天神様 特集 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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![]() 恵比寿や大黒と並んで、日本人にとって最も身近な神は天神様だろう。もともと、天神信仰は平安時代に菅原道真公を怨霊神として祀ったことが始まりだが、学徳に優れた公は、後の時代になって学芸の神としても崇敬を集めるようになる(千葉07)。江戸時代には寺子屋での手習いの上達を願い―今も正月二日の書初めは天神様の前で行う地域もある―現代では受験の合格を祈願して、全国津々浦々にある天満宮、天神社には多くの参拝客が訪れる。参拝客の増加に伴って授与品や土産物としての天神人形が各地に生まれる。さらに天神人形が節句人形として求められるようになって種類が増え、最盛期には千を超すともいわれた。天神人形はこれまでも各県ごとに紹介してきたが、それ他のものを中心に、改めて特集を組んでみた。もっとも、これとて世に数多ある天神人形のほんの一部に過ぎないだろうが。左より大阪土天神、柏の下総土天神(千葉県)、石焼人形(京都市)、弘前の下川原人形(青森県)、玖珠の赤兵子天神(大分県)。高さ4〜7.5p。(H30.8.12)
![]() 青森張子(青森17-18)には伝統にとらわれない自由な発想があって、いつ見ても飽きない。この座天神も衣装には定番の梅鉢紋のほか“松に鶴”が描かれ、背景には桜花の小枝があしらわれている。同じ作者が手捻りで作った土の天神様(青森15)も天真爛漫である。高さ25p。(H30.8.12)
![]() 比較的大きなものが多い鶴岡瓦人形(山形21-23)のなかでは小ぶりである。表情にも厳めしさがなく全体が可愛らしいところなど、八橋の小さな天神人形(秋田03)に通じるものがある。くすんだ丹朱、緑、黄色の色使いと、振るとカラカラ音がするのが鶴岡瓦人形の特徴である。高さ12p。(H30.8.12)
![]() 米沢の相良家で今も作られている土人形(山形12-13)。右の“天神抱き”は、伊達騒動に題材をとった歌舞伎「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の舞台で、乳母である政岡が幼い主君の鶴千代を抱いて登場する場面(山形25)をアレンジしたものという。高さ18p。(H30.8.12)
![]() 三春の天神人形では“牛乗り天神”(福島12)が卓越しているが、このように端正な座天神や立ち天神も作られている。座天神は内裏雛の男雛(雛30)によく似ていて、一見区別し難いが、衣に梅鉢紋や三蓋松の意匠が描かれたほうが天神人形である。梅は道真が愛でた紅梅が公を慕って太宰府まで飛んできたという飛梅伝説に因むもの。いっぽう、松は神の依り代(神が宿る対象)と見做されるもので、背後に松を負った三次人形の“松負い天神”(広島11)は有名である。中央の座天神22p。(H30.8.12)
![]() 学問の盛んな会津地方は、天神信仰の厚い地域でもある。また、桃の節句にはお雛様のほか、男の子には天神人形を飾る習わしがあり、これを“雛天神”と呼んでいる。春先になると、ガラスケースに納められた大きな会津天神(福島13)が人形屋の店先に何体も並ぶ様は壮観であった。写真は左から中湯川人形(福島22-23)の土天神、天神こけし、会津天神。大型の会津天神は頭が練り物、胴体が張子なのに対し、この小さな天神では全部が練り物である。高さ13p。(H30.8.12)
![]() 受験シーズンともなると、全国の天満宮には合格を願ってたくさんの天神絵馬が納められる。それらの絵馬のほとんどはシルクスクリーンで印刷した量産品だが、写真の絵馬は伝統ある付け木絵馬(東京37)の作者が一枚一枚手描きしたものである。絵馬の絵柄はほかに病気平癒、安産子育、願掛成就、商売繁盛など多彩。私が宿場町の面影が残る北千住に絵馬屋を訪ねたのは大分前のこと。看板には「絵馬、地口行燈*(じぐちあんどん)、のぼり」とあり、なかで老婦人が一人黙々と絵筆を揮っていたのが印象に残っている。関東一円に広い販路をもっているらしく、同じ手によると思われる絵馬をいたる所で目にした(東京17、埼玉18、表紙17、表紙42)。高さ16p。(H30.8.12) *「地口」とはことわざや成句に語呂を合わせで言うしゃれ。“扇にうちわ(大きなお世話)”の類。「地口行燈」は灯籠に地口と絵を描いたもので、祭礼などに路傍に立てた。
![]() 天神様は牛との縁がたいへん深く(牛08)、牛乗り天神も各地にみられる(秋田01・03、宮城03、栃木05、埼玉06など)。この牛乗り天神の原型はやはり伏見人形である。江戸張子にはこのほか硯持ち天神(東京30)という珍しい型もあるが、こちらは趣味家を対象に昭和58年ごろ新しく創作されたものである。高さ16p
![]() これは郷土玩具とは言えないが、その土地の風物に深く根差したものなので紹介する。天神様の命日である2月25日前後に、その遺徳を偲ぶ「天神講」が全国各地で催される。天神像を飾り、お神酒や菓子や餅を供え、天神経を読んだり公の講話を聴いたりしたのち会食するもので、もともと江戸時代の寺子屋から始まった。長岡や燕の天神講では色とりどりに絵付けした砂糖菓子「金花糖」をお供えする。鯛、七福神、だるまなどに交じって、もちろん天神像もある。写真の金花糖は2011年の天神講で購入したもので、鮮やかな色はすっかり褪せてしまった。高さ12p。(H30.8.25)
![]() 現在の富山、石川両県は加賀藩とその支藩が治めたところで、藩主・前田家が菅原道真を祖としたことから、天神信仰の熱い土地柄である。今でも正月には天神画像や天神像を飾って天神講を祝う風習がみられる。また、富山市の於保多神社には「ウソ替え」の神事も残っている(表紙03)。“ウソが替えられてマコトになる”の洒落に由来するもので、道真公が九州に配流される途上、ウソが飛んできて蜂を退治し公をお助けした伝説に基づき、太宰府天満宮で始められた。左の高さ12p。(H30.8.25)
![]() 高岡でも正月の床の間に白木造りの天神堂と木彫の天神像を飾る風習がある。天神堂はミニチュアとはいえ檜皮葺き屋根の凝った造りで、右大臣や左大臣、灯籠や鳥居まで並べられることもある。また、中に飾られる天神像にもきめ細かい細工と彩色が施されている。天神堂や木彫天神は代々指物師や仏師の副業であったが、最近では作る人も居なくなって、天神飾りも掛け軸の天神画像が主流となりつつあるという。獅子頭(獅子03)のようにぜひ復活を望みたい。高さ12p。(H30.8.25)
![]() 山梨県を代表する郷土玩具といえば、端午の節句に飾るかなかんぶつ(山梨02)、白だるまや親子だるまが有名な甲州だるま(山梨05)があり、いずれも張子製である。写真は名人といわれた武井忠次郎による張子の座天神。ずんぐりむっくりした天神様はユーモラスで親しみやすいのに対し、木製の二重台は不釣り合いなほど立派である。高さ21p。(H30.8.25)
![]() 中野には対照的な2系統の土人形、伏見系(京都府)の中野人形と三河系(愛知県)の立ヶ花人形がある。立ヶ花人形は明治35年ごろまで瓦の製造をしていた初代が、愛知三河の瓦職人の指導を受け、冬季の副業として作り始めた。中野人形(長野06)が小型なのに対し、立ヶ花人形は歌舞伎の登場人物を題材にした大型の人形が多く、なかには高さ50pを超えるものもある。この座天神も量感あふれる作品で、衣装に多少の補修はあるものの、面相はさすがの筆使いである。高さ22p。(H30.8.25)
![]() 白面に美髯、目元にはうっすらと紅をさし、いかにも貴公子然とした天神様である。全体に丸みを帯びた優しい姿も女性の手になるものらしい。明治時代より受け継がれてきた木型は戦災で全て失われたが、先代(やはり女性)がひとつひとつ復活して今に至っている。ほかに浜松張子では“転がしもの”(兎10、狸07)や“車乗り”(静岡20、象05)と呼ばれる車輪の付いた玩具が有名である。高さ15p。(H30.8.25)
![]() 名古屋土人形にはとりわけ天神の種類が多く、その数40〜50はあったという。この威風堂々とした座天神は形や色使い、描彩ともオーソドックスで、見たところ面白みに欠けるかもしれないが、その安定感が特徴ともいえる。ここでは全体に薄く掛けられたニス*の照り(光沢)も人形の品位を損なうものではない。高さ26p。 *色落ちや汚れを防ぐための透明な上塗り剤。ニス掛けは三河や尾張(愛知県)、遠州(静岡18)の土人形によく見かける。新潟県の大浜人形(新潟10)も起源は愛知三河である。(H30.8.25)
![]() 岐阜県との県境、尾西市で制作されていた座天神。作者は美江寺の蚕鈴や釜鈴(岐阜01)なども手掛けていた。赤、青、黄、緑の原色や金銀をふんだんに使った華麗な色使いが、何といっても越土人形の特徴であろう。大きく見開いた目も印象的である(雛31)。高さ15p。(H30.8.25)
![]() 小幡人形(東近江市五個荘)には京都の伏見人形に倣った型が多い(牛01、馬02)。大小合わせて19種類ある天神人形も然りで、この座天神も“伏見の豆天神”(京都25)の類型といえる。いっぽう、立ち天神のほうは昭和30年代に創作されたもので、顔立ちは伏見人形より引き締まり、笏(しゃく)の代わりに梅の枝を持つ。狩衣の色を黒、青、赤、黄、緑の五色に塗り分けた五色天神として売り出され、五穀豊穣を願う農家に好評だったという。立ち天神の高さ17cm。(H30.8.25)
![]() 桜井市初瀬の長谷寺門前で参拝土産として売られたので、初瀬土人形ともいう(奈良10)。むかしから土質がもろく色落ちもしやすいことから、“べと人形”と呼ばれていた。最近作の天神人形(奈良11)と異なり、顔も梅鉢紋も平緒もここでは無造作に点だけで済ませている。稚拙で、より出雲人形らしい趣がある。高さ12p。(H30.8.25)
![]() 鳥取県境の山深い地で作られていた土人形。江戸末期、瓦職人が京で伏見人形を求め、見聞きした技法で始めたものという。内裏雛、八重垣姫、熊金、鯛恵比寿など伏見人形から型抜きしたと思われる人形が多いが、彩色はより明るい。高さ14p。(H30.8.25)
![]() 総じて東日本の天神(秋田03、宮城03、新潟09-10、千葉08など)が柔和で親しみやすいのに対し、西日本、とりわけ道真公の配流先だった九州にはこのような端正で威厳のある天神が多いようである(佐賀05-06、宮崎03、鹿児島12など)。古博多人形(左)の高さ21p。(H30.8.25)
![]() 堂入り天神ともいう。文字通り天神様を祠堂にお祀りしたものである。小さな土天神をお堂に入れて遊ぶ松江のお宮(島根02)も堂内天神の一種と言ってよいだろう。左の三体はいずれも土製で、米沢の相良人形(山形県)、鳥取土人形、弘前の下川原人形(青森県)。ここでは天神の姿はごく簡単に描かれるのみである。右端は天神ノ森天満宮(大阪市)から以前頒布されていた堂内天神。お堂は厚紙でできており、中の天神像は木彫彩色と手が込んでいる。高さ5p。(H30.8.25) |
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