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野崎島
Nozaki Island

 島には野生のシカが一杯います。メスは群れを作っており、丁度こちらに気がついたところ。
かなり距離はありますが、しっかりチェックされ、いつでも逃げ出せる体制をとっています。奈良公園の鹿とは大違い。

 悪天候により一度は諦めた野崎島でしたが、その後のツーリズム協会の計らいによりチャーター船に乗せてもらうということにより、何とか行くことが出来ました。往きは町営船。帰りは昼前のチャーター船という組み合わせ。当日は気温が少々高く霧が立ちこめ、視界が悪い中での出航でした。
 小値賀島と野崎島とは地形からして全く異なっています。方や平で最高峰が105mという小値賀島に対し、野崎島は殆ど平地が無く、最高峰も350mとこの周辺の島では群を抜いています。
 
 船は途中六島(むしま)に寄り(人が住んでいる!そして小中学校も平成10年度まであったそうです。)、野崎島を向こう側まで回り込み、程なく野崎港に到着。そこそこ普通の港という感じが第一印象。でも周囲を見渡すとここが普通でないことが徐々に分かってきます。もはや集落に人は全く住んでいません。平成に入った頃ここでの生活に見切りを付け、全島民離島という決断をした結果、こういう状態になった訳です。それだけここでの生活は厳しかったのでしょう。小値賀島にあるような平地はこちらには殆ど無いし、漁港も小さい。最後に残ったのが神社の宮司だったそうです。
 
 人が住まなくなれば建物は崩壊に向かうというのは、ついこの間端島で見たばかりでした。あちらはコンクリートの頑丈な作りで、言わば自然に立ち向かう建築でしたが、こちらは普通の民家が木々に囲まれて建っている、自然に囲まれた建築です。でも台風が来ればどこかの戸が破られ、そうすればそこから雨風が入り、やがて朽ち果てて行く。端島は言わば仁王立ちの死、こちらはひっそりとした死。そんな違いがあります。そしてここで民家は徐々に土に還っていく。そういう建物や集落の人知れずの死を見つけるのが、ここ野崎島なのです。
 
 その状況は集落によって違っていました。町営船が到着する野崎集落は建物崩壊が進行形で、まだ昔の姿を知ることが出来ますが、野首集落はすべて撤去され、何処に家屋があったか分からない状態になっていました。小値賀町がその判断で撤去したのでしょうか。
 廃墟を見るにつれ、ここを去らねばならなかった人々の苦悩を感じてしまいます。ここよりよい生活が送れるという希望を抱きながら、その一方でここでの苦しくも慎ましやかな生活を捨てる、生まれてからずっと一緒に育ってきた仲間と離れる、そうした決断をしたのでしょう。

 そして自然はそんな人間の営みと関係なく、時と共に移ろって行きます。建物は崩壊し、木々は生長する。斜面は時に崩れ、またそこに緑が芽吹く。この島も一部を除いて自然へと還っていくのです。

野崎集落に入っていくと、まだ形を留めている建物、全壊した建物などが現れます。    33 11 25.17,129 08 19.95 崩壊途上の建物。この段階が一番迫るものがあります。自然と戦っているのだけれど、決して勝ち目が無い戦いです。
集落上の畑の後。人々は営々と石を積み、少しでも耕作地を広げようとしたのです。木造の建物と違って、この段々畑はまだまだ健在です。 打ち付ける風の強さによって、木々の形もご覧の通りになってしまいました。風には勝てない。いや、勝つ負けるではなく、風をいなしてこの形というべきでしょう。
野崎集落からの首集落に向かう道から見た野首海岸。夏は野崎島自然学習村に泊まって海水浴を楽しむということが出来ます。日が高くなってもかなりもやっていました。        33 11 11.32,129 07 57.44 本土に戻るフェリーは野崎島の南端をかすめていきます。島の南にあった舟森集落も建物はすべて消滅し、段々畑の跡と、十字架を見ることが出来ました。自然にはかなわないにせよ人の力の強さを感じさせます。   
33 20 43.22,129 35 25.24