嬉しいことに、先週 (3月29日) の十二ヶ岳・鬼ヶ岳に引き続き、 今週も山に行けることになった。
急遽 時間ができたものだが、そのため行き先をどうしようかと迷い、結局 先週富士山の姿をよく見ることができなかった悔しさもあって、 再び富士山周辺の山に登ることにした。
行き先は、先週の十二ヶ岳・鬼ヶ岳の東方、河口湖の北に連なる黒岳、御坂山である。当日は快晴が予想されたことから、少し早く出発しようと思っていたのだが、 普段の不摂生 (インターネット利用などで夜更かしが多い) のためなかなか寝床から起きられず、 結局 車で家を出発したのが 6時と、前回の十二ヶ岳・鬼ヶ岳の時よりも 20分も遅いというテイタラクであった。
道順は、途中まで十二ヶ岳・鬼ヶ岳と全く同じで、河口湖湖畔まで行って最後に西湖の方へと左折する所から逆方向の右に進路を取り、 河口湖の北岸を回るように進むことになる。
やがて目的地である大石に着いたが、どこから山の方へ入っていくのか分からず、 後ろに続く車に促されるようにそのまま通り過ぎてしまい、御坂トンネル、三ツ峠登山口の方へと進んでしまった。
実は、大石に駐車できるスペースが確保できるかどうか分からなかったこともあり、それなら三ツ峠登山口の方から登るのも手かなという気が少しあったからであるが、 しかし、そのルートも後で車に戻る時の交通の便や車道を登らねばならない億劫さが思い浮かび、結局 もう一度トライしてみようと途中で Uターンすることにした。
逆方向から大石へ向かったことにより、大石工芸所入口 (だったと思う) という標識がある所から斜め右に入る道が見つかり、 どうにか新道峠への道へと入ることができた。
細いが舗装された道を暫く進んでいくと、やがて別荘が立ち並ぶ場所へと出たので、道はさらに先まで進んでいたもののあまり上まで登っても面白くないと思い、 適当な空き地を見つけて車を停めた。歩き始めたのが 8時40分、斜面にゲタを履かせて作った別荘地が左側に多く立ち並ぶ中を登っていくと、 やがて道路は未舗装に変わるとともに、別荘を建てようとして途中で止めたのか、赤い鉄骨のゲタがだけが建ち並ぶようになり、 やがてそれも見られなくなって完全な林道歩きとなった。
出発してから約 30分ばかり登っていくと、林道脇に 1台 4WD車が止まっていて、その横に御坂山塊の地図が書かれた大きな看板がある場所に着いた。
看板を見ると、現在地から新道峠まで 1時間、新道峠から黒岳まで 50分と書かれており、 看板脇から新道峠への登山道がつけられていた。
林道を離れて登山道に入りやや暗い杉林の中を登っていくと、やがて明るい南斜面に道は回り込むようになり、 斜面にジグザグに切られた道を登って高度を稼ぐに連れ、樹林の間から富士山が見えるようになった。
今日の富士山は先週とは違ってハッキリ見えていたが、朝のテイタラクにより登り始めた時間が遅くなったため、 太陽がかなり上にまで昇っていて逆光になりつつあり、写真を撮るという意味ではあまり良いコンディションではなかった。ジグザグの登山道も結構手強く、道はしっかり踏まれていて雪など全くなかったものの、 かなり息を上げさせられることになり、ここでも日常の不摂生と体力不足が影響してきているようであった。
杉の林から松林へと変わり、さらに木々もまばらになってくると、やがて上方に青空が見え、ヒョイと新道峠に飛び出すことができたが、 そこには右が目指す黒岳、左が大石峠という標識が出ていた。
峠からの景色は素晴らしく、目の前に河口湖が拡がり、その右横に先週とは比べものにならない位にクッキリとした姿の富士山がどっしりと腰を据えていた。
右への登りは比較的緩やかであったが、それでも高度は徐々に上がっていき、振り返れば先週登った十二ヶ岳、鬼ヶ岳、節刀ヶ岳の山々が見えるようになり、 さらに素晴らしいことにその右後方には、真っ白な南アルプスの山々が屏風のように連なっているのが見えた。
節刀ヶ岳の右から、聖岳、赤石岳、 悪沢岳、塩見岳、農鳥岳、 間ノ岳、北岳と続いており、 さらにその右手には真っ白な北岳とは好対照に、雪が少なく青い姿のままの甲斐駒ヶ岳がピラミダルな姿を見せていて、 思わず嬉しくなって声を上げてしまった。
今年の夏は是非とも聖岳、光岳を登りたいと思う。さて、道はそのまま緩やかに登っていき、やがて破風山の標識がある場所へと着いた。
ここも見晴らしが良く、やはり河口湖と富士山の眺めが素晴らしかったが、既に完全に逆光となっていたのが残念であった。
破風山を過ぎて道が下りだしてからは、残雪が多くなり、前方の樹林越しに目指す黒岳のズングリとした饅頭のような山容を見ることができるようになった。新道峠を出たのが 9時50分であったから、登山口にあった地図によれば 10時40分には黒岳頂上に着けるはずであったが、 スズラン峠から見た黒岳はその名の通り黒く大きく、とても時間通りに着けそうにないような高さに見えた。
しかも、鞍部からは完全に残雪の斜面の登りとなり、所々雪が凍っていて滑りやすく、予定時間をオーバーすることを覚悟したのだが、 それでも黙々と雪にステップを切って登っていくと、上方の白い雪の先に青空が拡がっているのが見え始め、 意外と呆気なく黒岳頂上に飛び出ることができた。
頂上には誰もおらず、時計を見ると 10時35分であった。小広い頂上は完全に雪に覆われており、あるはずの一等三角点も雪の中に埋もれていたが、 例の 「山梨百名山」 の標識の他、 黒岳と書かれた大きな標識が 2つほど立っていて、結構賑やかであった。
展望の方は樹林に囲まれていてほとんど得られず、わずかに木々が比較的少ない南方面に富士山が見えるだけであったが、 それとても木々が葉をつけてしまえば展望は得られないに違いない。
しかし、黒岳には、その富士山に向かって 5分程下ると岩場があって、そこからは富士山、 河口湖は無論のこと、十二ヶ岳や鬼ヶ岳、そして南アルプスの山々が拡がる大展望を得ることができるので、 昼食をとるには、この岩場が絶好であろう。岩場で暫し展望を楽しんだ後、黒岳頂上へと戻り、 頂上にある廃屋の裏手を通って御坂峠目指して下り始めたが、 雪の斜面の下りは登りと違ってスピードがつき (足スキーのようになる)、かなりの速さで下ることができた。
雪もなくなり明るい日差しの中の日溜まりハイクとなって、所々に溝を掘ったような場所が現れ出すと、 やがてブロック造りのトイレが登山道脇に現れ、次に天神様を祀った祠を過ぎると人々が憩う御坂峠であった。
峠には、かつてここにあったという御坂城についての解説があったが、やはり先ほど溝のように見えたのは城の (空) 堀の一部だったのかもしれない。峠からは再び登りとなり、やがて樹林を抜けて見晴らしの良い場所にでたものの、 目の前に高圧送電線の鉄塔があって、富士山や黒岳を振り返るには邪魔な上、無粋であることこの上なく、 便利さと自然保護の線引きの難しさを感じさせられた (三ツ峠山方面はよく見えた)。
やがて着いた御坂山は樹林に囲まれた展望のない静かな所で、これといった特徴もなく、 標識がなければ通り過ぎてしまうような場所であり、この辺一帯を御坂山塊と呼ぶことから、 その名を冠する山に密かに期待をしていたのであるが、やや拍子抜けさせられた。御坂山からはひたすら下り、やがて右・天下茶屋、 まっすぐ・清八峠の標識がある場所へと着いたので、天下茶屋方面に下ることとし、 丸太の土止めで階段状になった道を下って、太宰治の 「富士には月見草がよく似合ふ」 という、 その著書 「富嶽百景」 からとった一節が書かれた碑を左に見ると、 すぐに天下茶屋の前に飛び出した。
ここも富士山の好展望台で、カメラを構えた人たちが何人か見受けられたが、 この天下茶屋と太宰治との関係は 「富嶽百景」 に詳しく書かれていると聞くものの、 残念ながら私は読んでいない。天下茶屋からは立派な車道を延々と下り、途中三ツ峠登山口を過ぎて、御坂トンネル前まで行き、 トンネル手前の三ツ峠口バス停で 20分ほど待って、甲府発の 13時52分河口湖駅経由富士吉田行きのバスに乗った。
河口湖駅からはタクシーにて今朝ほどの大石にある別荘地まで戻ったが、金をかけた割には先日の十二ヶ岳に比べて肉体的にも精神的にも、 ややモノ足りなさを覚える山行であったと言える (バス代:460円、タクシー代:2,810円)。
後になって思えば、逆の方から登り、新道峠から下りずに大石峠、節刀ヶ岳と進んで、十二ヶ岳経由あるいは鬼ヶ岳経由にて下りると面白かったのかも知れない。
但し、その場合だと、登った後、車の所まで戻るのに大変な時間と交通費がかかるのだが・・・。
上記登山のデータ 登山日:1998.4.4 天候:快晴 単独行 日帰り 登山路:大石別荘地−新道峠登山口−新道峠−破風山−スズラン峠− 黒岳−御坂峠−御坂山−天下茶屋分岐−太宰治の碑−天下茶屋−三ツ峠登山口−三ツ峠口 交通往路:瀬谷−八王子IC−(中央自動車道)−河口湖IC−河口湖−大石−大石別荘地(車にて) 交通復路:三ツ峠口−(バス)−河口湖駅−(タクシー)−大石別荘地−河口湖−河口湖IC−(中央自動車道)−八王子IC−瀬谷(車にて)