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■有馬郡を構成する各町村は相互に結びつき、時に反発しあいながら歴史を重ねてきた。その骨格をなすものが街道である。それは現在の国道や高速道路とは比ぶべくもない情緒豊かな「街道」だった筈だ。「風土記」を構成する背骨ともいうべきサイト「有馬路の街道」が不可欠だと思った。
■休日の好天に恵まれた昼過ぎである。自宅を出て地図を片手に旧街道を訪ねた。有馬川沿いに山口町名来の西宮市の北の境界まで歩く。旧街道とおぼしきあぜ道を辿った。丘陵地に向かってあぜ道は徐々にか細くなる。耕されることのなくなった荒れはてたままの棚田が辛うじて昔の面影をとどめている。
■あぜ道の向こうから耕運機に乗った同年輩のお百姓らしき人がやってきた。目前に迫ったところで声を掛けた。「この辺りに山口と三田を結ぶ昔の街道が在った筈なんですがご存知ないですか」。くだんのお百姓さんは、耕運機から降りて煙草に火をつけながら「小学校の頃この道を通り鎌倉峡に遠足に行った」などと昔話を始めだした。思いがけず昔の思い出を久々に話せる格好の相手を見つけたという気分なのだろうか。街道を行き交う昔の旅人たちも挨拶を交し合い、ふとしたきっかけで話し合い、袖すり合ったのだろう。国道では決して味わえない「街道」の情緒を味わった。
■西宮市のHPに「一般国道176号のあゆみ」というサイトがあった。「生瀬の歴史」「名塩史」「山口村誌」等の郷土史を参照した西宮北部の街道の変遷がまとめられていた。ここではこのサイトを参考に有馬郡南部を縦横に走る「有馬路の旧街道」について紹介する。このトップページで有馬路の街道の全体図を紹介し、更にリンクページで生瀬、名塩、船坂、山口、道場の各地区の街道風景の詳細を紹介したい。
■有馬路の街道は大坂と丹波・三田を結ぶ大坂街道が幹線街道である。古来より「小浜(宝塚)〜惣川・生瀬〜青野道〜木元〜名塩〜赤坂〜生野〜道場河原〜三田」のルートだった。江戸中期以降、このルートの内、青野道が猿首道に変わり、生野道が平尻から道場平田に抜ける道筋に変わった。
 小浜、生瀬、道場河原が宿駅として街道沿いに多くの旅籠が並ぶ宿場町として賑わっていた。
■大坂と有馬温泉を結ぶ有馬街道も主要な街道だった。生瀬から大多田川沿いに船坂を経て有馬に到る街道である。
■三田と有馬温泉とは有馬川沿いに山口の各村を貫くように三田街道が結ばれていた。
■大坂街道の代替街道として船坂から金仙寺を経て上山口に繋がる船坂川沿いの金仙寺道もあった。
■現在も当時の街道沿いに五つの道標が残されている(上記の「有馬路の街道地図」掲載の画像参照)。大多田川と国道176号線の交差点に位置する猿首岩の足元にある道標(画像@)、有馬街道沿い船坂の西宮に抜ける三叉路の道標(画像A)、金仙寺道が三田街道と合流する十王堂橋たもとの道標(画像B)、下山口の明治橋西側の山口の道路元標(画像C)、平尻道の名来の山中の道標(画像D)である。