草 枕 2009
Wandering in 2009
アンドリュー・ワイエス
湯島天神下
菜の花忌
ミモザ花咲く
金曜日の夕方
春の嵐
花ざくら
「畏敬の食」
五月も終り
雨の休日
6月の散歩
白金蜀江坂 聖心女子学園あたり |
砧(きぬた)
夏休み
8月8日、今日から夏季連休。小倉からの車窓から英彦連山や筑豊の山なみが見える。遠くの空に由布の双耳峰が浮んでいる。
宇佐駅に降りたら陽射しが強く、暑い。バスに乗り海岸線を伊美へ。いくつもの岬と入江から白い夏の雲と青い周防灘の広がりが見える。絵に描いたような夏の風景だ。
9日、夜半過ぎからの雨が朝まで続いた。午後、大分市から友人のK氏が来る。1月に東京湯島天神下で会って以来だ。初盆のMさん宅を一緒に訪問。
10日、午前中東山の墓掃除。落葉を掃き、雑木数本を伐ると清々しくなった。夕方妹家族が来て賑やかになる。
11日、朝5時過ぎに神奈川の自宅からの電話で起こされる。震度4でかなりゆれた様子だ。テレビをつけたら駿河湾が震源とのこと。すっかり眼が醒めてしまった。午後、買物で伊美へ。
12日、6時起床。雨時々晴。午前中親戚に挨拶。夕方赤根でSさんと家族で食事。帰宅して空を見上げたら、星が満天に輝いていた。白鳥座が銀河にかかっている。
13日、盆の入り。東山の墓に参り、帰って家の門で迎え火を焚く。昼前に驟雨。妹の家族は大分へ。夜半に幾度か雨音を聞く。
14日、久しぶりの晴天。午前中は初盆のF氏宅を訪ねる。
午後、炎天下を赤根まで歩く。一之瀬の池は満水で、黒木山の濃い緑を水面に映していた。以前は小学校の分校だった公民館で明日の戦没者慰霊祭の準備をしていた。一円坊の山神社まで歩いて引き返す。ようやく夏休みの気分になった。ただ、夏休みの宿題は年々増えていくような気がする。
一枚のスケッチも描けなかったが、仕方がない。明日帰京。
一之瀬池 |
夏・香港
8月26日、1年ぶりの香港出張。気温35度。湿度が高いので、暑いのではなく、熱い。4日間の仕事は予定通り終った。
帰国前日、尖沙咀のお茶の専門店と半島突端のホテルに行き、お茶とチョコレートを買う。ホテルに戻って仕事の結果を整理する。部屋からは海峡を隔てて香港島が見える。島の表情は毎日違う。夜は宝石をちりばめたようになる。夜景を眺めながら、近くのセブン・イレブンで買ったビールを飲む。夜景を惜しみ、カーテンを朝まで開けておいた。
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部屋からの香港島 |
人生感意気
9月16日、来日した中国の友人R氏と会う。新宿の紀伊国屋書店近くの店には彼のほうが先に着いていた。席には着かず、店の入口に立って迎えてくれたのは、中国東北人の礼儀正しさと彼の人柄による。年に数度日本への出張があるとのことで、話しぶりや表情からは今の仕事が順調に行っていることがうかがわれた。
氏と会うのは2年ぶりだ。今は家族と一緒に上海に住んでいるそうだが、空気がきれいでなく、野菜なども不味いとこぼしていた。もちろん、上海人以外の中国人で上海を良く言う人に会ったことはないが。
お土産にいただいた白酒(バイチュウ)をその場で開封して乾杯、歓談。「人生意気に感ず、功名誰かまた論ぜん」という気分だが、若いR氏はまだ中原に鹿を逐えるはずだ。
小田急の駅で再会を約して別れる。
手帳'2010
10月4日、来年の手帳を買う。
日記はつけないので、手帳が日記代わりだが、書くのは時刻と予定と事実だけで、考えたことはほとんど書かない。「18:00K氏 湯島天神下岩手屋」これだけで不思議とそのときのことを思い出せる。
文章で綴った日記は、書いたことだけしか思い出せない。人は見たいものしか見えないとすれば、書きたいことしか書けないのもあたり前で、ついでに言えば、書きたくないことを省いた文章は、陰影もなく平板だ。
言葉の力はとても強いので、書かなかったことを消してしまう作用もあるのだろうか。日記とは、書いたことを忘れないためにではなく、書かない何かを忘れるために書くのかもしれない。
早速新しい手帳に今決まっているだけの予定を書き入れる。
東林間にて |
木守り
11月3日、昨日木枯し一号が吹いて、今朝は快晴。空気が透き通り、丹沢や秩父の山なみが近い。富士山頂の雪がまぶしい。
少し遠くまで歩こうと思い、町田から芹が谷公園、高ヶ坂を抜けて恩田川に出る。川に沿って田奈から中山へ。このあたりは柿の産地で、水田と柿畑が続く。花梨の木も多く、「ご自由にお持ち帰りください」と書いた箱に花梨の実が幾つか入っていた。喉や咳に効くらしい。果実酒にしても良いが、狭い台所にこれ以上置く場所はないので、手に取ってみただけで箱に戻す。
柿畑はほとんど収穫が終って、どの木も来年も良く稔るようにと、天辺あたりに実を一つ残している。「木守り(きまもり)」というようだ。木守りはそれぞれの木に残り、田園を守る番人のようにも見える。
「それぞれに実ひとつなれど柿の樹の木守りはたたずむ防人のごと」
中山から電車に乗って帰る。3万歩少し歩いた。
本郷界隈
11月20日、リフレッシュ休暇7日目。
今日は上野の博物館で「皇室の名宝展Ⅱ」を見た後、池之端から無縁坂を上り、本郷の「壺屋」で最中を買う。店の壁には「神逸気旺」と書かれた勝海舟の書があった。海舟先生の推薦どおり、この店の餡は実に旨い。
帰宅途中のレコード店(今もそう呼ぶのかは知らない)で、CDを買う。「服部克久」とヤナーチェク「シンフォニエッタ」。
服部克久さんのCDは14曲、聴きたかったのはSumi
Joの歌う「自由の大地‘09」で、とてもドラマチックだ。その他の曲も美しい。
ヤナーチェクはチェコの作曲家で、スメタナやドボルザークの後輩にあたる。これまで特に関心はなかったが、村上春樹さんの「1Q84」の冒頭に書かれていたので、聴いてみたいと思った。1926年の作曲とは思えない、斬新な作品だ。現代の不安を予感したかのようでもある。
東京大学正門 |
坂の上の雲/戦争と平和
11月29日、NHKのテレビドラマ「坂の上の雲」の第一回目を見た。司馬遼太郎さんの想い描いた、明治という奇跡的な国を作った人々の、哀しいほどの健気さが感じられた。次回も見たいと思う。
12月6日、書店で、トルストイの「戦争と平和」を眼にした。まだ読んだことはなく、いつか読みたいと思ってもいなかった。手に取ったのは、最近読んだ小林秀雄の「トルストイを読み給え」という文章を思い出したからだ。
「若い人々から、何をよんだらいいかと訊ねられると、僕はいつもトルストイを読み給えと答える。(中略)他に何も読む必要はない。だまされたと思って「戦争と平和」を読み給えと僕は答える。(中略)途方もなく偉い一人の人間の全体性、恒常性というものに先ず触れて充分に驚くことだけが大事である。」(小林秀雄全作品19)。
映画なら、学生の頃オードリ・ヘップバーンかリュドミラ・サベーリエワかの、どちらかがヒロインのものを見た筈だが、思い出せない。多分映画館で眠っていたのだろう。このことに限らず、怠惰な青春を過ごしたことが今更ながら悔やまれる。
小林さんの言うことに間違いはないだろうと思って、新潮社の文庫版4冊を買って帰る。
年末の散歩
12月24日、出勤途中、会社近くの郵便ポストに年賀状を投函する。ポストの中にどさりと落ちる音がして、自分の体が少し軽くなったような気がした。もちろん気のせいだ。
27日、年末の気分を味わおうと、湯島から根津、上野広小路と、上野台地をほぼ一周して、浅草へ。浅草寺本堂の屋根は修理中で、大きな仮屋根で覆われている。境内から、建設中の東京スカイツリーが見えた。近くで見ようと、押上まで歩くことにした。陽も傾き、隅田川に面したアサヒビールの本社のガラスに、建設中のタワーが写っていた。押上でタワーを見上げ、根津の和菓子屋で買った豆大福をかかえて帰宅。
根津 |