江戸歴史散歩第7号



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江戸歴史散歩メールマガジン    第7号   2001年1月31日
 
                      まぐまぐ1455部
                       Pubzine 172部

江戸歴史散歩


発行人        榎本民夫 jt7t-enmt@asahi-net.or.jp
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目次  =======================================================

▼鷹場りの場所
       ▼家紋を知っていると面白いです。
            ▼徳川氏発祥の地
                   ▼行動的だった徳川家光
                            ▼終わりに
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▲鷹狩りの場所
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かつては、江戸の郊外五里以内は鷹場でした。
最近は範囲を徐々に広げ、駒込、駒場野、目黒、高円寺、葛西、井の頭等を
訪ねて、散策をしてみました。

駒込は一富士二鷹三茄子
       鷹匠屋敷跡の駒込病院が有り、隣接する天祖神社境内には、
       鷹匠組が奉納した石の柱も残されています。
        富士神社の富士塚
         駒込はナスの特産地でした。 


目黒方面の鳥見役所だっただった駒場野
       江戸名所図会によると、ヒバリ、ウズラ、キジ、ウサギが多
       かったそうです。今は閑静な住宅街です。
       目黒のサンマの話も家光にもよると言われています。
       御膳所として目黒不動を訪れています。

高円寺
      小沢村と言われていたところを、家光が鷹狩りの御膳所の寺から
      名付けました。
 
井の頭
      井の頭は家光によって名付けられました。御殿山という地名は御
      殿跡から来ています。

葛西
      鷹狩りの最適地


 葛西方面は何度も鷹狩りに利用されています。この違いが何かを知りたく、
青戸から葛西城址をへて亀有へに行って来ました。
 今は密集した、住宅街ですが、土地が平坦で見晴らしが良かったことが分か
ります。この辺りはかつて、葛西御厨−江戸時代以前からの水田地帯で葛西二
万石の広大な水田でした。
 中川の洪積地でどこまでも平坦な場所です。今は土手から宅地を見ると地盤
沈下で川面よりも宅地の方が低いことが分かります。
 武蔵野は新田地帯ですから、徳川家康の時には鷹狩りに適する場所がなかっ
たのかもしれません。
 葛西城は中川沿いの微高地にあり、洪積地にある城址としては唯一のもので
す。平坦な場所ですので、世田谷城、平塚城、石神井城と比べると、城が有
ったことすら分からない場所です。
 江戸時代の初期には鷹狩りの御殿が設けられました。刈り入れが終わり、渡
り鳥が休む水辺も多くありました。鷹狩りには適地であり、将軍家の娯楽と、
旗本の訓練を兼ねて行われました。
 鷹狩りを数多く行った、家光と吉宗にまつわる言い伝えは、都内に数多くあ
ります。
 その場所を訪ね歩くのも歴史散歩の一つです。

         ▲家紋を知っていると面白いです
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 先日、東京国立博物館に行きました。もう何度目かは分からないくらい行っ
ているのですが、家紋を調べたおかげで、稲葉家、細川家、松平家などと関わ
りがあることが分かりました。
 葵紋は年代や系統で色々なバリエーションがあります。注意してみていると
違うことが分かります。
 お寺の瓦にある紋も、その寺の関わりがある人物の紋と一致している場合が
多く興味深いものがあります。
 東京の場合は、下賜された葵紋を使う寺が多く見られます。鎌倉の場合は、
北条氏が創建した寺が多く、北条鱗が見られます。

地域によって、古刹の紋の違いを見るのも楽しいものです。

寛永寺 増上寺  徳川家:三葉葵紋
墨田区太平法恩寺 太田道灌家:丸に桔梗紋
文京区麒祥寺   稲葉家:隅切角に三紋
府中市高安時   足利家:丸に二つ引紋
港区白金立行寺  大久保家:大久保藤紋
世田谷区豪徳寺  井伊家:丸に橘紋

東大赤門     前田家:梅鉢紋
上野国立博物館の黒田家鬼瓦:黒餅紋=石持紋

等があります。




       ▲徳川氏発祥の地世良田
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一時間に一本の電車、無人駅。駅前には「徳川氏発祥の地」と観光案内板、
観光無料自転車があります。
二時間半を掛けて世良田に来ました、思った以上の田舎です。地平線が見え
るほどの畑がつづいています。
ここには、日光東照宮造り替えの時に移築された、世良田東照宮があます。
徳川家康の系図詐称と言われていますが、幕府によりたびたび修復され世
良田の人は発祥地の東照宮を守り続けています。宝物殿から拝殿、本殿など
今も、彫刻、彩色に見るべき所は多いです。

往復五時間の価値は有りました。


                       ▲行動的だった徳川家光
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目黒のサンマを始め、都内には家光の行動の跡が各地にあります。


★家光によって名付けられた場所
           吉祥寺 井の頭
           新宿  淀橋
           高円寺


★家光のお手植え  
             芝東照宮 銀杏
        杉並区和泉熊野神社 銀杏

★今も残る、家光造営の神社仏閣

   浅草神社:慶安2年(1649)三代将軍家光によって本殿、弊殿、拝殿とも
        再建された。この神社の祭礼が三社祭りです。


   上野東照宮:慶安4年4月16日正遷宮 同20日家光は江戸城で死去


   台徳院御霊廟:2代将軍秀忠の霊廟は寛永9年に芝増上寺に建立され、
          かつては国宝であったが、多くを戦災で消失。


★牛込見附:寛永13年(1636)阿波徳島藩主
       四谷見附:寛永16年築造されました
       赤坂見附:寛永13年(1636)福岡藩主黒田忠之
       天守閣の改築:江戸城天守跡内部の石垣は家光によります 

★鷹狩り   
   各地に開催しています。

                              ▲終わりに
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 サイトを立ち上げて、三年年になり、多くの皆様からご評価を戴いたことを
心より感謝申し上げます。個人で運営し、趣味を整理するために、サイトを作
ろうと思ったことが、江戸歴史散歩の原点です。
 まだまだ、確かめてみたいポイントは沢山あります。これからも、少しずつ
更新をしていきます。メールマガジンは不定期ですが、思いが重なりましたら
発行をしていきます。
 
これからも、皆様のご意見を戴きたいと思います。ご支援をよろしくお願いい
たします。


◆作者◆   榎本民夫 jt7t-enmt@asahi-net.or.jp
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