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■有馬郡は、7世紀の飛鳥時代に設置された摂津国(せっつのくに)の郡の一つである。
■摂津国は、かつて日本に設けられた地方行政区分の律令国(令制国)の一つである。国府は西生郡にあったとされる。
■摂津国には13郡(住吉、百済、東生、西生、嶋上、嶋下、豊嶋、河辺、武庫、菟原、八部、有馬、能勢)があり、そのもとに78郷があった。
■江戸時代には高槻藩、麻田藩(豊中市)、尼崎藩、三田藩があった。
 摂津国の北西に位置し、南を摂津国武庫郡、東を摂津国川邊郡、北を丹波国多紀郡、西を播磨国加東郡、南西を播磨国美嚢郡に接していた。
 有馬郡南部の春木郷、中部の大神郷、北部の忍壁郷、東部の羽束郷、西部の幡多郷の5郷あり、幡多、忍壁の二郷が上下に分かれていた。
 平安時代から鎌倉時代にかけて有馬郡の荘園も細分化され、山口庄・有馬庄・八多庄・布敷庄・塩田庄・松山庄・貴志庄・小野庄・仲庄・野鞍庄・藍庄などが文献上に見られる。
 有馬郡の現在の行政区は、三田市全域、西宮市北部(山口町・塩瀬町)、神戸市北区の東部(有馬・有野・道場・八多・大沢の各町)にあたる。
 1889年(明治22年4月1日、町村制施行により三田町、湯山町、三輪村、道場村、塩瀬村、山口村、有野村、八多村、大沢村、貴志村、藍村、本庄村、中野村、小野村の2町12村で構成した。
 1957年7月1日に三田町が市制施行し三田市となったことで消滅した。
■有馬郡を紹介した貴重な資料に「有馬郡誌」がある。大正12年の郡制廃止を記念して兵庫県有馬郡会が編纂を議決し、昭和4年に発行されたものである。
■昭和49年に復刻版が発行されたようだ。ネットで中央印刷鰹o版部から復刻版が販売されているのを知り、入手した。上下2巻、合わせて1,600頁に及ぶ税込み18,900円の書籍である。
■有馬郡誌は、上巻で有馬郡全体の地誌、郡行政、社寺、史蹟、伝説、古文書・古記録、人物、戦病死者、参照書類が、下巻で有馬郡を構成した16町村の町村誌が収められている。
■有馬郡誌には「有馬郡略図」と題した折込附録の地図が付いている。当時の行政区域が山河の略図とともに素朴なタッチで記述されている。今は亡き国鉄有馬線の路線図も明示されている。