鎌倉広町緑地の危機の歴史

シーサイド七里ヶ浜在住

グリーンウッド

七里ヶ浜の裏手には鎌倉で最後に残された未開発の自然の一つがあります。左側の山林が鎌倉広町緑地です。1947年(昭和22年)の植林率は61%、1990年(平成2年)の植林率は36%です。

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広町緑地の航空写真

(鎌倉の自然を守る連合会のパンフレットより)

谷戸(やつ)にはせり田んぼが残り、尾根には戦国時代の砦の跡(竹ヶ谷城跡)が残っております。稚児桜という桜の巨木や桐の巨木が残り、半夏生(はんげしょう)が生い茂っております。この地域は広町緑地と呼ばれております。

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広町緑地の自然 1998年4月5日撮影

不幸にもこれらは開発業者の 手に渡り、2000年(平成12年)5月開発事業協議申請書が受理されました。計画の緑化率は公園・緑地合わせ47.4%です。開発反対の市民支持に答え 竹内市長はこの開発をストップすることを公約に掲げ、2期当選を果たしておりますが、業者の訴訟の動きもあり、苦慮しておりました。業者としては開発に着 手できないかぎり、不良債権でしかありません。

市が買い取り、緑地として保存することを理想としましたが、1998年当時は財政難から不可能のようでした。休日には都会から緑を求めて多数のかたがたが 鎌倉に出かけてまいります。市民の浄財だけではいかんともし難いのではと考え。英国のように、広く国民から浄財を集め、ナショナルトラスト化して広く国民 に開放する運動を<鎌倉の自然を守る連合会>が中心となってはじめました。鎌倉広町みどりトラスト基金用が寄付金を募集しました。

その後、市長も変わりましたが、市の方針として緑地を都市林公園として整備することにし、開発業者と粘りよく交渉して、ようやく2002年10月、開発業者は市に譲渡することに合意しました。

1998年3月13日

2013年4月2日改訂


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