山の雑記帳8

 山におけるパニック  1998.11.08 記

 もう1つパニックがあった  1998.11.13 記

 権現岳に登った  1998.11.16 記

 唐松尾山・笠取山のご案内  1998.11.24 記

 とりとめもない雑文  1998.12.01 記

 南大菩薩連嶺にリーチ  1998.12.05 記


山におけるパニック  1998.11.08 記

最近読んだばかりの真保 裕一氏の小説 「ホワイトアウト」 (新潮社文庫) の中で、冒頭、遭難者を山に残し、 助けを呼ぶために下山する主人公が、 雪山で道を間違え迷ってしまう件 (くだり) があったが、 人が道に迷った時の心理状態が うまく表現されていたと思う。

また、最近リンクを張って戴いた鈴木さんの 「梅屋敷探検隊」 内の 「別冊 低山山歩:山と警告」 にも、 山で不安に陥った時の様子が書かれており、 頭の中が真っ白になる という表現に共感を覚えた次第である。

人間、パニックに陥ると頭の中が混乱してしまい、冷静にものごとを考えられなくなるようだが、 私も10年ほどの山歩きの中で、 何回かこうした状態に陥ったことがある。

私の場合はほとんど単独で歩くため、かなり慎重に行動しているつもりなのだが、それでも時々早合点して大変な目に遭い、 1人故にどうしてよいか途方に暮れてしまったことも少なくない。

とはいっても、生死に関わる程のものではなく、どれも最終的には大事に至らずに事なきを得ているのだが、 一番ピンチだったのは 日光の奥白根山に登った時のことで、 その時は野宿することまで覚悟しかけており、 今考えてもゾッとする。

それは、時あたかも1991年、今と同じ11月のことであった。
以下に、 奥白根山登山の拙文の一部を引用させて戴き、 その時の心理状態を思い出してみたい。

・・・平らな樹林帯の中を進んで行くと涸れた沢があったが、沢をそのまま横切って再び樹林の中に入って行けば良いところを、 暗くなるのが早いため気が焦っていたのだろうか、 魔が差したように何も考えずに右折して 涸れた沢の中を進んでしまったのである。

やがて道は沢の流れにぶつかって途切れ、進んで来た道が間違いであったことに気がついたのだが、 もう少し明るければ 踏み跡がないことにもっと早く気づくことができたものの、 足元が暗くなりかけていたため、 また焦る気持ちもあって、 ドンドン進んでしまったのである。

とにかく道がなくなったので慌ててゴロゴロした岩の上を戻ったが、いくら戻っても先ほどの樹林帯から沢に入った取っつきが見つからず、 一方で辺りは真っ暗になってくるし、 完全にパニックになってしまった。

何回も涸れた沢の上を行ったり来たりしている内に、自分が今涸れ沢を下っているのか (一番初めに右に曲がった方向に進んでいるのか) あるいは上っているのか が全く分からなくなり、 懐中電灯片手に途方に暮れ、 野宿することまで半ば覚悟してしまった (そうなると家族が心配することは目に見えているのだが・・・)

しかし、ふと目を上に向けると、涸れ沢の両側の木々の間に一本ロープが張られているのが見え、急いでそのロープの下に行ってみると、 ありがたいことに、 そこはずっと探していた取っかかりだったのである。

この時は本当に大声をあげたくなる程嬉しかった。

もう大丈夫と心を落ち着けた後、左へ行くのが正しいと思って進んで行くと、前から懐中電灯の灯りがこちらに向かって来るではないか。

人に会えたことでさらに安心したのであるが、実はそれは先ほどの尾根道で抜いた2人連れで、私は下ってきた道を また戻ろうとしていたのであった。

2重3重のミスにようやく気づいてまた道を戻り、今度は涸れ沢をそのまま横切って樹林帯とササの道を進むと、 それから暫く先であっけなく車道に出てしまった。 ・・・・・(以下省略)

といった具合で、これは奥白根山に登った後、中曽根を下る際の出来事である。

この時は、「しまった。道を間違えた」 と思ったものの、また来た道を引き返せば簡単に正規の道に戻れると軽く考えていたのだが、 行けども行けども正しい道が見つからず、 加えて辺りは真っ暗になってきたものだから、 完全にパニックになってしまったのである。

そして恐ろしいと思ったのが、涸れ沢を何回も行き来しているうちに、今どちらの方向に進んでいるのかが分からなくなってしまったことである。
そんな馬鹿な、冗談だろ と思ったものの、 本当に数回往復しているうちに 頭の中が混乱してしまったのである。

コンパスと地図を使えば、今、涸れ沢を下っているのか上っているのかは分かるはずであるが、 それは方位とともに 地図上に涸れ沢という一つの基準があるからで、 もしこれが雪山で周囲をガスに囲まれでもしたら、 目印となるものが全くないことから 完全にアウトとなってしまうであろう。 想像しただけでも恐ろしい。

そういえば、 黒部五郎岳を登ってから太郎兵衛平経由薬師峠へと向かう途中、 ほとんど視界の利かないガスの中で、 対面からやってきた人がいたので言葉を交わしたところ、 その人は 黒部五郎岳に登って来たので、 これから太郎兵衛平へと向かう」 というではないか。
完全に道を間違えているのである (このことは 黒部五郎岳の項参照)

想像するに、その人はガスの中で休憩し、出発する際にガスで視界が利かないことから、完全に方向感覚を失い、 歩いてきた方向に戻ってしまったのであろう。

方向感覚の鋭い人とそうでない人がいるようで、鋭くない人は周囲の景色でそれを補っているような気がするし、 ガスなどでその景色を奪われてしまうと、 とんでも無い方向へと進んでしまうこともある ということなのであろう。

奥白根山の出来事で、 歩いている方向が分からなくなったというのは、 パニックに陥ったために冷静さを失ったからで、 それがさらにパニックを引き起こすことになってはいるものの、 私をパニックに陥らせた真の原因を考えてみると、 それは 「道を間違えた」 という事実よりもむしろ、 「あるはず」 の取っかかりが見つからなかった ということであろう。

「あるはずのものがない」 ということに、周囲が暗くなってきてしまったという要素などが加わってパニック状態を増幅させたと思うが、 この 「はず」 とは違う状況に直面した時に与えられる心理的ショックというのは 結構大きいものがある。

表妙義で、視界の利かない樹林帯を抜けてある岩場に立った時、これまで進行方向右側に時折見えており、また 地形上から言っても絶対右側に見えるはずの浅間山・裏妙義連山が、 どういう訳か その岩場では左側に見えたので、 本当にショックを受けてしまったことがある。

一瞬、道を間違えたのかと思って焦りが出てしまったのだが、これも頭の中にある 「はず」 とは全く違う状況をいきなり突きつけられてしまい、 パニックに陥ってしまったものである (この反対側に見えたという理由は、 表妙義を参照下さい)

と、まあダラダラと書いてきたが、 何回かこういう状況に陥ることを経験してくると、 だんだん対処の仕方を覚えてくるものである。

まずは、当たり前のことだが 冷静になれ ということで、慌てて動き回らずに一旦休憩をとって、例の森永チョコボールなどを食べながら、 じっくり考えてみることが必要である。

そして、地図などを見ながら対処方法をいくつか考えるようにして、それがうまくいかなかった場合でも、 今いる場所に戻れるような手段を講じておく ということである。
慌てて動き回ると、 今ほどまでいた場所まで分からなくなることが しばしばである。

そして、重要な基本は勝手な判断で進まず、道を間違えたと思ったら、進んできた道を戻って、 道を間違えた地点に立ち戻ることである 奥白根山ではそれが出来なくなってしまったのだが ・・・)

まあ、それよりも、 この頃私が怠っている 事前にガイドブックや地図をよく読んでおく ということを必ず行い、 ある程度のイメージを頭に植え付けて、 大変な状況に陥らないようにすることの方が 大切であろう。

実は、パニックに陥ってから地図を出しても、周囲に目印がない場合、現在位置の確認が難しくなるからである。


もう1つパニックがあった  1998.11.13 記

前回奥白根山でのパニックのことを書いたが、そういえばもう1つ大きなパニックがあった。
それは、 今から4年前、 宮崎に単身赴任していた頃に登った夏木山である。

夏木山といっても、九州以外の方はご存知なかろうが (九州の方でも知らない人が多いかもしれない) 大分県と宮崎県の県境に位置し、 標高はわずか1,386mと低いけれども、 九州百名山にも選ばれている立派な山なのである。

その時のパニックの様子は、お気に入りの山夏木山の項を参照頂きたいが、ここでも奥白根山と同様に 一瞬野宿を覚悟した次第である。

ところで、 宮崎に単身赴任していた3年間 (1992年 - 1995年) にいくつかの山に登らせてもらったが、 その経験から、 九州の山はメインルートはしっかり整備されているけれど、 少しメインからはずれた道は例え地図に記載されはしていても、 大変心細くなるような道が多い と感じた次第である (九州の山好きの方、スイマセン)

無論、「九州の山は」 と言い切るのは危険であるし、大変失礼であることを承知しているが、関東などに比べて登山人口が少ないのでは と感じることが多かったし、 それ故メインルート以外の道は 少し整備が進んでいないのかな と思ったことが多々あったのである。

この夏木山の瀬戸内谷のルートや、 大崩山 (おおくえやま) のもちだ谷のルートなどはその好例で、 標識もなく、 赤いテープだけを頼りに進むことになって、 テープの間隔が 時には100m以上も離れていて心細くさせられたり、 谷筋の岩の上を下るので踏み跡がハッキリしていなかったり、 途中から全く目印となるものがなくなったりなど、 大変スリルを味わうことのできるコースである。

整備された道に慣れきっている私にとっては、こういうルートの方が刺激があって面白かったことは面白かったのだが、 反面心細さをかなり伴うものであり (単独山行故に) 精神的にはちょっときついところもあった。

さて、その夏木山であるが、 夏木山の項に書いた通り、 やたら滅多ら貼り付けてある赤テープに完全に翻弄された感があり、 またクマザサの林の中で視界が利かないという状況を体験して、 今考えると良い思い出ではあるが、 その時は 「こんな馬鹿な」 という気持ちで完全にパニック状態であった。

恐ろしいと思ったのは、背丈以上あるクマザサの林に入り込んで、暫くササをかき分けながら進んだところ、 振り返ると今まで通ってきた道が全く分からなくなっていたことで、 これが一番ショックが大きかったようである。

普通、道を間違えたら来た道を戻るという鉄則があるから一応安心して進めるのだが、その進んできた道がすっかりクマザサに覆われ、 というよりもクマザサの壁があるだけであったのには、 ビックリさせられたのである。

それからは、とにかくガムシャラにササをかき分けて進んだのだが、こういう目標のハッキリしない、 慌てた中でのアルバイトは かなり体力を消耗するもので、 先に体力が無くなる、 次いで気力が無くなるという感じで、 野宿を決めたのであった。

暖かい九州の地とは言え、真冬の野宿はやはり厳しいものと思われたが、一応安心させてくれたのはザックの中身であった。

話がドンドン飛んで申し訳ないが、私はよほどの低山でない限り、ザックは35リットルのものをいつも持っていくようにしており、 その中には かなり余計なものまで詰めているのである。

今回も野宿をしても何とかなると思わせてくれたザックの中身は、ライター (私は煙草は吸わないが、必ず携行する) 着替え用衣服 (オーロンのTシャツ、パンツ、シャツ、ソックス、ズボン) ゴアテックス雨具、 緊急用レスキューシート (袋状のもの) チョコ・ビスケットなどの嗜好品、 カロリーメイトなどであった。
無論、 ジャケットは着ていたし、 厚手の手袋もあり、 水はたっぷりあったのは言うまでもない。

ガスコンロを持っていなかったのは残念であったが、着替えをしてから身につけられるものは全て身につけ、 これでたき火をしながら徹夜すれば何とかなるのではないか と思ったのである。

実際は野宿をせずに済んだのであるが、野宿をしようと思ったことが返って心を落ち着かせてくれて、 その後、 一応適切な対応をすることができたのだと思う。

そうそう、忘れてならないのは、私が単身赴任であったということで、帰宅しない私を家族が心配するということはないし、 私も心配する家族を思って心を痛める必要もない。 これは些細なことのようで、 実は結構重要なことのような気がした。

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2回も続けて私のつまらないパニックの話を書いてきたが、 とにかく道などに迷ったと思ったら 冷静になることが肝心で、 それでも心の動揺が抑えられない (つまりパニックになる) 場合は、 気持ちを抑えるべく、 無理をしてでも一旦小休止をとるなどして一呼吸置くことである。
とにかく、 心を落ち着かせるようにしなければならない。

慌ててガムシャラに動き回ることは、返って墓穴を掘ることになりかねないし、 パニックの中での判断は時として 常軌を逸した行動を起こさせることさえあるのだ ということである。

そして、 万一の場合の用意は常にリュックの中に必要であろう。 本当に備えあれば憂い無しである。


権現岳に登った  1998.11.16 記

この7月、登ろうと思って途中で私の気が変わり、赤岳−横岳−硫黄岳への山行に取って代わられてしまった不遇 ? の山、 権現岳編笠山に先週の土曜日 (11月14日) 登ってきた。

何しろ、この土日は高気圧のお陰で雲一つない快晴が続き、家の中にいるのがもったいないという予報がなされていたので、 山好きの私としては山に行かねば という使命感 ? に燃えて出かけたのであった。

登山口である観音平へは、中央自動車道小淵沢ICで降り、すぐぶつかるT字路を右折してそのまま真っ直ぐ進んで八ヶ岳公園道路 (有料 300円)に入る。
やがて料金所が現れるが、 朝の7時前には人を配置していないらしく、 料金はとられなかったのがありがたい。

この料金所のすぐ先で、原村・美濃戸へ行く鉢巻道路が左に分岐しているが、赤岳へ行く場合はその道路に入るのであり、 今回は真っ直ぐ進むことになる。

やがて、もう一つ料金所が見えてくるが、観音平に行くにはその手前にある道路を左折すれば良く、そのまま進んだ終点が 観音平である。

観音平は既に標高が1,570mあり、私としてはちょっと気が引けたのだが、どうしてどうしてそこからでも登山道は結構登り甲斐があった。

詳細はいずれアップするが、 今回は体調の方があまり思わしくなかったため、 若干苦労させられた。 どうも体が重く、 キレがないのである。

加えてまずかったのが、登山靴をいつものマインドル・ラーサという軽い靴から、ザンバランのイサルコに変えてしまったことである。
これは、 2,000mを越す山の上には積雪があり、 登山道が凍結しているかもしれないと考えて 軽アイゼンを用意したためで、 私の持っている6本爪軽アイゼンのカジタックスKA−6が装着できるのが イサルコの方だからなのである。

ちなみに、今は同社からFB−6というものが出ているようで、こちらならほとんどの登山靴にフィットするようである。

ラーサもイサルコも共に軽登山靴であるが、重量は両足で450gほどイサルコの方が重く、これが結構身体に応えるのである (体調が悪いから一層重く感じられる)

一説によれば、靴の重さ1kg (両足) の違いはザックの重さ5kgに相当すると言われているから、僅かでも靴が重くなれば やはり負担は増すことになる。
だから、 普段なら軽快に登れると思われる斜面も、 今回は結構辛いものがあった。

私はいつも思うのだが、登山中は体の上半身 (いわゆる呼吸器系) と下半身 (足腰) がせめぎあいを行っており、 私の場合、 登りでは足腰の方が元気で呼吸器系がこれについてこれない状態が多く見られ (喘ぐことしきり) 逆に登頂後の下山時には 呼吸器系は元気なのに足腰の方が悲鳴を上げるようになる場合が多い (当たり前か ?)

しかし、今回の登りでは、足腰が重く、呼吸器系に悲鳴を上げさせることはほとんどなかったのである。
それでも、 何とか地図上の時間より早く登ってこられたのだから、 私の体力・スピードもまだまだ捨てたものではないとも思えるが・・・。

そうそう、肝腎のコースであるが、観音平から一旦下って八ヶ岳神社まで進み、そこから木戸口公園、三ツ頭を経て 権現岳を目指したのである。
権現岳からはギボシ、 ノロシバを経て青年小屋に下り、 そこから編笠山へ登り返して観音平へと下るコースをとった。

天候の方は予報通り快晴であったのだが、風が強く、特に尾根上を登る際にはあまりの強さに体温を奪いさられ、 手がかじかんでしまうほどであった。

積雪はと言えば、今回折角持ってきた軽アイゼンの出番は全くなく、日陰にほんの少しあるだけで全く通過に問題はなく、 ラーサで十分であった。 しかし、これは結果論、 備えあれば憂い無しである。

そして、今回のハイライトは三ツ頭、そして権現岳からの展望であり、特にその2つの頂上から見る赤岳の姿は圧巻であった。

力強く屹立 (きつりつ) するその姿は、これまで色々な場所から見た赤岳の中で一番素晴らしく、皆さんにも是非 こちら側から赤岳を眺めて欲しいと思う次第である。

編笠山からも赤岳は見えるが、そこからの赤岳も素晴らしいものの、迫力では到底敵わない。
下卑た表現で大変恐縮だが、 権現岳、 三ツ頭から見る赤岳は、 いきり立つ男性自身を想像させるものがある。 そう感じたのは私だけであろうか (これは心理学的に見れば、 私のコンプレックスの表れなのでしょうか ?・・・[苦笑]

とにかく、「堂々と」、「雄々しく」、「隆々と」、「そそり立った」 などの表現がぴったりの姿であり、いずれ写真でお見せするが、 恐らく 私の写真の腕ではそれを伝えることは無理であろう。
とにかく素晴らしい姿であった。

しかし、 今回の登山全体を評すれば、 上に書いたことと矛盾するのだが、 何か物足りなかったということが言える。

体調不良で苦しんだものの、6時55分から登り始め、午前中にはもう編笠山の頂上に着いていて、その日の予定はほぼ終了してしまったからである。 どうも呆気ない。
これは、 先月、裏岩手連峰を縦走して1日たっぷり山を堪能したからだろうか。

しかし、 心では物足りなさを覚えても、 体力的には体調不良の身にとってこれ位が適当だ と解釈するべきかもしれない。
そう言えば、 編笠山から観音平までの延々続く樹林帯歩きでは、 足腰の方が悲鳴を上げていたし、足がもつれて転びそうになることが多々あって、 いつもよりその度合いが厳しかったからである。


唐松尾山・笠取山のご案内  1998.11.24 記

先週の権現岳・編笠山に続いて、2週連続で山に行けることになった。
急に時間的余裕ができたからで、 こういう場合、 はて ? どこの山に登るべきか少々迷ってしまう。

普段から次に登る山を決めていれば良いのだが、どうも百名山以外の山には綿密な計画を立てて登るという気が起きず、 大体2、3日前に色々本をひっくり返したりして、 慌ただしく決めることが多い。

今回などは、前日の金曜日の晩に慌てて登る山を探すことになり、例の 「マイカー登山・ベスト周遊コース [東京周辺]」 (山と渓谷社:山の雑記帳・「山の本」 を参照) を見て色々候補を探したが、 どうもピンと来る山がない。

唯一食指が動いたのが、車で奥多摩の丹波山村から後山林道 (うしろやまりんどう) を終点まで行き、そこから 三条ノ湯を経由して三条ダルミ、 雲取山へと登って、 その後は雲取山から一旦三条ダルミまで戻り、 今度はそのまま尾根を西へ進んで飛竜山へと登り、 そこから三条ノ湯へ下りてくるというコースである。

しかし、本によればこの後山林道の駐車スペースは少ないということであるし、別の本にはタクシーも林道入口までしか行かない ということが書かれていたことから、 RV車ではない普通の乗用車を使用している私には ややビビッてしまう所があった。

そこで、このコース以外に雲取山や飛竜山に登れるコースはないかと、1997年版の地図、「奥秩父 :雲取山、両神山」(昭文社) を出して調べてみたものの、 どうも後山林道コース以外は時間がかかって 日帰り登山は難しそうである。

それではと、少々林道のことが気にかかるものの この雲取山・飛竜山のコースにしようと決め、 地図でもう一度コース周辺を良く見てみると、 雲取山から飛竜山へと続く尾根の延長上に、 笠取山という名を見つけたのであった。

そう言えば笠取山は多摩川の水源の山としてその名を聞いたことがあり、これは面白そうだという思いが湧いてきて、 後山林道のことが気にかかる雲取山 ・ 飛竜山コースよりも こちらの笠取山への登りを重点的に考えてみることにしたのであった。

家にある何冊かのガイドブックで調べてみると、この笠取山へのコースは、塩山市北東部の一ノ瀬高原からのコースと、 西沢渓谷への途中、 広瀬湖近辺の新地平からのコースが一般的であることが分かったのであるが、 前者の場合は少々その行程がボリューム的に物足りなく、 後者のコースは雁峠 (がんとうげ) 経由ということで興味深かったものの、 車の場合はピストン登山にならざるを得ないことから、 どちらも今一つ納得できないものであった。

地図を睨みながら、何とか笠取山への登山を面白いものにできないものかと知恵を絞ったところ、 一ノ瀬高原から一旦将監峠方面へと向かい、 そこから西へ多摩川流域の最高峰である唐松尾山を目指し、 唐松尾山から尾根伝いに笠取山を経て、 再び一ノ瀬高原に戻ってくるコースが内容的に面白そうで、 ボリューム的にも丁度良いもののようであった。

ただ、地図上では、唐松尾山の稜線上を行くコースは破線で記されており、難路を示しているのが気にかかったのであるが、 地図添付のガイドブックにはしっかりこのコースのことが書かれており、 それ程問題がないようであったので、 俄にこのコースをとることに決定したのであった。

登山記録は追々アップするつもりであるが、結論を言えば、このコースは全く問題が無く、大変良く整備されており、 地図上で破線で書かれているのは間違い、 というか1998年11月現在では破線ではなく、 太い実線で書かれるべきコースである。

そして、この唐松尾山を通らないコース (山ノ神土 − 水干尾根 − 笠取山西)が唐松尾山の南斜面下に平行するようにつけられていて、 無論地図上では実線なのであるが、 皮肉なことに、 このコースの方は沢筋に架かっていた橋が流されたために 通行止めとなっていた (山ノ神土の分岐に通行止めの注意書あり)

登山口の一ノ瀬高原までは、 中央高速道の勝沼ICまで進み、 ICを降りたところが国道20号線なので 右折して大月方面へと向かう。
すぐに柏尾という斜めになったT字路にぶつかるので、 左折して勝沼方面へと向かう。
勝沼役場前を通過し、 先ほどの柏尾のT字路から約2.5qほどで、 国道411号線 (青梅街道) との交差点にたどり着くので (大きな標識がある) 右折して進んでいけばよい。

途中、何回か右折、左折を行わねばならないが、しっかりした標識があるので、大菩薩嶺、青梅、奥多摩といった文字を頼りに進めば 迷うことはない。
大菩薩嶺の登山口である裂石を過ぎ、 高度をドンドン上げていくと富士山が大きく見えてくるようになる。
やがて、 黒川鶏冠山の登山口である柳沢峠を過ぎてさらに道を進むと、 一ノ瀬と書かれた標識が見えてくるので、 そこを左折すれば良い (ここは落合という場所である)

但し、この道は途中で高橋への道を左に分け、新犬切峠まで進むと、本来そのまま一ノ瀬へ行ける道が工事中で通行止めとなっており (通行止めの看板はあったが、 封鎖はされていなかったので通れたのかもしれない) 結局そこから作場平橋や中島川橋といった 笠取山への登山口がある林道をグルッと回らねばならなかったことから、 先ほどの落合では左折せずに、 さらに国道411号を先に進むこと約3q 弱、 大きなカーブの所に一ノ瀬の民宿の看板が沢山見える所で 左折した方が良いと思われる。

私は、落合で左折してしまい、新犬切峠から作場平橋の登山口や、下山時に通ることになるであろう、中島川橋の登山口を眺め、 遠回りをして一ノ瀬に入ることになってしまった。

一ノ瀬では、一ノ瀬キャンプ場に駐車場があるのでそこに車を止めても良いのだが (下山はこのキャンプ場へ下りてくることになる) 私はそんなことはよく分からなかったので、 キャンプ場入口にある民宿の駐車場に 500円を払って駐車させてもらった。

将監峠へ向かう登山口は、車で下ってきた道を少し戻り、右側の民家の庭先にある標識の所から林道へ入っていくことになる。

この後の登山については、登山記の方に任せるが、とにかく驚くほど道がしっかり整備されており、晩秋の日溜まりハイクを希望する向きには なかなか良い山であると言えよう。
奥秩父、 奥多摩の明るい尾根を歩きたい方には 是非お勧めしたい。

また、笠取山だけ登るなら、中島川橋からの登山道がほとんど傾斜もなく、急なのは笠取山への最後の登りだけなので、 大変楽である。

笠取山直下、笠取山西に案内板があり、そこには明治時代にこの地域に山火事や水害があったため、それを視察に来た役人一行が笠取山直下の 今の案内板と同じ場所を歩いている写真が掲げられていたが、 役人は馬上姿で写っており、 その写真からも分かるように それ程この笠取山直下までは緩やかな道なのである。

ちなみに、この役人の視察の後、植林の大切さが指摘され、その直後に植えられたカラ松が現在の林を形成しているようである。 写真では禿げ山直下を役人一行が歩いている構図であった (記憶が曖昧なため、 この記述には間違いがあるかもしれないが、 概ねあっていると思う)

なお、この一ノ瀬高原へのアプローチは車しかなく、マイカーか中央本線塩山駅からタクシーを使うということになろう。

また、先に述べたように、将監峠の登山口は民宿の駐車場を利用させてもらうか、一ノ瀬キャンプ場の駐車場を利用することになる。

笠取山へ直接向かう、作場平橋や中島川橋の登山口の方は、それぞれ林道脇に駐車スペースがあるので問題はない。


とりとめのない雑文  1998.12.01 記

先日、書棚 (と呼べるほどのものでもないが) を整理していたら、10年程前に発刊された登山道具のカタログ雑誌が出てきた。

表紙も裏表紙も破れてしまって無くなっているので、どこが出版したのか分からないのだが、内容を見るとICI石井スポーツの製品や記事内容が沢山出ているので、 どうやら ICI石井スポーツが発刊、 発売したカタログ雑誌らしい。

発刊年はというと、中に生前の長谷川恒男氏に関する 「チョモランマ冬季無酸素登頂にかける夢」 という記事があって、 その中に 「昨年 (87年) の10月19日、長谷川は妻の昌美とともに日本を発った。・・・」 と書かれていたので、 1988年、 丁度10年前ということになる。

この10年前というのは丁度私が山を始めた頃で、ページをめくっているうちに、山の道具を揃えるのにこのカタログ誌を大いに参考にさせてもらったことを 思い出した。

そう言えば、登山道具購入の参考にするとともに、このカタログは結構夢を見させてくれて、いつかはこの道具を と思ったり、 また、他人の道具を見て羨ましく思い、 帰ってきてから製品名を調べるのにも結構使った覚えがある。

例えば、昔はザックと言えばMILLET で (今でもそうなのかもしれないが)、あのマークの付いたザックを山で見かけるたびに うらやましく思ったり、 カタログでその値段を見るたびに ため息をつくなどしていたものであった。

また、靴は当時スカルパ・シェルパが結構人気があったように思われ、私の持つZAMBERLAN社のヌーボフジヤマに比べて、 その色合いとスマートさに憧れたものである (甲高で幅広の私には、 靴ひもで中のベロがほとんど見えないように ピッチリ締めることなどできず、 どんな靴を履いても 靴の格好は悪くなってしまうのであるが・・・)

しかし、いつからか軽登山靴の材質がヌーボフジヤマやスカルパ・シェルパのようなややごっつい皮から、トレッカープロのような 柔らかい材質の皮へと主流が移ってきており、 また布製のものもかなり幅を利かせるようになってきていて、 本当に軽くて良いものが出回るようになってきている。 時代は変わったなあという感じである。

私もこのカタログを見て、ZAMBERLAN社のイサルコを買ったのだが、その後このイサルコより 約450g (両足) 軽いマインドル社のラーサを買ってからは、 ほとんどこのラーサ一辺倒である。

山の雑記帳、「権現岳に登った」 にも書いたように、一説によれば、靴の重さ1kg (両足) の違いはザックの重さ 5kg に相当すると言われているから、 僅かでも靴が軽い方が やはり登山自体が軽快になるのである。

ところで、 現在まで大活躍してくれたこのラーサも寿命が近く、 ソールはツルツルになりかけている。
一応ソール貼り替えがきくようなので、 購入した店 (山手線大塚の山幸) へ持って行って貼り替えてもらおうと思いながら ズルズル1年ほど経過してしまい、 そうしているうちに今度 はサイドの皮の上に重ね縫いしてある プロテクト用 ? の皮の糸が切れて、 その皮がはがれかかってしまうようになって、 もはやこれまでかという状態になりつつある。
しかし、 足入れの部分は全く問題がないので、 ダメもとで修理依頼をしてみようと思っている。

なぜなら、長年履いた、そして履き慣れた靴はやはりそう簡単に捨ててしまうのはもったいないし、新しい靴を買っても、 足にぴったりフィットさせるまでには それなりに時間を要するからである。

話がそれてしまったが、 このカタログで購入したものの中で、 今でも頑張っているのが イワタニプリムス製のガスバーナーセット (TRIO 2243) である。

これは鍋、フライパン、ケトル、ガスバーナーのセットになっていて、鍋の中に小さなケトルがすっぽり仕舞えるようになっており、 さらにそのケトルの中には ガスバーナーがケースとともに入れられるようになっていて、 フライパンが鍋のフタの役目を果たすようになっているものである。

つまり、鍋1つの大きさの中に、ガスのカートリッジ以外の道具は全て入っており、持ち運びに大変便利なセットなのである。

これは、1人のテント泊の場合大変便利で、今年の夏にも出動願った次第であり、またテント泊以外でも、 ケトルとガスバーナーのセットだけを持って行けば、 山でお湯を沸かしてカップ麺を食べるのに大変便利である。

そうそう、湯を沸かすと言えば、MARKILLの1.5リッター水筒もこのカタログを参考に選んだもので、 購入以来9年間、 表面はかなり凸凹になっているものの、 口金のゴムを1回替えただけで頑張ってくれている。
これも 穴が空くとかいったような余程の問題が起きない限りは、 これからもずっと使い続けることになろう。

と、 古いカタログを久々に眺め返して暫しの間楽しんだのであるが、 先にも述べたように、 一通り道具を揃えてからも結構人の持っている道具が気になって、 家に帰ってからカタログを見て 製品名を調べてみたりすることが多かった。

しかし、 この頃は人の道具が全くと言っていいほど気にならなくなっている。 これは何故であろうか。

他人の登山道具に興味がなくなったと言えばウソになるが、当時は登山を始めたばかりのため、他人に引けを取ってはならじと、 登山技術よりも 登山のスタイルというか格好ばかりを気にしていた感がある。

そのうちに、登山の面白みと奥の深さが分かるに連れて、格好よりも機能のことを考えるようになり、自分が便利だと思えば 何でも良いという境地に達した (いや、 達しつつある) ということなのであろう。

しかし、 いくら何でも良いからといって手入れを怠っていると大変なことになる。
この間、 唐松尾山・笠取山に出かけた時、 登山口に着いて時計を見ると、 何と時計のデジタル部分が HELP という文字を点滅しているではないか。

すぐさま電池切れであることを理解したのだが、時計が使えなくなっては大変だと、一瞬真っ青 (少々大げさ) になった。

幸い長針・短針のアナログ表示部分は動いてくれており、いつ止まるかと気が気ではなかったものの、どうにかその日1日 問題なく使用できて事なきを得た。

本当に、 山に入ってから時計が止まったりした場合、 ロングランの縦走の時は大きな問題である。
普段の手入れ、 いざという時の準備の重要さを痛感した出来事であった。

ちなみに、私の時計はカシオの733 AW-330 という機種で、一応、山の高度測定、気圧測定、ストップウォッチ、目覚まし、日付・時間表示 等をデジタル部分に表示できるとともに、 アナログでも時間を示すことができるものなのである。

取扱説明書では電池寿命2年と謳っているのに、5年間も電池を替えていなかったのだから、これは怠慢と言われても仕方がないのであるが、 これが2、3日の縦走の初日だったりしたらと思うと ゾッとする。

皆さんも、 登山道具の普段の手入れ、 また電池寿命のチェックはこまめに行いましょう。


南大菩薩連嶺にリーチ  1998.12.05 記

一昨日の寒さはついに雨を雪に変え、私の住む横浜市瀬谷区にもうっすらと雪が積もった位であるから、標高の高い山々は 完全に雪化粧を施された状態になった。

通勤途中に丹沢方面を眺めると、大山も白くなっており、それも完全に真っ白となっていないだけに返って山のヒダをクッキリとさせ、 なかなかの男前 ? である。

そして、その右側に壁のように連なる塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳などの山々は、大山より奥山であるだけに雪の量も多いのか、 白い部分の度合いが大きく、 頂上付近に雲を従えた姿は アルプス連峰を 遠くから眺めているような錯覚を覚えさせる。

以前にも述べたように、雪化粧とはよく言ったものである。 化粧を施すことで、1,600m程の高さしかない丹沢山塊も、 2,000m級、 3,000m級の山に生まれ変わったように見える。 こいつは登るのが楽しみだ。

といいながらも現在私は風邪気味で咳が出ており、腹にも膨満感があって、とてもこの土日の山行は無理という状態である。
山は逃げないから、 またの機会とあきらめられるのだが、 このように山に雪が降ってしまうと少々残念なことがある。

それは、今登りたいと思っている山が難しくなりそうだからである。
「山の雑記帳:唐松尾山・笠取山のご案内」 にて述べたように、 今興味がある登山コースは、 奥多摩の丹波山村から後山林道を進み、 そこから三条ノ湯、 三条ダルミを経て雲取山に登り、 一旦、三条ダルミまで戻ってから今度は飛竜山を目指し、 飛竜山登頂後、 三条ノ湯、 後山林道へと戻るというものである。

先般、この後山林道が心配だと書いたら、普通車でも問題ないというメールをくれた方がおり、それならとこの土日、 あるいは次の土日に行くことを考えていた矢先の雪であった。
恐らく、 この雪では林道を車で通るのは難しくなるであろうし、 また尾根の雪もどの程度か分からない状況では、 途端に気持ちが萎えてしまう。

丹沢のように何回も足を運んで、それなりに道を覚えている山ならともかく、全く初めてのルートで、しかも雪が降った後というのでは、 単独で登る私にはちょっと荷が重い。

この後暫く晴天が続き、その間に山に雪が降らない状態であればトライしても良いのであるが、 やはりこのルートは来春までお預け というところだろうか ?

しかし、こうなるといつも行き当たりばったりで、登山日直前に登る山を決めることが多い私としては、登るべき山のストックが ますますなくなってしまうことになるのだが、 今般ネタを少々仕入れてきたので、 チョット安心している。

実は、先般久々に唐松尾山・笠取山に登ってみて、奥秩父の山の良さを見直した次第であり、 それではと、山と渓谷社のアルペンガイド 「奥多摩・奥秩父・大菩薩」 を買ってしまったのである。

無論、1988年に同社より出された 「奥秩父・大菩薩峠」 は持っているのだが、如何せん古く、 その古いガイドブックに頼り切るのは あらゆる面で危険ということで、 新たに購入したものである。

新たに買ったこのガイドブックも、登山を始めた当時なら夢中になって読んで 色々なルートを調べたのであろうが、 今はそれ程情熱が湧かなくなっており、 そのことに一抹の寂しさを覚えつつページをめくっていったところ、 目に付いたのが滝子山、 南大菩薩連嶺である。

昔、大菩薩嶺の登山口である裂石から上日川峠まで登り、そこから大菩薩峠の方には行かずに、 小金沢連嶺を縦走したことがあったが、 そのルートの南側、 大谷ガ丸や滝子山などの山々はまだ登っていなかったのであった。

このごろ、肉体的にややハードなコースを求めていることもあり、初雁駅あるいは甲斐大和駅から滝子山に登り、 その北側にある大谷ガ丸、 破魔射場丸、 大蔵高丸などの山々を通って湯ノ沢峠まで至り、 そこから下山するコースをとろうかと思っている。

但し、この湯ノ沢峠には、先に述べた小金沢連嶺を縦走して湯ノ沢峠に至った際、峠から下る山道が全く分からずに林道を歩かざるを得なくなり、 かなりの遠回りをさせられた イヤな思い出があるのだが、 今回はどうであろう。
天候が良ければ、 今年中に登ってしまいたいと思っている。

ところで、この南大菩薩連嶺を調べるために地図を眺めていたところ、小金沢連嶺の縦走路途中にある黒岳の東に 雁ヶ腹摺山があることに気がついた。
そういえば、 今までこの雁ヶ腹摺山がどこの位置にあるのか分からないまま登っていた訳で、 大菩薩嶺 小金沢連嶺は中央本線の塩山駅、 雁ヶ腹摺山はそれよりかなり手前の大月駅が最寄りの駅であることから、 私の頭の中では全く別個の山域となっていたのであった。

それがこうして1つに繋がると俄然面白くなってくるもので、以前のように裂石 − 上日川峠から小金沢連嶺を縦走し、 黒岳から途中大峠を経て雁ヶ腹摺山に登り返し、 金山鉱泉へと下山するということも考えられ、 色々なルートに夢が膨らむようになる。

以前、丹沢山塊を登り続けていた時もそうだったが、1つの山域に的を絞って色々なルートを辿るのも、登山の楽しみ方の1つとして なかなか面白い。
百名山の場合、 ほとんどが1回きりの山行で終わってしまい、 その山の良さを十分に把握しきれていないのでは ? と時々感じることがあることから、 私が百名山のオフシーズンと勝手に称している この冬から春までの季節は、 1つの山域を徹底的に登ってみるのも面白いかもしれない。

ということで、とにかく南大菩薩連嶺にリーチを掛けるのだが、これも山の雪次第かも・・・ ?


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