鎌倉には昔から鎌倉五山、鎌倉五名水、鎌倉七福神、鎌倉十井、鎌倉十橋、鎌倉三十三観音のように名数で数えた史跡が伝えられている。これらの名数は、鎌倉が江戸時代に観光地として繁栄した頃に称えられたといわれている。鎌倉七口は鎌倉七切通とも呼ばれる。 鎌倉七口は
これらの切通はいったん戦争になったらという想定のもとに切り開かれたから「七通は牙城に対する城門となり、八州の平野を横流(おうりゅう)する利根、多摩・酒匂・馬入等の諸川は、この天然の城郭に対して外濠となり、箱根・碓井および白川・菊多の諸関は外部に設けられ樽楼門たるべき地位にあり」と渡辺世祐の「足利時代の研究」にある。
鎌倉の地図
January 27, 2008