凡河内躬恒 おうしこうちのみつね 生没年未詳

父祖等は不詳。凡河内(大河内)氏は河内地方の国造。
寛平六年(894)二月、甲斐少目(または権少目)。その後、御厨子所に仕える。延喜七年(907)正月、丹波権大目。延喜十一年正月、和泉権掾。延喜二十一年正月、淡路掾(または権掾)。延長三年(925)、任国の和泉より帰京し、まもなく没したと推定される。
歌人としては、昌泰元年(898)秋の亭子院女郎花合に出詠したのを始め、宇多法皇主催の歌合に多く詠進するなど活躍し、古今集の撰者にも任ぜられた。延喜七年九月、大井川行幸に参加。延喜十三年三月、亭子院歌合に参加。以後も多くの歌合に出詠し、また屏風歌などを請われて詠んでいる。古今集には紀貫之(九十九首)に次ぐ六十首を入集し、後世、貫之と併称された。貫之とは深い友情で結ばれていたことが知られる。三十六歌仙の一人。家集『躬恒集』がある。勅撰入集二百十四首。

  18首  5首  10首  1首  12首  10首 計56首

(かり)の声を聞きて、(こし)にまかりける人を思ひてよめる

春来れば雁かへるなり白雲の道ゆきぶりにことやつてまし(古今30)

【通釈】春が来たので、雁が帰って行くようだ。白雲の中の道を行くついでに、越の国の友に言伝(ことづて)をしたいものだが。

【語釈】◇雁かへるなり 雁が(北へ)帰ってゆくらしい。助動詞「なり」は聴覚によって推量判断する心をあらわす。◇道ゆきぶり 道中のついでに。万葉集にも見える語。「道ゆき」は旅行、「ぶり」は「触(ふ)り」で、「ついでに」「折に」程の意か。

【補記】雁の鳴き声を聞いて、越(北陸地方)に赴いた人(おそらく国司として赴任した友人であろう)を思って詠んだという歌。雁は春になると北へ帰るので、その鳴き声から北国にいる人を思い遣るのは自然な心の動きであるが、雁はまた書を届ける使者に擬えられたので、旅のついでに伝言をつたえてほしいと願ったのである。「白雲の道ゆきぶり」は、雲の中の雁の通りみちを「道」に喩えての謂で、その旅路の遥かさ、友のいる土地の遠さを思わせて、一首のかなめとなっている。

【他出】躬恒集、古来風躰抄、僻案抄

【主な派生歌】
花の色もうつりにけりとしら雲の道行ぶりにかをる山風(順徳院)
わけくらす峰のつづきもしら雲の道行ぶりに宿や借らまし(木下長嘯子)
うき世にもことやつぐると初雁の道行ぶりに山べをやとふ(松永貞徳)

月夜に梅の花を折りてと人のいひければ、折るとてよめる

月夜にはそれとも見えず梅の花香をたづねてぞ知るべかりける(古今40)

【通釈】月の輝く夜には、月明かりが明るすぎて、はっきり見分けることも出来ません。梅の花は、香を探し訪ねてこそ、ありかを知ることができるものです。

【補記】月夜に「梅の花を一枝折って、送って下さい」と言ってきた相手に返事として贈った歌。我が家を訪ねて来て欲しいとの思いを籠めている。

【他出】躬恒集、古今和歌六帖、定家八代抄、和漢兼作集

【参考歌】山部赤人「万葉集」巻八
我が背子に見せむと思ひし梅の花それとも見えず雪の降れれば
  よみ人しらず「古今集」
梅の花それとも見えず久方のあまぎる雪のなべてふれれば

【主な派生歌】
にほひても分かばぞ分かむ梅の花それとも見えず春の夜の月(*大江匡房[千載])
なかなかに四方に匂へる梅の花たづねぞ侘ぶる夜はの木のもと(藤原定家)
梅が香もあまぎる月にまがへつつそれとも見えず霞む頃かな(九条道家[新勅撰])

春の夜、梅の花をよめる

春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる(古今41)

【通釈】春の夜の闇は美しい彩(あや)がなく、筋の通った考えがない。梅の花は、その色は確かに見えないけれども、香は隠れたりするものか。見せまいといくら隠したところで、ありかは知られてしまうのだ。

【語釈】◇あやなし 「あや」には「筋道」の意があることから「あやなし」で「わけがわからない」「無考えである」といった意になる。「あや」には「彩」の意が掛かる。

【補記】春の夜の闇にかこつけ、梅の花の香り高さを婉曲に賞賛している。

【他出】躬恒集、新撰和歌、古今和歌六帖、金玉集、和漢朗詠集、俊頼髄脳、定家八代抄、僻案抄、和歌色葉、歌林良材

【主な派生歌】
梅が香におどろかれつつ春の夜の闇こそ人はあくがらしけれ(和泉式部[千載])
白雲のたえまにかすむ山桜色こそみえねにほふ春風(白河院[新後拾遺])
朝霞梅のたち枝は見えねどもそなたの風に香やはかくるる(藤原隆季[続拾遺])
色見えで春にうつろふ心かな闇はあやなき梅のにほひに(藤原定家)
蘆の屋の蔦はふ軒のむら時雨音こそたてね色はかくれず(〃)
夏の夜も闇はあやなし橘をながめぬ空に風かをるなり(藤原良経)
梅が香は霞の袖につつめども香やはかくるる野べの夕風(後鳥羽院)
かすめども香やはかくるるこもりえの初瀬の里の春の梅が枝(源有房[新千載])
梅の花いろこそ見えね風吹けば月の光のにほふなりけり(飛鳥井雅有)
風や知るいづくにさける梅ならんただ香ばかりの春の夜の闇(*正徹)
これもまた色こそ見えね春の夜の月はあやなし匂ふ梅が枝(木下長嘯子)
色もいろ匂ひも月の光にて闇こそ梅は人に知らるれ(〃)

題しらず

咲かざらむものとはなしに桜花おもかげにのみまだき見ゆらむ(拾遺1036)

【通釈】いつかは咲かないわけはないのに、桜の花があまり待ち遠しくて、面影にばかり、咲かないうちから見えるのだろう。

【補記】「まだき」は副詞としての用法で、「まだその時には至らないのに」程の意。延喜十三年(913)の亭子院歌合。拾遺集では雑春の巻に載る。

桜の花の咲けりけるを見にまうで来たりける人に、よみておくりける

わが宿の花見がてらに来る人は散りなむのちぞ恋しかるべき(古今67)

【通釈】我が家の花を見るついでに私を訪ねる人は、散ってしまった後はもう来ないでしょうから、さぞかし恋しく思うでしょうねえ。

【補記】桜を目当てに訪ねる人へ皮肉をこめて言うが、その裏には風流を愛でる心に対する共感がある。それゆえの「恋しかるべき」なのである。

【他出】古今和歌六帖、金玉集、深窓秘抄、和漢朗詠集、前十五番歌合、三十人撰、三十六人撰、躬恒集、和歌体十首

【主な派生歌】
奥山の花見がてらにとひし庵ちりなむ後としめてましかば(宗良親王)
咲きぬともよそに知られぬ山里は花見がてらに来る人もなし(長慶天皇)
なれなれし花の木陰の草莚ちりなむ後ぞしきしのぶべき(松永貞徳)

延喜十五年二月十日、仰せ言によりて奉れる、和泉の大将四十の賀の屏風四帖、内よりはじめて、尚侍(ないしのかみ)の殿にたまふ歌

山たかみ雲居にみゆる桜花こころのゆきてをらぬ日ぞなき(躬恒集)

【通釈】山が高いので空に咲いているかのように見える桜の花よ。心だけはそこまで行って手折らぬ日とてないのだぞ。

【補記】右大将藤原定国の四十歳を祝賀する四季の屏風絵に書き添えた歌。古今集巻七賀歌に素性法師の作として扱う。『古今和歌六帖』も素性の作とするが、『素性集』にはなく、『躬恒集』にあることから、躬恒の作であることが確実視されている。金玉集・三十六人撰・深窓秘抄・定家八代抄なども躬恒作とする。

【他出】躬恒集、新撰和歌、古今和歌六帖、如意宝集、金玉集、和歌体十種(両方致思体)、和歌十体(両方体)、三十人撰、三十六人撰、深窓秘抄、奥義抄、定家八代抄

【主な派生歌】
道とほみ行きては見ねど桜花心をやりて今日はかへりぬ(*平兼盛[後拾遺])
人しれぬ心のゆきて見る花はのこる山べもあらじとぞ思ふ(源師光)

我が心春の山べにあくがれてながながし日を今日も暮らしつ(亭子院歌合)

【通釈】私の心は桜の咲く春の山に誘われ、さまよい出てしまったまま、長い長い一日を今日も暮らしてしまった。

【補記】新古今集に紀貫之の歌として載るが、亭子院歌合では躬恒の作とし、貫之の「桜散る木の下風は寒からで空に知られぬ雪ぞ降りける」と合わせて負けている。躬恒集にも躬恒作として載る。

題しらず

いもやすく寝られざりけり春の夜は花の散るのみ夢に見えつつ(新古106)

【通釈】ぐっすりとは寝られないものだなあ。春の夜は、花が散るのばかり繰り返し夢に見て。

【他出】亭子院歌合(作者名不明記)、定家八代抄、八雲御抄、和漢兼作集、歌林良材

さくらのちるをよめる

雪とのみ降るだにあるを桜花いかに散れとか風の吹くらむ(古今86)

【通釈】ただもう雪が降るように散っているのに、このうえ桜の花がどういうふうに散れということで風が吹くのだろうか。

【主な派生歌】
河波のくくるも見えぬくれなゐをいかにちれとか峰の木がらし(藤原定家)
雪とのみふるからをのの桜花なほこのもとは忘れざりけり(後嵯峨院)
いかにせむ高根の桜雪とのみふるだにあるを春の曙(宗尊親王)
桜花うつろふ色は雪とのみふるの山風ふかずもあらなむ(尊円[風雅])
雪とのみさそふもおなじ河風に氷りてとまれ花の白波(飛鳥井雅世[新続古今])

うつろへる花をみてよめる

花見れば心さへにぞうつりける色には出でじ人もこそ知れ(古今104)

【通釈】散りゆく花を見ていると、心までもが移り気になってしまうよ。しかし顔色には出すまい。恋人に気づかれたら大変だ。

【補記】この「人」は多くの注釈書が「世間の人々」「周囲の人々」と解する。

鶯の花の木にてなくをよめる

しるしなき()をも鳴くかな鶯の今年のみ散る花ならなくに(古今110)

【通釈】何の効果もないのに鶯が声あげて啼くことだ。今年だけ散る花でもないのに。

【補記】鶯が花の散るのを惜しみ、引き留めようとして鳴いて(泣いて)いると見た。『古今和歌六帖』の鶯の部にも躬恒の作として入り、第三句「鶯は」とある。

【主な派生歌】
鶯はいたくなわびそ梅の花ことしのみちるならひならねば(源実朝)

題しらず

なくとても花やはとまるはかなくも暮れゆく春のうぐひすの声(続後撰149)

【通釈】啼いたとて、花は散るのを止めてくれるだろうか。甲斐もなく暮れてゆく春の、鶯の声は――。

【補記】『躬恒集』によれば屏風歌。

題しらず

おきふして惜しむかひなくうつつにも夢にも花の散る夜なりけり(金葉初度本98)

【通釈】起きても寝ても惜しむ甲斐は一向になく、夢の中でさえ花が散る夜であったよ。

【補記】『古今和歌六帖』『躬恒集』では結句「ちるをいかにせむ」。

【主な派生歌】
山ざくら尋ねてかへる春の夜は夢にも花のすがたをぞ見る(藤原公重)
春こゆるうつの山道うつつにも夢にも花のちるやみゆらむ(中院通勝)
うつつにも夢にも花のちる比は山にだに世のうきめをぞみる(契沖)

花のちるをみてよめる

桜花ちりぬるときは見もはてでさめぬる夢の心地こそすれ(金葉初度本105)

【通釈】桜の花が散ってしまった時は、見終わらないうちに覚めてしまった夢のような気持がすることだ。

【補記】『躬恒集』によれば屏風歌。但し第二句「ちりなむのちは」。

家に藤の花さけりけるを、人のたちとまりて見けるをよめる

わが宿に咲ける藤波たちかへり過ぎがてにのみ人の見るらむ(古今120)

【通釈】私の屋敷に咲いた藤の花を、引き返して引き返ししては、通り過ぎにくそうに人が見ているようだ。

【補記】「たちかへり」は「波」の縁語。

やよひのつごもりの日、花つみよりかへりける女どもを見てよめる

とどむべき物とはなしにはかなくも散る花ごとにたぐふ心か(古今132)

【通釈】止められるものではないのに、はなかく散る花びらの一ひら一ひらに寄り添うように愛惜する我が心であるよ。

【補記】陰暦三月晦日、すなわち春の終りの日、花摘みから帰って来る女たちを見て詠んだ歌。「たぐふ」は「添う」「一緒になる」意で、ここでは女たちの一人一人に惹かれる思いを寓意している。

やよひのつごもり

暮れてまた明日とだになき春の日を花の影にてけふは暮らさむ(後撰145)

【通釈】日が暮れてしまったら、もう春の日は明日さえないのだ。だから今日は思う存分、桜の花の陰で暮らそう。

【主な派生歌】
昨日をば花の陰にてくらしてきけふこそいにし春はをしけれ(和泉式部[続千載])
み吉野の花のかげにてくれはてておぼろ月よの道やまどはむ(藤原良経)
ちらぬまの花のかげにてくらすひは老の心も物思ひもなし(二条良実[続古今])

亭子院の歌合のはるのはてのうた

けふのみと春を思はぬ時だにも立つことやすき花のかげかは(古今134)

【通釈】今日で春は終りと思わない時でさえ、この美しい花のかげから、たやすく立ち去るなどできようか。

【補記】結句は反語。「ましてや今日は春の最後の日なのだから、立ち去ることなど到底できない」ということ。古今集春歌の掉尾を飾る。

【他出】三十人撰、三十六人撰、深窓秘抄、和漢朗詠集、定家八代抄

【主な派生歌】
花ならぬならの木かげも夏くればたつことやすき夕まぐれかは(俊恵)
ちりはてて花のかげなきこのもとにたつことやすき夏衣かな(慈円[新古])
夏衣たつことやすきかげもなしなほ花思ふ庭の梢に(藤原家隆)
花の陰の心をしらば月も日もたつことやすき春はあらじを(後柏原院)

題しらず

手もふれで惜しむかひなく藤の花そこにうつれば波ぞ折りける(拾遺87)

【通釈】手も触れずに散るのを惜しんだ甲斐もなく、藤の花は水に映ると、波が折ってしまった。

【補記】水に映った藤の花が波にかき乱される様を、波に折られたと見た。「うつれば」を「移れば」の意とすれば、水に落ちた花片を波がさらってしまった、とも解される。なお、物が水に反映して見える像を、当時は水面でなく水底に映っているものと考えたらしい。

貞文(さだふん)が家の歌合に

郭公をちかへりなけうなゐ子がうちたれ髪のさみだれの空(拾遺116)

【通釈】ほととぎすよ、繰り返し鳴け。幼な子の髫(うない)の垂れ髪が乱れているように降る五月雨の空に。

【語釈】◇郭公(ほととぎす) 時鳥・不如帰・霍公鳥などとも書く。カッコウ科カッコウ目。インド・中国南部から初夏に渡来する夏鳥。昼夜、晴雨を問わず鳴く。和歌では殊に、雨の夜、空を飛びながら鳴くさまに関心を寄せた。◇をちかへり 元に返って。繰り返し。「若返って」の意もあり、次句の「うなゐ子」のイメージと微妙に響き合う。◇うなゐ子 うなじのあたりで束ねて垂らした髪形をした子供。十二、三歳くらいまでを言う。

【補記】動きの活発な子の垂れ髪は乱れやすく、それで「うなゐ子がうちたれ髪の」を「さみだれ」の序に用いたのだろう。もっとも「さみだれ」の語源は「乱れ」とは関係なく、「さ水(み)垂れ」であり、古人がこの語源意識を有していたとしたら、「垂れ髪」から「さみだれ」を導いたのだとも考えられる。平貞文邸で催された歌合に出された作。

郭公のなきけるをききてよめる

ほととぎす我とはなしに卯の花のうき世の中になきわたるらむ(古今164)

【通釈】ほととぎすは、私ではないのに、私と同じ様に、憂き世にあって啼き続けるのだろうか。

【補記】「卯の花の」は「うき世の中」の「う」を導く枕詞。ウの音を同じくすると共に、時鳥の鳴く季節が卯の花の咲く季節と合致するゆえにこの語を用いている。ゆえに時鳥が卯の花が咲く辺りを鳴いて過ぎると解釈することも可能である。

隣より、とこなつの花を乞ひにおこせたりければ、をしみてこの歌をよみてつかはしける

塵をだにすゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわがぬるとこ夏の花(古今167)

【通釈】寝床と同じ様に、塵ひとつ置かないように思っているのですよ、咲いてからずっと。妻と私が一緒に寝る床――その「とこ」という名を持つ「とこなつ」の花を。それほど大切にしている花なのですから、どうぞお宅でも大事にして下さい。

【補記】「とこ夏の花」は撫子の別称。

みな月のつごもりの日よめる

夏と秋と行きかふ空のかよひ路はかたへすずしき風や吹くらむ(古今168)

【通釈】去りゆく夏と訪れる秋が行き違う空の通り路では、片方にだけ涼しい風が吹いているのだろうか。

【補記】古今集夏歌の巻末。

【他出】新撰和歌、古今和歌六帖、躬恒集、古来風躰抄、定家八代抄

【主な派生歌】
夏衣かたへ涼しくなりぬなり夜や更けぬらむ行き合ひの空(慈円[新古])
清見潟そでにも波の月を見てかたへもまたぬ風ぞすずしき(藤原定家)
夏と秋とゆきかふ風やすぎぬらし露ちりそむるしののめの道(藤原雅経)
夏と秋とゆきかふ夜半の浪の音のかたへすずしき賀茂の川風(後鳥羽院)
見るからにかたへ涼しき夏ごろも日も夕暮のやまとなでしこ(*後鳥羽院)
露の色ももりのしめ縄秋かけてかたへ涼しきせみのは衣(順徳院)
山もとのをちの日かげはさだかにてかたへすずしき夕立の雲(藤原為家[風雅])
夏の日のかたへすずしき風にしもおくれぬ秋や空にきぬらむ(中院通勝)
夏ふかき野原の露もゆく水も近き沢辺ぞかたへ冷しき(冷泉為村)

我がせこが衣のすそを吹きかへしうらめづらしき秋の初風(躬恒集)

【通釈】私の夫の衣の裾を吹いて翻し、裾裏を見せる――その「心(うら)」ではないが、心惹かれる秋の初風よ。

【語釈】◇わがせこが 私の夫の。「せこ」は女から夫や恋人を呼ぶ称。◇うらめづらしき 新鮮で心惹かれる。前句からのつながりで衣の「裏」を言い出し、「心(うら)めづらしき」と続けた。「うら」は「うら悲し」などと言う時の「うら」と同じく、心の内側で感じていることを表わす。

【補記】「吹き返し」までは「うら」を導く序であるが、嘱目を叙している形をとり、いわゆる「有心の序」となっている。またこの序によって「秋の初風」を感じているのが女性であると知られ、「衣のすそ」という細部への目配りがおのずと夫に対する気持の細やかさを伝えて、一首の情趣をしっとりとしたものにしている。古今集は読人不知で載せるが、『躬恒集』にあり、また『古今和歌六帖』も躬恒の作とする(但し初句は「わぎも子が」)。

【他出】家持集、躬恒集、新撰和歌、古今和歌六帖、綺語抄、能因歌枕、定家八代抄、秀歌大躰、歌林良材
(初句を「わぎもこが」として載せる本もある。)

【主な派生歌】
唐衣立田の山の郭公うらめづらしきけさの初声(藤原基俊[続千載])
雪消えてうらめづらしき初草のはつかに野べも春めきにけり(式子内親王[新勅撰])
山風の霞の衣吹きかへしうらめづらしき花の色かな(九条道家[新拾遺])
山路より磯辺の里に今日はきて浦めづらしき旅衣かな(宗良親王)
彦星の妻待つ秋の初風にうらめづらしき天の羽衣(後崇光院)
梅が香に今日は難波のあま衣うらめづらしき春風ぞ吹く(姉小路基綱)
松風も秋にすずしく音かへてうらめづらしき志賀の唐崎(後水尾院)
秋きぬと海吹く比良の山風もうらめづらしきあまの衣手(本居宣長)

七日(なぬか)の日の夜よめる

たなばたにかしつる糸のうちはへて年の緒ながく恋ひやわたらむ(古今180)

【通釈】七月七日には機織(はたおり)の上達を願って織女星に糸をお供えするけれども、その糸のように長く延ばして、何年も何年も私はあの人を恋し続けるのだろうか。

雁のなきけるをききてよめる

憂きことを思ひつらねて雁がねのなきこそわたれ秋の夜な夜な(古今213)

【通釈】雁どもが啼いている――私と同様、辛いことをいくつも思い並べて、鳴いて渡るのだ、秋の夜な夜な。

【補記】「つらね」は列をなして飛ぶ雁の習性から「雁がね」の縁語となる。

昔あひしりて侍りける人の、秋の野にあひて、ものがたりしけるついでによめる

秋萩のふるえにさける花見れば本の心は忘れざりけり(古今219)

【通釈】秋萩の去年の古い枝に咲いた花を見ると、花ももとの心を忘れなかったのだなあ。

【補記】旧友と偶然出遭い、友情の変わりない喜びを季節の風物に事寄せて詠んだ。

【主な派生歌】
秋くれば萩もふるえにさくものを人こそかはれもとの心は(藤原惟方[風雅])
さこそわれ萩のふるえの秋ならめもとの心を人のとへかし(阿仏尼[風雅])
いまはよにもとの心の友もなし老いてふるえの秋萩の花(頓阿)
いはれのの古枝の真萩はなさけば池にももとの心をぞしる(宗祇)
なれきつるもとの心は忘れずと萩の古枝をてらす月かげ(木下長嘯子)

内侍のかみの右大将藤原朝臣の四十賀しける時に、四季の絵かけるうしろの屏風にかきたりける歌

住の江の松を秋風吹くからに声うちそふる沖つ白波(古今360)

【通釈】住の江の松を秋風が吹くやいなや、声をうち添える、沖の白波よ。

【語釈】◇うちそふる 「うち」は浪の縁語。「そふる」に、さらに年齢を重ねてゆくことを含意する。

【補記】藤原定国の四十歳の祝賀における屏風に添えた歌。古今集の排列からすると素性法師の作になるが、『躬恒集』や拾遺集に躬恒の作として載る。『躬恒集』の詞書は「延喜十五年二月十日、仰せ言によりて奉れる、和泉の大将四十の賀の屏風四帖、内よりはじめて、尚侍の殿にたまふ歌」。

【他出】寛平御時中宮歌合、躬恒集、古今和歌六帖、拾遺集(重出)、麗花集、袋草紙、五代集歌枕、和歌色葉、古来風体抄、俊成三十六人歌合、定家十体(麗様)、定家八代抄、西行談抄、時代不同歌合、十訓抄、古今著聞集、歌枕名寄、三五記、愚見抄、悦目抄
(初句を「すみよしの」として載せる本も少なくない)

【鑑賞】「此の如きさはやかなる調(しらべ)は貫之にもなし。誠に古今の一人なり。(中略)(さて)此歌は、住吉のすべての景色をいはずして、中にも勝れて感ある所を取りたるなり。そは松風のさはやかなるに、浪の音のさらさら打合ふ処なり。又経信朝臣の『沖つ風ふきにけらしな住の江の松のしづ枝を洗ふ白浪』、是は景色を十分云負(いひおほ)せたるなり。されどさはやかならずして、感(すくな)し。歌は(こと)わるものに(あら)ず、調ぶるもの也といふは此事なり」(香川景樹『桂の下枝』)。

【主な派生歌】
秋風の関吹きこゆるたびごとに声うちそふる須磨のうら波(壬生忠見[新古])
もしほ草しきつの浪にうき枕きけすみよしの松を秋風(慈円)
住吉の松のしづえは神さびてゆふしでかくる沖つ白波(藤原光頼[続後撰])
住吉の浜辺のみそぎくれゆけば松を秋風けふよりぞふく(下河辺長流)

清涼殿の南のつまに、みかは水ながれいでたり、その前栽に松浦沙あり、延喜九年九月十三日に賀せしめたまふ、題に月にのりてささら水をもてあそぶ、詩歌こころにまかす

ももしきの大宮ながら八十島(やそしま)を見るここちする秋の夜の月(躬恒集)

【通釈】大宮にいながらにして、たくさんの島を見渡せるような心地がする、秋の夜の月よ。

【語釈】◇清涼殿 内裏の建物の一つで、天皇が日常起居に用いた。◇つま 軒先。◇みかは水 御溝水。内裏内の側溝を流れる水。◇松浦沙 不詳。歌枕松浦潟(佐賀県唐津市の虹の松原辺り)をかたどった洲浜か、松浦産の砂か。◇延喜九年九月十三日 西暦909年。醍醐天皇代。九月十三日は「のちの月」として賞美された。◇月にのりてささら水をもてあそぶ 月に興じて細流を賞翫する。文選の謝霊運の詩に由る。◇詩歌こころにまかす 詩歌いずれを奉るかは、各自の心に任せる、ということ。

【補記】洲浜には砂で多くの島が造り成されていたのだろう。それが月光に照らし出されているのを「八十島をみるここちする」と言ったものと思われる(松浦潟―唐津湾―には幾つかの島が点在する)。この歌は拾遺集「雑秋」の部に読人しらずとして入集しているが、『躬恒集』に見え、『古今和歌六帖』も躬恒作とする。

題しらず

秋の野をわけゆく露にうつりつつ我が衣手は花の香ぞする(新古335)

【通釈】秋の野を分けて行くと、露がふりかかり――その露に繰り返し匂いが移って、私の袖は花の香がすることだ。

【補記】『躬恒集』によれば屏風歌。但し上句は「秋の野の道をわけ行くうつりがは」。『古今和歌六帖』も躬恒作として載せるが、初二句が異なり、「秋ののにわけゆくからに」とある。

白菊の花をよめる

心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花(古今277)

【通釈】当て推量に、折れるものならば折ってみようか。草葉に置いた初霜が見分け難くしている白菊の花を。

霜
霜の花 植物に付着した霜

【語釈】◇心あてに あてずっぽうに。根拠もなく推し量って。「よく注意して」の意とする説もある。◇折らばや折らむ 折るならば、折ろうか。「ばや」は接続助詞「ば」と疑問の助詞「や」。◇初霜の 初霜が。霜は空気中の水蒸気が地表などに触れて昇華し、氷片となったもの。古人は露が凍って出来ると考えたらしい。「初霜」はその年最初の霜で、だからこそ人を「まどはせる」ものたり得る。◇おきまどはせる 霜が一面に置いて、その白さゆえ、どれが菊の花かと惑わせる。◇白菊の花 菊は上代に唐から薬用植物として初めて輸入され、やがて鑑賞用に栽培されるようにもなった。当時は今見るような大輪のものはなく、小菊であったろうと言う。

【補記】晩秋の明け方、まだ薄暗い庭にあって、草葉に置いた初霜と菊が共に真っ白で、見まがう程である、と誇張した。菊の花の凛然たる白さを印象づけるための趣向であるが、「霜の花」という言葉があるほど、草葉を覆う霜は実際美しいものである。梅と雪、月光と雪など、古今集時代に好まれた、言わば「紛らわしい見立て」の発想は、漢詩の影響下にあることが指摘されている。

【他出】躬恒集、新撰和歌、古今和歌六帖、三十人撰、三十六人撰、深窓秘抄、金玉集、和漢朗詠集、古来風躰抄、定家八代抄、詠歌大概、百人一首、和漢兼作集

【参考歌】躬恒「躬恒集」
月影に色わきがたきしら菊は折りてもをらぬここちこそすれ
  よみ人しらず「後撰集」
心あてに見ばこそわかめ白雪のいづれか花のちるにたがへる
  紀貫之「貫之集」
いづれをか花とはわかむ長月の有明の月にまがふ白菊

【主な派生歌】
かをらずは折りやまどはむ長月の月夜にあへる白菊の花(大中臣能宣)
いづれをかわきて折るべき月影に色みえまがふ白菊の花(大弐三位[新勅撰])
月影に色もわかれぬ白菊は心あてにぞ折るべかりける(藤原公行[新勅撰])
心あてにをらばやをらむ夕づくひさすや小倉の峰のもみぢば(藤原家隆)
しらすげのまのの萩原あさなあさな置きまどはせる秋のはつ霜(〃)
心あてにわくともわかじ梅の花散りかふ里の春のあは雪(藤原定家)
白菊の籬の月の色ばかりうつろひ残る秋の初霜(〃)
霜を待つ籬の菊の宵の間におきまがふ色は山の端の月(宮内卿[新古])
心あてに誰かはをらむ山がつのかきほの萩の露のふかさを(藤原為家)
袖ふれてをらばやをらむ我妹子が裾ひく庭に匂ふ梅がえ(藤原為経[新千載])
心あてにをらばや夜半の梅の花かをる軒ばの風を尋ねて(宗良親王)
袖かけてをらばやをらむ榊ばのかをなつかしみ露をしるべに(正徹)
心あての色もかすみの吉野山我まどはすな花のしら雲(三条西実隆)
あともなき波の上ながら心あてにゆけばまどはぬ舟ぢなりけり(小沢蘆庵)
初霜はまだおきなれぬ宵々の月にうつろふ白菊の花(香川景樹)
老いの目はまぎらはしさに折りかねつ月夜の霜の白菊の花(安藤野雁)

池のほとりにて、もみぢのちるをよめる

風吹けば落つるもみぢ葉水きよみ散らぬ影さへ底に見えつつ(古今304)

【通釈】風が吹くたびに落ちる紅葉――水が澄んでいるので、まだ散らずに残っている葉の姿までも底に映りながら。

【補記】散った葉は水面に落ち、まだ散らない葉は水底に映って見える、という凝った趣向。なお、当時は水面ばかりでなく水底にまで物が映って見えると考えられたらしい。

長月のつごもりの日よめる

道しらばたづねもゆかむもみぢ葉を(ぬさ)とたむけて秋は()にけり(古今313)

【通釈】どの道を通るのか知っていたら、追ってもゆこうものを。散り乱れる紅葉を幣として手向けながら、秋は去ってしまうよ。

【補記】「幣」とは神への捧げ物で、旅に出る時、紙または絹を細かく切ったものを袋に入れて持参し、道祖神の前でまき散らした。

【参考歌】菅原道真「古今集」
このたびは幣もとりあへず手向山もみぢの錦神のまにまに

【主な派生歌】
もみぢばを幣とたむけてちらしつつ秋とともにやゆかむとすらむ(大輔[後撰])
もみぢばを幣にたむけて行く秋ををしみとめぬや神なびの森(慈円)
みそぎ川あさのたちえのゆふしでを幣とたむけて夏はいぬめり(藤原為家)

雪のふれるをみてよめる

雪ふりて人もかよはぬ道なれやあとはかもなく思ひ消ゆらむ(古今329)

【通釈】雪が降り積もって、道は人も通わなくなったのだなあ。誰一人訪ねて来ず、このままでは寂しさに跡形もなく私の心は消えてしまうことだろう。

【補記】人の訪れが絶えた冬の山里を詠む歌群にある。「思ひ」の「ひ」に「火」を掛け、「きゆ」と縁語になる。また「きゆ」は雪とも縁のある語。

題しらず

初雁のはつかに声を聞きしよりなかぞらにのみ物を思ふかな(古今481)

【通釈】初雁の声を耳にするように、あの人の声をほのかに聞いてからというもの、うわの空で物思いをしてばかりいるよ。

【補記】「初雁の」は同音の「はつか」を導くとともに、遠くからわずかに聞えた恋人の声の比喩ともなっている。

【参考歌】躬恒「新古今集」
おく山の嶺とびこゆる初雁のはつかにだにもみでややみなむ

【主な派生歌】
初雁のはつかにききしことづても雲路にたえてわぶるころかな(源高明)

題しらず

雲ゐより遠山鳥のなきてゆく声ほのかなる恋もするかな(新古1415)

【通釈】空の高みを通って、遠くの山の山鳥が鳴いてゆく――その声をほのかに聞くように、遠くから僅かに声を聞くばかりの恋をすることだよ。

【補記】山鳥は雉によく似た鳥。雌雄は峰を隔てて寝ると信じられ、「遠山鳥」の鳴き声とは雄が遠くにいる雌を恋い慕って鳴く声である。

題しらず

秋霧のはるる時なき心には立ちゐの空も思ほえなくに(古今580)

【通釈】秋霧のように鬱々とした思いが常に立ち込め、晴れることのない私の心は、立ったり座ったりするのも気づかないほど上の空であるよ。

【補記】「空」は「心空なり」などと言う時の「空」にひっかけ、霧の縁語として用いている。「立ち」も霧の縁語。

題しらず

ひとりして物を思へば秋の夜の稲葉のそよといふ人のなき(古今584)

【通釈】秋の夜、独りで物思いに耽っていると、風が稲葉をそよがせる音が心にしみて聞える――その「そよ」ではないが、そんな時、私の思いに共感して声をかけてくれる人がいないのが辛い。

【補記】「そよ」は相手に対して同意・共感などを示す語。「人」は人一般でなく、恋の対象である特定の人である。

題しらず

夏虫をなにか言ひけむ心から我も思ひにもえぬべらなり(古今600)

【通釈】夏の虫のことを何でまたあげつらったのだろう。私もまた、自分の心から恋の思いに燃えてしまうだろうに。

【補記】「夏虫」は蛾など、火中に飛び入って燃える虫。「思ひ」の「ひ」に「火」を掛けている。

題しらず

君をのみ思ひ寝にねし夢なれば我が心から見つるなりけり(古今608)

【通釈】あなたのことばかり思いながら寝入って見た夢だから、私の心が原因で見た夢だったのだなあ。

【補記】「相手が自分を思うから夢に見える」「自分が相手を思うから夢に見る」両様の考え方があったが、「思ひ寝」に見た夢だから後者だろうと言うのである。

【主な派生歌】
思ひ寝の夢になぐさむ恋なれば逢はねど暮の空ぞまたるる(*宜秋門院丹後[千載])
思ひ寝に我が心からみる夢も逢ふ夜は人のなさけなりけり(*藤原忠良[新続古今])
いとどまた夢てふ物をたのめとや思ひねになくほととぎすかな(*宗尊親王)

 

うつつにも夢にも人に夜し逢へば暮れゆくばかり嬉しきはなし(亭子院歌合)

【通釈】現実でも夢でも恋人とは夜に逢うので、日が暮れて行くことほど嬉しいことはない。

【補記】この歌は拾遺集に読人不知とするが、延喜十三年亭子院歌合では躬恒の作としている。

題しらず

わが恋はゆくへも知らず果てもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ(古今611)

【通釈】この恋は、行方もわからず、果ても知らない。いったいどこに辿り着くというのだろう。ただこれだけは言える、今はただ、あの人と逢うことが終着点と思うばかりなのだ。

【他出】躬恒集、古今和歌六帖、三十人撰、金玉集、和漢朗詠集、三十六人撰、深窓秘抄、古来風躰抄、定家八代抄

【主な派生歌】
惜しめどもたちもとまらぬ秋霧のゆくへもしらぬ恋もするかな(源俊頼)
恋しさは逢ふを限りと聞きしかどさてしもいとど思ひそひけり(*藤原教長[千載])
我が恋は今をかぎりと夕まぐれ荻ふく風の音づれて行く(*俊恵[新古])
心こそ行方も知らね三輪の山杉の梢の夕暮の空(慈円[新古])
芳野山あふをかぎりの桜花ゆくへもしらぬ道やまどはむ(藤原家隆)
あひみてもなほ行方なき思ひかな命や恋のかぎりなるらむ(藤原定家)
いつしかの行へもしらぬ詠めより逢ふを限りのはてをしぞ思ふ(飛鳥井雅経)
我が恋は逢ふをかぎりのたのみだに行方もしらぬ空のうき雲(*源通具[新古])
行へなきあふをかぎりの白雲もたえて分かるる峰の松かぜ(俊成女)
さても又あふを限りのはてもなし恋は命ぞかぎりなりける(藤原為家)
おのづからあふをかぎりの命とて年月ふるも涙なりけり(〃[続古今])
徒に立つや煙のはてもなし逢ふを限りともゆる思ひは(源親長[続拾遺])
我が涙逢ふを限りと思ひしに猶いひしらぬ袖の上かな(後嵯峨院[続拾遺])
思ひあまりあふをかぎりの詠めしてゆくへもしらぬ夕暮の空(宗尊親王)
こむ世には契ありやと恋ひしなむあふをかぎりの命をしまで(後宇多院[新後撰])
わたの原ゆくへもしらずはてもなし沖つ霞の春のあけぼの(後二条院)
恋ひしなむそれまでと猶歎くかなあふを限の思ひたえても(頓阿)
しら雲の八重山遠く匂ふなり逢ふをかぎりの花の春風(正徹)

題しらず

長しとも思ひぞはてぬ昔より逢ふ人からの秋の夜なれば(古今636)

【通釈】必ずしも長いとは思い決めないよ。昔から、逢う人によって決まる秋の夜の長さなのだから。

【補記】「思ひぞはてぬ」は「思ひはてず」を強めた言い方。「ぞ」の係り結びにより否定の助動詞「ず」が連体形「ぬ」となっている。

【主な派生歌】
くれはつる秋こそやがてしらせけれあふ人からの夜半のならひは(藤原家隆)
むつごとも逢ふ人からのならひかもいづらは夜半も長月の空(後鳥羽院)
ながしとぞ思ひはてぬる逢はでのみひとり月見る秋の夜な夜な(*宗尊親王)
またいつにこよひもまたむ月をしも逢ふ人からのしののめの空(三条西実隆)

題しらず

わがごとく我を思はむ人もがなさてもや憂きと世をこころみむ(古今750)

【通釈】私が相手を思うように私を思ってくれる人がいてほしい。それでも人と人の仲は厭わしいものかと試してみたい。

【主な派生歌】
よの中はさてもやうきと桜花ちらぬ春にもあひ見てしがな(飛鳥井雅有)

おなじ所に宮仕へし侍りて常に見ならしける女につかはしける

伊勢の海に塩焼く海人の藤衣なるとはすれど逢はぬ君かな(後撰744)

【通釈】伊勢の海で塩を焼く海人の粗末な衣がくたくたに褻(な)れているように、見慣れてはいるけれど逢瀬は遂げていないあなたですよ。

【補記】「藤衣」までは「なる」を起こす序。「なる」は衣服については着古して布地がくたくたになった状態を言う。

【主な派生歌】
須磨の海人の袖に吹きこす潮風のなるとはすれど手にもたまらず(藤原定家[新古今])
露分くる夏野の草のぬれ衣なるとはすれど色もかはらず(順徳院)
あま衣なるとはすれどいせ島やあはぬうつせはいふかひもなし(後水尾院)

恋歌の中に

五月雨のたそかれ時の月かげのおぼろけにやはわれ人を待つ(玉葉1397)

【通釈】梅雨の頃の黄昏時の月の光がよくぼんやりしているように、ぼんやりと好い加減な気持で私があなたを待っているとでもお思いですか。

【参考歌】よみ人しらず「拾遺集」
逢ふことはかたわれ月の雲隠れおぼろけにやは人の恋しき

【主な派生歌】
あふことをはつかに見えし月影のおぼろけにやはあはれともおもふ(*村上天皇[新古])

越の国へまかりける人によみてつかはしける

よそにのみ恋ひやわたらむしら山の雪見るべくもあらぬわが身は(古今383)

【通釈】遠くからずっと恋い慕ってばかりいるのでしょうか。白山の雪を見に行くすべもない私は。

【補記】離別歌。「越(こし)の国」は今言う北陸地方に当る。「しら山」は加賀白山(参考サイト)。「雪見る」に「行き見る」(あなたに逢いに行く)を掛ける。

【主な派生歌】
よそにのみきくの長浜ながらへて心づくしにこひやわたらむ(藤原為家)
何ゆゑに雪みるべくもあらぬ身のこしぢの冬をみとせ経ぬらむ(宗良親王)
ふりつもる雪みるべくもなき人の跡をも今朝はおもひやりつつ(〃)
かへるかり跡はしたへどしら山のゆきみるべくもなき雲路かな(下河辺長流)

甲斐の国へまかりける時に、道にてよめる

夜をさむみ置く初霜をはらひつつ草の枕にあまたたび寝ぬ(古今416)

【通釈】夜はひどく冷え込み、草葉に初霜が置く――その霜を払いながら、草を枕に何度も目覚めてはまた寝たことだ。

【補記】羈旅歌。「あまたたび寝ぬ」は、寒さに何度も目覚めてはまた寝たということであろう。幾晩も寝たという意味にもとれるが、それでは「初霜」という語に合わなくなる。「たび寝」に「旅寝」の意が掛かる。

【主な派生歌】
さすらふる我が身にしあれば象潟やあまの苫屋にあまたたび寝ぬ(*藤原顕仲[新古])

母がおもひにてよめる

神な月しぐれにぬるるもみぢ葉はただわび人のたもとなりけり(古今840)

【通釈】神無月の時雨に濡れる紅葉の色は、嘆き悲しむ私の血の涙に染まった袖の色そのままです。

【補記】哀傷歌。母の喪に服しての作。『躬恒集』には見えず、『忠岑集』に載る。

【参考歌】大伴池主「万葉集」巻八
神な月時雨にあへるもみち葉の吹かば散りなむ風のまにまに
  よみ人しらず「後撰集」
唐衣たつたの山のもみぢばは物思ふ人のたもとなりけり

【主な派生歌】
わび人のたもとしなくは紅葉葉のひとりや雨にぬれて染めまし(藤原為家)

題しらず

見る人にいかにせよとか月影のまだ宵のまに高くなりゆく(玉葉2158)

【通釈】見る人にどうしろというのだろうか、まだ日暮れて間もないうちから、月がどんどん高くなってゆく。

【補記】月夜をじっくり賞美したいと思う人の心を裏切るように、夜空を昇ってゆく月。『躬恒集』は第一句「みるほどに」。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
おもふよりいかにせよとか秋風になびくあさぢの色ことになる

延喜御時、御厨子所にさぶらひけるころ、沈めるよしを歎きて、御覧ぜさせよとおぼしくて、ある蔵人に贈りて侍りける十二首がうち

いづことも春の光はわかなくにまだみ吉野の山は雪ふる(後撰19)

【通釈】どこでも春の光は分け隔てなく射すはずですのに、この吉野山ではまだ雪が降っております。

【補記】詞書の「延喜御時」は醍醐天皇代。「御厨子所(みづしどころ)」は天皇の御膳を供進したり節会での酒肴を調える所。そこに伺候していた頃、不遇の我が身を歎き、ある蔵人に陳情した歌。天皇の慈悲を春の光に、自らの境遇を雪降る吉野山に喩えている。後撰集は春歌とするが、内容からして述懐歌とするのが妥当。

山のほうしのもとへつかはしける

世をすてて山にいる人山にても猶うき時はいづちゆくらむ(古今956)

【通釈】俗世を捨てて山に入る人は、山にあっても生き辛いと思う時には、どこへ行くのだろう。

【語釈】◇ゆくらむ 行くのだろう。この「らむ」は推量の助動詞。疑問詞「いづち」を受けて場所を推量する用法。

物思ひける時、いときなき子を見てよめる

今更になにおひいづらむ竹の子のうきふししげき世とは知らずや(古今957)

【通釈】不憫な我が子よ、今更どうして成長してゆくのか。竹の子の節ではないが、辛い折節の多い世とは知らないのか。

【補記】表面的には「竹の子は今更どうして生え出てきたのか」云々と言い、そこに幼い我が子への感慨を込めている。「ふし」「よ」は竹の縁語(「よ」は節と節の間の意)。「ふししげき」は竹については節が多い意になる。

友だちの久しうまうでこざりけるもとに、よみてつかはしける

水のおもにおふる五月の浮き草の憂きことあれやねをたえてこぬ(古今976)

【通釈】水面に生えている五月の浮草ではないが、憂きことがあるのだろうか、まるで浮草の根が切れたようにぷっつりとあなたの音信も絶えた。

【補記】「浮き草の」までが「うき」を起こす序。「ねをたえて」の「ね」には「音(ね)」すなわち音信の意を掛ける。

【参考歌】小治田広耳「万葉集」巻八
ほととぎす鳴く峰の上の卯の花の憂きことあれや君が来まさぬ

淡路のまつりごと人の任果てて上りまうで来ての頃、兼輔朝臣の粟田の家にて

ひきてうゑし人はむべこそ老いにけれ松のこだかくなりにけるかな(後撰1107)

【通釈】小松を引き抜いて植えた人が年老いたのも無理はありません。その松がこれほど高くなるまで育ったのですから。

【補記】「淡路のまつりごと人」は淡路掾。躬恒は延喜二十一年(921)正月、淡路掾に任官している。その任期が終わって上京した頃、藤原兼輔の粟田(京都市左京区)の別荘で詠んだ歌。「ひきてうゑし人」は作者自身を指すと思われる。

【参考歌】大伴旅人「万葉集」巻三
妹として二人作りし我が山斎(しま)は木高く繁くなりにけるかも

法皇西河におはしましたりける日、猿山の峡に叫ぶといふことを題にてよませ給うける

わびしらに(ましら)ななきそあしひきの山のかひある今日にやはあらぬ(古今1067)

【通釈】物悲しげに哭くな、猿よ。おまえの棲む山に峡(かい)があるように、甲斐のある今日ではないか。

【補記】宇多法皇の大堰川行幸の際、「猿、山の峡に叫ぶ」の題で詠むよう命ぜられて作った歌。「あしひきの山の」は「かひ」を起こす序。「かひある」は「張合いがある」程の意。「今日」は法皇行幸の今日。

【主な派生歌】
岩にむす苔ふみならす三熊野の山のかひある行末もがな(後鳥羽院[新古])
今朝ぞこの山のかひあるみむろ山絶えせぬ道の跡を尋ねて(藤原定家)
亀のをの山のかひある山桜万代ふべきためしとぞみる(西園寺公相[続拾遺])


公開日:平成12年04月08日
最終更新日:平成20年09月26日