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【有馬街道と伝説】
 有馬温泉の歴史は古く、道後温泉、白浜温泉と並ぶ日本三古湯のひとつである。日本書紀に631年の舒明天皇の行幸が記されている。船坂は古来より有馬温泉にいたる有馬街道の街道筋であった。即ち、生瀬から太多田川沿いに琴鳴山を南にとって西へ沿いに進む有馬街道の中継地である。この有馬街道は他方で播磨方面に抜ける重要な道筋でもあった。特に戦国期には軍勢の往来が盛んだった。
 街道といっても川伝いで、大雨の度に道が変わり、有馬への旅人は、川の流れを右に左に跳びかいながら往来した。ためにこの道を四十八ケ瀬とか、四十八跳び等と称した。瀬づたいに跳びかう時に、滑ったり、転んだりしたことから、この川を「うたたび(転び)川」と言っていた。これが転じて太多田川となったと言われている。
 こうした険しさから街道筋の伝説が残されている。
<弘法の投げ岩>弘法大師の有馬に向う際に四十八ケ瀬に大岩があり、通行の妨げになったので大師は山腹に投げ上げた。
<座頭谷>昔、一人の座頭が、有馬温泉入湯の途中で誤って谷に迷い込み戻ることができずに死んでしまった。以来、人々はその霊を慰めるためここを座頭谷と呼ぶようになった。
<太閤知るべ岩>その後、太閤秀吉が有馬入湯の折、この話を聞いて哀れに思い、川沿いの弘法の投げ岩に「右ありま道」と彫りこませたのが「太閤知るべ岩」と伝えられる。現在もバス停の名前で残されている。
<屏風岩>屏風を立てたように見える大岩石で、弘法大師が弥陀の名号を岩面に記したと伝えられる。
【金仙寺道】
 船坂から金仙寺を抜けて上山口で三田街道に合流して丹波方面に向う金仙寺道があった。
【道標】
 船坂の有馬街道と西宮に抜ける街道の分岐点に今も道標が残されている。道標には「右 西宮 左 大阪 宝塚 道」と刻まれており、有馬方面からやってきた人々にそれぞれの方角を示している。   
知るべ岩 座頭谷 屏風岩 道路沿いの古民家
金仙寺道 城山 白水峡 船坂の交差点