齋藤 史 さいとう・ふみ(1909—2002)


 

本名=齋藤 史(さいとう・ふみ)
明治42年2月14日—平成14年4月26日 
享年93歳(齋藤史刀自命)
長野県松本市蟻ケ崎4丁目10–—1 正鱗寺(曹洞宗)



歌人。東京都生。小倉高等女学校(現・県立小倉西高等学校)卒。陸軍将校で歌人の父瀏が二・二六事件に連座、その後の詠歌の核となる。時代への厳しい眼差しを秘め、モダニズムを出発点に象徴詩風の作風で生と死を凝視した。昭和15年第一歌集『魚歌』を刊行。37年『原型』を創刊、主宰。ほかに『ひたくれなゐ』『渉りかゆかむ 』などがある。







定住の家をもたねば朝に杳にシシリイの薔薇やマジョルカの花

ものの杳絶えし日昏れのひとときにわが生といふをはるかより見つ

山坂を髪乱れつつ来しからにわれも信濃の願人の姥

かなしみは置きてしばらく火をたけり今年の落葉焚くほどはある

散じ果てあとかたもなき生ながら出で入る場所のあるがごとしも

坂の上にしぼり出されて降りてくる逆光の中の人間ひとり

死の側よりせばことにかがやきてひたくれなゐのならずやも

白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼を開き居り

皆底の魚卵に光りとどくなりこのときまさに陽の慈しさや

さくらは人と似るべきものかひとり来てあふぐ空中重き軽きなし



 

 昭和11年2月26日、皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らによって引き起こされたクーデター未遂事件、いわゆる二・二六事件は、軍人で歌人でもあった父瀏の連座下獄、幼友達であった栗原安秀・坂井直らの刑死という暗い影を伴って〈暴力のかく美しき世に住みてひねもすうたふわが子守うた〉という歌の如く齋藤史という硬骨な女流歌人の生涯に大きな影響を与えてきた。
 永訣と慟哭の重い足枷を引きずりながら、果敢なる気迫を持って〈木を、波を、光を。多くの人人のかかわり、なりゆきを。人間の内部を、記憶と予感を。さらにまた、未知の多くを〉厳然と、またあるときは飄々洒脱に詠ってきた長い道程だった。歴史の悲劇を背負ったまま、平成14年4月26日午前4時42分、乳がんのために長野市内の病院で波乱に満ちた93年の生涯の終わりをむかえた。



 

 松本平の遠く西の方角に望む北アルプスの峰々、ひときわ目を引くピラミッド型の常念岳が早々と白化粧をしている。市街を見下ろす城山にある蓬莱山正鱗寺、 墓地に吹く風はそれほど冷たくもなく山国の清涼感がそこはかとなく漂っていた。
 戦前の中国大陸を舞台に、満州国建立のため活躍し、男装の麗人として名を馳せた川島芳子の墓もある墓山の参り道を登っていく。獣道といわれればそうとも思えるか細い道を登り詰めた先に、砂利石の敷き詰められた中に大小の石が乱れ散る塋域が現れた。江戸期からと思われる十数基の墓々の中央に昭和31年、父瀏の三回忌に夫堯夫が建てた「齋藤家之墓」。〈サヨナラとかきたるあとの指文字はほとほと読めずその掌の上に〉と哀悼した父と、母と夫とともに眠る黒ずんだ石の碑が晩秋の陽を浴びて眩しそうに建っている。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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