坂口安吾 さかぐち・あんご(1897—1949)


 

本名=坂口炳五(さかぐち・へいご)
明治39年10月20日—昭和30年2月17日 
享年47歳 ❖安吾忌 
新潟県新潟市秋葉区大安寺509 坂口家墓地 



小説家。新潟県生。東洋大学卒。『青い馬』に発表した『風博士』『黒谷村』が牧野信一に激賞され、牧野主宰の『文科』に参加。『真珠』『吹雪物語』などを発表。昭和21年『堕落論』『白痴』の発表は衝撃をもって迎えられた。『外套と青空』『女体』『桜の森の満開の下』などがあり、織田作之助、石川淳、太宰治などとともに〈無頼派の作家〉と呼ばれた。






 

 人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は墜ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
 戦争に負けたから墜ちるのではないのだ。人間だから墜ちるのであり、生きているから墜ちるだけだ。だが人間は永遠に墜ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くではあり得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、墜ちぬくためには弱すぎる。

                                
(堕落論)


 

 かつて、あの大戦時の重苦しい空気のなかでの『日本文化私観』で、「日本的伝統主義」を拒否した坂口安吾の不敵さは、放校された新潟中学校の机の裏に〈余は偉大な落伍者となっていつの日か歴史の中によみがえるであろう〉と彫ってきたという逸話に、さもありなんという真実味をもたせている。また〈生存それ自体が孕んでいる絶対の孤独〉と突きつけてくる〈無頼派〉の切っ先はいま、私の眼前に迫っているようにも思えてくる。 
 昭和30年冬、『安吾新日本風土記』取材のために土佐に旅立ったのが最後の旅となった。その旅から桐生の自宅に帰った翌々日の2月17日早朝、三千代夫人に舌のもつれを訴えて横になったまま、午前7時55分、脳溢血のために急逝した。



 

 紙屑の山、燃えかすの積もった蚊取線香立て、転がったピース缶、足の踏み場もない無秩序な書斎で、原稿用紙に向かっている坂口安吾の写真を、畏怖をもって見たのはいつのことであっただろう。
 
 〈ふるさとは語ることなし〉、〈私のふるさとの家は空と、海と、砂と、松林であった。そして吹く風であり、風の音であった〉——。
 その風音と雨音を聞きながら阿賀野川に程近いこの墓の前に佇んでいる。「坂口家塋域」と彫られた墓碑。雨空のせいばかりでもないのだろうが黒ずんで無表情、色とりどりの供花だけが拠り所のように思われた。碑裏面に兄献吉撰文と献吉とその妻徳の戒名が印されていたが、安吾の名前はどこにも見当たらなかった——。
 〈孤独は私のふるさとだ〉。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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