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平戸
Hirato

 崎方公園から見たザビエル記念教会。結構聳えていますね。
33 22 10.72,129 32 58.52

佐世保で1泊することになったため、翌日は平戸に足を伸ばすことにしました。お寺と教会のコラボ、そして田平天主堂もあるし。そう、嵐のお陰で田平天主堂に行くことが出来るのです。おまけに旧野首教会もチャーター船が確保出来たため行くことが出来るし。これこそが神の思し召しか・・・
 
 ホテル1階のバスターミナルから出発する頃には暴風雨も少し収まり、1時間半かかって平戸に着く頃にはすっかり上がり薄日になってきました。全く人騒がせな天気だ。11時過ぎに到着しましたが、3時前の松浦鉄道で戻れば、5時前に佐世保を出航するフェリーに間に合います。

 平戸まで来ると、いよいよ本土が終わる感がします。本土最西端はちょっと南の佐世保市になりますが、平戸の方が言わば北西の隅っこにあたるため、より最果ての印象が強くなります。でもそれは日本から見ているからそう感じる訳で、西の方から見ればここが日本の入り口にあたるのです。古くは中国との交流、そして中世になるとポルトガルやらオランダ、イギリスからの宣教師、貿易船が立ち寄るようになります。フランシスコザビエルも最初の日本上陸は薩摩でしたが、その後ここ平戸を3度も訪れるなど、特別の想いを寄せていたかもしれません。 
 
 その後オランダ商館、イギリス商館が相次いで平戸に出来ますが、幕府は最終的に出島を交易の地としたため、その後は完全にドメスティックな場となってしまうが、明治に入ってキリスト教侵攻が自由になると、再び人々の信仰がこういう形で現れるのです。
 
 半島の丘の上には城が陣取る。その対岸の斜面はお寺もしっかりと存在感を示し、昭和になってお寺の坂の上に教会が建てられる。なかなか面白い取り合わせでした。

通称「寺院と教会が見える風景」。寺院が複数ある寺町の上に教会が尖塔を見せています。寺院が先で、その後明治以降教会が建てられたため、より大地の上に移っていった訳でしょう。
ザビエル記念教会内陣。しっかりとしたリブ・ヴォールト天井です。昭和初期の建築だから、佐世保の教会と同時期でしょう。
教会建立時の写真が飾ってありました。大勢の信者の献金によってこの日を迎えることが出来たのです。日の丸が合っているような、無いような変な気分です。 市役所前にある幸橋。18世紀初頭の作で、オランダ商館を作った石工の技術を元に下とか。国の重要文化財に指定されています。長崎の眼鏡橋より美しいかも。
33 22 06.211,129 33 11.20
平戸城。明治に解体され、昭和になって復元されるというよくあるパターンのお城です。天守閣以外には狸櫓と北虎口門は壊されず当時のまま残されています。
33 22 07.30.57,129 33 27.09
佐世保への帰りは松浦鉄道にしました。田平天主堂最寄り駅の西田平駅です。日本最西端の駅はお隣のたびら平戸口で、ここは2番目。当然ですが無人駅です。上下1時間に1本ずつでした。   33 20 43.22,129 35 25.24

平戸城天守閣からの眺め。これだけ海が間近というのは珍しいかもしれません。すっかり海も穏やかになりました。

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