鎌倉広町緑地を歩く

 

鎌倉広町緑地とは

七里浜と鎌倉山の間に残された里山が鎌倉広町緑地である。開発業者が山を削り、谷(や つ)を埋める大規模な宅地開発を鎌倉市に申請したため、20年来、開発か否かでゆれていた。鎌倉市は都市森林公 園にすることを決定し、買収交渉をして2002年10月ついに合意したようである。長らく人の手が入っていないのでありのままの自然が観察できる貴重な所 である。

鎌倉は当時の人が「鎌倉城」と呼んだ城砦都市であった。鎌倉の外郭をなす山々に戦略拠点として構えられた砦の一つに西の警備を固める「竹ヶ谷古城」という 砦 があった。後北条氏の山城にも使われたようだ。広町緑地はほぼそれをカバーしていると考えられる。

海抜は50mを超えるところがあり、津波時、近隣住民の避難地として適している。


 

七里ケ浜と鎌倉広町緑地  グーグル地図

都市森林公園の計画面積は60ヘクタール。遊歩道の総延長は8.6kmである。入山するとリスが警告 音で歓迎してくれる。危険な生物は、マムシとウルシ科の植物である。広町を守る会の人々が下草や笹を刈って散策ルートを整備してくれているので、ほとんど の道はなんとか歩けるようになっている。

広町を守る会の人々が下草や笹を刈って散策ルートを整備してくれているので、ほとんどの道はなんとか 歩けるようになっている。

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広町緑地の航空写真

(鎌倉の自然を守る連合会のパンフレットより)

 

広町の里山へのアクセスと散策ルート

下の地図で赤色のルートはメジャーな散策路でスニーカーでも歩き易い。紺 色のルートはマイナーなルートでほとんど冒険に近いルートである。広町緑地に公道から入るアクセスは図のように7つある。


鎌倉広町緑地の案内図

地名は伝統的なものに自然観察委員会で命 名したものを使用

等高線の色は凡例の色で示した林冠樹 種を表す

グリーンウッド氏在住の七里ヶ浜2丁目奥の七里ヶ浜入り口から歩くと仮定 して解説する。この地点は標高68メートルの高地にある。そもそも分水嶺の南面は既に開発されて七里ヶ浜住宅地になり、北面の里山が広町緑地として残され たわけである。

ルート@:七里ヶ浜入口から入って西側外周道路であるルートAの桐見台を 直進し、御所ヶ丘の家並みが見えるところで左折して洗い坂を下って室ヶ谷(むろがやつ)に入る。 室ヶ谷を西に進めばモンタナ修道院前の室ヶ谷入口に至る。

ルートA:これは西側外周道路である。七里ヶ浜入口から入って桐見台を直 進し、御所道を北進し、御所ヶ丘入口に出るか、更に小竹ヶ谷(こたけがやつ)に下り、御所ヶ谷入口に至る道。

ルートB:七里ヶ浜入口から入って西側外周道路であるルートAの桐見台を 直進し、しばらくして右折し、小峯山の尾根に入り、尾根伝いに北に行くと第一桜がある。急斜面を東に降りて小竹ヶ谷に入り、そのまま谷を直進して御所ヶ谷 入口に至る。または道はないが西に下れば勾配は少し楽、御所ヶ丘入口に出る

ルートC:七里ヶ浜入口から入って西側外周道路であるルートAの桐見台を 直進し、すぐ右折するとこの界隈の最高点にでる。ここからは稲村ケ崎方面の見晴しがよい。峯山の尾根道伝いに北に行くと西に視野が開けて富士山を遠望できる富士見台にでる。尾根道が尽きたところで笹をかき分け東側の急斜面 というより崖をロープで東側の大竹ヶ谷に降りる道があったが今も使えるか不明。ここを谷に下って大竹ヶ谷を北進して御所ヶ谷入口に至る。だたこの谷道も公 園当局は立ち入り禁止の看板をかかげたので使えなくなっている可能性がある。笹が生い茂っていて道を切り開くのは大変だが、まっすぐ尾根筋を北に下るのが ベスト。方角もわからない中で笹を切り開くと、けもの道が現れ、中型獣の巣穴の前にでる。数日引っ越しの猶予を与えて前を通らせてもらおう。完全な尾根筋 は笹が蜜に生い茂り、とてもそこに道はつけられない。峰の西側数メートル下の笹の密度の低い獣道を拡張する形で前にすすむ。GPSを使って最短距離を進む つもり。

ルートD:七里ヶ浜入口から入ってすぐ右折し、東側外周道であるルートG を東進
し、途中で左折して大竹ヶ谷に入る急坂を下って大竹ヶ谷を北上する。 大竹ヶ谷を北進して竹ヶ谷経由御所ヶ谷入口に至る。 湿地帯を通るために長靴がお奨めであったが2007年の台風で崖崩れが発生して通過不能ということになっている。長靴をはけば通れないことはない。 2013年になり七里ヶ浜入口から大桐に向かって沢を下る獣道ができた。

ルートE:七里ヶ浜入口から入ってすぐ右折し、東側外周道であるルートG を東進し、霊光寺裏 を過ぎたところで立ち入り禁止の看板を無視して左折すれば、竜王山経由、大竹ヶ谷に斜面をトラバースしながら下れた。大竹ヶ谷を北進して竹ヶ谷経由御所ヶ 谷入口に至る。いまでもコンクリート製の貯水槽までは往復できる。

ルートF:七里ヶ浜入口から入ってすぐ右折し、東側外周道であるルートG を東進し、七里ヶ浜小学校付近で左折し、シダ道をルートHに下る。

ルートG:これは東側外周道である。七里ヶ浜入口から入ってすぐ右折し、 大桐を左手に見ながら東に向かい 暫時北進しウサギ山に向かう。

ルートH:ルートGの浄化センターの排気筒付近から左折して喜八窪に下 り、奥竹ヶ谷、竹ヶ谷経由御所ヶ谷入口に至る道。

ルートI: 第二次大戦中の対空高射砲台のあったというウサギ山から尾根を西進し、竹ヶ谷出口に向かって下る。最後は急でロープがある急坂。竹ヶ谷出口から御所ヶ谷入 口に至る。

ルートJ:ウサギ山から東進し、七里ヶ浜東入り口に至る。七里ヶ浜東入り 口付近に鎌倉時代に人工的に掘削したと見える空堀が残っている。「竹ヶ谷城」の東の端に当たるところだ。ここから鎌倉 山住宅地に抜けることが出 来る。

ルートK:ルートJから左折し、稚児桜にでる。尾根を奥御所ヶ谷に下る道 は最近閉鎖になったようだ。

ルートL:ルートJから左折し、石切場のあるヤセ尾根を奥御所ヶ谷に下 る。

ルートM:奥御所ヶ谷と御所ヶ谷入口を結ぶ平坦な道。ホタルの名所であ る。

ルートN:ルートAの御所道を尾根沿いに御所ヶ谷入口に至る峰道。ヤブ深 く、夏は通過不可。

このほかルートといえるほどではないが浄化センターに抜ける短い抜け道も ある。ここは急坂である。室ヶ谷から鎌倉高校に抜けるルートもあるが、学校用地に入るところで通行禁止となっている。

広町の水系

谷戸には泉から湧き出た小川が流れている。コンクリートで固められていない小川は子供の頃の原風景だ。梅花 藻(ばいかも)こそ生えていないが、ジョン・エヴァレット・ミレイの英国美術の最高傑作と言われる絵画「オフィーリア」もこのような舞台を描い ている。心を和ませる風景だ

小川の中で最も大きいのは御所ヶ谷にあるものでカワニナが生息し、夏には蛍の名所となる。ついで竹ヶ谷の湿 原を流れ下る小川が2番目に大きい。小竹ヶ谷の小川はほとんど目だたない。

ルートH I6地点 竹ヶ谷の湿原    2010/4/30撮影

 

広町緑地の植生

かって鎌倉界隈の山はスダジイ、谷や平坦部はタブノキで埋め尽くされていたといわれる。住宅地として開発され、タ ブノキは伐採され、今は山の傾斜地にわずかしか残っていない。5月の建長寺奥、半僧坊の裏山に見事な金色の花で 輝くのはスダジイである。建長寺の奥にある半僧坊の西側にもタブの巨木が一本残っている位であるが、ここ鎌倉高校の裏山、鎌倉広町緑地にはタブノキ、スタ ジイが残っている。まことに貴重な所である。

ケヤキ、ムクノキ、サクラ、コナラ、ク ヌギカ ラスザンショ ウ、ヤマウルシ、ハ ゼノキなど落葉樹で構成される陽樹林は20-30年で再生されるが、スダジイ、タブノ キ、モチノキとヤ ブツバキ、アオキなどの林床から構成される陰樹林が再生されるためには200-500年かかるといわ れる。

明治時代に陸軍測量部が作成した地図にある鎌倉広町緑地は松林となってい る。これは津と広町の谷にある水田に周りの里山から落葉を長年供給し続けると、貧栄養となって松しか生えない痩せた土地になっていたためである。すぐ近く にある竜口寺の100年前の写真に も竜口寺裏山の松林が写っている。昭和初期には広町の里山の頂上部は畑になり、一部は茅ぶき屋根用の茅場となっていた。1961年に撮影された七里 ヶ浜二丁目は広町の隣接地だが、ここにもまだ木はまばらにしかない。戦後はスギ・ヒノキの植林がなされたが、林業の衰退とともに水田とともに放棄 されて現在に至った。開発か保存かで20年間人の手が入らない間にかっての畑や茅場にはコ ナラなどの落葉樹からなる二次林が自然に育った。急斜面で戦時中にも畑にならなかったところは松が駆逐され、昼なお暗い鬱蒼としたス ダジイの森となっている。現在の竜口寺の写真で は裏山が鬱蒼とした森に覆われているが、これと同じである。

鎌倉広町緑地にある巨木はルートCにある大桐とルートKにある稚児桜で、 いずれもかって人が植えたものである。

ルートAが通る小竹ヶ谷はかっての水田の跡である。現在は水田跡が荒れる に任されている。

ルートBのある小峯山の尾根筋はスギの植林地であったようである。

ルートC:七里ヶ浜入口から入って西側外周道路であるルートAの桐見台を 直進し、すぐ右折するとこの界隈の最高点(海抜65m)にでる。ここからは稲村ケ崎方面の見晴しがよく、山桜が咲き乱れている。遠くにみえるのが三浦半島 でその裏側は横須賀軍港だ。


峯山の最高点か ら稲村ケ崎を望む 2013年4月1日

大桐は七里ヶ浜入口から入った大竹ヶ谷の最深部の東南斜面の中腹にある。 ルートCの峯山の最高点から見下ろすことができる。春には花が丁度藤を逆さにしたように咲き美しい。この大桐には 大竹ヶ谷からは冬でもジャングルで近づくことは困難である。キリは ゴマノハグサ科である。

ルートC H16地点 花をつけた大竹ヶ谷最奥の大桐  2008年4月28日

ルートCが通る峯山の頂上はマダケに占領されていたが、有志の 努力でほぼ伐採が終わりコナラの苗木が植えられた。峯山東斜面は常緑ブナ科のシ ラカシの大木常緑ブナ科のア カガシの大木があるが、ほとんどアズマネザサに 占領されている。常緑モクセイ科のシロダモの幼木もササを刈った後に育ちつつある。峯山の北側には常緑クスノキ科のタ ブノキと落葉、ミズキ科のミ ズキの大木がうっそうとしている。モクレン科

ホウノキも散見される。ルートCの北に連なる峯には 杉の植林の後が見れる。峯山の西斜面はもうタブノキ、スダジイ、モチノキだらけである。落葉ブナ科のコ ナラもある。

ルートC H14地点 峯山の頂上  2008年4月28日

ルートDを北に向かって大竹ヶ谷に下ると、大桐のある谷との合流地点の深 い谷の中心にム クノキの大木がある。大竹ヶ谷には桜の大木も多い。大竹ヶ谷の周りの木々は野鳥の夜の宿になっている。

ルートD I16地点 大竹ヶ谷のムクノキ  2008年4月28日

大竹ヶ谷ルートDを更に下るとかって水田であった所に出る。上流部にはセ リが自生しているあたりは水がよどんで今はヘイケボタルの生息地となっている。里山の谷筋を流れるせせらぎにはカ ワニナが生息しているため、ゲンジボタルは広町全体に広がっている。ルートDの最下流の竹ヶ谷は草原になっている。この草原の下流の土盛りした土 地に鎌倉彫りのウルシ採取のためのウルシ林がある。ウルシ 林の周りもウルシ科の樹木が多いので注意が必要である。

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ルートD J7地点 竹ヶ谷の草原 1999年冬

ルートEのある竜王山から大竹ヶ谷に落ちる尾根はコナラと山ザクラが多 い。土地の人の話では終戦直後はまだ茅葺屋根の材料にするためのカヤを育てていたのだが、カヤを刈ることもなくなり、いつのまにかコナラが伸びてきたのだ そうである。1969年撮影の航空写真にもこのカラヤが写っている。コナラの林もいずれはスタジイに遷移するのだろう。養蚕がすたれてからは土地の境界に 植えられたクワの木が大木になっている。竜王山の山頂付近はアズマネザサにほとんど覆われている。ここは昔畑であったところらしい。ところでコナラの原木 に種を植えるとシイタケが採れる。

ルートFのある谷はほとんどスギの植林地で林床はシダ類のヤブである。

ルートGの東外周道路にそった竜王山の東斜面はスダジイの林となってい る。 七里ヶ浜から入ってしばらくはグリーンウッド氏が七里ヶ浜の有志と新たに開通させた道だ。地図のN13では1本の幹から ロープが垂れ下がっている 。紳士「みひ郎」氏が見つけたものだ。樹の股に通したロープが樹の成長に伴い、取り込まれたものだろう。典型的なトマソン物件である。近日中に「みひ郎」氏のブログ「可笑し な風景」にイラストと共に登場するらしい。グリーンウッド氏も早速撮影させてもらった。「みひ郎」氏の「びっくり百面樹」もこの森で発 見したらしい。

ルートG O12 地点 樹の幹に癒着したロープ 2007年11月

浄化センターの排気筒から喜八窪に入るルートHを少し下ったところに見事 なケヤキの大木がある。喜八窪、奥竹ヶ谷、大竹ヶ谷の谷筋にはその実が青色染料として使えるクサギの潅木がある。その若葉は食用になり根は薬草になる。

ルートH I10地点 ケヤキの大木 2007 年6月

ルートIの東端はウサギ山であるがこの山頂にはヤマザクラの巨木の林と なっている。

ウサギ山から東進し、七里ヶ浜東入り口に至るルートJはほとんど桜とスダ ジイの林である。

ルートJの枝ルートKは稚児桜と言われる樹高16mの桜の巨木にゆくルー トである。稚児桜の手前にスダジイの大木がある。稚児桜は樹齢200年という。山桜と大島桜の雑種とのこと。

ルートK Q3地点 稚児桜  2007年6月

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ルートK Q4地点 稚児桜近くのスダジイの大木

石切場のあるやせ尾根であるルートLには杉の植林の後が散見される。石切場と呼ばれるところは侵食で岩盤が 露出していて垂直の断崖になったいるためそう呼ばれている。

稚児桜がある尾根ルートKと岩切場のある尾根ルートLの間にある倒木谷にはケヤキの大木がある。2002年の巨大台風でかなり風倒木となった。沢は歩きは 難儀である。広町にある枯れ木や倒木のほとんどはツタ類に寄生されてその重みで倒れるもの多い。リスの食害も見られる。

ルートMの御所ヶ谷入口付近では市が土地取得してから御所ヶ谷で有志によ る水田耕作の再開があった。

ルートM J4地点 実った稲田 2007/9/24撮影

もともここは水田地帯であったが放棄されてからはススキの原になったいた し、いまでも大部分はそうである。

ルートM K4 地点 御所ヶ谷のススキの原 2007年11月25日撮影

ルートMの北側には澄んだせせらぎが流れている。ここからみる広町の里山 はスギ、エ ノキ、サクラの大木が生い茂りみごと。谷底にはだれが植えたのか15メートルに生育した外来種のメタセコイヤが2本ある。この谷間にあるせせらぎ の川底がエロージョンで下がるにつれ、周りの水田の跡地の地下水位も下がり、乾燥化の圧力がかかている。そのためか水田跡地に自生していた湿性植物も減少 傾向にある。

ルートMはホタルの名所でもある。2007年6月16日にグリーンウッド 夫妻は初めてホタルを見に出かけた。夜8:00が最も多いという。半夏生谷に一番多く居て、同時に10匹が同期して点滅するのを目撃できた。

夕方7:00のホタルの事前探査 で奥御所ヶ谷のエノキの姿が良いことに気がついた。まえからそこに大木があることは知っていたが、草原に1本だけ立っている樹木の四季を写真に撮影したい と思って探していた。歩いてアクセスできるのでこの木を1年間撮影してみようと思い立った。エノキは落葉樹のため冬の姿も良いだろう。こうして1年かけて 撮影したのが下の写真である。エノキは洪水がたびたび発生する谷間の平地のヘリの多いというがまさにその通りのところにある。

2月3日

4月8日

6月17 日

12月18日

 

ルートM O1地点 奥御所ヶ谷のエノキの四季

ルートMを歩けるかぎり遡り、らい亭の道を左折すると鎌倉山の「らい亭」 という蕎麦屋と英国大使館日本語学校の下とおぼしきあたりで道が沢の中に消えてしまう。下流では水は澄んでいるが、上流に行くほど水は濁り、石鹸の匂いが する。らい亭の道を左折せず御所ヶ谷を更に遡るとやがて大井久保に入る。この道を遡ってもやがて道は谷の中に消えてしまう。この辺りは下水道が整備されて おらず汚水がながれ込んで沢水は汚濁している。鎌倉市が下水道を敷設しないのは市街化区域外であるためとのこと。広町を守る会は市役所に善処を申し入れ した。

ホタルを守るために市がしたことは奥御所ヶ谷の奥に下水の浄化池を作ったことだ。それもコンクリートでな く、土を掘った池である。池にはショウブを植えて水の浄化に役立てている。 なかなか面白いアイディアだが、池が小さすぎて浄化度はあまり高くなさそう。

ルートAの御所道から御所ヶ谷入り口に至る尾根道のルートNは警察犬訓練所の裏山にも相当するがかっては竹 が繁茂して全山を覆っていた。ある人がたった一人で全山の竹を伐採してくれた。伐採した竹をかっての山道に放置したため、夏の散策は困難である。

 

広町の動物

広町には源氏と平家ボタル、カエル、サカナ、野鳥が残された自然のなかに 生息している。

岸壁から湧き出る泉の水温は15oCで高温に弱い ホトケドゼウが水中昆虫を食べてわずかに生息している。

タイワンリスが多く、ゲコゲコと警戒音を立てる。小竹ヶ谷で狸の屍骸を見 たことがある。ヘビも散策路でとぐろをまいていたりする。

自然観察グループが2年間に渡って観察した結果によれば48種の野 鳥が観察されたそうである。コ ジュケイが群れで時々目の前から バタバタと羽音高く飛び立つのでビックリすることがある。

 

鎌倉山の住宅地

七里ヶ浜東入口から出ると鎌倉山2丁目に出る。眼下には七里ヶ浜東の住宅 地と海が見える。ここはビバリーヒルズばりの高級住宅地で、和風、洋風の夢のような邸宅が連な っている。2009/9/21の散策の折、いままで空き地だった「らい亭」の谷を隔てた対岸の1,000坪にたっする広大な敷地に新しい豪邸が出現してい た。まだ若いIT長者のS氏の自宅だという。そこから 七里ヶ浜の海浜邸にビンテージ・ベントレーで通うのだ。

S氏邸 2009/9/21撮影

S氏邸の庭のトリーハウス 2009/9/21撮影


セブンマイルビーチS氏別邸のビンテージ・ベントレー (2011/12撮影)

しばらくそのまま進み、まっすぐ行けば極楽寺に下ることになるが、左に折 れて棟方版画美術館 (Museum Serial No.145) に出る。2013年散歩で前をとおると北海道の棟方美術館と合併のため閉館と書いてあった。その先は鎌倉山の 桜並木通りである。らい亭 (Restaurant Serial No.131) 、ホルトハウス(Cafe Serial No. 80)、山椒洞 (Restaurant Serial No.132) 前を通って津に抜けて帰宅。3時間の行程である。


Viewrangerをポケットに忍ばせて

2017/6/2 西鎌倉のヘアドレッサーに出かけた帰り、Viewrangerをポケットに忍ばせて広町緑地経由で帰宅。御所ヶ谷は数年ぶりだが、大分整備されて歩きやすくなった。6月末のホタル狩りは快適になっ たと思う。60mの山には巨木が生い茂り、まさに美しく輝いていた。6月末にはホタル狩りができるようになるだろう。

散策の途中で、かって私が鎌倉広町緑地開発計画に口を出していた頃の仲間H氏とバッタリ会った。彼曰く、大学の先生が外来種の脅威のレクチャーするとそれを聞 いたおばさん達が、路傍で見かける全ての外来雑草を駆除しようとする滑稽さを笑っていた。無論、市街地周辺で環境が完全に破壊されたところでは競合相手が いないから外来種が元気だが、広町のように在来種が優勢なところには外来種は1つも見つからないといっていた。

植物は生態系の互いに競合しており、日光を遮るとか特定の情報物質で互いに牽制して同調化圧力をかけるので、外来種は容易には既存生態系には入り込めない。人間の世界も同じ。米国のような新開地には自由があるの で新しいものがどんどんでてきて世界的浸透性を持っているが、日本には免疫があって新しい考えも入らないし、出でも来ない。いいのか悪いのか。

ここでここで私は同調化圧力という言葉をつかったが忖度、印象操作などもその構成要素の一つだろう。

アントニオ・グラシムは人間社会の生態系でのこれら文化的覇権をヘゲモニーと定義した。覇権は、被支配者の「同意に基く」支配を強調した統治体系という。 とすれば日本の統治方式はまさにこのヘゲモニーといえる。世界平和は米国のヘゲモニーを世界が受け入れているからということになる。

あ る単一の国が圧倒的なヘゲモニーを掌握しておくことで国際社会は安定するというものではない。覇権国が諸国に利益を提供することができる国際体制を構築・ 維持する点が重要である。この体制が諸国にとって有益なものである限り、非覇権国は自ら国際体制を築くことなく円滑な経済活動を行うことができる。

新興大国(大概、大陸国がおおい)が既存の世界大国(海洋国家)に反旗を翻し、世界の不安定性が増した際に決まって世界戦争が起こり、そこで新興大国は敗北し、既存の世界大国の側に付き共に戦った国が新しい世界大国の地位を得る。

世界大国となる条件には外界に対して開かれた島国あるいは小大陸であること。内政に競合があり、しかも政局が安定(例としては大英帝国の保守党と労働党、 アメリカの共和党と民主党の二大政党制)していること。世界中にその意思を知らしめ影響力を行使する暴力または文化装置(例としては強力な海軍や情報機 関)を持っていること。


総時間の半分はヘアドレッサーで過ごした。

下は2017/5/4鎌倉広町緑地の竹ヶ谷を散策したのち、津で買い物して 帰宅したときのトラック記録である。


ルート記録(赤線) 2017/5/4

そのとき竹ヶ谷を撮影したものが下。更にその下は2017/4/24に撮影した広町緑地西側にある丹後ヶ谷入口から入って直ぐの平坦地にたつ樹木の記録写真である。





竹ヶ谷 2017/5/4  近くの山や地名を消したもの


丹後ヶ谷入口記録写真 2017/4/24

1999/11/13作成

Rev.  June 3, 2017


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