草 枕 2023
Wandering in 2023
周防灘
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伊美港 |
同級生
1月31日、実家の写真を整理していたら、中学3年の夏休みに同級生4人と撮った写真を見つけた。宇佐八幡までサイクリングした時のもので、半袖短パンで麦わら帽子をかぶったYさんが写っている。彼は今ブラジルに住んでいて、10年前に来日した折には会えなかったが、電話の声を聞くことはできた。
電話番号もメールアドレスも分からないが、住所だけは聞いていたので、この写真を添えて手紙を書いた。無事に届くだろうか。
2月11日、久しぶりに帰郷した同級生のI君を囲んで懇談。短い時間だったが、会う前にはあったお互いの空白が消えたような気がした。翌日、旧友のKK氏から電話あり。ありがたい。
16日、Kさんに駅まで送っていただいて半年ぶりに帰宅する。
薬師寺東塔
2月17日、久しぶりに奈良の薬師寺を訪ねて、解体修理工事を終えた東塔を拝観した。
前回訪れたのは2011年の6月で、大修理着工法要の3日後だった。近くで塔の廂を見上げたときに垂木や組み物の所々がひどく朽ちていたことに驚いた。
今日の東塔は工事用フェンスで囲まれている。4月の落慶法要の準備をしているのだろうか。少し離れたところから見ても随分きれいになっている。白い壁と古材の柱組みが美しい。
南門を出て、秋篠川の支流を歩き、大池から塔を眺めて西ノ京に戻る。
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薬師寺東塔 |
桜三月
3月22日、散歩道の桜が満開になった。いつもの年よりもずいぶん早い。近くの病院で昨年の人間ドックですすめられた中間健診を受けた。悪いところはないとのこと。良いところもなさそうだが。
26日、朝早く携帯電話が鳴った。ブラジルのYさんからだった。「仕事を終えて家で夕食を食べ、今ビールを飲んでいる。君が1月に出した手紙が今日届いた。住所が変わったので探し当てるまで時間がかかったらしい」と。お互いの近況などを話していたら電話代が気になるほどの時間が経った。そのうち来日するとのことだ。
四月
4月30日、帰省してひと月たって、今日で4月も終わる。朝、母がいなくなった実家で一人分の食事を作る。作る手間は二人分と同じだと知る。
庭の藤と早咲きの躑躅の花が散り、ハコネウツギが咲き始めた。桜もそうだったが、今年は花の咲くのが早く、散るのもまた早い。
「花は散りその色となくながむればむなしき空に春雨ぞ降る」(式子内親王)
「街とその不確かな壁」と「街と、その不確かな壁」
5月13日、村上春樹さんの新刊「街とその不確かな壁」を読んだ。あとがきを読んで、この長編小説は43年前に「文學界」に発表した短編小説「街と、その不確かな壁」を書き直した、あるいは完成させたものだということを知った。物語は面白く、村上さんの世界に引き込まれた。
どう面白いかをうまく表現できないが、「文學界」に掲載された作品を読めば、それを言葉にできるかもしれない。自分にもかかわる少し重たい何かだ。
母の形見枕
6月27日、昨年から時間を見つけて、母が詠んだ歌を少しずつ整理していたが、ようやく200首ほどを歌集としてまとめた。女学校や独身時代に作った歌もあるようだが、生前、これらのノートは日記と一緒に焼いてほしいと言っていたので、見ていない。
載せたのは、40代から参加した短歌会での詠草や、短歌雑誌に掲載されたものなど、発表した歌に限ったから、たぶん母から文句は言われないだろう。
「吾が嫁してきびしき生活(くらし)の二十年いまはじめての鏡台買へり」(1971年)20代、30代の歌は一つもなかった。
人間ドック
7月10日、人間ドックを受診した。この数年の運動不足が気になってはいたが、今回は再検査はなかった。「未病」ということだと思うことにした。
受診メンバーに元の会社の同僚がいて、検査の合間に互いの近況報告をした。お元気そうでと言いながら受診するのも変だなと思いながら、楽しく話せた。
15日、実家に戻る。
16日、地区の一斉清掃に参加。旧千燈寺の駐車場の草を刈る。
17日、7年間使っていたNTTのADSL回線を解約したので、レンタルのモバイルWifiを使う。ADSLよりも速い。黒電話も返上しなければ。
20日、杵築へ。勘定場の坂から武家屋敷跡を歩いて、能見邸で庭を眺めながらコーヒーを飲む。また来たいなと思った。
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杵築市武家屋敷 |
魔女の一撃
7月26日、準備した相続登記書類を大分地方法務局でチェックしてもらう。問題なさそうだ。
28日、家周りの草刈りの後、網戸の張り替え中に腰に電流が走った。ようやく立ち上がったが、これまでに経験したことのない痛みだ。ぎっくり腰というやつだろう。
思えば数日前に30㎏の米袋を持ち上げて小分けにしたり、石の法名塔を運んだりして腰に迷惑をかけていた。痛みもあるが、精神的なショックのほうが大きい。もう若くはないのだ。
8月3日、出来の悪いロボットのような歩き方をしているうちに、腰の痛みが薄れた。
杵築法務局で登記完了証を受け取り、相続登記がやっと終わった。城に登って八坂川と杵築湾を眺める。
4日午後、1年ぶりに友人のTさん宅に伺い、2時間ほど歓談した。
12日、初盆法要。
21日、朝早く起きて帰宅準備。今回もKさんに送っていただき、5年間過ごした実家を後にする。
再開
8月22日、今日から自宅での生活に戻ったが、以前と全く同じというわけではない。街の風景も所々変わっていて、世間は5年前とは違って見える。
とりあえず次の生活が始まった。
花火
9月3日、税・保険・健康・家計などの書類を整理して、大部分はリサイクルに出した。絵画展や寺巡りのパンフレット、書信などは整頓するだけで終わったが、これは捨てなくてもいい。
24日、朝夕は過ごしやすくなった。夕方、長男家族と多摩川の花火を見に行く。前に見たのはいつだったか、思い出せないほど前のことだ。見に来ていた大勢の人と同じように、良かったなあと高揚した気分で帰宅した。
30日、来年の日記を買う。バイブル判の手帳にファイルする形式のもので、長年使っている。日記をつけるのはその日を完結させる為で、書くことで忘れることもできる。
山座同定
10月6日、朝はきれいに晴れて家から遠くの山並みが見える。西の丹沢山地の山は見ればわかるが、北西方向の山は特定できないので、国土地理院の地図とGoogle
Earthを使って調べてみた。スマホアプリを使えばディスプレイに山名が表示されるらしいが、地図とコンパスで山を見つける楽しさもある。
46座が特定できた。写真左の高層ビルに接しているのが丹沢の最高峰蛭ケ岳で、左へ丹沢山、塔ノ岳と続く。塔ノ岳越しに冠雪した富士山頂がわずかに見える。右端には東京の最高峰雲取山、三峰山などがあり、その左手前の高尾山を挟んで遠くに山梨の国師ケ岳、金峰山、なだらかな大菩薩嶺が広がっている。
中央遠くに見える小さな鋭角の山は、南アルプスの甲斐駒ケ岳か!と思ったら、その手前の大菩薩嶺最南峰の滝子山だった。
雲取山の向こう200kmに北アルプスの白馬山、九州の実家が富士山頂の延長線上750㎞にあることも知った。当然だが、どちらもここからは見えない。
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夏と冬の間
11月8日、まだ夏の終わりのような天気が続いているが、朝は窓を開けると冷気が入ってくるようになった。夜明けはずいぶん遅くなって、今朝は6時を少し過ぎていた。
今年の秋は短かそうだ。
小田急江ノ島線に沿って隣の大和市の「泉の森」まで歩く。昼夜を問わず轟音を響かせていた米軍の艦載機が岩国基地に移転したため、5年ぶりに訪れた厚木基地は驚くほど静かになっていた。
草柳広場には、かつて戦闘機目当てに集まっていた大勢のカメラマンの姿はなく、ときおり海上自衛隊の哨戒機が控えめの音で離着陸していた。
横浜港辺りからの日の出 |
横浜水道みち散歩
11月14日、家の近くを通っている「水道みち」を水源方向に歩く。「水道みち」は相模川上流の取水口から横浜の野毛山配水池まで43キロ続く大口径の水道菅の上に敷設された緑道で、1887年に開通した。136年後の今でも横浜市民のライフラインだ。
相模原公園を通って、田園風景が残っている上溝南高校まで往復20キロほどをのんびり歩く。空気もようやく秋らしくなった。
相模原公園 |
都内散歩
11月22日、田園都市線で東京へ。表参道で千代田線に乗り換えて、乃木坂の新国立美術館で開催されている日展を見る。
7年ぶりに見たので当然なのだが、日本画、洋画とも世代交代が進んで、作風も変わっていた。写実に徹した作品がかなり増えているのも気になった。写実のその先が見えにくいようで、少し息苦しさを感じた。
彫刻では、大分県出身で中津の福沢諭吉像や別府の油屋熊八像などの作者、辻畑隆子さんの作品を探したが見つからなかった。大分合同新聞のエッセイはまだ続いているのだろうか。
乃木坂から国会議事堂前で乗り換えて南北線で本駒込へ。目当てのパン店「オリムピック」は休業中だった。隣の店「魚くに」で昼食。団子坂を下り根津から不忍池に出て、アメ横を御徒町まで歩く。山手線で渋谷へ。
通勤で20年以上も通った渋谷駅は全く様変わりしていたが、迷路のような複雑さは変わっていない。「東横のれん街」をなんとか探し当て、和菓子屋の最中を買って帰る。
新国立美術館 |
12月10日、今日も長い散歩に出かける。この数年間ゆっくり散歩をすることがなかったので、歩くことが楽しい。246号、八王子街道を通って横浜の瀬谷の海軍道路を歩く。南北3キロの桜並木の両側は畑や雑木林、草原が広がっている。ここは旧日本軍の資材集積施設の跡地で、戦後70年間米軍に接収されていたが、8年前に返還された。とても広くて何もないのがいい。区画整備計画では「観光・にぎわい地区」事業などの再開発が予定されているが、このまま農地や草原として残せないものか。
この夏から、柄谷行人さんの「力と交換様式」(岩波書店)を読んでいる。よく分からないので、参考書が欲しくなり、大澤真幸さんの「資本主義の<その先>へ」(筑摩書房)を読んだが、もっと分からなくなった。
それでも、大澤さんの「個人だけではありません。企業も、金融機関も、そして何より国家が、未来からの借金があり、その借金を返すにあたって、さらなる未来から借金をしています。」「資金の調達先の「未来」を次々と先送りすることを(略)「時間かせぎ」と呼んだわけです。」という言葉には同感できた。
物理法則では不可能でも、資本主義では可能な「時間かせぎ(破局の先延ばし)」のしくみは、いつ、どのように終わるのだろうか。
12月26日、総務省の家計調査によると、今年の2名以上の家庭の消費支出(月平均29万円)の内、食費(同7万7千円)が占める割合は26%になったとのことだ。終戦直後には66%という凄まじい数字だったが、復興と成長を経て、2005年に23%にまで下がった。その後、実質賃金の低下と食品価格の上昇で徐々に増加して、今年は1986年の水準に戻った。戦後辿った道を逆に遡っているかのようだ。
わが家はたぶん30%を超えているだろうが、分母も分子も平均値を下回っていることに何故かほっとした。
12月31日、年末年始を自宅で迎えるのは21年ぶりだ。朝の雨が止み、晴れてきた。町田の境川まで歩く。
河岸で野菜の移動販売をしていたので覗くと、タアサイがあった。元旦の雑煮に入れる高菜の代わりになりそうだ。サツマイモとネギも貰い、親父さんと年末の挨拶を交わして帰る。
最寄り駅近くのピザ店 |