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【道場の風景】道場は、現在も周囲を山や丘陵に囲まれた広々とした田園地である。旧街道の一部とおぼしき農道を北に向って歩くと、独特のお椀をかぶせたような鏑射山をはじめとした三田の山並みが望める風景が広がっている。かって道場の旧街道を歩く旅人たちはこの山並みを眺めながら目的地に向っていたことだろう。
【大坂街道(丹波街道)】道場町の道場川原は、三田と有馬の中間に位置する交通の要衝の地である。太古より南北朝の頃までは丹波街道、江戸時代には大坂街道の要地として栄えてきた。江戸時代には丹波各藩の江戸参勤の宿泊を引き受けるなど三田宿や生瀬宿を上回る賑わいがあった。江戸時代には大坂街道の内、特に道場川原から北へ抜ける街道を丹波街道と呼ばれていたようだ。
【生野道】生野道は、大坂街道と船坂川が交差した地点から分岐して北に向って船坂川の西岸を抜ける街道だった。現在のJR道場駅の武庫川を挟んだ西側の集落にかっての生野宿があったと思われる。生野宿から西に向けて道場川原宿まで結ばれていた。残念ながら現在はその面影は残されておらず、かってのこの街道を辿るすべはない。
【平尻街道】平尻街道は平尻から有馬川東側の丘陵を抜けて道場平田と結ぶ街道である。
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【街並みと風景】道場平田の田園地帯から生野、塩田神社、道場川原の街並み、平田街並みと散策した。
 平尻道の大坂街道の合流地点に平田宿があった。この街の氏神ともおぼしき平田稲荷神社(画像①)がすぐ東の丘陵の麓にある。鳥居前の苔むした石灯籠には「文化九年建立」と刻まれている。約200年前の江戸後期であり、この社がそれ以前の創建であることを物語っている。
 丘陵の裾野の農道を北に向うと昔ながらの造りの民家(画像②)の前に出る。正面に三田の丘陵を望みながら田圃道を北に進む(画像③)。大きな池の見ながら東に進む(画像④)。丘陵の麓を北に向う(画像⑤)。丘の上に社が見えた。行ってみると「南所・薬師堂」の石碑が建っていた。境内からは道場の牧歌的な風景が望めた(画像⑥)。
 農道を北に進み武庫川を渡る。北西の方向に提灯を吊るした万灯篭の多数の列が見える(画像⑦)。塩田八幡宮の参道だった。参道を進み石段を上り本殿境内に着く。白壁が朱塗りの柱で縁取られた美しい本殿である(画像⑧)。石段前の道を西に向うと丘陵裾野に蔵を配した茅葺屋根の広大な民家があった(画像⑨)。
 有馬川との合流地点で武庫川を渡り国道を越え道場川原の街に入る。国道東側を走るかっての大坂街道を南に進む。左右の街並みは今尚大きな宿場町だった頃の面影を残している(画像⑩⑪⑫)。
 国道を越え平田橋を渡ると南に向って旧平田村の中心を走る大坂街道に入る。ここの街並みもかっての宿場の名残りを窺わせている(画像⑬)。街道のすぐ西側に境内に古ぼけた石碑を配したお堂があった(画像⑭)。