平成5年(行ウ)第5、第6号
退去強制命令等取消、国籍存在確認請求事件
原告 FA・P
原告 F
被告 国
被告 法務大臣
被告 広島入国管理局主任審査官
平成8年2月1日
北海道大学教授 奥 田 安 弘
広島地方裁判所 民事第2部 御中
第1 本意見書の目的
本件は、フィリピン国籍の原告F(以下では「原告F」という)から生まれた原告****A・****(以下では「原告ダイちゃん」という)が、日本国籍の訴外A(以下では「訴外A」という)によって認知されたことにより、日本国籍を取得したと主張して、国籍の確認を求めた事案である。そこで本意見書は、次の3つの問題点を検討する。
第1に、原告側は、平成3年9月12日に、胎児認知が行われたと主張するが、被告側は、同年9月30日に、生後認知が行われたと反論している。そこで、本件の認知が胎児認知であるのか、それとも生後認知であるのかについて、戸籍法上の問題点を検討したい。
第2に、被告側が主張するように、それが生後認知であったとしても、本件のような特別の事情がある場合には、原告ダイちゃんは、「出生の時」に父が日本国民であること、という国籍法2条1号の要件を充たしている、と解する余地がある。そこで、国籍法2条1号の解釈上の問題点を検討したい。
第3に、たとえ原告ダイちゃんが国籍法2条1号の適用を受けないとしても、認知による国籍取得を認めない現行の国籍法は、法の下の平等を定めた憲法14条に違反するのではないか、という点が問題になる。そこで、国籍法2条1号の憲法上の問題点を検討したい。
第2 戸籍法上の問題点
1 前提となる事実
原告側の主張によると、訴外Aは、平成3年8月22日から同年9月12日までに数回、広島市中区役所および西区役所を訪れ、胎児認知を行おうとしたが、担当職員は、原告Fのパスポートまたはそれに代わる書類が必要であるとして、届書の受領を拒否したとのことである。
これに対して、被告側は、訴外Aが同年9月30日以前に来たことはない、と反論していた。しかし、平成7年10月5日の広島市職員の証言によると、訴外Aが平成3年9月30日以前に、西区役所に1、2回来たのを見たとのことである。そして、原告Fの承諾書および国籍証明書が添付されていないので、胎児認知届の受領を拒否したとのことである。
この証言では、訴外Aが西区役所を訪れた日時が特定されていないが、原告側が主張するように、平成3年9月7日および9月12日である蓋然性は、極めて高いと思われる。そこで、訴外Aは、遅くとも平成3年9月12日には、胎児認知届を行おうとしたが、添付書類がないことを理由として、届書の受領が拒否された、という事実を前提として、戸籍法上の問題点を検討したい。
2 添付書類の必要性
本件は、日本人男が外国人女の懐胎した子を認知する、という渉外認知事件であるから、そもそも胎児認知を行うことができるのか否か、どのような添付書類が必要であるのか、等々の問題については、認知の準拠法を決定する必要がある。
まず、法例18条1項は、非嫡出父子関係の成立一般について、子の出生の時における父の本国法を指定しているが、本件の父の本国法である日本法は、認知主義を採用しているから、非嫡出父子関係は、父の認知がなければ成立しない。
つぎに、法例18条2項は、認知について、出生の当時の父の本国法、認知の当時の父の本国法または子の本国法の選択的適用によるとしている。ただし、父の本国法による認知は、子の本国法が本人または第三者の承諾または同意を要件としている場合、これらの要件も充たす必要がある(子の保護要件)。
なお、胎児認知の場合には、まだ子が生まれていないから、この規定における「子の本国法」は「母の本国法」と読み替えて処理することになっている(法例の1部を改正する法律の施行に伴う戸籍事務の取扱いについて(通達)−−平成元・10・2民2第3900号、以下では「基本通達」という−−第4・13))。
これらを本件に当てはめると、父の本国法である日本法は、母の承諾があれば、胎児認知ができるとしている(民法783条1項)。したがって、胎児認知は可能であるが、母の承諾書を添付する必要がある。
一方、子の本国法=母の本国法であるフィリピン法は、非嫡出親子関係の成立について、事実主義を採用しているから、そもそも認知に関する規定を置いていない。このような事実主義の法律は、認知なしで非嫡出親子関係を成立させるのであるが、認知を禁止しているわけではないから、わが国において認知届を受理することは、妨げられないと解されている(基本通達第4・1(1))。
胎児認知についても、同様に考えられ、しかも事実主義のもとでは、子の保護要件も規定されているはずがないから、結局のところ、本件の胎児認知は、日本法上の要件だけを充たせばよいことになる。しかし、この結論は、子の本国法=母の本国法がフィリピン法であることを前提としているから、母の国籍の証明が必要となる。
以上によって、本件の認知では、原告Fの承諾書および国籍証明書が添付書類として必要となるのである。
3 戸籍における受附と受理の区別
これらの添付書類の有無が戸籍法上どのような意味を持つのかを考えるために、まず戸籍における届出の処理手順を見ておきたい。
戸籍における届出は、受附があった後、その届出が適法であるか否かを審査して、受理または不受理が決定される。この審査において何も問題がなければ、届出は即日受理されるが、担当職員が判断できない問題があった場合には、監督官庁である法務局、さらには法務省に受理伺いが行われる。その他、なんらかの理由によって、即日に受理または不受理の決定ができない場合には、その旨が戸籍発収簿に記載される。
つぎに、受理が決定された場合には、受附帳に記載した後、届出にもとづく戸籍の記載が行われる。受理の後、届書に不備があることが発見され、戸籍の記載ができない場合には、届出人に追完届を行わせ、不備を是正した後、戸籍の記載が行われる(戸籍法45条)。これに対して、不受理が決定された場合には、その旨を戸籍発収簿に記載した後、届出人に届書が返戻される。
以上のように、戸籍における届出は、受附・審査・受理・戸籍記載という順序で処理されている。
ところで、届出は、受理されなければ、その効力を生じないが、受理された場合には、その効力は、受附の時点にさかのぼると解されている。「なぜならば、市町村長の審査する期間の長短によって、当事者の身分関係の形成される時点に差異が生ずることは、妥当でないばかりでなく、受理の時点であるとすれば、日時の経過に伴い当事者の死亡または能力喪失という事態が発生することもあり、ひいては身分関係を形成することの当否の問題にまで拡張し、法律関係が混乱するからである」(加藤令造=岡垣学『全訂・戸籍法逐条解説』137頁。谷口知平『戸籍法〔第3版〕』117頁も参照)。
したがって、本件では、原告Fの懐胎中に、認知届の受附が行われたのであれば、たとえ原告ダイちゃんが生まれた後に、受理が決定されたとしても、胎児認知届は成立していることになる。そして、いずれにしても、本件の認知届は受理されているのであるから、これが胎児認知であるのか、それとも生後認知であるのかは、届出の受附がいつであったのか、という点が決め手になる。
この点について、大正9年11月10日の民事第3663号民事局長回答を見ることにしたい。それによると、当事者より郵送を受けた縁組、離縁、婚姻などの届書に戸籍と符号しない点があり、これを訂正させるために、その届書を養親または夫あてに返送したところ、養子または妻は、その届書が到達する前または到達後に死亡していたが、その後、養親または夫より、誤りを訂正した届書が再び送られてきた場合には、これを受理する、というのである。
この回答は、戸籍と符号しない届書が最初に郵送された時点を受附日とし、届出の効力は、この受附日にさかのぼることを前提としている。なぜなら、その後、当事者の一方が死亡しているのであるから、このように解さない限り、届出は受理できないはずだからである(高妻新『〔新版〕体系・戸籍用語事典』229頁も参照)。
そこで、仮に本件においても、訴外Aは、胎児認知届を持参するのではなく、郵送したとする。しかし、原告Fの出生証明書がないと、受理できないから、区役所の職員は、これを添付させるために、届書を返送するか、または添付書類が必要であることだけを通知するであろう。そして、原告ダイちゃんが生まれた後に、原告Fの出生証明書を添付した届出が再び送られてきた場合、この届出は、胎児認知届として受理されることになる。なぜなら、届出の効力は、最初に郵送された(添付書
類のない)届出が到達した時点にさかのぼるからである。
このように届出が郵送された場合と、本件のように、自ら区役所に赴いたばかりに、届出の受領が拒否された場合を比較すると、前者では、受附があり、後者では、受附がないとするのは、不合理であろう。そこで、この不合理な結果を回避するためには、本件では、担当職員が届出を認識して応対した日を、受附日とすべきである。
同様に、昭和31年12月25日の民事甲第2878号民事局長回答も、届出が休祭日または退庁後に行われ、宿日直員が戸籍事務の処理能力を有しないため、当該届出を審査することができず、後日に審査した結果、適法な届出として受理された場合には、その受附日は、届出があった日、すなわち宿日直員が届書を事実上受け取った日である、としている。
このように届出が休祭日または退庁後に行われたために、かえって直ちに届書が受領された場合と、本件のように、添付書類がないことを理由として、受領が拒否された場合を比較しても、前者では受附があり、後者では受附がないとするのは、不合理であろう。
そもそも添付書類は、届出の受理のためには必要であるが、単なる受領行為である受附には必要なかった。すなわち、届出は直ちに受領すべきであり、後に添付書類が提出されるのを待って、受理を行えば済む問題であった。しかるに、担当職員が誤って、届書の受領を拒んだ場合、その不利益を届出人などの利害関係者に負わせることは妥当でない。このような不合理な結果を回避するためには、やはり担当職員が届出を認識して応対した日を、受附日とすべきである。
そうであれば、広島市の職員は、訴外Aが胎児認知のために訪れ、誤って、添付書類がないことを理由として、受領を拒んだことを認めているのであるから、その不利益を訴外Aや原告ダイちゃんなどの利害関係者に負わせるべきではなく、平成3年9月12日を受附日とすべきである。そして、同年9月30日に、届出が受理されたことにより、受附の日にさかのぼって、胎児認知の効力が発生したと解するべきである。
第3 国籍法上の問題点
以上のように、本意見書は、本件において胎児認知が成立している、と解するものであるが、仮に本件の認知が生後認知であるとしても、原告ダイちゃんの国籍を認める余地はある。なぜなら、胎児認知の場合に国籍取得を認め、生後認知の場合に国籍取得を否定する、という解釈は、必ずしも自明のものとは思われないからである。そこで、以下では、本件の国籍法上の問題点を検討したい(奥田安弘「生後認知による国籍取得を例外的に認めた事案−−平成7年11月29日の東京高裁判決−−」戸籍時報456号4頁以下も参照)。
1 認知の遡及効否定の原則
国籍法2条1号は、「出生の時に父又は母が日本国民であるとき」、子は日本国民とする。そして、ここでいう「父又は母」とは、法律上の父母をいうから、日本人父と外国人母から生まれた子が非嫡出子である場合には、父の認知が必要である。
しかし、父が認知した場合、民法上は、その効力が「出生の時」にさかのぼるのに対して(784条)、国籍法上は、通説・判例によって、このような遡及効が否定されている。したがって、子の出生前の認知、すなわち胎児認知があれば、子は日本国籍を取得するが、生後認知の場合には、「出生の時」に日本人たる父が法律上存在しなかったから、出生による国籍取得は認められないとされている。
国籍法上、このように認知の遡及効が否定される理由としては、一般に、次の3点が挙げられている(田代有嗣「国籍法の立場からみた親族法上の親子関係(3)」戸籍265号10頁以下、同『国籍法逐条解説』158頁以下、江川英文=山田鐐一=早田芳郎『国籍法〔新版〕』62頁以下、黒木忠正=細川清『外事法・国籍法』287頁など)。
第1に、実質的な理由としては、国籍の安定性がある。すなわち、認知はいつ行われるか予測できないから、遡及効を認めると、非嫡出子の国籍は、認知があるまで確定できないことになる。しかし、このように国籍が不確定であることは、国家にとっても、本人にとっても、好ましくない。また父母の一方が日本人であり、他方が外国人である場合には、子はすでに外国人親の国籍を取得しているから、国籍を不安定にしてまで、認知の遡及効を認める必要はない。
第2に、沿革的にみても、旧国籍法は、たしかに認知による国籍取得の規定を置いていたが、これは、生来国籍の取得ではなく、伝来国籍の取得と解されていた。すなわち、旧国籍法上も、認知の遡及効は否定されていた。そして、現行の国籍法は、この旧国籍法の規定を削除したが、他方で認知の遡及効を認めたわけでもない。したがって、現行法上は、もはや生後認知による国籍取得は一切認められない。
第3に、昭和59年の国籍法改正によって、準正による国籍取得に関する規定が新設された(3条)。これによると、認知以外に父母の婚姻があり、さらに未成年の間に届出があることが要件とされているから、認知の遡及効による国籍取得が否定されることは、一層明らかになった。
2 例外を認めるべき場合
平成7年11月29日の東京高裁判決は、このように認知の遡及効を否定する通説・判例を原則として妥当としながらも、例外的に生後認知による国籍取得を認めるべき場合がある、と判断した初めての判決である。
この事件では、韓国人母の婚姻中に懐胎した子は、母の夫(日本人)の嫡出子と推定されるため(民法772条1項)、実父が夫以外の日本人であるにもかかわらず、出生前には、嫡出否認の訴えや親子関係不存在確認の訴えによって、この推定を排除することができず、また実父による胎児認知届も受理されないから、胎児認知による国籍取得が全く不可能な状態であった。また母の夫は、真実の父ではないから、この者が日本人であることを理由として、子の日本国籍取得を認めることはできない。
そこで、高裁判決は、このような「極めて例外的な場合、すなわち特別の事情があって子の出生前の認知届はないが、嫡出が否定された時に接着した時(嫡出子であることが確定した裁判によって否定された時から本来の出生届の期間内)に新たな出生届と認知届出があった場合」には、国籍取得を認めるべきであると判断したのである。
この判決は、要するに、胎児認知が不可抗力によって妨げられた場合には、認知が可能になった時から、戸籍法49条の出生届の期間内(国内出生は14日以内、国外出生は3か月以内)に、出生届と認知届が行われた限りで、国籍法2条1号の要件該当性を認めるべきである、というのである。
そうであれば、同様の解釈は、本件にも当てはまるであろう。すなわち、訴外Aは、胎児認知を行おうとしたが、広島市職員の誤った判断によって、届書の受領を拒まれたのであり、しかも原告Fの出生証明書は、フィリピンにおける火山の爆発などによって到着が遅れた、という特別な事情があった。
したがって、訴外Aが胎児認知を行えなかったのは、その責任によるものとはいえないから、添付書類が揃い、届出が可能になった時から、14日以内に、届出を行うことによって、原告ダイちゃんは、国籍法2条1号の要件を充たした、と解される。
なお、本件の出生届は、認知届と同時ではなく、平成3年11月30日とされており、戸籍法49条の期間内ではなかった(ただし、この点も、受附がいつ行われたかによって、争いの余地がある)。しかし、高裁判決の主旨は、あくまでも認知届が合理的期間内に行われたことにあるから、本件において、出生届が遅れたことは、上記の解釈の妨げにならない。
3 国籍法2条1号の「出生の時」の意義
この高裁判決によっても、原告ダイちゃんの国籍取得は根拠づけることができるが、私見によると、国籍法2条1号の「出生の時」という文言は、国籍法独自に解釈されるべきであり、その結果、原告ダイちゃんは、国籍を取得したと解される。
すなわち、そもそも胎児認知か生後認知かによって、国籍取得に差異を設けること自体に疑問がある。この点について、胎児認知があった場合には、「父子関係の実際は通常の非嫡出子の父子関係と異なる」とする見解がある(法務省民事局内法務研究会編『改正国籍法・戸籍法の解説』12頁)。しかし、胎児認知は、子が生まれる前に、父が死亡するおそれがある場合や、父母が内縁関係を解消する場合など、出生後の認知が困難になる場合を救済するために設けられた制度である(中川善之助編『注釈
民法22のI親族編・』219頁)。したがって、胎児認知は、「父子関係の実際」と無関係であるだけではなく、むしろ、そこでは「父子関係の実際」が無くなることが予想されている。したがって、胎児認知の場合に国籍取得を認め、生後認知の場合に国籍取得を否定することは、全く恣意的な区別であるといわざるをえない。
また、出生による国籍取得は「出生の時」に確定する、という原則は、国籍留保の場合に、すでに破られている。すなわち、外国で生まれた重国籍者は、国籍留保の意思表示をしなければ、出生の時にさかのぼって日本国籍を失うが(国籍法12条)、このような意思表示は、出生の日から3か月以内に、出生届と同時に行えばよいとされている(戸籍法104条1項・2項。この3か月という期間は、国外出生の場合の出生届の期間と一致する。同法49条1項)。
したがって、外国で生まれた重国籍者は、出生の日から3か月以内に国籍留保届が行われるかどうかによって、初めて国籍が確定することになる。これは、出生前に留保届を行わせて、あくまでも「出生の時」に国籍を確定させることが、実際上無理であることを認めたものといえる。
しかも、天災などの不可抗力によって、期間内に届出ができない場合には、届出ができるようになった時から、14日以内に届け出ればよいとされている(戸籍法104条3項。不可抗力による期間の延長については、さらに国籍法15条3項但書および17条2項但書も参照)。これも、国籍の取得に重大な影響を及ぼす届出については、機械的な処理が不合理であり、例外的な救済が必要であることを認めたものである。
ところで、国籍留保届は、これを行わなければ、「日本の国籍を失う」という文言で規定されているが、実質上は、国籍留保届を行うことによって、初めて国籍取得が確定されるのであるから、「国籍取得届」の機能を営んでいる。一方、認知届も、通常は、非嫡出父子関係を成立させるだけであるが、日本人父と外国人母から生まれた子にとっては、国籍法2条1号の要件を充たすために必要なものであるから、やはり「国籍取得届」の機能を営んでいる。そうであれば、両者は同一の機能を営んでいるから、国籍留保届に関する戸籍法104条の趣旨を、国籍法2条1号の「出生の時」という文言の解釈として、取り入れることは許されるであろう。
そこで、認知届が戸籍法49条の期間内(国内出生は14日以内、国外出生は3か月以内)に行われた場合には、国籍法2条1号にいう「出生の時」に、法律上の親子関係が成立したと解される。また、不可抗力によって、この期間内に認知届ができなかった場合には、これができるようになった時から、合理的期間内(14日以内)であれば、同様の扱いとしてよい。
以上の解釈を本件に適用した場合には、次のようになる。すなわち、被告が主張するように、仮に原告ダイちゃんは、平成3年9月18日に出生した後、同年9月30日に認知されたとする。しかし、そうであれば、出生の時から十4日以内に認知届がなされたのであるから、原告ダイちゃんは、国籍法2条1号の要件を充たしていることになる。この場合、前述の高裁判決のように、不可抗力によって、胎児認知が不可能な状態であったか否かを考慮する必要はない。
なお、戸籍法104条2項は、国籍留保届が出生届と同時に行われることを要件としている。なぜなら、国籍留保届は、出生届と別個に行ったのでは、意味をなさないからである(加藤=岡垣・前掲651頁以下も参照)。しかし、認知届は、出生届と別個に行うことができるから、出生届と同時に行われる必要はない(出生届の前に行われた認知届も受理される。明45・3・5民事第1383号民事局長回答、昭6・12・14民事甲第3114号民事局長回答)。ここでは、認知届が合理的期間内に行われたか否かだけを見れば足りる(その点で、奥田・前掲11頁を1部訂正する。そこでは、出生届が戸籍法49条の期間内に行われ、これと同時か、またはそれ以前に認知届が行われた場合に、国籍法2条1号の要件該当性を認めていたが、そのように狭く解する必要はない)。
したがって、本件では、仮に出生届が平成3年11月30日に行われたとしても(この点は、前述のように、争いの余地がある)、出生の時から14日以内に行われた認知届によって、原告ダイちゃんは、日本国籍を取得したと解される。
4 従来の通説・判例との整合性
前述の高裁判決のような解釈を採用するにせよ、私見のような解釈を採用するにせよ、いずれも合理的な期間内に限り、生後認知による国籍取得を認めるものであるから、国籍の安定性を著しく害することはない。その点で、従来の通説・判例が主張していた認知の遡及効否定の実質的理由とは矛盾しない。
また、認知届が合理的期間内に行われなかった場合には、なお国籍法3条の存在意義が残っているから、上記のような解釈は、国籍法3条との整合性も保っている。なお、国籍法3条の立法理由として、日本社会の構成員とするに足るのは、嫡出子の身分を有する者に限るのが妥当である、という見解がある(江川=山田=早田・前掲80頁、黒木=細川・前掲304頁など)。しかし、従来から、非嫡出子も、胎児認知による国籍取得が認められているから、このような見解は疑問である。
さらに、上記のような解釈は、戸籍実務上も、問題を生じない。まず出生届と同時か、またはそれ以前に認知届があった場合には、すでに法律上の父が存在しているのであるから、出生届に父の氏名を記載させて、子の国籍取得を判断すればよい。つぎに、認知届よりも前に出生届があった場合には、その時点では、国籍取得が確認されていないから、子は戸籍に記載されていない。しかし、その後、合理的期間内に認知届があれば、子の国籍取得が確認されるから、戸籍への記載が可能となる。その意味では、認知届は、一種の追完届の機能を果たしているといえよう。
ただし、非嫡出子は、当然には父の氏を称しないから、父の戸籍には記載されない。また、外国人である母は戸籍を有しないから、結局、子を記載すべき戸籍が存在しない。そこで、このような子については、氏および本籍を設定した上で、単独の新戸籍を編製することになる(外国人母が懐胎した子について、日本人父が胎児認知した後、子が出生した場合に関する昭和29年3月18日民事甲第611号民事局長回答参照)。
なお、その後、家庭裁判所の許可を得て、戸籍に改氏の届出を行うことによって、父の氏を称することになった場合には(民法791条1項、戸籍法98条1項)、子の単独戸籍を消除した上で、子は日本人父の戸籍に入ることになる(戸籍法18条2項)。
第4 憲法上の問題点
1 憲法14条にいう差別の成否
本意見書は、戸籍法の解釈として、胎児認知が成立しているか、または国籍法の解釈として、「出生の時に」法律上の父子関係が成立している、と主張するものであるが、たとえ以上の解釈が認められなくても、認知による国籍取得を認めない現行の国籍法は、法の下の平等を定めた憲法14条に違反すると考える。
すなわち、現行の国籍法においては、日本人父と外国人母から生まれた子は、父母が婚姻していた場合、および父が胎児認知を行った場合には、出生による国籍取得が認められるし(2条1号)、また準正によって嫡出子の身分を取得した場合には、届出による国籍取得が認められる(3条)。これに対して、生後認知だけが行われた子は、生来国籍だけではなく、届出による国籍の取得も認められない。これは、嫡出子に対する非嫡出子の差別であり、非嫡出子のうちでも、胎児認知が行われた子に対する出生後の認知が行われた子の差別である。すなわち、憲法14条1項にいう子の「社会的身分」による差別である。
また、認知による国籍取得が認められないことによって、次のような不利益が子に生じている。
まず国内法上、日本国籍を取得していないこと、すなわち外国人であることによって、様々な不利益を受ける。たとえば、出入国および在留の制限、参政権および公職の制限、その他の職業および事業活動の制限、財産権の制限などがある。もちろん、これらの制限は、そもそも内外人平等の見地から、その妥当性に疑いの余地があるが、現に、このような不利益を受けている事実は、国籍法の合憲性を判断するに際して、考慮されなければならない(松岡博「日本人母の子は日本国籍を取得できるか」判タ446号14頁参照)。
つぎに国際法上、国家は、外国人の在留を認める義務はなく、一定の外国人に対して、なんらかの理由により、国外追放を命じることがあるし、外国にいる他国民に対しては、外交的保護を行使しないのが通例である(江川=山田=早田・前掲10頁以下参照)。
さらに、父が日本国民であるにもかかわらず、子が外国人であること、すなわち父と子が異国籍であることによって生じる不利益もある。たとえば、前述のように、外国人は、日本における在留が制限されており、国外追放されることもあるから、子が父と同じ国に居住できないという事態が生じうる。とりわけ、未成年の子の場合には、これは心情的な不利益となるだけではなく、法律上も、子が父に扶養義務の履行などを求めることが困難となる(ちなみに、わが国は、1956年6月20日の「外国における扶養料の取立に関する(国連)条約」を批准していない)。
2 差別の合理性
以上のように、認知による国籍取得を認めないことは、子の「社会的身分」による差別であり、その結果、法律上重大な不利益を生じているから、合理的な理由がない限り、憲法14条1項に違反する。そこで、認知による国籍取得を認めないことが、合理的な理由に基づくか否か、という点を検討する。
1 国籍の安定性
まず、認知による国籍取得を認めない実質的理由として、国籍の安定性防止を掲げる見解があった。すなわち、国籍は、出生の時点で確定することが望ましい、というのである。しかし、現行の国籍法においても、すでに出生後の国籍取得は、様々な場合に認められている。
たとえば、届出による国籍取得として、準正子が未成年の間に届出を行った場合(3条)、外国で生まれて、重国籍になったにもかかわらず、国籍留保届を行わなかった者が帰国した後、未成年の間に届出を行った場合(17条1項)、重国籍者が官報による催告を受けた後、日本国籍を選択しなかったために、日本国籍を失い、それを知った時から1年以内に届出を行った場合(17条2項)がある。また、帰化による国籍取得として、普通帰化(5条)、簡易帰化(6条〜8条)、大帰化(9条)が規定されている。
たしかに、以上の国籍取得は、伝来国籍の取得であり、将来に向かってのみ効力を生じるのに対して、認知による国籍取得を認めた場合には、その効力は出生の時点にさかのぼるから、第三者の権利を害するおそれがあるともいえる。しかし、旧国籍法に規定されていた認知による国籍取得は、将来に向かってのみ効力を生じるとされていたが、このような伝来国籍の取得さえも、現行の国籍法では認められていない。また、認知の遡及効を肯定しても、民法784条但書の適用または類推適用により、第三者の権利を害することはできないと解されるから、これによる不都合が生じるとも思われない。
2 二重国籍の防止
つぎに、認知による国籍取得否定の理由として、非嫡出子は、すでに母の国籍を取得しているであろうから、父の国籍まで取得する必要はない、という点も挙げられていた。しかし、昭和59年改正後の国籍法の下では、父母両系血統主義が採用されており、異国籍の父母から生まれた子は、父母双方の国籍を取得して、二重国籍になることが認められている。このような二重国籍は、国籍選択制度によって、事後的に解消されるべきであり、日本人父から生まれた子の国籍取得を否定してまで、事前に防止されるべきではない(山田鐐一「出生による日本国籍取得要件としての血統主義と日本国憲法」法政論集(名古屋大学)88号411頁、松岡・前掲15頁、藤井俊夫「父系優先血統主義を定めた国籍法2条1号ないし3号が合憲とされた事例」判評273号21頁以下参照)。すなわち、昭和59年の改正前と改正後では、二重国籍に対する考え方が変わったのであるから、右の見解は、今日では、もはや通用しない。
また、外国人母の本国法が生地主義を採用している場合には、日本で生まれた子に対して、母の国籍が付与されないおそれがあるから、日本人父の認知による国籍取得を認めないことによって、無国籍児が発生することも予想される。したがって、無国籍防止のためにも、認知による国籍取得を認める必要がある。
3 子の意思の尊重
旧国籍法は、婚姻・養子縁組・認知などの身分行為による国籍の取得および喪失を規定していたが、現行の国籍法は、これらをすべて廃止した。政府の提案理由は、これを次のように説明している。
「現行法(=旧国籍法)は、国籍の取得についても、また喪失についても、妻は夫の国籍に従うという原則及び子は父または母の国籍に従うという原則を採用しており、婚姻、離婚、養子縁組、離縁、認知等の身分行為に伴い、あるいは夫または父母の国籍の得喪に伴つて、当然に妻または子の意思に基づかないでその国籍の変更を生ずることになつているのでありますが、これまた憲法第24條の精神と合致いたしませんので、この法案におきましては、近時における各国立法の例にならい、国籍の取得及び喪失に関して、妻に夫からの地位の独立を認めて、その意思を尊重することとし、また子についても、出生によつて日本国籍を取得する場合を除いて、子に父母からの地位の独立を認めることといたしました」(『第7回国会制定法審議要録』394頁)。
これによると、認知による国籍取得を廃止した理由としては、子の意思にもとづかない国籍の取得は、家族生活における個人の尊厳を規定した憲法24条の精神に反する、という点が挙げられる。しかし、この提案理由自体の中で、出生による国籍取得は例外として認められている。
すなわち、嫡出子は、その意思にかかわらず、父が日本国民であるという理由で、国籍を取得するのであるから、非嫡出子もまた、その意思にかかわらず、出生の時点における父子関係が成立した以上、父の国籍を取得すべきである。この場合に、子の意思を考慮しないのは、国籍法が血統主義を採用している以上、当然の事と考えられる。
また、この政府の提案理由は、各国の立法例が家族国籍同一主義から家族国籍独立主義へ向かっている、という認識にもとづいている。しかし、夫婦国籍独立主義が各国の立法の動向に沿うものであることは、たしかに実証されているが(溜池良夫「妻の国籍について」法学論叢58巻1号41頁以下)、認知による国籍取得の廃止が各国の立法の動向に沿うものであったのかどうかは、かなり疑わしい(詳細については、後述3を参照して頂きたい)。
4 親子関係の実態
国籍法3条の立法理由として、認知された子は、非嫡出子として、準正された子である嫡出子と民法上の取扱(氏、親権、相続)が異なる、という見解がある(江川=山田=早田・前掲80頁)。また、非嫡出子は原則として母の氏を称し(790条2項)、母の親権に服するから(819条4項)、非嫡出父子関係は、非嫡出母子関係と比べて、「実質的な結合関係ないし生活の同一性が希薄である」とする見解も主張されている(黒木=細川・前掲288頁)。
しかし、わが国がすでに批准した「市民的及び政治的権利に関する国際規約」24条1項および「児童の権利に関する条約」2条1項は、出生による子の差別を禁じているから、以上のような取扱の違いを当然のものとすることはできず、国際的な観点からも合理的な区別であるかどうかが検討されなければならない(波多野里望『逐条解説・児童の権利条約』26頁参照)。
また、親権については、父母の協議によって、父を親権者とすることができるし(民法819条4項)、氏については、家庭裁判所の許可を得て、父の氏に変更することができる(民法791条1項)。さらに、親子関係が成立した以上、父は子に対する扶養義務を免れない。したがって、あたかも非嫡出父子関係を名目上のものにすぎないかのようにいう右の見解は、支持することができない。
さらに、非嫡出子の間でも、胎児認知が行われた子は、国籍取得が認められ、その理由として、「父子関係の実際」が異なる、とする見解が主張されていたが、それが不当であることは、すでに第3の3において述べたとおりである。
5 帰化による救済
最後に、出生後に認知だけが行われた子は、日本人の子として普通帰化よりも条件が緩和された簡易帰化が認められており(国籍法8条1号)、これによって、国籍取得の便宜が計られているから、認知による国籍取得を認めないことは、著しく不合理な差別であるとはいえない、とも考えられる(外国人父と日本人母から生まれた子の国籍取得を認めない昭和59年改正前の国籍法を合憲と判断した東京地判昭和56・3・30〔昭和52年(行ウ)第360号事件〕判時996号23頁、〔昭和53年(行ウ)第175号事件〕行裁集32巻3号469頁参照)。
しかし、わが国の帰化制度は、法務大臣の許可を必要とし(国籍法4条2項)、この許可処分は自由裁量行為とされているから(江川=山田=早田・前掲90頁)、帰化申請は単に許可の前提条件にすぎない(江川=山田=早田・前掲87頁)。また、簡易帰化制度は、居住条件・能力条件・生計条件の全部または1部を免除するだけであり、許可処分そのものを緩やかに行うことを意味するわけではない。
さらに、帰化申請者が無国籍であるか、または日本への帰化によって従来の国籍を喪失すること(国籍法5条1項5号)、という重国籍防止条件は、簡易帰化の場合にも免除されないから、すでに母の国籍を取得していた子は、それを喪失する必要がある。しかし、他の異国籍父母の子は、父母双方の国籍を同時に取得することが認められているから、差別は依然として解消しないことになる。
以上のように、簡易帰化制度は、生来国籍の取得に代替するものとはいえないから、これをもって、認知による国籍取得を認めない理由とすることはできない(松岡・前掲16頁、沢木敬郎「国籍法2条合憲判決と国籍法改正」ジュリスト741号103頁参照。さらに、金城清子「国籍法違憲訴訟と簡易帰化制度」ジュリスト745号112頁以下も参照)。
3 補論−−比較法的考察
以上のように、認知による国籍取得を否定する結果として生じる差別は、合理的な根拠を欠いているから、憲法14条1項に違反すると考えられる。そして、このような結論は、わが国と同じく血統主義を採用するヨーロッパ諸国の立法を参照することによっても、根拠づけられる(以下については、奥田安弘「認知による国籍取得に関する比較法的考察」国際法外交雑誌94巻3号1頁以下参照)。
たとえば、ドイツの国籍法は、かつては認知だけによる国籍取得を認めず、準正を要求していたが(5条)、1993年の改正によって、子が23歳に達するまでに、ドイツ人父によって認知された場合には、ドイツ国籍の取得を認めることにした(4条1項後段)。その趣旨は、生来国籍の取得について、嫡出子と非嫡出子の差別を可能な限り撤廃することにある・(BT-Drucks.12/4450,
S.36. Vgl.auch F.Sturm, Der neue§4 Abs.1 RuStAG, StAZ 1994, S.273.)・。また、イタリアの国籍法(最終改正1992年)は、子が未成年の間に認知された場合、その親子関係により国籍を決定するとしているから(2条1項)、イタリア人父によって認知された子は、イタリア国籍を取得する(1条1項a号)。同様に、フランス民法の国籍に関する規定(1993年の改正によって、国籍法が廃止され、民法に再統合された)は、子が未成年の間に確認された親子関係だけが、国籍の得喪を生じるとしているから(20条の1)、未成年の間にフランス人父によって認知された子は、フランス国籍を取得する(18条)。これらの国籍取得は、生来国籍の取得であり、出生の時点にさかのぼるとされている(ドイツの国籍法については、・Sturm,
a.a.O., S.278. ・フランス民法については、20条1項参照)。
以上の立法例によると、少なくとも子が未成年の間に認知が行われた場合(ただし、ドイツの国籍法では、成年年齢である18歳から更に5年後まで)、子は出生の時点にさかのぼって国籍を取得することになる。これに対して、ベルギーの1984年の国籍法は、フランス民法と同様に、子が未成年の間に確認された親子関係だけが、国籍の得喪を生じるとしながらも(3条)、国籍の得喪は遡及効を有しない、という一般規定を置いている(2条)。しかし、わが国の国籍法は、このような国籍得喪の遡及効を否定する一般規定を置いていないし、また認知の遡及効を肯定しても、前述のように、第三者の権利を害することはできないと解されるから、あえて遡及効を否定する必要はないと思われる。
これに対して、認知による国籍取得を未成年の間に限定することは、一定の合理性を有している。なぜなら、成年に達した後は、婚姻や子の出生などの身分関係が発生する可能性が高く、第三者保護の規定があっても、未成年の場合より、本人の身分関係を安定させる必要性が大きいからである。しかし、本件の原告ダイちゃんは、未成年の間に認知されたから、この点は結論に影響を及ぼさない。以上のように、未成年の間に認知された子は、比較法的見地からも、国籍取得が認められるべきであり、これによって嫡出子と非嫡出子の差別を可能な限り撤廃すべきである。
奥 田 安 弘
〔略歴〕
1976年 神戸大学法学部卒業
1978年 神戸大学大学院法学研究科博士前期課程修了(法学修士)
1980年 神戸大学法学部助手
1981年 香川大学法学部講師
1984年 香川大学法学部助教授
1988年 北海道大学法学部助教授
1990年 北海道大学法学部教授 現在に至る
〔専門分野〕
国際私法
〔国際家族法の分野における研究業績〕
「国籍法2条3号について上〜下」戸籍時報432号〜434号
「国籍法および国際私法における子の福祉」戸籍時報417号
「法例改正と戸籍上下」戸籍時報380号・381号
「スイス国際私法典における若干の基本的諸問題(1)(2・完)」北大法学論集40巻2号・3号など多数。
その他に、国際取引法の分野における著書として『国際取引法の理論』(1992年・有斐閣)
平成5年(行ウ)第5号・第6号
退去強制命令等取消請求事件等
1996(平成8)年2月6日
立命館大学法学部教授 二宮周平
広島地方裁判所
民事第2部 御中
目次
第1 本意見書の目的
第2 認知による国籍取得を否定する根拠
1 国籍取得の原則に関する根拠
(1)国籍取得の安定性
(2)子の意思の尊重
2 父母両系血統主義への改正と非嫡出子の別扱いの根拠
(1)父母両系血統主義への改正から生じた問題
(2)親子としての結合関係、生活の同一性の希薄さ
3 出生時から法律上の親子関係があったと同視しうべき関係
4 立法者の根拠と本意見書とのかかわり
第3 非嫡出子差別の合理性の検討
1 問題点の整理
2 違法性の判断基準
(1)憲法学説からみた判断基準
(2)非嫡出子差別に適用される判断基準
3 出生後の認知による国籍取得を否定することの合理性
(1)立法目的の合理性
(2)認知の意義から見た妥当牲
(3)出生後の国籍の変動を認める例との不均衡
4 生活の一体化と婚姻との関係
5 非嫡出子の差別をなくす動き
6 結論
第4 胎児認知に準じた扱いをすべき場合
1 問題点の整理
2 例外的扱いを認めた事例
(1)以前になされた胎児認知の効力を認めた事例
(2)出生後の認知による国籍取得を認めた事例
(3)本件との比較
3 胎児認知に準じた扱い
(1)胎児認知制度の趣旨
(2)例外的に出生後の認知による国籍取得を認める解釈
第5 胎児認知の成立
(1)胎児認知の手続と本件の特殊性
(2)手続保障の視点
第6 結論
第1 本意見書の目的
本件は、フィリピン人女性と日本人男性の間の子について、父が胎児認知をすれば日本国籍が取得できると聞き、手続に奔走するが、必要書類の入手が遅れたために、胎児認知として扱われなかったことに対して、胎児認知があったとしてこの子の日本国籍の確認を求める、もしくは出生後の認知によっても日本国籍を取得できるとして日本国籍の確認を求める事案である。
本意見書は、出生後の認知による日本国籍の取得を認めない現在の実務の取扱いに関して、第1に、このような扱いは非嫡出子に対する不合理な法的差別であり、憲法14条に違反し無効であるから、認知による日本国籍の取得を認めることができること、第2に、かりに一般的にこのような違憲の解釈がとれないとしても、現在の実務の取扱いの根拠を検討すると、出生後相当期間内に認知がなされた場合には、胎児認知に準ずるものとして国籍の取得を認める解釈が可能であること、第3に、もし第2の主張も認められないとしても、胎児認知制度の趣旨に鑑みた場合、子の利益を重視した手続保障を検討すべきであり、本件の場合、特段の事情があるものとして、胎児認知があったものとして扱うべきことを示そうとするものである。
以下、この3つの論点に関して私見を述べていくが、第1、第2の論点に共通する問題として、認知による国籍取得を否定する根拠を立法過程から明らかにしておきたい。
第2 認知による国籍取得を否定する根拠
認知による国籍取得を否定する根拠については、戦後の国籍法改正時から現在まで共通する国籍取得の原則に関する根拠と、1984年に父母両系血統主義へ改正したことによってつけ加えられた非嫡出子の別扱いの根拠がある。
1 国籍取得の原則に関する根拠
(1)国籍取得の安定性
わが国の国籍法は、1984年に改正されるまで、父系優先血統主義をとり、「出生の時に父が日本国民であるとき」は、子は日本国籍を取得できた。この規定の「父」とは法律上の父をさすものとされ、出生の時点でできるだけ確定的に国籍は決定されるべきであるという立場から、出生子の国籍取得の基準となる父の有無を出生時点に限定するため、子の出生の時点ですでに父子関係が成立していることが必要であると解釈されてきた(田代有嗣「国籍法逐条解説」158頁(日本加除出版1974〕、江川英文・山田鐐1。早田芳郎「国籍法(新版)』61〜62頁〔有斐閣1989)、東京高決昭55・12・24判時993号56頁、東京地判昭56・3・9判時1009号41頁など)。
ところで、非嫡出子の場合、父の認知によって初めて法律上の父子関係が成立する。民法によれば、認知の効果は出生の時点まで逆上るから(民784条)、出生の時点から法律上の父子関係が成立していたことになる。
しかし、民法上の効果と国籍法上の効果を同一に解する必要はなく、国籍法の立場から、効果を決すべきだとされ、認知の遡及効は否定されていた。したがって、現在もなお、胎児認知をしていない限り、出生による日本国籍の取得はできないという実務が継緩している。
(2)子の意思の尊重
1899(明32)年の旧国籍法では、婚姻・縁組・認知という身分行為による国籍の取得を認めていた(5条、6条)。身分行為の効果として当然に発生するのであるから、父が子を認知すると、子は日本国籍を取得できた。ただし、認知による国籍取得には遡及効を認めず、認知の時点から取得するものとされていた(実方正雄「国籍法(新法学全集)」30頁〔日本評論社@1938〕)。
しかし、1950(昭25)年の改正国籍法(法律147号)では、子の意思に基づかないで、自動的に子の国籍の変更を生ずるのは、個人の尊厳という原則に反するとして、認知による国籍の取得を廃止した。提案理由の逐条説明によれば、「子の地位を父母の地位から独立させるという子の地位の独立の思想は、近代における親子法の指導原理であって、諸国の国籍立法においても、国籍の得喪に関して、できる限り、子の自由意思を尊重するという方向に向かっているばかりでなく、個人の尊厳は、憲法24条の宣言するところでもあるから、新法では、認知及び父又は母による日本国籍の取得は、当然には子の国籍に影響を及ぼさないこととし」、帰化の方法によるものとするとしていた(法務省民事局編「国籍・戸籍法規便覧(昭和53年版)」569、572〜573頁)。
1984年の法改正(法律45号)では、女子差別撤廃条約を批准する上でこれまでの父系優先血統主義を改め、男女平等の見地から子の国籍取得について父母両系の血統主義を採用した。この改正においても、出生による国籍の取得のためには、出生時に日本人である父または母との間に法律上の親子関係が存在することが必要だとされ、出生後に認知により親子関係が生じても、国籍取得の効果は生じないとされた。その理由は、1950年の改正と同様に、「出生後の認知により本人又は親の意思にかかわらず国籍を取得させるのは相当でないことにある」としている(法務省民事局内法務研究会「改正国籍法・戸籍法の解説」9頁〔細川清〕〔金融財政事情研究会 1985〕)。
2 父母両系血統主義への改正と非嫡出子の別扱いの根拠
(1)父母両系血統主義への改正から生じた問題
父母両系血統主義の採用により、出生時に日本人である父または母との間に法律上の親子関係が存在すれば、子は日本国籍を取得することができるようになった。民法によれば、非嫡出子の母子関係についても、母の認知が必要だったが(民779条)、判例により法律上の母子関係は、原則として母の認知を待たず、分娩という事実によって当然に発生するとされているために(最判昭37・4・27民集16巻7号1247頁)、非嫡出子でも、母が日本人であれば、出生の時点で母が確定しており、日本国籍を取得できる。したがって、出生後の認知によっても日本国籍を取得できない非嫡出子とは、日本人父の非嫡出子に限られることとなった。
さらに満20歳未満の子について、準正による日本国籍の取得というう規定を導入したために(3条)、出生後、父が認知をし、かつ母と婚姻した場合と、婚姻しなかった場合とで、同じ日本人父の非嫡出子であったにもかかわず、取扱いの違いが生じてしまった。ここで立法者は、父の非嫡出子について、出生後の認知による国籍を否定するために、新たな根拠をつけ加えざるをえなくなった。
(2)親子としての結合関係、生活の同一性の希薄さ
立法者は、非嫡出子でも認知を得れば、同じ血統上の日本国民の子となるわけだが、「親子関係により我が国との真実の結合が生ずる場合に国籍を付与する」というのが基本的政策だとして、嫡出子と非嫡出子の区別をする(法務省民事局内法務研究会・前掲書11頁。以下の説明はこれによる)。その理由は、親子としての結合関係の希薄さである。「非嫡出子は、正常でない家族関係下における子であって、あらゆる場合に、嫡出子と同様親子の実質的結合関係が生ずるとは言い難いから、嫡出子とは別個の考察が必要である。民法上非嫡出子は母の氏を称し、母の親権に服するものとされていることからも明らかなとおり、非嫡出子の父子関係は、通常は、母子関係に比して、実質上の結合関係が極めて希薄である」と述べる(*)。
他方、立法者は準正による日本国籍の取得を認めざるをえなかった。父母両系血統主義採用の結果、母の非嫡出子は常に日本国籍を取得できる。これに対して父が日本人の場合には、出生後に認知し、しかも母と婚姻し、子が準正によって「嫡出子」という身分を取得しても、出生の時点で父が確定していないため、日本国籍を取得できない。母が日本人の場合は、準正の如何にかかわらず、日本国籍を取得できることと比べても不公平だし、生来の嫡出子と比べても、同じ日本人の嫡出子であるにもかかわらず、国籍を取得できないというのは、不公平である。そこで満20歳未満の子について、準正による日本国籍の取得という規定を導入した(2条)。
立法者は、その理由を補足して「日本国民父の準正子は、父母の婚姻によって嫡出子たる地位を取得したことにより、日本国民の正常な家族関係に包摂され、これにより我が国との真実の結合関係があることが明らかになったものであるから、日本国籍を付与することは、実質上も妥当である」と述べている(法務省民事局内法務研究会・前掲書14頁)。婚姻が家族関係の正当性の証となり、日本との結合関係を明らかにするというのである。
このような扱いが日本人父の非嫡出子にとって国籍取得に関して不利益になることは明白であり、1984年の法改正の際に、衆議院の法務委員会で、子の平等の見地から、質疑がなされた(法務省民事局内法務研究会・前掲書314〜318頁)。しかし、そこでも別扱いの根拠として、生活の一体化があげられている。例えば、血統主義という観点からすると、日本国民から認知された子も、準正によって日本国民の嫡出子としての身分を取得した者も、同じ親子であるにもかかわらず、認知の場合を除外した理由は何かという質問に対して、政府委員は、血統主義は血統を単なる血のつながりではなく、日本に対する帰属関係が濃いということを明確にする1つの重要な要素としてとらえている、帰属関係は生活実態と関連するが、非嫡出子の生活実態は嫡出子の場合とは違い、認知者とその子の間には生活の一体化がまずないであろうということが前提になっていると答えている。
(3)出生時から法律上の親子関係があったと同視しうべき関係
しかし、日本人母の非嫡出子は日本国籍を取得できるのに、日本人父の非嫡出子の場合は、準正または胎児認知がなければ、日本国籍を取得できないことは、生活の一体化だけでは説明しきれない。
同じく法務委員会で、日本人母が未婚で子どもを産んだ場合には、日本国籍を取得できるのに対して、日本人父の場合には、準正という嫡出性を国籍取得の要件とするから、権衡を失するのではないかという質問に対して、政府委員は、3条の準正による国籍取得は、法律上の親子関係を基礎とする血統主義の補完として設けられたものであり、準正によって、出生時から法律上の親子関係があったということと同評価しうべき関係に立つといえるので、嫡出性を要件にしたと答え、婚外子の父子関係は母子関係と違って、生活実態としてその父親との関係では当然に結びつくといえないのではないかと述べている。
生活実態の差を強調する答弁に対して、胎児認知の場合に、必ずしも実質的父子関係の生活実態が生ずるという必然性もないから、胎児認知と出生後の認知の違いも権衡を失するのではないかと質問された。政府委員は、胎児認知は2条の問題であり、子どもが出生した時点で法律上の親子関係があることを基準においたために、胎児認知でも出生と同時に日本国籍を取得するという関係に立つが、3条は、後になって、出生のときに法律上の父子関係があったと同視できるような法律関係の場合には、2条に準じてもいい関係に立つ、それは準正であるという発想だと答えている。
4 立法者の根拠と本意見書とのかかわり
以上のように、出生後の認知による国籍取得を否定する根拠として、国籍は出生時にできるだけ確定的に決定すべきだということと、個人の尊厳の立場から子の意思を尊重するということがあげられていたが、1984年の法改正で父母両系血統主義を採用したために生じた、父母の性と父母の婚姻の有無による取扱いの違いを根拠づけるために、国籍を血統だけではなく、日本に対する帰属関係、結合関係が濃いことに基づいて取得させると説明し、その帰属関係、結合関係の濃淡を生活の一体化に求め、それを父母の婚姻関係の有無で判断し、さらに非嫡出子の父子関係は母子関係に比べ、生活の同一性が極めて希薄であることを前提としていたといえる。
したがって、出生時における確定的取得、つまり国籍取得の安定性と子の意思の尊重という立法趣旨と、非嫡出子の国籍取得の別扱いの間に実質的な関連性が乏しく、かつ、生活の一体化といった前提が現在のわが国の経験的事実と食い違っていれば、その根拠づけに合理性はないことになる。非嫡出子の別取扱いに合理性がなければ、それは差別として法の下の平等を定めた憲法に違反する疑いが出てくるのではないだろうか。これが本意見書の第1のポイントである。
また立法者は、準正による国籍取得と胎児認知による国籍取得との関係を問われたときに、準正は、後になって、出生のときに法律上の父子関係があったと同視できるような法律関係であり、胎児認知の場合に準じてもいい関係に立つからだと説明している。ということは、準正以外でも、胎児認知に準ずるような場合があれば、国籍取得を可能にする解釈の余地を残しているとみることができるのではないだろうか。これが本意見書の第2のポイントになる。以下、これらの点を検討することにしたい。
*なお、認知による国籍取得を認めない理由として、外国法制との関係で、非嫡出子が無国籍になる状態を防ぐことをあげている。諸外国でも自国民の母の子については、婚内・婚外を問わず自国籍を付与するが、父の子については、嫡出子に限って出生による国籍取得を認める例が多いため(スイス、西ドイツ(当時)、スウェーデン、オーストリアなど)、日本人父と外国人母の非嫡出子は母の国籍を承継できるが、日本人母と外国人父の非嫡出子は、父の国籍を取得できないことがある。したがって、日本国籍を付与されなければ、無国籍になる可能性が極めて大きいのであるから、日本人父の非嫡出子には日本国籍を認めず、日本人母の非嫡出子は日本国籍を取得するという結果は妥当であるとする。しかし、この説明は、父または母いずれかの国籍が取得できればよいではないかというだけのことであり、日本に滞在する日本人父の非嫡出子について、日本国籍の取得を認めない理由としては不十分である。
第3 非嫡出子差別の合理性の検討
1 問題点の整理
ここで問題点を整理しておきたい。母が日本人である場合には、母が父とどのような関係にあっても、子は日本国籍が取得できるが、父が日本人である場合には、父が母とどのような関係にあるかによって、子の日本国籍取得に大きな違いが生まれる。すなわち、
(1)母と婚姻していれば、「嫡出子」として、
(2)出生後認知をして母と婚姻すれば、一定の要件の下に「準正嫡出子」として、
(3)母と婚姻していなくても、胎児の間に認知していれば、出生の時点で父が明らかであるとして、日本国籍を取得できるが、そうでない限り、たとえ出生後に認知して、法律上の父子関係が成立しても、日本国籍を取得できない扱いである(国籍法2条、3条)。
その結果、外国人女性と日本人男性の間に生まれた子で、さまざまな事情のために父母の婚姻が不可能である場合、あるいは本件のように胎児認知としての取扱いが認められなかった場合、日本国籍を取得できず、外国人である母が在留期間を越えているために、その子も在留貸格なしとして、国外退去を命じられ、父から強制的に分離されるおそれも生まれているのである。このような扱いは、人道的な見地から問題であるばかりではなく、非姻出子の差別にあたるおそれもあるように思われる。はたして国籍法上、父の非嫡出子を差別する合理的な理由が存在するのかどうか、立法者のあげた根拠を検討するが、その前に、憲法の違憲性の判断基準についてふれておきたい。ここでどのような立場をとるかによって、日本人父の非嫡出子の扱いの憲法的評価が異なってくるからである。
2 違法性の判断基準
(1)憲法学説からみた判断基準
憲法14条1項は「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定する。他方で、通説・判例によれば、合理的な差別は憲法14条違反にならないという原則も認めている。そこで何が合理的かの判断基準が問題となるが、この判断基準は抽象的で明確ではないため、合理的という理由で、本来許されるべきでない差別を合憲と判断してしまうおそれがある。
例えば、伊藤教授は、憲法の禁止するのは、合理性を欠き、社会通念からみて正義に反する差別だが、「この基準はあいまいさを含んでおり、これを厳密に解しないならば、ほとんどすべての法的な差別も合理的とされ、憲法の重要原則である平等権の自壊作用を招くおそれがあるから、その判断は重要である」という(伊藤正己「憲法(新版)」247頁(弘文堂 1990〕)。
そこで現在の憲法学説は平等権の自壊作用を防ぐために、14条1項後段に列挙されている5つの事項(人種、信条、性別、社会的身分、門地)に特別な意義を認めようとする。例えば、宮沢教授は、5つの事項は「原則として、不合理なものであり、したがって、それを理由とする差別は、原則として、法の下の平等に反するという意味で特に列挙したものと解される」という。(宮沢俊義・芦部信喜補訂「全訂日本国憲法」212頁(日本評論社 1976〕)。他方、最高裁判例は、このような解釈をとらず、5つの事項を例示とみて、その都度合理的かどうかの判断をしている(最大判昭48・4・4刑集27巻3号385頁〜尊属殺重罰規定違憲判決)。
しかし、こうした解釈は、合理性判断をあいまいにし、恣意的にする危険がある。浦部教授は、人種・性別・社会的身分・門地は「人の出生によって決定される条件であって、自己のコントロールの及ばない事項であり、こうした「うまれ」による差別を認めないことこそが、そもそも平等思想の根源であること、また信条は、民主制の基本にかかわる価値として、絶対的にその自由が保障されるべきものであること、を考えれば、後段列挙事由を単なる例示としてそれに特別の意味を見出さないのは、決して妥当な解釈とはいえないであろう」と批判している(「注釈日本国憲法上」324〜5頁(青林書院新社 1984〕)。
また佐藤教授は、「絶対的平等は文字通りの意味においてはいかなる場合でも維持できるわけではないとしても、しかしだからといって憲法がその都度利益衡量による「合理的」調整に委ねたとみるのは、憲法による平等権の保障をあまりにも相対化するものといわなければならない。平等が問題となる領域は多様であり、平等、不平等観も社会意識の変化の影響をうけることは否定できないが、憲法は平等思想の根源と過去の経験に鑑み、一定の事項(後段列挙事項)についてはとくに「差別」を警戒し、その事項に関してはやむにやまれざる特別の事情が証明されない限り「差別」であるとして禁止する趣旨(「差別」にき疑わしい範疇)と解すべきであろう」として、やはり最高裁の立場を批判している(佐藤幸治「憲法(新版)」420頁(青林書院新社@1990〕)。
こうして、5つの事項に特別な意義を認める見解に立つと、合憲であるためには一層厳しい判断基準に合致しなければならないこととなる。佐藤教授は、5つの事項に関しては、「厳格な審査」テストを用いるべきだとする。すなわち、「やむにやまれざる政府利益の達成のために、その別異の取扱いが必要不可欠なものであるか否かが厳格に問われる必要がある」という(佐藤・前掲書438頁)。
釜田教授は、この点をさらに詳細に分析している。第1に、その目的が正当性をもつことの証明である。この目的審査は、単に正当性をもつだけでは不十分であり、どうしても達成しなければならない強度の公益性をもつものであることが要求される。第2に、立法目的達成のために採用された手段の必要性の証明である。ここでは、人権を制約しない手段または5つの事項に該当しない手段が存在しているにもかかわらず、それらの手段ではこの立法目的を達成できないということの証明がなければ、そこで採用された手段は必要性のないものだったということになる。使用されている手段よりも、他にもっと規制程度の少ない、しかも実行可能な手段が存在する場合には、それを使用しなければならない。第3に、手段の適用対象が正確かどうかの審査である。ここでは適用対象が広すぎても狭すぎても違憲だとする(佐藤幸治編「憲法III」106頁(釜田泰介)〔成文堂 1988〕)。
(2)非嫡出子差別に適用される判断基準
では本件で対象となっている日本人父の非嫡出子に関する国籍取得の別扱いは、ここで述べたような厳格な判断基準を適用されるものなのだろうか。
非嫡出子の相続分差別を違憲とした東京高裁の決定は、「嫡出子か嫡出子でないかは、本人を懐胎した母が、本人の父と法律上の婚姻をしているかどうかによって決定される事柄であるから、子の立場から見れば、まさに出生によって決定される社会的な地位または身分ということができる」として、憲法14条1項にいう「社会的身分による経済的または社会的関係における差別的取扱い」に当たるとした上で、「社会的身分を理由とする差別的取扱いは、個人の意思や努力によってはいかんともしがたい性質のものであり、個人の尊厳と人格価値の平等の原理を至上のものとした憲法の精神にかんがみると、当該規定の合理性の有無の審査に当たっては、立法の目的が重要なものであること、及びその目的と規制手段との間に実質的関連性があることの2点が論証されなければならない」としている(東京高決平5・6・32判時1465号55頁、同旨、東京高判平6・2・30判時1512号3頁)。
また相続分差別に関する最高裁大法廷決定の少数意見(5名)は、非嫡出子の身分が14条1項後段の列挙事由に該当するかどうかの判断は直接してはいないが、「本件規定で問題となる差別の合理性の判断は、基本的には、非嫡出子が婚姻家族に属するか否かという属性を重視すべきか、あるいは被相続人の子供としては平等であるという個人としての立場を重視すべきかにかかかっているといえる。したがって、その判断は、財産的利益に関する事案のおけるような単なる合理性の存否によってなされるべきではなく、立法目的自体の合理性及びその手段との実質的関連性にっいてより強い合理性の存否が検討されるべきである」と述べており(最大決平7・7・5ジュリスト1075号208頁)、やはり厳格な基準(学説でいうところの「厳格な合理性の基準」)の適用を示している。
これに対して、相続分差別に関する最高裁大法廷の多数意見のように、立法目的に合理的根拠があり、その区別が右立法理由との関連で著しく不合理なものでなく、立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えていない限り、14条違反ではないとすると、学説が指摘するように、ほとんどの差別が合理的と判断されてしまうこととなり、法の下の平等を実現することは不可能になってしまう。
そこで本意見書も、憲法学説の多数説および高裁判例・最高裁大法廷少数意見にしたがい、嫡出子・非嫡出子の区別は出生によって決定される法的地位であるから、憲法14条第1項の「社会的身分」にあたり、1項後段に列挙されている事項の差別については、少なくとも「厳格な合理性の判断基準」によるべきであると考える(芦部信喜「憲法14条1項の構造と違憲審査基準」法学教室139号93〜94頁〔1992〕など)。つまり、国籍法上の別扱いに著しく不合理であることが明白でない限り、違憲ではない、というのではなく、立法目的の合理性および、その目的と用いられた手段との間の実質的な関連性について強い合理性がない限り、違憲だということになる。
仮に判例と同じく5つの事項を例示と捉えるとしても、慎重な判断をすべきことはいうまでもない。例えば、例示説をとる橋本教授も、合理性判断にあたっては、「第1に、事実上の差異が存在すること、第2に、右の差異による差別的取扱いが正当な目的にもとづくこと、第3に、当該事項につき差別的取扱いの必要性が認められること、第4に、差別的取扱いの態様とか程度が、社会通念上許容できる範囲内であること、の諸点を総合判断して決するほかはないであろう」としている(橋本公亘「日本国憲法」202頁〔有斐閣 1980〕)。
したがって、立法目的の正当性、差別扱いの必要性、差別扱いの態様・程度の社会的許容性という点は、最低限でも考慮する必要があるといえる。以下、本意見書では、合理性を抽象的に判断するのではなく、右の点を考慮しながら具体的に検討していきたい。
3 出生後の認知による国籍取得を否定することの合理性
(1)立法目的の合理性
これまで国籍法2条で「父」を法律上の父とし、出生時点で親子関係が成立していることを要件とするのは、出生の時点でできる限り確定的に国籍を取得させるためであり、後の身分行為などで自動的に国籍が変動することによって、国籍上の地位か不安定になることは、国および本人の立場から見て好ましくないからだとされてきた(田代・前掲書158頁)。また立法過程では、出生によって取得していた国籍を父の認知によって一方的に変更させられることの不合理さが、個人の尊厳という立場から説明されていた。
このように、国籍のできる限りの確定的な取得と、本人の意思の尊重という立法趣旨それ自体には、いわば当然のことであって、合理性があるといってよいだろう。問題は、非嫡出子について父が出生後に認知しても国籍取得を認めないという手段との間に、実質的な関連性があるかどうかである。
(2)認知の意義から見た妥当性
現在、認知は非嫡出子の父子関係を成立させる要件だと位置付けられているが、学説では、父子関係についても母子関係と同様に自然血縁に基づいて法律上の親子関係は成立し、認知は嫡出推定と同様に父子関係の存在を推定する方法にすぎないと解する立場があり(於保不2雄「親子」31頁〔日本評論社1950〕参照)、最近では有力になっている(伊藤昌司「民法判例レビュー(家族)」判例タイムズ885号75頁など)。
また明治民法の起草者である梅謙次郎は、認知は親子関係を認めるものだが、事実においては出生の時において定まるものだから、原則として出生の時に遡って効力が生ずるのだと説明していた(梅謙次郎「民法要義4」385頁(有斐閣 1912年〕)。つまり認知は事実として生じている親子間系の確認だと捉えられていたのである。
こうした推定または確認とする立場に立てば、父子関係も自然血縁の事実によって成立しているのだから、胎児認知と同様、「出生の時に父が日本国民であるとき」に該当する。したがって、日本国籍を取得することができる(なお三井哲夫「国籍附与の要件としての親子関係と法の抵触に関する若干の問題に就て(4・完)」民事月報24巻4号44頁〔1966〕は、認知を親子関係の証明方法と捉えて、同様の解釈をしていた)。たとえ今日の実務のように認知を父子関係の成立要件と解する立場に立っても、認知の意義を考えてみる必要がある。つまり認知が純粋に父子関係成立の要件であるならば、認知の時点から父子関係が成立するはずである。それにもかかわらず、民法で認知に遡及効を認めるのは、なぜなのだろうか。もしそれが子や親の利益を保障するためだとすれば、国籍法においても、同様にできるだけ子や親の利益を保障する解釈をとるべきではないだろうか。
もちろん国籍法は国籍法としての立場から、認知による国籍取得を認めるかどうか、認めるとして遡及効まで肯定するかどうかの議論をすることができる。国籍法でこれらを否定してきたのは、すでに述べたように、できる限りの確定的取得と子の意思の尊重だった。しかし、認知といっても、出生後、直ちに認知するケースもあれば、10年、20年経ってから認知するケースもある。後者では確かに国籍の不安定化といえるかもしれないが、前者、例えば、認知届が出生から14日以内に出されたケースでは、出生届それ自体が出生後14日以内に届け出ることになっているのだから、できる限りの確定的な国籍取得という目的に何ら反していない。それにもかかわらず、画一的に認知による国籍取得を否定するのは、目的から見て規制対象が広すぎる。
また現行法では認知は父の一方的意思表示で成立するから、一般論としては、母子の知らない間に認知がなされ、認知の遡及効により生来的日本人になった結果、外国の法律により外国籍を喪失するといった事態も生じる可能性がある。しかし、もし母子の意思を重視するならば、準正の場合と同様に、認知と同時に子の日本国籍取得の意思表示(届出制)をさせるような制度を設ければよいのである。遡及効を認めることによって、例えば、すでになされた選挙の効力などが問題になるとすれば、準正の場合と同様に国籍取得を満20歳未満までに限定したり、第3者がすでに取得した権利を害することができないとか、選挙などの効力には影響しないという特別の規定を設ければすむことである。このような制度的な工夫をせず、また本件のように子が日本で生まれ、生活し、日本人父の援助を受けており、母も日本国籍の取得を希望している場合にまで、当然のように国籍取得を否定するのは、手段としての社会的許容性を欠いているといわざるをえない。
3 出生後の国籍の変動を認める例との不均衡
これまで出生後の認知による国籍取得を否定する理由として、国籍上の地位の不安定があげられてきたが、出生後に国籍の変動が生じる例が存在する以上、絶対的な理由にはなりえない。
まず準正である。満20歳までは準正によって日本国籍を取得できる。だから、例えば、出生後18年くらいたって、父から認知され、19年目に父母が婚姻したような場合でも、国籍が変動する。婚姻によって嫡出子としての身分を取得し、日本国民の正常な家族関係に包摂され、これにより日本との真実の結合関係が明らかになるからと説明されているが、日本の婚姻・離婚は届出制であり、実体的な夫婦関係の有無はチェックできないのだから、仮装の婚姻届もありうる。国籍取得のために婚姻届をし、すぐに離婚届をするということも可能である。これでも「日本国民の正常な家族関係に包摂され、これにより日本との真実の結合関係が明らかになる」といえるのだろうか。
また嫡出子であっても、嫡出否認の訴えや親子関係不存在確認の訴えが認められ、法律上の親子関係が成立していないことになれば、出生の時点まで逆上って日本国籍を喪失すると解釈されている(江川・山田・早田・前掲書60頁、法務省民事局法務研究会編「国籍実務解説」43頁(日本加除出版1990)など)。例えば、フィリピン人女性が日本人男性と婚姻した後、別居して事実上離婚状態になっているときに、別の日本人男性と同居し、子をもうけたケ−スでは、夫の嫡出子として日本国籍を取得したが、後にこの子は嫡出否認された結果、遡及的に日本国籍を失い、自然血縁の男性に認知してもらったものの、出生後の認知であったために、日本国籍を取得できなかったという事案がある(太田季子・谷合佳代子・養父知美「戸籍・国籍と子どもの人権」35頁以下参照〔明石書店 1994〕)。
嫡出否認の訴えは、夫が子の出生を知ってから1年以内という時間的制限があるから、できる限りの確定的取得という目的に与える影響は小さいかもしれない。しかし、親子関係不存在確認の訴えには、時間的制限も、出訴権者の制限もない。確認の利益を有する者は、いつでも訴えを起こすことができる。出生後、20年、30年たってからの不存在確認の訴えもありうるのである。この場合でも遡及的な国籍の喪失を認めることになる。これ以上の国籍の不安定化はないにもかかわらず、国籍を喪失させるのである。
このように出生後の父母の婚姻による国籍取得、親子関係の否定による遡及的な国籍喪失を認めることは、出生時においてできる限り確定的に国籍を決定するという目的に反する扱いを認めることに他ならないのだから、出生後の認知による国籍取得を一律に否定する理由としては薄弱である。とりわけ出生後、相当期間内になされた認知による国籍取得を否定することとの不均衡は著しく、目的と手段との間の相当性を欠いているといわざるをえない。
4 生活の一体化と婚姻との関係
それにもかかわらず、立法者が出生後の認知による国籍取得を否定したのは、非嫡出子と父との親子関係が母子関係に比べて希薄であるという認識に基づいている。つまり、日本との帰属関係の濃淡を生活の一体化に求め、それを父母の婚姻関係の有無で判断し、非嫡出子の父子関係は母子関係に比べ、生活の同一性が極めて希薄であるとすることによる。
しかし、現実の家庭生活を見ると、「生活の一体化」は婚姻とは必然的に結びつかない。例えば、婚姻が事実上離婚状態にあり、子どもが事実婚で誕生している場合、生活実態を取り出して見れば、それは事実婚の側にある。また法律上の父子関係の成立を取り出しても、嫡出推定は婚姻解消から300日内の出生にも及ぶから、離婚後の出生でも親子関係が成立し、父との生活の一体化がないにもかかわらず、日本国籍を取得することがありうる。さらに日本の婚姻制度は届出主義であり、生活実態を要件としないから、単に国籍取得のためだけの婚姻届もありうる。生活の一体化を婚姻関係の有無で判断することはできない。
また男女が子どもをもうけ、家庭生活を営む生活形態は、婚姻だけではない。相互理解が乏しくて離婚や再婚を繰り返すケースもある。母子が共同生活をし、父が経済的に援助し、親子としての交流を続けるというケースもある。父母による養育は、必ずしも父母の双方と同居することを意味しない。離婚後の子の養育を考えれば、このことは明白であろう。このような場合でも、結合関係は希薄だといえるのだろうか。家庭生活のあり方も親子の交流のあり方も多様である。本件のような国際婚外子(非嫡出子)もまたこのような多様性の中で生活している。それにもかかわらず、婚姻という外形的事実にのみ父子の結合関係の緊密さを求め、父母が婚姻したかどうかによって、国籍取得に違いを設けるのは、家庭生活の多様性を無視するものであって、現実の親子関係の実態にそぐわないのではないだろうか。確かに今日まで、婚姻制度は、家事労働に従事する妻の生活を保障し、子の身分を確保するとともに、子に安定的な養育環境を保障する働きをしてきた。
したがって、生活の一体化を婚姻に求めることにも一定の合理性があったといえないこともない。しかし、現在、経済的に自立する女性が増加する傾向があり、婚姻だけが女性の幸福に結びつくものではないという考え方が浸透し、自分に合ったライフスタイルの選択が求められ始めている。このような時代的変化にもかかわらず、家族関係を「正常」と「正常でない」ものに分け、婚姻のみを「正常」と見ることは、婚姻以外のライフスタイルを選択した国際カップルの子どもの生活を抑圧することにつながるおそれさえある。
以上のことから、非嫡出子の父子関係は母子関係に比べ、生活の同一性が極めて希薄であることを根拠にすることに、明白な合理性を見いだすことができない。
5 非嫡出子の差別をなくす動き
さらに立法者は、民法の規定で嫡出子の扱いと非嫡出子の扱いが違うことをも別扱いの根拠にしていた。しかし、非嫡出子に関する差別をなくすことが、立法上の重要な課題だと認識され始めている。
例えば、法務省民事局参事官室は、94年7月民法改正要綱試案において、嫡出子と非嫡出子の相続分の平等化を提起した。相続分差別について、最高裁大法廷は合憲としたけれども、違憲とする少数意見5名と、合憲という多数意見ではあるものの、立法による改正を示唆する補足意見4名を加えると、最高裁裁判官15名中9名になり、実質的には違憲と解釈することもできる(最大決平7・7・5判例タイムズ885号83頁)。多数意見の合憲判断にもかかわらず、96年1月の民法改正案では、なお平等化が規定されている。また自治省は94年12月、住民票の世帯主との続柄において嫡出子と非嫡出子、実子と養子を全て「子」と統一する改正をした(95年3月1日から実施)。
他方、国際人権規約B規約に関して規約人権委員会からは、日本政府に対して、非嫡出子差別をなくすよう改善の勧告が出ている(日本弁護士連合会編「ジュネーヴ1993 世界に問われた日本の人権」248〜250頁〔こうち書房 1994〕)。子どもの権利条約では、条約で掲げられた権利について、出生による差別をなくすことを明記する(2条)。嫡出子と非嫡出子を平等に扱うことは、今日の世界的な課題になっている。
このように非嫡出子の平等化が進み、これを求めて法改正が進展しつつある現在では、もはや国籍取得に関する取扱いについて民法上の取扱いを根拠にすることはできない。むしろ非嫡出子の利益を守るような扱いをすることこそ、求められているのではないだろうか。
例えば、本件のように日本で居住し、父の援助を受けて生活しようとしている非嫡出子に、日本国籍を取得させることのメリットは大きい。非嫡出子の父子関係の場合、本件のように子と同居しないでも、男性が誠実に父親としての義務を果たそうとしているケースは、いくらでもある。別居していても、子にとって、このような父は大切な存在である。本人にとっては、国籍の変動こそが望ましい。
日本が批准した子どもの権利条約は、子どもは出生の時から国籍を取得する権利を有するものと規定する(7条)。国籍は国が恩恵として与えるものではなく、国民の権利義務の源泉として、人が権利として取得するものだと位置づけられている。この規定の趣旨は、無国籍を防ぐためであるが、同条約は、子どもはできる限りその父母によって養育される権利を有すると規定し(7条)、子どもがその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保するよう締約国に義務づけている(9条)ことから考えると、滞在国の国籍を取得する権利を含むように思われる。内外人平等の原則がすべての権利義務に貫徹していない現状では、日本で生まれ日本で暮らしていこうとしている国際婚外子が安定して成長できるためには、滞在国である日本の国籍取得が何より重要になる。滞在国の国籍を取得することが、子の基本的権利だとすれば、国籍の変動にあたっては、国の利益よりも個人の利益を優先させるという、判断はありうるのではないだろうか。
日本政府は、父母と子の分離の禁止を規定した子どもの権利条約9条について解釈宣言を行い、退去強制が9条に違反するものではないとしているが(波多野里望「逐条解説 児童の権利条約」68頁〔有斐閣 1994〕)、そうであればあるほど、日本国籍の取得を容易にして、親と子の分離を防止すべきであろう。国際婚外子の父に父としての義務を適切に履行させる意味で、国籍は権利義務の源泉であるから、国籍の取得は必須のものだと考える。
このような状況があるにもかかわらず、形式的な権利の違いを理由に、非嫡出子の認知による国籍取得を否定することには、合理性を見いだすことはできない。
6 結論
以上検討したように、国籍取得の安定性および本人の意思の尊重という立法趣旨と、非嫡出子について父が出生後、相当期間内に認知しても国籍取得を認めないという扱いとの間に、実質的な関連性はないといえる。確かに国籍法では、日本国民の子で日本に住所を有するものについては、簡易帰化という方法を用意してはいるが(国籍8条1号)、同じ日本人父の子でありながら、父母が婚姻できたかどうか、胎児認知の手続が間に合ったかどうかという、子自身によって選択できないことによって、子の基本的権利である滞在国の国籍取得が左右されることは、自己の行為によらずして不利益を受けることはないという近代法の原則に反している。したがって、現在の実務は、憲法14条の法の下の平等に違反する疑いが強い。
ところで子の国籍取得を親の立場から見てみると、日本人母は外国人父と婚姻していなくても、子に日本国籍を取得させることができ、子と同じ国籍になるのに対して、日本人父は外国人母から生まれた子について、胎児認知を行わなかったり、出生前あるいは出生後に婚姻をしない限り、子に日本国籍を取得させることができず、子と国籍は異なることになる。
このように子の国籍取得が、親の性別により差別されることについて、山田教授は、両性平等の立場から、出生による国籍の取得に関し、父系優先血統主義から父母両系血統主義に改正するとすれば、母が日本国民であるときには子は日本国籍を取得するにもかかわらず、出生後の認知により日本国民である父と非嫡出親子関係が成立しても子が日本国籍を取得しないとする法制を維持することは、両性平等の関係で問題となるであろうと指摘していた(山田鐐一「子の出生後に日本国民である父が認知した場合には国籍法2条1号の適用がないとした事例」判例評論277号155頁〔1981〕)。また奥田教授も法の下の平等を定めた憲法14条に違反する疑いがあると指摘する(奥田安弘「認知による国籍取得に関する比較法的考察」国際法外交雑誌94巻3号42頁〔1995〕)。
つまり出生後の認知による国籍取得を一律に否定する制度は、非嫡出子に対する差別的扱いと同時に、父母の性による差別的取扱いという面をももつものであり、二重の違憲状態にあるといえるのである。
このように認知の遡及効を否定する解釈が憲法に違反する疑いが強いとすれば、そのような解釈はとるべきではない。遡及功を肯定する解釈こそが、憲法の法の下の平等原則にかなうものである。遡及効を認めると、仮装認知のおそれが出てくるという批判もありうるが、認知をすると、親子としての法律上の権利義務関係が発生し、これは消滅させることはできないのだから、広く仮装認知が行われるとは思われない。むしろ、妊娠した外国人女性との仮装婚姻と子の日本国籍取得後の離婚という組み合わせの方が、身分関係への影響が少ないためにとられる可能性が高い。だから、このような批判は遡及効を否定する理由にはならない。
したがって、本件の原告は、出生後、父に認知されたことにより、出生時に父が日本人であったことに該当し、日本国籍を取得したといえるのである。
第4 胎児認知に準じた扱いをすべき場合
1 問題点の整理
現在の実務は、父の非嫡出子について、出生後の認知による国籍の取得を否定しながら、他方で、胎児認知については、出生時点で親子関係が成立していることが明らかであるとして、日本国籍の取得を認める。しかし、胎児認知ができるかどうかは、法的な知識の有無や、戸籍実務上の必要書類の入手の難易という偶然的な理由に左右される。本件にもそのような事情が存在した。
しかも、胎児認知の場合でも出生届は出生後14日以内に出せばよいのだから、出生後14日以内に認知届が出された場合には、胎児認知と実質的な違いは存在しない。同じように出生の時点から間もない頃に、法律上の親子関係が成立している。それにもかかわらず、認知が出生前だったか後だったかという時期的な区別だけで、国籍を取得できない。果してこの扱いに合理性があるだろうか。
第3で述べたように、出生後の認知による国籍取得を否定することが非嫡出子の差別として憲法違反になると判断し難いとしても、本件のような特別な事情がある場合には、胎児認知に準じるものとして国籍の取得を認めることができるのではないだろうか。以下、これを検討したい。
2 例外的扱いを認めた事例
(1)以前になされた胎児認知の効力を認めた事例
韓国人男性Bと離婚した韓国人女性Aの胎児を、離婚後3か月目に、日本人男性Cが認知した。その胎児は離婚後300日以内に出生した。日本人男性Cと韓国人女性Aは婚姻し、子の出生から1年半後に、子と母の前夫Bとの間の親子関係不存在確認の裁判が確定した。このような事例において、法務省民事局は、以前の胎児認知届の効力が認められる結果、子は国籍法2条1号に該当するから、日本国籍を取得するとした(昭57・12・18民2第7608号回答)。
この先例では、法律を形式的に適用すると、いくら胎児認知をしていても、離婚後300日以内に出生すれば、前夫の子と推定されるのだから、胎児認知は無効になる。嫡出否認の訴えや親子関係不存在確認の訴えで前夫の子という推定を覆した後で、新たに認知をして初めて法律上の親子関係が生じる。あるいは認知の訴えを起こして、この中で親子関係不存在確認をして、法律上の親子関係の成立が認められる。しかし、先例は、後に親子関係の不存在が確認され嫡出推定が覆された場合には、先になされた胎児認知を有効なものとして扱い、国籍の取得を認めたのだといえる(奥田安弘「生後認知による国籍取得を例外的に認めた事案」戸籍時報456号9頁〔1996〕)。出生後の認知による国籍取得を認めないという実務の立場からは、胎児認知が有効なのだという解釈をとらざるをえなかったのであろう。しかし、胎児認知のない場合にも、例外的に国籍取得を認めるケースも登場した。
(2)出生後の認知による国籍取得を認めた事例
韓国人女性Aが日本人男性Bと婚姻したが、やがて別居するに至り、別居中にAは別の日本人男性Cと知り合い、子を出産した。2か月後、夫Bと協議離婚をし、子の出産から3か月後、子と前夫Bとの間の親子関係不存在確認の訴えを起こした。この審判が確定してから12日目に、出生届と認知届が行われた。このような事例において、東京高裁は、嫡出推定が働き、胎児認知が不可能な子について、出生後、相当期間内に嫡出否認あるいは親子関係不存在確認の訴えを起こし、確定後、出生届期間に相当する期間内に、新たな出生届と認知届出があった場合には、国籍が長期にわたって不確定なものとなるおそれがないから、例外的に日本国籍の取得を認めるとした(東京高裁平7・2・29平6(行コ)第195号国籍確認請求控訴事件)。
本判決は、生来的な国籍取得はできるだけ確定的に決定されるべきものだとしており、出生後の認知による国籍取得を一般的に肯定したものではない。しかし、外国人女性が婚姻中に懐胎した子については、嫡出の推定を受ける結果、生まれてくる子の実の父が日本人であっても、胎児認知をすることができず、日本国籍を取得する途が閉ざされてしまうこと、生来的な国籍取得はできるだけ確定的に決定されるべきものだいう趣旨に反しないのであれば、解釈上一定の例外を認めることも許されること、1の行政先例は、子の出生時点で日本人父との間に法律上の親子関係が形成されていなければならないという原則に対する例外を認める余地があることを示唆していること、(1)の行政先例と本件事案との間に実質的に大きな隔たりがあるとは考えられないことを根拠として、「本件のような、これまた極めて例外的な場合、すなわち特別の事情があって子の出生前に認知届はないが、嫡出が否定された時に接着した時(嫡出子であることが確定した裁判によって否定された時から本来の出生届の期間内)に新たな出生届と認知届出があった場合に限っては、国籍法2条1号の要件を満たすものと解しても、認知による遡及功を一般的に認めるものではないから、国籍が長期にわたって不確定なものとなる恐れもないといえる(むしろ、本件のような場合にまで認知の届出による日本国籍の取得を認めないとすると、それまで嫡出子とされたことによって有しているはずであった日本国籍が否定されることになって、かえって不安定になるともいえる。
本件のような事例にあっては、適法な期間内の出生届と認知届があることを要件としてこれまでの国籍を確定的に維持しうるものとする方が国籍の確実性を確保することにもなるといえる)」として、日本国籍の取得を認めた。
本判決では、胎児認知が不可能だったこと、本来嫡出子として日本国籍を有するはずだったものが、日本国籍を失うとかえって国籍が不安定になること、嫡出推定を否定するための手続が相当期間内に行われていること、およびそれが確定してから14日以内に出生届と認知届が出されていることなどの事情が考慮されているが、ともかく1のケースとは異なり、出生後の認知による日本国籍の取得が認められたのである。
(3)本件との比較
本件は、(1)・(2)のように嫡出の推定を受ける子ではないから、胎児認知が不可能なケースではない。しかし、原告の父は、母の承諾を得た上で胎児認知の手続に赴いている。ところが、戸籍担当者の証言によれば、母の承諾書と外国人登録証明書がないとして受けつけず、母国からの出生証明書の取り寄せが火山の爆発などによって遅延した結果、子が先に生まれてしまったというのである。父母の責任とはいえない事情で必要書類が遅延したにもかかわらず、胎児認知として認めず、その結果、日本国籍の取得を否定するということは、(1)・(2)と同じような不合理さを含んでいる。しかも、父は子の出生後12日目に認知届を行っている。国籍が不安定になるおそれはない。この点も(1)・(2)と同じである。この子が日本で父の援助を受けながら生活している実態を考えると、日本国籍の取得は必須のものだといえる。例外的なケ−スとしての救済を検討するに値するのではないだろうか。
3 胎児認知に準じた扱い
(1)胎児認知制度の趣旨
現行法と同じ規定である明治民法の制定過程で、立法者は、次のようなケ−スを例示してその必要性を説いていた。例えば、妾を置いている人物がおり、女子が1人ある、今度、妾が妊娠した、生まれてくるのが男子であれば、その子に家督を相続させたい、ところが出産しない間に、自分が死んでしまうと、認知ができず、相続もできない、だから、胎児の間に認知を認めるのだ、と(法典調査会第156回、明治29年1月24日〔「日本近代立法資料叢書6法典調査会 民法議事速記録6」573頁 商事法務研究会 1984年より〕)。当時は、死後認知の制度が認められていなかったので、このような論理になったのだといえる。
民法では、損害賠償請求や相続、遺贈について胎児はすでに生まれたものとみなすという規定があるが、これらの権利を取得するためには、法律上の親子関係が成立していなければならない。しかし、死後認知が制度化されていなければ、胎児の間に認知していない限り、非嫡出子と父との間には法律上の親子関係が成立せず、これらの権利を取得できないことになる。だから、「父が死に瀕するとき」、「父が死亡しそうな場合」などに実用性があるといわれていたのである(梅謙次郎「民法要義4」3ハ4頁〔有斐閣 1912年〕、穂積重遠「親族法」453頁〔岩波書店 1933年〕など)。しかし、1942〔昭和17〕年の民法改正で死後認知が制度化されたため、胎児認知制度の必要性は減じた。
また明治民法の時代には、出生後に非嫡出子を父が認知し、戸主の同意を得れば庶子となり、家督相続の権利も生まれたが、その子を出生と同時に庶子にすることはできず、胎児認知をしていたときにのみ、庶子出生届が可能だった。しかし、1914〔大正3〕年の戸籍法改正により、庶子出生届に認知の効力を認めたため(現行戸籍法62条に該当する)、この分野では、胎児認知制度の必要性はなくなった。
しかし、今日でも、出生後に裁判手続を経る必要性がないこと、父死亡後、直ちに相続関係の処理ができることなどの実益があると指摘されている(我妻栄編「判例コンメンタール 親族法」232頁〔石川捻〕(日本評論社 1970年)、林良平・大森政輔編「注釈判例民法 親族法・相続法」226頁〔久貴忠彦=床谷文雄〕〔青林書院 1992年〕など)。
また、父の死亡の危険のある場合だけではなく、例えば、内縁の夫婦が内縁の解消にさいし、内縁の妻が子を懐胎しているときに、内縁解消に先立って内縁の夫が胎児認知をしておくというように、非嫡出の胎児の父が母との関係を絶って遠隔地におもむき・あるいは消息不明になるおそれのある場合にも利用されるにいたっているとの指摘もある(中川善之助編「注釈民法22の1 親族(3)」219頁〔木下明〕〔有斐閣 1971年〕)。
このように胎児認知制度は、子の出生後に父の死亡や失踪などあって認知ができない可能性の高い場合に、利用される制度なのである。非嫡出子と父との関係が緊密で安定している場合には、出生後の認知で十分なのだから、わざわざ胎児認知はしない。それが国籍法の改正によって、父の認知による日本国籍の取得が廃止されたこととの関係で、突如、胎児認知は、父の非嫡出子が日本国籍を取得する方法として、実益がある制度だとして位置づけられることになった(林他・前掲書226頁)。しかし、これは胎児認知制度本来の趣旨ではないのである。
ところで立法者は、子どもが出生した時点で法律上の親子関係があることを基準においたために、胎児認知でも出生と同時に日本国籍を取得すると説明する。他方で、出生後の認知による国籍取得を否定したり、準正による国籍取得を肯定する理由として、嫡出子だけが正当な家族の構成員になり、日本との帰属関係が明らかになると説明する。しかし、父の非嫡出子につき胎児認知による国籍取得を認めるのだから、たとえ国籍法2条と3条は別の次元の問題だしても、結果として生じていることは、明らかな矛盾である。民法で胎児認知を認めたのは、父と胎児との間に親子として緊密な関係が形成されていることに着目したためではない。むしろ不安定で出生後の認知が期待できないがために認めるのである。それにもかかわらず、逆に出生後に認知して緊密な関係を保っている父子のケースで、国籍の取得が認められない。これは生活実態を無視した扱いではないだろうか。
(2)例外的に出生後の認知による国籍取得を認める解釈立法者は、胎児認知による国籍取得と準正による国籍取得の関係を問われたときに、3条は、後になって、出生のときに法律上の父子関係があったと同視できるような法律関係の場合には、2条に準じてもいい関係に立つ、それは準正であるという発想だと答えていた。これは、準正以外でも胎児認知に準ずるような場合があれば、国籍取得を可能にする解釈の余地を残しているとみることができる。
奥田教授は、出生による国籍取得は「出生の時」に確定するという原則は、国籍留保の場合にすでに破られていると指摘する。すなわち、外国で生まれた重国籍者は、国籍留保の意思表示をしなければ、出生時に遡って日本国籍を失うが(国籍法12条)、この意思表示は、出生の日から3か月以内に、出生届と同時に行えばよいのだから(戸籍法104条1項・2項)、出生の時点では、国籍は確定していない。また、天災などの不可抗力によって期間内届出ができない場合には、届出ができるようになった時から14日以内に届け出ればよいとされており(戸籍法104条3項)、この趣旨を認知届についても取り入れることは許されるとする。したがって、出生届が戸籍法49条の期間内(14日以内)に行われ、これと同時か、またはそれ以前に認知届が行われた場合には、国籍法2条1号にいう「出生の時」に法律上の親子関係が成立したと解されるとする(奥田・前掲論文11〜12頁)。
この解釈は、一般的に出生後の父の認知による国籍取得を認めるものではなく、合理的な期間内に、具体的には出生届の法定期間内に認知届が行われた場合にのみ国籍取得を認めるのだから、国籍取得の安定性を害さない。したがって、国籍取得の原則にも反しない。
またこの解釈によって胎児認知が可能だったかどうかという偶然的な事情で、非嫡出子が不利益を被ることがなくなる。出生後直ちに認知届が出されるということは、自ら率先して父としての責任を果たそうとする意思の表明でもあるのだから、父子関係は母子関係と同様の緊密さをもっていると評価することができ、立法者が前提にしていた実質的な結合関係があるということになり、これまでの立法者の説明とも矛盾しない。したがって、立法者意思からみても、奥田教授のような解釈は可能だと思われる。
とりわけ本件では、フィリピンにおける火山の噴火などの不可抗力によって必要書類の入手が遅れるという当事者の責任によらない事情で、胎児認知届をすることが不可能であったのだから、なおのことこのような解釈をとって子を救済する必要性がある。またこのような扱いは、非嫡出子に対する差別を軽減することにつながるので、第3で述べたような子どもの権利条約や差別をなくす国際的動向にそうものであり、妥当性が高い。このような実質的な理由もあるだから、本件の場合には、胎児認知に準じた取扱いをすべきである。
第5 胎児認知の成立
最後に第3、第4で展開した私見を採用しがたいとしても、本件のような場合には、胎児認知があったものとして扱うべきだと思われるので、その理由を示したい。
1 胎児認知の手続と本件の特殊性
胎児認知の手続は以下のように行われている。胎児を認知しようとする者は、届書に胎児認知をする旨、母の氏名・本籍を記載し、母の本籍地の市町村に届け出なければならない(戸籍法61条)。胎児認知については母の承諾が必要であるが(民法783条)、承諾については、方式の定めがないため、届書のその他の事項欄に記入することが多い。母が外国人である場合には、母の本籍地とは外国人登録をしている地ということになる。それが不明であるときは、届出人つまり父の本籍地で届け出ることになる戸籍法25条)。こうした届出があると、付箋処理をし、子の出生後、出生届が提出されると、出生事項と認知事項を戸籍の身分事項欄に記載する。
本件の場合、原告の父の主張によれば、1991年8月22日ころ、父が市役所に相談に行き、胎児認知届の一般的なことを問い合わせ、母が外国人登録をしていないことから、それに代わるものとして出生証明書を本国から取り寄せることにしている。そして9月12日、父は市役所で母の承諾とともに胎児認知する意思を表明した。しかし、母の出生証明書の提出がないことを理由に、胎児認知の届出を受けつけられなかった(戸籍担当者の証言では、母の承諾書もなかったという)。出生後の9月30日、父は到着した母の出生証明書に翻訳文を添付し、母の同意書とともに市役所に持参したが、担当者は、30日づけで認知届受理の扱いをし、胎児認知とはならなかった。
右の一連の事実が原告側主張のように確認されたとすれば、次のような議論が展開可能になる。民法の胎児認知の要件は、父が母の承諾を得て行うことだけである(民法783条)。ただし戸籍係への届出が必要であるため、先に述べたような手続を踏まねばならない。本件では、9月12日に、父は母の承諾を得て胎児認知の意思を表明している。したがって、この時点で戸籍担当者はこれを受理すべきであった。添付書類については、後日整えて提出してもらえばすむことである。そうしないと、種類到着前に出生してしまい、胎児認知が不可能になってしまうおそれもあるからである。
胎児認知は、第4で述べたように、父が死に瀕しているときなど緊急の場合になされることを予定している制度である。国籍法との関係では、出生による日本国籍の取得が認められれば、国外退去処分にあわなくてすむといったこれまた緊急の必要性の高い場合の問題になる。したがって、外国からの書類の取り寄せなど時間がかかるものについては、後日の提出で間に合わせ、当面、母親本人の確認ができれば、受理するのが、制度の趣旨にのっとった扱いである(このような扱いをしなかった結果、本件原告が日本国籍を取得することができないことは、権利の源泉としての国籍を得られなかったことであり、戸籍担当者および管理者の過失として不法行為責任を負うべき筋合いにある)。だからこそ、本件胎児認知の手続上の形式的な暇庇は、子の利益になる方向で補う解釈をすべきだといえる。
2 手続保障の視点
その解釈としては、胎児認知手続の保障という視点から検討する。
まず戸籍法には届書の追完という措置がある(戸籍法45条)。すなわち、市町村長は、届出を受理した場合に、届書に不備があるため戸籍の記載をすることができないときは、届出人に、その追完をさせなければならないという規定である。この場合、身分行為自体は、届出受理時に成立している。届書の不備は戸籍記載のために問題になるだけである。
本件の場合は、届出の受理前に添付書類の不備を見つけ、実際には受理扱いをしなかったケースであり、本来の追完に該当するものではない。しかし、胎児認知に必要な基本的な事項、つまり母の承諾と父の認知の意思表示は整っており、この時点で胎児認知は民法上は成立可能である。単に添付書類の不備があるにすぎない。しかも、これは後日相当期間内に提出可能なものである。また胎児認知は、届出時には戸籍記載はされず、後日、出生後、出生届がなされた場合に、出生事項と認知事項が戸籍に記載されるものである。したがって、受理はあったが不備のために戸籍記載ができないという追完の場合と、きわめて近似した実体がある。
そこで胎児認知届出時には、添付書類が不備であっても、基本的要件が備わっている限り、胎児認知は成立しており、出生後、出生届出期間内に、添付書類を完備して認知届が出された場合には、追完に準じて戸籍記載を行うという扱いをすることができると考える。胎児認知が国籍取得にとってきわめて重大な意味をもつ以上、その手続保障がなされるべきである。法律に詳しくない当事者に手続に関する情報を提供し、万一のことを考えて、当事者に不利益にならないような手続上の配慮をすべきだといえる。このような手続保障の見地からは、追完に準じた扱いこそ期待されているのである。
さらに戸籍法では、国籍留保の意思表示については、当事者の責めに帰することができないときは、期間を、届出が可能になった時から14日とするという規定がある(戸籍法104条3項)。国籍留保の意思表示が不可抗力によって不可能になり、その結果、日本国籍を喪失することになってはならないからである。これまた国籍の得喪という重大な身分変動を考恵した手続保障の規定だといえる。だとすれば、同じく日本国籍の取得という重大な身分変動をもたらす本件胎児認知手続に、この規定を準用することは許されるのではないだろうか。そうすると、本件の出生証明書の延着は現地の火山の噴火という不可抗力であるから、この規定を準用し、出生証明書が到着し、胎児認知届出の受理が可能になった時か、14日以内であれば、胎児認知として受理することができることになる。
以上のような解釈をとれば、出生証明書の提出により追完がなされ、胎児認知は成立していた、あるいは届出可能時から14日以内の認知届があったのだから、胎児認知は成立していたことになるので、原告は日本国籍を取得したといえるのである。
第6 結論
第1に、父の非嫡出子について、出生後の認知に遡及効を認めず日本国籍の取得を否定する解釈は、非嫡出子に対する不合理な差別であって憲法の法の下の平等に反する扱いになるから、取るべきではない。したがって、認知によって親子関係が成立し、その効果が出生時まで遡及するのだから、日本国籍の取得を認めることができる。
第2に、一般的に違憲という解釈がとれないとしても、出生後、出生届の届出期間内になされた認知の場合には、国籍の不安定化のおそれがなく、かつ非嫡出子の平等扱いに近づくものとして、胎児認知に準じて日本国籍の取得を認めることができる。
第3に、この解釈がとれないとしても、胎児認知の国籍取得における重要性に鑑みて、胎児認知手続の保障という見地から、追完に準じて、もしくは不可抗力による期間延長規定を準用して、胎児認知の成立と、それによる日本国籍の取得を認めることができる。
以上が、本意見書の結論である。貴裁判所としては、子どもの権利条約の精神、非嫡出子に対する法的な差別の除去という国際的動向を考慮された上で、子の利益になるような解釈を示されるよう願ってやまない。
以上