佐々木 邦 ささき・くに(1883—1964)


 

本名=佐々木 邦(ささき・くに)
明治16年5月4日—昭和39年9月22日 
没年81歳 
東京都東村山市萩山町1丁目16–1 小平霊園13区23側7番 



小説家・英文学者。静岡県生。明治学院(現・明治学院大学)卒。明治42年に発表した『いたづら小僧日記』が出世作。明治学院大学教授。昭和11年『ユーモア作家倶楽部』を結成、翌年機関誌『ユーモアクラブ』を創刊、ユーモア文学発展に尽力。『愚弟賢兄』『苦心の学友』『わんぱく少年』などがある。







 私は過去を顧みて、若しもということを考える。あの時、若しもあゝでなかったら、現在の自分はこうでなくて、全然違った境遇にいるだろうという想像だ。
 追放令にしても、私はちょっとのことで引っかゝっている。社長といっても、問題になるような大会社の社長でない。若しあの時旅行して東京にいなかったら、あの会の委員にならなかったに定っているから、無事だったのである。その折大病をして面会謝絶中だった友人は私よりも有力な地位にいながら、お答めを蒙らずに済んでいる。会へ出たにしても、若し私が……いや、今更そんなことを考えても始まらないと思うけれど、時々考えるのである。
 種々の若しもがある。その中、若しも私が生れて来なかったらという若しもが一番大きな若しもだろう。生れて来なければ存在がないのだから、煩悩も何もない。心の歴史を書く必要もない。そう悟ってしまえば一番早いのだが、凡人は何処までも凡人だ。
                                                

 (心の歴史)       



 

 佐々木邦といえばユーモア小説の先駆けといわれている。たしかに昭和初期のサラリーマン家庭を通した上品な笑いは良識に溢れ、ほのかな暖かみを持って多くの読者に受け入れられたのだが、しかし、実際の家庭にあっては幸福とはいえない境遇であったようだ。
 12歳の時、母は入水自殺未遂、末弟義朗も腸チフスのため41歳で亡くした。結婚後産まれた子供達も長女あやを産褥熱のために、次女ふさを乳ガンで、次男英二を大戦で、長男仙一を心臓病で、戦後すぐには40年近く連れ添った妻小雪も失ってしまった。それでもなお、彼はユーモア精神に溢れた小説を次々に送り出した。暖かさの底に厭世観や諦観した人生、諧謔を忍ばせながら、昭和39年9月22日、心筋梗塞のため死去するまで。



 

 「死も亦人生の実務」だと作品の登場人物にいわせているように、死を自然の法則と割り切った人生観を持ち、宗教に否定的だった邦が突然、かって長男仙一の葬儀を営んだ日本聖公会東京三一教会で、主教でもあった弟の二郎から洗礼を受けたのは死の前年であった。家族さえ驚かせた洗礼も「人生愚挙多し」を完結するための死の支度であったのだろう。
 時は過ぎ去ってゆくばかりだ。映画化された作品も多かったのだが、目の当たりにする作品は僅か、ほとんどの作品は絶版となり「佐々木邦」を知る人もいなくなった。
 霊園の青山学院関係者墓地にある廟、〈私はよみがえりであり命である。わたしを信じる者はいつまでも死なない。〉とヨハネ伝の刻まれた墓誌の三行目に佐々木邦の名が遺るのみか。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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