
草 枕 2015
Wandering in 2015
年の初め
- 1月4日、年末に読んだ「地方消滅」(増田寛也編著 中公新書)を読み直す。このままでは近い将来、全国896の市町村が消滅するというセンセーショナルな問題提起を、過疎化が進む故郷の実家で読むと切実さも一入だ。だが結論には違和感が残った。市町村や小中学校統廃合の論理と似た、酷薄なものを感じた。
続けて読んだ「地方消滅の罠」(山下祐介 ちくま新書)は、増田レポートの「集中と選択」の批判を通じて、人口減少と地方の衰退に、より深く、柔軟な姿勢で向き合っていると思った。解決への道は(たぶん)一つではない。
7日、母屋の屋根裏の荒壁が剝れて竹小舞が露出しているところを左官さんに補修していただく。バケツ10杯ほどの壁土を運び上げてようやくきれいになった。昨秋に故障した井戸ポンプも交換。水道との二系統が復活した。夜、隣の友人宅で懇親会。
8日、Mさんと鷲ノ巣岳に登る。風が強く寒いが、広くなだらかな尾根を歩くのは楽しい。出合った鹿が跳ねながら逃げていく。山頂南端からの眺望絶佳。
10日、夜、隣家で再び懇親会。外に出ると星が美しい。
11日、Kさんと中津の羅漢寺へ。帰途椿堂を拝観。
13日、母と餅を2升搗く。餡餅を30ほど、あとは平餅にする。麹蓋3枚に収まる。
14日、東山の墓掃除をする。雨になる前にようやく終了。
16日、穏やかな冬晴れ。地区の新年会に母の代りに参加する。役員改選のあと、懇親会。先輩からいつ故郷に帰ってくるのかと訊かれた。
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鷲ノ巣岳より |
ネガフィルム
- 3年前に実家の古い写真を時間をかけて整理したが、ネガフィルムまでは手が回らなかった。整理する意味があるかどうかと迷いながらフィルムが入った箱を開いたら、1969年1月の同窓会のネガが見つかった。今は亡き恩師と当時18歳の同級生が写っている。フィルムシートには同級生のKさんの名前が書いてあり、彼から借りたままになっていたことを思い出した。遅すぎるけれど、Kさんに伝えた。長い間ありがとうございました。
確定申告
- 1月31日、外を見ると、昨日の雪が屋根や木に消え残っていて、晴れた空の下で眩しい。国税庁のホームページで確定申告書を作成して、昼前にe-Taxで送信する。1月中に提出したのは今年が初めてだ。
終日の予定が半日で済んだので、午後は何もすることがない。リュックを背負って少し遠くまで歩いて、ついでに買い物をする。風が冷たいが、陽射しは暖かい。
久闊
- 2月9日、友人から、元同僚の一時帰国に合わせた懇親会のお誘いがあったが、残念ながら参加できない。今年の懇親会は故郷での新年会なども含めてこれで6度目だが、2度欠席。
故郷とこちらを往き来する身だから、都合がつかないときもあるとはいえ、先輩、友人、親戚など多くの方々に不義理を重ねている。年々負債が増えていくような気分だ。今年は久しくお目にかかれなかった方々に会って、親しくお話ししたい。
ディジタル変換
- 旅行や帰省などの電車の移動時間に、CDから録音した音楽を携帯で時折聴いている。レコード盤にも好きな曲があるので、取り込んでみた。レコードプレーヤーはイコライザーアンプ内蔵だから、ケーブル接続だけで大丈夫だろうと思ったが、再生してみると、音の歪みがひどい。仕方なく、ヘッドフォンアンプを経由させて録音してみたら、それなりに聴ける音になった。
レコードに針を落して聴く音とはかなり違うが、電車の雑音の中で聴くのだから分かりはしない。本当は分かっているけど。
r>g
- フランスの経済学者トマ・ピケティの「21世紀の資本」が売れている。「新・資本論」との呼び声もあり、興味を持った。
氏によれば、現代の先進諸国では、資本収益率(r)が経済成長率(g)を上回り、結果として貧富の格差が拡大しており、この解決のためには累進課税による富の再配分が必要だ、ということ(のよう)だ。
お金を投資して得られる利益率(r)のほうが、労働を基礎にした経済成長率(g)よりも大きいというのは、そうかもしれないが、累進課税が格差是正の処方箋になるのだろうか、というのが私の貧しい読後感だ。
それにしても、年初に読んだ「地方消滅」といい、この本といい、分析の後にすぐ対策が出てくる。「地方消滅」では集中と選択による「地方中核都市構想」、本書では「グローバルな累進課税」の提案が。共に何故か政策的な結論を急いでいるようだ。
最終公演
- 3月3日、会社の先輩から、氏が所属する混声合唱団の公演のご案内をいただいた。これまでに何度か聴かせてもらったが、今度が最後の公演になるという。
案内には、「入社以来趣味として続けてきた混声合唱団の横浜ローゼンコールが、11月22日(日)の第41回定期演奏会をもって45年の活動を終える予定です。指揮者が創設した一代限りの合唱団ですので、余力のあるうちに惜しまれつつ解散したいという団員の総意に基づいて決めました。」とあった。曲目はブラームスの「愛の歌」などで、場所は浜離宮朝日ホールとのことだ。
最終公演の日は偶然にも父の命日でもある。ぜひ聴かせてほしいと返信した。
咲く・ら
- 3月23日、東京と横浜で桜の開花が告げられた。桜とはソメイヨシノのことだ。実生では育たず、接ぎ木で殖やすので、日本中のソメイヨシノは全て一つの木の分身と言ってもいい。一説では、江戸末期に染井村の園芸家が吉野桜という名前で苗を売り出して全国に広がった。桜の中では圧倒的多数を占めるので、民主主義のルールでこの花の開花が桜の開花ということになっているようだ。
ソメイヨシノが嫌いなわけではないが、同じ顔をした大勢の美人というのは少し怖い。古来、和歌に詠われた桜とはヤマザクラのことで、吉野の桜がそうだ。他にも彼岸桜、大島桜、八重桜など、美しい桜があり、開花の時期もまたそれぞれ違う。
「【さくら】咲く・ら(咲く花の代表)の意」(「万葉集事典」講談社文庫)
「春雨に争ひかねてわが屋前(にわ)の櫻の花は咲きそめにけり」(万葉集巻十)
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相模原公園の足柄桜「春めき」 |
花冷え
- 今年は春一番も吹かず、穏やかな春を予感していたが、桜の開花後は冷たい雨の日が多く、8日には雪もちらついた。4月に入っての、友人や会社の元同僚との3度の懇親会は、どの日も花曇りか花冷えだった。
17日、K氏から、恩師入院の知らせがあった。月末にもお見舞いできればと思う。
22日、レコード店でアートブレーキー&ジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」のLPとCDを見つけた。LPはオリジナル盤のせいか、驚くほど高かったので、CDを買う。830円也。家に帰って、隣近所の迷惑にならない音で聴く。おしとやかな音の「モーニン」は少し哀しい。この4月のようだ。
「春愁や草を歩けば草青く」(青木月斗)
麦秋
- 5月28日、4月に帰省した時にはまだ青かった麦が黄金色に変わって、収穫を待っている。休んでいた田圃にも水が張られて、蛙が鳴き始めた。水は東の山を映している。もうすぐ田植だ。
29日、7日から始めた屋根瓦の葺き替えがようやく完了した。夕方、隣のKさん宅で彼が制作した工芸作品を拝見。グラスの彫刻は見たことはあるが、蜻蛉や麦の穂などの作品の出来栄えに驚いた。地元のSさんの竹細工の籠とバッグも見せて貰った。これも職人芸の域に達していて、実に美しい。
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実家の水田 |
時間医学
- 6月10日、NHKラジオで「時間老年学のこころ」というエッセーを聴いた。時間とは何か、人とは何かを考えながら、時間の視点からの医療の必要性を語っていた。番組の講師紹介を聴けば、東京女子医科大名誉教授の大塚邦明さんとのこと。
名前と話し方で、大学の時に同じ下宿の隣の部屋にいた先輩だとわかった。穏やかな秀才で、よく西田幾多郎やソクラテスを読んでいた。彼が医学部を卒業して下宿を出るときに、実習用のメスを記念にくれて、それは今でも大切に持っている。以来会っていない。
さっそく書店で「時間老年学」(ミシマ社)を見つけて読んだ。大塚さんは時間医学とフィールド医学の融合も追究している。
「野に咲く花の生態は、植木鉢からではみえない。それと同じように、健康のあり方や病気の実態は、診療室からはみえていないにちがいない。」(同書)と、ヒマラヤや日本各地を訪れて、実際の生活の場を調査し、その地に即した医療を志している。
今日は、天智天皇が水時計を初めて使ったという、「時の記念日」だ。「時間医学」を知り、時を隔てて先輩の言葉にふれる日になった。
夏至
- 6月20日、ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」(みすず書房)を読む。ナチスの強制収容所に投獄され、奇跡的に生還した心理学者の体験記だ。若い頃から読みたいと思いながら、テーマの重さにためらっていたが、ようやく読んだ。「苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。」みすず書房の本を手にするのは、いつもかなりの勇気がいる。
22日、人間ドックを受診する。体は年齢相応に傷んではいるが、特に問題は(今のところ)ないとのことだった。健康と言えるのか、未病というだけなのか、胸に手を当てて懶惰な日常を省みなければと思いながら、帰宅して安堵のビールを一杯。日没前だけれど、今日は夏至だからいいか。
野アザミ
- 7月5日、今日も雨。散歩道の雑草に交って野アザミが咲いていた。一株を鋭い棘に手こずりながら持ち帰って、ガラスの花瓶に挿す。アザミという花がなぜか好きで、実家のフケ田の雑草を刈ったときに、咲いていた数株を刈り残したりもした。
花瓶のアザミを描いてみた。筒状の花を除いた、蕾や葉、茎の全てを鋭い棘で武装している。葉は平面的でなく、裂けた葉先が上下に向いてその先に固い棘がある。何がお前をそうさせたのかと言いたいほど、防衛的で、他人との接触を全力で拒否している。バラにも棘があるが、花は美しい。アザミは地味なキク科だ。お前に守るべき何があるのかと思いながらも、不思議に気になる花だ。
高尾山
- 7月14日、京王高尾山口で友人のCさんと落ち合い、高尾山に登る。10日から梅雨明けを思わせる晴天が続いて、今日も暑い。ゆっくり歩いて1時間ほどで薬王院に着く。門前の「もみじや」の看板犬が出迎えてくれる。参拝後、麓の蕎麦屋で八王子の地酒「桑の都」を飲みながら楽しく懇談。
帰りに町田のレコード店で、財布の底をはたいて、ショルティ指揮のワグナー「ニーベルングの指輪」全曲を買った。これで当分倹約に努めないといけない。
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高尾山口 高橋家 |
ブル―ムーン
- 7月31日、暑い日が続いている。岩波少年文庫のアーサーランサム全集第11巻「スカラブ号の夏休み」が出たので、早速読んで、登場する少年少女と共にイギリスの湖水地方の世界にしばし遊んだ。
湖水地方や、その北にあるアイラ島はいつか訪ねてみたい。アイラ島はシングル・モルト・ウイスキーの聖地で、ボウモアやラフロイグなどの醸造所がある。村のパブで、地元のおじさん達と一緒にグラスを傾けることができれば何も言うことはない。
今宵の満月は今月二度目の満月で、それをブルームーンと言うらしい。熱さが残る東の空から昇った月はブルーではなく、赤みを帯びていた。ブルームーンというカクテルがある。スミレの色と香りが涼やかで美味い。明日から夏休みだ。
姫島
- 8月6日、正午過ぎのフェリーで姫島に渡る。自転車で島の東端の灯台へ。何度も歩いたことがある島の中央部の道を辿る。坂を上りきったところにあるトンネルを抜けると下り坂になり、やがて海が開ける。灯台に昇ると国東半島は霞み、今日は山口や愛媛は見えない。帰りは南岸の大海を通って、高低差のない快適な海辺の道を走る。
3時20分のフェリーまで時間があるので、19歳の夏に、同級生十数名で一週間ほどお世話になったことがある古庄家を訪ねた。広い屋敷は村指定の有形文化財になっていて、今はどなたも住んでいない。夜遅くまで騒いだりして、当時お一人で家を守っておられた奥様にはかなりご迷惑をかけたに違いないと、今更ながら反省した。もう遅いけれど。
古庄家の菩提寺でもある城山の海岸寺の石段を上った。以前は本堂から見渡せた海が、木々に遮られて見えなかった。先代が防風のためにそうされたのだと、ご住職から伺った。出航10分前に寺を辞した。
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姫島灯台より |
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古庄家の座敷 |
久しぶりの日光
- 9月4日、会社の先輩、同輩諸氏と日光に遊ぶ。中禅寺湖畔の宿で夜が更けるまで飲み、話題は尽きない。翌朝の湖の冷気が宿酔気味の体に心地良い。東照宮に参拝した後、来年の再会を約束して別れる。土産に名物の羊羹を一竿買う。
先月末から続いていた雨模様が、この2日だけ晴天に恵まれ、6日には再び雨になった。やはり日頃の行いは大事だ。本当に。
10日、知多半島に上陸した台風18号の影響で、鬼怒川が氾濫した。先週通ったばかりの土地の災害に驚く。早期復旧を願う。
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華厳の滝 |
スーパームーン
- 9月23日、夏の間ずっと咲いていた百日紅の花が凋んで、キンモクセイが咲き始めた。木陰には水引が目立つようになった。ふっくらとした楕円形の葉と細長い花穂の対比が面白い。夜、村上春樹さんの最新刊「職業としての小説家」を読了。
25日夕方、久しぶりに都心へ。新橋で小学校からの友人のA氏と会う。昔馴染みの通りを少し歩いて、空いている店に入って懇談。昨年の春以来だ。
28日、昨夜は中秋の名月、今宵は月が地球に最接近しての満月で、これをスーパームーンと呼ぶらしい。月見酒といきたいけれど、この夏から、土曜から月曜までを休肝日にし(てしまっ)た。渋茶を飲みながら月を観る。
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28日の月の出 |
干し野菜
- 10月12日、ウェルネル・ケラーの「歴史としての聖書」(山本書店)を読む。30年前に買って本棚に置いたままだったが、ようやく手に取った。旧約・新約聖書に書かれている物語の舞台が、現実の遺跡として発見された経緯がドラマティックに描かれている。紀元前20世紀ごろから始まる旧約聖書の物語を、4000年隔たった今読んでみて、人と民族の運命を考えさせられた。発行者・訳者の山本七平さんは1991年に亡くなった。
13日、玉ねぎ3個を切ってベランダで干す。乾しあがると、甘みと辛さが増して、ウイスキーの良いつまみにもなる。トマト、ナス、ダイコンなど、野菜を干すのにいい季節になった。帰省したら干し柿を作ろう。
再会
- 10月15日、渋谷から山手線で田町へ。3年の海外赴任を終えて帰国した友人と同期の元同僚に会う。二人ともまだ現役で、それを会話の速さで感じた。気持ちの上で追いつくまでに少し時間がかかったが、以前の仲間の関係に戻って楽しく話ができた。
18日、いつの間にか失くしてしまって、ずっと探していたアンドリュー・ワイエス展のカタログを、町田の古書店「高原書店」で見つけた。就職して初めて上京した年の春に、国立近代美術館で観た展覧会の図録だ。巻頭のワイエスのインタビューを読んで、彼が描いたのは「物語」だということを知った。写実の素晴らしさに目を奪われていたが、その奥に物語に通じる扉があったのだ。
帰郷
- 11月18日、昨夜の雨が上がり、関東には珍しく霧がかかっていた。横浜線からの日産スタジアムは輪郭だけが浮かび、新幹線からの大山と富士山は山頂を残して霧に包まれていた。小倉駅の7番ホームで昼食の丸天うどん。
20日、自宅で父の17回忌の法要を行った。16年は早くも遅くもなく過ぎた。千燈寺さんと斎を挟んで懇談、15時に終了した。
22日、文殊仙寺に参拝して、赤根の渓泉で母の米寿を祝う。庭のイチヂクの枝を剪定して古くなった竹の支柱を外す。来年もいい実がなってほしい。
30日、久しぶりにきれいに晴れる。午後母の散歩と通院に付き合い、同級生の運転する車に出遇う。いい日だ。明日から12月。
冬至まで
- 12月4日、ずいぶんご無沙汰していた隣の地区の親戚二軒を訪ね、不義理をお詫びして、しばらく話をする。
6日、母は老人会のイベントで安岐の瑠璃光寺と梅園の里へ。三浦梅園記念館で買った「養生訓」(梅園学会報特別号)を手にして帰宅した。私にも読めという。梅園さんには、学生の頃「玄語」を途中で放り投げてしまった苦い記憶がある。「養生訓」は平易な言葉で書かれているので、なんとか読めそうだ。母が自立した生活を送るために読もうとしたのなら、とてもありがたい。老人会の開催通知によれば、梅園の母はここ千燈出身とのことだが、本当だろうか。
17日、朝7時ごろ、バラバラと大きな音がして霰が降ってきた。霙に変わって屋根に白く積り、時折どさりと滑り落ちる。午後は晴れたので、郵便局で年賀状を出す。挿絵はこの10年ほど陶磁器ばかり書いていたのだが、いよいよ書く器がなくなったので、今年から風景にした。今回は秋の景色で新年らしくないけれど、見過ごしてほしい。
22日、穏やかな冬至。陽射しが明るい。押入れを掃除して蒲団を干す。
大晦日まで
- 12月24日、友人宅を訪ねる。話は尽きず、クリスマス前日の午後の酒もまた格別で、楽しい。またも長居をしてしまった。
28日、餅を搗く。3升3合で鏡餅2重ねと平餅、合わせて100個ほどを作った。
29日、大分市の書店で塩野七生さんの「ギリシア人の物語」第一巻を購入する。「ローマ人の物語」15巻が完結して10年近くになるが、なぜ今、ギリシア人の歴史を書く気になったのか。それが序文ともいうべき「読者への手紙-長くてしかも個人的な内容にはなるけれど-」に書かれている。古代ギリシア人が、なぜそれまで存在しなかった民主政治を創り出す気になったのかということが理解できそうだ。
会社の現役メンバーの一人から年末のメールが届いていた。
「今年は怒涛のような一年でしたが、まだまだ荒波にもまれながら新しい年を迎えることになります。出来ること、やるべきことを着実に進めていきたいと思います。」とあった。魚と組織は必ず「頭」から腐るが、あなた達は腐ってはいない。頑張ってほしい。
30日、朝は今年一番の冷え込みになった。仏壇と神棚に鏡餅を供えていたら、廊下のガラス戸に何かがぶつかる音がした。庭に出てみたら軒先に小さなキジバトが落ちて息絶えていた。烏か鳶に追われたのだろう。紙に包んで川向こうの山の椿の木の根元に埋めた。
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真玉海岸 |