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■三田盆地の溝口遺跡の発掘で2万5千年前の旧石器時代の人の痕跡を確認
■けやき台の開発で有鼻遺跡や平方遺跡などの弥生時代中期の遺跡を発掘
■有馬の郡名は郡内の有馬温泉の「有間」に由来する
■4世紀頃に出雲氏族の末である大神の族人が多く居住し、大神郷の大部落を形成


■631年(飛鳥時代)、舒明天皇が有馬温泉に滞在(日本書紀)
■647年(飛鳥時代)、孝徳天皇が群臣を連れて有馬温泉に滞在
■658年(飛鳥時代)、有間皇子が藤白坂で処刑される
■668年(飛鳥時代)、藤原鎌足の子、定慧が金心寺を建立
■奈良時代に行基が有馬の温泉寺や道場町の平田薬師堂をを建立。薬師堂本尊の薬師如来像は行基の作と伝えられる。
■平安時代の延喜式に三式社「温泉神社、有馬神社、久々智神社」の記述がある
■平安中期、多田源氏の源満仲が摂津守となり、有馬郡の多くを領した。
■1160年(平安後期)の保元平治の乱以降、平家の世となる。有馬郡各所も平家方の荘園となる。


■1191年(鎌倉初期)、大和の僧・仁西(にんさい)が天災と戦乱で荒廃した有馬温泉を復興。
■南北朝時代に播磨国守護・赤松則村(円心)の四男・氏範(うじのり)が有馬郡を領有。以降、赤松氏を出自とする摂津有馬氏の領有が続く。
■室町幕府では赤松円心の孫・義祐(よしすけ)が有馬郡の地頭となる。
■1486年(室町末期)、浄土真宗本願寺八世の蓮如上人が名塩に来村し草庵を編む。


■戦国期の有馬郡は、有馬、山口、溝口、中川、山崎、松原の各氏が割拠した。
■山口氏は多田源氏の流れを汲む山口五郎左衛門時角が山口丸山に居城を構えた。
■1579年、信長の臣・丹羽長政、中川清秀らが山崎家盛、有馬頼則を従え、有馬郡に侵攻。その翌年、山口・丸山城、松原・蒲公英城が相次いで落城。
■1579年、織田信長の出陣に備え、秀吉が有馬郡に道普請を命じる。
■1581年、秀吉が有馬温泉に入湯。1590年には太閤秀吉として再び入湯。


■1600年、有馬頼則、旧領有馬郡に封ぜられ三田城に移る。
■1622年、頼則の子・有馬豊氏、筑後久留米24万石に移封。
■1634年、九鬼守隆、伊勢鳥羽より三田に移封。九鬼三田藩として幕末に至る。