈】◇たのむれど あなたは請け合うけれども。この「たのむ」は約束して期待させる意。◇やがての そのままの。とりもなおさぬ。

百首歌たてまつりける時、旅の心をよめる

あづまぢの 野島が崎の はま風に わが紐ゆひし 妹がかほのみ 面影に見ゆ(千載1166)

【通釈】はるかな東国を旅して来て、野島が崎の浜風に吹かれていると、妻の顔がしきりと面影に浮かぶ。衣の紐を結んでくれた時のその顔が、まぶたに焼き付いて離れないよ。

【語釈】◇野島が崎 安房国の歌枕。千葉県安房郡白浜町、房総半島最南端の岬。なお同じ顕輔の歌に「近江路や野島が崎の浜風に夕波千鳥立ちさわぐなり」があり、近江国も東国の一つであるから、顕輔自身は「野島が崎」を近江国の歌枕と理解していた可能性もある。淡路にも同名の歌枕がある(【本歌】参照)。

【補記】五七五七七七の変則的な旋頭歌。(万葉集では旋頭歌は五七七五七七の形式で一定している。)

【本歌】柿本人麻呂「万葉集」巻三
淡路の野島が崎の浜風に妹が結びし紐吹き返す

年頃住み侍りける女の、身まかりにける四十九日はてて、なほ山里に籠りゐてよみ侍りける

たれもみな花の都に散りはててひとり時雨(しぐ)るる秋の山里(新古764)

【通釈】誰もみな、花盛りの都に散って行ってしまって、私ひとりは時雨の降る山里に残っている。

【語釈】◇年頃住み侍りける女 ここ何年も通い続けた女。◇山里に籠りゐて 女の供養をした山里の寺に籠っていたことを言う。◇散りはてて 散り散りに別れて行ってしまって。「散り」は「花」の縁語。◇時雨るる 涙にかき暮れて過ごすことを暗示。

かよひける女、山里にてはかなくなりにければ、つれづれと籠りゐて侍りけるが、あからさまに京へまかりて、暁かへるに、「鳥なきぬ」と人々いそがし侍りければ

いつのまに身を山がつになしはてて都を旅と思ふなるらむ(新古848)

【通釈】いったいいつの間に、私は山住いの賤しい身に落ちぶれてしまって、都にいても旅をしているように落ち着かない気分になってしまったのだろう。

【語釈】◇かよひける女 恒常的に性関係を結んでいた女。同居せずに婚姻関係を結んでいた妻。◇はかなくなりにければ 死んでしまったので。◇あからさまに京へまかりて ちょっと都の(亡くなった女の)家へ参って。◇「鳥なきぬ」 鳥は鶏。夜が明けたことを言う。亡くなった女の遺族から、せき立てられたということであろう。◇山がつ 山住いの賤しい身分の者。

顕輔卿、詞花集えらび侍りける時、歌を尋ねて侍りければ、まづ権中納言俊忠の歌をつかはすとて、よみてそへける   皇太后宮大夫俊成

このもとに朽ちはてぬべき悲しさにふりにしことの葉を散らすかな

【通釈】美しい紅葉が散って、木のもとで朽ち果ててしまうのは悲しいことです。亡き父の歌々を、子のもとで朽ちさせてしまうのは惜しいですから、古くなった歌ですが、あなたのもとへ送らせて頂きます。

【語釈】◇詞花集えらび侍る時… 顕輔は天養元年(1144)に崇徳院より撰集の下命を受けた。その資料として俊成の歌を乞うたのであるが、俊成は父の遺詠を先に送ったのである。なお、詞花集に俊忠・俊成の歌は各一首ずつ採用された。◇このもと 「木の下」「子のもと」の掛詞。◇ふりにしことの葉 父俊忠の遺詠を言う。

返し

家の風吹きつたへずはこのもとにあたら紅葉の朽ちやはてまし(玉葉2483)

【通釈】どうかお家の歌風を伝えてください。でないと、美しい紅葉が木の下でもったいなくも朽ちてしまうように、お父上の秀歌がご子息のあなたのもとで朽ちてしまうではありませんか。

【語釈】◇家の風 家に代々伝わる風儀など。ここでは御子左家の歌道の伝統をいう。漢語「家風」の訓読語で、和歌では菅原道真の母が用いたのが最も早い例。

神祇伯顕仲、広田にて歌合し侍るとて、「寄月述懐といふことをよみて」と乞ひ侍りければ、つかはしける

難波江の葦間にやどる月みればわが身ひとつもしづまざりけり(詞花347)

【通釈】難波江には葦が生い茂っていて、その隙間から、水面に月が映っている――それを見れば、ひっそりと世間から埋もれて沈んでいるのは、自分の身だけでもないのだった。

【語釈】◇広田に歌合… 大治三年(1128)八月二十九日、神祇伯顕仲主催の西宮歌合。

【校異】第四句「わが身ひとつは」とする本もある。群書類従本「西宮歌合」「顕輔集」はいずれも「わが身ひとつも」。

【補記】「沈む」は身の沈淪・不遇を言う。この歌が詠まれた大治三年(1128)は、顕輔が讒言によって白河院の勘気を蒙った翌年にあたる。なお藤原俊成によってこの歌は激賞された。
「此歌いみじくをかしき歌なり。これは拾遺集に菅原文時歌に、
 水の面に月のしづむをみざりせばわれひとりとや思ひはてまし
といへる歌をいますこし優にひきなしてみえ侍るなり。此歌はむかしの歌にもはぢざる歌なり」(俊成『古来風躰抄』)。

【参考歌】大江千里「古今集」
月見れば千々に物こそ悲しけれ我が身ひとつの秋にはあらねど

九月十三夜、九条殿にて女院御堂にて和歌ありしに、いたはることありて得まゐらぬを、殿よりせめておほせらるれば、はうはう参りて、月の恋。またもあり。しかと覚えず (二首)

暮の秋月の姿はたらねども光は空にみちにけるかな(顕輔集)

【通釈】晩秋の名月は、形は足りませんけれども、その光は空に満ち満ちておりますなあ。

【語釈】◇九月十三夜 いわゆる「後の月」。和歌雑記参照。◇九条殿 藤原忠通◇女院 忠通のむすめ、崇徳院后、皇嘉門院聖子。久安六年(1150)、院号。◇いたはることありて… 身体の不調があって。◇はうはう 「這ひ這ひ」の音便。這うようにして。老病のため顕輔は歌会への参加を辞退したのであるが、是非にと乞われて参上したのである。

【他出】風雅集秋下に入集。詞書は「九月十三夜、月をみて」。

 

人まねの恋にぞ老は忘れぬる昔の心いまだありけり(顕輔集)

【通釈】人真似の恋ですが、おかげで老いの憂さを忘れました。昔のような、季節の風情に感動する心はまだあったのですなあ。

【語釈】◇人まねの恋 ここでは詞書にある「月の恋」を言う。

老の病日にそへて、よろづもおぼえねど、「南おもての花さかりなり」と聞きて、例のことなれば、人々に案内して花の宴せしに

命あれば多くの秋になりぬれど今年ばかりの花は見ざりき(顕輔集)

【通釈】命永らえて、多くの年を経て来たけれども、今年ほどの花を見たことはない。

【語釈】◇多くの秋に この「秋」は「千秋」などと言う場合の秋で、歳月を意味する。◇南おもての花… 自邸の南向きの正殿の花が盛りだと、家人などから聞いたのである。この「花」は、歌からすると秋の花々を言うようにも思えるが、後の方の詞書に「こののち…五月七日になむ隠れはべりにける」とあり、やはり桜の花を言っていると思われる。

この花つねよりもめでたかりしを忘れがたけれど、昨日の名残に乱れ心地まさりて、さしいづべくもおぼえざりしかば、人して折りにやりて見るにつけて

かばかりの花の匂ひをおきながら又も見ざらむことぞ悲しき(顕輔集)

こののち病おもくなりて、五月七日になむ隠れはべりにける。

【通釈】これほどの花の美しさを、起きながら再び見ることが出来ないのが悲しいよ。

【語釈】◇さしいづべくも… 床を出ることができそうには思えなかったので。◇五月七日… 顕輔は久寿二年(1155)五月七日薨去。六十六歳。


更新日:平成16年01月17日
最終更新日:平成21年09月04日