大中臣能宣 おおなかとみのよしのぶ 延喜二十一〜正暦二(921-991)

伊勢神宮祭主頼基の子。母は未詳。子の輔親、孫の伊勢大輔なども著名歌人。
蔵人所に勤務したのち、天暦五年(951)、讃岐権掾となる。のち家職を継いで伊勢神宮に奉仕し、神祇小祐・大祐・小副・大副を経て、天延元年(973)、伊勢神宮祭主となる。以後十九年間在職。寛和二年(986)、正四位下。
天暦五年(951)、源順清原元輔らとともに梨壺の五人として撰和歌所寄人となり、万葉集の訓点と後撰集の撰進に携わる。天徳四年(960)の内裏歌合を始め多くの歌合に出詠。また屏風歌も多い。冷泉・円融二代にわたり大嘗会悠紀方歌人。平兼盛源重之恵慶らと親交があった。家集『能宣集』が三系統伝わるが、そのうち西本願寺本系統は能宣の花山帝への自撰献上本の系統をひくという。拾遺集初出。勅撰入集は120余首。三十六歌仙の一人。

  5首  2首  2首  2首 離別 2首  5首  更新 2首 計20首

天暦三年、太政大臣の七十賀しはべりける屏風によめる

たづのすむ沢べの蘆の下根とけ汀もえいづる春は来にけり(後拾遺9)

【通釈】鶴の棲む沢辺の蘆の地下の根に張っていた氷が解け、汀(みぎわ)がいっせいに芽吹く春はやって来たのだ。

【補記】太政大臣藤原忠平の七十歳を祝う屏風に添えた歌。屏風絵には水辺の鶴(言うまでもなく長寿の象徴)が描かれていたのだろう。地下の根を取り巻いていた氷も解け、水際の蘆の新芽が萌え出る春――生命再生の季節の到来を詠むことで、古稀を迎えてさらに長命を保つだろう大臣を祝福している(実際には、忠平は同じ年の秋に亡くなってしまうのだが)。『能宣集』によればこの時春夏秋冬あわせて十首の歌が献上されており、掲出歌はその最初の一首である。

【他出】能宣集、麗花集、難後拾遺、和歌童蒙抄、袋草紙、御裳濯和歌集

【参考歌】志貴皇子「万葉集」巻八
石走る垂水のうへの早蕨のもえいづる春になりにけるかも

【主な派生歌】
けさ見れば沢の若ぜり下根とけ緑にはゆる雪のむらぎえ(藤原隆信)
難波潟波もかすみの水籠りに下根とけゆく蘆のうら風(飛鳥井雅経)
雪やまだふる草まじる野辺の色沢べの蘆の下根とけても(柏原院)

入道式部卿のみこの子日(ねのひ)し侍りける所に

千とせまでかぎれる松もけふよりは君にひかれて万代(よろづよ)やへむ(拾遺24)

【通釈】千年までと寿命が限られる松も、今日からは、あなたに引かれて万年の命を保つでしょう。

【補記】「入道式部卿のみこ」は宇多天皇皇子敦実親王。正月初子(はつね)の日、小松を引いて遊ぶ行事にお供した際、その場で詠んだ作。これも長寿を予祝する賀意を籠めた歌である。「君にひかれて」は「君にあやかって」の意を兼ねるめでたい掛け詞。爽やかな調べが賀歌としての格調を与え、追従の卑屈さなど全く無縁である。公任の『三十六人撰』を始め多くの秀歌撰に選ばれて、中世まで秀歌の名を恣(ほしいまま)にした。

【他出】前十五番歌合、三十六人撰、金玉集、深窓秘抄、和漢朗詠集、奥義抄、袋草紙、古来風躰抄、定家八代抄、御裳濯集、悦目抄

【主な派生歌】
今日よりは君にひかるる姫小松いくよろづ代か春にあふべき(*九条兼実[玉葉])
琴の音はむべ松風にかよひけり千年をふべき君にひかれて(*二条太皇太后宮大弐[玉葉])
今日よりは君にひかれてあふひ草二葉の松の千よに八千世に(細川幽斎)
まもれ猶君にひかれて住吉のまつのちとせは万世の春(北条氏政)

あるところの歌合に梅をよめる

梅の花にほふあたりの夕暮はあやなく人にあやまたれつつ(後拾遺51)

【通釈】梅の花が匂う辺りの夕暮にあっては、むやみに人の薫香と間違われて、来客があったのかと思い違いをしてばかりいる。

【補記】梅の香と衣に焚き染めた香(「梅花香」という薫物があった)とを間違える趣向は、古今集の読人不知歌「やどちかく梅の花うゑじあぢきなく待つ人の香にあやまたれけり」に見える。能宣の歌はこの本歌取りと言えるものだが、「梅の花にほふあたり」と香る空間の漠とした広がりを示し、艶な風情で本歌にまさる。恋の趣が添うことは言うまでもない。「あや」の繰り返しは待つ人の戸惑いの表情をユーモラスに映し出すかのようだ。

春の歌の中に

花散らばおきつつも見む常よりもさやけく照らせ春の夜の月(続後拾遺132)

【通釈】花が散ってしまうのであれば、ずっと起きながら見ていようから、いつもより冴えた光で照らしてくれ、春の夜の月よ。

【語釈】◇おきつつも 庭に散ったままに花を「置きつつも」の意を掛けるか。

【補記】『能宣集』には「はるのよの月」の題で載り、これも屏風歌であったらしい。月に呼びかける趣向。二句・四句切れの調べは丈高く爽やかである。「春は朧月」との常識を背景に据え、腰の句「常よりも」は文字通り一首の要となる。尤も、当時、歌題「春月」はまだ新趣向と言えるもので、能宣の歌は「春の夜の月」という結句を用いた最初期の例である。

やよひのつごもりがたに、雨のふる夜、春の暮るるを惜しみ侍る心をよむに

暮れぬべき春のかたみと思ひつつ花のしづくにぬれむ今夜(こよひ)(能宣集)

【通釈】やがて暮れてしまう春の残してゆく形見と思いながら、今夜は花の雫に濡れよう。

【補記】雫も香りたつような艶な趣向であるが、「濡れむ今夜は」の強い結びは惜春の情を切実に伝える。花は遅桜と見れば無理はないとは言え、なお咲いている桜を暮春の歌に詠む例は稀で、その意味でも異色の着想である。本文は群書類従本『能宣集』に拠ったが、西本願寺本三十六人集は下句を「花のしづくにぬるるこよひを」とし、声調なだらかに、表現を柔らげている。

屏風に

昨日までよそに思ひしあやめ草けふ我が宿のつまとみるかな(拾遺109)

【通釈】昨日までは無縁のものと思っていた菖蒲草が、五月五日の今日、我が家の軒端を飾っているのを見るのだなあ。

【補記】端(つま)は妻に音が通うことから、疎遠だった人とたった一夜を境に離れ難い仲となる、男女の縁の不思議さを匂わせている(古今集読人不知歌「あやめもしらぬ恋」が響くことは言うまでもない)。一首に二つの文脈を重ねる技法と言い、四季詠に恋歌の風味を添える趣向と言い、能宣が古今集の正統を引き継ぐ歌人であったことを示している。彼に対する古来の評価の高さも、そこに一因があったことは間違いあるまい。なお書陵部蔵御所本三十六人集では詞書「五月、菖蒲(さうぶ)ふきたる家のはしに、人ながめてゐたるところ」とあり、屏風絵がおおよそ想像できる。

六月、おなじ御前の前栽ほるに、嵯峨野にてなでしこを人々よみしに

時鳥なきつつかへるあしひきのやまと撫子咲きにけらしも(能宣集)

【通釈】ほととぎすが鳴きながら山へ帰って行く――ちょうどその頃、やまと撫子の花が咲いたのだなあ。

撫子 東京都調布市 神代植物公園にて
撫子の花

【語釈】◇咲きにけらしも 「けらしも」はこの場合特に推量の意は含まず、婉曲的詠嘆の用法と見てよかろう。

【補記】詞書に「おなじ御前」とあるのは、和歌所のあった梨壺の前の庭園を指す。そこの前栽に撫子を植えようと、嵯峨野に繰り出した時の詠ということだろう。時は晩夏六月。「時鳥が鳴きながら山に帰って行った/大和撫子が咲いた」。同時期の二つの風物を「山」「大和」が同音を持つことを利用して連結してみせた。かように垢抜けした技巧を披露する能宣は、後撰集の撰者に任命されて梨壺に勤めた時、三十そこそこの若さであった。なお新古今集夏部には「題しらず」として第二句を「なきつついづる」としている。これだと季節感にずれが生じ、上三句の序は無心と有心の間を不安にさまようことになる。新古今撰者はむしろそこに興趣を見たか。

題しらず

もみぢせぬときはの山にすむ鹿はおのれ鳴きてや秋をしるらむ(拾遺190)

【通釈】その名の通り萩も黄葉しない常盤の山に棲む鹿であれば、秋であることを自分の鳴き声によって知るのだろうか。

【補記】「ときはの山」は山城国の歌枕であり、また常緑樹に覆われた山をも意味する。鹿と萩は夫婦のように見なされ、萩の黄葉する季節が彼らの恋の季節であった。それゆえ、「もみぢせぬ」は単なる語呂合せに終わらず、鹿の孤独を際立たせる。「鳴き」はそのまま「泣き」であり、秋の情趣と恋の悲哀が響き合い深まり合うのである。

【他出】拾遺抄、金玉集、和漢朗詠集、三十人撰、三十六人撰、深窓秘抄、重之集、古来風躰抄、定家八代抄

【本歌】紀淑望「古今集」
紅葉せぬときはの山は吹く風のおとにや秋を聞きわたるらむ

【主な派生歌】
あは雪の今もふりしくときは山おのれきえてや春をわくべき(藤原定家)
朝な朝なおのれ鳴きてや鶯の年たちかへる春をしるらむ(二条為氏[新千載])

九月十余日ばかりの月に、まへちかき菊のいとおもしろくみえわたりはべれば

かをらずは折りやまどはむ長月の月夜にあへる白菊の花(能宣集)

【通釈】香をたちのぼらせなければ、手折るのに迷ったろうよ。晩秋九月の夜、月の光と一つになった白菊の花を。

【補記】百人一首にも採られた凡河内躬恒の名歌「心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花」は霜と白菊の紛らわしさを詠んだが、この歌では白皚々(はくがいがい)の月光と白菊を取り合わせた。躬恒歌の本歌取りと言うよりは、下記貫之の歌に学んだところが大きいか。尤も、風物を視覚でなく嗅覚によって区別・認識するとの趣向は、躬恒の「月夜にはそれとも見えず梅の花香をたづねてぞしるべかりける」「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそみえね香やはかくるる」などからインスパイアされたことが窺われる。いずれにしても、古今集を忠実に継承する正統的な歌風と言える。

【参考歌】紀貫之「貫之集」
いづれをか花とはわかむ長月の有明の月にまがふ白菊

はじめて平野祭に男使たてし時、うたふべき歌よませしに

ちはやぶる平野の松の枝しげみ千世も八千世も色はかはらじ(拾遺264)

【通釈】平野の松の枝が盛んに繁っていて永遠に美しい緑を保つように、この社はいつまでも栄え続けるでしょう。

【補記】「平野」は京都の平野神社。平安遷都の際、桓武天皇の命により大和国から勧進され、延喜式内社として重んじられた。花山天皇の寛和元年(985)四月十日、臨時の勅祭が行なわれ、この際藤原惟成が勅使として派遣されている。能宣の作もこの時のものかと言う。長寿・常緑の松を詠んで、神社ひいては花山天皇の御代の永続を言祝(ことほ)いだ。なお初句「ちはやぶる」は「神」などの枕詞であるが、ここでは「勢い盛んな」ほどの意を響かせて「平野」さらには「松の枝」にまで掛かかるばかりか、「よもやよも」とも音が響き合い、一首全体に妙なる効果を及ぼしている。

三善佐忠、(かうぶり)し侍りける時

ゆひそむる初元結(はつもとゆひ)のこむらさき衣の色にうつれとぞ思ふ(拾遺272)

【通釈】初めて結い上げる髻(もとどり)の糸の濃紫――その色が将来のあなたの衣の色にまで移ることを願いますよ。

【補記】三善佐忠(伝不詳)が元服した時の祝い歌。「初元結」すなわち元服して初めて結い上げる髻(もとどり)を束ねる糸の色に言寄せて、若人の将来の出世を願ったもの(平安中期、四位以上の袍が紫色とされていた)。型に嵌り単調に陥りがちな賀歌を、この作者らしい爽やかな調べが救っている。

【主な派生歌】
ゆひそめて馴れしたぶさの濃むらさき思はず今も浅かりきとは(*源実朝)
我が恋は初元結のこむらさきいつしかふかき色に見えつつ(後醍醐院[風雅])
いつしかと初元結のこむらさき色に出でつつうちとけねかし(宗良親王)
袖にみむ初元結のこむらさきそめます色は千世もかはらじ(木下長嘯子)

離別

伊勢よりのぼり侍りけるに、しのびて物いひ侍りける女のあづまへくだりけるが、逢坂(あふさか)にまかりあひて侍りけるに、つかはしける

ゆくすゑの命もしらぬ別れぢはけふ逢坂やかぎりなるらむ(拾遺315)

【通釈】将来の命は知れず、いつか再びこのような僥倖に恵まれるとも思えない。今日逢坂で逢って、こうして別れるのが、永の訣れなのだろうか。

【補記】伊勢神宮に奉仕していた能宣が上京する際、ひそかに情を交わしていた恋人が東国へ下るのと、逢坂の関でばったり出くわした。その時女に贈った歌という。百人一首にも採られた蝉丸の名歌「行くも帰るも別れては」を地で行くような再会であり別離であった。詞書の劇的なシチュエーションを裏切らない、切々たる離別歌となっている。

【主な派生歌】
はかなさの命もしらぬ別れぢはまてどもえこそちぎらざりけれ(藤原知家[続後撰])

田舎へまかりける人に、旅衣つかはすとて

秋霧のたつ旅ごろもおきて見よ露ばかりなる形見なりとも(新古860)

【通釈】秋霧の立つこの季節、旅の衣を裁って差し上げますので、手もとに置いて眺めて、私を思い出して下さい。露ほどのはかない形見だとしても。

【補記】地方へ下る人に、旅行用の衣服を贈った時の歌。「秋霧のたつ」は旅発ちの時期が霧の立つ季節であったことを示すと同時に、同音の「裁つ」から「衣」を導く序詞でもある。「おきて見よ」は「(形見として)手元に置いて見て下さい」ということで、「おき」は次句の縁語「露」を言い起こすはたらきもする。「おきて」は「着て」を含むし、「露」は別れの涙を暗示もしよう。幾重にも折り込まれた詞の技巧は、旅立つ人への思いの深さなのである。

題しらず

みかきもり衛士のたく火の夜はもえ昼はきえつつ物をこそ思へ(詞花225)

【通釈】皇居の門を護る衛士(えじ)の焚く篝火、その炎が夜は燃え盛り、昼は消え尽きているように、私もまた、夜は恋心を燃やし、昼は消え入るばかりに過ごしているのだ。

【語釈】◇みかきもり 御垣守。宮廷の諸門を警固する者。「みかきもる」とする本もある。◇衛士(ゑじ)のたく火 衛門府の兵士が焚く篝火。「衛士」は諸国の軍団から毎年交替で上京し、宮城の諸門などを守った兵士。◇夜はもえ昼はきえつつ 恋情を焚火の炎に喩える。「きえつつ」は消え入りそうな思いで過ごすこと。

【補記】この歌は百人一首に採られて名高いが、能宣の家集には見えず、作者について疑義が提出されている。下記『古今和歌六帖』所収の作者不明歌の異伝とする説(香川景樹『百首異見』など)がほぼ通説となっている。

【参考歌】作者不明記「古今和歌六帖」
君がもる衛士のたく火の昼はたえ夜はもえつつ物をこそ思へ
  村上天皇「御集」
みかきもる衛士のたく火の我なれやたぐひ又なき物おもふらむ
  作者不明記「和漢朗詠集」
みかきもる衛士のたく火にあらねども我も心のうちにこそ思へ

【他出】古今和歌六帖(上掲参考歌)、後葉和歌集、俊成三十六人歌合、定家八代抄、八代集秀逸、時代不同歌合、別本八代集秀逸(後鳥羽院撰)、百人一首

【主な派生歌】
暮るる夜は衛士のたく火をそれと見よ室の八島も都ならねば(藤原定家[新勅撰])
あしのやに蛍やまがふ海人やたく思ひも恋もよるはもえつつ(〃[続後撰])
みかきもり衛士のたく火はよそなれどとへかし人のもゆる思ひを(後鳥羽院)
夜はもえ昼はをりはへなきくらし蛍も蝉も身をばはなれず(源家長[続後撰])
我が恋はあまのいさり火よるはもえ昼はくるしき浦の網なは(藤原家良[続古今])
夜はもえ昼は消えゆく蛍かな衛士のたく火にいつならひけむ(宗尊親王[続拾遺])
みかきもり衛士のたく火の数そひて玉しく庭に飛ぶほたるかな(宗尊親王)
しれかしな衛士のたく火のなにならでよる昼わかずもゆる思ひを(冷泉為村)
ひるはきえ夜は寒(さ)えつつふる雪に衛士のたくひを頼むころかな(松永貞徳)
御垣もる花はいくとせ咲きちりて吉野の春にもの思ふらむ(加納諸平)

女の許に紅梅さしてつかはしし

なげきつつ涙にそむる花の色のおもふほどよりうすくもあるかな(能宣集)

【通釈】何度も嘆いては涙で染めた花の色ですが、私の思いに比べれば薄いようですねえ。

【補記】恋人のもとへ、手紙に紅梅を差し挟んで贈ったのである。色鮮やかな紅梅を血涙で染めたと言いなし、それでも自分の恋心の深さに比較すれば浅い色だと主張する。大げさな表現にはかえって余裕の感じられるユーモアが漂い、女との仲の親密さが窺われる歌である。女の返歌は「うぐひすの涙はさともなきものをいくらそめてか色となるらむ」。梅の花なら涙の主は鶯でしょう、そんな小さな鳥がどれほど血涙を注いだものやらと、諧謔で以ていなしつつ、相手を思いやる情は示している。

又かよふ人ありける女のもとにつかはしける

我ならぬ人に心をつくば山したにかよはむ道だにやなき(新古1014)

【通釈】私ではない人に心を寄せているのですね。せめて、ひそかに通う道だけでもないのでしょうか。

【補記】自分以外の男を通わせていた女に贈った歌。要するに密通を唆しているのである。「つくば山」は下記本歌を背景に「心をつく」と「下にかよふ」を繋げるために持ち出してきた歌枕であるが、歌垣で名高い恋の山ゆえ、思いを伝える歌に用いるのは縁起がよい語なのであった。本歌取りの手法と言い、俗謡を採り入れた流暢な調べと言い、後世の歌風の先駆をなしている。新古今集に選ばれたのもその故であろう。

【本歌】風俗歌「筑波山」
筑波山 は山しげ山 茂きをぞや 誰が子も通ふな 下に通へ わがつまは下に

【参考歌】作者不明記「古今和歌六帖」
つれもなき人に心をつくばねの峰の朝霧はれずこそ思へ
  よみ人しらず「拾遺集」
おとにきく人に心をつくばねのみねど恋しき君にもあるかな

年をへて言ひわたり侍りける女の、さすがに気近くはあらざりけるに、春の末つ方いひつかはしける

いくかへり咲き散る花をながめつつ物思ひくらす春にあふらむ(新古1017)

【通釈】幾度繰り返し、咲いては散る花をただ眺めながら、物思いに耽って過ごす春に巡り逢うのでしょうか。

【補記】長年言い寄っても深い仲に至らなかった女に、春の終り頃に贈った歌。『能宣集』では第三句「すぐしつつ」。

春夜、女のもとにまかりて、あしたにつかはしける

かくばかり寝であかしつる春の夜にいかに見えつる夢にかあるらむ(新古1385)

【通釈】あのように(あなたと二人)一睡もせずに明かした春の夜であったのに、どうしてあんな夢を見ることができたのでしょうか。

【補記】後朝の歌。《寝ないのに夢を見た》という逆説の知的な面白さを表に立てつつ、実は共に過ごした夜の濃密な情交の記憶を呼び覚ますことで、女に対して深い結びつきの確認を求めた歌である。なお、書陵部蔵御所本三十六人集の『能宣集』では第三・四句「はるのよをいかでありにし」、また西本願寺本『能宣集』では「はるのよをいかでみえつる」とあり、新古今集の歌形は撰者による添削が入ったものと思われる。

【主な派生歌】
うつつには思ひたえゆく逢ふことをいかにみえつる夢路なるらむ(藤原俊成)

あるところに庚申し侍けるに、みすのうちの琴のあかぬ心をよみ侍ける

絶えにけるはつかなる()をくりかへしかづらの緒こそ聞かまほしけれ(後拾遺1149)

【通釈】やんでしまったかすかな音を――繰り返しその美しい琴の音が聞きたいものです。

【語釈】◇庚申(かうしん) 庚申待。庚申の晩、徹夜して神仏を祭ること。◇かづらの緒 葛の緒。陶淵明が葛を弦の代りとしたことから、弦楽器の弦をこう言ったものか。なお「絶え」「繰り」は葛の縁語。

【補記】書陵部蔵御所本三十六人集の『能宣集』では、詞書「さい宮、御庚申にさぶらひて、あそびつかまつるほどに、みやの御ことのねあかぬよしをだいにて」(大意:斎宮が御庚申で演奏したところ、その琴の音が飽きないほど素晴らしいということを題にして)とあり、斎宮女御が「琴のねに峰の松風かよふらしいづれのをよりしらべそめけむ」(拾遺集)を詠んだのと同じ時――貞元元年(976)十月二十七日の晩の作であるらしい。

神楽し侍るところ

山人のたける庭火のおきあかし声々あそぶ神のやをとめ(能宣集)

【通釈】山人が焚いている庭火の燠が赤々と一晩中燃え続け、夜を徹して声々に神楽を歌い舞う少女たちよ。

【補記】詞書から屏風歌と判る。「山人(やまびと)」は炭焼のことだが、ここでは神楽の庭火に奉仕している人たちを言うのだろう。「庭火」は神楽を奏する場所の浄化・照明のための焚火。「おきあかし」には「燠(おき)赤し」すなわち炭火の赤い意を掛ける。「神のやをとめ」は神楽を舞う少女。能宣は炎のイメージを好んだのだろうか、「いさり火の暮るればうかぶ影をこそ天つ星とはいふべかりけれ」「朝狩の露に濡れたる衣をば夜の照射の火にやほすらむ」など、家集には火を詠んだ歌が多く見られる。なお西本願寺本『能宣集』では結句「神のきねかな」。


更新日:平成16年11月28日
最終更新日:平成18年08月18日